機動戦士ガンダム 美味しんぼ ロンド・ベルの究極、ネオ・ジオンの至高 逆襲のシャア前夜、ロンド・ベル寄港中の補給食堂 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ロンド・ベルが救難・警戒任務へ戻る前、ブライトが引き継ぎの確認に来た。
艦長自ら旧実習棟へ来るのは、これが最後かもしれない。そんな話は、すでに部屋中へ広まっていた。
ブライトは、いつもの古い椅子に座った。
座面が軋んだ。彼は1度腰を上げ、脚を確かめてから座り直した。
「今日は正式な監査ではない」
赤ペンは持っていなかった。
「では」
「臨時支援終了後の確認だ」
ブライトは書類を1枚取り出した。
旧実習棟の管理を、大学の食糧委員会と港湾管理局の厚生窓口へ移す。そのための引き継ぎ書だった。
「ロンド・ベルの支援がなくなっても、この場所がすぐ閉鎖されることはない」
「なぜ、そこまで」
私が聞くと、ブライトは黒板を見た。
「利用人数は、まだ空欄か」
「はい」
「空欄のまま、条件付き受理を2度通した施設だ。前例のないものを、軍の都合だけで終わらせるわけにもいかん」
「理由が事務的ですね」
「事務的な理由の方が、感情的な理由より長く残る」
ファ・ユイリィが、麦と根菜のスープを出した。
「食事中でなければ、召し上がりますか」
ブライトは椀を受け取った。
具は少ない。だが根菜は、薄切りと角切りの2種類に分けられていた。
薄切りは汁へ甘味を出し、角切りは噛んだ時に味を残す。麦の一部は潰され、少ない具をつなぐ薄いとろみになっていた。
ブライトは1口飲んだ。
「以前より、量が減ったな」
「臨時支援が縮小されましたから」
ファは、同じ材料を均一に刻んだスープを別の小椀へ入れた。
「こちらも召し上がってください」
均一な方は、どこをすくっても同じ味だった。最初の1口で、皿全体の味が分かる。
切り方を変えた方は、薄切りの甘味、角切りの歯応え、潰した麦のとろみが順番に現れた。
量は同じだった。
それでも、後者の方が長く食べられた。
「少ないことを、切り方で隠したのか」
ブライトが聞いた。
「隠してはいません」
ファは答えた。
「少ない量を最初の1口で食べ終わらせないようにしただけです」
「同じ材料でも、扱い方で残る時間が変わる」
「ええ。制度も同じでしょう」
ファは引き継ぎ書を見た。
「名前だけ移しても、同じ場所にはならない。ここが何をしてきたかまで渡さなければ、引き継いだことにはなりません」
ブライトは、もう1口スープを飲んだ。
「なるほど。今日は料理に監査されたらしい」
「正式な監査ではありません」
リィナ・アーシタが真顔で返した。
ブライトは、わずかに笑った。
椀を空にすると、椅子から立ち上がった。座面の軋みが、また鳴った。
彼は椅子の脚を確かめ、元の場所へ戻そうとした。
そこで手を止めた。
「今日は戻さない」
「なぜですか」
「これからは、私以外の誰かが座る。委員会の担当者か、港湾管理局の職員か、あるいは君たちの誰かだ」
ブライトは、椅子を少しだけ部屋の中央へ寄せた。
「誰が来ても、まず鍋と食べる人が見える場所に置いておく」
リィナが静かに頷いた。
「いつも、椅子を戻す人だと思っていました」
「戻す理由がある時は戻す。使い方が変わったなら、置き場所も変える」
「料理と同じですね」
エル・ビアンノが言った。
「同じ材料でも、切り方を変える」
「私は料理の話をしたつもりはない」
「でも、今日はそう聞こえる」
ブライトは黒板を見た。
3番の文字が残っていた。
食べさせたら勝ち、とは考えない。
「この言葉を変えるつもりは」
「ありません」
私は即答した。
「なら、それでいい」
ブライトは白いチョークを取った。
黒板の隅へ何かを書きかけ、途中で手を止めた。
「いや」
チョークを置いた。
「私が書く言葉ではない」
「なぜですか」
「ここで食べ、作り、待った人間が見つけた言葉だろう。制度の側から書き加えれば、君たちの言葉ではなくなる」
ファは、空になった椀を見た。
「味を足せるからといって、足す必要はありません」
「そういうことだ」
ブライトは扉へ向かった。
最後に1度だけ、振り返った。
「利用人数は、空欄のままでいい」
「はい」
「ただし、いつか必要になったら数えろ。数えないことだけを正しさにするな」
彼は少し言葉を選んだ。
「今日、何人食べたかを管理する数字と、誰を食べさせるか選別する数字は違う」
リィナは引き継ぎ書へ、その言葉を書かなかった。
代わりに、配膳数と食べ残しだけを記録した。
ブライトは去っていった。
中央へ寄せられた椅子と、空になった椀が残った。
夜、エルがその椅子へ座った。
「なんか、変な感じ」
「何がですか」
「戻されなかった椅子に座るの、初めて」
リィナは、椅子から見える鍋の位置を確かめた。
「ここなら、書類を見る前に鍋が見えますね」
ファは昼のスープを温め直した。
煮詰まって失われた水分を、ただの水ではなく、残しておいた麦の煮汁で戻した。味が薄まらず、根菜の甘味も消えなかった。
置き場所を変えても、椅子は椅子だった。
温め直しても、同じスープだった。
けれど、何も変えずに戻すことだけが、正しいわけではない。
私は手帳を開いた。
椅子は戻されなかった。
スープには、水ではなく麦の煮汁を戻した。
何を残し、何を変えるのか。
その判断を、これからは私たちが引き継ぐ。
悪くない意味だと思う。