機動戦士ガンダム0092 サウス・ナポリの「キッカの家」 ホワイトベースの少女とシャングリラの孤児たちが、放課後のキッチンで幸せを盛り付ける話   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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放課後のポテトサラダ

地球の重力は、思っていたよりもずっと傲慢で、執拗だった。

 

大学の講義を終えた私の腕には、ずっしりとした重みが食い込んでいる。中身は、先ほど強制的に入部させられた「食文化研究部」の部長――キッカ・コバヤシに押し付けられた、安売りのジャガイモ2キログラムだ。

 

「ミリー、悪いけど先に部室(アパート)に行って準備してて! 私はリィナたちを捕まえてくるから!」

 

嵐のように去っていった彼女の背中を思い出し、私は深く溜息をつく。サウス・ナポリの整然とした街並みを歩く学生たちは、誰もが軽やかな足取りで、最新のホバー・スクーターや情報端末を手に笑い合っている。合成プロテインやビタミン剤で最適化された彼らにとって、泥のついた根菜を抱えて歩く私は、まるで旧世紀から迷い込んだ遺物のように見えているに違いない。

 

でも、この重みこそが、私の生存証明なのだ。

 

目的地の「ククルス・アパート」は、学園都市の端、再開発から取り残されたかのように佇んでいた。コンクリートの壁はところどころ剥がれ、ミノフスキー粒子の干渉で時折砂嵐が混じる旧式のオートロックが、私を拒むように鈍い音を立てる。

 

キッカに渡された合鍵で扉を開けると、そこにはカビの匂いと、誰かが長年暮らしていたような、ひどく懐かしい生活の気配が充満していた。

 

私はキッチンへと向かう。最新のフード・コンポジターなんてものはここにはない。あるのは、電磁調理器が1口と、使い古されたシンク。そして、キッカがどこからか調達してきたという、アナログな包丁が1本。

 

「……さて、どうしようかな」

 

私は独り言を漏らしながら、ジャガイモをシンクに転がした。

 

正直に言えば、怖い。誰かと一緒に食事をすること、誰かのために料理を作ること。それは、自分の内側をさらけ出すような、ひどく無防備な行為に思えるから。でも、キッカがあのおにぎりを最高と言ってくれたときの、あの真っ直ぐな瞳。あんなものを見せられて、逃げ出せるほど私は強くもなければ、冷酷でもなかった。

 

私は包丁を握る。13年前、ベルファストの空き家で、姉さんが不器用な手付きで芋を剥いていたのを思い出す。あの時の包丁も、こんな風に鈍く光っていた。

 

ジャガイモの皮を剥く。シュリ、シュリ、という心地よい音が静かな部屋に響く。芽を丁寧に取り除き、一口大に切ったそれを、鍋で茹でる。湯気が上がり、窓ガラスが白く曇り始めた頃、背後の扉が乱暴に開かれた。

 

「ただいまー! ほら、連れてきたよ!」

 

キッカの明るい声。その後ろから、二人の少女が当惑した表情で入ってきた。

 

一人は、凛とした空気を纏った、お嬢様然とした少女。リィナ・アーシタ。彼女の瞳には、かつて戦場を潜り抜けてきた者特有の、鋭さと慈愛が混ざり合っている。もう一人は、快活そうな長い脚の少女、エル・ビアンノ。彼女はクンクンと鼻を鳴らし、私の手元を覗き込んできた。

 

「うわ、本当に料理してる。これ、ジャガイモ?」

 

「……あ、はい。ポテトサラダを、作ろうかなって」

 

私は縮こまりながら答える。リィナが、眼鏡を押し上げながら部屋を見渡した。

 

「キッカ、こんな古い場所で本当に活動するつもり? 衛生管理が……いえ、それよりこの匂い。懐かしいわね」

 

リィナの言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。彼女も、知っているのだ。合成食ではない、火と水が作り出す匂いを。

 

私は、茹で上がったジャガイモをボウルに移し、熱いうちにフォークで潰していく。

 

「ミリー、私も手伝う!」

 

「あ、キッカは……玉ねぎ、切れる?」

 

「任せてよ! 13歳の時から家事手伝いはやってたんだから!」

 

キッカが慣れない手付きで玉ねぎと格闘し始める。目に染みるのを堪えながら必死に包丁を動かす彼女の姿に、エルの笑い声が重なる。

 

「ちょっとキッカ、そんな切り方じゃ微塵切りじゃなくて粉砕切りだよ。貸して、あたしがやるわ。ジャンク屋をなめないでよね」

 

エルが鮮やかな手付きで玉ねぎを処理していく。その様子を、リィナがどこか眩しそうに見守っていた。

 

私は、潰したジャガイモに酢を数滴垂らす。これが隠し味だ。古米と同じで、備蓄用の食材には特有の重さがある。それを酸味で引き締めることで、味が立体的になる。マヨネーズは貴重品だから、豆乳と油を乳化させた自家製のドレッシングで代用する。

 

そこに、エルの切った玉ねぎと、私が薄切りにしたキュウリを加える。彩りなんて、地球産の高級野菜が買えない以上、知れている。でも、この限られたリソースの中で最善を尽くすことこそが、私のプライドだった。

 

「……できました」

 

私がボウルをテーブルの中央に置くと、三人の視線がそこに集中した。

 

見た目は、なんてことのないポテトサラダだ。デパートの惣菜のような華やかさはない。けれど、そこからは茹でたてのジャガイモの熱気と、玉ねぎの爽やかな香りが、混ざり合って立ち上っていた。

 

「いただきます!」

 

キッカの号令で、全員がスプーンを動かす。

 

一番最初に口にしたのは、リィナだった。彼女は一口食べると、ふっと目を見開いた。

 

「……驚いたわ。酸味が絶妙に効いている。それに、ジャガイモの質感がちゃんと残っている。フード・コンポジターでは、このムラは出せないわね」

 

「でしょ? ミリーは天才なんだから!」

 

キッカが自分のことのように自慢げに言い、頬張る。

 

「ん、美味しい! エルの玉ねぎもシャキシャキしてて最高だよ!」

 

「でしょー? あたしの包丁さばきのおかげね」

 

エルも満足げに頷く。

 

私は、自分の分を少しだけ口に運んだ。

 

口の中で広がる、懐かしくて、少しだけ切ない味。

かつてベルファストの配給所で、姉さんと分け合った、あの冷えたポテトの記憶。あの時の味は、もっと薄くて、土臭かった。でも、今の私の周りには、美味しいと言って笑い合う仲間がいる。

 

14年という歳月。

世界は0079年から0087、0088を経て、0092という、破滅の足音に向かっているのかもしれない。シャア・アズナブルの動静や、宇宙港の物々しい警備。そんなニュースは、この小さな部屋の窓の外に溢れている。

 

でも、今この瞬間、私の感覚を支配しているのは、ジャガイモの温かさと、マヨネーズ代わりのドレッシングのコク、そして隣で笑うキッカの体温だった。

 

「ねえ、ミリー。このサークル、最高になりそうだよ」

 

キッカが、口の端に少しだけポテトサラダをつけたまま、私を見て笑った。

 

「……そう、ですね。悪くないかも、しれません」

 

私は初めて、無理に作ったのではない笑みを返した。

 

外はもう、夕闇が迫っている。サウス・ナポリの夜景が輝き始め、偽りの平和が街を包み込んでいく。

 

私たちは、まだ知らない。

この食卓の記憶が、やがて訪れる戦火の中で、どれほど私たちを支えることになるのかを。

そして、今日ここで分け合った一皿が、宇宙世紀という過酷な歴史を生き抜くための、何よりの武器になるということを。

 

「おかわり、ある?」

 

エルの声に、私は「あ、はい!」と慌てて台所へ向かった。

 

ジャガイモ2キログラムの重みは、いつの間にか、心地よい満足感へと変わっていた。

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