機動戦士ガンダム 美味しんぼ ロンド・ベルの究極、ネオ・ジオンの至高 逆襲のシャア前夜、ロンド・ベル寄港中の補給食堂 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ロンド・ベルが救難・警戒任務へ戻る日、旧実習棟からも港が見えた。
窓の外、遠くの艦影が少しずつ小さくなっていく。
あれがラー・カイラムなのか、私には分からなかった。
ファ・ユイリィは、その様子を少しだけ見てから、炊飯器へ向き直った。
「もう見なくていいんですか」
エル・ビアンノが聞いた。
「見たわ。十分よ」
ファは、古米へ麦を混ぜていた。
その日の献立は、塩むすびだった。
古米と麦。水分は少し多め。塩は強くしない。小さく、食べる人が選べる形に握る。
最初の日と、同じ料理だった。
けれど、作り方は違っていた。
ファは古米を研いだ後、すぐには炊かなかった。水を吸わせる時間を取り、麦だけを先に柔らかくしていた。
「一緒に炊かないんですか」
私が聞いた。
「古米と麦では、水を吸う速さが違うの。そのまま炊けば、米が硬いうちに麦の表面だけが崩れるわ」
柔らかくした麦を、水を吸わせた古米へ混ぜる。
炊き上がった飯を、ファは2つに分けた。
片方は、そのまま握った。
もう片方は、炊き上がりに少量の湯を振り、一呼吸置いてから握った。
エルが食べ比べた。
最初のむすびは、表面が硬く、噛むと麦だけが先にほどけた。
湯を振った方は、米と麦が一緒に崩れた。柔らかいが、粥のようにはなっていない。
「こっちの方が、古い米っぽくない」
「古米の味を隠したわけではないわ」
ファは答えた。
「失っていた水分を戻しただけ。足りないものが水なら、塩や油でごまかしてはいけないの」
利用人数は、まだ空欄だった。
しかし、机には以前より多くの器が並んでいた。
ミナの器もある。かつて廊下にいた少女の器もある。少女の名前は、本人の許しを得た記録にだけ残されていた。
クェスが使った器も、机の端に置かれていた。
「今日も置くの」
エルが聞いた。
「置くわ」
ファは短く答えた。
「でも、あの子が戻ると決めつけて置くのではない。ここで1度、自分の舌で味を選んだ人がいた。その事実のために置くの」
器の前には、塩むすびを置かなかった。
戻るかどうか分からない人のために料理を作り、傷ませることはしない。
けれど、使われた器まで片付ける必要もない。
待つことと、料理を無駄にすることは違うのだ。
黒板には、3番の文字が残っていた。
食べさせたら勝ち、とは考えない。
その隣には、以前エルが書いた言葉もあった。
あったかいもの、あります。うまいとは限らない。
そして、私が書いた言葉。
約束中。失敗中。記録中。食堂中。
その全部が、今日もこの部屋にあった。
昼過ぎ、新しい子が扉の前に立った。
名前は、まだ分からない。
ファは2つの塩むすびを置いた。
1つは、米粒を残して軽く握ったもの。
もう1つは、少し強く握り、崩れにくくしたもの。
「どうして2つ?」
エルが聞いた。
「柔らかい方が食べやすいとは限らないからよ」
「硬い方がいい人もいるの」
「手で持った時に崩れるのを怖がる人もいる。口の中だけでなく、口へ運ぶまでのことも料理でしょう」
ファは塩を表面へ振らなかった。
手水へごく薄く溶かし、飯の内側へわずかに馴染ませていた。
最初に強い塩味を感じさせず、噛んだ後で少しだけ味が現れる。
2つのむすびは、いつもの距離へ置かれた。
手渡さない。
遠くもしない。
その子はすぐには近づかなかった。
それでも、扉の前にしばらく立っていた。
「今日は、来ただけで十分だよ」
エルが、離れた場所から声を掛けた。
リィナ・アーシタは記録帳を開かなかった。
今日はまだ、名前も人数も聞かなくてよい日だった。
少したって、その子が近づいた。
最初に触れたのは、軽く握った方だった。
指先へ米粒がつくと、すぐに手を離した。
次に、崩れにくい方を持った。
今度は離さなかった。
1口だけかじり、残りを持ったまま扉の外へ戻った。
「柔らかい方が、食べやすいと思ってた」
エルが言った。
「私たちにとってはね」
ファは、残されたむすびを見た。
「食べる人が選んで、初めて料理の答えが出るのよ」
夕方、ファが器を洗いながら、ぽつりと言った。
「艦隊は、行ったわね」
「はい」
「もう、ロンド・ベルの臨時支援はない。戦場へ出たまま戻らなかった人もいる。ネオ・ジオン側にも、消息の分からない人がいる」
「はい」
「それでも、鍋はここにある」
私はその言葉を手帳へ書こうとして、やめた。
今日は、書くより先に覚えておきたいと思った。
夜、掲示板の前に皆が集まった。
エル。リィナ。ファ。ミナ。そして、少し離れた場所に、名前をまだ記録していない少女もいた。
「これから、どうなるんだろう」
エルが言った。
「分からないわ」
ファが答えた。
「怖くない、それ」
「怖いわ。でも、分からないからこそ、明日の食べ方を決めつけずに済む」
リィナが掲示板の傾きを直した。
今日は傾いていなかった。
それでも直した。
癖なのだと思う。
私は手帳の最後のページを開いた。
戦争が終わったのか、私には分からない。
アムロ・レイとシャア・アズナブルの消息も、分からないままだ。
チェーン・アギが戻ることはない。
クェス・パラヤも、ここにはいない。
ナナイ・ミゲルの消息は分からない。
分からないことばかりが残っている。
それでも、私は書いた。
分からないことは、適当な答えで埋めない。
古米に足りないものが水なら、水を戻す。
塩で古さをごまかさない。
柔らかいむすびだけを、親切だと決めつけない。
食べる人が選べるように、2つの形を置く。
ロンド・ベルの究極も、ネオ・ジオンの至高も、今日はもうここにはない。
けれど、その大きな言葉の端に、私たちの塩むすびは残っている。
補給線の端。配給表の外。名前を書く前の空欄。
そこにも、火はある。
火は、まだ消えていない。
だから私は、今日の空欄を開いたままにする。
約束は、終わらせるためにあるのではない。
次の1食を、相手より先に決めつけないためにある。
明日も、鍋に火をつける。
古米には、必要な水を戻す。
塩は、味を確かめてから加える。
それだけ。
それだけで、十分だ。