機動戦士ガンダム0092 サウス・ナポリの「キッカの家」 ホワイトベースの少女とシャングリラの孤児たちが、放課後のキッチンで幸せを盛り付ける話   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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卒業式前夜の餃子パーティー

三月の風には、地中海の湿り気と、どこか遠くの宇宙港から漏れ出したような乾いた鉄の匂いが混じっていた。

サウス・ナポリの学園都市は、卒業と進級の喧騒に包まれている。けれど、ククルス・アパートの一室、私たちの拠点に漂う空気は、それとは少し違っていた。

 

「……リィナさん、本当に宇宙へ戻るんですね」

 

私は、木製の麺棒を転がしながら、隣に座るリィナ・アーシタの横顔を盗み見た。

彼女は、眩しいほどに白い指先で、丁寧に餃子の皮を円形に伸ばしている。

セイラ・マス氏の支援を受け、地球で最高峰の教育を終えたリィナとエルは、四月からサイド1の学術コロニーへと旅立つことが決まっていた。

 

「ええ。いつまでも地球の重力に甘えているわけにはいかないわ。……兄も、あんなに遠いところで頑張っているんですもの」

 

リィナは少しだけ寂しそうに、けれど決然とした口調で答えた。

彼女の視線の先には、ここではないどこか、木星圏へと旅立ったジュドー・アーシタの背中があるのだろう。

彼女たちが地球を離れる。

それは、この一年間、私を支えてくれた擬似家族がバラバラになることを意味していた。

 

「湿っぽいのは禁止だよ、ミリー! 今日はパーティーなんだからさ!」

 

ガサガサと音を立てて、エルが巨大なボウルを抱えて戻ってきた。

中には、彼女が力任せに練り上げた餃子の餡が詰まっている。

本物の豚肉と、ステファニーが差し入れてくれた高価なニラ。そして、私たちが大学の裏庭でこっそり育てた、少し小ぶりな白菜。

 

「見てよ、この粘り! 握力50キロオーバーのあたしが練ったんだから、肉汁の爆弾間違いなしだよ」

 

エルは相変わらずだ。シャングリラのジャンク屋で、錆びついたハッチをこじ開けていたその腕力は、今や美味しい餃子を作るために振るわれている。

その横では、ステファニーが最新の情報端末を片手に、眉間に皺を寄せていた。

 

「……スウィート・ウォーターの動きが、急速に活発化しているわ。連邦軍の外郭部隊、ロンド・ベルも出動準備に入ったという未確認情報がある。……リィナ、宇宙へ戻るなら、今が最後のタイミングかもしれない」

 

「ステファニーさん。……今は、手を動かしてください」

 

私が促すと、ステファニーはハッとしたように端末を置いた。

彼女もまた、ルオ商会の令嬢としての責務と、ここで過ごした日常の間で揺れている。

 

「……そうね。今は、目の前の餃子に集中すべきだわ」

 

私たちは、五人でテーブルを囲んだ。

真ん中には、山積みの皮と、輝くような餡。

これから、100個の餃子を包む。

それは、この一年間、私たちが積み重ねてきた時間の数と同じだ。

 

「さあ、包みましょう。……ミリー、お手本を見せて」

 

部長のキッカが、期待に満ちた目で私を見る。

彼女はハヤト・コバヤシを失った後、フラウお母さんと共に地球で強く生きてきた。けれど、その心根には、いつもホワイトベースの子供たちとして、誰かと身を寄せ合っていたいという願いが眠っていることを、私は知っている。

 

私は、左手に皮をのせ、中央に餡を置いた。

右手の指先に少しだけ水をつけ、縁をなぞる。

そして、端から一つ、また一つと、細かくひだを寄せていく。

 

「……こうして、隙間がないように閉じます。……逃げ出そうとする温もりを、全部閉じ込めるみたいに」

 

私が一つ作り終えると、皆が真似をし始めた。

エルの作る餃子は、餡がはみ出しそうなほど巨大で、まるでモビルスーツの重装甲のようだ。

ステファニーの餃子は、ひだの数が正確で、工芸品のように美しい。

キッカは苦戦しながらも、一生懸命に丸っこい餃子を量産している。

そしてリィナは、所作の一つ一つに品格を漂わせながら、完璧な三日月形を描いていく。

 

無言の時間が流れる。

カチャカチャという皿の音と、衣の擦れる音だけが響く。

けれど、それは気まずい沈黙ではなかった。

私たちは、言葉にできない寂しさを、餃子を包むという単純な反復作業の中に埋めていた。

 

「……ねえ、みんな。……一年戦争の時、ホワイトベースの食堂は、いつも戦場の匂いがしてた」

 

キッカが、ポツリと呟いた。

「……でもね、たまに調理室から漂ってくる、タムラさんが作った火の匂いだけが、私たちがまだ人間なんだってことを思い出させてくれたの。……ミリーが作るご飯も、それと同じだったよ。……ベルファストの味がするおにぎりも、今日の餃子も」

 

私の胸が、ツンと痛んだ。

ベルファストの雨の中、ミハル姉さんが弟たちのために包んだ、薄いパンの耳。

あの日、私は姉さんの背中を見ていた。

「生きることは、食べること。……食べさせることは、愛することだよ、ミリー」

姉さんの声が、時空を超えて聞こえた気がした。

 

「……100個、包み終わりました」

 

テーブルの上には、整然と並んだ餃子の列。

それは、私たちがこの一年、共に戦い、笑い、泣きながら過ごした日々の結晶だ。

 

「よし! 火力担当の出番だね!」

 

エルが、アナログな古いフライパンを火にかけた。

熱せられた油がパチパチとはぜる。

餃子が並べられ、水が注がれると、凄まじい蒸気が上がった。

ミノフスキー粒子が散布された戦場のような、視界を遮る白い煙。

けれど、そこから漂ってくるのは、食欲を暴力的に刺激する、香ばしい焼き色の匂いだ。

 

「……いい色ね」

 

リィナが、フライパンの中を覗き込んで微笑んだ。

パチパチ、という音が、少しずつ低く重い音に変わっていく。

水分が飛び、底面がパリッと焼き固められる合図。

 

大皿にひっくり返された餃子は、見事な羽根を纏っていた。

茶褐色に輝くその姿は、どんな芸術品よりも、私たちの心を震わせる。

 

「……食べましょう。……冷めないうちに、全部」

 

キッカの号令で、箸が伸びる。

一口噛めば、エルの腕力が生み出した弾力の中から、ステファニーが選んだ食材の旨味が、リィナの祈りと、私の技術と共に溢れ出す。

 

「熱っ! ……でも、最高! ……地球に降りてきて、一番の出来だよ、これ!」

 

エルの声が、部屋の中に響く。

ステファニーも、熱さに目を細めながら、何度も頷いている。

リィナは、大切そうに、一欠片をゆっくりと噛み締めていた。

 

「……美味しい。……ミリー、私、宇宙に行っても、この味を忘れないわ。……この100個の餃子が、私の血となり、肉となって、きっと私を守ってくれる」

 

リィナの瞳に、薄く涙が膜を張る。

ニュータイプの感応。

言葉では伝えきれない、私たちは一人ではないという確信。

餃子の温かさが、彼女たちの鋭すぎる感覚を、優しく凪いでいく。

 

宇宙世紀0092年。

世界は再び、大きな炎に包まれようとしている。

シャア・アズナブルの影が、宇宙の端から着実に、この地球を飲み込もうとしている。

来年の今頃、私たちはどこで、何を食べているのだろう。

もしかしたら、もう二度と、こうして同じ皿を囲むことはできないのかもしれない。

 

けれど。

今、この瞬間。

私たちの胃袋は満たされ、心は確かに繋がっている。

100個の餃子を包んだ手の感触が、私たちの絆という名の慣性となって、未来へ向かって進み続ける力をくれる。

 

「明日も、ちゃんと美味しいものを食べようね」

 

キッカが笑って言ったその言葉に、私たちは全員で頷いた。

窓の外、夜の静寂を切り裂いて、遠くの宇宙港からシャトルが飛び立つ音が聞こえた。

 

それは、新しい時代の始まりの音であり、私たちの日常が、また一歩、終わりの淵に近づいた音でもあった。

それでも、私たちは明日も、また腹を空かせるだろう。

生きるために。

そして、またいつか、この味を囲む日のために。

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