機動戦士ガンダム 逆シャア前夜の子供食堂 ――キッカの家―― 〜宇宙世紀0092-0093、サイド1・ロンデニオン外縁区〜 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
アドは翌朝見つかった。
港湾区の資材置き場の裏。殴られ、食料袋を奪われ、それでも逃げ切っていた。大怪我ではなかったが、事情を聞いたリィナの眉間に深い皺が刻まれた。
「やっぱり動いてる。子供の流れを見てる奴がいる」
キッカは唇を噛む。
「拠点を見つけられたら終わりだね」
だから表向きの看板が必要だった。
ただの炊き出しではなく、大学内で説明のつく活動。そこでキッカが半ば冗談で使っていた「食文化研究部」が正式名称になった。
その数日後、キッチンに場違いな来訪者が現れる。彼女を連れてきたのは、ルオ商会の配送記録にアクセスできる大学側の外部顧問であり、名はヴァルター・クライス。元ティターンズ系治安部隊の流れを汲む男で、今は民間警備会社の責任者としてロンデニオン外縁区の物流を監視していた。
その後ろから現れたのが、濃紺のワンピース、整った所作、高価な靴の少女だった。
濃紺のワンピース。整った所作。高価な靴。
ステファニー・ルオ。ルオ商会の令嬢だった。
ヴァルターは銀色の義手めいた補助具でケースを机に置き、薄く笑った。「登録されていない子供は守れない。守れないものを管理下に置くのが秩序だ。数字に残らない子供は、存在しないのと同じだ」その一言で、ミリーはこの男を敵だと覚えた。
「ここが、例の部ですのね」
入ってくるなり、彼女は銀色のケースを机に置いた。中には高級缶詰、フォアグラ、上等なチーズ。大学の食堂ではまず見ない物ばかりだ。
エルが口笛を吹く。
「うわ、成金セット」
「成金ではなく、商人ですわ」
ステファニーは顎を上げた。「父から、人の流れを見るようにと言われましたの。最近この学内で、妙な人間関係の結節点ができている。まるで小さな物流網みたいに」
ミリーの手が止まる。
見抜かれている。
だがステファニーは続けた。
「興味が湧きましたの。たかが料理遊びで、どうしてそんな顔をするのか」
キッカは笑ったまま答えない。
代わりにミリーが冷蔵庫を開けた。
「今日は高級食材は使いません」
「なぜですの?」
「来る子たちが、明日も同じものを食べられないからです」
ステファニーの目が細くなる。
「再現性を優先する、と」
「生活だから」
ミリーは卵を三つ取り出した。
牛乳少々、古いフライパン、焦がしバターの代わりに少量の油。具も大したものはない。だが火加減だけは一切妥協しない。
「オムレツです」
「……それだけ?」
「それだけで十分です」
ミリーは手を動かす。
卵液を流し込み、端を寄せ、空気を抱かせる。ふわりと半月形にまとめ、皿へ滑らせた。簡素な料理だった。だが断面はとろりと柔らかく、湯気の匂いだけで腹が鳴るような仕上がりになる。
ステファニーは一口食べ、沈黙した。
二口目で、目元が揺れた。
「……どうして」
三口目で、彼女は箸を置いた。
「ただの卵が、どうしてこんなに、……胸の奥まで熱いんですの」
誰も笑わない。
キッチンには静かな理解だけがあった。
ステファニーはゆっくりと言う。
「わたくし、ずっと思っていましたの。食事は栄養値と価格で管理できる、と。何が不足しているか、何を輸送すべきか、数字で全部決められると。でも……これは」
キッカが優しく答える。
「数字じゃ残らないものもあるってこと」
ステファニーは目を伏せた。
「父の仕事は、戦争が近づくほど忙しくなります。物資は動き、人も動く。利益も生まれる。でも、その裏で、誰かの食卓が消える」
ミリーは彼女を見た。
この令嬢は単なる見物人ではない。世界の仕組みの内側にいる側の人間だ。
「手伝ってください」
そう言ったのはミリー自身だった。
皆が驚いたように彼女を見る。
「あなたは流れが読める。私たちは現場が分かる。なら、組める」
ステファニーは目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「……命令されるのは嫌いですけれど、提案なら悪くありませんわね」
その夜、ステファニーはルオ商会の倉庫で処分寸前の保存食リストを持ってきた。
同時に、大学警備の下請けに、港湾区の人攫いと繋がる名前――ヴァルター・クライスがあることも。
そして彼女は最後に、低く告げた。
「食料の横流しだけではありませんわ。子供の移送記録が消えています」
部屋の空気が冷えた。
その沈黙の中で、ステファニーは帳面を静かに開いた。
「――ただし、一点だけ。こちらから手を入れられる場所がありますの」
ミリーの視線が上がる。
「どこですか」
ステファニーは、ページの一箇所を指で叩く。
「この配送記録。受け取り先が二重登録されています」
「二重……?」とエル。
「ええ。本来ひとつであるはずの配給が、帳簿上では二か所へ届いたことになっている」
リィナがすぐに理解した。「差分を抜いてるルートね」
「その通りですわ」ステファニーは頷いた。
「ですが逆に言えば、この一箇所だけは止められる」
キッカが短く言う。「どれくらい戻る?」
ステファニーは少しだけ間を置いた。
「……子供十人分。三日ほどですわ」
小さい数字だった。
それでも、ミリーは迷わなかった。
「やります」
翌日。
ほんのわずかだが、確かな変化があった。
配られるパンが一つ増え、スープの底が少しだけ厚くなる。
子供のひとりが、不思議そうに呟いた。
「……あれ、今日、多い?」
キッカは笑って、軽く肩をすくめる。
「さあね。ちょっとした手違いかも」
もちろん違う。
誰かが奪っていた分を、ほんの少しだけ――取り返しただけだ。
敵は、思っていたより近かった。