機動戦士ガンダム 美味しんぼ ロンド・ベルの究極、ネオ・ジオンの至高 逆襲のシャア前夜、ロンド・ベル寄港中の補給食堂   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

5 / 6
北区の倉庫と湯気を隠す粥

北区の倉庫まで、フェンスから裏口まで27歩。

 

私の足で27歩。

 

エルなら22歩。

 

リィナなら34歩。

 

リィナは34という数字を見て、ほんの少し不機嫌そうに眉をひそめた。

「あの、これ……歩幅の問題であって、決して私の能力の問題ではありませんから」

 

「誰もそんなこと言ってないよぉ」

エルがくすくす笑う。

 

「言う前の顔をしていました」

 

「顔まで管理しないでよ、リィナ先生ぇ!」

 

「先生ではありません!」

リィナはプンプン怒りながらも、なぜか34歩の欄を消そうとしなかった。

 

……うん、そこがすごくリィナっぽい。

 

どんなに嫌でも、使える数字はちゃんと残す。真面目で、少し意地張りで、すごく可愛いところだ。

 

北区倉庫は、私たちがいる旧実習棟から見て港湾外縁の奥にあった。

 

表向きは寝具の仮置き場。

 

伝票上は、避難者支援物資。

 

でも――そこには赤い腕章をつけた港湾補助のオトナたちが出入りしている。

 

そして何より、避難履歴に載っていない身元不明の子供が、その近くで消えたのだ。

 

そこまでなら、まだ噂で済む。

 

私は噂なんて嫌いだ。

 

嫌いだけど……胸の奥がざわざわして、どうしてもノートに書きたくなってしまう。

 

噂が事実変わる、あの嫌な瞬間を、私は見たいと思っているのかもしれない。

 

そんな自分が、少しだけ嫌だった。

 

チェーン・アギさんが見つけた電力ログが、その嫌な噂をほんの少しだけ現実に手繰り寄せた。

 

チェーンさんは旧実習棟の汚れた机に端末を置いた。

「裏口側の照明が、6分ごとに落ちてるわ」

 

画面には、細い波形が整然と並んでいた。

 

完全な一定ではない。

 

でも、あきらかに似たような間隔で落ちている。

 

「巡回と連動している可能性が高い……。ただし、正確とは言えないけれど」

 

「可能性って、何パーセントくらい?」

私が尋ねると、チェーンさんはすぐには答えてくれなかった。

 

「……数字にすると、嘘になるから」

すごく悔しそうな顔だった。

 

いつも完璧に数値を測る人が、測れない現実を前にして唇を噛みしめる顔。

 

私は、その顔すらもノートに書き留めたくなってしまう。

 

でも――今はそんなことをしている場合じゃなかった。

 

リィナが手際よくタイムスケジュール表を作り上げた。

 

19時58分、エル移動開始。

19時59分、裏口到着。

20時00分、照明低下。

20時04分、見張り復帰予測。

20時05分、退出。

20時06分、扉閉鎖。

 

あまりにも綺麗な表だった。

 

綺麗すぎて……なんだか無性に怖かった。

 

「ねえ、これ通りにいけば、カンペキにいけるよね?」

エルが身を乗り出す。

 

リィナはピタリと鉛筆を止めた。

「……合っていても、いけるとは限りません」

 

「えーっ!? そこは『絶対大丈夫!』って言ってよぉ!」

 

「そんな適当なことを言って、安心させるわけにはいきません」

 

「安心したいんだよ……っ!」

エルの声が、少しだけ裏返った。

 

リィナは黙り込んだ。

 

これ以上ないくらい完璧で安心できる表を作っておきながら、気休めの言葉は絶対に口にしない。

 

たぶん、それがリィナなりの、不器用な誠実さなのだと思う。

 

ファ・ユイリィさんは、その横で静かに鍋を火にかえけていた。

 

米ではない。

 

貴重な麦を混ぜ合わせた、すごく薄いお粥。

 

塩はいつもの半分以下。

 

出汁の香りすら、ほとんど立たせない。

 

鍋にぴったりと蓋をして、湯気の一筋すら外へ逃がさないようにしている。

 

「今日は……湯気を隠す料理よ」

ファさんがぽつりと言った。

 

「それって料理っていうより、潜入ミッションの道具じゃない?」

エルが緊張を誤魔化すように冗談めかす。

 

けれど、ファさんは真顔で首を横に振った。

「本物の料理というものを、あなたたちは何も分かっていないわ」

 

いきなり、ファさんの声調が変わった。

 

「怯えて逃げてきた子に、強い香りや味を叩きつけるなんて言語道断よ! 一見すると食欲をそそる芳醇な香りは、追われている子供にとっては『己の居場所を敵に晒す致命的な信号』でしかないの! 弱り切った胃腸に刺激的な塩分や濃い旨味を与えれば、体内の浸透圧が崩壊して激しい口渇に襲われるわ。喉が渇いても水を要求できない極限状態の子にとって、そんな料理は毒を盛るのと同義よ。固形物は弱った消化器に過度な負担を与え、高すぎる温度は口にした瞬間に食べる意欲を拒絶させる……!」

 

「う、うわぁ……」

エルが圧倒されて絶句する。私も息を呑んだ。

 

あまりにも過酷な現実と真実の調理法を前にした、絶対的なロジック!

 

「……これはね、救出のための料理じゃないわ。救出した後に、その子の体を絶対に壊させないための至高のケアなの。美味いかどうかの次元で語る代物じゃない。勝つための料理でもないわ。……今日、その子の体をこれ以上脅かさないための粥よ」

ファさんは鍋を見つめたまま、静かに告げた。

 

「助けた後に、もし食べてもらえなくても……絶対に失敗だなんて思わないでね」

その言葉を、私はノートに書かなかった。

 

書いたらなんだか、私たちがすごく良いことをしているみたいで、ズルい気がしたから。

 

19時58分。

 

エルが闇の中へ走り出した。

 

走る直前、彼女はなぜかくるりと振り返った。

「私、悪くないからね!」

 

「まだ何も失敗してないでしょ!」

私が叫ぶ。

 

「失敗した時のための言い訳予防策!」

そんな捨てゼリフを残して走っていくんだから、エルは本当にズルい。

 

思わず吹き出しそうになったけれど、笑っている余裕なんて1秒もなかった。

 

リィナが小さな声で秒数をカウントする。

声は蚊の泣くほど細いのに、ちっとも震えていなかった。

 

「あと……20秒」

チェーンさんが画面を凝視する。

 

「……照明、落ちるわ」

20時00分。

 

裏口側の街灯が、すうっと一段暗くなった。

 

遠くで、エルの着ている白い服の袖が振られた。

 

合図だ。

 

私は吐き気すら覚える緊張感の中で、息を止めた。

 

重い扉が静かに開く。

 

中は、真っ暗闇だった。

 

そこにいたのは、ただの支援物資なんかじゃなかった。

 

……子供たちだった。

 

1人は自力で立てた。

 

1人は足がガクガクと震えて立てなかった。

 

そしてもう1人は……奥の暗がりで、ピクリとも動かなかった。

 

エルが一瞬だけ、奥の暗闇に視線を向けた。

 

たったその一瞬で、そこにいる全員に理解できてしまった。

 

全員を連れて出すことは、絶対に不可能だということ。

 

リィナが、握りしめていたタイムスケジュール表をギチギチと握りつぶした。

紙が酷く歪む音が、耳障りなほど大きく響く。

 

「……2人まで」

リィナの声が、痛々しく割れていた。

 

「今は……2人が限界です……っ!」

誰も、その言葉に反論できなかった。

 

それが正しいからじゃない。

 

私たちには、反論する時間すら残されていなかったからだ。

 

20時03分。

 

立てない子を、エルが必死で背中に担ぎ上げた。

「……重くない。全然、重くないから!」

 

エルが言った。

 

もちろん嘘だ。顔をぐしゃぐしゃにして、歯を喰いしばっている。

 

「重くないって言ってるでしょーが……っ!」

誰も何も責めていないのに、エルはもう一度、自分に言い聞かせるように叫んだ。

 

その声は、今にも泣き出しそうに震えていた。

 

20時04分。

 

見張りの足音が戻ってくる。

 

カツン、カツンと、硬い靴底がアスファルトを叩く嫌な音。

 

港湾補助のオトナたちが履くブーツの音だ。

 

私はこの恐ろしい音を、後で絶対にノートに書くんだろうな、と思った。

 

書きたくなんてないのに、書かずにはいられないのだと。

 

20時05分。

 

私たちはどうにか裏口を抜け出した。

 

ファさんが旧実習棟の外階段の陰で待っていた。

 

お粥の鍋には、まだしっかりと蓋がされている。

 

湯気はほとんど見えない。匂いも一切追ってこない。

 

清潔な布の上に、小振りの素朴なお椀が2つ、静かに置かれていた。

 

ファさんは、お粥を子供たちに手渡そうとはしなかった。

 

押し付けるような真似は絶対にしない。

 

床でもなく、机でもなく――子供の手が、差し出せば自然と届く絶妙な距離に、ただそっと置いたのだ。

 

「……ここに置くわね」

それだけ言った。

 

20時06分。

 

遠くで、倉庫の扉がバタンと重く閉まる音が響いた。

 

ちょうど1巡。

 

チェーンさんの6分は完全に合っていた。

 

でも……6分が合っていたからといって、私たちがしたことが正しかったのかどうかは、誰にも分からなかった。

 

結局、お粥を食べた子は誰もいなかった。

 

1人は一口含んだ瞬間に吐いてしまい、もう1人は泥のように眠りこけてしまった。

 

奥に残されてしまった子のことは、誰も口に出さなかった。

 

言葉にしないからといって、消えてくれるわけじゃない。

 

でも、今誰かがその名を口にしたら、この場にいる全員の心が、一瞬でパリンと粉々に砕けてしまいそうだったから。

 

ファさんは、吐いてしまった子の器を下げようとしなかった。

 

「取り替えてあげようか」と言ったエルを、静かに制した。

「……匂いだけでいいの」

 

ファさんは言った。

 

「今日はね……この子たちが押し返さなかった、ただそれだけで100点満点なのよ」

エルは何か言いかけて、口を噤んだ。

 

リィナはクシャクシャになった表を、今も握りしめたままだった。

 

チェーンさんは静かに端末を閉じた。

 

手帳とペンを持っているのは、私だけだった。

 

だから……私だけが、この惨めで、苦しくて、どうしようもない夜を記録しなければならない気がした。

 

手帳を開くと、あの暗闇の奥に残された子の顔が、脳裏に浮かんできてしまいそうだったから。

 

顔なんて、暗くて見えなかったのに。

 

見えてなんていなかったはずなのに……。

 

翌朝。北区倉庫の見張りは、あっけなく2人体制に強化されていた。

 

それを知らせに来てくれたのは、港湾市場でよく見かけるおじいさんだった。

 

いつもポケットの飴の包み紙を几帳面におり紙みたいに畳んでいる人。

 

でもその日は、包み紙を畳む手がひどく乱暴に震えていた。

 

「……6分なんて猶予は、もう無いぞ」

それだけ吐き捨てると、おじいさんは去っていった。

 

エルがバンッ!と壁を蹴った。

鈍い音が響く。

 

「……私が、走ったから……?」

誰もすぐには答えられなかった。

 

ファさんが言った。

「あなたが走らなかったら、昨日の2人は今ここにいなかったわ」

 

リィナが静かに言った。

「……あなたが走ったから、次の作戦の条件が悪くなったのも事実です」

エルが弾かれたようにリィナを見た。

 

リィナは目を逸らさなかった。まっすぐに受け止めた。

 

私も、二人から逃げなかった。

 

「……どっちも、書くよ」

私が言うと、自分でも驚くくらい声が冷たく響いた。

 

エルは泣き出しそうな顔で、へらりと笑った。

「……キッカってさ、ほんっと性格悪いよね」

 

「知ってる」

 

「でも……書いてね」

 

「書くよ」

 

「奥にいた子のことも……?」

 

「書く」

 

「私が……迷ったことも?」

 

「書く」

 

「『重くない』って……嘘ついたことも?」

私は少しだけ躊躇した。

 

でも、しっかりと頷いた。

 

「……全部、書くよ」

エルは力なく壁にもたれかかった。

 

「……じゃあ、ちゃんと書いてよね。絶対に、カッコよくしないで」

その日の昼。

 

ぽつんと置かれたお粥の椀が、ほんの1センチだけ動いた。

 

食べたわけじゃない。

 

口すらつけていない。

 

でも、押し返されなかった。

 

昨日吐いてしまった子が、小さな手でお椀を自分の近くにそっと引き寄せて、じっと匂いだけを嗅いでいたのだ。

 

麦と、水と、かすかな塩の匂い。

 

立ち上る湯気も、弱々しい。

 

何かに勝てるような、立派な匂いじゃない。

 

でも……決して自分を追いかけてこない、優しい匂い。

 

ファさんは何も言わなかった。

 

エルも、茶化したりしなかった。

 

リィナは管理表のメモ欄に「食べず」と書きかけて、ピタリと手を止めた。

 

そして、少しだけ迷ってから、別の欄にこう書き直した。

 

『押し返さず』

 

私はそれを見て、ようやく自分の手帳を開くことができた。

 

6分は合っていた。

2人は連れ出せた。

1人は残された。

見張りは2人に増えた。

お粥は食べられなかった。

――でも、1つの椀は、押し返されなかった。

 

最後に、少しだけペンを躊躇わせてから、一番端っこに書き足した。

 

『押し返されなかったことを、決して“勝ち”にしないこと。』

 

書き終えると、ふっと頭上で声がした。

 

「キッカ」

エルだった。

 

「なに?」

 

「それ……後で私にも見せてね」

 

「見るの? 嫌なことしか書いてないよ」

 

「見るよ。……逃げたら、私がまた調子に乗ってカッコつけちゃうから」

 

「カッコよくなりたいんじゃないの?」

 

「なりたいよぉ。……でも、今は駄目なんだ」

エルはそう言って、いつものふざけた笑顔を見せなかった。

 

その日のお粥は、最後まで薄いままだった。

 

薄いまま、冷めた空気の中にぽつんと残っていた。

 

美味しいなんて、誰も言ってくれなかった。

 

けれど、ファさんは鍋を洗うとき、底に残った麦の粒を絶対に捨てようとしなかった。

 

「……それ、どうするの?」

私が尋ねると、ファさんは静かに微笑んだ。

 

「記録用よ」

 

「食べ物なのに……?」

 

「食べ物だからこそ、よ」

ファさんは残った麦を小さな保存容器に移し、日付を書き入れた。

 

「何を出して喜ばれたかだけじゃなく、何が食べてもらえなかったかも、全て残すの。本当の食のあり方と向き合うならば、敗北の記憶から目を背けてはならないのよ。成功した記憶だけを残していたらね、次に作る料理が絶対に嘘になってしまうから」

私は深く頷いた。

 

ファさんは勝たなかった。

 

最初から、勝ち負けなんてハナから狙っていない、薄くて静かなお粥を出した。

 

そして、食べてもらえなかったお粥を、捨てずに大切に残したのだ。

 

……うん。

 

やっぱり、その方が今の私たちには、ずっとずっと合っている。

 

夜。黒板の隅に書かれた『責任者名なし』の文字は、まだ消えていない。

 

私はその横に、新しい言葉を書き殴りたくなった。

 

――6分は合っていた。でも、正しかったとは限らない。

 

ちっとも綺麗じゃない言葉。

 

胸がキリキリと痛むような言葉。

 

だから黒板には書かなかった。

 

私の手帳の、誰にも見せない秘密のページにだけ書き留めた。

 

北区の倉庫。

湯気を隠したお粥。

連れ出せた2人。

残された1人。

押し返されなかったお椀。

そして――エルが言った、あの一言。

 

『カッコよくしないで』

 

私はその一行だけ、消えないように少しだけ強い筆圧で、くっきりと刻みつけたのだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。