機動戦士ガンダム0092 サウス・ナポリの「キッカの家」 ホワイトベースの少女とシャングリラの孤児たちが、放課後のキッチンで幸せを盛り付ける話 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「いい、ミリー。揚げ物は戦場よ。一瞬の油断が、全てを台無しにするんだから」
エルの気合の入り方は、尋常ではなかった。
ククルス・アパートの狭いキッチン。七月の湿った熱気がこもる中、彼女は額の汗を拭いもせず、古いアナログな加熱器の前に立っている。
今日の主役は、メンチカツだ。それも、ただのメンチカツではない。
「ルオ商会のルートで、本物の牛挽肉が手に入りましたの。……いえ、正確には父の書斎から勝手に持ち出した最高級のロースを、私が自ら挽いたものですけれど」
ステファニーが誇らしげに、保冷ケースから取り出した肉の塊。
それは、フード・コンポジターが出力する、均一で無機質な「肉風タンパク質」とは明らかに異なる、不規則な脂の刺しが入った、暴力的なまでの生命力を放つ食材だった。
私は、エルの隣で下ごしらえを手伝う。
挽肉に、細かく刻んだ玉ねぎを混ぜる。この玉ねぎも、私が市場の片隅で見つけた、少し芽が出かかった見切り品だ。けれど、ステファニーの持ち込んだ最高級の肉と、私の拾ってきた「端材」が、一つのボウルの中で混ざり合っていく。
「ミリー、パン粉はどうする? 宇宙食の余りがあるけど」
キッカが、興味津々といった様子で覗き込んでくる。
私は、棚から乾燥させたパンの耳を取り出した。
「これを使います。ベルファストでは、硬くなったパンを削って衣にするのが当たり前でした。その方が、揚げた時にザクザクとした力強い食感が出るんです」
私はアナログな包丁の背を使い、カチカチに乾燥したパンを細かく砕いていく。
コンコン、と規則正しい音が響く。
この音を聞いていると、ベルファストの地下室で、ミハル姉さんが「美味しいものは、音から始まるのよ」と笑っていたのを思い出す。
「よし、温度は百八十度! 突撃開始!」
エルの号令と共に、成形されたメンチカツが油の海へと放り込まれた。
シュワァァァ、という、激しい音が空気を震わせる。
「……この音、ミノフスキー粒子が濃い時の通信ノイズみたい」
リィナが、眼鏡の奥の瞳を細めて呟いた。
彼女の視線は、鍋の中を見ているようで、その実、もっと遠くの……例えば、かつて彼女が翻弄された戦場の火柱を見ているようだった。
揚げ物の音。それは、ある種の緊張感を孕んでいる。
油の跳ねる音。衣が固まっていく感触。
私たちは、無意識のうちに息を止めて、黄金色に変わっていく肉の塊を見つめていた。
「リィナ、焦げないように見ててよ。あたしは火力を維持するから!」
「分かっているわ、エル。……今よ。裏返して」
リィナの的確な指示に従い、エルが長い菜箸を操る。
浮き上がってきたメンチカツは、まるで宇宙港に鎮座する重巡洋艦のような重厚な輝きを放っていた。
「……完成。食文化研究部特製、一四年目のメンチカツ」
エルの声には、作戦を完遂した兵士のような達成感が滲んでいた。
テーブルに並べられたのは、暴力的なまでに巨大なメンチカツの山。
添えられたキャベツは、ステファニーが持ち込んだ、地球の土の匂いがする新鮮なもの。
ソースの香りが鼻腔をくすぐり、私たちの胃袋は、とっくに限界を迎えていた。
「いただきます!」
キッカの合図で、私たちは一斉にメンチカツにかぶりついた。
サクッ。
その音は、耳ではなく、脳に直接響いた。
砕ける衣。その直後に溢れ出す、本物の肉汁。
玉ねぎの甘みと、肉の旨味が、口の中でビッグバンのように爆発する。
「……っ、おいしい!」
キッカが、熱さに身悶えしながら叫んだ。
「エルの言う通りだよ。これ、本当に戦場だ。……食べ終わるまで、一瞬も目が離せない」
ステファニーも、熱い肉汁に戸惑いながらも、必死に咀嚼を続けていた。
「……信じられません。……私、今まで食べてきたお肉が、いかに『情報』でしかなかったかを思い知らされましたわ。この、喉を焼くような熱さと、暴力的なまでの脂。これこそが、生きているということなのですわね」
エルは、自分の作った料理を誇らしげに見つめながら、豪快にコーラを煽った。
「だろ? 揚げ物はね、熱いうちに食うのが礼儀なんだよ。命のやり取りをしてきたあたしたちだからこそ、この『今、ここにある熱』を逃しちゃいけないって分かるのさ」
私は、自分の皿にあるメンチカツを見つめた。
ベルファストでは、揚げ物なんて夢のまた夢だった。
油は貴重品で、肉はそれ以上に手に入らなかった。
ミハル姉さんは、いつか平和になったら、お腹いっぱい揚げ物を食べさせてあげると言っていた。
姉さんが見たかった平和。
姉さんが守りたかった、弟たちの、そして私の未来。
今、私の目の前には、最高の仲間と、溢れんばかりの揚げ物がある。
「……リィナさん。リィナさんは、どうですか?」
私が尋ねると、リィナは静かに箸を置き、穏やかな微笑みを浮かべた。
「そうね……。私は、この熱さが、少しだけ怖くて、それ以上に愛おしいわ。……シャングリラにいた頃は、毎日が生きるための戦いだった。でも、今のこの戦いは、誰かを傷つけるためのものじゃない。自分たちを慈しむための戦いだもの」
リィナの言葉に、キッカが強く頷いた。
窓の外では、夕闇が迫っていた。
サウス・ナポリの空には、連邦のパトロール機のライトが、星を隠すように規則正しく明滅している。
宇宙世紀0092年。
世界は再び、不穏な影に覆われようとしている。
ニュースでは、新生ネオ・ジオンの軍備増強を危惧する声や、地球居住者の特権を盾にする連邦高官の演説が、ひっきりなしに流れている。
けれど、この「メシ部」のキッチンだけは、揚げ物の湯気と、少女たちの笑い声に満ちていた。
「ミリー、おかわりある?」
「はい。……あと十枚は、揚がります」
「よーし! 全員、第二波に備えなさい!」
エルの号令に、再び笑い声が弾ける。
油の温度に一喜一憂し、衣のサクサク感に涙する。
かつて銃を取り、宇宙を駆けた彼女たちが、今は一枚のメンチカツを囲んで、必死に「今」を謳歌している。
その平和の尊さを、私は胸に刻み込んだ。
いつかこの食卓が壊れる日が来るかもしれない。
それでも、この味を、この熱さを知っている私たちは、何度だって立ち上がれる。
このメンチカツの衣のように、硬く、逞しく。
「……ミリー、顔が笑ってるよ」
キッカに指摘され、私は慌てて俯いた。
「……すみません。……ただ、幸せだなって、思っただけです」
「うん。私も。……最高に幸せだよ、ミリー」
宇宙世紀0092年、七月。
揚げ物の試練は、私たちの絆をより強固なものに変えてくれた。
サクサクという心地よい音と共に、私たちは嵐の前夜を、一歩ずつ踏みしめて進んでいく。