機動戦士ガンダム ブライト・ノア「このおにぎりを作ったのは誰だあっ!」 美味しんぼ 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
U.C.0092年10月。ロンデニオン港、屋台通り。
名前のない少年は、この港に来て以来、ずっと配給所の片隅に佇んでいた。名簿にない。保護者もいない。港湾端末は彼を「未確認」としか記録しない。私はその横顔を、何度も手帳に書き留めてきた。
その日、屋台でトンカツを揚げていた老店主――ラーメン三銃士の1人、通称「親父さん」が、フライ返しを片手に、ゆっくりと少年へ声をかけた。
「坊主。お前、毎日ここに来てるな」
少年は答えなかった。だが、逃げもしなかった。
「学生さんじゃあないんだろうが、聞け」
親父さんは揚げたてのトンカツを1切れ、皿にのせて差し出した。
「トンカツをな。トンカツを腹一杯食えるようになりなよ。今はまだいい。今はまだいいんだ」
その言葉に、少年は初めて、小さく頷いた。震える手で皿を受け取り、一口かじる。衣のカリッという音が、静かな屋台通りに小さく響いた。
「――うまい」
小さな、しかし確かな声だった。私は思わず手帳を持つ手を止め、その一言を、逃さず聞いた。
エル・ビアンノが、離れたところからその光景を見て、珍しく黙り込んでいた。
「あの子……初めて、自分から『うまい』って言った」
リィナ・アーシタが伝票をめくる手を止め、静かに呟いた。
「名簿にない、というのは、存在しないという意味じゃありません。ただ、まだ誰も、正確に記録していないというだけです」
私はその言葉に、はっとした。至高でも究極でもない。ただ、記録するべきものを、正確に記録すること。それが、東西新聞文化部の、本当の仕事だったのではないか。
その夜、ファ・ユイリィが少年に、簡単な問診のような会話を重ねた。少年はぽつぽつと、途切れ途切れに、これまでの経緯を話し始めた。家族を、コロニー間輸送の事故で失ったこと。それ以来、誰にも自分の名前を名乗っていなかったこと。
「名前が、あったのね」
ファが静かに聞くと、少年は初めて、小さな声でその名前を口にした。
私はそれを手帳に書き取ろうとして、途中でペンを止めた。書く前に、まず、本人に確かめてから記録しよう。それが、記者としての、最低限の礼儀だと思ったからだ。
親父さんは、少年にもう1切れ、トンカツを差し出しながら、ぽつりと言った。
「坊主。今日は名前を思い出した日だ。祝いに、もう1切れいっとけ」
少年は、今度は迷わず手を伸ばした。屋台通りに、小さな、しかし確かな笑い声が、久しぶりに響いた。
私は手帳を開き、真新しいページの先頭に、教えてもらったばかりの彼の名前を丁寧に書き記した。
名簿からこぼれ落ちた小さな存在。配給の数字には表れない、けれど確かにここで息づくひとつの命。至高や究極といった大層な言葉で飾る必要なんてどこにもない。ただ目の前にある温かな食卓と、それを取り巻く人間の営みを、ありのままに記録すること。
それこそが、私たちがこの紙のない時代にペンを握り続ける、たったひとつの理由なのだから。
トンカツの香ばしい匂いが漂う夜の港で、私は誇りを込めて、その物語の続きを綴り始めた。
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