機動戦士ガンダム0092 サウス・ナポリの「キッカの家」 ホワイトベースの少女とシャングリラの孤児たちが、放課後のキッチンで幸せを盛り付ける話   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

9 / 24
真夏の冷やし汁

サウス・ナポリの夏は、まるで大気圏突入時のカプセルのように熱い。

 

学園都市の舗装路からは陽炎が立ち上り、遠くに見える連邦軍のサナリィ関連施設も、熱に浮かされたように歪んで見えた。宇宙世紀0092年、八月。地球の重力の下で迎える初めての夏は、ベルファストの冷たい潮風に慣れた私の体から、容赦なく気力を奪っていく。

 

「……暑いですわ。これほどまでに地球の夏が非合理的だなんて、計算外でしたわ」

 

ククルス・アパートの一室。ルオ商会の令嬢、ステファニーが、保冷機能付きの薄いストールを首に巻きながら、テーブルに突っ伏していた。彼女が持ち込む「本物の食材」は今日も豪華だったけれど、それを調理する側の私まで、熱気にやられて包丁を握る手が鈍っている。

 

アパートの古びた換気扇が、カラカラと乾いた音を立てて回る。

「ステファニー、しっかりしてよ。あたしたちの故郷(シャングリラ)なんて、空調が故障した日はもっと地獄だったんだから」

エルがそう言って笑いながら、氷の入ったグラスをステファニーの頬に押し当てた。

「……やめてくださいませ。冷たさが暴力のようですわ」

 

冷房の効きが悪いこの部屋で、私たちは「食文化研究部」の活動を中断せざるを得ない状況に陥っていた。

キッカも、フラウさんから譲り受けたという古い扇風機の前から動こうとしない。

リィナだけが、眼鏡を曇らせながらも会計帳簿をつけていたが、そのペン先もどこか重たげだった。

 

「ミリー……何か、喉を通るものを……。フード・コンポジターのゼリー剤じゃなくて、心が『冷たい』って感じるものを、お願い……」

 

部長であるキッカの懇願に、私は重い腰を上げた。

台所に立つ。最新の高周波加熱器は、この暑さの中では見るだけで熱気が増す気がする。

私はあえてそれには触れず、棚の奥から、ステファニーが以前差し入れてくれた「最高級の麦味噌」と、市場の見切り品コーナーで手に入れた「干し魚」を取り出した。

 

「ミリー、何を作るの?」

リィナが顔を上げた。

「宮崎……という旧世紀の地方に伝わる料理を、宇宙世紀風にアレンジしてみようと思います。冷や汁、というそうです」

 

私はまず、アナログな加熱器の火力を最小に設定し、干し魚の身を軽く炙った。

香ばしい匂いが立ち上がる。それは、ベルファストの港で嗅いだ、あの塩辛い風の匂いに似ていた。

炙った魚の身を丁寧にほぐし、すり鉢に入れる。本当はすり鉢もアナログな陶器製がいいけれど、今はミリタリースペックの軽量合金製だ。

 

そこに麦味噌を加え、さらにすり合わせる。

「ミリー、それ、焼くの?」

エルの問いに頷きながら、私はアルミホイルを広げ、味噌を薄く伸ばして直火で炙った。

味噌が焼ける香ばしい匂い。それは、ニュータイプ的な鋭敏さを持つ彼女たちの鼻を、優しくくすぐったようだった。

 

「……いい匂い。食欲が死んでたはずなのに、胃袋が起動し始めた気がしますわ」

ステファニーがのろのろと体を起こした。

 

私は、焼いた味噌を、冷蔵庫でキンキンに冷やしておいた「出汁」で溶いていく。出汁は、宇宙食のノウハウを応用した乾燥昆布と椎茸から引いたものだ。

そこに、薄切りにして塩揉みしたきゅうり、手で崩した豆腐を加える。

さらに、ステファニーが持ってきた最高級の「地球産大葉」と「みょうが」を細かく刻んで散らした。

 

「仕上げは、これです」

私は、炊き立てではなく、あえて少し冷ましてから水で洗って粘り気を取った麦ご飯を、各々の茶碗に盛り付けた。

 

「冷や汁です。ご飯にかけて食べてください」

 

茶碗の中に、冷たい味噌の汁が注がれる。

茶色い汁の中に、きゅうりの緑と、豆腐の白、そして香味野菜の鮮やかな色が躍る。

「……いただきます」

 

五人の声が重なった。

キッカが最初に、さらさらと汁のかかったご飯を口に運んだ。

 

「――っ、冷たい! そして、濃い!」

キッカの瞳が輝いた。

「味噌の香ばしさと、香味野菜のシャキシャキ感が、熱でぼーっとしてた頭を直接冷やしてくれるみたい……」

 

リィナも、上品に一口運んで、ふうと溜息をついた。

「美味しいわ、ミリー。……宇宙育ちの私たちにとって、この『土』と『海』の恵みが凝縮されたような冷たさは、どんなサプリメントよりも効くわね。シャングリラでジャンクを漁っていた頃にこれを知っていたら、兄さんももう少し楽ができたかもしれない」

 

エルは「これ、飲み物だね!」と言いながら、豪快に茶碗を傾けている。

ステファニーは、一口ずつ噛みしめるように食べていた。

「……土の匂いがしますわ。温かい料理では気づかなかった、大地の冷厳な味が。ミリー、貴女は本当に、食材の声を聴くのが上手ですのね」

 

私は、自分の分を一口啜った。

冷たい。喉を通る冷気が、食道を通り、体の芯にある熱を奪っていく。

炙った味噌の香ばしさは、どこか懐かしい。

ベルファストで、ミハル姉さんが「暑い日は、無理に火を通さなくてもいいのよ」と言って、冷たい水で戻した保存食を食べさせてくれたことがあった。

あの時、私たちは生き残ることに必死で、料理の味なんて二の次だった。

でも、今、こうして学園都市の片隅で、仲間たちと同じ「冷たさ」を共有している。

 

窓の外では、また一台、連邦軍の輸送機が低空で通り過ぎた。

その振動が、アルミサッシを小さく震わせる。

ニュースでは、サイド三のスウィート・ウォーターで、ネオ・ジオンを名乗る勢力が演説を行ったという不穏な情報が流れていた。

 

地球連邦政府が謳歌する、この「偽りの平和」。

それは、キンキンに冷えたこの汁のように、いつかは温まって消えてしまうものかもしれない。

アクシズが落ちる、その日が来るまで。

あるいは、シャア・アズナブルという男が、その重い腰を上げる日まで。

 

「ミリー、おかわりある?」

キッカが空になった茶碗を差し出した。

「もちろんですよ、部長。たっぷり作りましたから」

 

「よーし、これで午後からの『コロニー建築学』の講義も乗り切れる! ……気がする!」

「気がするだけじゃダメだよ、キッカ」

エルの突っ込みに、再び笑い声が弾ける。

 

冷や汁の魔法は、夏の猛威にさらされていた私たちの心を、一時的にせよ静めてくれた。

香味野菜の香りが、鋭敏すぎる彼女たちの感覚を優しく包み、癒やしていく。

 

私は、空になったすり鉢を洗う。

アナログな金属の冷たさが、指先に心地よい。

宇宙世紀0092年。

日々は過ぎれど、私たちは食べ、そして生きる。

この冷たい一口が、明日への戦う力になると信じて。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。