廻る世界、渡る魂   作:月影うみ

101 / 103
どらごんの正体

もうもうと立ち込める分厚い土煙が視界を遮る中、愛子の震える問いかけが静まり返った峡谷に溶けていく。

地上にいる一行が息を呑んで戦いの結末を見守る中、上空で浮遊したまま眼下を見下ろしていたうみは――。

 

「……!」

 

小さく目を見開いている。

彼の『六眼』が、土煙の中心で特異な現象が起きているのを捉えていたのだ。

莫大な魔力が急速に圧縮され、「巨大な竜の形」から「人型」へと変質――収束していくのがはっきりと視覚化される。

 

「吹き荒れよ、蒼き風。我が眼前の淀みを払う一陣の息吹となれ――〝旋風(エアロ・ストーム)〟」

 

うみが二節の言霊を紡ぐと、空中に巻き起こった強風が激しい土煙を一気に吹き飛ばした。

視界が晴れた川原。そこには、体長七メートルの黒竜の姿は欠片もなく……代わりに、一人の人間が倒れ伏していた。

 

艶やかな黒髪を持つ、目を閉じて気を失っているうら若き美女である。

雷撃の余波によって衣服のあちこちが焦げ破れており、そこからは白磁のように滑らかな肌と、今にもこぼれ落ちそうなほど豊満な双丘が露わになっていた。

 

「ひ、人っ!? ドラゴンはどこにいったんですか!?」

「えっ、まさかあの女の人が……ドラゴン!?」

 

突如として現れた謎の美女に、愛子や生徒たちは状況が理解できずパニックに陥る。

 

「ええっ!? 魔物が人間になっちゃいましたよ!?」

 

シアも目を丸くしてウサミミをピンと立たせている。

 

「……竜人族?」

 

一方、ユエはかつての憧れや伝承を思い出したのか、少し驚きつつも神妙な表情を浮かべていた。

 

『うわぁ……竜人族なんて、ヴァン君以来に見たかも……』

 

ミレディも思わず思考を念話として漏らしてしまい、驚きと同時にかつての仲間を思い出したのか、強い懐かしさを滲ませて呟いている。

 

「まさか竜人族だったとはね……それはちょっと話変わるんだけど」

 

うみは感心したように呟くと、ゆっくりと気を失っている竜人の元へ降下する。

そして、無防備に倒れている彼女を横抱きにすると、術式『蒼』を発動。

シュンッ!と空間を圧縮し、愛子たちがいる後方へと一瞬で瞬間移動した。

 

突如として目の前に現れたうみと、彼に抱えられている色気たっぷりの美女を見て、一行はビクッと肩を揺らす。

園部などは、お姫様抱っこされている竜人を見て「……ちょっといいなぁ」と小さく羨ましそうに呟いていた。

 

うみは空間収納の術式『カゴ』から野営用のマットレスをポンッと取り出し、そこに彼女を丁寧に寝かせる。

続いて小瓶に入ったポーションを取り出し、彼女の口に含ませようとした。

だが、完全に気を失っているため上手く飲み込めず、ポーションが口端からこぼれてしまう。

 

「んー……仕方ないか」

 

うみは少し考えると、再び『カゴ』からあるアイテムを取り出した。

彼が自身の錬金術で作成しておいたもの。

目盛りが刻まれた透明なガラス筒、それを補強する精密な金属パーツ、そして先端で鋭く光る極細の針。

そう、現代医療の代名詞たる『注射器』である。

 

「「「な、なんでそんなもの持ってるの(ですか)!?」」」

 

ファンタジー世界に似つかわしくない物騒な注射器を取り出したうみに、愛子たちがギョッとしてツッコミを入れる。

しかしうみは気にする様子もなく、ポーションを注射器でチュゥゥと吸い上げると、躊躇なく竜人の白く細い腕にチクリと針を刺し、直接体内にポーションを送り込んだ。

 

注射器のシリンジが押し込まれ、うみの特製ポーションが竜人の体内へと直接注入されていく。

直後、彼女の身体に驚くべき変化が起こった。

神の雷によって炭化しかけていた火傷の跡や、裂けた肌の傷口が、まるでビデオの巻き戻しを見ているかのような異常な速度で塞がっていく。

わずか数秒のうちに、傷痕一つ残らない滑らかな白磁の肌へと元通りになってしまったのだ。

 

「嘘、だろ……」

 

そのデタラメな治癒スピードを目の当たりにして、周囲が唖然とする。

中でも一番驚いていたのは、この世界の常識を一番理解している現地人たるウィルだった。

彼が知る一般的なポーションは、傷口にかけたり飲んだりしても、時間をかけてゆっくりと傷を塞ぐ程度のもの。

 

「王都や冒険者ギルドで扱ってるものだって、あんなデタラメな治り方はしないぞ……!? 一体、何を打ち込んだんだ……!?」

 

魔法のような治癒劇に戦慄すら覚えるウィル。

その言葉を聞き、愛子や生徒たちは「月影くんの錬金術ってそこまで規格外だったの……!?」と、改めて驚愕の眼差しをうみへと向ける。

 

だが、そんな注目を浴びたうみ自身も、少し驚いたように目をパチクリとさせていた。

 

「いや、俺もちょっとびっくりしてる。

確かに俺の作ったポーションは一般のものより効きが良いし、

『静脈注射』したから即効性も出てると思うけど……いくらなんでもこのスピードは想定外かな」

 

うみは、自身の想定すら超えた治癒速度であることを素直に認める。

 

「もしかしたら、元々この人自身の自然治癒力が、信じられないくらい高いのかもしれないね」

 

自身のポーションの効果と投与方法だけでなく、元々強靭な生命力を誇る竜人族のポテンシャルによる相乗効果なのではないか。

そう、事象を冷静に分析して見せた。

 

その理知的な推論に一行が納得の表情を浮かべた、まさにその時。

傷が完全に癒えた竜人の胸元が、僅かに大きく跳ねた。

 

「……ん、ぅ……」

 

艶やかな声色で微かな呻き声が漏れ、長く美しいまつ毛が震え始める。

意識の浮上を感じ取ったうみ一行や愛子たちが、静かにその様子を見守る中――彼女は、ゆっくりとその瞼を開いた。

 

ぼんやりとした視界の中、竜人の美女はゆっくりと上体を起こす。

しかし、彼女が身を起こした直後。

うみが素早く『影法師』を展開した。

彼女の足元の影が意思を持つように這い上がり、彼女の四肢から胴体と、全身を黒い影が幾重にも巻き付いて瞬時に拘束する。

 

うみの『六眼』は、彼女にかかっていた精神干渉の魔法が、完全に消滅していることを捉えていた。

しかし、「精神干渉が解けた=大丈夫」とは限らない。

竜人族が、人間に友好的である保証などどこにもないのだ。

どこから何が飛び出すか分からない状況下において、うみは迷わず「片っ端から拘束する」という極めて合理的な選択をした。

 

とはいえ、黒い影が豊満なプロポーションの起伏をなぞりながら、這い上がるように拘束していくその光景は、図らずも少しばかりいかがわしいものを彷彿とさせる絵面になっていた。

 

「うおっ……まさかの触手ぷ――」

「死ねっ!」

 

思春期真っ只中の相川がうっかり煩悩を口走った瞬間。隣にいた園部からの容赦ない回し蹴りが、相川の鳩尾にクリーンヒットした。

「ぐふっ……」とカエルが潰れたような声を上げて崩れ落ちる相川を横目に、うみは全く気にする様子もなく、拘束した竜人を見つめる。

その瞳の奥には静かな警戒が滲んでいた。

 

「起き抜けで悪いんだけど、話してくれない? 竜人族が、こんなところで何をしていたのか」

 

突如として拘束されたにも関わらず、竜人の美女はパニックを起こして暴れるようなことはしなかった。

自分が操られて彼らを襲った事実と、目の前の少年が自分を止めたという絶対的な力の差を冷静に悟り、静かに状況を受け入れたように見つめ返してくる。

 

「……妾は、操られておったのじゃ」

 

拘束された状態のまま、彼女は凛とした、しかしどこか重苦しい声で語り始めた。

 

「お主たちを襲ったのも本意ではない。仮初の主、あの黒きローブの男に、そこの青年とその仲間たちを見つけて殺せと命じられたのじゃ」

 

彼女の金色の瞳が、真っ直ぐにウィルへと向けられる。

ウィルは一瞬ビクッと体を震わせたが、うみの圧倒的な戦いを見て何か吹っ切れたのか、気丈にも彼女を睨み返した。

 

竜人の美女は一切の言い訳を重ねることなく、自らがしでかした事の重大さを認め、静かに首を垂れる。

 

「面倒をかけた。そして……誠に申し訳なかった。妾の名はティオ・クラルス。誇り高き竜人族の末裔じゃ」

 

拘束されていながらも、その姿には騎士然とした威厳と、高潔な種族としての誇りが満ちていた。

その立派な名乗りと謝罪を受け、うみは警戒を僅かに緩めつつも、ペースを崩さずに返す。

 

「俺は月影うみ。一応、冒険者。……それで、仔細は?」

 

淡々と先を促すうみに、ティオは事の経緯を話し始めた。

彼女の話を要約するとこうだ。

 

竜人族の中には魔力感知に極めて優れた者がおり、数ヶ月前に凄まじい大魔力の放出と「何かがこの世界にやって来た」ことを感知したのだという。

竜人族には『表舞台には関わらない』という種族の絶対の掟がある。

しかし、この未知の来訪者による異常事態を何も知らないまま放置するのは、自分たちにとっても不味いのではないか。

隠れ里での激しい議論の末、遂に異例中の異例として調査の決定がなされた。

 

ティオは、その調査任務を帯びて集落を飛び出してきたのだ。

本来なら、山脈を越えた後は人型で市井に紛れ込み、正体を秘匿して情報収集に励むつもりだった。

しかしその前に一度しっかり休息をとろうと、この峡谷付近で休むことにした。

当然、周囲には強力な魔物も蔓延っているため、身を守るために竜人族の代名詞たる固有魔法『竜化』によって黒竜の姿となり、深い睡眠状態に入った。

 

そこへ、一人の黒いローブを頭からすっぽりと被った男が現れたのだという。

その男は、眠る黒竜に洗脳や暗示などの闇系統の魔法を多用し、徐々にその思考と精神を蝕んでいった。

 

普通であれば、そんな魔法をかけられれば起きて反撃するのが当然だ。

だが、ここで竜人族の最大の悪癖が出る。

――『竜化して睡眠状態に入った竜人族は、尻を蹴り飛ばされでもしない限りまず起きない』――

この世界でことわざの元にもなるほど、彼らの眠りは深いのだ。

それでも、竜人族は精神力においても並外れた強靭さを誇る。

並の術者なら、いかに無防備であろうとそう簡単に洗脳できるものではない。

 

では、なぜ彼女はあそこまで完璧に操り人形に成り下がっていたのか。それは……。

 

「恐ろしい男じゃった……あのような闇魔法の天才が居ようとは。

あやつに丸一日かけて間断なく魔法を行使され続け、いくら妾と言えど、流石に耐えられんかった……一生の不覚じゃ!」

 

悲痛な声で己の不覚を悔やむティオ。

何やら壮大に語っているが結局のところは――。

 

「……つまり、調査に来ておいて他所の干渉に気づけないほど爆睡していた、と?」

 

うみの冷たくも的確すぎるツッコミが峡谷に響く。

愛子や生徒たちの目が、一斉に何となく「バカを見る目」へと変わった。

 

「うっ……そ、それは……っ!」

 

図星を突かれたティオは、先ほどまでの高潔な威厳を完全に崩壊させ、顔を真っ赤にして明後日の方向へと視線を逸らした。

誇り高き竜人族としての沽券に関わる、紛れもない黒歴史である。

 

「コホンッ!」

 

気まずさに耐えきれなくなったのか、ティオはわざとらしく咳払いをして話を強引に進める。

 

洗脳が完了した後、彼女は意識と記憶を残したまま、身体の主導権と命令の優先順位を完全に書き換えられ、ローブの男に従って山脈の魔物を洗脳し「軍勢」を作る手伝いをさせられていたのだという。

そしてある日、移動させていた魔物の群れが、調査に訪れていたウィルたちと遭遇。

「目撃者は消せ」という命令を受けた魔物が彼らを追い、念には念を入れて、男にとって最大の戦力である黒竜――ティオが差し向けられた。

 

だが、降り立った先に待ち受けていたのは、想定外の怪物(うみ)だった。

洗脳の絶対命令に従い標的を排除しようとしたものの、防ぐことも躱すこともできぬ魔法や魔法でない何かを浴び、あれよあれよという間にボロボロにされたらしい。

そして極めつけに、天から降り注ぐ『荘厳なる輝き』を目の当たりにしたところで意識が途絶え、再び意識を取り戻したときには拘束されていた、というわけである。

 

ティオが深い溜め息とともに顛末を語り終える。

その場に、重い沈黙が降りた。

 

「……ふざけるな」

 

事情説明を終えたティオに、そんな激情を必死に押し殺したような震える声が発せられた。

皆が、その人物に目を向ける。

拳を握り締め、怒りを宿した瞳でティオを睨んでいるのはウィルだった。

 

「……操られていたから…ゲイルさんを、ナバルさんを、レントさんを、ワスリーさんを、クルトさんを! 殺したのは仕方ないとでも言うつもりかっ!」

 

状況的に余裕ができたせいか、冒険者たちを惨殺されたことへの悲しみと怒りが、今になって激しく湧き上がったらしい。

激昂し、ティオへ向けて怒声を上げるウィル。

 

「……」

 

対するティオは、反論の一切をしなかった。

ただ、静かな瞳でウィルの言葉の全てを受け止めるように、真っ直ぐ彼を見つめ返している。

その態度がまた気に食わないのか、ウィルはさらに声を荒らげた。

 

「大体、今の話だって、本当かどうかなんてわからないだろう! 大方、死にたくなくて適当にでっち上げたに決まってる!」

 

「……今話したのは真実じゃ。竜人族の誇りにかけて嘘偽りではない」

 

なおも言い募ろうとするウィル。

しかし、その間に口を挟んだのはユエだった。

 

「……きっと、嘘じゃない」

 

「っ、一体何の根拠があってそんな事を……!」

 

食ってかかるウィルを一瞥すると、ユエはティオを見つめながらぽつぽつと語り出した。

 

「……竜人族は高潔で清廉。私は皆よりずっと昔を生きたから、竜人族の伝説も、より身近なもの。

彼女は〝己の誇りにかけて〟と言った。なら、きっと嘘じゃない。

それに……嘘つきの目がどういうものか、私はよく知っている」

 

ユエは、ほんの少しティオから目を逸らして遠くを見る目をした。

きっと、三百年前の出来事を思い出しているのだろう。

孤高の王女として祭り上げられた彼女の周りは、結果の出た今から思えば、嘘が溢れていたのだ。

もっとも身近な者達ですら彼女に嘘を吐き、その事実から目を逸らし続けた結果が〝裏切り〟だった。

それ故に、〝人生の勉強〟というには些か痛すぎる経験を経た今では、彼女の目は〝嘘つき〟に極めて敏感になっている。

 

「ふむ、この時代にも竜人族のあり方を知るものが未だいたとは……いや、昔と言ったかの?」

 

竜人族という存在のあり方を未だ語り継ぐ者がいることに、ティオは若干嬉しそうな声音を漏らす。

 

「……ん。私は、吸血鬼族の生き残り。三百年前は、よく王族のあり方の見本に竜人族の話を聞かされた」

「何と、吸血鬼族の……しかも三百年とは……。なるほど、死んだと聞いていたが、主がかつての吸血姫か。確か名は……」

 

どうやら、この竜人はユエと同等以上に生きているらしい。

しかも、口振りからして世界情勢にも全く疎いというわけではないようだ。

今回の様に、時々正体を隠して世情の調査をしているのかもしれない。

そのティオにして、かつての吸血姫の生存は驚きだったようだ。

周囲のウィルや愛子たちも、驚愕の目でユエを見ている。

 

「ユエ……それが私の名前。大切な人に貰った大切な名前。そう呼んで欲しい」

 

ユエが、薄らと頬を染めながら、両手で何かを抱きしめるような愛おしげな仕草をする。

ユエの周囲に、何となく幸せオーラがほわほわと漂っている気がする。

皆、突然の惚気に当てられて、女性陣は何か物凄く甘いものを食べたような表情をし、男子達は、頬を染めて得も言われぬ魅力を放つユエに見蕩れている。

ウィルも、何やら完全に気勢を削がれてしまったようだ。

 

(ふむ……もう拘束しておく理由もないか)

 

うみがパチンと指を鳴らすと、ティオの全身を縛り上げていた『影法師』の黒い影がスルリと解け、彼女の足元へと吸い込まれて消えた。

ティオは「ふぅ」と息を吐き、痛む手首をさすりながらゆっくりと立ち上がる。

その際、先ほどの雷撃によって衣服のあちこちが焦げ破れ、白磁のような肌や豊満な双丘が露わになってしまっていることに気付き、彼女はハッとして身を竦めた。

すると、うみが自らが羽織っていた上着を脱ぎ、ふわりと彼女の肩に掛けた。

 

「ほら。これ使って」

「っ……すまぬ。かたじけない」

 

うみの淡々とした何気ない気遣いに、ティオは微かに頬を染め、その少し大きめな上着で身を包む。

 

「洗脳かどうかまでは分からないけど、ティオさんに精神干渉系の魔法が掛けられていたのは確かだしね」

「なんで……そんなことが分かるんだ?」

 

ウィルが驚いて問い返すと、うみは自身の眼を指差した。

 

「俺の眼には、魔法が映るから」

 

首を傾げるウィルや生徒たちに、うみは簡単に説明する。

 

「この眼は少し特殊でね。魔法の構造から、使われている魔力の個性まで見分けることができるんだ。

ただ、構造が視えるだけで、それが具体的に何の魔法かを特定するには知識が必要なんだけどね」

 

言葉を区切り、うみは少し肩をすくめた。

 

「俺は精神干渉系の魔法にそこまで明るくないから、ざっくり『精神系』とは分かっても、細かな判別まではつかなかった。もっと勉強しないとなぁ」

 

本日何度目かの規格外の能力の開示に、ウィルや生徒たちが呆然とする。

その説明を聞き、ティオが期待を込めて身を乗り出した。

 

「なら、妾に魔法をかけた者が誰かも分かるのか?」

「残念だけど、無理」

 

うみは結論から告げる。

 

「今は魔法が完全に解けちゃってるし、想定外なことに魔力の残穢すらさっぱり残ってないから、個人の特定は不可能だね。

ティオさんの言う通り、余程腕が良い術師なんだろうね」

「では、魔法が掛かっていた時なら分かったのではないか?」

 

食い下がるティオに、うみは首を横に振った。

 

「あの時は、ティオさん自身の魔力がデカすぎてノイズになっちゃってて、術者の細かな魔力までは読み取れなかったんだ」

 

それに、と続ける。

 

「仮に術者の魔力が視えていたとしても、俺が直接知っている人物の魔力じゃなきゃ、特定なんてできるわけないしね」

 

魔力に名前が書いてあるわけではない。

特徴が分かっても、それを照合する相手のデータがなければ意味がないという理屈だ。

その説明に、ティオもウィルたちも納得したように頷く。

 

「それに、俺の持ってる技能に『真偽判定』っていう……ざっくりいえばウソがわかるのがあるんだけど……そっちも今のところ、彼女の言葉に全く反応してないしね」

 

うみのその言葉に、愛子や生徒たちが「嘘を見抜くスキルまで持ってるの!?」とさらに驚く。

しかし、うみは少し困ったように頬を掻いた。

 

「まあ、これにはちょっと裏があってさ。今まで一度も発動したことがないから、ちゃんと機能してるかは微妙なところなんだけどね」

 

なんとも締まらない、しかし嘘偽りのないうみの補足に、ウィルたちが少しズコッとなる。

玉井が呆れたようにツッコミを入れた。

 

「た、試したことねぇの?」

「だって、この子たち嘘ついてくれないんだもん」

 

うみは、隣に立つユエとシアを見遣りながら、仕方ないだろうと笑う。

絶対の信頼を向けられた身内の少女たちは、少し照れくさそうに、けれど誇らしげに胸を張っていた。

 

「じゃあ、試してみようぜ。なんか適当な嘘ついてみるからさ」

 

そのやり取りを見ていた仁村が、悪戯っぽく提案した。

彼がコホンと咳払いをして、適当な嘘を紡ごうとした――その瞬間だった。

 

「俺、実は相川のことが好き――」

 

仁村が言い終わるか終わらないかのタイミング。

うみの主観世界――常に莫大な情報量で満たされている彼の視界から、突如として『色彩』が抜け落ちた。

世界がモノクロに染まり、同時に、脳の裏側を爪で引っ掻かれるような、微細だが明確な『不快感』が走る。

 

「……こうなるんだ。何これ、気持ち悪っ……」

 

突如として訪れた視界の変化と不快感に、うみが思わず顔をしかめて片手で目を覆う。

それと同時に、傍目から見ていた者たちも、思わずギョッとして声を上げた。

宝石のように美しく澄んでいたうみの『蒼い瞳』が、一瞬にして、光の一切を吸い込むような底知れぬ『漆黒』へと染まり上がっていたのだ。

 

「うわっ!? 月影、お前の目、真っ黒に……っ」

 

そのあまりに異様で少しホラーな変化に、仁村たちがビクッと身を竦める。

 

「……外見的な変化もあるんだ。これ、地球に戻ったらカラコン必須じゃん」

 

数秒後。瞬きを一つすると、うみの瞳は元の美しい蒼色へと戻っていた。

モノクロの視界も晴れ、うみは地球帰還後の心配をしつつ、ケロリとした顔で頷く。

技能が正常に機能していることが実証された。

これにより、ティオの証言の信憑性は確固たるものとなる。

 

ティオの言葉が嘘ではなく、本当に操られていたという事実。

それをうみの『六眼』と『真偽判定』によって完全に証明され、ウィルの感情の行き場が失われてしまう。

 

頭では、彼女が被害者であり、本当の敵は別にいると分かっている。

しかし、親切にしてくれた先輩冒険者達の無念を思うと、だからと言って責めずにはいられない。

心がどうしても納得しないのだ。

 

「……それでも、殺した事に変わりないじゃないですか……どうしようもなかったってわかってはいますけど……それでもっ!」

 

ウィルは涙を堪えるように声を震わせ、言葉を零した。

 

「ゲイルさんは、この仕事が終わったらプロポーズするんだって……彼らの無念はどうすれば……!」

 

悲痛な叫びが、夜の峡谷に響き渡る。

ウィルのそのやり場のない悲しみに、愛子や生徒たちが痛ましそうな視線を向ける。

ティオは一切の言い訳をせず、その罪悪感と痛切な思いを受け止めるように、深く頭を下げた。

 

「……言い訳はすまい。妾の油断が、主の大切な者を奪う結果を招いたのは事実。その罪と恨みは、甘んじて受けよう」

 

そのティオの痛ましい謝罪とウィルの悲痛な姿を見て、愛子たちもいたたまれない空気になる中。

うみが、ひときわ冷ややかなトーンで口を挟んだ。

 

「……さっきからティオさんを責めてばかりいるけど、そもそもティオさんだけに責を求めるのは間違ってる」

 

その言葉を聞き、園部がパッと顔を輝かせた。

 

「月影くんの言う通りだよ。彼女も被害者なんだし……本当に悪いのは、こんな酷いことをした『黒ローブの男』じゃん」

 

地球の平和な価値観を持つ彼女をはじめとする生徒たちは、

うみの発言を「ティオも被害者であり、本当の悪は洗脳した黒ローブだ」という優しいフォローだと解釈し、

同調してウィルを優しく諭そうとする。

 

しかし、愛子だけは生徒たちのように手放しで同意できず、口を噤んでいた。

大人の視点を持つ彼女は、うみの『ティオさん“だけに”』という言葉の含みに気づいていたからだ。

それはつまり、「ティオにも当然責任はある」という前提の言い回しに他ならない。

愛子は微かな緊張を滲ませて、うみを見つめる。

 

「全責任はその黒ローブにある」と諭そうとする園部たちに対し、うみは冷ややかな声でバッサリと斬り捨てた。

 

「……いや、それも間違ってる」

「えっ?」

 

自分たちの「正論」を真正面から否定され、園部たちは目を丸くして困惑する。ウィルも戸惑った視線を向けた。

そんな彼らに向け、うみは淡々としたフラットな口調で告げる。

 

「今回の件。責任を追及するなら、ローブ、冒険者、ウィル、ティオさんで5、2、2、1ってところだよ」

「なっ……なんで僕たちが!?」

 

被害者であるはずの自分たち(冒険者とウィル)に「それぞれ2」という大きな責任を割り当てられたことに、ウィルが激しく反応する。

地球の価値観を持つ生徒たちもウィルの反応に同調し、被害者を責めるような配分は理不尽だと言わんばかりに疑問や抗議の声を上げた。

 

しかし、うみは彼らの反発を意に介さず、淡々と解説を始める。

 

「ローブの男……は言わずもがなだから省くとして。まずはティオさん」

 

うみはティオを一瞥する。

 

「細かいやらかしはあれど、ローブの男との遭遇は完全に偶然なわけだし、総合的に言うなら『運が悪かった』、これに尽きるかな」

「うっ……」

「強いて言うなら、危機感が足りないくらい?

まあ、正直なところこの世界じゃ、単騎のスペックなら竜人族が最強格だろうし、これは仕方ない部分でもあるんだけど」

「うぅ……」

 

あくまで彼女の非は「最強故の油断と不運」であり、それが責任だと告げる。

ティオは図星を突かれたのか、バツが悪そうに視線を逸らした。

 

ティオの解説を終えたうみは、全く納得していない様子のウィルや生徒たちに視線を向ける。

 

「それで、君らが納得してない部分だけど……」

 

と切り出し、うみは「冒険者」と「ウィル」、どちらから説明するか少し悩むような素振りを見せた。

 

「どっち先にするかな……」

 

少し考えた後。

 

「まずはウィル」

 

とうみは指名し、彼の持つ2割の責任について語り始める。

 

「君の責任はシンプル。『今回の調査依頼に同行したこと』そのものだよ」

 

「同行したこと」自体を責任として直球で指摘され、ウィルはハッとする。

痛いところを突かれたように言葉に詰まりながらも、自分でも足手まといだったという自覚が心のどこかにあるからこそ、ムキになるように反発の声を上げた。

 

「っ……だからって……!」

「俺が支部長から聞いた話だと、今回の同行。君が強引に取り付けたらしいね?」

 

フューレンで得ていた事前情報を突きつけられ、核心を突かれたウィルは完全に言葉を失う。

うみは淡々と続ける。

 

「冒険者への憧れからか、貴族としての息苦しさからか。どっちにしろ俺には共感はできないけど、理解はできる。大いに結構だと思うよ」

 

彼の動機そのものは否定せず、一拍置いた後。

うみの声が、一段と冷たくなった。

 

「……ただ、今回は別だ」

 

うみはウィルから視線を逸らさず、言葉を続ける。

 

「支部長のことだし、今回の依頼内容はちゃんと君にも通してただろう?」

「っ……あ、ああ。最近この山脈で『魔物の群れ』が目撃されたから、その原因調査だって……」

「それを聞いた時点で、君は今回の同行を諦めるべきだったんだ」

 

有無を言わせぬうみの冷酷な結論に対し、生徒の一人である玉井がたまらず横から疑問を挟んだ。

 

「な、なんでだよ? その原因を調べるだけの依頼なんだろ? 後ろからついて行くだけなら――」

「そもそも」

 

うみは、地球の平和な感覚が抜けていない玉井の甘い認識を即座に否定する。

 

「今、ウィルの言った通り、今回の発端はこの山脈で『魔物の群れ』が目撃されたこと。

たったそれだけの目撃情報で、わざわざ高ランクパーティを投入するような調査依頼になるんだよ?

……何が飛び出してもおかしくないイレギュラーな事態なことは、分かりきってたはずだ」

 

うみの視線が、再びウィルへと真っ直ぐに向けられる。

 

「それに実力のない素人が強引に同行した結果が、一人残しての全滅だ」

「っ!」

 

全滅の原因が自分にあるかのように言われ、ウィルは悲痛な顔で必死に反論する。

 

「だって……竜が出るなんて誰も分からなかったじゃないか! 黒竜なんて伝承の中だけの存在だろ!?

僕がいようがいまいが、あんなのに出くわしたら結果は同じだっただろ!」

 

黒竜という絶対的な力の前では、自分の存在は全滅の決定打ではない。ウィルはすがるようにそう主張した。

しかし、うみはその反論すらも残酷な事実でへし折る。

 

「いや。そもそも君がいなければ、その前段階……この山で『ブルタールの群れ』に遭遇した時点で、彼らは応戦せずに撤退一択だったよ」

「え……?」

 

ウィルは、その言葉の意味がすぐには理解できず、困惑したように目を見開いた。

うみは、フューレンでの経験に基づく明確な基準をもってロジックを提示する。

 

「ブルタールが俺の持ってる情報通りの魔物で、黒ランク一人一人が俺の知ってる通りの実力だとしたら。

逃げに徹すれば、全員は無理でも何人かは無事に逃げ延びれたはずだ」

 

冷たい夜風が吹き抜ける中、うみの声だけがやけに鮮明に響いた。

 

「それができなかったのは、絶対に守らなきゃいけない足手まとい……君がいたからだ」

「あ……」

 

ウィルが息を呑む中、うみはさらに冷酷な事実を重ねる。

 

「実際、ティオさんが出てくる前の段階……ブルタールとの遭遇戦で二人持ってかれたんでしょ?」

 

致命的な事実を突きつけられ、ウィルは完全に言葉を失った。

 

「僕の、せいで……逃げられなかった……?」

 

頭では理解したくなかった事実。

自分が足手まといになったせいで、本来なら撤退できたはずの先輩たちが退路を断たれ、死に追いやられたという重すぎる現実。

それを真正面から直視させられ、ウィルは糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

 

沈痛な空気が場を支配し、ウィルが完全に打ちのめされ沈黙する中。

ここまで静観していた愛子が、重い口を開いた。

 

「……月影くん。じゃあ、亡くなった冒険者の方たちの『2』の責任というのは……?」

 

ユエやシアたちは、うみの考えを既に察しているのか静かに見守っている。

大人であり、引率する教師としての立場を持つ愛子は、プロフェッショナルであるはずの彼らにどんな非があったのかを尋ねた。

 

うみは愛子の問いに対し、「冒険者たちの方は単純ですよ」と前置きする。

 

「結論から言うと、『実力不足』と『ウィルの同行を認めたこと』です」

 

うみはまず『実力不足』について、自身のシビアな死生観を交えて淡々と述べる。

 

「冒険者に限らず、殺し合いを生業にする仕事に関しては、大抵のことは『実力不足』による自己責任です。

彼らもそれは覚悟の上で冒険者をやってるんだから、まあそこはいいとして」

 

殺し合いの世界では、力が足りずに死ぬのは当然のこと。

そう割り切るうみに、生徒たちが僅かに息を呑む。

しかし、本題はそこではなかった。うみは続けて、最大の問題点について追求する。

 

「問題は『同行を認めたこと』。

さっきウィルにも言った通り、山脈の調査依頼では何が出てもおかしくないことは、プロである彼らなら分かっていたはず。

それなのに、素人を連れて行くという判断をした」

 

その理由を、うみは冷ややかに分析する。

 

「おそらく、自分たちの実力を過信してたんでしょうね。素人一人付いてくるくらいなら、自分たちなら問題ないって」

 

実力を見誤り、イレギュラーの可能性を軽視した結果が全滅である。

うみは「まあ、冒険者パーティの責任としてはそんなところですかね」と、一連の責任の所在についての解説をまとめた。

 

そして。

うみは愛子や生徒たちへスッと視線を向け、今朝ウルの町を出発した際の出来事と、今のロジックを繋げる台詞を口にする。

 

「俺が今朝、先生たちを連れてくるのを渋ったのも、その辺りの問題からです」

「っ……」

 

愛子と生徒たちの肩が大きく跳ねた。

 

「今朝は『死んでも自己責任』って言いましたけど。

その実は、誰か一人でも死んだら、先生たちを連れてくって判断をした俺の責任ですから」

 

うみが放った「自己責任」という言葉の裏にあった『真意』。

自分たちが無理を言って同行した結果、うみにどれほど重い責任を背負わせていたのか。

プロのベテラン冒険者ですら全滅するほどの異常事態を目の当たりにした今、その事実が痛いほど胸に突き刺さる。

愛子や生徒たちは、いたたまれないように深く俯くことしかできなかった。

 

夜の峡谷に、重く沈痛な沈黙が降りる。

しかし、その静寂を破ったのは、うみが貸し与えた上着をしっかりと羽織り直したティオだった。

 

「……酷な現実を突きつけられ、しんみりしているところ誠に申し訳ないのじゃが。

これ以上、悲嘆に暮れている時間はないぞ」

 

凛とした、それでいてどこか切迫感のある不吉な響き。

その言葉に、深く沈み込んでいた愛子や生徒たちがハッとして顔を上げる。

ここまで静観していたシアが、ウサミミをピンと立てて問い返した。

 

「どういうことですか?」

 

シアの問いに対し、ティオは真っ直ぐに一行を見据えて、操られていた間に見聞きした絶望的な事実を語り始めた。

 

「あの黒ローブの男の目的は……『魔物の大群』を組織し、人間の町を蹂躙することじゃ」

「魔物の……大群……?」

 

絶句する愛子たちを前に、ティオは淡々と黒ローブが生み出した軍勢の数を明かす。

 

「周辺の山々の魔物を根こそぎかき集めたその数……既に三千、いや四千には届くじゃろう。

奴らは今、確実にあの『ウルの町』を目指して進軍しておるはずじゃ」

 

三千から四千。

その途方もない暴力の波がウルの町へ向かっているという事実に、愛子や生徒たちは血の気を引かせて呆然とする。

だが、その絶望的な報告を聞いても、うみは極めて冷静に一つの疑問を口にした。

 

「……ティオさんがこの辺りに来たのも、洗脳されたのもごく最近の話でしょ?

いくらティオさんっていう強力な手駒を手に入れて効率が上がったとはいえ、三千から四千の魔物を集めるのって早すぎない?

もともとそれなりの数が集まってたの?」

 

うみの鋭い指摘に、ティオは静かに首を横に振る。

 

「いや、元々群れていたわけではない。

男は、この峡谷の奥――二つ目の山脈の向こう側から、強力な魔物たちを次々と洗脳して回っていたんじゃ。

しかし、ただ手当たり次第に洗脳したわけではない」

 

そこでティオは、黒ローブの恐るべき手口を明かした。

 

「奴は『魔物の群れの主』にのみ強力な洗脳を施すことで、その配下の魔物たちごと、極めて効率的に自らの軍勢へと組み込んでおったのじゃ」

 

なるほど、とうみは納得するように頷く。

しかし、ティオから語られた『魔物を操る』という恐るべき手口から、愛子や生徒たちの脳裏にはすぐにある一つの推測が浮かび上がっていた。

 

魔物を操る。

それはまさに、うみたち異世界人がこの世界に『勇者』として召喚される建前となった、人類の敵である『魔人族』が持つ新たな力そのものではないか。

 

「まさかっ……その黒ローブの男って、魔人族なんじゃ!?」

 

生徒の一人が、パニック気味に叫ぶ。

人類の天敵が、数千の魔物を率いて進軍している。

その最悪のシナリオに全員が戦慄した、その時だった。

 

「……いや、そうとは限らないよ」

 

うみが、一人だけ極めて冷静な声でその推測にストップをかけた。

 

「え……?」

「魔人族じゃなくても、魔物を従える『調教師』とか『テイマー』みたいな天職を持った人間が存在してもおかしくないでしょ」

 

あくまでロジカルに、人間の仕業である可能性を提示するうみ。

しかし、この世界の常識に縛られているウィルが、顔を青ざめさせながら反論する。

 

「そ、そんな天職、聞いたことありません! 魔物を操るなんて、魔人族の魔法でしか――」

「君らが聞いたことないだけでしょ」

 

うみはウィルの言葉をあっさりと遮り、首を傾げてみせる。

 

「世界から失伝しているだけで、そういう天職や技術が存在している可能性は十分にある。

……実際、俺の『錬金術師』がそうだしね」

「うっ……」

 

今は誰も知らないが、かつて存在していたことは確認が取れている錬金術。

それを操るうみ自身が生き証人となって反論されたことで、ウィルはぐうの音も出ずに口を噤んだ。

 

うみの理路整然とした分析に、ティオが感心したように頷いた。

 

「うむ。彼の推測の通りじゃ」

 

ティオの言葉により、うみの推測は『事実』として確定する。

 

「黒ローブの男は、魔人族などではない。……黒髪黒目を持った『人間族の少年』じゃった」

「「「なっ……」」」

 

その決定的な事実に、愛子たちが息を呑む。しかし、ティオの言葉はまだ終わらない。

 

「それに、あの男は妾を配下にしたことで随分と気が大きくなっていたのか、しきりにこう口にしておったよ。

『これで自分は勇者より上だ』とな。……随分と、勇者に対して強い妬みを持っているようじゃった」

 

黒髪黒目の人間族の少年。

闇系統の魔法の天才。

勇者に対する、異常なまでのコンプレックスと妬み。

 

ここまで決定的なピースを並べられれば、流石に嫌でも脳裏に思い浮かぶ。

現在、行方不明となっているある一人の少年の顔が。

 

「……そん、な。まさか……」

 

愛子たちは一様にそう呟きながら、困惑と疑惑が入り交じった複雑な表情を浮かべる。

頭では理解している。しかし、どうしても信じたくない。

自分たちの教え子が、クラスメイトが、数千の魔物を率いて町を滅ぼそうとしているだなどと。

 

そんな絶望と混乱の空気が場を支配する中。

うみは一人、現状の確認をすべく動いていた。

 

(まずは正確な数を……)

 

うみはこの山脈の調査を響蝠に行わせていたが、先ほどのティオとの戦闘で別の術式を使うために、十種を解除してしまった。

そのため、即座に現状を確認することはできず、改めて術式を切り替えて索敵をやり直す必要がある。

 

うみは両手で素早く印を結ぶ。

 

足元の影がポコポコと波打ち、そこから無数の響蝠が次々と飛び立ち、バサバサと羽音を立てながら夜の山脈へと散開していく。

 

数分後。

愛子たちが未だに俯き、現実を受け入れられずにいる中、うみは少し面倒くさそうに首を掻きながら、最悪の報告を口にした。

 

「……あー、ティオさん。さっきの見積もり、ちょっと甘かったみたいだね」

「ん?」

「三、四千どころじゃない。桁が一つ変わるレベルだ。しかも、もう真っ直ぐウルの町に向かって進軍を始めてる」

 

うみの報告に全員が目を見開く。

それに加え、このままいけば一日もあれば町に到着するという。

 

「す、数万って……!?」

「そ、そんな……」

 

ティオの推測を遥かに上回る『数万』という規格外の暴力に、一行は完全に血の気を失う。

事態のあまりの深刻さに、愛子はパニックを起こしそうになりながらも、必死にすべきことを言葉に出して整理しようとする。

 

「は、早く町に知らせないと! 避難させて、王都から救援を呼んで……それから、それから……!」

 

いくら何でも数万の魔物の群れが相手では、実戦経験の乏しい生徒たちや駆け出しのウィル、魔力枯渇状態のティオでは障害物にもならない。愛子の言う通り、一刻も早く町に危急を知らせて逃げ延びるのが最善の選択だった。

 

と、皆が動揺している中、ふとウィルが呟くように尋ねた。

 

「あ、あの! 月影殿なら……その大群もなんとか出来るのでは……!」

 

その言葉で、全員が一斉にうみの方を見る。

先ほど、圧倒的な力で黒竜を単独で蹂躙したこの少年なら。もしかしたらという、縋るような期待の色に染まった瞳。

 

しかし、うみはその視線を鬱陶しそうに受け流すと、呆れたようなため息を吐いた。

 

「……無茶言わないでよ」

 

そう冷たく言い放つと、うみは視線を外し、誰に言うでもなく小さくボヤいた。

 

「(……三年前の『百鬼夜行』。京都側の千体だけでも大勢集めて対処したって言うのに、その十倍以上を俺一人でとか……)」

「ひゃっき……?」

 

ウィルが聞き慣れない単語に首を傾げる。うみは気にした様子もなく、再び彼らに視線を戻して言葉を継ぐ。

 

「そもそも今は『保護対象』を抱えた状態。リスクが大きすぎる」

 

それは決して逃げや言い訳などではない。

数万という圧倒的な物量差と、護衛対象の命を正確に天秤にかけた上での、極めて現実的で正しい判断。

 

うみのその判断に、ウィルも生徒たちも反論できず押し黙る。

だが、そんな中でただ一人、思い詰めたような表情の愛子がうみに問い掛けた。

 

「月影くん。その……黒いローブの男の姿は、群れの中に見えませんか?」

「いえ、さっきから群れ全体をチェックしてるけど、それらしき人間の反応はありません。

……まあ、これだけの数を動かして、前線に居るなんてことないでしょうけど」

 

うみの言葉に、愛子はまた深く俯いてしまう。

そして、小さな、しかし明確な決意を宿した声でぽつりと零した。

 

「……私は、ここに残って確かめたいと思います」

「えっ!?」

「先生!?」

 

突然の宣言に、園部たち生徒が驚きの声を上げる。

 

「あの黒ローブの男が、本当に行方不明の清水くんなのかどうか……確かめないといけません。

もし本当に彼なら、教師として彼を止めないと……っ」

 

生徒思いの愛子の事だ。このような最悪の事態を引き起こそうとしているのが自分の生徒かもしれないのなら、放って置くことなどできないのだろう。

しかし、数万からなる魔物が蠢く場所に、戦闘力のない愛子を一人置いていくことなど出来るわけがない。園部たち生徒は必死に愛子を説得する。

それでも愛子は逡巡したままで、その内、生徒の中から「じゃあ、月影くんが先生に同行すれば……」なんて無責任な意見すら出始めた。

 

「ハァ……」

 

一向に危機感のない彼らの不毛な議論に、うみは深い溜め息を吐いた。

 

「先生たちがどう思っていようと関係ない。全員で帰投、それ一択だよ」

 

一切の交渉の余地を与えない、冷ややかな声が響く。

 

「なっ……月影くん!? それは……!」

「そもそも先生たちは、俺たちに強引についてきたんだ。俺の判断には従ってもらう。異論反論は一切受け付けない」

 

うみは淡々と、しかし有無を言わさぬ絶対的な圧を放ちながら言葉を続ける。

 

うみの放つ圧倒的なプレッシャーに、愛子たちはビクッと肩を震わせ、言葉を失い、押し黙るしかなかった。

そんな凍りついたような空気の中、静かに口を開いたのはティオだった。

 

「あるj……コホンッ、彼の言う通りじゃ」

 

ティオは長命の種族らしい、戦場を知る者としての落ち着きと戦術的な視点で、愛子たちを諭すように言葉を紡ぐ。

 

「仮にこの場に残り、大群と戦う、あるいは黒ローブの正体を確かめるという選択をしたとして。

……万が一、運悪く全滅でもしたら。一体誰が町にこの危機を報告するのじゃ?」

「っ……それは……」

「町は数万の魔物の不意打ちを食らうことになる。

ウルの町にいる何万人という無関係な民の命と、お主の生徒一人の命……天秤にかけるまでもあるまい?」

 

愛子の顔から、サァッと血の気が引いた。

理路整然と突きつけられた事実。自分たちの「確かめたい」という情が、ウルの町全体を破滅のリスクに晒す。

如何に無意味で無謀な我が儘であるかを理解させられたのだ。

 

「今は町に危急を知らせるのが最優先じゃろ?」

 

ティオの優しくも厳しい言葉に、愛子もそれが最善だと認めざるを得なかった。

清水への心配は一時的に心の奥底に押し込み、まずは町への知らせと、今ここにいる生徒たちの安全の確保を優先することを決断する。

 

「……分かりました。帰りましょう、ウルの町へ」

 

愛子のその言葉を聞き届け、うみは一つ頷いた。

方針が決まり、一行が急ぎ下山のための隊列を組もうとした時のことだ。

 

「っ……くっ」

 

立ち上がろうとしたティオが、足元をおぼつかせ、岩場に手をついて膝を折った。

先ほどの戦闘と長時間の洗脳による魔力枯渇の影響で、まともに歩くことすら困難な状態なのだ。

 

「ティオさん、大丈夫ですか!?」

「す、すまぬ……魔力が枯渇していての。少し休めば歩けるようになるのじゃが……」

「悠長に休んでる時間はないよ。その状態で歩かれてもペースが落ちるし」

 

愛子が駆け寄る中、うみがスタスタとティオの元へ歩み寄る。

そして、彼女の白く滑らかなおでこに、ピトリと自身の人差し指を当てた。

 

「仕方ないから。すこしだけ分けてあげる」

「えっ? 月影君、何を……?」

「ちょっと、こしょばいかもね」

 

愛子が不思議そうに首を傾げる目の前で、うみの指先から凄まじい密度の魔力がティオの体内へと注ぎ込まれ始めた。

 

「……んっ、ぅ……」

 

突如として直接体内に流れ込んできた高密度の魔力に、ティオの体が微かにビクンと跳ねる。

空っぽに干からびていた器に、純度の高い魔力が直接流し込まれる。

その急激な感覚に、ティオはうっすらと頬を朱に染め、小さく熱を帯びた吐息を漏らした。

 

愛子や生徒たち、そしてウィルには魔力の流れが視認できない。

そのため、うみがティオのおでこに指を当てた途端、彼女が微かに顔を赤らめて色っぽい吐息を漏らした状況が全く理解できず、ポカンと口を開けている。

しかし、魔法の天才であるユエや、直接魔力を注ぎ込まれているティオ自身は、その行為の異常性を正確に理解していた。

 

膨大な魔力総量を誇るティオの枯渇した器を、たった数秒で半分近くまで満たしてしまうほどの暴力的なまでの奔流。

それほどの魔力を他人に渡してなお、うみ自身の魔力には全く底が見えないのだ。

 

「……こんなもんかな。流石に全快とはいかないけど、走って帰る分には十分でしょ」

 

適量の魔力を流し終え、うみが指を離す。

 

「……ふぅ。な、なんという……」

 

ティオはほんのりと顔を紅潮させながら、己の体内に満ちた力に信じられないものを見るような目を向けた。

それから、涼しい顔をしている目の前の少年に戦慄を帯びた眼差しを向ける。

 

「主……一体どれほどの底知れぬ器をしておるのじゃ……。妾の魔力を半分も満たして、息一つ乱さぬとは……」

 

ティオの呟きと様子に、ここでようやくうみが『魔力を分けていた』ことに気づいた愛子やウィルたちも「月影くんの魔力ってどうなってるの……?」と再度ドン引きしている。

だが、うみはそんな周囲の反応やティオの視線を気にする様子もなく、パンパンと軽く手を払った。

 

「さあ、帰るよ。走るから遅れないでね」

 

うみの号令により、一行は動き出す。

眼下に広がる黒い山脈。そのさらに奥では、数万の魔物の大群という真っ黒な絶望が蠢いている。

一行は、背後にその恐るべき暗雲を背負いながら、急ぎウルの町への帰路についた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。