浮遊艇は、行きよりもなお速い速度で、ウルの町への帰り道を爆走していた。
当然、未舗装の悪路を走っているのだが、この浮遊艇はリニアモーターカーと同じ原理で地面から浮き上がって進むため、車体への振動は一切ない。
しかし、いかに振動がないとはいえ、窓の外を線になってカッ飛んでいく景色の異常なスピードは、どう見ても数百キロは出ている。
ゆったりとした向かい合わせのシートに座る男子生徒たちは、「もしこの速度で何かにぶつかったら」という、視覚から来る圧倒的な恐怖に顔を真っ青にして、必死にシートにしがみついていた。
その時。
ウルの町と北の山脈地帯のちょうど中間辺りの場所で、うみの『気配感知』が前方の異常を捉えた。
車体をドーム状に覆う半透明の魔力の層越しに視認すると、前方から完全武装した護衛隊の騎士達が、猛然と馬を走らせてくる姿が見えた。
先頭を鬼の形相で突っ走るデビッドや、その横を焦燥感の隠せていない表情で併走するチェイスの姿がはっきりと見える。
しばらく走り、彼らも前方から爆走している浮遊艇を発見したのか、にわかに騒がしくなる。
彼らから見れば、こんな凄まじい速度で接近してくる正体不明の黒い物体など、どう見ても魔物にしか見えないだろう。
騎士たちは即座に武器を取り出し、隊列が横隊へと組み変わる。魔法の詠唱準備に入る者もいる。
その対応の速さは、流石は超重要人物の護衛隊と賞賛できる鮮やかさだった。
普通なら、そのまま問答無用で先制攻撃を仕掛けるところだが、先頭のデビッドが手を水平に伸ばし、ギリギリのところで攻撃中断の合図を部下達に送った。
デビッドの中の何かがストップをかけたのだ。
言うなれば、高感度愛子センサーともいうべき愛子専用の第六感。
『あの謎の黒い物体の中に、愛子がいる気がする』という、理屈を超えたある種の特異能力である。
突然の命令に部下達が怪訝そうな顔をする中、当の浮遊艇の車内では。
「月影くん! このままじゃ攻撃されちゃいますよ! なにか、外に声を届ける方法は!?」
前方から迫る騎士たちが完全に迎撃態勢に入っているのを見て、ちょっとしたパニックを起こしていた。
別に、攻撃されたところで、うみとしてはそのまま突っ切ればいいので何の問題もなかった。
だが、愛子はそんな風に思える訳もなく、うみの腕を掴んで必死に訴えかけている。
「えー。……さすがにそんなの用意してないですよ」
前方で待ち構える騎士たちの迎撃態勢を視認し、うみは小さく息を吐いた。
このまま強行突破してもいいが、無駄な魔法を撃ち込まれて車体が揺れたり、後で文句を言われたりするのも鬱陶しい。
しかし、この浮遊艇に拡声器のような便利な設備は搭載されていないし、うみ自身もそれに類する技能は持ち合わせていなかった。
そのため、うみは即席でオリジナルの魔法を作ることにした。
せっかく魔法を構築するのだから、ただ声を大きくするだけの「拡声器」にしか使えない魔法では勿体ない。
呪術師としての合理的な判断に基づき、うみはもっと汎用性の高い効果を持つ魔法をベースにすることにした。
採用したのは、極めてシンプルな『波を増幅する』魔法だ。
例えば『猫だまし』で生じる微小な衝撃波であっても、魔法で数十倍、数百倍に増幅してしまえば、それだけで人体を破壊しかねない攻撃に化ける。
うみは指先をすっと伸ばし、浮遊艇を覆っている半透明の『魔力の層』へと直接干渉した。
魔法のシステムに頼るのではなく、彼自身の緻密な魔力操作によって、層の性質を局所的に弄る。
車内から発せられる音波の『指向性』を前方のみへと完全に限定し、そこに先ほどの増幅の魔法効果を上乗せしていく。
「――小さき波紋よ、大いなるうねりとなりて響け――〝
短い呪詞の詠唱を紡ぐと、愛子の目の前にある魔力の層の一部が、薄く波打つように淡く光った。
「先生。その光ってる部分に向かって声を出せば、外に届きますよ。嫌ってほど、ね」
「えっ? は、はいっ! デビッドさーん! 私ですー! 攻撃しないでくださーい!」
愛子が光る部分に向かって声を張り上げる。
その声は魔法によって増幅され、指向性を持ったまま、前方の騎士たちへとピンポイントで届けられた。
やがて近づいてきた黒い物体――ドーム状の半透明の壁の向こう側から愛子の声が響き、その姿を視認した部下たちは目を丸くする。
デビッドは既に、信じられないという表情で「愛子?」と呟いていた。
愛子が無事であると悟ったデビッド達は、安堵と共に喜びをあらわにした。
そして、シチュエーションに酔っているのか恍惚とした表情で「さぁ! 飛び込んでおいで!」とでも言うように、両手を大きく広げたのだ。
隣ではチェイス達も、自分の胸に! と両手を広げていた。
(……ちょっと……気持ち悪いかも……)
騎士達が、恍惚とした表情で両手を広げて待ち構えている姿に、うみは心底嫌そうな顔をする。
愛子達は当然デビッド達の手前でうみが止まってくれるものと思っていたのだが……。
浮遊艇は一向に減速する気配を見せず、そのまま直進し続けていく。
距離的に明らかに減速が必要な距離で、一切減速の気配を見せない黒い物体に騎士達がギョッとし、慌てて進路上から退避する。
うみの操る浮遊艇は、笑顔で手を広げるデビッド達の横を、凄まじい風圧を巻き起こしながら問答無用に素通りした。
愛子の「なんでぇ〜っ!?」という悲鳴じみた声がドップラー現象を起こしながら後方へと流れていき、デビッド達は笑顔のまま固まった。
そして、次の瞬間には、「愛子ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」と、まるで恋人と無理やり引き裂かれたかのような悲鳴を上げて、猛然と浮遊艇を追いかけ始めるのだった。
デビッド達を凄まじい風圧と共に置き去りにした車内では、愛子がプンスカと怒りながら、うみに猛抗議を始めていた。
「月影くん! 何で止まってくれなかったんですか!? どうしてあんな危ないことを!」
「……先生」
「な、なんですか!」
少し呆れたようなうみの声色に、愛子がビクッと肩を揺らす。
「あの距離で急に止まれるわけないでしょ。今、何キロ出てると思ってるんですか……」
「……な、何キロなんですか?」
おずおずと尋ねる愛子に、うみは平然と答える。
「二百」
「出し過ぎです! スピード違反ですよ!」
その速度に驚愕し、愛子は思わず叫んでしまった。当然ながら、この異世界に交通ルールなど存在しないのだが。
「残念ながら、当車の最低速度となっております」
「さ、最低速度!?」
「ええ。原理的にどうしても」
うみの短い返答に、周囲のシートにしがみついている男子生徒たちが「これで最低速度……」とさらに顔を青ざめさせた。
「話し戻しますけど、あそこで止めたら事情説明させられてましたよ。
どうせ後で町で説明するんです。二度手間で時間を浪費するだけでしょう?」
「うっ、た、確かにそうです……」
論理的に諭され、若干納得いってなさそうではあるものの、時間が惜しいという正論には抗えず、愛子はぐぬぬと口をつぐんだ。
そんな愛子から視線を外したうみの耳元へ、隣に座っていたユエが顔を寄せ、そっと尋ねた。
「……本音は?」
「別に今のは嘘とかじゃないんだけど……」
うみは少しだけ言い淀み、ポツリとこぼした。
「まあ、その……ちょっと気持ち悪いなぁって思って」
「……ん、同感」
「うみくんにそこまで言わせるとは、なかなかですね」
普段のうみからはまず出ない直球の言葉に、ユエが深く頷き、シアが呆れ半分といった様子でツッコミを入れた。
***
ウルの町に着くと、愛子達は焦燥感に駆られたまま、足をもつれさせる勢いで町長のいる役場へと駆けていった。
うみとしては、ここで愛子達と別れて、さっさとウィルを連れてフューレンへ戻ってしまおうと考えていた。
しかし、ウィルが誰よりも早く駆け出して行ってしまったため、仕方なく後を追う羽目になる。
魔物の大群が迫っていることなど露知らず、ウルの町の中は活気に満ちていた。
料理が多彩で豊富、近くには湖もある観光の町だ。道の両脇には様々な屋台が立ち並び、香ばしい匂いが漂ってくる。
「そういえば今日は、出がけにもらったおにぎりしか食べてなかったか」
漂ってくる匂いに釣られたうみは、ふと自分の空腹を思い出した。
せっかくなので、目につく屋台を片っ端から巡っていく。
うみは迷わずそれらを購入すると、ユエやシア、そしてティオにも振る舞った。
彼らは緊迫した状況を一時忘れるかのように、美味しい屋台飯に舌鼓を打ちながら、のんびりと役場へと歩いていくのだった。
うみ達が役場に到着した頃には、中は既に喧々囂々たる有様だった。
ウルの町のギルド支部長や町の幹部、教会の司祭達が集まり、愛子やウィルがもたらした『数万規模の魔物の大群が迫っている』という信じがたい情報に、信じたくないという思いから詰め寄っている。
ちなみに、ティオの正体が竜人族であることと、今回の件の黒幕が清水幸利である可能性については、愛子の判断により伏せられていた。
そんな喧騒の中心である会議室へ、うみは周囲の混乱などどこ吹く風といった様子で、のんびりと入っていった。
「ねぇ、ウィル。あんまり勝手な行動しないで。自分が保護対象だって自覚ある?
報告が済んだなら、さっさとフューレンに戻るよ」
危急の話し合いに横槍を入れたうみに、町の重鎮たちは「誰だこいつは」と不愉快そうな目を向ける。
一方のウィルは、信じられないという顔でうみに問い詰めた。
「な、何を言っているのですか!? 今は、危急の時なのですよ? まさかこの町を見捨てるつもりでは……」
悲痛な声に、うみは面倒そうに返す。
「見捨てるもなにも、どのみちこの町は放棄して避難するしかないでしょ。
観光の町の防備なんてたかが知れてるし。
どうせ避難するなら、目的地がフューレンでも同じことだよ。
ちょっと人より早く避難するだけの話」
「そ、それは……そうかもしれませんが……でも、こんな大変な時に、自分だけ逃げるなんてできません!
手伝えることが何かあるはず……月影殿もどうか協力を!」
必死に食い下がり、黒竜をも倒したうみに協力を求めるウィル。
しかし、うみはそれを静かに聞き終えると、短く一言だけ告げた。
「……却下」
「な、なぜ……」
即座に切り捨てられ、ウィルが言葉を詰まらせる。
うみは指を折りながら、淡々と理由を並べ立てていく。
「一つ。俺たちの仕事はウィルをフューレンに連れ帰ること。
二つ。一つ目の延長だけど、保護対象をこんな危険な場所に置いておくわけにはいかない。
三つ。冒険者としての信頼性担保のために、複数案件の掛け持ちは規定で禁じられてる」
三つの理由を挙げ終えたうみは、静かに問いかけた。
「……理解した?」
ウィルは言葉を発しようと口を開きかけるが、音にならない呼気だけが漏れる。
うみの突きつけた理由は、冒険者としての掟から護衛任務の基本に至るまで、表面上はどこまでも真っ当な理屈で構築されており、入り込む隙が一切なかった。
反論を完全に封じられ、顔を強張らせて沈黙するウィル。
うみはそんな彼をさっさと連れ帰るべく、無言で歩み寄っていく。
正論の暴力によってウィルが沈黙し、周囲の重鎮たちも口を出せない異様な空気の中。
ウィルへと歩み寄るうみの前に、ただ一人、決然とした表情で立ち塞がる影がある。
その影――愛子は、うみから発せられる冷たい威圧感にも怯むことなく、決然とした表情で彼を真っ直ぐに見上げた。
「月影くん。あなたなら……この魔物の大群をどうにかできますか? いえ……できますよね?」
愛子が確信を持った声で言い放つと、周囲で様子を窺っていた町の重鎮たちがざわめいた。数万の魔物群を一個人でどうにかできるなど、常識ではあり得ないからだ。
行く手を阻まれ、歩みを止めたうみは面倒そうにため息をつくが、「無理だ」とは断言しない。
「さあ、どうですかね。数が数なうえに、一匹一匹のスペックが分からない以上、どうにかできるとは言いきれませんね。……まあ、死なない自信はありますけど」
その返答に対し、愛子は食い下がる。
「でも、ウィルさんに『何とかできるのでは?』と聞かれた時、あなたは『リスクが大きい』と言っただけで、『出来ない』とは言いませんでしたよね?」
愛子の妙なところだけ良い記憶力と鋭い指摘に、うみは「……よく覚えてますね」と渋い顔をした。愛子は一歩も引かず、真剣な表情で頼み込む。
「月影くん。どうか力を貸してもらえませんか。このままでは、多くの人の命が失われます」
その言葉を聞いて、うみは少し目を見張り、意外そうに呟いた。
「……まさか、先生からそんな言葉が出てくるとは。
先生は『生徒の安全第一』だとばかり思ってましたけど、意外と周りにも目を向けてるんですね」
うみとしては、嫌味でも何でもなく、愛子の視野の広さや責任感に対して純粋な感心を口にしただけだった。
しかし、いっぱいいっぱいになっている愛子は、その言葉を「見ず知らずの他人のために、大事な生徒を死地に送るのか」という皮肉交じりの非難だと勘違いしてしまう。
「うっ」と一瞬言葉に詰まる愛子だったが、すぐに反論を始めた。
「……元の世界に帰る方法があるなら、すぐにでも生徒達を連れて帰りたい。
その気持ちは変わりません。
でも! だからといって、今この世界で生きている人たちを見捨てていい理由にはなりません!」
そして愛子は、少し悲しそうな、しかし決然とした「教師」の顔になってうみに語りかける。
「月影くん。あなたにはあなたの考え方があるのだと思いますし、先生がそれを強制して変えさせるようなことはしません。
でも……自分の手の届く範囲しか見ようとしない、それ以外の一切を切り捨てるような生き方は……とても悲しいことだと、先生は思うんです。
きっと、その生き方は、いつかあなた自身を孤立させて、苦しめることになります。
だから、どうか……出来る範囲でいいから、他者を思い遣る気持ちを忘れないで下さい」
一通り説教を聞き終えたうみは、ポカンとした顔で、少し困ったようにポリポリと頬を掻いた。
「……あの、先生。俺、別に手を貸さないとは言ってないんですけど」
「……え? だって、今、却下って、理由が三つとか……」
熱弁を振るっていた愛子は、予想外の返答に完全に拍子抜けした。
うみは小さくため息をつき、呆れたように返す。
「そりゃあ複数案件の掛け持ちはできないですからね。先生なら、社会人として仕事のケジメくらい分かりますよね?」
うみはそれ以上直接的な答えは口にせず、代わりに淡々と計算だけを述べる。
「ここからフューレンまで、浮遊艇の最高速なら片道二時間。往復で四時間。
魔物の進行速度からみて猶予は一日ってところですか……まあ、十分すぎるくらいですよね」
その言葉を聞き、愛子や生徒たち、そしてウィルの表情がハッとしたものに変わる。
つまりうみは最初から、「ウィルを送り届けて依頼を完了させてから、防衛戦を手伝いに戻ってくる」という、
浮遊艇の圧倒的な機動力にものを言わせたプランを組んでいたのだ。
自分の熱烈な説教が完全に的外れだったことに気づき、愛子は顔を真っ赤にして恥ずかしがる。
「な、なら最初からそう言ってくれれば……!」
「いや、先生が勝手に勘違いして説教始めただけでしょ」
抗議する愛子を冷たくあしらうと、うみは話は終わったとばかりに、へたり込んでいたウィルの襟首を無造作に掴んだ。
「ひぃっ!?」と情けない声を上げるウィルを、文字通り荷物のようにズルズルと引きずりながら、役場の出口へと向かって歩き出す。
役場の出口に差し掛かったところで、うみはふと足を止めた。
振り返らず、先ほどまでの呆れたような態度は消え、少しだけ声の温度を落として愛子に語りかける。
「先生。さっきの説教……一つだけ訂正してください」
その静かで冷ややかな声に、愛子はビクッと肩を揺らす。
「『自分の手の届く範囲しか見ようとしない』じゃないんです。
……どれだけ力を持っていようと、結局のところ、人間には『自分の手の届く範囲』のことしかどうしようもないんですよ」
その言葉は、彼がこれまでに積み重ねてきた過酷な経験と、先達からの教えに裏打ちされたものだった。
数多の術師が命を懸けて呪霊を祓い続けても、毎年一万人近い人間が呪霊被害によって消えていくどうしようもない現実。
最強と謳われた存在でさえ、たった一人の親友を救いきれなかったという事実。
そして何より――うみ自身が慕っていた呪術師すらも渋谷の凶行の中で理不尽に命を散らしたという喪失の記録。
自分がその現場に居合わせることすらできなかったという無力感。
「どんなに強くなったって、その『手の届く範囲』が少し広くなるだけです。
その外側のことなんて、どうしようもない。
……だから俺は、自分の手の届く範囲にあるものだけは、絶対に取り溢さないように優先順位をつけてるだけです」
うみは背を向けたまま、最後にぽつりと付け足す。
「……まあ、平和な世界しか知らない先生には、分からないでしょうけどね」
その言葉を残し、うみはウィルを引きずりながら役場を出て行く。
残された愛子は、うみの背中を見つめたまま立ち尽くす。
彼の言葉の端々に滲む、ただの高校生とは思えない重い現実や喪失の気配。
そのすべてを理解することはできなくとも、
彼が並々ならぬものを抱えていることだけは確かに感じ取り、愛子はただ言葉を失うのだった。
役場を出て、町の外れに出たところでうみは収納から黒塗りの浮遊艇を取り出し、ティオに町へ残るよう指示を出した。
「ティオさんはここに残って。俺たちが戻るまでの間、町の中で変な真似をする奴が出ないか見張っててほしいんだけど」
「ふむ? 変な真似とはなんじゃ?」
「危機感に当てられて無謀な討伐隊を組んで突撃しようとする馬鹿とか、そういう魔物へアクションをかけようとする事柄全部かな。下手に刺激して進行速度を上げられたら、帰ってくるのが間に合わないかもしれないし」
「なるほどな。外の敵ではなく、内の不和を見張れと。……まあよかろう。あr……うみ殿の帰りを大人しく待っておるぞ」
ティオはあっさりと承諾し、うみ達を見送るのだった。
***
浮遊艇にウィルを放り込み、全員が乗り込んだのを確認すると、浮遊艇は凄まじい加速でウルの町を後にした。
窓の外を線になって流れていく景色に、ウィルは「ひぎぃっ!?」と情けない悲鳴を上げ、顔を真っ青にしてシートにしがみついている。
そんなウィルを放置し、向かいの席に座るユエとシアがうみに視線を向ける。
「……うみ、怒ってる?」
ウィルの悲鳴に被せるように、ユエがふと尋ねてきた。
「……? 怒ってないけど、どうして?」
本気で不思議そうに首を傾げるうみに、シアが少し恐る恐る口を開く。
「その、愛子先生に対する言い方が……いつもより少し冷たいというか、感情的になっているように見えたので……」
「……少し、不機嫌に見えた」
二人の指摘に、うみは少しだけ考える素振りを見せ、「ああ、そういうこと」と納得したように頷いた。
そして、流れる外の景色へ視線を移し、ポツリとこぼす。
「怒ってはないよ。ただ……まあ、ちょっとムキにはなっちゃったかな」
「「ムキに?」」
予想外の言葉に、ユエとシアが小さく声を揃える。うみは自嘲気味に小さく息を吐いた。
「『手の届く範囲しか見ようとしない生き方』って言われた時さ……。
なんか、
少しでも呪霊の被害を減らすために努力して、命がけで戦ってる先輩たちのことをなかったことにされてるというか……」
うみの脳裏に、かつて人知れず非術師のために命を懸け、そして散っていった同胞たちの姿が過る。
「……
俺も、その辺はちゃんと割り切れてると思ってたんだけど……まだまだ、子供なのかな」
どこか遠くを見るような、それでいて、大人になりきれていない己を省みるようなうみの横顔。
彼のその「幼さ」――同胞を思ってムキになる不器用な優しさに触れ、ユエがそっとうみにすり寄り、その腕を抱きしめる。
「……別に普通のこと。うみは、そういう人」
シアもうみの対面に座ったまま、うんうんと深く頷いて微笑んだ。
「ええ! うみくんは、仲間のことをすごく大事にする人ですからね!」
『そーそー。身内に激甘なのがうみくんだからねぇ〜』
ウィルがいる手前、声には出さず念話で茶化してくるミレディの言葉も脳内に響く。
身内を何よりも優先する自分の性質をよく理解し、全肯定してくれる彼女たちの温もりに、うみは少しだけ照れたように視線を外した。
「……ありがと」
小さくこぼれたうみの感謝の言葉を乗せ、浮遊艇は一路フューレンへと爆走していくのだった。
予定通り、片道二時間でフューレンの街へと帰還したうみ達は、冒険者ギルドの支部長室へ直行した。
部屋に入るなり、これまで顔色を悪くしていたウィルが、イルワに向かって突撃する。
「支部長! 大変なのです! 数万の魔物が! ウルの町が危ないのです! 早く援軍を!」
焦りと興奮で支離滅裂にまくしたてるウィル。主語がなく状況が全く掴めない報告に、イルワが困惑して眉をひそめた。
そこへ、背後から歩み寄ったうみが「……ちょっと黙ってて」とウィルの脳天に軽い手刀を落とす。
「あべっ」
カエルが潰れたような声を上げ、ウィルは頭からぷすぷすと煙を上げながら床に沈没した。
静かになった室内で、うみはイルワに正確かつ端的に事実を伝える。ウルの町に数万規模の魔物群が迫っていること、進行速度と猶予時間についてだ。
報告を聞いたイルワは驚愕し、血相を変えた。
フューレンから直ちに援軍を出しても距離的に間に合わず、そもそも数万相手では通常の冒険者を送っても犬死にするだけだ。
「魔物の処理は俺たちがやります」
頭を抱えかけたイルワに、うみが淡々と告げる。
「おお! うみ君がそう言ってくれるなら、これほど心強いことはない!」
「ただ、タダ働きはしませんよ。ギルドの緊急依頼として処理してください」
「もちろんだ! ギルドの出せる最大額を……」
「お金はいりません。報酬は『貸し一つ』で」
その言葉を聞いた瞬間、イルワはピタリと動きを止め、少しだけ顔をしかめてうみを見据えた。
「……貸し一つ、か。大都市フューレンのギルド支部長に、内容不問の白紙手形を要求するとは。
金貨の山を要求された方が、まだ交渉としては気が楽だったのだがね」
イルワは、目の前の少年が要求する「貸し」の恐ろしさ――今後、ギルドとして無視できない無理難題を吹っかけられる可能性――を正確に理解していた。
うみは床で倒れ伏しているウィルを指さし、平然とした態度で返す。
「そこのダメ貴族の捜索とはレベルが違う案件なんだから、当然の要求だと思いますけど?」
イルワはしばらく思案したのち、諦めたように小さく息を吐いた。
「……いや、町一つが救われるなら安いものだ。それに、君達の後ろ盾になると約束した手前もある。その条件を呑もう」
かくして、うみ達は正式にウルの町防衛を受注し、再び町へととんぼ返りすることになるのだった。
***
フューレンの冒険者ギルドを後にし、うみ達は再び浮遊艇へと乗り込んでいた。
ウィルをギルドへ引き渡し、やかましい悲鳴が消えた車内には、本来の平穏が戻っている。
浮遊艇は、先ほど来た道をなぞるように、再び圧倒的な速度でウルの町へと爆走していた。
流れる景色をぼんやりと眺めていたうみは、ふと思い出したように視線を車内に戻し、口を開いた。
「今回は三人……いや、向こうで待機してるティオさんも入れて、四人に結構頑張ってもらうことになるから」
その言葉に、向かいに座るユエとシアが反応する。
「……ん。任せて」
「はい! お姉ちゃんの力、存分に見せつけてやりますよ!」
やる気十分に頷く二人。すると、うみの腕に抱えられたミレディから、念話が飛んできた。
『えっ、私も!?』
「そう。ミレディは初陣だよ」
淡々と告げるうみに、『マジで!? よっしゃあ! ついに私の出番! 暴れちゃうよぉ〜!』と、ミレディはテンション高く歓喜の声を上げた。
「でも、どうして私たちに頑張ってもらうんですか? うみくんなら数万が相手でも何とかなりそうですけど」
シアが、ウサミミをピコピコと揺らしながら純粋な疑問を口にする。
確かに、うみ単独の機動力と殲滅力があれば、数万の魔物群であっても単騎で蹂躙することは不可能ではない。
しかし、うみは静かに首を横に振った。
「今回は、今までや北の山脈での戦闘とは状況が違うんだよ」
「状況……ですか?」
「ああ。ウルの町には愛子先生たちだけじゃなく、教会の神殿騎士たちがいるから」
その言葉で、ユエが「……なるほど」と納得したように小さく呟いた。
うみは言葉を続ける。
「俺たちはいずれ、教会と確実にやり合うことになる。
だから、今はまだ『呪術』を隠しておきたい。
だから、今回の防衛戦で俺が表立って使うのは『魔法』と『アーティファクト』だけに限定する。
あくまで、『錬金術師』として立ち回るつもり」
「……徹底してる」
「だからその分、ユエたちには負担をかけることになると思う」
うみが申し訳なさそうに言うと、ユエはふるふると首を振り、「うみの役に立てるなら、嬉しい」と微笑んだ。
シアも「どんとこいですよ!」と胸を張る。
「まあ、強力な『呪具』に関しては『俺が作ったアーティファクトだ』って言い張れば問題ないだろうから、ガンガン使うけどね」
しれっと付け足されたその言葉に、ユエがジト目を向ける。
「……悪い顔」
「あはは……錬金術師って、すごく便利な言い訳になりますねぇ……」
悪びれる様子もないうみの態度に、シアが呆れたような乾いた笑いをこぼす。
「そういうズル賢いところ、嫌いじゃないよ!」というミレディの茶化す念話を聞き流しながら、浮遊艇を走らせていくのだった。
***
ウルの町へ帰還したうみ達は、息つく暇もなく防衛戦の準備に取り掛かった。
大規模な陣地構築に関しては、全属性に適性を持つユエに任せた方が圧倒的に速い。
そのため、うみは全体への的確な指示出しと、トラップの敷設へと注力していた。
「ユエ。町の外周を囲むように、深さ五メートル、幅十メートルくらいの『堀』を作って。
その後ろに、魔物の侵攻を遅らせるための『外壁』と、対空設備を置くための『櫓』を隆起させてほしい」
「……ん。任せて」
うみの指示を受け、ユエは規格外の土魔法を無詠唱で連続発動させる。
ズゴゴゴォォッ!という凄まじい地響きと共に、ウルの町の外周に沿って、大地が意志を持ったかのように削り取られ、同時に堅牢な外壁と見上げるほど高い櫓が次々と錬成されていく。
「シアはこれ持ってって。町と山脈の間の平原に、あるだけ全部埋めてきて」
うみは、空間収納の術式『カゴ』から大量の金属製の円盤を取り出し、シアに手渡した。
「なんですか、これ?」
「一定重量以上に反応して魔法が発動する地雷。前に作ったはいいんだけど、俺たちって定点戦闘しないじゃん?
だから、全く使う機会がなくてお蔵入りになってたんだよね」
「なるほど! 私の足なら、広範囲にばら撒いてこれますね! 任せてください!」
シアはウサミミをピンと立てると、身体強化の魔法で弾丸のように荒野へと飛び出していった。
それから数時間が経過し、空に朱が差す頃。
うみ達が着々と防衛陣地を構築していく裏で、ウルの町の中では愛子たちの奮闘によって状況が大きく動いていた。
数万の魔物接近の報せに一度はパニックに陥った町民たちだったが、愛子――〝豊穣の女神〟としての彼女の決死の呼びかけによって、人々は冷静さを取り戻していたのだ。
避難組は既に町を去り、残っているのは「自分たちの町は自分たちで守る」という決意を固めた徹底抗戦組だった。
人は減ったものの、町の中はむしろ異様な熱気と活気に包まれ、物資の運搬や武器の調達が急ピッチで進められている。
(……この世界だと、先生って結構な発言力や影響力があるのか? なら――)
堀と外壁の構築、そして地雷の敷設といった大掛かりな防衛準備がひと段落した頃。
防衛の要所となる外壁の上で一人、眼下で熱狂する町民たちの様子を見下ろしていたうみは、ある計画を思いついた。
それは、今後の迷宮攻略の旅において、確実に敵対することになる『教会』への布石である。
うみは周囲に誰もいないことを確認すると、腕に抱えていたミレディに向かって、こっそりと囁いた。
「ごめんね。ミレディにとっては、あんまり面白くないことするかもしれない」
かつて神に反逆した彼女の信条を思えば、これから取ろうとしている手段は、決して気持ちの良いものではないだろうという、うみなりの配慮である。
しかし、ミレディからの返答は軽いものだった。
『ん? なんか企んでるの? まあよく分かんないけど、うみくんの好きにしなよ! 私はうみくんの味方だからさ!』
「そ。ありがと」
ミレディの陽気な声にうみが小さく微笑んだ直後、下から声が掛かった。
「月影君。準備はどうですか?」
振り返ると、外壁の下に愛子や生徒たち、ティオ、そしてデビッドたち護衛騎士がやってきていた。
地雷の敷設を終えたシアとユエも、彼らと合流してこちらへ向かってきている。
「特に問題ありません。強いて言うなら、全員避難してくれればよかったのにってところですかね。普通に邪魔です」
うみは、戦意を高揚させている町民たちを冷めた目で見下ろしながら、容赦のない本音をこぼした。
「おい貴様! 民たちの決死の覚悟を愚弄するか!
それに、愛子が……自分の恩師が声を掛けているというのに相変わらずその不遜な態度は――」
「デビッドさん。少し静かにしていてもらえますか?」
「うっ……承知した……」
うみの冷淡な言葉に我慢しきれず食ってかかったデビッドだったが、愛子にピシャリと一喝されると、途端に忠犬のようにシュンと尻尾を巻いて黙り込んだ。
「月影君の言うことも尤もですが、彼らも自分たちの居場所を守りたいんです。どうか、大目に見てあげてください」
愛子は苦笑混じりにフォローを入れると、少しだけ表情をこわばらせて本題を切り出した。
「それより、黒ローブの男のことについてですが」
うみが視線で続きを促すと、愛子は苦悩の表情を浮かべた。
「……もし本当に清水くんなら、教師として止めなければなりません。だから、どうか彼を殺さないで……」
「……それは、相手次第ですね」
うみは安易な確約はせず、淡々と現実的な条件を提示した。
「もし、その黒ローブの男が俺と同レベルの力を持っていた場合、手加減して生け捕りにするような余裕はありませんから。
……まあ、余裕があれば引きずり出してきますよ。その後の処分は、先生のお好きなように」
うみの現実的でシビアな、しかし彼なりの最大限の譲歩を含む言葉に、愛子はホッと安堵の表情を浮かべ、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、月影君……」
清水の処遇についての話が一段落したところで、今まで後ろに控えていたティオが、真剣な面持ちでうみの前に進み出た。
「うみ殿。この戦いが終わった後、妾も主らの旅に同行させてはくれまいか」
「……どうして? ティオさんにはりゅ……じゃなかった、自分の仕事があるんでしょ?」
近くに護衛騎士たちがいるため、うみは機転を利かせて種族に関する事柄を伏せつつ、フラットに尋ねた。
ティオは騎士のように優雅に片膝をつき、真っ直ぐにうみを見据える。
「理由は二つある。一つは、調査任務は主の傍にいることが最も効率的だと判断したからじゃ。
そしてもう一つは……妾は、お主に純粋に惚れ込んでしまったのじゃ」
その『惚れ込んだ』という言葉に、周囲の空気がピクッと反応した。
特にユエの目がジトッと細められ、後ろにいた園部がビクッと肩を揺らす。
その不穏な空気を察知したティオは、慌てて弁明を口にした。
「あ、誤解しないでほしいのじゃ! 惚れたと言っても、ユエ殿や優花殿のそれとは別じゃぞ!?
あくまで武人として、その強さと器に惹かれたという意味じゃ!」
「……なら、いい」
「わ、私っ、別にそういうのじゃっ……!? なんでそこで私の名前が……ブツブツ」
ユエが納得して矛を収める横で、園部が顔を真っ赤にして何やら早口で独り言を呟き始める。
うみは「?」と首を傾げながらも、ティオの言葉の先を促した。
「つまり、俺の強さを見込んで、ってこと?」
「うむ。……妾は、故郷では一、二を争うほどの実力者じゃった。
それこそ、誰かに組み伏せられることなど、今の今まで一度もなかった」
ティオは、近くにいる護衛騎士たちに自身が「竜人族」であることを隠すため、あえて言葉をぼかしながら、うみとの戦闘の顛末を語り始めた。
しかし、その彼女特有の古めかしく大げさな言葉選びが、致命的な誤解を生むことになる。
「それがじゃ……あの日、お主に手も足も出ず、完全にボロボロにされ、組み伏せられた……!
妾の頑強な守りをあんなに乱暴に引き剥がし、妾の体の奥深くまで直接叩き込んだのは、お主が初めてなのじゃ!」
「…………」
「あんなに激しく内側から蹂躙されて……妾の体は今も、お主に刻み込まれた衝撃を忘れられずに疼いておる!
完全に『わからされて』しまったのだから……妾がお主の『従者』として仕えるのは、当然の理であろう!」
ティオ本人は、『己の全てを容易く打ち砕いた絶対的な力への畏敬と崇拝、そしてそれに伴う圧倒的な敗北感』について、純粋に熱弁しているだけである。
しかし、事情を知らないデビッドたち護衛騎士や思春期真っ只中な生徒たちからすれば、その言葉は完全に別の意味にしか聞こえなかった。
「き、貴様ぁぁぁっ! この可憐で美しいご婦人に何というひどい暴行を!」
「月影君! 力尽くで女性を従わせるなんて、先生そんな風に教えた覚えはありませんよ!?」
デビッドたちが凶悪犯罪者を見るような目で剣を抜きかけ、愛子が顔を真っ赤にしてトンチンカンな説教を始める。
愛子自身、あの戦闘の顛末は直接見て知っているはずなのだが、ティオのあまりにセンセーショナルな言い回しに頭がショートし、真実が完全にすっ飛んでしまったらしい。
ユエやシアも事情を知っているはずなのに、「……うみ、ケダモノ」「いくらなんでも同意なしは最低ですよぅ……」と、面白がってうみを追い詰める側に回っていた。
(……おかしい。あらぬ誤解をかけられているはずなのに、語彙がおかしいだけで、言っている内容自体は何一つ間違ってないせいで、否定してもさらなる爆発が起きる未来しか見えない)
四面楚歌のカオスな状況に、うみは頭を抱えてウンザリとしたため息を吐いた。
「……まあ、ティオさんの同行については、ここでの働き次第ということで」
これ以上この場に付き合っていても泥沼化するだけだと悟り、強引に話を切り上げようとした、その時だった。
「!」
突如、うみの脳内に『異常』を知らせる情報が流れ込んできた。
あらかじめ誰の目にも触れないようこっそりと放ち、周囲数十キロの範囲に展開させていた響蝠が、北の山脈の方角から迫る巨大な反応を捉えたのだ。
響蝠が超音波の反響によって構築し、
主であるうみに共有する情報は、視覚的な色ではなく地形や物体の形を捉えた3Dイメージだ。
肉眼ではまだ見えない。
しかし、地形情報を塗り潰すように進軍してくる『おおよそ五万を超える群れの数』と『多種多様な魔物たちの形』、
そして上空の飛行型の魔物――その背に乗る『人型の反応』。
(……これは確かに人間だ)
色こそ分からないが、魔力と呪力の波長も的確に拾える響蝠の情報網により、空の人影が魔人族ではなく人間であることは明白だった。
「……来たか」
うみが目を細めてポツリと呟く。
その瞬間、先ほどまでのカオスな空気は霧散し、場は一気に張り詰めたものへと変わるのだった。