初任務から、一ヶ月が経った。
あの日の緊張は、もうほとんど残っていない。
……というより、毎日の訓練が忙しすぎて、
余韻に浸る暇なんてなかった、というのが正しい。
あの後数日たってから、呼び出されて正道さんのところへ行くと、
訓練の内容が少し更新された。
「精神的な負荷への耐性が目下の課題だ」
そう言われて、今までの訓練内容に加え、
"想定外"に慣れるための訓練が増えた。
具体的に言うと、"奇襲対処式訓練"。
授業中だろうが、訓練中だろうが、
はたまた廊下を歩いているだけだろうが、
突然、呪骸が襲ってくる。
しかもあいつら、器用にも呪力を隠して、
どこからともなく飛びかかってくる。
たまにパンダも混ざってた……
あいつ、絶対悪ノリだろ。
最初の一週間は、
心臓が何回止まったかわからない。
でも、慣れってすごい。
二週間目には、
「はいはい、また来た」くらいの気持ちで対処できるようになった。
そしたら、次の週から数が増えた。
分かってても対処しきれないよ....
それと、初任務から2週間くらいで、正式に術師登録もされた。
準二級だってさ。
窓口で伊地知さんから書類を渡されたとき、
なんだか妙に実感が湧いた。
(……やっと、呪術師になれた)
そのあと、2回任務に出た。
一回目は、また健人さんと一緒。
前は、健人さんが監督者だったから、
それでも緊張した。
一回目は、健人さんとの合同任務だった。
前回は監督者だったから手を出さなかったけど、
今回は“普通に戦う側”として同行してくれた。
相手は二級相当の呪霊。
健人さんが一歩踏み込んだ瞬間、
呪霊の体に"線"みたいなものが走って──
次の瞬間には、真っ二つになっていた。
あれが健人さんの術式なんだろうけど、
火力増強であろうことしか分からなかった。
二回目は、単独任務だった。
三級相当の呪霊が一体。
初任務と似たような内容だったから、
正直、余裕だと思ってた。
……思ってたんだけど。
相手が、やたら硬かった。
反射線で動きを乱して、
隙を作って、
呪具で斬り込んで──
それを何度も繰り返して、
ようやく祓えた。
うん。めっちゃ時間かかった。
あれの後、伊地知さんに確認したら、
30分も戦ってたんだって....時間かかりすぎ
反射線は便利だ。
移動にも、撹乱にも、奇襲にも使える。
俺の戦い方の“軸”になってる。
でも──
決定力が足りない。
硬い相手だと、どうしても削りきれない。
反射線は“当てる技”じゃない。
呪具だけで押し切るには限界があるし、
呪力による身体強化でのごり押しにはまだ体ができてない。
(……火力が欲しい)
単独任務を経験して、嫌というほど思い知らされた。
健人さんの術式。
あれなら、火力不足を補える。
反射線とは違う軸の攻撃が手に入る。
(うん。次に会ったときに教えてもらおう)
襲い来る呪骸をあしらいながら、そう思った。
***
翌日の訓練場。
いつも通り、健人さんは時間ぴったりに現れた。
「おはようございます。健人さん」
「はい、おはようございます。
では、今日の訓練を始めましょうか」
軽く挨拶を交わして、
健人さんは、いつものように準備運動を始める。
いつもなら頷くところだけど...
「あの、訓練の前に少しいいですか?」
「何でしょうか?」
健人さんが、動きを止めてこちらを振り向く。
振り返った視線はいつも通り落ち着いていて、
急かすでもなく、構えるでもなく、
ただ“聞く姿勢”だけがそこにあった。
その空気に、少しだけ背中を押される。
「....健人さんの術式のことを、教えてほしくて」
健人さんは一瞬だけ瞬きをして、
それからゆっくりと俺の方へ向き直った。
「術式を……」
そこで言葉を区切り、
少しだけ思案するように視線を落とす。
「確か……あなたの術式は、
"術式をコピーする術式"でしたね」
淡々とした確認。
責めるでも、驚くでもなく、
ただ事実を整理するような声音。
その一言で、
健人さんが“俺が何を求めているのか”を理解したのが分かった。
「……なるほど。
私の術式をコピーしたい、ということですか」
落ち着いた声。
拒絶の気配はない。
「理由を聞いてもいいですか」
「えっと、あの後に一人で任務に出ることが一回あって....」
この前の単独任務のことを思い返しながら言葉をつづける
「反射線だけだと、どうしても決め手に欠けるんです。
その時に遭遇した呪霊がやたら硬いやつだったんですけど、
伊地知さん曰く、30分も戦ってたらしくて.....」
そこで一度言葉を切って、
以前の合同任務の光景を頭に浮かべる
「その時に、以前健人さんとした合同任務を思い出したんです
あの時、健人さんの術式が火力上げる系統なんだろうな、っていうのは分かったので...」
「その時に、健人さんと一緒に行った合同任務を思い出したんです。
あの時、健人さんの術式が火力を上げる系統なんだろうな、っていうのは分かってて……」
そこまで言うと、健人さんは小さく頷いた。
「……なるほど。
それで、私の術式に興味を持った、ということですね」
淡々としているけれど、
こちらの意図を正確に整理して返してくれる声だった。
淡々としているけれど、
こちらの意図を正確に整理して返してくれる声だった。
健人さんは少しだけ視線を落とし、
短く息をつく。
「状況は理解しました。
反射線は優秀ですが、確かに決定力には欠けますからね」
淡々とした分析。
否定も肯定もせず、ただ事実を述べるだけの口調。
「……それで、私の術式を“コピー”ですか」
確認というより、
結論を静かに置くような言い方だった。
俺は小さく頷く。
健人さんはほんの一瞬だけ考え、
それからゆっくりと顔を上げた。
「分かりました。
理由も筋が通っていますし、
あなたの術式との相性も悪くない」
眼鏡を軽く押し上げる仕草。
「今日の訓練は、内容を少し変えましょう。
私の術式について、説明できる範囲でお話しします」
「……ありがとうございます」
「いえ。必要だと判断しただけです」
健人さんは訓練場の中央へ歩き出す。
「では、実際に見てもらった方が早いでしょう」
そう言って数歩進んだところで、
健人さんはふと足を止めた。
「……その前に、一つだけ訂正しておきます」
振り返った視線は落ち着いていて、
説明の必要性を淡々と判断したような表情だった。
「あなたは“火力を補うために”とおっしゃいましたが、
私の術式──『十劃呪法』は、
正確には“火力を上げる術式”ではありません」
言い方は柔らかいが、
誤解をそのままにしないための明確な線引きだった。
「十劃呪法は、対象に"弱点を作る術式"です。
攻撃力そのものを増幅する類ではありません」
(なるほど....だから呪霊側に変化があったのか)
健人さんは続ける。
「ですので、あなたが求めている"火力の底上げ"とは
少し性質が異なります。
……ただ、決定力不足を補うという意味では有効でしょう」
そこでようやく、
健人さんは再び歩き出した。
「前提を誤ったまま実演を見せるのは不親切ですからね。
では──始めましょう」
そう言って、健人さんは訓練場の端に置かれていた
模擬用の呪骸を一体、軽く指で示した。
「動きは制限してあります。危険はありません」
呪骸がぎこちなく立ち上がる。
健人さんはその前に歩み寄り、
右手を軽く構えた瞬間、
健人さんの呪力が細い糸のように伸び、
まるで呪骸の"形"をなぞるように、
表面を滑りながら密度を測っている。
やがて、糸は一点に集まり始めた。
粒子が吸い寄せられるように凝縮し、
対象の皮膚の上に、薄い"線"の形を取り始める。
その線だけ、呪力の密度が極端に落ちていた。
まるでそこだけ"呪力が抜け落ちている"ような、
不自然な空白。
(あれが....弱点?)
そう思った瞬間──
健人さんが軽く踏み込み、
その“線”に沿って拳を叩き込んだ。
鈍い音がして、呪骸の体が簡単に折れた。
健人さんは手を下ろし、こちらを振り返った。
「……今のが十劃呪法です
君にはどう視えましたか?」
「えっと……
最初に、呪力が呪骸の表面を走ったのが見えました。
それがだんだん一点に集まっていって、
最後は"線"みたいな形になって……」
言葉を選びながら続ける。
「その線のところだけ、呪力が薄くなってました。
他の部分と比べて、そこだけ“弱くなってる”ように視えました」
健人さんは小さく頷き、
「正しい認識です」
淡々とした声で続ける。
「十劃呪法は、対象を一つの線分としてみた時の、
7:3の位置を強制的に弱点として成立させる術式です」
折れた呪骸を指し示しながら言う。
「今回の場合、呪骸の全身を線分としました。
ですので、胸部の下端からみぞおち付近にかけてが、
7:3の位置になります。」
確かに、さっきはその位置に"線"が視えた。
「……しかし」
健人さんは折れた呪骸から視線を外し、
少しだけ言葉を選ぶように続けた。
「十劃呪法は、あくまで“弱点を作る術式”です。
弱点を作れるというだけで、相手の耐久そのものを無視できるわけではありません」
淡々とした声。
説明というより、必要な前提を静かに置くような口調。
「格下であれば、弱点を作るだけで十分です。
峰打ち程度でも両断できるでしょう。
……ですが、格上となると話は別です」
健人さんは指先で呪骸の折れた部分を軽く示す。
「相手の呪力密度、肉体強度、術式による補強。
そういった“基礎スペック”がこちらを上回っている場合、
弱点を作っても、致命傷には届きません」
視線がこちらに戻る。
「つまり──
十劃呪法は“決定力を補う”術式ではあっても、
“格上を一撃で倒す術式”ではない、ということです」
言い方は柔らかいが、線引きは明確だった。
「弱点を作っても、相手がそれを上回る強度を持っていれば、
結果は“大きなダメージ”にとどまります。」
そこで一度だけ小さく息をつき、
「ですので、あなたが求めている“火力”とは少し性質が異なります。
まあ、それでもあなたの戦い方に"別の軸"を作ることはできるでしょう」
健人さんは説明を終えると、
折れた呪骸から視線を外し、こちらに向き直った。
「……以上が十劃呪法の基礎です」
淡々とした声。
だが、説明の区切りとしては十分だった。
「ここまでで、何か疑問はありますか」
押しつけるでもなく、
試すようでもなく、
ただ“理解を確認するため”の問い。
「えっと、それじゃあ二つ。いいですか?」
健人さんは軽く頷いた。
「どうぞ」
「まず一つ目なんですけど……
さっき“今回は呪骸の全身を対象にした”って言ってましたよね。
あれって、全身じゃなくてもいいんですか?
例えば腕だけとか、脚だけとか」
健人さんは即答した。
「可能です。
対象を“どこからどこまでの線分とするか”は、
術者が任意に決められます」
折れた呪骸の腕を軽く指し示す。
「腕一本を対象にすれば、
腕を十等分したうちの“7:3”が弱点になります。
脚でも同じですし、胴体だけを対象にすることもできます」
淡々とした説明だが、明確だった。
そこで一度区切り、次の質問を促すように視線を向ける。
「二つ目は?」
「7:3って……どっちを始点にしてもいいんですか?
上から数えて7:3と、下から数えて7:3って、違う場所になるじゃないですか」
健人さんは小さく頷いた。
「ええ。
始点は“術者がどちら側を始点と認識したか”で決まります」
淡々とした声で続ける。
「上を始点と認識すれば、上から七割の位置が弱点になります。
下を始点と認識すれば、下から七割の位置が弱点になる」
「つまり……」
「術者の認識が“線分の向き”を決める、ということです」
必要なことだけを簡潔に述べる健人さんらしい説明だった。
「他に聞きたいことがあれば、どうぞ」
「いえ……ひとまず、大丈夫です」
健人さんは短く頷いた。
「分かりました。
では──次は実際にあなたが試してみてください」
そう言って、折れた呪骸の隣に置かれていた
もう一体の模擬呪骸へ視線を向ける。
「対象の範囲をどう設定するか、
どちらを始点と認識するか。
その二点を意識すれば、術式の構築は難しくありません」
「まずは全身を対象にしてみましょう。
最初はその方が分かりやすい」
健人さんは一歩下がり、
俺に正面の位置を譲る。
健人さんが一歩下がったのを確認して、
俺は模擬呪骸の正面に立った。
(……全身を線分として認識して、始点は──上)
意識を集中させると、
呪力が細い糸のように伸びていくのが分かる。
……はずだった。
実際には、糸は呪骸の表面をなぞりはじめたものの、
途中でふらつくように揺れ、
一点に収束する前にぼやけて消えた。
(あれ……?)
もう一度、深く息を吸ってやり直す。
今度は糸がちゃんと下へ向かって伸びていく。
だが、収束した"線"は──
「……下から三つ目?」
自分で思っていた位置と違う。
そのまま拳を叩き込んでみたが、
呪骸は少しよろけただけで、折れもしない。
「……なるほど」
健人さんが静かに近づいてくる。
「今のは"始点の認識"が途中で揺らぎましたね」
淡々とした声。
責めるでもなく、ただ事実を述べるだけ。
「あなたは上を始点にしたつもりでしたが、
呪力の流れは途中で"下側"を始点として再解釈していました」
健人さんは呪骸の腹部あたりを軽く指で示す。
「その結果、弱点が"下を始点とした7割の位置"に形成され、
あなたが狙った位置とはズレたわけです」
確かに、線が出た位置は自分の意図と違っていた。
「十劃呪法は、術者の認識がそのまま術式の構造になります。
認識が揺らげば、弱点の位置も揺らぐ」
健人さんは淡々と続ける。
「六眼で視えるからこそ、
"正しい位置に線が出ていない"ことに気づけたのは良い点です。
ですが──」
視線がこちらに戻る。
「術式の構築は、視覚よりも先に“認識の固定”が必要です」
静かだが、必要な部分だけを確実に押さえる声だった。
「もう一度やってみましょう。
今度は"始点を固定する"ことだけに集中してください」
健人さんは一歩下がり、
再び俺に正面を譲った。
もう一度、呪骸の正面に立つ。
(……始点は上。そこだけを固定する)
余計なことを考えないように、
呼吸を一度ゆっくり整える。
意識を向けた瞬間、
さっきよりも滑らかに呪力が伸びていくのが分かった。
今度は揺れない。
糸はまっすぐ、呪骸の表面をなぞりながら下へ向かっていく。
(……いける)
糸が一点に集まり始める。
さっきのようにぼやけることもなく、
呪力が"そこに収束する"感覚がはっきりと分かる。
薄い線が、呪骸の胸部下端──
自分が"ここだ"と認識した位置に、確かに浮かび上がった。
(……出た)
拳を握り、線に沿って踏み込む。
鈍い手応え。
さっきとは違う、明確に"折れる"感触が拳に返ってきた。
呪骸の上半身が、ゆっくりと崩れ落ちる。
「……今のは、正しく構築できていましたね」
健人さんの声は淡々としているが、
わずかに肯定の色があった。
「始点の認識が揺らがなかった分、
弱点の位置も安定していました」
健人さんは折れた呪骸を一瞥し、
こちらに視線を戻す。
「六眼で“線が正しい位置に出ている”と確認できたのも良い点です。
視覚と認識が一致していれば、術式は安定します」
淡々とした評価。
だが、確かな手応えがあった。
「……もう一度やってみましょう。
今の感覚を、身体に馴染ませてください」
健人さんはそう言って、
次の呪骸を指先で示した。
---
何度か繰り返すうちに、
線を出す感覚にも少しずつ慣れてきた。
始点を固定して、
対象を線分として認識して、
呪力を流して──
線が出る。
折れる。
成功。
その繰り返し。
(……いける。だいぶ掴めてきた)
そう思ったところで、
ふと頭に浮かんだ疑問をそのまま口にした。
「あの、健人さん。
ちょっと試したいことがあるんですけど」
健人さんは軽く首を傾げる。
「何でしょう」
「術式の同時使用を試してみたいんです」
健人さんは一瞬だけ瞬きをし、
それから静かに視線を落とした。
健人さんは軽く頷き、
「構いませんよ」とだけ言って一歩下がった。
その言い方はいつも通り淡々としていて、
特別な警告も、過度な心配もない。
ただ"見守る姿勢"だけがそこにあった。
俺は呪骸の正面に立ち、
深く息を吸う。
(反射線……十劃呪法……同時に)
まず反射線を展開する。
視界の端に、薄い光の軌跡が走る。
そのまま十劃呪法の構築に入る──
はずだった。
次の瞬間、
頭の奥が“キン”と鳴った。
(……あれ?)
呪力が二方向に引き裂かれるような感覚。
反射線の制御がわずかに乱れ、
十劃呪法の糸が揺れた。
視界が一瞬だけ白く弾ける。
(まずい──)
そう思った時には、
もう遅かった。
脳の奥が焼けるように熱くなり、
膝が勝手に折れる。
「っ……」
地面に手をついた瞬間、
反射線も十劃呪法も同時に霧散した。
呼吸がうまく入らない。
視界が揺れる。
頭の奥が脈打つように痛い。
「……大丈夫ですか」
健人さんの声が近づく。
淡々としているが、
状況を正確に把握した声だった。
肩に手が添えられ、
ゆっくりと体を支えられる。
返事をしようとしたが、
口がうまく動かない。
視界がゆっくりと暗くなっていく。
(……やば……)
最後にそう思ったところで、
意識がふっと途切れた。