季節が巡るのは早い。
京都校を訪れた、あの少し肌寒い秋の日から──
気づけば、空気は柔らかくなり、街には春の匂いが戻ってきていた。
訓練も任務も、相変わらず忙しい。
五条さんに振り回される日々も、特に変わらない。
でも。
(……なんだかんだで、また一年が終わったんだな)
そして、年でいえば小学五年生になった今、俺は──
「はい、静かにー。新学年が始まって急だけど、
今日は転校生を紹介します」
教室のざわめきがすっと収まり、
担任の先生が俺の背中を軽く押した。
(……まさか、こうなるとはな)
黒板の前に立った瞬間、
昨日のことのように思い出す。
──東京に戻った日の夕方。
五条さんが、ふと思い出したように言ったあの言葉。
『実はね――』
あれが、すべての始まりだった。
――回想――
「実はね――」
悟さんは、まるで"今日の夕飯カレーだよ"くらいの軽さで言った。
「うみは、小学校に行くことになりましたー!」
「……………………は?」
あまりにも軽すぎる爆弾発言に、
俺は思考が一瞬止まった。
悟さんは気にする様子もなく、
ポケットに手を突っ込んだまま歩き続ける。
「いやー、前から考えてたんだよね。
呪術の訓練だけじゃ偏っちゃうし、
友達とか、日常とか、そういうのも必要でしょ?」
「……いや、急すぎません?」
「大丈夫大丈夫。手続きはもう全部終わってるから」
「いつの間に……?」
「ん?この前」
「この前!?」
(計画的犯行.....!)
悟さんは悪びれもせず笑った。
「だってさ、うみ。
年齢的には五年生でしょ?
そろそろ"普通の学校生活"も経験しとこ?」
悟さんは軽く指を鳴らしながら言った。
「──っていうのが、まず"僕の考え"ね」
(まず?)
嫌な予感がした。
悟さんは続ける。
「で、こっちが"上層部の考え"」
急に声のトーンが少しだけ真面目になる。
(……あ、やっぱりあるんだ)
「呪術師ってさ、基本"存在が秘匿"されてるでしょ?
だから普段は一般人に溶け込めるようにしておく必要があるの」
(……まあ、それは分かる)
「でも、うみの場合──」
悟さんは俺の頭をぽん、と軽く叩いた。
「4歳からずっと呪術界にいたでしょ?
普通の子が"情操教育"とか"社会性"とか学ぶ時期を、
ほぼ丸ごと呪術の世界で過ごしてるわけ」
(……言われてみれば、そうだ)
「だから上層部としては、
"普通"をちゃんと学ばせたいんだってさ。
一般社会の空気とか、友達関係とか、学校生活とかね」
悟さんは肩をすくめた。
「まあ、これは僕も賛成。
呪術師って、一般人の中に紛れて動くこと多いし。
"普通"を知らないと逆に危ないからね」
(……確かに)
悟さんはさらに指を一本立てた。
「で、もう一つ。
これは上層部の“おまけの理由”」
「おまけ……?」
「学校ってね、呪霊だまりができやすいのよ」
(あー……)
子どもは感情が揺れやすい。
集団生活でストレスも多い。
確かに、呪霊が湧く条件は揃っている。
悟さんはにやりと笑った。
「だから、術師を一人置いとけるなら都合がいいんだって。
"監視役"ってほどじゃないけど、
まあ……ちょっとした“安全装置”?」
「……俺が?」
「そう。子供でも準二級クラスの術師だからね
もちろん、危ないことはさせないよ?
でも、もし何かあったら対処できるでしょ?」
(……まあ、ある程度はできるけど)
悟さんは俺の肩を軽く叩いた。
「というわけで──
"僕の考え"と"上層部の考え"が一致した結果!」
満面の笑みで宣言する。
「うみくん、小学校に行くことになりましたー!」
(2回目だなぁ。それ
ん?もしかして....)
「……あの、悟さん。
小学校ってことは……もしかして、中学校も?」
悟さんは即答した。
「行くよ?」
「即答……」
「だってさ、うみ。
"普通の学校生活"って、小学校だけじゃ完結しないでしょ?
中学も高校も、全部ひっくるめて"日常"なんだから」
「ま、高校は高専だけどね~」っとカラカラ笑っている」
――回想終了――
気づけば、教室中の視線がこちらを向いている
(ほんとに小学生になったんだなぁ)
担任の先生が、にこやかに俺へ促す。
「じゃあ、自己紹介をお願いします」
(……まずは、これを外さないとな)
ゆっくりと、頭に手を伸ばす。
教室がざわ……と小さく揺れた。
俺がいつも付けている“目隠し”。
呪術界では当たり前でも、一般の小学生にとっては異様だろう。
(……大丈夫。悟さんも“外していい”って言ってたし)
指先で布をつまみ、静かに外す。
ぱさり、と音を立てて目隠しが手の中に落ちた。
一瞬で、教室の空気が変わる。
息を呑む音。
ざわめき。
好奇心と困惑が入り混じった視線。
(……まあ、こうなるよな)
黒板の前で、俺はゆっくりと顔を上げた。
「……月影うみです。よろしくお願いします」
短くそう言って、俺はすぐに目隠しをつけ直した。
その動作に、さらにざわつきが広がる。
「えっ、なんで外したのにまたつけるの?」
「目、悪いの?」
「なんかカッコよくない?」
「いや怖いだろ……」
「……今、ちょっと光ってなかった?」
「え、なんか目、きれいじゃなかった?」
小声があちこちで飛び交う。
担任の先生が慌てて手を叩いた。
「はいはい、静かに。
月影くんには"ちょっとした事情"があるだけだからね」
(……悟さんの"事情説明"ってこれか
いったいどう説明したんだろう)
ざわつきが完全には収まらないまま、
何人かの視線がまだこちらに向いている。
俺は軽く息を吸って、静かに言った。
「……えと、あんまり気にしないで。
これ、ないとちょっと眩しいだけだから」
その一言で、教室の空気が少しだけ和らいだ。
「眩しい……?」
「そういう目なのかな」
「へぇ……なんかすごい」
(……まあ、これくらいならいいか
それで、俺の席は....)
「月影くんの席は……あそこね。
窓際のいちばん後ろ」
(……窓際の一番後ろって、小説だと"当たり席"って言われるとこだよな)
教室の視線を受けながら歩きつつ、
俺は内心で首をかしげた。
(なんで"当たり"なんだろ?
教卓前の方が安全なのに...)
窓際の席に着くと、
隣の席の子がちらっとこちらを見た。
驚き、興味、少しの警戒。
いろんな感情が混ざった目。
(……まあ、普通はそうなるか)
俺は静かに椅子を引き、腰を下ろした。
目隠し越しでも、
教室の空気がじわりと変わっていくのが分かる。
「……よろしくね」
隣の子にだけ、小さく笑ってそう言った。
相手は一瞬きょとんとしたあと、
少し照れたようにうなずいた。
「……う、うん。よろしく」
(……とりあえず、最初の関門は突破、かな)
席に座ってからの数時間は、
正直、呪霊よりも厄介だった。
休み時間になるたびに、
机の周りに人だかりができる。
「さっきの目、なんか光ってなかった?」
「どこから来たの?」
「趣味は?」
「好きな食べ物は?」
「その目隠しって外していいの?」
「ていうか、すっごく大人な感じだね」
(これが....世に聞く転校生イベントってやつか
世の転校生は大変だなぁ)
悟さんに振り回されるのとは別の意味で、
これはこれで疲れる。
先生が助け舟を出してくれるたびに、
俺は軽く会釈してやり過ごした。
(……まあ、初日だし仕方ないか)
そして、ようやく放課後。
チャイムが鳴った瞬間、
俺はそっと息を整えた。
(……さて)
気配を、すっと消す。
呪術師としての癖は、
こういう時に便利だ。
周囲の子たちが帰り支度を始める中、
誰にも気づかれずに教室を抜け出した。
(転校初日ってことで、校内探索くらいは許されるよな)
廊下の空気は、昼間より静かで、
人の気配が薄いぶん、
逆に"別のもの"がよく分かる。
(……やっぱり、学校って呪霊が溜まりやすいな)
階段の踊り場、
人気のないトイレの前、
体育館へ続く渡り廊下。
小さな"濁り"が、あちこちに漂っている。
(まあ、今のところは害はなさそうだけど)
俺はゆっくりと校内を歩きながら、
新しい"日常"の匂いを確かめていった。
---
見回りを終え、校門を出る頃には、
空はすっかり夕方の色に変わっていた。
(初日から、思ったより疲れたな……)
そのまま高専へ向かって歩き出す。
高専の敷地に入ると──
「おかえり、うみ〜」
玄関ホールの柱にもたれかかって、
悟さんが手をひらひら振っていた。
(……待ってたんだ)
「ただいまです。悟さん」
悟さんはにやっと笑って、
「で?どうだった?
初めての学校は」
「……疲れました。
質問攻めがすごくて。小説の主人公になった気分です」
悟さんは「あ〜やっぱりね〜」と笑いながら近づいてくる。
「そりゃそうだよ。
うみ、見た目からして気になるポイント多いもん。
目隠しに、落ち着いた雰囲気に、六眼に……」
「最後のは言わないでください」
「ははっ、ごめんごめん。
でも、ちゃんとスムーズに進んだでしょ?」
「...まぁ、先生の方は」
悟さんは「ほらね〜」と言わんばかりに満足げにうなずいた。
「先生にはちゃんと説明しといたからね〜。
"ちょっと光に弱い体質なんです"って」
「……そんな感じなんですか」
「そうそう。
"だから目隠しは医療的な理由で、外すのは本人の判断で大丈夫です"ってね。
ほら、完璧でしょ?」
(……医療的な理由、か。
まあ、嘘ではない……のか?)
悟さんはソファにどかっと座りながら、
にやにやと続ける。
「先生、すごく心配してたよ?
あれはいい先生だね~」
「……悟さんよりですか?」
「へぇ~。
悟さんより"いい先生"なんですか〜?」
俺がわざとらしく言うと、
悟さんは一瞬だけ固まって──
すぐに眉をひょいっと上げた。
「ちょっと待って?
今、なんか引っかかる言い方しなかった?」
「気のせいじゃないですか?」
「いやいやいや、気のせいじゃないでしょ〜!?
僕、一応"先生歴"長いんだけど?」
「"一応 "なんですね」
「そこ拾う!?
いや、ちゃんと先生してるからね?
授業もしてるし、教え子もいるし!」
悟さんは妙に必死にアピールしてくる。
(……図星だったのかな)
「でもまあ、あの先生は"普通の子ども"を相手にしてるからね。
対応が丁寧なのは当然だよ。
僕はうみのこと分かってるから、心配しないだけ」
「……つまり、悟さんより"先生らしい"ってことですか?」
「うみ、今日ちょっと刺さること言うね!?
先生泣いちゃうよ?」
悟さんは大げさに胸を押さえながら、
でもどこか楽しそうに笑っていた。