廃工房の前に立った瞬間、
空気がひやりと変わった。
昼間なのに薄暗くて、
建物の影が地面に長く伸びている。
「……ここが一つ目の現場よ」
真依先輩が腕を組んだまま、
古びた工房を見上げる。
壁はところどころ剥がれ、
窓は割れ、
風が吹くたびに金属片がカタカタと鳴った。
(……東京のと違って雰囲気あるな)
桃先輩はというと──
なぜかテンションが高い。
「うみくん、初めての京都任務だね〜!
どう?ワクワクしてきた?」
「いや……まあ、少しは」
「少しなんだ……可愛い……」
「桃、仕事中よ」
真依先輩が即ツッコミ。
霞先輩はというと、
工房を見つめながら小さく拳を握っていた。
「う、うみくん……!
よろしくお願いします……!
あ、あの……足、引っ張らないように頑張るから……!」
「大丈夫ですよ。
俺も監督者側は初めてなので……一緒にやりましょう」
霞先輩は一瞬で真っ赤になり、
「う、うん……!」と小さく頷いた。
桃先輩はその様子を見て、
また悶えている。
「はぁぁ……尊い……」
「桃、黙りなさい」
真依先輩がため息をつく。
そんなやり取りの中、
俺は資料を確認しながら全体を見渡した。
歌姫さんの言葉が頭に浮かぶ。
──"まずは軽い討伐で慣らし"。
深呼吸して、気持ちを切り替える。
「さて、とりあえず行きますか」
霞先輩がびくっと肩を震わせたが、
すぐに小さく頷いた。
「……はいっ!」
桃先輩がひらひらと手を振る。
「いってらっしゃ〜い、うみくん、霞〜。
ちゃんと見てるからね〜!」
「桃、真面目にやりなさい」
真依先輩の声が追いかけてくる。
扉に手をかけると、金属がきしむ音が響いた。
ぎ……ぃ……
中は外よりさらに薄暗く、埃の匂いが鼻をつく。
(……思ったより広いな)
天井の配管は錆びつき、床には工具や木片が散乱している。
風が抜けるたび、どこかでカランと音が鳴った。
霞先輩が小さく息を呑む。
「……き、緊張する……」
「大丈夫ですよ。まずは様子見からですし」
そう言いながら、俺はふと気づいた。
(……あ、そういえば)
「霞先輩」
「えっ、な、なに……?」
「お互いの"できること"、確認してませんでしたね」
霞先輩は一瞬ぽかんとしたあと、
「あっ……!」と慌てて背筋を伸ばした。
「そ、そうだよね……!
ご、ごめん……緊張してて……!」
「いえ、俺も忘れてましたし」
工房の奥へ進む前に、俺たちは足を止める。
薄暗い空間の中で、霞先輩が胸に手を当てて深呼吸した。
「えっと……じゃあ……わ、私から……!」
「わ、私は……術式は、ないの。
だから、基本は刀での近接戦闘……シン・陰流で戦います」
(つまりは、呪力操作とシン・陰流....)
「篤也さんと同じなんですね。合わせやすくて助かります」
俺がそう言うと、霞先輩はきょとんと眼を瞬かせた。
「……えっと……篤也さんって……誰……?」
(シン・陰流の同門だから知り合いかと思ったんだけど....)
「あ、ごめんなさい。篤也さんは東京校の先生で――
術式を持ってなくて、呪力操作とシン・陰流をメインにしてる一級術師なんです」
霞先輩は一瞬驚いたあと、ぽそっと呟いた。
「へぇ……術式、ないのに……一級……?」
俺は軽く笑って、霞先輩の言葉を肯定するように頷いた。
「はい。とっても強いんですよ
俺も術式なかったら、あの人の相手は多分しんどいです」
「……そっか……
術式があっても、そう思うくらい……強いんだ……」
「だから、同じスタイルの霞先輩も、
それくらいの可能性を秘めてるってことですね」
そう言いながら、俺はほんの少しだけ悪戯っぽく口元を上げた。
霞先輩は一瞬で真っ赤になった。
「わ、わたしが……!?
そ、そんな……む、無理……!」
慌てて否定しながらも、
その声はどこか嬉しそうで、
視線は俺の胸元あたりを泳いでいる。
「無理じゃないですよ。
まだ、霞先輩が戦ってるところは視てないので、
はっきりとしたことは言えないですけど、
歩き方とか立ち姿とかで、基礎がしっかりしてるのはわかりますし、
呪力操作が苦手ってわけでもないんですよね?」
霞先輩は真っ赤になりながら、
胸の前でぎゅっと拳を握った。
「そ、そんな……!
わ、私……そんなに……ちゃんとしてないよ……!」
「してます。霞先輩はもうちょっと自信もっていいと思いますよ?」
そう言うと、霞先輩はさらに視線を泳がせた。
「で、でも……そんなの……どうして……」
「どうして分かるのか、ってことですか?」
霞先輩はこくりと頷く。
完全に動揺している。
でも、否定はしない。
むしろ"信じたいけど信じきれない"みたいな顔だ。
そこで俺は、少しだけ悪戯っぽく笑って、
指先で目隠しの端をつまんだ。
「もう俺も、けっこう長いですからね。
戦うための訓練を始めてから、もう十年ですよ?
ある程度は経験からわかります」
そして――
「それに……目はいいほうなので」
そう言って、ほんの一瞬だけ目隠しをずらす。
薄暗い工房の中でも、
六眼の光は淡く揺れて、
霞先輩の瞳に映った。
霞先輩は息を呑んだまま固まる。
「……っ……き、きれい……」
その声は、驚きと、少しの憧れが混ざっていた。
俺はすぐに目隠しを戻し、軽く肩をすくめる。
「だから、歩き方とか立ち姿とか……
呪力の流れとか、そういうのは大体視ればわかります
霞先輩は基礎がしっかりしてますよ」
霞先輩は俯きながら、
胸の前でぎゅっと拳を握った。
「……うみくん……
そ、そういうの……急に言うから……
心臓が……変になる……」
(なるほど....これが桃先輩の言う"可愛い"か)
俺は少し声を落として続けた。
「それに──
今度、篤也さんを紹介しますよ。
霞先輩と同じスタイルですし、学べることは多いと思います」
霞先輩はぱっと顔を上げた。
「えっ……!そんなことできるの……?」
「できると思いますよ。
あの人めんどくさがりだけど、面倒見がいいので」
霞先輩は、俺の言葉を聞いたあともしばらく黙っていたが──
やがて、ぽつりと不安げに呟いた。
「……で、でも……
一級術師の人に……っていうより……
東京校の先生に……そんな……
私なんかが教えてもらって……
本当に……大丈夫なの……?」
(まぁ、京都校との折り合い悪そうだし心配にもなるか
.........主に悟さんのせいで)
俺は少しだけ笑って、肩の力を抜くように言った。
「大丈夫ですよ。
というか──“そういうもの”なんです」
霞先輩はきょとんと目を瞬かせる。
「……そういうもの……?」
「はい。俺も昔、言われましたから」
霞先輩が小さく首を傾げる。
俺はそのときの言葉を思い出しながら、静かに続けた。
「『呪術師は万年人手不足なんだ。
後発を育てるために動くのは普通なんだよ。
これはいわば先行投資だ。
さっさと強くなって俺を楽させてくれ』って」
霞先輩は目を丸くした。
「……えっ……
そ、それ……誰が……?」
「篤也さんですよ。そういう人なんです」
霞先輩は一瞬黙り──
やがて、ふっと表情を緩めた。
「……そっか……
"先行投資"……か……」
「そうです。
だから霞先輩が教わるのも、全然おかしくないですよ。
京都とか東京とか関係なく、
"育てる価値がある"って思われるってことです」
(最悪俺がごねればいい。めったにわがまま言わないし、多分通る)
霞先輩は胸の前でぎゅっと拳を握りしめた。
「……うん……!
じゃあ……私……
ちゃんと強くなる……!」
その目は、さっきよりずっと力強かった。
(よし……火がついた)
「じゃあ、今度は俺の番ですね」
霞先輩はこくりと頷く。
「まずは、術式から。
俺の術式は"術式のコピー"。自分が理解した術式をコピーできます
コピーした後使えるかどうかは俺の技量次第ですけど」
霞先輩は俺の言葉を聞いた瞬間、
ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「……じゅ、術式の……コピー……?
えっ……そんなこと……できるの……?」
「えぇ。でも今言ったように"理解すること"が前提になります
俺の頭で理解できない仕組みだったりするとダメですね
現状だと例えば、狗巻家の相伝とか」
霞先輩は、俺の説明を聞きながら小さく首を傾げた。
「……狗巻家の相伝……?
あ、あれって……"言葉"で……?」
「そうですね。あれは仕組みが云々ってよりは、体質に近いので」
霞先輩は「なるほど……」と呟きながら、
少しずつ"コピー術式"という概念を飲み込んでいく。
俺は続けた。
「で、俺の基本スタイルは──
呪力による身体強化を使った近接戦です」
霞先輩は驚いたように目を瞬かせる。
「えっ……近接……?
うみくん、術式があるのに……?」
「はい。残念ながら、今の俺に術式の複数同時発動はできないので。
まずは近接で相手の動きや癖を"観察・分析"します。
その結果に応じて──
コピーした術式の中から"最適なもの"を選んで使う、って感じですね」
「まぁ、今回はサポートに徹するので使っても『十種影法術』くらいですかね」
霞先輩は俺の言葉を聞いて、
またもや驚いたように目を丸くした。
「と、十種影法術……!?
それって禪院の!?」
「はい。東京の方に使い手がいて
まあ、詳しい話は今度でいいでしょう」
そう言って、視線を奥へと向ける
「手札も共有したので、そろそろ探しましょうか」
霞先輩は緊張しながらも、こくりと頷いた。
「……うん……!」
掌印を組み、軽く息を吐いてから、
影に呪力を流しこむ
床に落ちた俺の影が、
水面のようにゆらりと揺れた。
次の瞬間──
影から、黒い蝙蝠が一体、また一体と羽ばたく
霞先輩は息を呑んだ。
「……っ……すご……
こんなに……!」
数えるのも億劫になるほどの蝙蝠が、
周囲を静かに旋回する。
(やば....出しすぎた)
俺は内心で頭を抱えつつ、
表面上は何事もないように軽く咳払いした。
「最近調伏した"響蝠"です。
波で、周囲の把握をします。
拾う波はいろいろで──音や呪力、その他諸々。
エコロケーションってやつの便利版ですね」
霞先輩は、目を輝かせたまま俺を見上げた。
「……すごい……
こんなの……初めて見た……
十種って……こんなこともできるんだ……」
「まあ十種類もいればできることは多いでしょうね」
蝙蝠たちは、俺の周囲を一度旋回したあと──
合図もしていないのに、自然と散開していく。
天井へ、壁へ、床へ、配管の隙間へ。
影が闇に溶けるように広がっていく。
霞先輩は息を呑んだまま、
その光景を目で追っていた。
「……あの……うみくん……
これ……どうやって見えてるの……?
さっきの綺麗な目で...?」
俺は軽く首を振った。
「見えてるというより──
“つながってる”って感じですね」
霞先輩はきょとんとした。
「つながってる……?」
「はい。
響蝠とは"パス"で繋がってるんです。
視界に重ねてるわけじゃなくて、
響蝠が拾った波や呪力の揺らぎが、
そのまま俺の中に流れ込んでくる感じで」
霞先輩は息を呑んだ。
「……え……
じゃあ……蝙蝠が感じたものが……
そのまま、うみくんに……?」
「そうですね。
だから、蝙蝠の位置や距離感も、
"見てる"んじゃなくて"分かる・感じる"って感じです」
ちょうどその瞬間──
意識の奥で、一本の"パス"が強く震えた。
(……来た)
「霞先輩」
俺が声を落とすと、霞先輩はびくっと肩を震わせた。
「っ……な、なに……?」
「前方十一メートル。呪霊が一体。
壁の裏側から、こっちに向かってきています」
霞先輩は刀を握り直し、
緊張で喉を鳴らした。
「……っ……!
ど、どうする……?」
俺は軽く首を振り、
落ち着かせるように手をひらりと上げた。
「まずは──霞先輩の動きを見たいです」
霞先輩は一瞬きょとんとして、
すぐに顔を真っ赤にした。
「えっ……わ、私の……?」
「はい。
俺はすぐ後ろにいますし、フォローもできます。
だから、いつも通りで大丈夫です」
霞先輩は喉を鳴らし、
ぎゅっと刀の柄を握り直した。
「い、いつも通り……
……できるかな……」
「できますよ。
さっき言った通り、基礎はしっかりしてますから」
その言葉に、霞先輩の肩がほんの少しだけ軽くなった。
「あと、八メートル.....六....四...」
響蝠の探知に引っかかった呪霊が少しずつ近づいてくる
「来ます」
俺が告げた瞬間──
ギギギギギッ!!
壁が内側から膨らみ、
腐った板が弾け飛んだ。
黒い腕が飛び出し、
続いて歪んだ顔が覗く。
霞先輩は一歩下がりかけ──
すぐに踏みとどまった。
「……っ……!」
俺は静かに頷く。
「大丈夫。
俺は後ろにいます。
まずは一太刀、入れてみましょう」
霞先輩は震える息を吐き、
刀を構えた。
「……うん……!
行く……!」
呪霊が、
壁を破って飛び出してきた。
霞先輩の初撃が、
闇の中を走る──。
霞先輩の身体が、ふっと沈んだ。
(……あ、速い)
俺が思っていたよりずっと滑らかに、迷いなく前へ踏み込む。
足の運びは軽く、重心は低い。
刀の角度も無駄がない。
「──はっ!」
鋭い一閃が、呪霊の腕を断ち落とした。
ギャッ!?
呪霊がよろめく。
霞先輩は一歩も引かず、むしろ間合いを詰めていた。
(なんであんな自信なさげだったんだろう?)
フォローに入る隙すらない。
というか、入る必要がない。
霞先輩は刀を構え直し、呼吸を整えると──
「せいっ!!」
二撃目が、呪霊の胴を斜めに裂いた。
黒い体液が飛び散り、呪霊が崩れ落ちる。
(.....うん。そのうち準二級になるんじゃないかな)
「……お見事です、霞先輩」
霞先輩はびくっとして、こちらを振り返った。
「えっ……あ、あの……!
い、今の……大丈夫だった……?」
「大丈夫どころか、危なげなかったですよ。
俺、何もすることなかったです」
霞先輩の顔が一瞬で真っ赤になる。
「な、なにも……!?
そ、そんな……! うそ……!」
「嘘じゃないです。
なんであんな自信なさげだったんですか?
そのうち準二級に上がれてもおかしくなしと思いますよ」
俺が褒めると、霞先輩は耳まで真っ赤になって俯いた。
「な、なんか……褒められると……逆に緊張する……」
「緊張してても動けてるので問題ないですよ」
そう言った瞬間──
意識の奥で、一本の"パス"がビリ、と震えた。
(……ん?)
響蝠のひとつが、明らかに"さっきの呪霊とは違う波"を拾った。
(この感じ....四級や三級じゃない)
俺はすぐに霞先輩に声をかけた。
「霞先輩、一度戻って二人と合流します」
霞先輩は驚いたように瞬きをした。
「えっ……? な、何かあったの……?」
「情報にない反応を拾いました
最低でも、二級以上です」
霞先輩の表情が固まる。
「に、二級……!?
そ、それって……さっきのより……」
「強いですね。
だから一度、真依先輩と桃先輩と合流します」
俺はそう言って、来た道へと歩き出した。
俺は来た方向へ歩きながら、壁や床の配置を確認する。
(……たしか、この柱を抜けて……ここを右に曲がって……)
霞先輩も不安そうに後ろをついてくる。
「う、うみくん……出口、こっちだよね……?」
「はい。さっき通ったはずです」
そう答えながら、俺は足を止めた。
……ない。
そこにあるはずの"扉"が、跡形もなく消えていた。
ただの、ひび割れたコンクリート壁。
霞先輩が青ざめた顔で俺を見る。
「えっ……えっ……?
こ、ここ……扉だったよね……?
うみくん、ここ……だよね……?」
「間違いないです。ここから入りました」
「霞先輩、桃先輩たちに連絡できるか試してみてください」
霞先輩は慌ててポケットからスマホを取り出し、震える指で画面を操作する。
「....だめ...つながらない」
(響蝠に反応はないし、二人は外か....
外部とは完全に遮断されたと見るべきか、
ただ少し構造が変わっただけとみるべきか。どちらにしろ...)
「霞先輩、ここからは絶対に俺から離れないでください」
霞先輩は不安そうに瞬きをして、ぎゅっと俺の袖をつまんだ。
「……ど、どうして……?
うみくん……なんで……そんな急に……?」
「小規模ではありますが、建物の構造変化が起きいることから、
呪霊の術式か、生得領域の不完全顕在かのどちらかです」
霞先輩は息を呑んだ。
「しょ、生得領域……?」
「どちらにせよ──
呪霊は準一級以上の可能性が高くなりました」
霞先輩の顔色がさらに青くなる。
「じゅ、準一級……!?
そ、それって……わ、私……」
「だからです」
俺は霞先輩の袖をつまむ手に、そっと自分の手を添えた。
「霞先輩が離れると、守り切れません」
霞先輩は一瞬、目を大きく見開いた。
「……っ……!」
「外との連絡も遮断されています。
響蝠の反応から見ても、真依先輩と桃先輩は"外"にいる。
つまり──俺たちだけが、この空間に閉じ込められている可能性が高い」
霞先輩はぎゅっと俺の袖を握りしめ、震える声で言った。
「……こ、怖い……
うみくん……どうすれば……?」
俺は一度深く息を吸い、
霞先輩の目をまっすぐ見て、はっきりと言った。
「外部との連絡が取れない以上、俺たちで祓うしかありません」
霞先輩は唇を震わせながら、俺の袖をぎゅっと握りしめた。
「……で、でも……
じゅ、準一級以上なんだよね……?
そ、そんなの……大丈夫なの……?」
声が完全に怯えている。
無理もない。
さっきまで四~三級レベルを相手にしていたのに、急に"格上"の話になったのだから。
俺はゆっくりと首を振った。
「大丈夫です」
霞先輩はびくっとして、俺を見上げる。
「……ほ、本当に……?」
「はい。
こういう手合いは──術式は厄介でも、
本体の戦闘力はそこまで高くありません」
霞先輩は一瞬きょとんとして、次に小さく息を呑んだ。
「……え……?」
「構造の変化の規模感から、特級の生得領域って線はありません
術式の厄介さで準一級とか一級になってるタイプです。
そういうのは、たいてい本体の戦闘能力は低いんです」
霞先輩はまだ不安げに眉を寄せたまま、俺の袖を握りしめていた。
「……で、でも……準一級以上なんだよね……?
そ、それって……うみくんでも……危ないんじゃ……」
声が震えている。
どうやら心配してくれているらしい。
だから、俺ははっきりと言った。
「大丈夫ですよ」
霞先輩はびくっとして顔を上げる。
「……ほ、本当に……?」
「はい。
俺は準一級術師です。
準一級の呪霊なら"祓えて当たり前"ですし──」
そこで一度言葉を区切り、
霞先輩の目をしっかりと見た。
「もし相手が"一級"だったとしても、
こういう"術式だけ厄介なタイプ"なら、やりようはいくらでもあります」
霞先輩は小さく息を呑んだ。
「……でも……」
「それに」
俺は霞先輩の袖を握る手に、そっと力を込めた。
「霞先輩は、俺が絶対に守ります」
霞先輩は一瞬息を呑み、耳まで真っ赤になった。
「……っ……そんな……言われたら……
余計に……心臓が……」
(....にしてもこの呪霊、全然動かないな
そういう縛りで術式強化してるのか?)
霞先輩はまだ不安を抱えたまま、俺の袖をぎゅっと握っていた。
その手の震えが、さっきより少しだけ弱くなっているのがわかる。
(……よし、あと一押し)
俺は軽く息を吐き、わざと肩の力を抜いた声で言った。
「……にしても、この呪霊──」
霞先輩がびくっとする。
俺は続けた。
「全然、動く気ないみたいですね」
霞先輩はきょとんとした。
「……え?」
「響蝠が拾ってる反応、さっきからずっと同じ場所に固定されてます。
こっちに来る気配も、巡回する気配もない」
霞先輩は小さく息を呑んだ。
「……じゃあ……待ち伏せ……?」
「かもしれませんし、単に“動けないタイプ”かもしれません。
どっちにしろ──」
俺はわざと軽く笑ってみせた。
「動かないなら、こっちから行くしかないですね」
霞先輩は一瞬驚いたあと、少しだけ表情が緩んだ。
「……うみくん、なんか……余裕ある……」
「ありますよ。さっさと片づけて、外に戻りましょう。
こんな薄暗いところ、長居したくないですし」
冗談めかして言うと、霞先輩は小さく笑った。
その笑顔は、さっきまでの怯えた表情とは違う。
「……うん……!
い、行こう……!」
「はい。俺のすぐ後ろにいてください」
(……さて。どんな術式か)
俺は一歩、また一歩と前へ進む。
霞先輩の足音が、すぐ後ろからついてくる。
袖をつまんでいた手は離れたが──
その距離は、俺が伸ばせばすぐ触れられるほど近い。
「じゃあ、行きましょうか」
霞先輩は小さく頷く。
「……うん……!」
薄暗い廃工房の奥へと進むにつれ、
空気がじわりと重くなる。
響蝠の"パス"が、一定の方向を指し続けていた。
(……やっぱり動かない)
まるで、巣の中心に根を張ったまま、
こちらを待っているような静けさ。
霞先輩が不安げに囁く。
「……あの……うみくん……
さっきから……全然動かないって……」
「はい。ずっと同じ位置です」
「そ、それって……逆に……怖くない……?」
「怖いですね」
霞先輩がびくっとする。
俺は続けた。
「でも──"動かない"ってことは、
本体はそこから離れられないってことです」
霞先輩は小さく息を呑んだ。
「……じゃあ……」
「はい。近づけば、終わります」
そう言って、俺はわざと軽く笑った。
「さっさと片づけて、帰りましょう。
桃先輩に"遅い!"って言われる前に」
霞先輩は思わず吹き出した。
「……ふふ……うん……!」
その瞬間だった。
──バキッ!!
床が、盛り上がった。
「っ──霞先輩、下!」
俺が言うより早く、
床板が槍のように尖り、
蛇のような速度で突き上がってくる。
霞先輩が反射的に身を引く。
「きゃっ──!」
俺は一歩踏み込み、
突き上がる床の"槍"を刀で叩き斬った。
ガンッ!!
乾いた衝撃音とともに、
床材は砕けて四散する。
霞先輩が目を丸くした。
「い、今の……床が……!」
「ええ。建物を操作するタイプですね」
俺は砕けた床を見下ろしながら、
軽くため息をついた。
「……こういうタイプか。めんどくさいな」
霞先輩が不安げに俺を見る。
「め、めんどくさい……?」
「はい。
本体は弱いのに、周囲の構造を全部武器にしてくるタイプです。
近づくほど攻撃が激しくなる」
その説明を聞いた霞先輩は、
ごくりと喉を鳴らした。
「……じゃ、じゃあ……どうするの……?」
俺は軽く肩を回し、
わざと気楽そうに笑ってみせた。
「とりあえず、本体を視てからですね
まあ、こういうタイプはわっかりやすい弱点持ってること多いんで、
視ればわかるでしょうけど」
そう言いながら、
俺は一歩、また一歩と奥へ進む。
霞先輩も、緊張した面持ちでついてくる。
──そして。
薄暗い工房の奥、
錆びた機械の残骸が積み上がった“その向こう”。
それはいた。
「……あれが、本体ですね」
霞先輩が息を呑む。
「……っ……な、なに……あれ……」
そこにあったのは──
人型とも獣型ともつかない、
黒い塊のような呪霊。
だが異様なのは"胴体"だった。
胴の中心から、
黒い呪力の"根"のようなものが何十本も伸び、
壁の裏、床下、天井の配管へと入り込んでいる。
まるで建物そのものと融合しているようだった。
(……なるほど。動かないわけだ)
本体はほとんど動けない。
その代わり、建物全体を"巣"として操っている。
霞先輩が震える声で囁く。
「……あ、あれ……
建物と……つながってる……?」
「ええ。半同化型ですね。
胴体の"根"が建物の構造を操作してる」
俺がそう説明した瞬間──
──ギギギギギギッ!!
天井の配管が、
まるで生き物のようにしなり、
鞭のように振り下ろされてきた。
「霞先輩、下がって!」
俺は霞先輩の肩を軽く押し、
自分は一歩踏み込んで刀を振り上げる。
ガンッ!!
金属の鞭が弾かれ、火花が散った。
霞先輩が目を見開く。
「て、天井まで……!」
「はい。床・壁・天井、全部が敵です」
俺は軽く息を吐き、
本体へと視線を戻す。
「でも──」
六眼が、黒い根の流れを捉える。
呪力の流れは複雑だが、
"中心"はひとつ。
「弱点、見えました」
霞先輩がびくっとする。
「えっ……もう……!?」
「はい。あれだけ派手に呪力を流してれば、
隠しようがないです」
「本体の中心、根が集まってる部分です」
ただ――
(.....問題は、そこに近づくまでだな)
床・壁・天井、全部が敵。
さっきの床槍も、天井の鞭も、まだ“軽い牽制”だ。
霞先輩を守りながら接近するには──
「霞先輩、少し下がってください」
「えっ……? な、なにを……」
俺は影に指を滑らせ、静かに呪力を流し込む。
「──来い」
影が、ぐわりと膨らんだ。
次の瞬間。
バサァッ!!
巨大な翼が闇を裂いた。
霞先輩が思わず悲鳴を飲み込む。
「……っ……な、なに……これ……!」
影から姿を現したのは──
サイズだけで言えば、葵先輩を超える大きなフクロウ
全身は黒灰色の羽毛に覆われ、
鋼のように硬そうな翼。
瞳は金色に光り、静かに周囲を見渡している。
「調伏済みの式神です。名前は──梟羽」
霞先輩は呆然と見上げた。
「お、おおきい……!」
「頑丈さが取り柄です。攻撃力はそこまででもないですが──」
俺は梟羽の首元に軽く触れ、指示を送る。
「霞先輩の後ろを守れ」
梟羽は低く鳴き、
霞先輩の背後へと静かに移動した。
その巨体が、霞先輩をすっぽりと覆うように翼を広げる。
「これで背後は気にしなくて大丈夫です」
霞先輩は梟羽の翼にそっと触れ、
その硬さに目を丸くした。
「……ほんとに……盾みたい……」
「盾です。霞先輩専用の」
霞先輩は一瞬で真っ赤になった。
「そ、そん……っ……!」
その様子をよそに、俺は視線を本体へ戻す。
「じゃあ──行きますか」
床がうねり、壁が歪み、天井が軋む。
建物全体が、俺たちを"殺すために"動き始めた。
床が盛り上がり、壁が歪み、天井がしなる。
だが、避けられる。斬れる。捌ける。
(.....あと五メートル)
その瞬間、空気が変わった。
──ギギギギギギギギギッ!!!
床が波のようにうねり、
壁が折り畳まれるように迫り、
天井が拳のように沈み込む。
霞先輩が悲鳴を上げる。
「っ……! な、なにこれ……さっきより……!」
「中心に近づくほど、根の密度が上がるんです。
攻撃が激しくなるのはそのせいですね」
俺は床の突き上げを斬り払い、
迫る壁を蹴り飛ばし、
天井の拳を身を沈めて避ける。
(反射線を使えば近づけそうだけど.....
ダメだな、今は霞先輩優先。正面突破しかないか)
「霞先輩、梟羽から離れちゃダメですからね」
霞先輩は梟羽の翼の陰から、震えながらも頷いた。
「……う、うん……!
で、でも……うみくん……これ……近づけるの……?」
俺は軽く笑ってみせる。
「近づきますよ。
というか──近づかないと終わらないので」
その瞬間、床が槍のように十本同時に突き上がり、
壁が牙のように噛み合い、
天井が巨大な塊となって落ちてくる。
霞先輩が叫ぶ。
「うみくんっ!!」
俺は刀を構え、息を吸う。
(……さて。ここからが本番だ)
俺は刀を握り直し、再び呪霊との距離を詰める。
――十メートル。
――八メートル。
――六メートル。
ここまでは問題ない。
だが──
「っ……!」
床が波打つように盛り上がり、
壁がねじれ、天井の配管が一斉にしなる。
まるで"近づくな"と言わんばかりに、
建物全体が牙を剥いた。
「う、うみくん……!」
霞先輩の声が震える。
俺は刀で迫る床槍を弾き、
壁から伸びる鉄骨を蹴り飛ばし、
天井の鞭を紙一重で避ける。
だが──
(……なかなか近づけないな)
攻撃の密度が、さっきまでとは段違いだ。
一歩踏み込むたびに、
いろんな方向から攻撃が飛んでくる。
霞先輩を連れてこの密度を抜けるのは不可能だし、
梟羽を盾にしても"前方"は俺が切り開くしかない。
(……さて、どうするか)
床が槍のように突き上がり、
壁が刃のように迫り、
天井が鞭のようにしなる。
そのすべてが、俺の進行方向を塞ぐ。
霞先輩が不安げに声を上げた。
「う、うみくん……! 無理しないで……!」
「大丈夫です。まだ"様子見"ですよ」
そう言いながら、俺は迫りくる攻撃を見つめた。
床。
壁。
天井。
槍。
刃。
鞭。
全部、建物の一部。
全部、呪霊の"根"が操っている。
全部──
(……あれ?)
俺は一瞬、動きを止めた。
迫りくる床槍。
横から伸びる鉄骨。
天井の配管。
そのすべてに呪力が通っている
その動きは、すべて六眼が捉えてくれる
(なんだ....全部、"足場"じゃん)
「.....ははっ!」
「う、うみくん!?」
思わず笑みがこぼれた俺に、霞先輩が目を丸くする。
次の瞬間。
──ドンッ!!
俺は迫りくる床槍の一本を、
避けるのではなく踏みつけた。
霞先輩が息を呑む。
「う、うみくん!? あぶな……!」
床槍が折れ曲がる前に、俺はさらに跳ぶ。
迫りくる壁の刃を──
蹴る。
天井から落ちてくる鉄塊を──
踏み台にする。
配管の鞭を──
逆に足場にして跳ね上がる。
「……っ、は、速……!」
霞先輩の声が震える。
梟羽はその場で翼を広げ、
霞先輩を守るように位置を固定している。
俺は空中で体勢を整えながら、
迫りくる攻撃の"呪力の流れ"を六眼で読み取る。
(全部、根からの操作。
なら──俺の動きに組み込める)
床が波打つ。
壁が噛み合う。
天井が沈む。
そのすべてが、俺の"足場"になる。
「……っし」
俺は一気に距離を詰めた。
──四メートル。
──三メートル。
呪霊が、黒い根を震わせて悲鳴のような音を上げる。
建物全体が、俺を拒むように暴れ狂う。
だが──
俺は迫りくる床槍を踏みつけて跳び、
壁の刃を蹴り、
天井の配管を足場にして──
本体の目前へと飛び込んだ。
霞先輩が叫ぶ。
「うみくん!!」
周囲を取り囲むようにして、攻撃が迫るが――
「一手遅いな」
――一閃
「――真っ二つだ」
衝撃が走り、
黒い根が一斉に痙攣し、
建物のうねりが止まった。
床の波が静まり、
壁の歪みが戻り、
天井の配管が力なく垂れ下がる。
呪霊は、黒い塊のまま崩れ落ちた。
静寂。
霞先輩が、梟羽の陰から震える声で呼ぶ。
「……う、うみくん……?」
俺は刀を軽く払って鞘に収め、
振り返って笑った。
「大丈夫です。終わりましたよ」
霞先輩は一瞬ぽかんとしたあと──
「……っ、す、すご……!」
顔を真っ赤にして、胸の前でぎゅっと拳を握った。
梟羽が低く鳴き、翼を畳む。
「さて、戻りましょうか。
真依先輩と桃先輩、心配してるでしょうし」
霞先輩はこくこくと頷いた。
「……うん……! うんっ!」
その表情は、
さっきまでの怯えが嘘みたいに明るかった。
AI君は三輪ちゃんがお好きみたいです