生まれ変わった世界は   作:月影うみ

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25話

百鬼夜行の夜が終わって、

京都の街に静けさが戻ったのは、年の瀬を跨いだころだった。

 

あの特級との死闘も、

葵先輩との勝負も、

全部まとめて"去年の話"になった。

 

あ、聞くところによると、夏油傑は憂太先輩が下したらしい...

あの人、護衛対象だったよね?なんで本丸と戦ってるの?

 

――そんな噂話が飛び交う中、

俺はというと、まだ京都に残っている。

 

理由は単純で、

特級の一撃が、思った以上に"効いていた"からだ。

 

(……いや、まさかここまでとは)

 

肋骨は折れて、内臓も軽く揺れて、

硝子さんに診てもらおうにも東京の方で手一杯らしい。

 

だから結局、

俺は京都校の簡易医務室で“自己治癒任せ”の休暇中。

 

痛みはまだ残っているけど、

動けないほどじゃない。

 

そんなふうに、ぼんやり天井を眺めていた時だった。

 

コン、コン。

 

控えめなノック。

 

「……はい?」

 

扉が少しだけ開いて、

青い髪がそっと覗いた。

 

「う、うみくん……入っても、いい……?」

 

「もちろんです」

 

霞先輩は恐る恐る入ってきて、

ベッドの横に立つと、

しばらく黙ったまま俺の顔を見ていた。

 

その沈黙が、

なんとなく"普通じゃない"気配を帯びている。

 

「……霞先輩?」

 

呼びかけると、

三輪先輩はぎゅっと拳を握りしめて――

 

「うみくん……」

 

「はい」

 

「私はとーっても怒っています」

 

(なんかしたっけ?

怪我もあっておとなしくしてたはずだけど....)

 

「....え、俺なんかしました?」

 

霞先輩は、ぎゅっと握った拳を胸の前で震わせた。

 

「しました!!」

 

(したんだ……)

 

「百鬼夜行の時……!

特級に……ひとりで……って聞いたよ!」

 

「あー、いや、あれは状況的に――」

 

「それでも!!」

 

霞先輩は、ぎゅっと拳を握りしめたまま続ける。

 

「……だって……!

聞いたんだよ……!

うみくんが……

"特級の攻撃を正面から受けた"って……!」

 

(....いったい誰が?周りに誰かいた感じはなかったけど

観測系の術者がいたのか....?

それとも葵先輩が言いふらしたのか...?この前来た時に話したし...)

 

霞先輩は、ぎゅっと拳を握りしめたまま続ける。

 

「しかも……!

"普通なら死んでる"って……!」

 

(いや、ちょっと待って!?誰だ、そんな嘘ついたの!)

 

「誰ですかそんなデマ流したの

結構効きはしましたけど、あれくらいじゃ死にませんよ?」

 

そう言った瞬間だった。

 

霞先輩の眉が、

ぴくりと動いた。

 

そして――

 

ぱしん、と俺の言葉が叩き落とされるみたいに。

 

「うみくん」

 

呼ばれた声が、

いつもより低い。

 

「"あれくらい"じゃないよ」

 

空気が止まった。

 

霞先輩は一歩だけ近づいて、

俺の顔をまっすぐ見つめる。

 

「……言い訳、しないで」

 

その声音は、本気で怒っている人の声だった。

 

「……はい」

(下手なこと言ったら.....死ぬ)

 

霞先輩は、

俺が黙ったのを確認してから、

ほんの少しだけ息を吐いた。

 

その肩が、

すこしだけ震えているのに気づく。

 

「……ほんとに……」

 

ぽつりと、

落ちるように言葉がこぼれた。

 

「……ほんとに……心配したんだから……」

 

さっきまでの"怒り"とは違う。

声が、少しだけ弱い。

 

「特級にひとりで向かったって聞いて……

それで……"普通なら死んでる"って……

そんなの……聞かされたら……」

 

霞先輩は唇を噛んで、

視線を落とした。

 

「……怒るよ……

だって……怖かったもん……」

 

その一言が、

胸にずしんと響いた。

 

「……ごめんなさい」

 

素直に謝ると、

霞先輩はびくっと肩を揺らし、

慌てて顔をそむけた。

 

「ち、ちが……!

そういう意味じゃなくて……!」

 

耳まで真っ赤になっている。

 

「と、とにかく……!

もう無茶しないで……!

ほんとに……!」

 

最後の"ほんとに"だけ、

小さくて、

でも一番強かった。

 

「気をつけます」

 

そう言うと、

霞先輩はさらに真っ赤になり、

耐えきれないみたいに立ち上がった。

 

「も、もう帰る!!

また来るから!!

ゆ、ゆっくり休んでて!!」

 

ぱたぱたぱたっ、と

逃げるように廊下へ消えていく。

 

扉が閉まったあと、

俺は小さく息を吐いた。

 

(……かわいいな)

 

そう思った瞬間だった。

 

――ドンッ!!

 

廊下の向こうから、

地鳴りみたいな足音と声が響く。

 

「月影ェェェェェ!!!!」

 

廊下の向こうから、

地鳴りみたいな声が響いた。

 

(......元気だなぁ)

 

東堂葵。

百鬼夜行の翌日から、ずっとテンションが高い男。

 

案の定、勢いそのままに扉を開け放ち、

俺の簡易ベッドの横までズカズカ歩いてくる。

 

「月影!!ついに!!ついにだ!!」

 

「……何がですか」

 

「祓った数の集計が出た!!」

 

(あぁ、まだ出てなかったんだ)

 

葵先輩は、胸を張り、腕を組む。勝者の風格である

勝者の風格である

 

勢いよく紙を突き出され、

俺は反射的に受け取った。

 

(ほんとに表になってる...誰が集計したんだよ)

 

名前に祓った数、それと祓った呪霊の等級....

 

俺は表をそっと伏せた。

 

「……あ、そういえば葵先輩」

 

「なんだ月影!!敗者の弁か!!」

 

「霞先輩になんか言いました?」

 

「……は?」

 

「俺の怪我が"普通は死んでる"とかってデマ流してる人がいるみたいなんですけど」

 

東堂は一瞬だけ固まった。

 

ほんの一瞬だけ。

 

そのあと、

なぜか胸を張った。

 

「デマではない!!事実だ!!」

 

(あんたかよ....)

 

「いや、死んでませんよね俺」

 

「"普通なら"死んでいる!!

月影!!貴様は普通ではない!!」

 

「褒められてる気がしないんですけど」

 

「誇れ!!」

 

俺は深くため息をついた。

 

「めっちゃ怒られたんですよ。霞先輩に」

 

東堂は腕を組んだまま、

なぜか誇らしげに頷いた。

 

「うむ!!良い女だ!!」

 

「いや褒めてる場合じゃないですよね?」

 

「月影!!三輪はな!!

"仲間の無茶"に怒れる女だ!!

それはすなわち!!

“心が強い”ということだ!!」

 

「いや、俺の心は折れかけたんですけど」

 

「折れるな!!」

 

(めっちゃ怖かったんだからな……)

 

東堂はさらに続ける。

 

「それに!!

"普通なら死んでる"というのは事実だ!!

俺は誇張などしていない!!

むしろ控えめに言った方だ!!」

 

「控えめ……?」

 

「本来なら!!

"月影は死んでいてもおかしくなかったが、

魂の輝きで生還した!!"

と伝えるべきだった!!」

 

「そんな伝え方されたら霞先輩泣きますよ!!」

 

「泣かせるな!!」

 

「俺じゃないですよね!?」

 

「月影!!

三輪が怒ったのは!!

貴様が"普通じゃない強さ"を持っているからだ!!

誇れ!!」

 

「……いや、誇れって言われても……」

 

そして、葵先輩は「話は終わった」といわんばかりに、

東堂は満面の笑みで俺の肩を叩いた。

 

――数時間後。

 

「月影!!ここは見逃すな!!高田ちゃんの神シーンだ!!」

 

「……はい」

 

俺は今、

葵先輩の部屋のソファに座っていた。

 

目の前のテレビでは、

高田ちゃんのライブDVDが煌々と輝いている。

 

はい。お察しの通りです。負けましたよ。

あの表で分かったけど、葵先輩も特級祓ってた。

なんでこんな元気なんだよ....

 

一枚目が終わり、

二枚目が始まり、

三枚目が流れ――

 

横では葵先輩が、

感極まった表情で画面を見つめている。

 

「月影!!貴様の目は正しい!!

この世に高田ちゃん以上のアイドルはいない!!」

 

「……はい」

 

肋骨の痛みより、

精神的ダメージの方が大きい気がする。

 

四枚目が終わり、五枚目が始まり、

六枚目が流れ、七枚目が終わり――

 

(……あれ、外が明るい)

 

カーテンの隙間から、

朝日が差し込んでいた。

 

「月影!!次は高田ちゃんの“伝説の2016年夏フェス”だ!!

ここからが本番だぞ!!」

 

「……先輩。

俺、今日……帰れるんですかね」

 

「何を言う!!

勝負に負けた男が、途中で逃げられると思うな!!」

 

(……これ、祓い合戦よりキツい)

 

結局、

俺が解放されたのは――

 

翌日の昼過ぎだった。

 

---

 

ようやく葵先輩の“高田ちゃん修行”から解放された俺は、

荷物をまとめて京都校を後にした。

 

――そして東京に戻った翌朝。

 

「うみー、ちょっと来てー」

 

悟さんに呼ばれ、

職員室の前まで行くと、

なぜか封筒をひらひらさせていた。

 

「はい、これー。おめでとー」

 

「……何がですか」

 

「一級昇格通知」

 

「…………は?」

 

悟さんはにこにこしている。

 

「いやー、やっぱりねー。

本部も見るところは見てるってことだよ」

 

悟さんは封筒を指でとんとん叩きながら続けた。

 

「百鬼夜行での働き、ちゃんと評価されたんだよ。

特級と正面からやり合って生き残ったのもそうだけど――」

 

そこで、わざとらしく間を置く。

 

「葵と"同等の働き"をしたっていうのが大きいね」

 

「……同等?」

 

俺が聞き返すと、

悟さんは「そうそう」と軽く頷いた。

 

「一級を5体に、特級を1体祓ってる

とてもじゃないけど、準一級に留めておけないってことだよ」

 

「上層部の評価はこう。

"東堂葵と並んで特級を祓い、

一級5体を祓った術師を準一級のまま扱うのは不適切”」

 

「……文章が怖いんですけど」

 

「上層部のじじいどもはお堅いからねぇ」

 

悟さんはひらひらと手を振った。

 

「というわけで、正式に"一級術師"。おめでとー」

 

「……ありがとうございます」

 

(一級術師....篤也さんや健人さんと同じ場所)

 

実感はまだ薄いけど、

胸の奥がじんわり熱くなる。

 

悟さんはにやりと笑った。

 

「まあ、一級術師になったからには、

今まで以上に仕事来るだろうけど。覚悟してね?」

 

「……学校、あるんですけど」

 

「関係ないよ?」

 

「……」

 

----

 

昇格通知を受け取って、

まだ胸の奥がふわふわしているまま廊下に出ると――

 

「おーい、うみー!」

 

パンダが手を振りながら走ってきた。

その後ろには棘先輩、真希先輩、そして憂太先輩までいる。

 

「パンダ、久しぶり!

先輩方もお久しぶりです!」

 

パンダが俺の型をがしっと掴む

 

「聞いたぞ。一級になったんだってな」

 

「しゃけ」

 

「……ありがとうございます」

 

真希さんは腕を組んで、

いつもの不機嫌そうな顔のまま言った。

 

「ふーん。一級ね。

まあ、あんたならそのうち行くと思ってたけど」

 

(褒められてる……のか?)

 

憂太先輩は柔らかく笑った。

 

「うみくん、本当にすごいよ。

でも……無茶はしないでね?」

 

「はい。でも特級の人に言われると複雑ですね...」

 

そう言った瞬間だった。

 

真希先輩が、

「は?」みたいな顔でこちらを見た。

 

「何だ、知らねぇのか?」

 

「え?」

 

真希先輩は憂太先輩を親指で指しながら言った。

 

「こいつ、今は特級じゃねぇよ。

リカを解呪したからな。弱体化して、

"特級呪術師"の肩書きは外れてんだよ」

 

「えっ、そうなんですか?」

 

憂太先輩は少し照れたように笑った。

 

「うん……まあ、そうなんだ。」

 

(知らなんだ...まあ)

 

「でも……どうせそのうち特級に戻りますよね?

憂太先輩ですもん」

 

憂太先輩は目を丸くして、

それから少しだけ困ったように笑った。

 

「……どうかな。

でも、そう言ってくれるのは嬉しいよ」

 

「戻りますよ。憂太先輩、リカちゃん抜きでもヤバいし」

 

真希先輩が鼻で笑う。

 

「だろ?

こいつは"リカがいたから特級"じゃねぇ。

元から化け物なんだよ」

 

「おかか」

 

パンダはうんうんと頷き、

棘先輩も短く同意している

 

憂太先輩は耳まで赤くして、

「みんな……」と小さく呟いた。

 

先輩組と別れ、

その日の午後は久しぶりに学校へ向かった。

 

(大遅刻で目立つだろうけど、致し方なし)

 

校門をくぐると、

ちょうど昇降口の前で恵先輩に会った。

 

「……お前、遅くねぇか?」

 

「悟さんに呼ばれてたんですよ。帰ってきたのも昨日ですしね」

 

「ああ、京都行ってたんだったか」

 

恵先輩は足を止め、俺の顔をじっと見た。

 

「……で、どうだった」

 

「どうって?」

 

「怪我。

"普通なら死んでる"って噂、聞いたぞ」

 

「うへぇ、それこっちまで来てるんですか?

デマですよ。向こうの先輩が大げさに言っただけで、

度合いで言えば全治二週間とかですよ」

 

そう言うと、恵先輩は眉をひそめた。

 

「……全治二週間は普通に重傷だろ」

 

「格上とやって全治二週間なら、軽症じゃないですか?」

 

「お前の基準がもうおかしいんだよ」

 

恵先輩は再度歩き始めながら、

ぼそっと続けた。

 

「……ていうか、"普通なら死んでる"って話、

わりと真面目に心配したんだけど」

 

「え、恵先輩が?」

 

「……別に俺がじゃねぇよ。

"周りが"って話だ」

 

(これが...世に聞くツンデレ?)

 

そう思ったけど、口には出さない。出したらしばかれる。

 

恵先輩はふと立ち止まり、こちらを横目で見た。

 

「……で、五条先生に呼ばれたつってたけど、

なんの用だったんだ?」

 

「あー……この度一級になったそうで、その通知を」

 

恵先輩の足が止まった。

 

「…………は?」

 

「だから、一級術師に」

 

沈黙。

 

数秒の間を置いて、恵先輩は小さく息を吐いた。

 

「……はぁ。マジかよ」

 

「……まあ、お前ならいずれ行くとは思ってたけどな」

 

「え、今なんか褒めました?」

 

「褒めてねぇよ」

 

恵先輩は歩き出しながら、ぽつりと続けた。

 

「……でもまあ、一級になったなら。

今まで以上に気をつけろよ」

 

「分かってますよ。もう怒られるの嫌ですしね」

 

「怒られたのか?」

 

「京都校の先輩に....ほんとに怖かった」

 

と言うと、恵先輩は少しだけ眉を上げた。

 

「……京都校の先輩、ね。

まあ、向こうは向こうで色々あるんだろ」

 

(あ、特に深掘りしないんだ……助かった)

 

「で? その"怖かった先輩"に怒られた理由は?」

 

「いや……まあ……無茶したからですね。

特級にひとりで向かったって話が広まってて」

 

「……事実じゃねぇか」

 

「いや、状況が状況で……」

 

恵先輩はため息をついた。

 

「お前、ほんと自覚持てよ。

俺が言うのも変だけど……死んだら意味ねぇだろ」

 

「……はい」

 

(なんか……恵先輩、今日やけに優しい?

いや、優しいって言ったら殴られるな)

 

恵先輩はちらりと俺を見て、ぽつりと言った。

 

「……まあ、生きて帰ってきたならいい」

 

その言い方が妙に素直で、

俺は思わず足を止めそうになった。

 

---

 

恵先輩との会話が終わり、

そのまま授業を受け、放課後。

 

クラスメイトたちが帰り支度を始める中、

俺は鞄を肩にかけて校門へ向かっていた。

 

(……久しぶりの学校、やっぱり疲れるな)

 

そんなことを思いながら、

昇降口を抜けて外に出たとき、

 

(……あれ?)

 

校門の外、

人通りの少ない歩道の端に、

見覚えのある青が目に入った。

 

(霞先輩?)

 

制服の上に薄手のコートを羽織り、

両手を胸の前でぎゅっと握りしめて、

こちらを見つけた瞬間、ぱっと顔を上げた。

 

「う、うみくん……!」

 

「えっ、霞先輩?何でここに.....」

 

「ご、ごめんね!

あの……どうしても……!」

 

息を弾ませながら駆け寄ってくる。

 

(……わざわざ京都から?そんなに急を要することあったっけ……?)

 

「えっと……先輩、どうしたんですか?」

 

霞先輩は立ち止まり、

少しだけ視線を落としてから――

 

「……ちゃんと、言えてなかったから」

 

「?」

 

「この前……怒っちゃったでしょ、私。

でも……あれだけじゃ、足りない気がして……」

 

顔を上げた霞先輩の目は、

京都校の医務室で見たときよりもずっと真剣だった。

 

「うみくんが……生きててくれて……

本当に、よかったって……

ちゃんと、言いたかったの」

 

胸の奥が、じんわり熱くなる。

 

「……ありがとうございます」

 

霞先輩は、ほっと息を吐いた。

 

「それと……!」

 

また拳をぎゅっと握る。

 

「もう無茶しないで、って……

何回でも言うから……!」

 

「……はい」

 

(……なんか、嬉しい)

 

霞先輩は耳まで真っ赤にしながら、

慌てて鞄を抱え直した。

 

「そ、それだけ言いに来ただけだから!

じゃ、じゃあね!!」

 

くるっと背を向け、

小走りで駅の方へ駆けていく。

 

その背中を見送りながら、

俺は小さく息を吐いた。

 

(……ほんと、わざわざ来てくれたのか)

 

胸の奥が、じんわり温かい。

 

---

 

体育館のざわめきがようやく遠ざかり、

校庭に出た瞬間、春の匂いがふっと鼻をくすぐった。

 

(もう卒業シーズンかぁ)

 

校舎の影が少し長く伸びていて、

まだ肌寒いのに、どこか空気は柔らかい。

 

隣を歩くのは、卒業証書を片手にした恵先輩。

 

「……なんだよ、その顔」

 

「いや、卒業おめでとうございますって思ってただけですよ」

 

「言えよ普通に」

 

「今言いましたよ」

 

恵先輩は小さく鼻を鳴らしながらも、

どこか照れたように視線をそらした。

 

その時だった。

 

「恵ー、うみー。おつかれー」

 

ひょい、と影が差し込む。

 

白い髪。黒いサングラス。

 

「悟さん……なんでここに」

 

「えー? 恵の卒業祝いに決まってるでしょ。

ほら、おめでとー恵。入学手続きも寮の準備も、全部終わってるから安心してね」

 

「……勝手に進めんなよ」

 

「いいじゃんいいじゃん。どうせ入るんだから」

 

悟さんはひらひらと手を振りながら、

今度は俺の方に視線を向けた。

 

「で、うみ。君にも用事があるんだよね~」

 

「……何ですか。急なのはなしですよ」

 

「出張。春休み入ったらすぐ行くよ。

一級になったんだから、働いてもらわないとね?」

 

「急なのはなしって言いしたよね!

なんでもっと早くに共有されないんですか?」

 

俺が抗議すると、悟さんはサングラスの奥でにこにこしている。

 

「だって〜、言ったら君、絶対逃げるでしょ?」

 

「逃げませんよ!?逃げたことないですよね!!」

 

悟さんは、俺の抗議なんてそよ風くらいにしか思ってない顔で、にこにこしていた。

 

「だってさ〜、言ったら絶対"え、春休みくらい休ませてくださいよ"とか言うじゃん?」

 

「言いますけど!?言いますけど逃げはしませんよ!!」

 

「ほら〜、やっぱり言うじゃん」

 

「……ぐっ」

 

恵先輩が横でため息をついた。

 

「……相変わらずだな、五条先生」

 

「えー? 何が〜?」

 

「人の予定を勝手に決めるところ」

 

「愛だよ、愛。生徒への深い深い愛」

 

「どの口が言ってんだよ」

 

恵先輩が呆れたように言うと、悟さんは「ひど〜い」と肩をすくめた。

 

その軽いやり取りが、なんだかいつも通りで少し安心する。

 

でも、悟さんはすぐに俺の方へ向き直った。

 

「というわけで、うみ。春休み入ったらすぐ出張ね。

行き先は……まあ、当日のお楽しみで」

 

「何でですか!?わかってるなら共有してくださいよ!

毎回毎回、ろくに準備できないんですけど!!」

 

悟さんは、俺の抗議を軽く受け流しながら、

「じゃ、またね〜」と軽い足取りで校門の向こうへ消えていった。

 

残された俺と恵先輩は、しばらく無言で立ち尽くした。

 

春の風が、少しだけ強く吹き抜ける。

 

「……出張、か」

 

恵先輩がぽつりと呟いた。

 

「一級にもなったし海外で、とか言い出しそうだな」

 

「やめてください」

 

俺が即答すると、恵先輩はふっと笑った。

ほんの一瞬だけ、卒業式の余韻みたいな柔らかさが混じる。

 

「まあ……お前ならどこ行っても大丈夫だろ」

 

「根拠薄くないですか?」

 

「薄くねぇよ。百鬼夜行、生きて帰ってきたんだろ」

 

「……それはまあ」

 

恵先輩は卒業証書の筒を肩に担ぎ直し、校門の外へ歩き出した。

俺も横に並ぶ。

 

春の風が、制服の裾を揺らす。

 

「……にしても、卒業かぁ」

 

思わず口にすると、恵先輩は横目で俺を見た。

 

「何だよ。寂しいのか?」

 

「いや、まあ……ちょっとは」

 

「素直に言えよ」

 

「今言いましたよ」

 

「……チッ」

 

舌打ちしながらも、どこか照れてるのが分かる。

この人、ほんと分かりやすいんだか分かりにくいんだか。

 

校門を出たところで、恵先輩がふと立ち止まった。

 

「……お前さ」

 

「はい?」

 

「春休み、出張行くんだろ。

だったら……今日くらいはゆっくりしとけよ」

 

「え、珍しい。優しい」

 

「優しくねぇよ。

お前、どうせまた無茶すんだろ。

だったら今のうちに体力温存しとけってだけだ」

 

「それ優しいって言うんですよ」

 

「言わねぇよ」

 

恵先輩はそっぽを向いたまま、ぽつりと続けた。

 

「……まあ。

戻ってきたら、また学校で会うんだし」

 

その言葉が、妙に胸に残った。

 

「……はい。ちゃんと帰ってきますよ」

 

「当たり前だ。死んだら殴るぞ」

 

「死んでたら殴れないですよね?」

 

「うるせぇ」

 

恵先輩は歩き出し、俺もその後ろを追う。

 

校舎の方から、まだ卒業式の名残みたいなざわめきが聞こえてくる。

春の匂いが、少しだけ強くなった。

 

(……春休み入ったら出張か)

 

(どこに行かされるんだろうな)

 

(……まあ、恵先輩も言ってたし)

 

――ちゃんと帰ってこよう。

 

そんなことを思いながら、俺は校門を振り返った。




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