生まれ変わった世界は   作:月影うみ

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38話

――東京・呪術高専。地下の秘匿室。

 

外界から完全に隔離されたその部屋で、与幸吉は静かに自分の両手を見つめていた。

 

(……動く)

 

生まれつき動かなかった右腕も、膝から下の肉体も、今は自分の意志で確かに動かせる。

太陽の光を浴びても焼けることのない、健康な肌。

17年以上もの間、彼が泥をすすり、呪詛師と手を組んでまで焦がれた「普通の肉体」がそこにあった。

 

だが、与の顔に歓喜の色はない。

 

(俺が……逃げたせいで)

 

脳裏に焼き付いているのは、あの京都郊外の山中で見た青白い閃光と、地響きのような轟音。

 

あの爆発の中心にいた、黒いパーカー姿の後輩。

自分を助けるために特級呪霊と呪詛師の前に立ち塞がった月影うみの姿。

 

与はギリッと奥歯を噛みしめ、自らの膝を強く殴りつけた。

 

「……クソがっ」

 

痛覚が、確かにそこにある。

それが今は、ひどく疎ましかった。

 

「おっ、元気そうじゃん」

 

不意に、重い扉が開く音がして、聞き慣れた軽い声が室内に響いた。

 

「五条、悟……」

 

顔を上げると、黒い目隠しをした長身の男が、紙袋を片手にひらひらと手を振っていた。

 

「やっほー。家入の診察も終わったみたいだし、差し入れ持ってきたよ。京都の銘菓」

 

五条はパイプ椅子を引っ張り出し、与の正面にどかっと腰を下ろす。

 

与は差し入れには見向きもせず、五条を真っ直ぐに睨みつけた。

 

「……月影は」

 

絞り出すような声だった。

 

「月影の捜索はどうなっている。あそこまでの爆発だ、何も残っていないなんてことは……!」

 

「あー、それね」

 

五条は足を組み、顎に手を当てて少しだけ小首を傾げた。

 

「現場一帯を洗ったけど、やっぱり姿はなかったよ。

呪力残滓もめちゃくちゃに乱れてて、追跡は不可能。

一応、上層部には『生死不明』ってことで報告を上げといた」

 

「…………っ」

 

与が再び強く拳を握りしめる。

その手が白く震えているのを見て、五条は「ふう」と小さく息を吐いた。

 

「あのさ、与くん」

 

いつもの軽いトーン。

だが、その言葉には絶対的な確信がこもっていた。

 

「君、うみが死んだと思ってるの?」

 

「……あんな爆発の中心にいたんだぞ。それに相手は特級二体だ。いくらあいつが規格外だとしても……」

 

「死んでないよ」

 

五条は即答した。

一切の迷いも、疑いもない声。

 

「あの状況で自分ごと特級を吹き飛ばすなんて、普通なら自爆だと思うよね。でも、あの子はそういう"計算外の無茶"はしない。やる時は、必ず自分が生き残る算段をつけてからやるタイプだ」

 

五条はニッと口角を上げた。

 

「それに、僕の可愛い教え子だよ? あの程度で死ぬわけないじゃん」

 

「……」

 

「たぶん、呪力をスッカラカンになるまで使い切って、今頃どっかの物陰で死んだように爆睡してるんじゃないかなぁ」

 

実際、その通りなのだが、この時の与や五条がそれを知る由もない

 

与は五条の底知れない自信に圧倒され、やがて、少しだけ肩の力を抜いた。

 

「……あんたがそう言うなら、そうなんだろうな」

 

「そうそう。だから君が責任感じてウジウジしてる暇はないの」

 

五条は紙袋を横に置き、組んでいた足を下ろした。

空気が、一段階冷たくなる。

 

「で? 内通者として奴らに協力していた君なら、当然知ってるよね」

 

目隠しの奥の『六眼』が、与を射抜く。

 

「奴らの首謀者と、その本当の狙いを」

 

与は深く息を吸い込み、そして、覚悟を決めたように顔を上げた。

 

「……首謀者は、夏油傑だ」

 

その瞬間。

室内の空気が、文字通り凍りついた。

 

五条の顔から、一切の表情が抜け落ちる。

目隠し越しでも分かるほど、その『六眼』が鋭く見開かれていた。

 

「……あり得ない」

 

地を這うような、冷たく、重い声。

 

「傑は去年の12月24日……僕が、この手で確実に殺した」

 

絶対の自信と、自らがただ一人の親友を手掛けたという事実。

五条の放つ圧倒的なプレッシャーに、与は一瞬息を詰まらせたが、すぐに言葉を返す。

 

「俺もそう思っていた。月影も奴と対峙して『偽物だ』と言い放っていた。

……だが、奴は間違いなく夏油傑そのものだった。扱う術式も『呪霊操術』だった」

 

五条は黙り込んだ。

脳裏で思考が高速で回る。

 

(うみは傑に会ったことがない。あの子の六眼が捉えた情報よりも、

僕の『殺した』という言葉を信じて、偽物だと断言したわけだ。

……けど、術式まで同じとなると)

 

五条は短く息を吐き、感情を抑え込んでいつもの飄々とした声に戻った。

だが、その奥には底冷えするような凄みが潜んでいる。

 

「……まぁ、会えば分かるよ。僕のこの目が、どっちが嘘をついてるか教えてくれる」

 

五条は与を真っ直ぐに見据えた。

 

「で? その『自称・夏油』たちの、狙いは?」

 

与は、その眼光に耐えながら、計画の全貌を口にした。

 

「……10月31日。渋谷」

 

五条の眉が、ほんのわずかにピクリと動く。

 

「奴らの狙いは、一般人を巻き込んだ大規模な呪術テロ……いや、違うな」

 

与は、五条を真っ直ぐに見据えた。

 

「奴らの本当の目的は、お前だ。五条悟」

 

「……へぇ」

 

「10月31日、渋谷に帳を下ろし、一般人を閉じ込める。

そして、お前をそこへ誘い出し──特級呪物『獄門疆(ごくもんきょう)』を使って、お前を封印する」

 

「僕を、封印ねぇ」

 

五条は面白そうに顎を撫でた。

 

「殺すんじゃなくて?」

 

「お前を殺すのは不可能だと奴らも理解している。だから、封印という手段に出る」

 

与の言葉に、五条は「なるほどなるほど」と頷いた。

 

「日時と場所、そして目的。そこまで分かってるなら上出来だ。……ただ」

 

五条は少しだけ声を低くする。

 

「今回、君が僕に保護されたことで、向こうも『情報が漏れた』ことは確実に察してるはずだ。

目的は変わらないだろうけど、本当に10月31日決行になるかは微妙だね」

 

「……ああ。前倒しされる可能性も、場所が変更される可能性もある。だから、ただ待ち構えるだけじゃ出し抜かれる」

 

与は自分の治った右手を見つめ、ぐっと握りしめる。

彼の中に、内通者としての贖罪と、仲間たちを守るという新たな決意が宿っていた。

 

「月影が命懸けで繋いでくれたこの体だ。……俺にできることは、すべてやる」

 

「期待してるよ。とりあえず、きみの捕縛に動いてた東京の1年たちにも、近いうちに共有しないとね」

 

五条は立ち上がり、軽く背伸びをした。

 

「10月31日まで、あと12日。……さぁて、忙しくなりそうだ」

 

---

 

――数日後。東京・呪術高専。

 

会議室には、重く冷たい空気が立ち込めていた。

集められたのは、歌姫、七海、冥冥、そして夜蛾学長といった主要な術師たち。

そして、その中心に立つ五条は、いつになく真剣な表情で全員を見渡した。

 

「……というわけで、与くんから聞き出した計画の全貌は以上だ」

 

五条がホワイトボードにまとめた情報を指差す。

・首謀者は「夏油傑」を騙る者

・目的は「五条悟の封印」

・手段は特級呪物「獄門疆」

・決行予定日は「10月31日」、場所は「渋谷」

 

「夏油傑……」

夜蛾学長が渋い顔で唸る。

 

「奴が生きているとは到底思えんが、術式まで同じとなると……。五条、お前の目はどう判断する?」

 

「僕の目でも、偽物だという確証はまだない。ただ……」

 

五条は少しだけ言葉を切り、続けた。

 

「うみが『偽物だ』と断言した。あの子の六眼と直感は、時に僕以上の真実を捉えるからね」

 

その「うみ」という名前に、会議室の空気が一段と重くなる。

 

「……その、うみくんのことだけど」

歌姫が、沈痛な面持ちで口を開いた。

 

「先日の京都郊外での爆発……現場に彼の姿はなく、呪力残滓も追跡不可能。

上層部には『生死不明』として報告が上がっているわ」

 

「ああ、それなんだけどさ」

五条は少しだけトーンを戻し、肩をすくめた。

 

「たぶん、どっかで爆睡してるだけだよ」

 

「……は?」

歌姫が目を丸くする。

 

「だから、死んでないって。あの子が自分ごと巻き込むような無駄死にをするわけない。

それに、僕の可愛い教え子だよ? あの程度で死ぬわけないじゃん」

 

五条の言葉には、根拠のない、しかし絶対的な確信があった。

七海が小さく息を吐く。

 

「……五条さんがそうおっしゃるなら、そうなのでしょう。

しかし、現状戦線を離脱していることに変わりはありません。

彼抜きで、この『渋谷事変』に対処する必要があります」

 

「そうだね」

五条は頷き、再びホワイトボードに向き直った。

 

「与くんが僕に保護されたことで、向こうも計画が漏れたことは察してるはずだ。

目的は変わらないにしても、本当に10月31日になるかは微妙なところだね」

 

「予定を早めてくる可能性もある、ということですか」

七海が推測する。

 

「あるいは、もっと巧妙な罠を仕掛けてくるか。

……いずれにせよ、僕らは『いつ来てもいい』ように準備するしかない」

 

五条は全員の顔を真っ直ぐに見据えた。

 

「10月31日まで、あと数日。……各員、警戒を怠らないように」

 

---

 

東京校の一年生たち――虎杖、伏黒、釘崎は、人気のない中庭に集まっていた。

 

「……うみが、生死不明?」

虎杖が信じられないというように呟く。

 

「ああ。五条先生からは『たぶんどっかで生きてるから気にするな』って言われたが……」

伏黒は眉をひそめ、俯いた。

 

彼らの脳裏に浮かぶのは、数日前、京都校の学生寮――もぬけの殻だった与幸吉の部屋でのことだ。

 

『俺は、別で調べたいことがあるので別行動です』

『俺の足なら逃げるのは簡単ですから』

 

あの時、一人で去っていくうみの背中。

その後、うみは単独でメカ丸の潜伏先へ向かい、特級呪霊たちと交戦したという。

 

「……もしあの時、俺たちが無理にでもついて行ってれば」

伏黒がギリッと奥歯を噛む。

 

「あのバカ……! いっつも余裕ぶって、一人で突っ走るからよ……!」

野薔薇が苛立たしげに地面を蹴る。

 

「……でも」

虎杖がぐっと拳を握りしめた。

 

「俺は、うみが生きてるって信じてる。あいつがこんなところで死ぬわけねぇ」

 

「当たり前だろ」

伏黒が顔を上げ、虎杖と野薔薇を見た。

「あいつが戻ってきた時、俺たちが情けない姿を見せるわけにはいかねぇ」

 

「……そうね。あいつが帰ってきたら、一番に説教してやるわ」

野薔薇も力強く頷く。

 

「その説教、アタシらにも混ぜろよ」

 

不意に声がして振り返ると、そこには東京校の二年生――真希、棘、パンダの姿があった。

 

「真希先輩……パンダ先輩、狗巻先輩」

伏黒が声を上げる。

 

真希は薙刀を肩に担いだまま、フッと鼻を鳴らした。

「しん気臭え顔してんじゃねえよ。あいつがこんなとこでくたばるタマか」

 

「そうそう。うみの奴、きっとどっかでサボって爆睡してるだけだって。昔からあいつはしぶといからな」

パンダが腕を組んで、努めて明るい声で言う。

 

「……しゃけ」

棘も深く頷いた。目元しか見えないが、一番うみと仲が良かった彼の眼差しには、揺るぎない信頼があった。

 

「……っすね!」

虎杖の顔に、いつもの明るさが少しだけ戻る。

 

「あいつが戻ってきた時、情けない姿見せたら何言われるか分かんねえからな。気ィ引き締めてくぞ」

真希の檄に、一年生たちも力強く頷いた。

 

うみ不在の中、東京校の生徒たちはそれぞれに決意を固めていた。

 

---

 

一方、京都校。

 

「うみくんが……行方不明……?」

 

西宮桃は、信じられないというように呟き、その場にへたり込んだ。

「嘘でしょ……あんなに、あんなに強いのに……」

 

禪院真依は腕を組んだまま、ギリッと唇を噛みしめる。

「……あいつのことだから、どうせどこかで飄々としてるんでしょ」

強がるようなその声は、微かに震えていた。

 

加茂憲紀は静かに目を閉じ、重い沈黙が落ちようとした、その時。

 

「ハッハッハッハ!!」

 

その空気を吹き飛ばすような、豪快な笑い声が響いた。

東堂葵だ。彼は腕を組み、空を見上げて堂々と立っていた。

 

「何を沈んでいる! お前たち、あのうみを誰だと思っているのだ!」

 

「東堂……アンタねぇ……」

真依が呆れたように声を絞り出すが、東堂は意に介さない。

 

「特級二体を退け、自爆? 違うな! あれはただの派手な目眩ましに過ぎん!

ないより! 俺の(ブラザー)が、あんなところで死ぬわけがないだろう!!」

 

絶対的な確信。一切の疑いを持たないその力強い声に、桃や真依、加茂も少しだけ顔を上げる。

 

「今はただ、来るべき戦いに向けて己を磨くのみ! ブラザーが戻った時、情けない姿を見せたくはなかろう!」

 

東堂の揺るぎない信頼に、京都校の空気はわずかに前を向いた。

 

しかし──

「……うみくん」

 

三輪霞は、医務室のベッドの端に座り、両手をぎゅっと握りしめていた。

ぽろぽろと、大粒の涙が膝に落ちる。

 

「……もう無茶しないでって……言ったのに……」

 

百鬼夜行の時、ボロボロになったうみを見て本気で怒った。

それなのに、また彼は一人で突っ走って、特級二体を相手に自爆に近い技を使ったという。

 

「バカ……うみくんのバカ……!」

 

三輪は泣きじゃくりながらも、顔を上げる。

 

「絶対に……生きてるよね……」

 

うみがいない世界など、彼女には想像もできなかった。

 

---

 

時を同じくして。東京・呪術高専の地下深く。

 

極秘任務扱いとして京都を離れている与幸吉は、一人薄暗い部屋の中で、複数のモニターや機材と格闘していた。

彼の治癒された両手は、休むことなく細かな基盤や配線を組み上げている。

 

(……俺の、せいだ)

 

うみが命懸けで繋いでくれた命。

京都の仲間たちと、直接顔を合わせることすら許されない罪人としての自分。

 

(10月31日……渋谷……! 何としても、皆を死なせはしない……!)

 

与の目には、血走ったような決意が宿っていた。

奴らが渋谷に帳を下ろせば、確実に外部との通信は遮断される。

それを突破し仲間を繋ぐための超小型通信機(ミニメカ丸)の作成。

そして何より――治癒したこの身体で、自ら渋谷へと乗り込み、戦うための武装の調整。

 

彼は自らの罪を雪ぐため、ただ黙々と準備を進めていた。

 

---

 

深い、深い眠りから意識が浮上した。

 

「……ん」

 

ゆっくりと目を開ける。

視界に広がるのは、寝る前と変わらない薄暗い岩肌。

身体の痛みは……まだ少し残っているが、呪力はしっかりと底まで満ちていた。

 

「……どんくらい寝てたんだろ」

 

地下空洞のせいで、外の光が一切入ってこない。昼なのか夜なのか、今日が何日なのかも分からない。

スマホはすでにガラクタと化している。

俺は手印を結び、一匹の『響蝠』を呼び出した。

 

「外に出て、適当な時計かカレンダーを探してきて」

 

パタパタと飛び立っていった響蝠と視覚(パス)を繋ぎ、外の様子を探る。

山を抜け、近くの街まで飛んだ響蝠が捉えたのは、コンビニの入り口に貼られたポスターだった。

 

『10月23日』。

 

「……まだ、時間あるな」

 

決行予定日、10月31日まではあと一週間ほどある。

すぐにでも高専に戻るべきか。

少し考えて、俺はその考えを保留した。

 

(あの爆発でも、夏油や真人が生き残っている可能性は高い)

 

だとしたら、奴らの認識の中で、あの爆発の中心にいた俺は「死んだ」ことになっているはずだ。

 

(のこのこ出てって警戒させるのも何だな)

 

それに。

 

(……あの戦いで、手札を結構見せちゃったしな)

 

反射線、十劃呪法、赤血操術、そして十種影法術。

特級二体を同時に相手にするには、現状の手札だけではジリ貧になることを痛感した。

 

「……ここなら、誰にも気づかれないし」

 

俺は立ち上がり、軽く身体を動かして調子を確かめる。

 

「よし。特訓でもしよう。……最低でも、新しい式神の調伏くらいはしとかないと」

 

決戦の日は近い。

死んだことになっている今だからこそ、できる準備がある。

俺は薄暗い地下空洞の奥で、静かに呪力を練り上げ始めた。

 

そして、時は流れ――

2018年10月31日。

 

運命の日は、予定通りに訪れた。

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