生まれ変わった世界は   作:月影うみ

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40話

深い、深い地下の空洞。

一切の光が差さないその場所で、俺は静かに息を吐き出した。

 

「……ふぅ」

 

額の汗を手の甲で拭う。

全身の筋肉が心地よい疲労を訴えているが、呪力は身体の隅々まで淀みなく満ちていた。

 

俺はゆっくりと目を開け、周囲を見渡した。

 

本来ならばただのゴツゴツとした岩肌だったはずの地下空洞は、今や異様な惨状を呈している。

壁面はところどころ、見えない巨大な球体に削り取られたかのように、滑らかな半球状に大きくえぐれ飛んでいた。

残った岩柱も、強烈な力で中心に向かって強引に引き込まれたように、螺旋状にねじ切られて崩落している。

 

俺は自分の右手を見下ろした。

そこに、極限まで緻密な呪力操作を重ね合わせ、練り上げる。

 

すると――

俺の掌を中心に、周囲の空気がビリビリと"軋む"ような音を立てた。

空間そのものが、俺の手元の一点に向かって強引に引きずり込まれ、歪んでいく。

 

(……うん、悪くない)

 

これまで俺の練度では、自身の周囲に力を停滞させる『防御』しか扱えなかった。

だが、この地下空洞で呪力操作の精度を限界まで研ぎ澄ました結果、

ようやく"その先"に手が届いた。

 

「……ようやくだ」

 

握りこんだ拳から呪力を散らすと、軋んでいた空間がスッと元に戻った。

 

「新しい式神も調伏したし、手札は十分」

 

俺は満足げに立ち上がり、服の埃を払った。

スマホはあの時の戦いで完全に壊れてしまったため、

今がいつなのか、外が昼なのか夜なのかも全く分からない。

 

「さてと。いい加減特訓も切り上げて、外の様子を確認しないとな。」

 

俺は手印を結び、一匹の『響蝠』を呼び出した。

 

「お疲れ。ちょっと外まで飛んで、そこら辺の時計か、日付が分かるもん見てきて」

 

パタパタと飛び立っていった響蝠と視覚(パス)を繋ぐ。

地下を抜け、夜の空へ出た響蝠が、近くの街の電光掲示板や、行き交う人々の様子を捉えた。

 

人々はなぜか、血のりや包帯、派手な衣装を着て歩いている。

(……仮装? ハロウィンか。ってことは……)

 

響蝠が、駅前の大きな時計と日付の表示を捉える。

 

そこに表示されていた文字。

 

『10月31日 23:30』

 

「………………」

 

俺は、地下空洞で完全にフリーズした。

 

「……………………は?」

 

一拍。

二拍。

 

「やっばい....大遅刻だ」

 

(どんだけ集中してたんだよ! 俺のバカ!!)

 

焦燥感が一気に全身を駆け巡る。

10月31日。渋谷。

与幸吉から聞いた、呪霊たちの作戦決行日。

しかも、時間はもう深夜に差し掛かろうとしている。

 

「と、とにかく状況の確認だ……!」

 

俺は響蝠をいったん手元に呼び戻し、さらに別の手印を素早く結んだ。

足元の影がドロリと沈み、二股の尾を持つ黒猫──『猫又(影)』が這い出してくる。

 

俺は響蝠を優しく掴むと、猫又の口元に差し出した。

「これを咥えて、影伝いで東京の渋谷まで行って。着いたら響蝠で辺りを探る」

 

猫又は短く「にゃあ」と鳴いて響蝠をそっと咥えると、一瞬にして自らの影の中へと溶けるように消え去った。

 

俺は目を閉じ、遠く離れた猫又、そして響蝠とのパスに全意識を集中させる。

影から影への転移により、猫又は通常ではあり得ない速度で移動を完了させた

 

響蝠のソナーが、渋谷の街の状況を俺の脳内に直接描き出していく。

だが、そこから伝わってきたのは―

 

(……なんだ、これ)

 

物理的な距離を超えてビリビリと肌を刺すような、異常なまでの呪力の嵐。

まるで爆撃でも受けたかのように、跡形もなく消し飛んだ街の一部。

無数の呪力残滓が入り乱れ、悲鳴と血の匂いが充満している最悪の気配。

 

そして何より。

あの最強の男――五条悟の気配が、すっぽりと抜け落ちている。

 

「……っ、マジかよ……!!」

 

俺は血の気が引くのを感じながら、目を開いた。

 

躊躇っている時間はない。

 

「はあ……まずったなぁ……」

 

夜の闇の中、死んだはずの"五条悟の秘蔵っ子"は、東京・渋谷へ向けて一直線に空を駆け出した。

 

---

 

時を同じくして。東京・渋谷。渋谷警察署宇田川交番跡。

 

「助けてあげようか、真人」

 

額に縫い目のある男――偽夏油傑が、這いつくばって逃げてきた真人を見下ろして薄く笑っていた。

少し離れた場所で、血まみれになった虎杖悠仁がその光景を睨みつける。

 

「今夏油って言ったな!? 袈裟に額の傷!! ここにいるってことは……!!」

 

虎杖が怒りに顔を歪め、地を蹴った。

「五条先生を、返せ!!」

 

偽夏油は慌てる様子もなく、地面に向かって掌を向ける。

「鯰が地震と結びつけられ語られたのは江戸中期」

ボッ、と地面が割れ、巨大な鯰のような呪霊が飛び出した。

強烈な一撃が虎杖を襲う。

 

「呪霊操術の強みは手数の多さだ」

偽夏油が視線を向けると、無数のムカデのような呪霊が虎杖に絡みつく

 

「んなもん!!」

虎杖が必死に抵抗し、呪霊の群れを弾き飛ばす。

 

「去年の百鬼夜行。新宿と京都に戦力を分散させなければ、勝っていたのは乙骨ではなく彼だったろう。

……君には関係のない話だったかな」

偽夏油は、ボロボロになってなお立ち上がる虎杖を見下ろした。

 

「……返せ!!」

虎杖が怨嗟の声を上げる。

 

偽夏油はそれに応えず、自らの手元で黒い球体へと圧縮された真人を見つめた。

『知ってたさ。だって俺は、人間から生まれたんだから』

真人の最期の声すらも呑み込み、偽夏油はその球体を口へ運ぶ。

 

「これからの世界の話をしよう」

 

「『極ノ番』というものを知っているかい?」

偽夏油が、まるで世間話でもするように語り出す。

「呪霊操術 極ノ番『うずまき』。取り込んだ呪霊を一つにまとめ、超高密度の呪力を相手へぶつける」

 

「『うずまき』は強力だが、呪霊操術の強みである手数の多さを捨てることになる

だから、初めはただの低級呪霊の再利用だと思っていた。」

 

(今は...待つ!!)

 

「でも違った。その真価は……

準1級以上の呪霊を『うずまき』に使用した時に起こる、術式の抽出だ」

 

偽夏油が語り終えた、その時だった。

 

彼がふと、上空を見上げる。

そこには箒に跨り、上空で待機していた西宮がいた。

 

「馬鹿だな」

 

偽夏油が、嘲笑うように告げる。

 

「君が感じた気配に、私が気づかないと思ったのかい?」

 

作戦を完全に読まれていた。

だが、西宮は躊躇わずに合図を送る

 

(合図!! 標的は、西宮の真下……!!)

 

キリィ……ッ!

空気を裂いて、加茂の放った矢が偽夏油へ迫る。

だが、偽夏油はそれを軽く躱す。

 

その背後、完全な死角から禪院真依の狙撃銃が火を噴く。

だが、それもまた、偽夏油が瞬時に展開した呪霊の盾によって防がれた。

 

「狙撃銃か、いいね」

弾丸が弾け落ちるのを見ながら、偽夏油が余裕の笑みを浮かべる。

「私も術師相手であれば通常兵器は積極的に取り入れるべきだとは思うよ」

 

しかし、京都校の連携はそれで終わりではない。

 

(ミニバスでキャプテンをやってた。あの頃は、よくお母さんが髪を黒く染めてくれてたっけ)

(中学で師範と出会って、刀どころか木刀も竹刀も握ったことないくせに呪術師になることを選んだ)

 

 

偽夏油の背後――完全な死角から、青い髪の少女が音もなく踏み込んでいた。

三輪霞。

 

(ひたすら刀を振った。お母さんの負担になりたくなかったから

ひたすら刀を振った。死にたくなかったから)

 

彼女の刀に、彼女のすべてが込められていく。

刀を鞘から抜き放つ、その瞬間に。

 

「のせる!! 今までの全てとこれからの未来を!!」

「もう二度と、刀を振るえなくなっても!!」

 

覚悟の乗った渾身の一撃が、偽夏油の首を狙って振り抜かれる。

 

「シン・陰流――『抜刀』!!」

 

だが。

ガキィッ、という鈍い音が響いた。

 

三輪のすべてを懸けた刀は、偽夏油の素手によって、いとも容易く受け止められていた。

 

「……極ノ番──」

 

偽夏油が、まるで世間話でもするように呟く。

彼の背後に、おぞましい無数の呪霊の顔が融合した、巨大な渦が出現した。

 

「『うずまき』」

 

莫大な呪力の渦が、三輪を呑み込む。

 

誰もがその死を覚悟した

凄まじい衝撃と爆発音が響き渡り、土煙が周囲を覆い尽くした。

 

刀を振るった直後の隙、しかも至近距離での『極ノ番』。

確実に塵に帰したと、その場にいた誰もが思っていた。

 

だが。

 

土煙がゆっくりと晴れていく中、そこにあったのは――

血を流して倒れる三輪の姿ではなかった。

 

「……え?」

虎杖が間抜けな声を漏らす。

 

三輪の目の前。

彼女をすっぽりと覆い隠すように、巨大な『亀』が立ち塞がっていた。

背中の分厚い甲羅が『うずまき』の莫大なエネルギーを正面から受け止め、見事に防ぎ切っている。

 

「……亀?」

「なんだ、あれ……」

加茂や真依たち京都校の面々が、突如現れた謎の式神に困惑の声を上げる。

三輪自身も、目の前の巨体にへたり込みながら呆然としていた。

 

三輪を庇うように飛び込んでいた日下部も、その巨体を見上げて冷や汗を流していた。

(……なんだこいつ。あの大質量を防ぎきりやがった……)

 

そして同じく飛び出していた歌姫は、その式神の気配に息を呑んだ。

 

「……まさか……!」

その声は、震えるほどの安堵に満ちていた。

 

偽夏油は、その巨大な亀の式神を一瞥し、やがて――ゆっくりと上空を見上げた。

 

「……まさか、生きていたとはね」

 

その言葉には、ほんの僅かな驚きと、それ以上の警戒が混じっていた。

 

「……イレギュラー」

 

偽夏油の視線の先。

渋谷の夜空を悠然と舞う、巨大な梟。

 

その背に立ち、瑠璃の瞳で戦場を冷たく見下ろしているのは。

 

死んだはずの、"五条悟の秘蔵っ子"だった。

 

---

 

うみは梟羽の背から、夜の闇を滑るように音もなく飛び降りた。

数十メートルの高度からの自由落下を呪力操作によって殺し、羽のようにふわりと着地する。

 

降り立ったのは、三輪たちをすっぽりと覆い隠していた巨大な『亀』のすぐ横。

 

「おつかれさま。ありがとね」

 

うみが甲羅を軽く撫でて声をかけると、亀は低く「グルゥ……」と喉を鳴らし、

そのままうみの足元の影へと溶けるように消え去った。

 

周囲の静寂。誰もが突如現れたうみの姿に言葉を失い、時間が止まったかのように固まっている。

その中で、うみは刀を構えたまま冷や汗を流している日下部へ振り返った。

 

「ごめんなさい、篤也さん。遅刻しました」

 

日下部は大きく目を見開き、やがて深いため息を吐き出した。

 

「……お前なぁ。本当に生きて……いや、なんだその登場の仕方は。寿命が縮むかと思ったぞ」

 

文句を言いながらも、その声には確かな安堵が混じっていた。

 

「う、うみ、くん……?」

足元から、震える声がした。

へたり込んだままの三輪が、信じられないものを見るような目でうみを見上げている。

その瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。

 

「遅くなってすみません、霞先輩」

うみが少しだけしゃがみ込んで視線を合わせると、三輪はぽろぽろと涙をこぼし始めた。

 

「うみっ……!」

少し離れた場所で、ボロボロになった虎杖が嬉しそうに、そして痛ましそうに顔を歪める。

 

「……感動の再会、かな?」

 

少し離れたところから、冷ややかな声が降ってきた。

偽夏油が、余裕の笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。

 

「驚きだよ。まさかあの状況で生きてるとは」

 

偽夏油の言葉に、うみはゆっくりと立ち上がり、偽夏油を見据える

 

「そっちこそ。あれで死んでくれてれば楽だったのに」

 

「それはお互い様さ。あの大爆発、その中心に居てよく無事だったものだ」

 

「運がいいのも取り柄なので」

 

うみは軽く肩をすくめながら、飄々と言葉を返す。

だが、その瞳は油断なく偽夏油の呪力の揺らぎを捉えていた。

 

「それで? そろそろ、本名を教えてくれてもいいんじゃないですか?」

 

うみが探るように問いかける。

 

偽夏油は薄く笑い、口を開きかけた。

 

その時だった。

 

「……おや」

 

偽夏油が視線を向ける先。

そこには、全身から怒りと呪力を立ち昇らせた『呪胎九相図』の長男――脹相の姿があった。

 

(あれは…受肉体か。ぱっと見だと人間と変わらないな)

 

「やあ、脹相」

 

偽夏油が、まるで散歩中に知人に会ったかのような気軽さで声をかける。

だが、脹相の顔に浮かんでいるのは、尋常ならざる憎悪だった。

 

「気づいたかな?」

 

「そういうことか……!!」

 

脹相が、血の涙を流さんばかりの形相で叫ぶ。

 

「加茂憲倫!!」

 

その名前が響き渡った瞬間。

その場にいた全員に驚愕が走る。特に『加茂憲紀』の驚愕は凄まじい

 

「……加茂、憲倫……!?」

 

うみもまた、その名前にわずかな記憶の引っ掛かりを覚え、背後の歌姫へ視線を向けた。

「……歌姫さん。それって、確か……」

 

歌姫は顔面を蒼白にさせながら、震える声で答えた。

 

「ええ……御三家加茂家の汚点。史上最悪の呪術師よ。

それが本当なら、夏油の中身は150歳を超えてることになるわよ!」

 

偽夏油――いや、加茂憲倫と呼ばれた男は、悪びれる様子もなく肩をすくめた。

 

「加茂憲倫も数ある名の一つに過ぎない。好きに呼べばいい」

 

(なるほど。元の術式がそういう感じで、肉体に宿る生得術式も使えるってわけだ

...いくつの身体を経由して今なのかは知らないけど、

今までに乗っ取った身体の術式を全部使えるとかだったら面倒極まりないぞ...)

 

「よくも……!!」

 

突如、脹相がギリッと歯を食いしばり、顔を怒りに歪ませながら加茂憲倫へと歩を進めた。

 

「よくも俺に!!」

「虎杖を!! 弟を!! 殺させようとしたな!!」

 

その言葉が響き渡った瞬間。

戦場の張り詰めた空気が、別の意味でピタリと止まった。

 

「……え?」

 

(弟? 悠二先輩が? この受肉体と? マジで?)

 

うみは思わず、少し離れた場所にいる虎杖の方へバッと視線を向けた。

当の虎杖はというと、血まみれの顔で「違う違う違う!!」と全力で首を横に振っている。

 

(……うん、まぁそうですよね。あの脹相って人、葵先輩と同じタイプか)

 

うみが内心でため息をついていると、歩み寄る脹相の前に白髪のおかっぱの人物――裏梅が立ちふさがる

 

「ひっこめ三下。これ以上私を待たせるな」

 

裏梅は冷酷な目で脹相を見下し、吐き捨てた。

 

だが、今の脹相にそんな言葉は通用しない

 

「黙れ!! 俺はお兄ちゃんだぞ!!」

 

(俺は――血の繋がった弟達の異変は、どんなに遠くにいようと感じとれる)

 

――赤血操術の影響。血の繋がった弟達の異変は、どんなに遠くにいようと感じとれる。

『死』それは、生物にとって最期にして最大の異変。

脹相はあの時、眼前で虎杖悠仁の『死』を強烈に感じ取ってしまっていた。

 

(つまり悠二も、血のつながった俺の弟……!! ならば俺は――)

 

「全力でお兄ちゃんを遂行する!!」

 

直後、放たれたのは赤血操術の奥義『穿血』

『百斂』により圧縮された血液を一点から解放・打ち出す術

その初速は音速にも及ぶという

 

裏梅は咄嗟に腕を交差させ、氷の盾を展開する。

だが、音速で放たれた血液の刃は、分厚い氷を容易く削り飛ばし、裏梅の掌を鮮血で染めた。

 

「……ッ!」

(速い……!!)

裏梅の顔が驚愕と痛みに歪む。

 

だが、脹相の攻撃はそれだけでは終わらない。

穿血を放った勢いのまま、地面を砕いて加茂憲倫の懐へと一気に肉薄する。

 

「無理するなよ。君は疲れているだろう?」

 

余裕の笑みを浮かべる憲倫に対し、脹相の拳が怒濤の勢いで振り下ろされる。

呪霊の盾を展開してそれを防ぐ憲倫だが、脹相の猛攻は止まらない。

 

その時だった。

 

「シッ!!」

 

うみが憲倫の死角から鋭く斬り込んだ。

十劃呪法を乗せた重い一撃が、憲倫の防御呪霊を容易く粉砕する。

 

(よくわかんないけど...敵の敵は味方!!)

 

「チッ……!」

憲倫が舌打ちをして後方へ跳ぶ。

 

だが、その連携に不満の声を上げたのは、他でもない脹相だった。

 

「邪魔をするな! あいつは俺が――!!」

 

血走った目でうみを睨みつけ、怒りを露わにする脹相。

だが、うみは東堂葵の相手をすることで学んでいる。こういった手合いの扱い方を。

 

うみは刀を構えたまま、さらりと、そしてどこまでも真剣な声で言った。

 

「ごめんなさい。でも、悠二先輩のために手を貸してください」

 

そして、ダメ押しの一言。

 

「悠二先輩のお兄様」

 

一拍。

戦場の空気が、再び奇妙な静寂に包まれる。

 

脹相の怒りに歪んでいた顔が、一瞬にして真顔になり、

そして――

 

「任せておけ!! 俺はお兄ちゃんだ!!」

 

力強く、そして誇らしげに親指を立てた。

 

(……やっぱり。こういう人ってちょろいな)

うみは内心で小さく息を吐きながら、刀を握り直した。

 

「行くぞォ!!」

脹相が先陣を切り、再び加茂憲倫へと突撃する。

うみもそれに続き、死角から反射線を駆使して斬りかかる。

 

その動きに呼応するように、周囲の空気が変わった。

「合わせるぞ!!」

ボロボロの虎杖が地を蹴り、パンダが咆哮を上げて前線へ躍り出る。

さらに、加茂憲紀や日下部たちも一斉に憲倫へと距離を詰める。

 

特級クラスの呪霊を操る男に対し、全員での総力戦。

だが、憲倫は余裕の笑みを崩さない。

 

「……ふふっ」

 

その時、戦場を極低温の空気が支配した。

「氷凝呪法――」

 

裏梅だ。

先ほどの穿血で負傷した掌から、血を凍らせるほどの凄まじい呪力が膨れ上がる。

その標的は、憲倫へと殺到する虎杖や脹相たち前衛だけではない。

この場にいる全員を、一瞬にして氷漬けにする広域殲滅の構え。

 

「『霜凪(しもなぎ)』」

 

致死の吹雪が、爆発的に戦場を飲み込んでいく。

 

(……やばい!!)

 

うみは瞬時に反射線を展開し、前線から一気に後方へと後退した。

向かった先は、先ほどの『うずまき』から守り抜いた三輪と、その傍らにいる歌姫の前。

日下部たちは前衛に出ているため、ここに残っている動けない人間は彼女たちだけだ。

 

(空間を分断する、停滞の力――!)

 

うみの目の前に、目に見えない絶対的な"壁"――『無下限呪術』のが展開された。

 

直後、裏梅の放った絶対零度の吹雪がうみたちを襲う。

だが、そのすべてはうみの展開した"無限"に触れる直前で、ピタリと停止し、両脇へと流れていった。

 

「……う、みくん……?」

背後で、三輪が震える声で呟く。

「大丈夫です、動かないで」

 

だが、吹雪が晴れた後の戦場は、最悪の惨状だった。

虎杖、脹相、パンダ、日下部、加茂――前線に飛び込んでいた者たちが、

全員分厚い氷に囚われ、身動き一つ取れない状態になっていた。

 

「殺すなよ。伝達役(メッセンジャー)は必要だろ?」

 

氷漬けになった術師たちを見下ろし、加茂憲倫が苦笑しながら言う。

 

だが、裏梅は冷酷な眼差しのまま言い放った。

「全員を生かす理由がどこにある?」

 

裏梅が氷を砕こうと手を振り上げた、その瞬間。

 

ガンッ!!

 

死角からの強襲。

呪力による純粋な身体強化を施したうみの蹴りが、裏梅の顔面を捉え、その身体を大きく吹き飛ばした。

 

「……どうやってあの吹雪を凌いだのやら。本当に厄介だね」

加茂憲倫が、吹き飛んだ裏梅を一瞥もせずにうみを見据える。

その視線は、うみの後方――歌姫と三輪を覆い隠すように出現した巨大な亀の式神『玄武』に向けられていた。

 

「あの二人を守るために式神を置いてきたね。

……いいのかい? 今までの戦闘からして、君は術式の併用ができないんだろう?」

 

加茂憲倫の言う通りだった。十種影法術で『玄武』を顕現させ維持している今、

うみは他の術式を一切使うことができない。

 

だが、うみは刀を構え、ふっと口角を上げた。

 

「……おあいにく様」

 

踏み込み。

 

「なに――」

 

加茂憲倫が防御呪霊を展開しようとした瞬間、うみの刀が一閃する。

一閃が呪霊の盾ごと加茂憲倫の右腕を斬り飛ばした。

 

ボト、と腕が地面に落ちる。

 

「いい先生がいるもので」

 

うみは血振るいをし、残心と共に静かに告げた。

 

「術式がなくても、戦えるんだ」

 

ガシャンッ。

氷が砕ける音が響き、身動きが取れなかったはずの虎杖が氷を内側から蹴り砕いて脱出した。

 

「おっ」

うみが感心したように声を漏らす。

「さすが悠二先輩」

 

「助かった、うみ!」

虎杖はブルブルと震えながら、すぐさま脹相の元へと駆け寄り、その氷を砕いた。

 

「味方でいいんだな!?」

虎杖が構えを取りながら叫んだ。

 

その問いに脹相は即座に「違う!!」と叫ぶと真顔で言い放つ

 

「俺はお兄ちゃんだ」

 

「真面目にやってくんねーかなぁ!!」

虎杖がマジレスして怒鳴るが、脹相は一歩も引かない。

 

「とりあえず一回呼んでみてくれないか? お兄ちゃんと」

「!!」

 

緊迫した戦場に、謎の兄弟喧嘩(?)が繰り広げられる。

うみは内心で(……この人たち、後にしてくれないかぁ。それ)とツッコミを入れつつも、上空の気配に鋭く反応した。

 

「付喪操術――」

 

上空から、西宮の放った強烈な風の刃が、加茂憲倫を襲う

 

「『鎌異断(かまいたち)』!!」

 

だが、戻ってきた裏梅がそれを素手で軽く弾き落とした。

 

(もう戻ってきたのか……いいの入ったと思うんだけど)

 

怒りに顔を歪めた裏梅が、先ほどとは比べ物にならない呪力を練り上げる。

 

伝達役(メッセンジャー)なんて虎杖悠二一人で事足りるでしょう!!」

 

裏梅の手元に、先ほどの『霜凪』を凌駕する超高密度の呪力が集束していく。

 

「『直瀑(ちょくばく)』」

 

冷気が身体を凍てつかせ、頭上から致死の氷塊が降り注ぐ。

 

(……まずい、全員は守り切れない……!)

うみが焦燥に顔を歪めた、その瞬間だった。

 

頭上から迫っていた致死の氷塊が、何の前触れもなく霧散して消え去った。

 

「久しぶりだね、夏油君」

 

聞き覚えのない、だがどこか飄々とした声が戦場に響いた。

うみを含め、その場にいた全員の視線が声の主へと向く。

そこに立っていたのは、一人の女性だった。

 

「あの時の答えを聞こうか」

 

彼女は、まるで久しぶりに会った友人に世間話でも振るような気軽さで、"夏油傑"に向かって言い放った。

 

「――どんな女が好み(タイプ)だい?」

 

(……何この人。葵先輩とおんなじこと言ってる)

 

絶体絶命の戦場に颯爽と現れた人物に対し、うみは思わず内心でツッコミを入れた。

 

一方、その姿を見た加茂憲倫の顔が、初めて明確な驚愕に染まる。

 

「九十九、由基……!!」

 

加茂憲倫の口から漏れ出た名前にうみは驚愕する

 

「九十九!?ってことはあなたが特級の?」

 

「そういう君は月影君だね? 君にも会いたいと思ってたんだ」

 

九十九は飄々とした態度のまま、うみへ向き直った。

 

「君はどんな女が好み(タイプ)かな?」

 

「それ、後じゃダメですかね!?」

 

「それもそうだね」

 

九十九由基はあっさりと引き下がり、薄く笑いながら加茂憲倫へと向き直った。

 

「それで、覚えているかな? 世界から呪霊をなくす方法」

 

そこから先は、特級呪術師と、特級呪詛師による、

この次元の人間には到底理解の及ばない「これからの世界」についてのイデオロギーの対立だった。

 

人類の未来(ネクストステージ)は"呪力からの脱却"か、それとも"呪力の最適化"か。

うみたちには口を挟む余地すらなく、ただその問答を警戒しながら見守るしかなかった。

 

「分かるかい? 私が作るべきは私の手から離れた混沌だったんだ」

 

加茂憲倫がそう締めくくり、ゆっくりと呪力を練り上げる

 

「そのための術式の抽出はすでに済ませてある」

 

九十九は、ハッとして虎杖に向き直る

 

「真人とかいう呪霊がいるだろう!! 魂に干渉できる術式を持った奴!!」

 

「さっき、あいつが取り込んだけど……」

 

その言葉を聞いた瞬間、九十九の顔から余裕が消え失せた。

 

「マジんが〜!?」

 

その直後、加茂憲倫の足元に黒い紋様が広がった。

彼の手元には、抽出された真人の術式――『無為転変』の力が宿っている。

 

「何をした」

 

「マーキング済みの2種類の非術師に遠隔で『無為転変』を施した」

 

加茂憲倫が、まるで教師のように語り出す。

 

「虎杖悠二のように呪物を取り込ませた者。

そして、吉野順平のように術式を所持しているが脳のデザインが非術師の者」

 

「それぞれの脳を遠隔で術師の形に整えたんだ。

前者は器としての強度を、後者は術式を発揮する仕様を手に入れた」

 

加茂憲倫は、虚空を見上げて薄く笑った。

 

「そして今、その呪物たちの封印を解いた

彼らには、呪力への理解を深めるため、殺し合いをしてもらう」

 

その言葉の直後だった。

 

「……ガハッ!!」

憲倫の傍らに控えていた裏梅が、突如として大量の血を吐き出し、どさりと膝をついた

 

「どうしたんだい? 裏梅」

 

「『穿血』で傷を負わせた時、俺の血が混じったんだ」

脹相が、倒れ伏す裏梅を冷たく見下ろして言い放つ。

「俺たち『呪胎九相図』の血液は、人間にとっては猛毒となる。……当然の結果だ」

 

(なるほど、そういうことか)

うみは脹相の言葉に納得し、警戒を少しだけ解いた。

 

術者である裏梅が限界を迎えたことで、氷凝呪法が解ける。

囚われていたパンダや日下部たちを覆っていた氷が、音を立てて崩れ落ちた。

 

だが、加茂憲倫は崩れ落ちた裏梅を横目で見下ろしながらも、全く意に介さずに語りを続ける。

 

「私が配っていた呪物は、千年前からコツコツと契約した術師達のなれの果てだ」

 

憲倫は、まるで新しい玩具の箱を開ける子どものような目で、東京の夜空を見上げた。

 

「だが、私が契約したのは術師達だけじゃない。

……そっちの契約は、私がこの肉体を手に入れた時にすでに破棄しているけどね」

 

その言葉を聞いた瞬間、九十九由基の顔色が限界まで変わった。

 

「……まさか!!」

 

「これが、これからの世界だよ」

 

ズズズズズ……ッ!!

 

加茂憲倫の背後の空間が、あるいは地面そのものが、泥のように黒く変色していく。

そこから溢れ出してきたのは――無数の呪霊の群れだった。

 

「じゃあね、虎杖悠二」

 

湧き出る呪霊の陰でそう言う加茂憲倫の手には獄門彊が握られている

 

「待て……!」

 

うみは咄嗟に術式を発動する。

 

(あれさえ手に入れれば――『蒼』!!)

 

狙いは加茂憲倫の手にある『獄門疆』。

うみの掌を中心に空間が軋みを上げ、強烈な引力が獄門疆を捉えようとした。

 

だが。

 

「アァァァァ……」

「ギギィッ!」

 

加茂憲倫が放った無数の呪霊たちが、壁となるようにうみの引力の射線上に雪崩れ込んでくる。

結果として、うみの『蒼』が引き寄せたのは、獄門疆ではなく数体の醜悪な呪霊だった。

 

「チッ……!!」

 

うみは鋭く舌打ちをし、引き寄せられた呪霊たちを刀の一閃と体術で瞬時に斬り伏せ、祓う。

 

しかし、その一瞬の足止めの間に、加茂憲倫の姿は完全に無数の呪霊の渦の中へと消え去っていた。

後には、渋谷の街へ野に放たれた数え切れないほどの呪霊の群れだけが残されている。

 

「……もう、追うのは無理か」

 

うみはすぐに思考を切り替え、溢れ出た呪霊の群れへと向き直る。

 

「みなさん、危ないから動かないでくださいね」

 

うみの手から放たれた強烈な引力の渦が、周囲の空間ごと捻じ曲げながら前方に放たれる。

まるで巨大なミキサーにかけられたように、群がっていた数十体の呪霊が一瞬にして中心へと吸い寄せられ、凄まじい圧力で圧壊し、消滅した。

 

更地に残ったのは、綺麗に削り取られた地面と、呪霊の残滓だけだった。

 

「ふぅ....やっぱりしんどいな、これ」

 

その圧倒的な一撃を目の当たりにし、九十九由基が感心したように口笛を吹く。

 

「今のは『無下限呪術』か。本家には及ばないが、十分な精度だ」

 

その称賛に対し、うみは疲労を隠しきれない顔で、自嘲気味に笑い返した。

 

「……及んでくれれば、この後が楽なんですけどね」

 

渋谷事変――

五条悟の封印、そして無数の呪霊と術師の解放。

かつてない絶望の幕開けと共に、長く、果てしない夜が明けようとしていた。

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