加茂憲倫が無数の呪霊を放って逃亡し、渋谷事変は最悪の形で幕を閉じた。
冷たい夜風が、更地となった渋谷の街跡を吹き抜ける。
遠くからは、加茂憲倫が放った無数の呪霊たちの不気味な鳴き声が、東京のあちこちから微かに響いてきていた。
「さて。ここからどうするかね」
由基さんが、夜空を見上げながら静かに口を開く。
俺はそれに答えるように、思考を切り替えて言葉を紡いだ。
「ひとまずは、生存者がいないかどうかの確認からですね。
あいつに放たれた呪霊も狩らないといけないので、
現状、術師がどれくらい動けるのかも確認がいります」
「そうだね。今後の動き――方針を固めたい。
そのためにも、ここまでに何があったか教えてくれるかい?」
由基さんの問いかけに、俺は少しだけ気まずく肩をすくめた。
「ごめんなさい。俺は遅刻してさっき着いたばっかりなので、
知ってることは由基さんとそんなに変わらないです」
「そうか。なら、君も聞く側だね」
俺は頷き、悠二先輩たちへ向き直る。
「……俺がいない間、何があったんですか。
悟さんが封印された後から、簡単に教えてください」
重い、重い沈黙が落ちる。
誰もが下を向き、凄惨な記憶を反芻しているようだった。
やがて、悠二先輩が血に染まった両手を強く握りしめ、絞り出すように口を開いた。
「……ナナミンが、死んだ」
「えっ……」
俺の口から、間の抜けた音が漏れた。
「真人……あのツギハギの呪霊にやられた。俺の目の前で……ッ!」
悠二先輩の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
(健人さんが……)
初任務の時、俺を監督してくれた人。
俺の未熟さを指摘し、そして『十劃呪法』を手解きしてくれた人。
高専の大人たちの中で、誰よりも常識があって、一番信用していた大人の人。
(……今は浸ってる場合じゃない)
「……そうですか。他はどうなってます?」
俺が無理やり感情を押し殺して先を促すと、今度はパンダが重い口を開いた。
「……真希と、禪院家の当主が重症らしい。
家入のところに運ばれているはずだが……どうなってるか分からない」
「……」
パンダはそこで一度言葉を切り、俯く悠二先輩をちらりと見た。
そして、俺の耳元に顔を寄せて、極限まで声を落として囁いた。
「……それと、棘もだ。宿儺の領域に巻き込まれて、
左腕を……落とされたらしい」
「っ……」
宿儺のしわざとなれば、これ以上虎杖先輩の自責の念を抉ることになる。
だからこその配慮なのだろう。
「釘崎も……真人にやられた」
悠二先輩が、地面にポタポタと涙と血をこぼしながら震える声で続ける。
「京都の新田が処置してくれたけど、助かるかどうかわかんねぇ……。
それに、伏黒も……ッ!」
悠二先輩は、ついに膝から崩れ落ちた。
両手で頭を抱え、まるで許しを乞うように絶叫する。
「俺のせいで……宿儺が……俺が……! 人間を、いっぱい殺した……!!」
悠二先輩の悲痛な絶叫が、静まり返った夜の渋谷に響き渡る。
誰も慰めの言葉をかけることができず、重苦しい沈黙が場を支配した。
その沈黙を破るように、俺は淡々と、しかしはっきりとした声で口を開いた。
「悠二先輩のせいじゃないとは言いませんけど、悠二先輩"だけ"のせいじゃないですよ」
その言葉に、悠二先輩がビクッと肩を震わせ、血走った目を俺に向ける。
俺は構わずに続けた。
「少なくとも、俺が遅刻してなければ、悠二先輩と一緒に真人は確実に祓えてた。
そしたら、健人さんも野薔薇先輩も無事だったはずです」
「……」
「……それに、元を正せば、数日前にあの二人を仕留め損なった俺が悪いんですけどね」
わざとらしく肩をすくめてみせる。
俺の言葉は気休めなんかじゃない。純然たる事実と、俺自身の反省だ。
俺があの時、完全に仕留めきれていれば、防げた被害は山ほどあった。
だが、それでも悠二先輩の震えは止まらず、その瞳の絶望は晴れない。
(想像以上に深刻だな……まじめすぎるんだよな。この人)
俺は小さく息を吐き、改めて周囲のメンバーをぐるっと見回した。
ボロボロのパンダ、疲労が色濃い篤也さん、それに憲紀先輩や桃先輩達。
「とりあえず。悠二先輩と脹相さん以外は限界そうですね
一度高専に戻った方がいい」
俺は少し離れた場所に立つ由基さんへと向き直った。
「由基さん、みんなを送ってもらってもいいですか?」
「分かった。彼らのことは私と私の仲間に任せておきな」
由基さんはあっさりと了承し、パンダたちに視線を向けた。
「ほら、動ける者は重傷者を担いで! ここからは一度撤退するよ」
パンダが、ふと立ち止まって俺を見た。
「……うみ、お前はどうするんだ?」
気遣うようなパンダの問いに、俺は軽く首を回して見せた。
「俺は残って呪霊を減らすよ。今一番元気なのは俺だからね」
「……そうか。分かった。だが、無理はするなよ」
「ん。パンダも気を付けなよ
由基さんがいるとはいえ、安全ってわけじゃないからね」
パンダは俺の肩をポンと一度だけ叩き、背を向けた。
由基さんや彼女の仲間に連れられ、ボロボロになった先輩たちは、瓦礫の街から次々と撤退していく。
その背中が見えなくなるまで見送り、俺は小さく息を吐き出した。
俺は、未だに虚ろな目をして膝をついている悠二先輩と、
その傍らに無言で立つ脹相さんへと向き直った。
「……悠二先輩。じゃあ、俺は行きますね」
踵を返して歩き出そうとした、その時だった。
「……待ってくれ、うみ」
絞り出すような、震える声が俺の背中を呼び止めた。
足を止め、振り返る。
悠二先輩は地面に手をついたまま、ポタポタと血と涙をこぼしていた。
「……俺は、どうすればいい」
「ナナミンが死んで、釘崎も死んだかもしれなくて……伏黒も……。
それに、俺のせいで……俺が宿儺なんかに体取られたせいで……
数え切れない人が死んだ……っ!」
ギリ、と地面を掻き毟る音が響く。
「俺は……人殺しだ。俺が生きてちゃ……ダメなんだ……!」
「俺は、どうやって償えばいい……! どうすれば……!!」
限界まで張り詰めた、悲痛な叫び。
その痛々しい姿に、脹相さんが庇うように一歩前に出ようとする。
だが、俺はそれを手で制し、悠二先輩の目の前まで歩み寄った。
そして、しゃがみ込んで視線を合わせる。
「……悠二先輩」
「それを決めるのは俺じゃない。悠二先輩自身です」
悠二先輩が、縋るような目で俺を見る。
俺はその瞳を真っ直ぐに見据え、淡々と告げた。
「俺はこれから呪霊を祓いに行きます。それが俺の役割だから」
言葉を区切り、俺は刀の柄にそっと手を当てた。
「悠二先輩が死にたいって言うなら、俺が今、ここで殺してあげます」
「っ……!!」
その言葉に、傍らにいた脹相さんがピクリと反応し、俺へと鋭い殺気を向けた。
俺は視線だけでそれを牽制し、再び悠二先輩の目を見据える。
「悠二先輩が、これ以上背負えない、もう死んで楽になりたいって言うなら。
ここで死んで、全部俺に預ければいい。俺が全部貰っていきます」
俺はゆっくりと立ち上がり、東京の夜空を見上げた。
「俺は行きますけど。……悠二先輩は、どうしますか?」
その問いかけに、悠二先輩は強く唇を噛み締めた。
やがて、震える両腕で地面を押し、ゆっくりと、ふらつきながらも立ち上がる。
「……俺も、行く」
血走った目で、それでも確かな意志を持って、悠二先輩は前を向いた。
「俺が殺したんだ……俺が、やらなきゃダメだ……!」
その覚悟に、俺は小さく息を吐いて頷いた。
「ここからは、二手に分かれましょう」
俺の提案に、悠二先輩が不思議そうに首を傾げた。
「二手って、お前一人で行くのか?」
「えぇ。三人固まってても効率悪いですし」
「……わかった。無理はすんなよ」
「先輩も」
俺は頷き、そして傍らに立つ脹相さんへ視線を移した。
「……脹相さん」
「なんだ?」
「お兄様なんだし、悠二先輩のことは任せますね」
俺がそう告げると、脹相さんは一瞬驚いたように目を見開き、
次の瞬間、ひどく誇らしげな、真剣な顔で力強く頷いた。
「あぁ! 弟のことは、このお兄ちゃんに任せておけ!!」
「アンタは、ちょっと黙っててくれって!!」
再び繰り広げられる兄弟喧嘩(?)を背に、梟羽を呼び出す
「じゃあ、また後で」
俺は短く言い残し、空へと飛び立った。
眼下に広がるのは、呪霊の百鬼夜行によって地獄と化した街。
俺は刀を抜き放ち、冷たい夜風を切り裂きながら、最も呪力が密集している場所へと急降下した。
---
それから、数日が経過した。
東京は完全に機能不全に陥っていた。
政治も、経済も、人々の生活も、すべてが崩壊した。
無数の呪霊が跋扈する魔境と化したこの街で、俺は寝る間も惜しんで刀を振るい続けていた。
「はぁ……はぁ……」
ビルの屋上に降り立ち、刀に付着した呪霊の血を振り払う。
(さすがに、疲れた……)
六眼の効果により呪力は問題ない。
だが、肉体の疲労と精神の摩耗は誤魔化しきれない。
それでも、立ち止まることはできなかった。
俺が少し休めば、その間にまた誰かが死ぬかもしれないのだから。
そんな時だった。
遠く離れた場所から、ビリビリと肌を刺すような、途方もなく巨大な呪力のうねりを感じ取った。
「……ッ」
俺はハッとして、その方向へ顔を向ける。
ぞっとするほど巨大で、底なしに冷たく、けれどどこか温かい、覚えのある呪力。
「……この呪力。憂太先輩?」
(帰ってきてたんだ……
それにしても、この距離まで届くとか、ほんと規格外だよなぁ)
俺は小さく息を吐き、刀を鞘に収めた。
あの人がいるなら、東京の状況も少しは好転するはずだ。
何より、現状の戦力や情報共有のためにも、合流しておくに越したことはない。
梟羽を呼び出し、その背に飛び乗り、巨大な呪力の残滓が漂う方向へと夜空を滑り出す。
東京の片隅、廃墟となったビルの谷間。
憂太先輩の呪力を道しるべに辿り着いた先。
俺は上空からその様子を窺い、小さく眉をひそめた。
(……焚火?)
パチパチと木が爆ぜる音が、静寂に包まれた廃墟に響いている。
火の傍らには、憂太先輩の姿があった。
そしてその足元で、悠二先輩がちょうど目を覚まして身を起こしたところだった。
「よかったぁ〜〜〜〜!!」
悠二先輩が目を覚ました瞬間、憂太先輩が突然安堵の涙を流してへたり込んだ。
「……え?」
困惑する悠二先輩。
俺は梟羽の背から音もなく飛び降り、二人の傍らへと舞い降りた。
「こんばんは。俺も混ぜてもらっていいですか?」
「「!?」」
驚いて振り返る二人。
「うみ!?」
悠二先輩が目を丸くする。
「うみくん!? 久しぶりだね!」
涙目だった憂太先輩が、パッと顔を輝かせて俺を見る。
「お久しぶりです、憂太先輩。いつ帰ってきたんですか?」
「つい数日前だよ。上層部から要請があってね。それで渋谷のことを知ったんだ」
「なるほど。それで、帰ってきてこんなとこで何してたんですか? 焚火囲んでキャンプですか」
俺が冗談めかして尋ねると、悠二先輩が気まずそうに視線を逸らした。
「……いや、実は、さっきまでこの人に殺されかけてて」
「……え? なんで?」
俺は本気で首を傾げた。
温厚な憂太先輩が、味方である悠二先輩を殺そうとする理由が全く思い当たらない。
俺の反応に、今度は憂太先輩と悠二先輩が顔を見合わせる。
「あれ? うみくん、もしかして知らないの?」
「何かあったんですか? 俺、ずっとぶっ通しで呪霊祓ってたんで高専に戻ってないんですよね」
俺が肩をすくめると、憂太先輩が少しだけ表情を引き締めて口を開いた。
「……実は、渋谷事変の後、呪術総監部から通達が出たんだ。悠仁くんの死刑執行と……五条先生の、呪術界からの永久追放だ」
「……は?」
俺の口から、間抜けな音が漏れた。
「五条先生が渋谷事変の共同正犯にでっち上げられて、封印を解くことも罪に問われることになった。
夜蛾学長も死刑認定だ。五条先生と夏油をそそのかした、てさ。……そして、僕が上層部から
僕が上層部から虎杖くんの死刑執行役に任命されたんだ」
憂太先輩が淡々と告げる絶望的な事実に、俺は思わず頭を抱えた。
「はぁ……これだから上層部は……」
怒りを通り越して呆れ果てる。
「……で、その執行役が、なんで今は一緒に焚火囲んでるんですか?」
俺が視線を向けると、憂太先輩はコホンと咳払いをした。
「うん。上層部を欺くために一度本当に心臓を止めて、直後に反転術式で治癒したんだ。五条先生から『自分に何かあったら彼らを頼む』って言われてたしね」
「なるほど。そういうことですか」
憂太先輩が味方であることに安堵し、俺は小さく息を吐いた。
そして、隣で気まずそうにしている悠二先輩へ視線を向ける。
「……で、どうでした? 悠二先輩。憂太先輩、強かったでしょ?」
俺がニヤリと笑って尋ねると、悠二先輩はげっそりとした顔で頷いた。
「……ああ。呪力半端ねぇし、バカみたいに力強ぇし……
マジで手も足も出なかったよ」
「あはは、でしょうね。この人、規格外ですし」
「うみくんまでそんな言い方しなくても……。それに、術式なしの純粋な体術や呪力操作なら、うみくんの方が強いでしょ?」
「あはは、ご冗談を。俺なんて憂太先輩の足元にも及びませんよ」
俺はひらひらと手を振って笑い飛ばす。
実際、この人と正面からやり合って勝てるビジョンが浮かばない
「虎杖」
暗がりから、静かで、けれど芯の通った声が響いた。
焚火の明かりが届かない場所から、見慣れたツンツン頭の影が姿を現す。
「伏黒……!」
悠二先輩が弾かれたように顔を上げた。
ボロボロの学生服に身を包んでいるが、その瞳には強い意志が宿っている。
だが、恵先輩は再会の喜びを口にするでもなく、ただ静かに悠二先輩を見据えた。
「何してんだ。さっさと高専に戻るぞ」
その声に、俺は傍らからひらひらと手を振った。
「こんばんは、恵先輩」
「!?」
恵先輩は俺の姿を認めた瞬間、幽霊でも見るかのように目を丸くして驚愕の声を上げた。
「お前……! 聞いてはいたが、本当に生きてたのか……」
「俺もさっき合流したばかりです。恵先輩も無事でよかった」
俺がそう答えると、恵先輩は一度大きく息を吐き、信じられないという顔をしながらも、すぐに真剣な表情へと切り替えて悠二先輩へと向き直った。
「……今、高専の結界は緩んでる。直接顔を見られない限り、オマエが戻っても問題ねぇ」
「一度先輩らと合流して……」
悠二先輩が顔を背けながら言うと、恵先輩はそれを鋭く遮った。
「やめろ」
その言葉に、悠二先輩が絞り出すように拒絶の言葉を吐いた。
「当たり前の様に受け入れるな。なかったことにするんじゃねぇ」
ギリ、と拳を握りしめる音が聞こえる。
悠二先輩の脳裏に、宿儺が引き起こした凄惨な光景がフラッシュバックしているのが、痛いほどに伝わってきた。
「俺のせいで大勢死んだんだぞ!! 俺は人を殺した!!」
悲痛な叫びが、夜の廃墟に響き渡る。
憂太先輩が、痛ましそうに眉をひそめた。
恵先輩は、悠二先輩の慟哭を正面から受け止め、そして静かに口を開いた。
「俺達のせいだ」
「……!」
悠二先輩が、驚いたように顔を上げる。
「俺も言いましたよね。悠二先輩"だけ"のせいじゃないって」
俺が横から口を挟むと、恵先輩もそれに同意するように力強く言い放つ。
「オマエ独りで勝手に諦めるな」
だが、悠二先輩は自嘲するように視線を落とした。
「そりゃ……オマエはそう言うさ」
「俺達は
恵先輩が、一歩踏み出す。
「俺達を本当の意味で裁ける人間はいない。だからこそ、もう俺達に自分のことを考えてる暇はねぇんだ」
「ただひたすらに人を助けるんだ。俺達は存在意義を示し続けなきゃならない」
その言葉が、悠二先輩の胸に、そして俺の胸にも深く突き刺さる。
「これはそもそも、オマエの行動原理だったハズだ」
恵先輩の言葉が、熱を帯びる。
そして、彼は悠二先輩に向かって、まっすぐに頼み込んだ。
「まずは俺を助けろ、虎杖」
その言葉に込められた切実な響きに、悠二先輩の瞳が揺れる。
恵先輩は、そのまま深刻な表情で続けた。
「加茂憲倫が仕組んだ、呪術を与えられた者達の殺し合い……『死滅回游』」
聞き慣れない単語に、俺と悠二先輩が眉をひそめる。
「死滅回游に、津美紀も巻き込まれてる」
「……っ!」
悠二先輩が息を呑む。津美紀さん。恵先輩の義理の姉であり、彼が呪術師として戦う理由そのもの。
「頼む虎杖。オマエの力が必要だ」
あの恵先輩がなりふり構わず助けを求めている。
それだけで、事態の深刻さが痛いほどに伝わってきた。
悠二先輩は、少しの間沈黙した後、ゆっくりと憂太先輩の方へと向き直った。
「……乙骨先輩」
「宿儺が伏黒で何か企んでる」
悠二先輩の言葉に、俺たちは黙って耳を傾ける。
「渋谷でアイツに肉体を取られたのは、多分一度に指を10本も食わされたからだ。俺の中に今、指は15本。残り5本全部一度に食わされても、肉体は乗っ取られないと思う」
悠二先輩はそこで一度言葉を区切り、覚悟を決めたように真っ直ぐに憂太先輩を見据えた。
「それでも。……もし次、俺が宿儺と代わったら、迷わず殺してくれ。先輩なら、できると思う」
憂太先輩は、その重い覚悟を正面から受け止め、静かに頷いた。
「分かった。
その約束を聞き届け、悠二先輩は恵先輩に向き直る。
「俺は、何をすればいい」
「まずは高専に戻って、天元様と接触する」
恵先輩が明確な方針を口にする。
天元様。日本の呪術界の要であり、結界術の最高峰。
「獄門疆の封印の解き方。加茂憲倫の具体的な目的と、今後の出方。
事態を収拾するには、この2つの回答がマストだ。この問いに答えられるのは、天元様しかいないと思う」
「でも、天元様って確か引きこもりで会うの大変なんじゃないですっけ?」
俺が素直な疑問を口にすると、恵先輩が深く深いため息をついた。
「お前な……絶対他所で言うなよ。打ち首じゃ済まねえぞ」
「あはは……気を付けます」
俺が頭を掻くと、悠二先輩も同調するように口を開いた。
「死滅回游は未曾有の呪術テロだろ。あの人は……九十九さんは知らねぇかな」
渋谷で最後に駆けつけた、特級術師の名を挙げる。
「九十九さんとはもう話した。これはあの人の案だ」
恵先輩が答える。
「あの人も今、高専に潜伏してる」
「潜伏?」
「上層部と関わりたくないらしい」
悠二先輩の言葉に、恵先輩が頷く。
「……もしかして特級って、上層部と仲悪くないとなれないんですか?」
俺が半ば本気で呆れながら呟くと、恵先輩が深く息を吐いた。
「バカなこと言ってないで聞け」
「あはは……。まぁ、特級の事情は一旦置いといて」
憂太先輩が苦笑交じりに割って入り、話を本筋へと戻した。
「問題は、天元様の"隠す"結界なんだ。
シャッフルが繰り返される1000以上の扉の内、
1つだけが天元様のいる薨星宮へと繋がっている」
「それを引き当てなきゃ、天元……様に会えねぇわけか」
そこまで言って悠二先輩は目を伏せる。そして――
「ごめん伏黒。やっぱ今聞くわ」
その声は、ひどく掠れていた
「……釘崎は、どうなった」
「…………」
恵先輩は、何も答えなかった。
ただ、苦しげに目を伏せる。
「……そうか」
悠二先輩は、ギリッと拳を握りしめ、
「……分かった!!」
無理やり顔を上げ、声を張り上げた。
「その"隠す"結界とやら」
「なんとかなるかもしれんぞ」
悠二先輩の言葉に被せるように、物陰から脹相さんが進み出てきた。
「どういうことだ」
悠二先輩が問うと、脹相さんは淡々と答えた。
「以前真人が、宿儺の指と呪胎九相図を盗み出しただろう。それと同じことをする」
---
――呪術高専東京校・地下。
無数の扉が壁一面に並ぶ、異質な空間。
その一角に置かれたソファとテレビの前に、特級呪術師・九十九由基が座っていた。
そして、その傍らには。
「久しぶり……って訳でもねぇか」
顔の右半分から首にかけて、痛々しい火傷の痕を残した真希先輩が、壁に寄りかかって立っていた。
「真希先輩!?」
悠二先輩が驚きの声を上げる。
「真希さん!!」
憂太先輩が真希先輩に駆け寄る
「もう動いていいの?」
「応。問題ねぇ」
俺もほっと息を吐いて、軽く頭を下げた。
「お久しぶりです、真希先輩。無事でよかった」
俺がそう声をかけると、真希先輩は片眉をピクリと吊り上げ、俺をジロリと睨みつけた。
「おう。……お前こそ、生きてんなら何でさっさと高専に帰ってこねーんだよ」
「いや~。あの、ちょっと、あはは……」
「笑って誤魔化すんじゃねぇ!!」
「ぐえっ!?」
誤魔化しきれず、真希先輩の腕が俺の首元にガッチリと決まる。ヘッドロックだ。
「バカかお前は。お前に直接会ってねぇ奴らが『あいつ本当に生きてんのか』ってそわそわしてて鬱陶しかったんだぞ」
「す、すみませっ、首! 首折れる! ギブギブ!」
俺がバタバタとタップすると、真希先輩は「チッ」と舌打ちをして腕の力を緩めた。
「……まぁ、会った奴でもそわそわしてる奴いるけどな」
むせながら首をさする俺を見下ろし、真希先輩がぼそりと付け加える。
(どっかで時間作らなきゃなぁ)
「……それにしても、真希先輩」
俺は咳き込みを落ち着かせながら、彼女の右半身を覆う痛々しい火傷の痕を見上げた。
「なんか、歴戦の猛者って感じになりましたね」
俺がそう言うと、真希先輩は少しだけ目を細め、火傷の痕を軽く撫でた。
「火傷は仕方ないさ」
テレビから視線を外さず、由基さんが口を開いた。
「反転術式でも跡は残る。でも流石は天与呪縛のフィジカルギフテッド。
最後の最期で呪いへの耐性ではなく、生来の肉体の強度が、生死を分けた」
「当主のことは、残念だったね」
「別に競ってたわけじゃないっスよ」
真希先輩が素っ気なく返す。
禪院家当主である禪院直毘人のことだろう。
「恵、天元様の結界の話は?」
真希先輩が話を本筋へと戻す。
「それは……」「俺から話そう」
恵先輩が答えようとしたところに脹相さんが割って入る
「扉から薨星宮の途中には、高専が呪具や呪物を保管している『忌庫』があるな。
忌庫には俺の弟達――脹相・骨相・焼相・膿爛相・青瘀相・噉相の亡骸が在る」
「亡骸でも、6人も揃えば俺の術式の副次的効果で気配くらい分かるハズだ」
脹相さんは、確かな自信を持って告げた。
「Good!!」
由基さんがポンと手を叩く。
「まあそれはいいとして――コイツは誰だ?」
真希先輩がもっともな疑問を口にする
悠二先輩が、少しだけ気まずそうに、けれど真剣な顔で脹相さんを見た。
「とりあえず俺の……」
「俺の……?」
「兄貴ってことで……」
その瞬間。
脹相さんの顔が、カッと見開かれた。
「悠仁――!!!!」
「行こう」
悠二先輩は脹相さんを完全にスルーして恵先輩の背中を押していく
---
しばらく歩いて立ち止まったのは重厚な両開きの扉の前だった。
「間違いない」
脹相さんが真剣な顔で扉を見据える。
「この先に、弟達が眠っている」
「開けるぞ」
悠二先輩が力を込め、重い扉を押し開ける。
その先に広がっていたのは、無数の巨大な木の根が四方八方に張り巡らされた、果てしなく深く暗い空間だった。
「あれだ」
真希先輩が、眼下に見える古いケージのようなものを指さす。
「奥に薨星宮へと続く昇降機があるんだ。降りよう」
忌庫の入り口。
脹相さんは弟たちの亡骸が眠るその場所で、足を止めた。
「脹相」
悠二先輩が声をかけると、脹相さんは短く頷いた。
「分かってる」
「……後で迎えにくる。もう少し待っててくれ」
静かに、だが決意を込めて呟く。
俺たちはそのまま奥へと進み、古びた昇降機に乗り込んだ。
ゆっくりと、金属の軋む音を立てながら、昇降機が深く、深く下へと降りていく。
やがて、ガクンという衝撃と共に昇降機が底へ到着する。
昇降機を降りて、本殿に向かうその途中だった。
悠二先輩が、ふと床に付着した古い痕跡を見つけて眉をひそめた。
「血痕……? 何かあったのかな」
その疑問に、由基さんが目を伏せ、静かに答えた。
「11年も前の話さ。今思えば、全ての歪みはあの時始まったのかもしれない」
(11年前……)
俺は黙ってその言葉を聞いていた。
「さぁ皆、本殿はこの先だよ」
九十九さんに促され、俺たちは薄暗い通路を抜け、扉を開けた。
だが――
そこには、ただ真っ白で何もない空間が広がっているだけだった。
「クソッ」っと由基さんが悪態をつく
「……これが、本殿?」
「なんもねぇ」
悠二先輩たちがきょとんとする。
「いや、私達を拒絶しているのさ」
由基さんが肩をすくめる
「戻ろうか。津美紀さんには時間がない」
憂太先輩がそう結論付け、俺たちが踵を返したところで、
「帰るのか?」
何もないはずの純白の空間に、声が響き渡った。
「初めまして」
振り返った俺たちの前に、奇妙な姿をした存在――天元が立っていた。
「禪院の子、道真の血、呪胎九相図、宿儺の器」
そして、四つの目を持つその特異な顔が、俺の方へとゆっくりと向けられる。
「――そして、イレギュラー」