生まれ変わった世界は   作:月影うみ

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46話

青森の夜は静かだった。

 

防波堤の向こうで海が鳴いている。潮の匂いが鼻を掠める。

うみはコロニーの外縁を踏み越えながら、内心でひとり言を零した。

 

(確か仙台に憂太先輩がいるんだよな……いったんそこでの合流を目指そう)

 

影を踏む。印を結ぶ。夜の地面から滑り出てきたのは大きなフクロウだった。

全身を鎧のように硬い羽毛で覆っている。

 

「梟羽。お願いね」

 

短く告げると、梟羽は闇の中へ浮き上がった。

眼下に青森の夜景が広がり、遠ざかり、やがて山並みの黒いシルエットだけになった。

冷たい夜風が頬を叩く。うみは目隠しを押さえながら、響蝠を数匹先行させて地形を拾わせた。

 

(確か、途中にもコロニーあったはずだし、そこによって少しでも点を稼いでから行こう)

 

やることを頭の中で並べ直す。感傷に浸る暇はなかった。

 

---

 

――御所湖コロニー

 

湖面が白み始めた空を映している。梟羽をいったん影に戻し、コロニー内に響蝠を放つ

 

(術師、多いな。あんまり好戦的なのはいなさそうだけど

襲ってくる奴だけ相手して、半日つぶす感じでいいか……)

 

結果から言えば、それは文字通りただの「休憩時間」だった。

向かってくる数人の術師を『反射線』で手足だけ弾いて無力化し、

適当な廃屋に陣取る。青森での連戦の疲労を抜くため仮眠を取れば、

ルールで定められた十二時間はあっという間に過ぎ去った。

 

「……よし、時間だ」

 

少しだけ増えた所持ポイントを確認し、うみは振り返ることなく御所湖コロニーの結界を後にした。

再び梟羽を呼び出し、夜の空へ舞い上がる。目指すは南――仙台結界。

 

---

 

数時間後。

仙台結界の外縁を抜け、コロニーに侵入した瞬間――景色が唐突に切り替わった。

 

(……また空中)

 

梟羽に乗った状態から一転、うみは単身、仙台市街の上空数十メートルの夜空に放り出されていた。

落下しながら素早く『反射線』を展開し、足場にして跳躍。

空中の見晴らしの良い位置で体勢を立て直し、周囲を確認しようとした、その時だった。

 

「……戦闘中か」

 

視界で捉えるよりも先に、肌がピリピリと粟立つような重圧。

街の中から、海のような呪力が大気を震わせて伝わってくる。

 

(憂太先輩、結構呪力減ってるな……相当強いのがいると見るべきか)

 

うみは空中へ『反射線』を複数枚、階段状に展開する。

それを全力で蹴り下りて落下速度を極限まで跳ね上げ、激戦の気配がする中心地へと急降下した。

 

その頃、戦場の中心では三つ巴の均衡が崩れようとしていた。

 

空間そのものを面として捉え、操る術師――烏鷺亨子。

彼女と対峙する乙骨憂太は、その厄介な術式に攻めあぐねていた。

 

その頃、歪みきった戦局の中心――仙台結界の市街地では、乙骨憂太が静かに息を吐き出していた。

 

黒沐死との死闘のダメージを反転術式で癒やした直後、

上空から襲撃を仕掛けてきたのは、過去の術師である烏鷺亨子。

 

乙骨の防御をすり抜けるように叩き込まれた不可解な一撃。

『空を面で捉える』という彼女の術式に、乙骨は攻めあぐねていた。

 

「なんで自分なんかのために必死になるんですか?」

 

乙骨の静かな問いかけ。それが逆鱗に触れたのか、烏鷺の顔に明確な怒りが浮かび上がる。

 

「オマエ……藤原の人間か!! 何が分かる!! オマエらのような血族に!!」

 

烏鷺が激昂し、空を掴み取ろうとした、まさにその刹那だった。

二人の対峙に割って入るように、遠く離れた建物の屋上から限界まで圧縮された呪力が放たれた。

 

「グラニテブラスト」

 

石流龍。全泳者一の呪力出力を誇る大砲。

その頭部から放たれる、街の区画ごと消し飛ばす極大の呪力。

 

烏鷺の怒気に気を取られていた隙を突く、最大出力の一撃。

圧倒的な光の奔流が、一直線に乙骨へと迫る

 

咄嗟に防ぐことは不可能。避ける暇もない。

閃光が乙骨を、そしてその周囲の空間ごと完全に飲み込んだ。

 

ドゴォォォォォンッ!!

 

大地を抉り、瓦礫を粉砕し、街を一直線に削り取った爆発が凄まじい土煙を上げる。

「グラニテブラスト」を放った張本人である石流龍は、遠く離れた屋上からその光景を満足げに見下ろしていた。

 

「……ん?」

 

だが、土煙が晴れ始めたその場所を見て、石流はリーゼントを揺らして眉をひそめた。

 

爆心地。

周囲の地面が放射状に消し飛んでいる中、乙骨の立っていた場所の背後だけが、

まるでそこだけ何もなかったかのように「綺麗に無傷のまま」残っていたのだ。

 

そして、信じられないものを見るような顔で固まっている乙骨の目の前に――見慣れない小柄な背中が立っていた。

 

「オイオイ、なんだァ? あのガキは」

 

石流が自身のコガネを呼び出す。

「コガネ。あのチビの情報を出せ」

 

『月影うみ。所持得点:34点。ルール追加回数:1回デス』

 

「……ほぉ」

 

石流は思わず声を漏らした

ルールを1回追加しているということは、過去に最低でも100点稼いでいる計算になる。

すなわち、合計で20人以上の術師を殺している可能性があるということだ。

乙骨憂太に次いで面白くなりそうな予感

 

「うみ……君?」

 

乙骨が絞り出すように声を上げた。

防げるはずのない一撃を完全に防ぎ切ったその後輩は、服の埃を軽く払いながら振り返った。

 

「こんにちは、憂太先輩。今、どういう感じです?」

 

殺伐とした死闘のど真ん中には似つかわしくない、いつも通りの平坦な声だった。

 

「……いや、どういう感じって。どうしてここに……?」

 

「いや~...誰も行ってないってことで青森で点数稼ぎしてたんですけど、

連絡手段がないことに気づいて、とりあえず一番近いここに合流しに来たんです」

 

乙骨の問いにうみは頬をかきながら、恥ずかし気に答える。

そしてそのまま一歩距離を詰めると、上空の烏鷺や遠くの石流には聞こえないよう、声を潜めて問う。

 

「それはそうと、リカちゃんを呼び出さない理由って何かあるんですか?

さすがの憂太先輩でも一人であの二人を相手にってのは厳しいでしょ?」

 

「……っ」

 

図星を突かれたのか、乙骨は苦笑して視線を逸らした。

 

「……あっちのスタジアムに、一般人が避難してるんだ。だからリカちゃんには、そこの護衛を頼んでて」

 

「スタジアム……」

 

うみは乙骨の示す方向に意識を向ける。

確かに少し離れたところに、リカの膨大な呪力が視える。

 

位置関係を把握した上で、うみは上空の烏鷺と、遠くの石流を交互に見る。

 

「飛んでる人は術式がよく分からないから何とも言えないですけど……

あの砲台の人と護衛を付けずに戦うには、確かに近めですね。被害が及ぶかもしれない」

 

「……うん。さすがだね、うみ君は」

 

苦笑する乙骨に、うみは小さく息を吐き出した。状況は完全に理解した。

 

「戦ってみた感じどうですか? あの二人は」

 

「あそこのリーゼントの人は、呪力の出力がとんでもない。今のビームみたいなのを連発してくる。

上の彼女は……『空を面で捉える』術式って言ってたよ。攻撃を逸らされるし、ガード不能の打撃も持ってる」

 

「空を面で……

う~ん。無理やり解釈するならブレーン宇宙論に近い感じですかね」

 

「ぶ、ぶれー……何?」

 

「簡単に言うなら、三次元より高度な次元…四次元を定義して、

今いる三次元空間を相対的に二次元、つまりは平面として解釈してる感じじゃないかと。

色々検証する必要はありますけどね」

 

乙骨がきょとんとした顔をしている間に、うみは結論を出した。

 

「ひとまず、あっちの人は俺が相手するんで、リーゼントの人はお願いしてもいいですか?

タイマンなら、リカちゃん呼んでもスタジアムに被害出さずに行けると思うので」

 

「……分かった。頼むよ」

 

乙骨は一瞬躊躇するような表情を見せたが、すぐにその目に強い光を宿した。

その様子を見て、うみはようやく烏鷺を見据える

 

「ようやく終わり? 待たせすぎじゃない?」

 

「それはごめんなさい。ついでに、

長い長い審議の結果、あなたには俺の相手をしてもらうことになりました。

優太先輩に並々ならぬ何かがあるみたいですけど、我慢してください」

 

うみの飄々とした口調に、烏鷺の額に青筋が浮かぶ。

 

「舐めるなよ、ガキがァ!!」

 

怒号と共に烏鷺が空を蹴る。うみも同時に地面を蹴り、二つの影が空中で激突した。

 

 

空気を裂くような打撃の応酬。うみの蹴りを烏鷺が弾き、烏鷺の裏拳をうみが躱す。

数瞬の激しい打ち合いの末、うみの鋭い右ストレートが烏鷺のガードの隙間を縫い、その顔面を捉えにいく。

 

だが、拳が烏鷺を捉える直前、空を掴み引く。

――空気がぐにゃりと歪んだ。

 

「……!」

 

うみの右腕が、肘のあたりからあり得ない角度にねじ曲がる。

 

(痛みはない…ただ、きもいなこれ)

 

自身の腕の異様な視覚情報にうみは内心で悪態をついた。しかし、その動きに淀みはない。

 

「よそ見してんじゃねェ!!」

 

腕を歪められた隙を突き、烏鷺が強烈なカウンターの拳を放つ。

うみは即座に無事な左腕を盾にして防御姿勢をとった。だが――

 

ドゴォォォォォンッ!!

 

「……っ!?」

 

ガードしたはずの左腕を透過するように、凄まじい衝撃がうみの全身を突き抜けた。

 

「ッ――」

 

うみの小さな体は、弾き飛ばされるように空を舞い、後方の瓦礫の山へと勢いよく激突した。

 

もうもうと立ち込める土煙の中、ガラガラと瓦礫を退ける音が響く。

 

「……った、いてて」

 

粉塵に紛れて、うみはゆっくりと立ち上がった。

 

(右腕は戻ってる、痛みもない。あくまで歪めるだけか

それよりも、腕で受けたのに全身にダメージが来てる…)

 

服についた埃を軽く払いながら、思考を回す。

聞いた話と受けた事象のすり合わせを行う

 

「術式によって空間を二次元に固定、そこへ打撃を打ち込み、面として衝撃を伝播させる

となると、あのガード無視の理論はニュートンのゆりかごか?」

 

「何をブツブツ言ってんだ!!」

 

土煙を切り裂くように、烏鷺が追撃の蹴りを放ちながら突っ込んできた。

 

(あとは条件が知りたい)

 

うみは印を組みながら烏鷺の蹴りを紙一重で躱すと、そのまま流れるような動作で踏み込み、拳を放つ

 

「チッ……鬱陶しい!」

 

烏鷺は再び空を掴む。空間が歪み、正面から迫るうみの拳が、見えない壁に弾かれるように軌道を逸らされた。

 

(今度は腕じゃない?)

 

その瞬間。

死角となっていた烏鷺の背後から、影の中を移動していた黒い影が飛び出した。

 

『猫又(影)』

 

「なっ!?」

 

完全な死角からの奇襲。空間を歪める暇もなく、猫又の鋭い爪が烏鷺の背中を切り裂いた。

 

「ガッ……!」

 

僅かに体勢を崩した烏鷺。その隙を見逃さず、うみは追撃の指示を出す

 

「焔!」

 

正面から、二股の尾を持つ猫が灼熱の「猫火」を吐き出す。

だが、烏鷺は素早く腕を振り、その空間ごと炎を掴み取って背後へと逸らした。

 

(……なるほど)

 

一連の攻防を終え、うみは一定の距離を取って着地した。

 

「歪曲の条件は空間を掴むことか

なら、空間の二次元化は触れることってとこかな」

 

うみの一連の動きを見ていた烏鷺は、忌々しげに顔を歪めた。

 

「オマエも式神使いかよ……!」

 

遠くで乙骨と対峙している石流も、コガネの情報を思い返しながら口角を上げる。

 

(ほぉ。あのチビも式神使いか。だが、あの女の空間には手も足も出ねェだろうな)

 

烏鷺と石流の認識では、乙骨優太も"得体の知れない強力な式神"を使役する式神使いだ。

空間という絶対的な防御を持つ烏鷺に対し、ただ式神をぶつけるだけの戦法が通じるとは思っていなかった。

 

烏鷺の一言に、うみは目隠しの下で細く目をすがめた。

彼女たちの認識のズレは好都合だ。

 

「まあ、そんなとこです」

 

飄々と返しつつ、うみは小さく印を結ぶ。

足元の影が微かに波打ち、そこから音もなく、狐のシルエットが滑り出た。

白く透き通るような毛並みに、揺らめく九つの尾。その双眸が、妖しい光を宿している。

 

「次から次へと……! 数で押せばどうにかなると思ってんのか!」

 

烏鷺が忌々しげに怒鳴り、再び空間を掴む構えを見せる。

だが、うみは止まらない。地面を爆発的に蹴り、正面から烏鷺へと一直線に突撃した。

 

(真正面から? 馬鹿め、学習能力がないのか!)

 

烏鷺は嘲笑い、眼前に迫るうみの拳を逸らすべく、両手で思い切り前方の空間を掴み、引きちぎるように歪めた。

 

――ドゴォォンッ!!

 

鈍い破砕音が響いた。

烏鷺が歪めたはずの前方の空間ではなく――全くの無防備となっていた彼女の『背中』から。

 

「……あ?」

 

何が起きたのか理解する間もなく、烏鷺の身体は砲弾のように弾き飛ばされ、眼下の瓦礫の山へと激突した。

濛々と上がる土煙の中、烏鷺は血を吐きながら身をよじる。

 

「ガハッ……! な、何だ……!? 真正面にいたはず……!」

 

自分が掴んだ空間は、確かに前方にあった。そこに敵の姿を捉えていたはずだった。

混乱する烏鷺の頭上から、静かな声が降ってくる。

 

「この子は『幻狐』」

 

見上げると、瓦礫の頂上にうみが立っていた。その後ろで、九尾の狐が座っている

 

「幻覚の権能を持つ式神です。この子の力であなたに幻覚を見せた

俺が正面から突っ込んでく幻覚を……」

 

「さあ、今あなたが見てる景色は本物? それとも偽物?」

 

烏鷺がギリッと歯を食いしばり、反撃に出ようとしたその時だった。

 

ズンッ……!!

 

突如、大気がビリビリと震えるほどの莫大な呪力が爆発的に膨れ上がった。

うみも烏鷺もそちらへと視線を向ける

 

うみの瞳に映るのは、底なしの沼のようにどす黒く、それでいて圧倒的な力を持つ呪力の竜巻。

乙骨憂太の呼びかけに応じ、リカが完全顕現を果たしたのだ

 

「うわぁ……相変わらずすごいなぁ」

 

うみは感心したようにひとり言を零す。

そして、未だ乙骨に気を取られている烏鷺へと視線を戻した。

 

「向こうが終わるまでお話しません?」

 

「……は?」

 

生死を懸けた死滅回游の、死闘のど真ん中。

あまりにも唐突で、日常会話のようなトーンで放たれたうみの質問に、烏鷺は虚を突かれたように固まった。

 

「休憩ですよ、休憩。

聞きたいこともありますしね」

 

「……オマエ、正気か? 殺し合いの最中だぞ」

 

「だから言ってるじゃないですか、休憩です。

それに、この子をどうにかする策がなきゃ、俺は殺せないですよ?」

 

うみは瓦礫に腰掛け、幻狐を撫でながら言い放つ

その言葉の裏にある「俺の方が圧倒的に優位だ」という事実が、烏鷺のプライドを酷く逆撫でした。

 

「ふざけるな……ッ!」

 

烏鷺が激昂し、うみへ向けて踏み出そうとしたその時だった。

うみの口から、まるで世間話でもするかのように、唐突な問いが投げかけられた。

 

「なんで、羂索なんかと契約したんですか?」

 

「……あ?」

 

「ほら、羂索って絶対ろくでもない奴じゃないですか?

あれと契約なんてしても絶対ろくでもないことにしかならなそうというか」

 

その真っ直ぐで、呆れを含んだアイスブルーの双眸に見つめられ、烏鷺は一瞬、言葉に詰まった。

だが、すぐにその顔を憎悪と怒りに歪める。

 

「決まってんだろ……!悔いがあるからだ!!

一度目の人生に……悔いのない奴が、羂索の誘いに乗るわけないだろ!!」

 

悲痛なまでの執念。

それは、平安の世を生きた彼女の、拭いきれない後悔の叫びだった。

乙骨憂太ならば、その言葉に僅かながらも共感か、あるいは同情を示したかもしれない。

 

だが、うみの反応は違った。

 

「悔い…かぁ」

 

うみはぽつりと呟くと、瓦礫の上で頬杖をついた。

その目は、烏鷺の悲壮な覚悟を前にしても全く揺らいでいない。

 

「その悔いって、ここで果たせるものなんですか?」

 

「……何が言いたい」

 

烏鷺が低く唸る。うみは肩を竦めた。

 

「だって、あなたが生きた世と今では環境が全然違いますよ?

多分、術師の質は今の方が低いし、数もいない。

あなたが何を悔いているのかなんて知りませんけど、

今の世でなしえることなんてたかが知れてると思いますけど?

無駄とまでは言わないですけど、価値があるとは思えません」

 

「……ッ!!」

 

うみの言葉は、同情でもなく、怒りでもなく、ただの呆れ。

烏鷺の執念を、無価値なものだと切り捨てる。

 

「殺す!! オマエも、あの藤原の小僧も!! 全員ここで叩き潰してやる!!」

 

烏鷺が絶叫と共に宙を蹴り、うみへと突進する。

 

(この人には触れられなければいいだけ、対処は真人とほぼ同じでいいかな)

 

うみが冷静に構え、迎撃しようとした、その時だった。

 

「いい顔してんじゃねェか、女ァ!!」

 

突如、真横から街の区画ごと消し飛ばすような極大の呪力砲――石流龍の『グラニテブラスト』が放たれた。

 

「チッ……!」

 

烏鷺はうみへの攻撃を強制的にキャンセルし、咄嗟に空間を掴んで砲撃を真上へと逸らす。

光の奔流が空を割り、仙台の空に轟音が響き渡った。

 

「ごちゃごちゃうるせぇぞ!!」

 

遠くにいたはずの石流が、凄まじい跳躍力で一気に距離を詰めてきていた。

さらにその後方からは、石流を追撃するように乙骨が刀を構えて接近してくる。

 

「石流さん! こちらに背を向けるのは悪手ですよ!」

 

乙骨の斬撃が石流の背後を襲うが、石流はそれを振り返りざまの拳で強引に弾き返した。

凄まじい呪力のぶつかり合いで生じた衝撃波が、瓦礫を吹き飛ばしながら周囲を更地に変えていく。

 

(こっち来ちゃったよ。どうしよ…)

 

「ここまで来たら、言葉じゃねぇだろ!!」

 

石流の雄叫びが、空気をビリビリと震わせた。

それは単なる煽りではなく、極限まで高まった呪力の爆発を伴う、本能の叫びだった。

 

その声に呼応するように、烏鷺の全身から再びどす黒い殺意が噴き上がる。

そして、二人の尋常ではない呪力の高まりを前に、乙骨もまた、静かに、だが底知れぬ圧を放ち始めた。

 

「……っ」

 

三者から同時に放たれたプレッシャーに、うみは思わず息を呑んだ。

 

(あぁもう!最悪)

 

「オマエら全員、私が喰う!!」

「最高だぜ、お前ら!!」

「ここで、終わらせます!!」

 

烏鷺の怨念、石流の闘争心、そして乙骨の決意。

三つの規格外の呪力が、文字通り臨界点に達し、周囲の大気が軋みのような悲鳴を上げた。

 

呪術戦の極致。

空間を分断し、自身のルールを強制する必中必殺の結界術

 

うみの顔から、先ほどまでの余裕が完全に消え去った。

彼らがこれから何を行おうとしているのか、痛いほど理解できたからだ。

 

(俺、それまだできないんだけど!!)

 

うみの内心の絶叫を完全に置き去りにして、三人の術師は同時に印を結んだ。

 

「「「領域展開」」」

 

三人の声が重なった瞬間、世界が黒く塗り潰されるような錯覚に陥った。

それぞれの心象風景を具現化した三つの結界が、狭い空間で同時に展開され、

互いの領域を押し潰そうと激しく衝突し合う。

 

(三者の精度はほぼ同等…必中効果は未だなし)

 

それはつまり、三人の意識と呪力の大半が、領域の維持と結界の押し合いに割かれているということを意味する。

 

(領域を展開してない俺が、今一番自由に動ける……!)

 

うみの目隠しの下の瞳が、鋭く細められた。

結界が完成し、誰かの必中効果が自分を襲う前に勝負を決める。

対象は烏鷺と石流。二人が領域の押し合いで硬直しているこの数秒の間に、

全力で二人を叩き落とせば、この最悪の状況はひっくり返る。

 

(最悪は簡易領域でしのげばいいし)

 

「やれる……!」

 

うみが全身の呪力を練り上げ、手始めに石流の死角へと超高速で踏み込もうと地を蹴った、まさにその瞬間だった。

 

ゴキャァァァァンッ!!

 

「「「「!!!?」」」」

 

突如、三者が構成しようとしていた結界の外殻が、凄まじい衝撃音と共にひび割れた。

いや、外側から『何者か』によって強引に破壊されたのだ。

 

「私ハ!! 鉄ノ味ガ、好キダ!!」

 

――現代の黒い悪魔が結界内に舞う

 

結界の構築条件が想定外の侵入者によって崩れ、三者の領域の均衡が完全に崩壊する。

ピキッ、とガラスが割れるような音と共に、三つの領域が押し合いに耐えきれず、一斉に霧散した。

 

「チッ……!!」

「なんなのよ!!」

 

領域が崩壊し、反動で術式が焼き切れた烏鷺と石流が、

忌々しげに舌打ちをする。乙骨もまた、想定外の事態に表情を強張らせていた。

 

だが、その惨状の中で、ただ一人。

領域展開の巻き添えを回避できたうみだけは、瓦礫の上に着地しながら、心の底から安堵の息を吐き出していた。

 

(……助かったぁぁぁ)

 

もしあのまま領域が完成していれば、簡易領域があるとはいえ、無傷では済まなかっただろう。

 

(なんかよく分かんないけど、超ラッキー。誰だか知らないけどありがとう、黒くて気持ち悪い人!)

 

うみは内心で、乱入してきたおぞましい呪霊に対して全力の感謝を捧げた。

 

「あの野郎…生きてたのか……!」

 

烏鷺の意識が自身と相性の悪い黒沐死に向けられる

その、僅かに意識が呪霊へと逸れた一瞬。うみにとって、それは十分すぎる隙だった。

 

「よそ見厳禁!!」

 

「ッ!?」

 

烏鷺が気付いた時には遅い。

うみの重い前蹴りが烏鷺の腹部を正確に捉え、彼女の身体は空中をバウンドしながら黒沐死の真正面へと蹴り飛ばされた。

 

「ギチギチギチ!!」

 

「チッ……!!」

 

突如目の前に飛んできた獲物に対し、黒沐死が本能のままに爛生刀を振り下ろす。

烏鷺は空中で無理やり体を捻るが、完全には避けきれず、右肩を浅く切り裂かれた。

 

「しまッ――」

 

「ギア"ア"ア"ァ」

 

爛生刀によって刻まれた傷口から、ボコボコと異様な音を立てて無数の『蟲』が湧き出し、烏鷺の肉を内側から食い破った。

ボトリ、と食い破られた腕が宙を舞う

 

「リカちゃーん! ご飯ですよっと」

 

うみの放った蹴りは重力を無視したような軌道を描き、空中で血塗れの肉塊――烏鷺の右腕をリカの眼前へと吸い込ませた。

 

ガリッ、と骨を砕く乾いた音がし、リカが満足げに喉を鳴らす。

その光景を見た烏鷺の瞳から、理性の光が完全に消え失せた。

 

「ガキがァァッ!! よくも私の腕を!!」

 

右腕を喪失した激痛と屈辱で完全に発狂した烏鷺が、残った左腕で空間を掴み、うみへ向けて決死の特攻を仕掛ける。

そして同時に、獲物を奪われて苛立つ黒沐死もまた、巨大な刃を振り被りながらうみへと突進してきた。

 

「うわ、やっば!」

 

うみは目を見開いて後ずさる

 

「ハッ! 終わりだよ、ガキ!」

 

烏鷺の口角が吊り上がる。

乙骨を相手取りながら、石流もその光景に結論を出して花を鳴らす。

 

(……詰みだな。派手な割には、意外と脆い)

 

烏鷺の拳と、黒沐死の爛生刀が、うみの身体を完全に捉えた。

 

――ピタリ。

 

烏鷺の拳も、黒沐死の刀も、うみの身体に届かない。

 

「……なんてね」

 

先ほどまでの余裕のなさが嘘のように消え、うみはすっと平坦な真顔に戻った。

 

「まずはこっちから」

 

うみは右手を黒沐死に向け指を立てる

その指先に青い光が灯る

 

「『術式順転・蒼』」

 

『蒼』が黒沐死を呑み込み凄まじい引力で空間ごと圧壊させる。

黒沐死は断末魔を上げる暇もなく、文字通り塵となって消滅した。

 

「な……!」

 

目と鼻の先で起きた圧倒的な破壊に、烏鷺は息を呑んだ。

 

「さて、こっちは…」

 

うみは左手で、硬直している烏鷺の残った左腕をポンッと上へ弾き上げた。

完全に無防備となった烏鷺の胴体。

 

「こんな感じだったかな?」

 

がら空きとなった胴体に触れ、術式を起動する。

繰り出されるは、空の面を捉えたたき割る、防御無視の一撃

 

「『宇守羅彈』」

 

ドゴォォォォォンッ!!

 

術式による防御すらできない状態の烏鷺の身体を真正面から打ち砕いた。

 

空気を切り裂くような轟音と共に、烏鷺の体は砲弾のように弾き飛ばされ、

遠く離れた廃ビルの壁面を何枚もぶち抜きながら瓦礫の奥深くへと沈んでいった。

 

もうもうと立ち昇る土煙。

 

「うん、いい感じ。今はまだモーションがいるけど

あの人みたく拳にそのまま乗せれるようになれば完璧だね」

 

一人ごちながら、うみは足元の瓦礫を蹴る。

『蒼』を応用した高速移動により、烏鷺が突っ込んだ廃ビルへと瞬時に距離を詰めた。

 

崩落したビームやコンクリートの残骸が散乱するビルの内部。

その最奥で、烏鷺は血塗れになって倒れ伏していた。

 

「ガハッ……、あ……」

 

口からおびただしい血を吐き出しながら、烏鷺は霞む視界で、悠然と歩み寄ってくるうみの姿を捉えた。

 

(こいつ……ただの、式神使いじゃ、ない……)

 

「俺の勝ち。……でいいですよね?」

 

「……ッ」

 

烏鷺は答えない。いや、答えられなかった。

激痛と屈辱でギリッと歯を食いしばり、ただ憎悪に満ちた目でうみを睨みつけることしかできない。

 

「……まあ、なんでもいいですけど」

 

沈黙を肯定と受け取ったのか、うみは小さく息を吐くと、

まるでちょっとした用事を思い出したかのような、軽いトーンで言葉を続けた。

 

「とりあえず、あなたの持ってる得点、全部もらってもいいですか?」

 

「……は?」

 

命のやり取りを終えた直後の、あまりにも拍子抜けする要求。

自分が今から殺されるのだと思っていた烏鷺は、痛みを忘れて呆気にとられた。

 

「点数……だと?」

 

「ええ。あなた、結構持ってますよね?」

 

うみの言葉に、烏鷺は眉間に皺を寄せる。

 

「ああ、その様子だと知らない…いや、自分に関係ないから忘れてるってとこですか」

 

うみはポンッと手を打つと、自身の傍らにコガネを呼び出した。

 

「『総則10。泳者は他泳者に任意の得点を譲渡することができる』。つい最近、追加された新しいルールです」

 

「……何?」

 

コガネが提示したルールの文面に、烏鷺は信じられないものを見るように目を見開いた。

 

「ただ殺すだけだと5点しか入りませんけど、これなら相手の持ってる点をすべて手に入れられる」

 

うみは屈み込み、烏鷺と視線の高さを合わせる。

その瞳には、戦いの最中にあった殺意は映っていない

 

「……オマエ、私を殺さないのか?」

 

掠れた声で烏鷺が問う。

先ほどまで本気で殺し合っていた相手を、見逃すという行為が彼女には全く理解できなかった。

 

「ええ。まあ、ここまで散々泳者を殺してきた俺が言うのもなんですけど」

 

うみは困ったように頬を掻き、少しだけ視線を伏せた。

 

「殺さなくていいなら、殺さないに越したことはないんですよね。後味も悪いですし」

 

「甘いな……本気で殺し合った相手を生かしておいて、得るものなど何もない……」

 

「でしょうね。そんなことは分かってますよ。そのうえで、俺はあなたを殺さないことにした」

 

うみは立ち上がり、見下ろすように烏鷺へ視線を向ける。

 

「……」

 

長い、重苦しい沈黙。

烏鷺は血塗れの唇を震わせ、激痛に耐えながら、うみを見上げる。

 

「私は見た」

 

烏鷺の脳裏に、かつて平安の世で目の当たりにした、

圧倒的な『暴力』と『呪い』の王の姿がフラッシュバックする。

 

「術師や呪霊……強者としての地平すら超越するのは、圧倒的な自己。他を顧みない……『災い』だ」

 

烏鷺は血を吐き捨てるように言葉を紡ぐ。

 

「そんな考えでは、いずれ限界が来るぞ」

 

千年の時を越えて強者を見てきた彼女なりの、呪いのような忠告だった。

うみは黙ってその言葉を聞いていたが、やがて小さく息を吐いた。

 

「……肝に銘じておきます」

 

「……コガネ」

 

うみの返答を聞き、烏鷺はようやく自身のコガネを呼び出した。

 

「月影うみに……私の持ち点の全てを……譲渡する」

 

『承知シマシタ。泳者月影うみヘ、70点ヲ譲渡シマス』

 

うみのコガネが新たな点数を通知する。

 

『泳者烏鷺亨子から、70点が譲渡されたよ! 合計で104点になったね!』

 

(コガネって人ごとに性格違うんだ……)

 

「ありがとうございます。たしかに受け取りました」

 

それだけ言うと、踵を返し、瓦礫の山から下りていく。

途中、ふと何かを思い出したように立ち止まり、背中越しに烏鷺へと声をかけた。

 

「あー……そういえば」

 

「なんだ……とっとと消えろ」

 

「死滅回游が終わった後でなら、再戦を受けてもいいですよ」

 

「……は?」

 

「お互い、ちょっと不完全燃焼だったでしょ? 最後まで一対一(タイマン)でできなかったし」

 

うみは肩越しに、飄々とした笑みを浮かべてみせた。

 

「その時は最後まで戦りましょう? 今度は『悔い』を残さないように」

 

ドゴォォォォォォンッ!!!

 

うみが言い切ったのと同時に、市街地から、空を裂くような凄まじい轟音が響き渡った。

 

「……お」

 

うみは目を細めて、音の弾けた方向を見やった。

 

「向こうも終わったみたいですね」

 

それだけ言い残すと、うみは今度こそ振り返ることなく、石流と乙骨が激突していた戦場へと向けて跳躍した。

後に残された烏鷺は、痛む体を瓦礫に預けながら、空高く消えていく少年の背中をただ黙って見つめていた。

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