市街地を抜け、うみが跳躍の末に降り立ったのは、激しい呪力衝突の余波で完全に更地と化した大通り
もうもうと立ち込める土煙が晴れていく中、瓦礫の上に座り込むリーゼントの男——石流龍と、
その近くで息を吐く見慣れた背中を見つける。
「憂太先輩」
うみが声をかけると、乙骨憂太が弾かれたように振り返った。
その顔には疲労が滲んでいるが、纏う呪力はすっかり落ち着きを取り戻している。
背後の石流も、戦闘不能ながらどこか満ち足りたような、スッキリとした表情で空を仰いでいた。
うみは石流を一瞥した後、足取りも軽く乙骨の元へと歩み寄る。
「お疲れ様です。……で、何点になりました?」
その言葉に、乙骨は一瞬きょとんとした後、困ったように、けれど少し嬉しそうに苦笑を漏らした。
「うみくん……そこは普通、『大丈夫ですか』とか『勝ちましたか』って聞くところじゃないかな」
「え? だって憂太先輩が負けるわけないじゃないですか
俺の方の心配をしてくれてもいいくらいですよ?」
うみが涼しい顔でさも当然の事実として言い切る。
それを聞いた瓦礫の上の石流が、「カハッ」と腹を抱えて吹き出した。
「違いねェ。全幅の信頼ってヤツか、乙骨。いい後輩持ってんじゃねェか」
「……もう。うみくんは相変わらずだね」
乙骨は少し照れくさそうに頭を掻きながら、ふっと肩の力を抜いた
「……ええと、僕は彼から点数を譲渡してもらって、今は130点だね。うみくんの方はどうだった?」
「俺はさっき、烏鷺って人から70点をもらったので、今104点です」
乙骨は考え込むように視線を落とす。
「僕が130点、うみくんが104点……二人合わせれば、ルールを二つ追加できるね」
その言葉を聞いたうみは、少し考える素振りを見せた後、空中に向かって声をかけた。
「コガネ」
『ハーイ!』
うみの声に呼応して、羽の生えた小さな呪骸のようなコガネがふわりと姿を現す。
「乙骨憂太に103点、石流龍に1点を譲渡して」
『マカセテ! 泳者・乙骨憂太ニ103点、泳者・石流龍ニ1点ヲ譲渡シマス』
突然のポイント譲渡に、乙骨は目を瞬かせる。
「えっ、うみくん? いいの? 全額預けちゃうなんて……」
「とりあえず憂太先輩が持ってた方が安全ですから」
うみはさも当然のことのように答えた。
後輩の絶大な期待に乙骨は少し苦笑しながらも、託された重みを噛み締めるように頷いた。
「わかったよ。そういえば、石流さんに1点……どうして?」
「ああ、それですか」
うみは淡々と説明を始める。
「ルールで、19日間点数の変動がないと術式剥奪……
つまり死んじゃいますから。移動させるための点数は必要でしょ?」
「さっきの人と回して使ってください。
結界内での延命くらいなら、二人で適当にポイントを融通し合えば問題ないはずです」
「なんだ、お前ら……」
石流が、呆れたように天井を仰いだ。
「殺してねェのか。甘いなお前ら。そんな考えじゃこの先、ろくなことにならねぇぞ」
「殺すべき相手はちゃんと殺しますよ。今回がそうじゃないだけです」
うみはそう短く答えると、石流への関心を早々に切り上げ、乙骨の方へと向き直った。
「さて、憂太先輩。ルール追加の方ってどういう風にまとまってるかってわかります?
他と通信できてないので把握できてないんですよね。とりあえず一番大事な点数譲渡は追加されてますけど」
「うん、今のところは把握してるよ」
乙骨は頷き、自身のコガネを呼び出すと、これまでに判明している死滅回游の総則を表示させた。
うみも隣に寄り添い、情報を整理していく
「現在追加されている新しい総則は三つだね。9条が『他泳者の情報の閲覧』、10条が『点数の譲渡』……」
乙骨がそこまで読み上げたところで、うみは小さく頷いた。
「確かこれが最優先目標でしたっけ?」
「うん。伏黒くんの用件はこれで一つ片付いたはずだ」
「それで、もう一つ追加されてるんだけど……第11条」
乙骨はコガネの表示をじっと見つめ、少し不思議そうに首を傾げた。
「『泳者は結界外に出てから一日以内にいずれかの結界に侵入すること、また結界に侵入した際は半日以上滞在すること』を条件に、
結界の自由な出入りを認める……こんなルール、誰が追加したんだろう。かなり具体的な条件だけど」
「ああ、それ、俺が追加したやつですね」
うみはさらりと、本当に何でもないことのように告げた。
「えっ」
乙骨が間の抜けた声を上げる。
「ほんとは無条件での出入りを申請したんですけど、さすがに総則にぶつかるらしくてダメでした。
だから、その二つを条件に足して無理やり通したんです」
「そっかぁ。それなら仕方ないね
一人でよく通してくれたね、ありがとう」
乙骨は後輩の思い切った行動力に感心しつつ、優しい苦笑を浮かべた。
「本当はみんなと相談してルールを追加したかったんですけどね
通信手段を忘れちゃったのでやむなくです。憂太先輩は持ってます? ミニメカ丸」
うみの問いかけに、乙骨は少し気まずそうに視線を泳がせた後、
自身のポケットから無惨にひしゃげた機械の残骸を取り出して手のひらに乗せた。
「ごめん……戦ってる間に壊れちゃったみたいで」
元の形がわからないほどペシャンコになったそれを一瞥し、うみは「なるほど」と短く呟いた。
「じゃあ、現状俺たちは完全に通信不可状態ってことですね」
「カハッ! お前ら、行き当たりばったりすぎやしねぇか?」
瓦礫の上から石流が呆れたようにツッコミを入れるが、うみは涼しい顔でそれを受け流す
「他との合流が必要ですね。じゃないとルールの相談もできないですし
一番近いとこは…東京第二ですね。誰が行ってるんでしたっけ?」
「東京第二結界には、秤先輩とパンダくんが向かってるはずだよ」
「パンダに金ちゃん先輩かぁ」
うみは顎に手を当てて、わずかに眉をひそめた。
幼い頃から高専で共に育った親友のパンダと、ノリと熱を重んじる秤。
二人の顔を脳内に浮かべたうみは、ひどく現実的な懸念を口にする。
「……あの二人、ちゃんと通信手段持ってますかね?
金ちゃん先輩はどっかに落としそうだし、パンダとかしまう場所ないですよ?」
「あはは……確かに、言われてみるとすごく不安になってきたかも」
乙骨も困ったように眉を下げて苦笑した。二人とも術師としての実力は申し分ないが、
そういった慎重な管理が得意かと言われると、素直に頷きづらい面々である。
「まあ、ここで心配しても仕方ないですね」
うみは小さく息を吐き出すと、あっさりとそう結論付けた。
「それに、場所は東京です。結界の外周には補助監督とか高専の関係者が誰かしら待機してるはずですし、
そこで話を聞けば大体の状況は掴めるでしょう」
「うん、確かにそうだね。結界の出入りが自由になった今なら、外の人間と接触するのも難しくないし」
「最悪、誰も見つからなくても一度高専まで戻っちゃえば問題ないです。誰かしらは絶対いるので」
うみの現実的で合理的な判断に、乙骨もパッと表情を明るくして頷いた。
「そうだね。それなら東京に向かうのが一番確実だ」
だが、すぐに乙骨は何かを思い出したように、わずかに眉を寄せた。
「……でも、ここから東京って一日で行けるかな?
電車とかが使えればいいけど、さすがに止まってるだろうし」
乙骨は周囲を見渡しながら、現実的な距離の壁を口にする。
「うみくんが追加してくれた11条のルールは、
『結界外に出てから一日以内にいずれかの結界に侵入すること』が条件なんだよね?
徒歩や走りで向かって、万が一間に合わなかったらペナルティで術式を剥奪されちゃう」
「ああ、それなら……」
うみは顎に手を当て、空を見上げた。
「空から行くので問題なしです。式神を使って地形は完全無視の最短距離で行きます
うちの子なら二人乗りくらいなら問題なく飛んでくれるので」
「ただ、出発するのはまだ先になりますけどね」
うみは空に向けた視線を下ろし、ぐるりと周囲の瓦礫を見渡した。
「出発はだいたい11時間後です。それまでに、この結界内に残ってる非術師の人たちを外まで避難させましょう」
「え?」
乙骨は少し目を丸くして首を傾げた。
「非術師の人たちの避難は僕も賛成だよ。スタジアムに大勢の人を保護してるからね。でも……なんで11時間も?
さすがに避難誘導だけなら、そんなにかからないと思うけど……」
その当然の疑問に、うみは事もなげに答える。
「俺がここにきてから、まだ一時間くらいですから」
「一時間?」
「ええ。さっき言った11条のルール……『結界に侵入した際は半日以上滞在すること』っていう縛りがあるんで。
俺は最低でも後11時間は、この結界から出られないんですよね」
「あっ……そっか。なら仕方ないね」
乙骨が納得したように頷くと、うみは少しだけ口元を緩めた。
「ええ。なので非術師の人たちを結界の外に避難させた後は、まあ残りは休憩時間ってことでいいですかね」
「休憩?」
「はい。憂太先輩も、さすがに疲れてるでしょ?」
うみがごく自然な気遣いを見せると、乙骨は少し驚いたように目を丸くし、それからふっと肩の力を抜いて柔らかく微笑んだ。
「……ふふ、そうだね。うみくんの言う通りにするよ。少し休ませてもらおうかな」
「そうしてください。憂太先輩は現状、最大戦力なんですから」
照れ隠しのように実務的な言葉を並べるうみに、乙骨は苦笑しながら「こっちだよ」とスタジアムの方角へ歩き出す。
うみは踵を返し、瓦礫の上に残された石流へと最後に視線を向けた。
「じゃあ、俺たちはこれで。死なないように適当に頑張ってくださいね」
「おう、とっとと行きな。……せいぜい気をつけて行けよ、乙骨、チビ助」
スタジアムに向かう二人の背中を、石流は瓦礫の上に寝転がったまま静かに見送った。
――11時間後。
日が暮れ、暗闇が支配し始めた仙台結界。
非術師の避難を無事に終え、十分な休息を取ったうみと乙骨は、再び更地となった大通りに立っていた。
「調子はどうですか、憂太先輩」
「うん、すっかり回復したよ。ありがとう、うみくん」
乙骨は纏う呪力も安定し、本来の落ち着きと頼もしさを完全に取り戻している。
「なら良かったです。じゃあ、そろそろ行きましょうか」
うみが自身の足元、その影に視線を落とす。
手印を組みながら「おいで」と声をかけると、影がぼこりと膨れ上がり、そこから巨大な鳥の姿が浮かび上がった。
「うわぁ、大きいね。これに乗るの?」
「はい。この子で御所湖あたりから仙台まで、
休憩を挟んで2,3時間ってとこだったので、東京までだと大体5,6時間とかですかね」
「なるほど、それなら夜明け前には着きそうだね」
乙骨が感心したように頷くと、うみは「じゃあ、乗ってください」と梟羽の背を指した。
二人が梟羽の巨大な背に飛び乗ると、梟羽は音もなく羽ばたき、更地となった仙台の街から夜空へと舞い上がった。
眼下に広がる街の灯りが徐々に遠ざかり、やがて冷たい夜風が二人の頬を撫でる。
「それじゃあ、行きますか」
うみの言葉を合図に、梟羽は夜の闇を切り裂くような猛スピードで南へと飛翔した。
――数時間後。
夜の闇が少しずつ白み始め、東の空が淡い群青色に染まり出す頃。
『梟羽』の背に乗ったうみと乙骨は、目的地の結界――東京第2コロニーの境界が見える空域へと到達した。
「……着きましたね。東京第2」
視界の先には、空を突くほど巨大な漆黒の円柱が、街の一部をすっぽりと覆い隠すようにそびえ立っている。
「……」
「どう、うみくん。中の様子、何か分かるかな」
乙骨の問いに、うみは小さく首を横に振った。
「ダメですね。やっぱり、結界の壁に阻まれて中の様子は全く『視え』ません」
「ちゃんとしてますね。これ」と肩をすくめる
「そっか……」
乙骨が顎に手を当てて思案する。
「もしかしたら、パンダくんたちが出てきてるかもしれないし、
とりあえず、まずは外周で誰か待機していないか探してみよう」
「ですね。もう用を済ませて出ているか、あるいはまだ中で外に誰か残っているか。
どちらにせよ、まずは外を探した方がいいですね」
うみは梟羽に指示を出し、天を衝く漆黒の円柱に沿うように高度を下げながら、外周の周囲を索敵し始めた。
と、同時に数匹の『響蝠』を放ち、広範囲の呪力反応を探らせる。
(……お)
ほどなくして、響蝠の一匹が結界のすぐ外側、とあるビルの屋上に一つの呪力反応を捉えた。
「憂太先輩、あそこ。誰かいます」
うみが指差した先。
ビルの屋上の縁に座り込み、漆黒の壁をじっと見つめている人影があった。
梟羽を静かに降下させ、屋上に着地する。
背後からの気配に驚いたのか、その人物が弾かれたように振り返った。
「……えっ!?」
「おはよう、綺羅ちゃん先輩。徹夜で待機?」
うみがひらひらと手を振って降り立つと、星綺羅羅は目を丸くして立ち上がった。
そして、次の瞬間――
「うみちゃんっ!!」
ダシッ! と、勢いよくうみの胸に飛び込み、首に腕を回して抱きついてきた。
「わっ!?」
「久しぶり! もう、全然会えないから忘れられちゃったかと思ったよ~」
綺羅羅はうみの胸元に顔をぐりぐりと押し付けながら、甘えるような声で叫んだ。
うみも苦笑しながら、抱きついてきた綺羅羅の背中をぽんぽんと優しく撫でる。
「あはは、ごめんごめん。最後にちゃんと会ったのって、去年の百鬼夜行の時だもんね。
その後、金ちゃん先輩は停学になっちゃったって聞いたけど、大丈夫だった?」
「うんっ。うみちゃんこそ、無事でよかったぁ……!」
二人のいささか距離が近すぎるスキンシップを、乙骨は後ろで少し微笑ましそうに見守っていた。
「久しぶりだね、星君」
「あっ、乙骨くんも! なんで!? 二人とも別のとこ行ってたんじゃ……!」
綺羅羅がようやくうみから身体を離し、驚いたように目をパチクリとさせる。
「俺たちが行ったコロニーは大体終わったからね。合流するために飛んできたの」
うみは軽く肩をすくめると、そびえ立つ結界の壁へと視線を移した。
「金ちゃん先輩とパンダは? まだ中?」
「うん、まだ出てきてないよ。まあ、金ちゃんだし心配はしてないけどねー」
綺羅羅は結界をちらりと見て、ふふっと笑う。
中が視えないとはいえ、秤金次の底知れない強さを誰よりも知っているからこその信頼だろう。
うみは乙骨と顔を見合わせた。
「……憂太先輩。どうします?」
「行こうか。パンダくんのことも気になるしね」
乙骨は迷うことなく頷いた。
「ですね。あ、綺羅ちゃん先輩。
俺たちこれから半日は出てこれなくなるから、もしパンダたちが先に出てきたら、
伝えといてもらっていい?」
「うん、わかった! うみちゃんたちも気をつけてね!」
「任せて」
うみと乙骨はビルの屋上から跳躍し、漆黒の結界の膜へと身を躍らせた。
結界の境界を跨ぐ。
闇の帳をすり抜けた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
猛烈な浮遊感。ランダム転送だ。
「――っ」
視界が晴れる。
足の裏が、硬いアスファルトを捉えた。
着地と同時に素早く周囲を見渡す。
「うわぁ。なにこれ、ボロボロじゃん」
海沿いの工業地帯。積み上げられたコンテナは飴細工のようにひしゃげ、
アスファルトは爆撃でも受けたかのように抉れ返っている。
周囲を見渡しても、一緒に飛び込んだはずの乙骨の姿はない。やはり分断されたか。
「まあ、想定内」
うみは即座に手印を結び、足元の影から数十匹の『響蝠』を一斉に放った。
「憂太先輩と、金ちゃん先輩、パンダを探せ」
響蝠の超音波が、静まり返った東京第2結界の内部を駆け巡る。
(……ひどいな)
響蝠からのパスを通じて流れ込んでくる情報に、うみは思わず眉をひそめた。
結界のあちこちに、というわけではないが、この港周辺一帯の被害が尋常ではない。
まるで落雷でもあったかのような焦げ跡が視られる。
(……間違いなく特級クラス。パンダたち、無事だといいけど……)
ほどなくして、響蝠が複数の呪力反応を捉えた。
一つは、膨大な呪力の塊――乙骨だ。うみの位置とは真逆の位置。
そしてもう一つ。港の少し外れた開けた場所に、三つの……いや、四つの反応が固まっている。
(見つけた。……一つ、知らない呪力が混ざってるな)
うみは地面を蹴り、反射線を駆使してコンテナ群の上を跳び渡りながら、反応の元へと急いだ。
数分後。
開けたコンテナ置き場の中心で、見知った顔を見つけてうみは足を止めた。
「金ちゃん先輩!!」
「あ? お、うみじゃねーか!」
振り返ったのは、停学中の3年生――秤金次。
相変わらずの悪人面で、ニヤリと豪快に笑っている。
「なんだ、お前もこっち来てたのか。久しぶりだな」
「ええ、まあ……」
うみは返事をしながら、彼を見て絶句した。
秤の左腕が、肘から下から綺麗になくなっていたのだ。
「腕どうしちゃったんですか? ついに売っちゃった?」
うみの冗談めかした問いに、秤は「ガハハッ!」と腹の底から豪快に笑った。
「アホ言え、誰が腕なんか買うかよ! ちょっと派手にやっちまってな。
でも気にすんな後で直してもらうからよ」
(相変わらず無茶苦茶だな、この人……)
呆れながら息を吐き、うみは視線を横にずらした。
そこには、見慣れた黒いワンピース姿に箒を持った、西宮桃の姿があった。
「桃先輩も合流してたんですね。無事でよかったです」
「うみくん! よかった〜、うみくんもこっち来てたんだね!」
西宮がほっとしたように笑顔を見せる。
うみは軽く頷き返し、そのまま周囲をぐるりと見渡した。
「……あれ?」
響蝠の索敵では、確かにこの場所にパンダの呪力反応があったはずだ。
だが、コンテナの隙間を探しても、見慣れた大きな白黒の毛玉――もとい、パンダの姿はどこにも見当たらない。
「パンダは? 一緒じゃないんですか?」
不思議に思って首を傾げると、西宮と秤が顔を見合わせた。
「えっ? いるよ?」
「お前、目ぇ悪いのか?」
西宮が困ったような、苦笑するような顔で自分の足元へ視線を落とす。
その仕草につられて、うみの視線もそちらへ向かった。
そこには、見慣れた白と黒の配色をした毛玉があった。
ただ、サイズが明らかにおかしい。
通常のパンダの頭部くらいの大きさしかない、2〜3頭身の……ぬいぐるみのような生物。
「…………」
うみはスッと目を閉じ、静かに明後日の方向へ視線を逸らした。
(……おかしいな。多少疲れてるとはいえ、休んだんだけどな
ついに幻覚が見えるようになったか。もしくは幻狐が悪戯してる?)
現実逃避を試みながら、ゆっくりと深呼吸を一つ。
そして、恐る恐るもう一度、西宮の足元へ視線を戻す。
……やっぱり、いる。
「よっ」
ミニサイズの毛玉が、短い腕をひらひらと振った。
声や口調は間違いなくいつものパンダのものだ。だが、見た目とのギャップがすさまじい。
「……パンダがちんまくなってる!?」
うみが本気で困惑して叫ぶと、ミニパンダは小さくため息をついた。
「やられちまったんだよ。ゴリラのお兄ちゃんも、サイのお姉ちゃんも壊されてな……」
「なにを相手にしたらそこまで追い込まれるのさ……」
(可愛い。そして懐かしい。十年くらい戻った気分)
うみは小さくため息をつき、改めて港の惨状を見渡した。
パンダを死の淵まで追い込み、あまつさえ秤の腕まで吹き飛ばす。
一体、何と戦えばこんな状況になるのか――。
その時。
「俺だが?」
秤の背後のコンテナの陰から、一人の男が姿を現した。
ボサボサの髪に、頬に稲妻のような紋様。
そして、何よりもうみの
バチバチと、絶え間なく細かく弾け、刃のように鋭く研ぎ澄まされている。
まるで稲妻のごとく、異質で刺々しい呪力特性。
肌をビリビリと刺すようなプレッシャー。
青森で相対した名も知らぬ術師や、仙台での烏鷺や石流以上。
「……なるほど、ここ最近で一番強い」
うみは即座に刀の柄に手をかけ、極限まで警戒を引き上げた。
だが、うみが動くより早く、秤がうみと男の間に割って入った。
「ストップストップ! やめとけうみ!」
「……? 敵じゃないんですか?」
「さっきまではな。けど、今は仲間だ!」
「…………?」
うみの思考が、完全に停止した。
腕を飛ばされて、パンダを瀕死に追いやった相手が、仲間。
「パンダと金ちゃん先輩がが納得してるならいいですけど、どういう理屈ですかそれ」
「宿儺とタイマンさせてやるって条件で、俺に点を譲ることで手打ちになったんだよ。だから今は味方だ」
「宿儺とタイマンって……悠二先輩が完全に受肉するの前提じゃないですか」
うみは深々とため息をつき、刀から手を離した。
この人がこう言う以上、とりあえず今のところは敵対する気はないのだろう。
鹿紫雲と呼ばれた男は、刀から手を離したうみを値踏みするようにじっと見つめていた。
「……おい、秤。こいつは何者だ? なかなかいいツラ構えしてんじゃねぇか。俺とやらせろ」
鹿紫雲の目に、戦闘狂特有の嗜虐的な光が宿る。
「バカ、やめとけ鹿紫雲。こいつは俺の後輩だ」
秤はため息をついて鹿紫雲の前に立つ。
そのやり取りを見て、うみはもう一度深く息を吐いた。
「……まぁ、いいです。金ちゃん先輩がそう言うなら」
頭を掻きながら、うみは視線を上空へと向けた。
「憂太先輩も来てるんで、とりあえず合流しましょう。ただ――」
うみは、西宮の足元でちんまりと座っているパンダを指差した。
「パンダがこんな姿になってるの見たら、憂太先輩、絶対黙ってないと思いますよ?」
「げっ」
秤が、あからさまに嫌そうな顔をする。
「あの人の説得は、金ちゃん先輩がやってくださいよ。俺、知りませんからね」
「おいおいマジかよ……」
うみは冷たく言い放つと、右手を空へと向けた。
指先に呪力を極限まで圧縮していく。
かつて放った全方位放出の出力を、一点に絞り込むイメージ。
呪力量そのものは乙骨には及ばないが、極限まで高められた『出力』の純度は凄まじい。
「どかーん」
ドゴォォォォォォンッ!!!
うみの指先から放たれた極太の呪力の柱が、夜明けの空を一直線に貫いた。
雲を吹き飛ばし、結界内のどこからでも見える圧倒的な呪力の標。
石流の砲撃や乙骨の呪力砲には及ばないスケールダウン版とはいえ、並の術師からすれば常軌を逸した出力である。
「……ッ!!」
鹿紫雲が目を見張り、その光の柱を見上げた。
「なんだ、あの出力は……! おい秤! やっぱりアイツとやらせろ!!」
「だからやめとけって言ってんだろ! 今から来るアイツの先輩はもっとイカれてんだよ!」
戦闘狂の血をたぎらせる鹿紫雲を秤が必死に押さえ込んでいると、
ほどなくして、コンテナの上からふわりと人影が舞い降りた。
「うみくん。無事でよかった」
背中に刀を背負った乙骨憂太が、苦笑しながら着地した。
「合図は助かったけど……いくらなんでもちょっと派手すぎないかな?」
「よく見えたでしょ?」
うみが肩をすくめると、秤が「おお、乙骨じゃねーか!」と声を上げた。
「秤先輩、お久しぶりです。腕、大丈夫ですか?」
「おう。まあちょっと派手にやっちまってな。なんとかなるさ」
乙骨は鹿紫雲を一瞥し、その異様な呪力に警戒の色を見せた。
さらに、西宮の足元にいるミニサイズのパンダを見つけて目を丸くし、
そして――スッと、目から光が消え、真顔になる。
「……秤先輩」
乙骨の纏う空気が、極限まで冷たく張り詰めた。
「パンダくん、どうしたんですか?」
「あ、いや! 待て乙骨! 違うんだ、これは色々あってだな! ちゃんと説明するからちょっと落ち着け!」
乙骨の静かな圧に、秤が冷や汗を流しながら必死に説明(と弁明)をするのを横目に、うみは小さく息を吐いた。
(……まあそうなるよね)
「さて」
秤の必死の説得により、乙骨がひとまず矛を収め、
鹿紫雲に対する警戒も解いた(渋々納得した)ところで、うみは改めて現状の確認に入った。
「桃先輩。結界の中に入っちゃって大丈夫だったんですか? 俺の追加したルール、半日滞在の縛りがありますよ」
西宮はふふっと笑って箒を肩に担ぐ。
「心配無用! 私はもうここに入ってから24時間経ってるから、ペナルティは消化済み。
このまま外に出て、連絡に回れるよ。うみくんの追加してくれたルール、すごく便利だね!」
「ならよかったです」
「俺の方も収穫ありだぜ」
秤が親指で背後の鹿紫雲を指差す。
「こいつとの取引で、100点譲ってもらった。
連絡が取れ次第、いつでもこっちからルール追加ができるぜ」
「100点…! さすが秤先輩です」
これで、ルール追加の権利が一つ増えたことになる
「それで、俺と憂太先輩の方ですけど…二人で200と少したまってるので、
俺たち全員分あわせてルール3つ分ですね」
「……は?」
秤が、間の抜けた声を出した。
西宮も目をぱちくりとさせている。
「おい待て、うみ」
秤が指を折って計算するように眉をひそめた。
「お前、さっき自分で『出入りのルールを追加した』って言ってなかったか?」
「はい。追加しましたよ」
「……ってことは、お前ら」
秤は呆れ果てたように天を仰いだ。
「使った分も合わせりゃ、二人でざっと300点分くらい稼いできたってことかよ……。どんなバケモノだよ、お前ら」
「まあ、ほとんど憂太先輩が稼いでくれたんですけどね」
うみが肩をすくめると、乙骨が苦笑しながら手を振った。
「いやいや、合計ならうみくんの方が稼いでるでしょ?」
「「…………」」
秤と西宮は顔を見合わせた。
感覚が麻痺しそうになるが、現在が14日。乙骨が結界入りしたのが10日で、うみに至っては12日である
ここまでの移動時間を考えれば二人分の時間を合わせても実質3~4日。
この数字は、死滅回游全体を見渡しても異常としか言いようがない。
「……ククッ! 最高だな、オイ!」
二人の常軌を逸したペースを耳にして、鹿紫雲がギラギラとした笑みを浮かべた。
再びその身からバチバチと刺々しい呪力を高ぶらせ、うみと乙骨へ一歩踏み出す。
「おい秤! やっぱりコイツらとやらせろ!! どっちからでもいいぞ!!」
「だーかーら! ダメだって言ってんだろ! お前は宿儺とヤルんだろーが!!」
再び暴れ出そうとする戦闘狂を、秤が慌てて背後から羽交い締めにしていると――。
「与くん!? びっくりした……」
『乙骨の傀儡は破損しているし、秤の通信もさっき途絶えた。
パンダに至っては位置情報がおかしい。……全員、そっちで合流できているか?』
「俺のは黒焦げになったんだよ!」
秤が鹿紫雲をホールドしたまま叫ぶと、乙骨も「僕のも戦闘中にちょっと……」と申し訳なさそうに頬を掻いた。
その二人の弁明に便乗するように、うみが西宮の手元にあるメカ丸に向かって、ひょっこりと顔を覗かせた。
「あ、幸吉先輩だー!」
『……っ、うみ!? お前、そっちにいたのか!』
スピーカー越しの声が、わずかに裏返る。
さすがに一言もなしに出ていったうみの現在位置は把握できていなかったようだ。
『誰にも何も言わずにフラッと姿を消しやがって……! おかげで三輪が不機嫌になるし、
宥めるこっちの身にもなれ! 後でたっぷり説教してやるから覚悟しておけよ!』
「えぇー……」
三輪が怒っていると聞き、うみは目に見えてシュンと肩を落とし、スッと乙骨の背中に隠れた。
その様子をジト目で見ていた西宮が、呆れたように大きくため息をついた。
「……まーたうみくんはそういうことする。
高専に戻ってきた時、私と霞であれだけ言ったばっかりだよね?」
「うっ……」
「与くんの言う通り、後で霞と一緒にきっちりお説教だからね。覚悟しときなよ?」
「……はい」
西宮にまで念を押され、うみは乙骨の背中の後ろでさらに小さく縮こまった。
乙骨は苦笑いしながら、そんなうみの頭をポンポンと撫でて慰めている。
『……はぁ。まあいい、無事ならそれでいい。とにかく、これで全員合流できたってことだな』
スピーカー越しに小さなため息が聞こえた後、メカ丸の声が、スッと一段階低く、真剣なものに変わった。
その緊迫した声色に、じゃれ合っていた(というか秤が必死に止めていた)秤や鹿紫雲もピタリと動きを止める。
『状況が動いたぞ。先ほど、伏黒から通信が入った』
「恵先輩からですか? 悠二先輩たちは無事なんですか?」
叱られモードから一転、うみが真顔に戻って乙骨の背中から身を乗り出すと、メカ丸は短く肯定を返した。
『ああ。虎杖は無事だ。伏黒も重傷だが命に別状はない。……そして』
メカ丸は少しだけ間を置き、最大の懸念事項にして、待ち望んでいた朗報を口にした。
『伏黒たちが、ターゲットである「天使」との接触に成功した。至急、東京第1結界へ合流してくれ』