東京第2結界。海からの冷たい風が吹き抜ける、コンテナターミナル近くの廃倉庫。
その屋上で、うみと乙骨、西宮、そして小さくなったパンダは、円になって座り込んでいた。
「というわけなんで、俺と憂太先輩はあと半日、こっちから動けません」
うみは足元に置いた『ミニメカ丸』に向かって、ため息交じりに告げた。
スピーカー越しに、伏黒の盛大な舌打ちが聞こえてくる。
『……そうか。今更言っても仕方ないが、あの条件もう少しどうにかならなかったのか?』
「仕方ないじゃないですかぁ……コガネが許してくれなかったんですもん」
うみが口を尖らせると、隣で乙骨も苦笑しながらフォローを入れた。
「ごめんね、伏黒くん。でも、そっちが天使と合流できたなら一安心だよ。虎杖くんも無事なんだよね?」
『ああ。俺も虎杖も怪我はしたが、今はホテルで休んでる。……ただ、問題は天使の方だ』
ミニメカ丸から聞こえる伏黒の声が、一段階低くなる。
『天使の目的は、受肉した過去の術師の一掃。その中に、アイツが「堕天」と呼んでいる奴がいる。
それを殺すのを手伝えば、五条先生の封印を解くのに協力するそうだ』
「堕天ねぇ。……それって、誰なんですか?」
うみが首を傾げると、数秒の重い沈黙の後、伏黒が忌々しげに答えた。
『……宿儺だ』
「…………あー」
うみは思わず天を仰いだ。乙骨も痛ましそうに目を伏せる。
よりにもよって、虎杖の中にいる呪いの王。
「大体予想つきますけど、悠二先輩はなんて?」
『……アイツは、自分を殺せば済む話だって割り切ってる』
「ですよね~。悠二先輩って自分の命安売りするからなぁ」
うみは額を押さえながら深く息を吐き出した。
西宮の足元に座っていたミニサイズのパンダが、短い腕であきれた様子を見せるうみを指差した。
「オマエは人のこと言えないだろ。一回生死不明まで行ったくせに」
「失礼な。俺は死ぬつもりで行動したことなんて一回もないよ
あの時だって、一番生存確率高い手を取ったんだから」
『……どの口が言ってんだか』
「ホントだよ。お説教、忘れちゃった?」
スピーカー越しの伏黒の呆れ声に、西宮がジト目を向けて追撃する。
乙骨は「まあまあ、今は無事なんだから」と苦笑交じりに場を宥めようとした。
その時だった。
「……ん?」
うみはふと会話を止め、目隠しを外し眼を細めた。
見えていた景色にチカチカと不規則な『ノイズ』が走ったのだ。
同じタイミングで、ミニメカ丸のスピーカー越しからも、伏黒でも虎杖でもない『知らない声』が唐突に響いた。
『妙だ』
「……誰?」
うみが首を傾げると、通信の向こう側で伏黒が『どうした、天使』と問い返す声が聞こえた。
どうやらこれが、虎杖たちと行動を共にしているという『天使』らしい。
『凄い数の人間が結界に侵入している』
『は……?』
通信越しに、伏黒が怪訝な声を上げる。
『そんなこと分かるのか?』
「……多分ホントだと思います」
伏黒の疑念を遮るように、うみが真顔でミニメカ丸に向かって口を開いた。
『うみ?』
「俺の目にもさっきから、ノイズみたいなのが視えてるんです
閉鎖空間に急激に呪力が増えたことによるバグみたいなものかもしれません」
「バグ……?」
乙骨が怪訝そうに眉をひそめた。
その時、通信の向こう側で天使が行動を起こした。
『コガネ』
「こっちも確認しましょうか。コガネ」
うみと天使の声に呼応し、通信の向こうとこちらの屋上で、ほぼ同時に羽の生えた式神がポンッと姿を現した。
『この結界に10分前から、増加した泳者は何人だ?』
通信越しに天使が問う。
「コガネ、聞こえてたよね。
東京第2結界の泳者の増加数を教えて」
二匹のコガネが、明るく脳天気な声で即答する。
『エート! 東京第1結界ハ現在、807人ダヨ!』
『東京第2結界ハ現在、542人! まだまだ増えてるよー』
『はぁ!?』
通信越しに虎杖の叫び声が響く。
「500人……!?いきなりそんな数のプレイヤーが増えるわけない……!」
西宮が信じられないというように叫び、パンダも短い腕を組んで唸った。
「ってことは、今から自ら結界に入ってきたってことか……?」
「非術師が進んで殺し合いの結界に入るわけがない。つまり、明確な目的を持って『投入』された」
うみが低く呟いた直後だった。
ゴォォォォォォン……!!という、腹の底に響くような重低音が周囲の空気を震わせ始めた。
最初は遠くの雷鳴かと思われたそれは、複数の巨大なエンジン音だった。
「憂太先輩」
「……うん。軍用機だね。それも、相当な数の」
乙骨が厳しい声で応じる。
「東京第一は800ちょっと。大隊一個分ですね。
ここが500ちょっとで、今なお増え続けてることを考えると同じくらいまで行きそうですね。
おそらく各コロニーへ大隊一個分が投下されてると考えていいでしょう」
「十個の結界にそれぞれ大隊一個分……ってことは、全部で八千人規模!?」
西宮が悲鳴のような声を上げた。
「ど、どこの国がそんな大軍を一挙に……!?」
「あくまで仮定ですよ? 東京に集中してるだけかもしれませんし。
まあ、仮定通りならアメリカでしょうけど。他の国にそれだけの遠征能力はないですから」
『……ちっ、羂索の野郎。他国の軍隊をけしかけて、一体何を企んでやがる……!』
通信越しに伏黒が舌打ちをする音が聞こえる。
『ただ殺し合いの人数を増やすためか? いや、それにしちゃ大げさすぎる。一体何が目的だ……』
『ふざけんなよ……ッ! 何も知らない人たちまで巻き込んで!』
虎杖のギリッと歯を食いしばるような怒声が響いた。
「本当、最低のクソ野郎だね」
乙骨の声が、一段と冷たく研ぎ澄まされる。
徐々に近づいてくる輸送機の爆音に混じり、パラシュートの布が風を孕む音が聞こえ始めた。
視線を向ければ、コンテナターミナルの周辺や廃倉庫のすぐ近くにも、
重武装の兵士たちが続々と降下し、素早く陣形を展開し始めているのが見える。
『おい、こっちも迎撃態勢に入る! うみ、乙骨先輩! そっちも気をつけろよ!』
伏黒の緊迫した声を最後に、ミニメカ丸の通信がプツンと途切れた。
「……目的は直接聞きだすしかないですよね」
うみは軽く首を鳴らし、眼下の兵士たちを見下ろした。
最新鋭のナイトビジョンに、アサルトライフルなどのタクティカルギア。
紛れもない、訓練された非術師のプロフェッショナルたちだ。
「どうする、うみ。相手はただの人間だぞ」
ミニパンダが懸念を口にする。
「全員拘束すればいいだけでしょ」
うみはそう短く答えると、足元の影にそっと視線を落とした。
そして、ゆっくりと手印を結んだ。
「――おいで。
足元の影が、ドロリと深く、底なしの沼のように沈み込む。
そこから音もなく這い出してきたのは――真っ黒な、巨大な蜘蛛の式神だった。
一体だけではない。二体、三体、四体と、人の腰ほどもある大きさの蜘蛛たちが、
影の沼から次々と這い出してきて、うみの周囲でカサカサと小気味よい音を立てて待機する。
「へぇ、蜘蛛か。でも、それなら確かに殺さずに捕まえられそうだね」
乙骨が感心したように言う。
うみが式神を展開している間にも、眼下の兵士たちは素早く陣形を組み、
屋上にいるうみたちを捕捉しようとアサルトライフルのレーザーサイトを向けてきていた。
「銃弾は全部叩き落すしかないですかね。桃先輩とパンダもいるし」
「いや、二人の護衛は僕がやるよ。うみくんは捕縛に集中して」
乙骨が一歩前に出て、鞘に手をかけながら静かに言った。
いざとなればリカを部分顕現させて壁にすることもできる。
「助かります。じゃあ――」
「Target sighted! Engage!」
下から指揮官らしき男の怒号が響く。
直後、アサルトライフルの乾いた銃声が一斉に鳴り響いた。
ダダダダダダッ!!
無数の銃弾が、屋上にいるうみたちをハチの巣にせんと殺到する。
だが――
キンキンキンッ!! カキィィンッ!!
一歩前に出た乙骨が、目にも留まらぬ抜刀と正確な剣捌きで、迫り来る弾丸の雨をすべて空中で叩き落とした。
火花が散り、ひしゃげた鉛玉がバラバラと屋上の床に転がる。
「What the...!? Deflecting bullets with a sword!?」
兵士たちが信じられないものを見たように、射撃の手をわずかに止めた。
(さっすが~。俺も仕事しないと)
「夜紡、全員捕まえちゃって」
うみが短く命じた瞬間。
待機していた『夜紡』たちが、一斉に屋上の縁から身を乗り出した。
シャァァァァァッ!!
四体の蜘蛛の腹部から、無数の黒い糸が投網のように放射状に撃ち出される。
呪力で編まれた漆黒の糸は、重力に従って落下しながらも意志を持っているかのように広がり、
コンテナの陰や地面に展開していた兵士たちの頭上へ正確に降り注いだ。
「Ugh!?」「I can't move! The threads are too strong!」
一瞬にして、数十人の兵士たちが黒い糸に絡め取られ、地面やコンテナに縛り付けられた。
コンバットナイフを取り出して糸を切ろうと足掻く者もいたが、鋼線のように硬く、刃を容易く弾き返した。
「無駄だよ。ただのナイフ程度で切れるものじゃない」
うみは屋上から見下ろし、淡々と告げた。
ほんの数十秒。それだけで、周辺に降下してきた部隊は完全に無力化され、身動き一つ取れない黒い繭の群れと化していた。
「……すごいね。これなら誰も傷つけずに済む」
乙骨が、眼下に広がる光景を見てホッと安堵の息を吐く。
「ええ。とりあえず、この周辺はこれで大人しくなりましたね」
うみは夜紡たちを影に戻すと、ポンッと手を打った。
「さて、これでゆっくりとお話が聞ける……っていうわけじゃないんですよね~」
うみの言葉に、乙骨が不思議そうに首を傾げた。
「どういうこと? まだ近くにほかの部隊が居るってこと?」
「いや、この周辺はこの人たちだけですよ。
他はまだ離れてるとこにいるんで余裕はあります。問題は別です」
うみは目を細め、夜のコンテナターミナルの奥、そしてそのさらに先へと視線を向けた。
「つい今しがたわかったんですけどね。
さっきまでと比べて、コロニー内の呪霊が増えてるんです。それも爆発的に」
「呪霊が?」
乙骨の顔が、わずかに険しくなる。
「はい。弱いのばっかりみたいなので俺たちは問題ないですけど、
軍人……非術師の方はそうもいかないでしょうね。もしかしたら、そっちが本命なのかも」
「そっちが本命……まさか、羂索は最初からこの人たちを殺すつもりで……!?」
乙骨が息を呑む。
「……なるほどな。軍隊を投入して、わざと呪霊に狩らせることで、
結界内の呪力総量を爆発的に引き上げる。『慣らし』を一気に進める気か」
パンダが短い腕を組んで、忌々しげに唸った。
「最悪……! 人の命をなんだと思ってるのよ……!」
西宮が怒りに顔を歪め、箒を握りしめる。
「まあそんなわけなんで、さっさと尋問しちゃいましょうか」
うみが軽い調子で提案すると、西宮が少し不安そうに首を傾げた。
「尋問って……そんな簡単に話すかな? 相手は訓練されたプロの軍人でしょ?」
どんな過酷な訓練を積んでいるか分からない特殊部隊だ。そう簡単に機密情報を口を割るとは思えない。
だが、うみは全く悪びれる様子もなく、隣に立つ乙骨を指差してニッコリと笑った。
「大丈夫ですよ。憂太先輩がいるので、死ぬギリギリまでは治せますから」
「…………」
そのあまりにも合理的かつ容赦のない発言に、屋上の空気が一瞬だけ凍りついた。
「……うみくん、たまに本気で怖いこと言うよね」
乙骨が引き攣った笑顔で冷や汗を流す。
「お前、そういうのサラッと言うようになったよな……」
パンダも短い腕で頭を抱える。
「さすがに最終手段ですよ?」
うみは肩をすくめて、あっけらかんと笑った。
「でも、死なない程度に痛めつけてもすぐ治せるって分からせるだけでも、交渉のカードにはなりますからね。
ま、憂太先輩ならそんなことしなくても上手く聞き出してくれると思いますけど」
「ハードル上げるなぁ……。まあ、やってみるよ」
乙骨は苦笑しながら刀を鞘に納め、うみと共に屋上から飛び降りた。
着地したのは、漆黒の蜘蛛の糸――『夜紡』の投網に縛られ、身動きが取れなくなっている兵士たちのもとだ。
「Who the hell are you kids!? Let us go!」
指揮官らしき男が、糸の中でもがきながら怒鳴り声を上げる。
「英語ですね。憂太先輩は大丈夫です?」
うみが尋ねると、乙骨は鞘から手を離して頷いた。
「ある程度なら。訛りがあると厳しいかもだけど」
二人は並んで、黒い糸の繭の中で顔をしかめている指揮官を見下ろした。
二人から無意識に放たれる底知れぬプレッシャーに、指揮官の顔に明確な恐怖と焦燥が浮かぶ。
「What's your purpose?」
うみが淡々と、問いかけた。
指揮官はギリッと歯を食いしばり、口を閉ざして睨み返してくる。
その強情な反応を見て、うみは小さくため息をつくと、チャキッ、と腰の刀を抜いた。
「What...!?」
指揮官の顔が引き攣り、乙骨も「えっ、うみくん?」と戸惑いの声を上げる。
脅して口を割らせるつもりか。誰もがそう思った瞬間――。
ザシュッ!!
「!?」
「うみくん!?」
うみは迷いなく、己の左腕を深々と刀で切り裂いた。
ドクドクと鮮血が溢れ出し、真っ黒なパーカーの袖を赤黒く染め、ポタポタと地面に滴り落ちていく。
指揮官は予想外の自傷行為に目を丸くし、乙骨は慌てて一歩踏み出した。
だが、当のうみは顔色一つ変えずに血を流しながら、乙骨を振り返ってニッコリと笑った。
「憂太先輩、治してくれますか?」
「え、あ、うん……って、何してるの急に!?」
乙骨が慌ててうみの腕に手を当て、反転術式を流し込む。
シューッというかすかな音と共に、深く抉れていた傷口が文字通り『一瞬で』塞がり、跡形もなく消え去った。
指揮官はそのあり得ない光景を、息を呑んで見開かれた目で凝視していた。
最先端の医療技術などという次元ではない。致命傷になり得る傷が、一瞬で無かったことになったのだ。
うみは血に濡れた刀身を軽く振って血糊を払うと、指揮官の首筋に冷たい刃をピタリと添えた。
そして、見開かれたアイスブルーの瞳で底知れぬ圧をかけながら、再び静かに口を開く。
「Answer me. What's your purpose?」
自分への自傷すら躊躇わない異常性と、それを即座に無かったことにするデタラメな治癒能力。
目の前で見せつけられたその光景は、彼らがその気になれば「死ぬギリギリまで痛めつけ、治し、また痛めつける」
という地獄の拷問が可能であることを、これ以上ないほど強烈に証明していた。
こいつらの前では、死んで逃げることすら許されない。
絶対的な恐怖と絶望に完全に心を折られ、指揮官はガタガタと震えながら、ついに口を開いた。
「...To capture the targets. Japanese citizens with special abilities」
「特殊な能力を持つ日本人……僕たち呪術師のことだね」
乙骨が日本語で呟き、すぐさま英語で次の質問を重ねる。
「What are you going to do with them?」
指揮官は一瞬ためらったが、もはや隠し立てする気力も削がれたのか、忌々しげに答えた。
「They are... a new energy source. Our government was told they can generate endless power」
「……エネルギー源?」
乙骨の顔が、驚愕と嫌悪に歪む。
「……なるほど。その発想はなかった」
うみは血のついたパーカーの袖を無造作に捲り上げながら、冷たく目を細めた。
「新しいエネルギー源っていう甘い餌をチラつかせて各国のトップを動かし、
これだけの軍隊を……死滅回游の『慣らし』のための生贄として集めたわけですか」
「……じゃあ、さっきパンダが言っていた通り……」
乙骨が顔をしかめ、静かな怒りを込めて呟く。
「ええ。もし本当に呪術師を拉致して持ち帰らせるのが目的なら、
わざわざ非術師の軍隊の邪魔になるような大量の呪霊を放つはずがありません。……つまり」
うみは黒い繭の中で、訳も分からず震えている兵士たちを見つめた。
その瞳に映っているのは、もはや『敵』ではなく、事情も知らずに死地へ送り込まれた『哀れな生贄』だった。
「彼らの本当の役割は『呪術師の拉致』じゃない。
死滅回游の結界内に呪力を充満させるために……呪霊に狩られるための『餌』です」
その言葉が夜のコンテナターミナルに落ちた瞬間だった。
「Aaaaaargh!!」
「Help!! What the hell is this thing!?」
遠く離れたコンテナ群の奥から、凄惨な絶叫と自動小銃の乱射音が夜空を引き裂いた。
非術師の軍隊と、結界内に放たれた無数の呪霊との遭遇戦が始まった音だ。
無論、呪力を持たない彼らの通常兵器が、呪霊に対して有効打になるはずもない。
「……ッ!」
乙骨が弾かれたように悲鳴の上がった方向を振り向く。
屋上に残っていた西宮とパンダも、緊迫した表情で身を乗り出した。
「どうやら始まったみたいですね」
うみは短くため息をつき、首を軽く鳴らした。
「憂太先輩。どうします?
どのみち慣らしは進む。どっちを選んでも変わりませんけど」
「……それでも、見殺しにはできないよ。手の届く範囲だけでも助けに行こう」
乙骨の瞳には、羂索の悪辣な企みに対する静かな怒りと、目の前の命を救おうとする真っ直ぐな意志が宿っていた。
それを見て、うみはフッと口角を上げる。
「ですよね。俺も同意見です。時間もありますしね。
……それじゃあ、とりあえず上に戻って二人に方針を伝えましょう」
言うが早いか、うみは足元の地面を軽く蹴り、
人間離れした跳躍力で軽々とコンテナ倉庫の屋上へと舞い戻った。乙骨もそれに続く。
「どうだった!? 何かわかったの?」
西宮が身を乗り出して尋ねてくる。
「行軍の名目は『新しいエネルギー源の確保』
術師が新時代のエネルギーになりえるって吹き込まれたらしいですよ」
「エ、エネルギー源!? 私たちが!?」
西宮が信じられないといった顔で声を裏返す。
「でも、それはあくまで各国を動かすための建前です。
羂索が裏に隠した彼らの役割は恐らくさっきの仮定通りかと」
うみは遠くで鳴り響く銃声と悲鳴へ視線を向けた。
「……ッ、なんて悪趣味な……!」
西宮が怒りに震え、パンダもギリッと歯を鳴らした。
その重い空気を切るように、乙骨が静かに、だが確かな声で口を開いた。
「羂索がどういうつもりで軍隊を投入したにせよ、
今、呪霊に襲われてる人たちがいる。見殺しにはできない。僕たちで助けよう」
その言葉に、パンダと西宮も力強く頷いた。
「同感ですが、方針は絞りましょう」
うみが淡々と告げる。
「軍隊は元々俺たちを狙ってきた敵ですし、何より数が多すぎる。
全員を保護して安全な場所へ避難させるなんて芸当は、流石に俺たちでも不可能です」
「だから、多少の犠牲は前提として割り切る。俺と憂太先輩で遊撃に回り、
とにかく最速でこの結界内の呪霊を片っ端から祓って回る。結果的にそれが一番多くの命を救うことになります」
極めて合理的で冷徹な判断。だが、今の状況下においてそれが最善手であることは誰の目にも明らかだった。
「……うん。それが一番現実的だね。手分けして急ごう」
数秒の逡巡の末、乙骨は悲痛な覚悟と共に力強く頷いた。
「なら、俺と桃で手の届く範囲の避難誘導と、通信のサポートに回るよ」
パンダが引き受ける。
「幸吉先輩、そういうわけなんで」
うみは足元のミニメカ丸に向かって声を張った。
「俺たちは合流が遅れます。こっちは大丈夫なので他のサポートに回ってください」
『……了解だ。だが、あまり時間をかけすぎるなよ。結界内の状況は刻一刻と悪化しているからな』
◆◆◆
――それから、丸二日後。11月16日、正午。
「……ふぅ。この辺りはこれで最後、ですかね」
うみは血糊を払って刀を納め、足元で消滅していく呪霊の残滓を見下ろした。
この二日間、乙骨と手分けして東京第2結界を文字通り駆け回り、軍隊に群がる呪霊を片っ端から祓い続けた。
完全な無血とはいかなかったが、それでも彼らが動かなかった場合に比べれば、死傷者の数は劇的に抑えられたはずだ。
離れた場所で戦っていた乙骨とも合流し、一息つこうとしたその時だった。
『ルール追加のお知らせダヨ!』
空中に突如としてコガネが現れ、明るい声でアナウンスを始めた。
東京第2結界を駆け回り、呪霊を祓い続けていたうみと乙骨は、一度合流して空を見上げた。
『総則12ガ追加サレマシタ!
泳者は身代わりとして新規泳者を結界外から招き、100点を消費することで死滅回游から離脱できる!』
「……ルール追加」
アナウンスを聞き、乙骨がホッと安堵の息を吐いた。
「よかった、伏黒くんたちが無事にルールを追加できたみたいだね。
これなら、津美紀さんも身代わりを立てて離脱できる」
「でも、妙ですよね」
「え? 何が?」
乙骨が不思議そうに首を傾げる。
「『100点を消費することで』ってところです。ただ身代わりを用意するだけなら泳者はプラマイ0。
一方で、100点稼ぐには最低でも術師を20人、最大で非術師を100人殺さなきゃいけない。
総則7に抵触しそうなものですけど、なんで承認されたんでしょう?」
「あ……」
乙骨はうみの言葉にハッとした。
「ただ身代わりを立てるだけなら、泳者の総数は変わらない。
でも『100点を消費する』という条件がつくと、話が変わってきます」
うみは刀の柄に手を当てたまま、空に浮かぶコガネを冷徹に見つめた。
「100点を稼ぐ過程で、結界内では必ず大量の殺し合いが起きている。
つまりこのルールで離脱者が1人出るたびに、結界内の泳者は最低でも20人、
最大で100人減っている計算になります。一気に泳者が減るんだから、
死滅回游の永続性を著しく阻害する……総則7に抵触するのは、圧倒的に後者です」
「あ……」
乙骨はうみの言葉にハッとし、目を見開いた。
「そうだね……。そこを考えるとこんなルールは却下されなきゃいけないのか」
「ええ。しかも、多分これシステム側からの提案ですよ。
さすがに、あの恵先輩が居てこんなルールで提案するわけないでしょうし」
「なるほど……システムが永続性を阻害するルールを自分から提案してくるなんて。何か裏がありそうってことだね」
「ええ、何があるかはわかりませんけどね」
うみは小さく肩をすくめた。
「まあ、条件は予定外とはいえ、着々と準備が進んでるみたいですし、
俺たちも早くこっちの残りを終わらせて合流しましょう」
「うん。手分けして急ごう」
◆◆◆
――そして、それから3時間後。15:00。
『ルール追加のお知らせダヨ!』
再び、空中にコガネが現れ、陽気なアナウンスを始めた。
『総則13ガ追加サレマシタ!
泳者は、結界を自由に出入りできる!これにより総則11が停止されます』
「結界の出入り……!?」
コガネのアナウンスを聞き、空から降りてきた西宮が驚きの声を上げた。
パンダもその後ろに続いている。合流のタイミングだった。
「うみ君が前に『出入りの自由』を追加しようとした時は、ダメだったよね!?」
「ええ。さっきの総則12といい、システムが死滅回游の永続を放棄しようとしてる節がありますね」
(……あれ? なんでこのタイミングでこのルールが?)
「…コガネ! 今100点使ったのは誰!!」
うみの問いかけに、空中のコガネは能天気な声で即答した。
『フシグロ ツミキダヨ!』
その答えを聞いた瞬間、うみの目が見開かれた。
「伏黒君のお姉さん……? なんで……?」
西宮が戸惑ったように声を上げる。
「……やられた。その可能性は考慮してくべきだった!」
うみはギリッと歯を食いしばり、顔を歪めた。
「うみくん!? どういうこと!?」
「……これまでずっと津美紀さんを助けるために動いてきました。
多少の想定外はありながらも、ここまで順調に進んでいたはずなんです」
「そうだよな。そのためのルールも作ったし、
あとは伏黒の姉ちゃんに100点渡して『離脱』してもらうだけだったんだから」
パンダが同意するように頷く。
「うん、そうだね。津美紀さんが覚醒タイプの術師なら、ね」
その言葉の裏にある冷酷な事実に、乙骨とパンダ、そして西宮がハッと息を呑む。
「津美紀さんはずっと、『覚醒タイプ』の術師だと思われてきました。恵先輩から見ても、特別違和感がなかったんでしょう」
うみは早口で、自らの至らなさを噛み締めるように説明する。
「まさか……」
乙骨が顔を青ざめさせた。
「ええ。今の『伏黒津美紀』は――受肉した過去の術師です」
その言葉がもたらした絶望に、屋上の空気が完全に凍りついた。
目的だった「姉の救出」が最悪の形で破綻した伏黒恵の絶望は、計り知れない。
「じゃ、じゃあ伏黒くんは今……!」
西宮が焦燥の声を上げた、まさにその時だった。
『西宮!! 乙骨と月影はそこに居るか!!』
西宮の持つミニメカ丸から、ひどく切羽詰まった、震えるような与幸吉の怒声が響いた。
「幸吉先輩……!? ええ、今ちょうど合流したところですが、どうしたんですか!?」
うみがただ事ではない気配を察して問い返す。
『……最悪の事態だ。たった今、東京第1結界で……宿儺が、伏黒恵の肉体に受肉した!!』
「――――ッ!! 憂太先輩!」
うみは弾かれたように叫び、即座に乙骨の腕を強く掴んだ。
いつもクールな彼のアイスブルーの瞳に、今までにないほどの激情と焦燥が混在している。
「うみくん、行こう」
乙骨の声から苦笑が完全に消え去り、底知れない、静かな呪力の奔流が彼の周囲で渦巻き始めた。
「待ちなさい! 私たちも――」
西宮が叫ぼうとしたが、うみはそれを鋭い手つきで制した。
「すみません。先に行きます」
うみはすかさず、己の呪力を極限まで高め、進行方向の空間に干渉を始める。
「憂太先輩、舌噛まないでくださいよ。悟さんほど上手くないので」
「わかった。頼むよ」
『無下限呪術・蒼』の出力を最大まで引き上げ、
目的地である東京第1結界までの空間を強引に圧縮し、自分たちを引き込むための超高密度の引力点を作り出す。
次の瞬間、二人の姿は消えた。音も残さずに――