生まれ変わった世界は   作:月影うみ

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50話

――東京第1結界。

 

「ま、最悪の事態は回避できましたし。天使が生きてれば、悟さんの封印も解けますから。とりあえずは及第点ってことで」

 

うみのその言葉に、崩壊した街並みに重くのしかかっていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。

だが、その「及第点」という響きを反芻するように、虎杖悠仁は血に塗れた拳をきつく握り締めていた。

 

「……及第点、か」

 

虎杖の口から、乾いた声が漏れる。

宿儺に肉体を奪われ、目の前で親友が「呪いの王」へと成り果てた。

 

最悪の事態は免れた。五条悟の封印を解く希望は繋がった。

 

理屈では分かっている。だが、虎杖悠仁という人間は、

親友の魂が目の前で踏みにじられたこの惨状を、

「及第点」という言葉で割り切って飲み込めるほど、器用にはできていない。

 

誰かの犠牲の上に成り立つ妥協で感情に折り合いをつけることなど、彼の魂が、決して許しはしなかった。

自責と無力感が、どうしようもない怒りとなって胸の奥で渦を巻く。

 

「俺が……俺がちゃんと宿儺を抑え込めていれば……伏黒は……!」

 

ギリッと歯を食いしばり、震える虎杖。

真希は釈魂刀を握りしめたまま沈痛な面持ちで口を閉ざし、乙骨も来栖を抱き抱えたまま痛ましそうに目を伏せた。

 

「……悠二先輩」

(悠二先輩の性格考えると、慰めは悪手だよな…)

 

その空気を再びフラットに戻すように、うみが淡々とした声で呼びかけた。

 

「自分を責めるのは自由ですけど、今それをやってもなんにも変わりませんよ?」

 

「……うみ」

 

虎杖が、血走った目でゆっくりと顔を上げる。

 

「さっきも言った通り、状況は及第点。天使が生きてて、悟さんの解放が可能

恵先輩も死んだわけじゃない。それに――宿儺を引っぺがす方法もないわけじゃない」

 

うみは感情を交えない、ただの『事実』として言葉を紡ぎながら、スッと視線を動かした。

真希の手元――彼女が固く握りしめている『釈魂刀』へと。

 

「……!」

「これで、か……?」

 

虎杖がハッとして息を呑み、真希が手元の刀を僅かに持ち上げて声を漏らす

物の硬度を無視し、魂そのものを切り裂く呪具。

目に見えぬ理や、重い因果の糸すらも断ち切るその刃ならば、

伏黒恵から宿儺を切り離すこともできるかもしれない

 

「あくまで一つの可能性です」

 

うみはあっさりと頷き、しかしすぐに肩をすくめた。

 

「でも、この手段をとるには、『魂の輪郭』を明確に知覚することが必須。

現状でそれができる可能性があるのは悠二先輩か俺だけ」

 

うみは虎杖と自分を交互に指差した。

 

「悠二先輩は刀の扱いは微妙でしょうし、技術的に難しい。

かといって、俺がやったとしても……ぶっちゃけ、魂の境界を狙って斬るなんてやったことないんで、自信ないんですよね。

めちゃくちゃ難しいし危ないです。下手をすれば恵先輩ごと斬り殺しかねない。あくまで他に手がない時の最終手段です」

 

うみは虎杖を真っ直ぐに見据え、言葉を続ける。

 

「だから、少しでも安全に恵先輩を助ける方法を考えないと。

自分を責めて立ち止まってる暇なんて、どこにもないですよ」

 

 

同情でも慰めでもない。

ただ「まだ打つ手はある」「やるべきことがある」と論理と戦術で証明してみせたその言葉が、虎杖の感情的な泥沼を断ち切る。

 

「……ああ。そうだな。まだ、終わってねぇ」

 

虎杖の瞳に、再び消えない闘志の炎が灯る。

 

それを見届けたうみは、「よし」と小さく頷いた。

 

「じゃあ、方針も決まりましたし、さっさと高専に戻りましょうか。

その前に幸吉先輩に現状を報告して……と言いたいところなんですけど」

 

うみは少し気まずそうに頬を掻きながら、虎杖と真希を見る

 

「俺はそもそも通信できるもの持ってないし、憂太先輩のは壊れちゃってて。二人のは生きてます?」

 

その問いに、虎杖がポケットから水浸しになった小さな機械の残骸を取り出して顔をしかめた。

 

「俺のは……ダメだ。さっき凍らされた時に、完全にいかれちまったみたいだ」

 

「こっちもダメだな。うんともすんとも言わねぇ」

真希も忌々しげに舌打ちをし、全く反応しなくなったミニメカ丸をポケットにねじ込んだ。

 

「……見事に全滅ですね」

 

うみは小さく息を吐き出して天を仰いだ。

幸吉が心血を注いで作り上げた通信網だが、これだけ規格外の戦闘を連続で行えば、物理的な端末の破損は避けられない。

 

「まあ、連絡が取れないなら直接帰るしかないですね」

 

うみは顎に手を当てて、その場にいる人数を数え始めた。

 

「ええっと、俺と、憂太先輩、真希先輩、悠二先輩、それに天使。全部で五人か。

俺の『梟羽』の定員は二人だから……いや、天使が小柄だし、俺が抱えれば三人いけるかな?」

 

「なら、足りない分は僕がリカちゃんにお願いするよ」

 

 

乙骨がそう言って背後に声をかけると、ぬるりと影から巨大な腕が現れ、リカが部分顕現した。

しかし、その単眼は虎杖と真希をギロリと睨みつけ、明らかに『憂太以外を乗せる不満』を露わにしている。

 

「ごめんね、リカちゃん。少しだけ我慢して運んでくれる?」

乙骨が苦笑しながら優しく宥めると、リカは「……ユウタガ、イウナラァ……」と、

しぶしぶといった様子で巨大な腕を差し出した。

 

「リカちゃんありがとー!またあそぼーね」

 

うみはパッと顔を輝かせると、ひょいとリカの巨大な腕に近づき、その黒い表面をぽんぽんと軽く叩いた。

 

するとリカは、先ほどまでの不機嫌さが嘘のように単眼を細め、

 

「……アソブゥ! ウミ、オニィ……! リカが、ニゲルゥ……!」

 

と、体を揺らして嬉しそうに声を弾ませた。

 

「いいよー。じゃあそのあとはリカちゃんが鬼ね!」

 

 

「……キャアァァッ!」

 

死闘の直後とは思えない、完全に幼稚園の砂場レベルの平和なやり取り。

だが、その光景を横で見ていた真希の顔は盛大に引き攣り、乙骨は「あはは……」とひどく疲れたような苦笑いを浮かべていた。

 

無理もない。彼らが知る限り、この二人にとっての『遊ぶ』とは、大抵の場合『鬼ごっこ』を指す。

それもただの鬼ごっこではない。リカの完全顕現中に行われる『全力鬼ごっこ』である。

結果として周囲への被害はそこそこの規模(当社比)に及ぶのだ。

 

「じゃあ悠二先輩はリカちゃんにお願いします。

いやーリカちゃんが受けてくれてよかった。さすがに二人抱えてトぶのは難しいですからね」

 

うみが何気なくそうこぼした瞬間。

真希の顔からサァッと血の気が引き、物凄い勢いでうみの胸ぐらを掴みかかった。

 

「お前ッ! またアレやるつもりだったのか!? 前にやられた時、内臓が口から飛び出そうになったんだぞ!!」

 

「大丈夫ですよ!結構慣れてきたので!……多分」

 

「多分ってなんだ多分って!! 全然自信ねぇじゃねぇかお前!!」

 

「えっ? なになに?なんで真希先輩そんなキレてんの?」

一人だけ状況が分からずオロオロする虎杖をよそに、うみは梟羽を呼び出した。

 

「まあまあ、今回は平和な空の旅ですから。さ、乗って乗って」

 

真希の怒声を軽く受け流し、乙骨から来栖を受け取り梟羽の背に飛び乗る。

虎杖がリカの巨大な腕に収まり、真希も舌打ちしながら梟羽の背に乗り込んだ。

 

「……僕たちも行こうか」

乙骨がリカと共に夜空へと跳躍し、うみも梟羽を羽ばたかせる。

東京の空を切り裂き、彼らは一路、呪術高専へと向かった。

 

◆◆◆

 

――数十分後。呪術高専・医務室。

 

「……硝子さん。来栖さんの容態はどうですか?」

 

ストレッチャーに乗せられた来栖華の処置を終え、手を拭きながら医務室の奥から出てきた家入硝子に対し、うみが真っ先に問いかけた。

横では乙骨が固唾を呑んでその答えを待っている。

硝子は白衣のポケットからタバコを取り出し、火はつけずに口に咥えた。

 

「乙骨の応急処置が完璧だったからね。すぐに目を覚ますだろうさ」

 

硝子の言葉に、うみたちは無言で続きを促す。

 

「ただ、肉体へのショックと失血がデカすぎる。これから先、前線に立ってゴリゴリ戦うのはもう無理だろうね」

 

「それじゃあ、来栖さんが目を覚ますまでは各々って感じですかね?」

 

うみが首を傾げて問いかけると、乙骨が優しく頷いた。

 

「そうだね。虎杖くんと真希さんも早く手当てを受けないとだし、僕も少し休もうかな。とりあえず解散にしようか」

 

「ですね。じゃあ俺も部屋に戻って――」

 

「ちょっと待ちな。うみ、アンタは残んな」

 

解散の流れに乗って医務室を出ようとしたうみの背中に、タバコを咥えたままの硝子が声をかけた。

 

「え? どーしたんですか?」

うみは不思議そうに振り返る。

 

「……別に、あたしはアンタに用があるわけじゃないよ」

 

うみの発言(自傷)に小さくため息をつきつつ、硝子は火のついていないタバコを咥えたまま、スッと視線を医務室の入り口の方へ向けた。

 

その直後だった。

ガラッ!! と、医務室の重いスライドドアが勢いよく開け放たれた。

 

「さて」

 

入り口に立っていたのは、腕組みをして額に青筋を立てている与幸吉そしてその横には、

呆れ果てた顔で箒を肩に担いだ西宮桃の姿があった。

 

「一言も無しに出ていった言い訳を、まずはたっぷりと聞かせてもらおうか」

「戻ったらお説教って言ってたでしょ?」

 

「あ……」

地を這うような幸吉の低い声と、西宮の絶対零度の笑顔。

うみは完全に逃げ場を失い、冷や汗を流しながら数歩後ずさった。

 

「えーっと、その……」

 

言い訳を探して視線を泳がせ、そろりそろりと後ずさりを続けるうみ。

だが、その後退はすぐに遮られた。

背中に、コツンと何かがぶつかったのだ。

 

振り返ると、そこには――。

 

「うみくん? どこに……行くのかな?」

 

これまで見たこともないような、とてもいい笑顔を浮かべた三輪霞が立っていた。

 

「ひっ……!」

 

正面からは幸吉と西宮の絶対零度のプレッシャー。背後からは三輪の底知れぬ笑顔。

完全に退路を断たれたうみは、藁にもすがる思いで視線を横に走らせた。

その先には、特級術師にして、共に死地を潜り抜けた頼れる先輩――乙骨憂太の姿。

 

(憂太先輩! 助けて!!)

 

必死に目でSOSのサインを送るうみ。

その視線を受け止めた乙骨は、フッと優しく、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。

 

「……硝子さん。僕、虎杖くんと真希さんの様子を見てきますね」

「ああ、そうするといい」

 

そう言って、乙骨はうみからスッと視線を外し、さっさと医務室の奥へと消えていった。

 

(薄情者!!!!!)

 

うみの心の中で、血を吐くような絶叫が響き渡る。

 

――そして、きっちり一時間後。

 

「……もう、なにも、考えたくない……」

 

医務室の隅に置かれたパイプ椅子の上で、うみは真っ白に燃え尽きた灰のようになっていた。

傷一つないというのに、まるで三日三晩戦い続けたかのように満身創痍のオーラを放っていた。

 

無理もない。

幸吉による「通信端末も持たずに無断で失踪したせいで、連携と状況把握にどれだけの支障が出たと思っているのか」

というネチネチとした理詰めの説教を浴び続け、

さらに横からは西宮の「あれだけ言ったのになんでこうなのかなぁ」という呆れ果てた刺し言葉が飛んでくる。

 

そして何より恐ろしかったのは、三輪だ。

彼女は終始あの『全く笑っていない満面の笑み』を崩すことなく、

うみの両肩を背後からガッチリとホールドしたまま、「どれだけ、どれだけ心配したと思ってるんですか……?」

と至近距離で静かに、かつ重厚なプレッシャーと共に詰め寄ってきたのだ。

 

「……お疲れ様、うみくん」

 

別室から戻ってきた乙骨が、苦笑しながらスポーツドリンクのペットボトルを差し出す。

うみは焦点の合っていない目でそれを受け取ると、恨めしそうな視線を乙骨に向けた。

 

「……憂太先輩。このうらぎりものめ~」

 

「あはは……ごめんってば。でも、僕がいても止められなかったと思うよ、あれは」

 

乙骨は困ったように眉を下げつつ、うみの耳元にスッと顔を近づけ、周囲に聞こえない声で囁いた。

 

「それに……うみくんが『自分で腕を切った』ことは、みんなには黙っててあげたんだから。それで許してよ?」

 

「うっ……」

 

これにはうみも何も言えなくなってしまう。

もし、あの自傷行為まで知られてしまっていたら、説教が一時間で終わったとは到底思えない。特に三輪が。

あれほどのプレッシャーを放っていた彼女が、自分から腕を切り裂いたなどと知れば、どうなるか分かったものではない。

 

今、うみの命は乙骨憂太に握られているのだ

 

「……わかりましたよ。今回は憂太先輩に免じて許してあげます」

「あはは、上から目線だなぁ」

 

苦笑する乙骨に対し、うみはパンッと自分の両頬を軽く叩いて気分を切り替えた。

 

「あ、そーだ。憂太先輩、明日以降でどこか時間作ってもらえませんか?」

「時間? うん、いいけど……何かあるの?」

 

首を傾げる乙骨に、うみは少しだけ真剣な色を瞳に混ぜて頷いた。

 

「ちょっと領域を使ってほしくて」

 

「えっ、領域? 僕の?」

 

予想外の要求に、乙骨は目を丸くした。

領域展開は莫大な呪力を消費する術式の奥義だ。おいそれと気軽に撃てるものではない。

 

「うん。別にいいけど……なんでまた急に?」

 

「宿儺と戦うのに領域対策は必須なので、

俺の簡易領域がどれくらいのものなのか確認したいのと、他にも試したいことが……」

 

うみは自身の両手をじっと見つめ、ギュッと力強く握りしめた。

 

「……そっか。わかった、いつでも声かけて」

 

乙骨はそれ以上深くは追求せず、ただ頼もしく頷いた。

 

そんな二人のやり取りを見て、硝子が呆れたように煙を吐き出す。

凄まじい死闘と、それに続く騒がしい日常。

だが、その空気の底には確かな『希望』が満ちていた。

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