――埼玉県、木呂子鉱山。
激しい地響きが収まり、土煙が晴れた採石場の中心。
突如として、上空の空間が歪んだかと思うと、一人の男がふわりと軽やかに降り立った。
「よっ! みんな、久しぶりー!」
特徴的な白髪、いつもは隠れている蒼い瞳。そして相変わらずの飄々とした笑み。
現代最強の呪術師、五条悟がそこにいた。
「先生!!」
「悟!」
虎杖やパンダたちが歓声を上げて駆け寄る中、うみは少しだけ離れた場所から、いつも通りの淡々とした声で口を開いた。
「……お久しぶりです、悟さん」
「おっ、うみ! やっぱ生きてたかー! いやー、僕の読みは間違ってなかったね!」
五条は嬉しそうに両手を広げてハグを求めてきたが、うみはそれをスッと半歩横にズレて完璧に回避した。
空振った五条が「えぇー、そこは感動の再会でしょ!?」と口を尖らせる。
「むさ苦しいんでいいです。
それにしても、どこ行ってたんですか? 封印の解除からそこそこ経ってますけど」
「ああ、ちょっとね。傑……いや、傑の体を乗っ取ってる奴と、宿儺のところへ挨拶に行ってきてさ」
五条の言葉に、その場にいた全員の空気が一瞬で張り詰めた。
だが、五条本人は全く気負った様子もなく、ピースサインを作ってみせた。
「決戦は12月24日! 新宿で、僕と宿儺のタイマンだ!」
「12月24日……」
「百鬼夜行と同じ日じゃん」
真希やパンダが険しい顔をする中、うみは呆れたように小さく息を吐いた。
「……またイブですか?」
「命日が二つもあるとややこしいからね。……ま、詳しい話はまた後で。とりあえず高専に戻ろうよ」
五条はそう言って、ひらひらと手を振りながら歩き出す。
その背中を見送りながら、うみは小さく息を吐いた。
「相変わらずというかなんというか」
「違いない」
虎杖が苦笑し、他の面々も肩の力を抜く。
こうして、史上最強の呪術師の帰還と共に、呪いの王との決戦の火蓋が切られるまでの『最後の一ヶ月』が始まった。
◆◆◆
宿儺との決戦を控える中、もう一つの脅威である羂索への対応について、
天使を中心に、乙骨、秤、日下部、冥冥、そしてうみが顔を突き合わせていた。
「五条悟と宿儺の決着がつく前に、羂索に奇襲をかけるべきだ」
天使の言葉に、場に緊張が走る。
「我々が宿儺に勝利しても、羂索の目的である日本の人間と天元の超重複同化が達成されては意味がない」
「羂索が追加した総則からして、泳者を一掃して死滅回游を終わらせることが同化の条件なんだよな?」
秤の確認に、乙骨が首を傾げる。
「それなら心配ないですよね? 僕や秤先輩も死滅回游の泳者なわけだから、
宿儺と戦っている最中に羂索の目的が達成されることはない」
(宿儺に勝てたとしてもこっち側の泳者が全滅してたら……って茶々は野暮か)
日下部がタバコを咥えながら頭を掻く。
「……五条悟が負けた時、羂索側から奇襲をかけてきたら?」
天使の言葉に、秤が顔をしかめた。
「……まぁ、宿儺で手一杯の時にそれは勘弁だな」
「奇襲でなくても、もし五条悟が負け、その後我々が宿儺に辛勝したとして、満身創痍で羂索と戦うことになる」
天使が最悪の可能性を口にする。
「俺たちが宿儺にしようとしていることを、される可能性があるってことか」
日下部がタバコから煙を吐き出しながら続ける。
「単騎の不意打ちなら、禪院でワンチャンっちゅー感じだが……宿儺戦の前に戦力を分けるのはナンセンスだろ。
とはいえ、半端なやつは刺客として送れない。一級の俺らでもかなり役不足だ」
「誤用の方の役不足ね」階段の下から冥冥が口を挟む。
「……細けえなぁ」
日下部が渋面を作る。
「奇襲じゃなく正面から当たるなら、乙骨かうみだろうけどな」
その言葉に、壁に背を預けていたうみがスッと手を挙げて首を横に振った。
「俺は二回も逃がしてるんで、正直自信ないですね」
「お前が逃がしたのは、状況が悪いときばっかだろ」
日下部のフォローを、うみは淡々と切り捨てる。
「結果が全てですよ。それに二回とも羂索は呪霊操術しか使ってませんでしたし」
重苦しい沈黙が落ちる中、天使が真っ直ぐな視線で切り出した。
「私は、高羽史彦を推薦する」
その名前に、秤と日下部が露骨に怪訝な顔をした。
「あのよく分かんねぇ泳者を?」
「いまのところハミチン以外の印象がない男だぞ」
渋い顔をする大人たちをよそに、うみは少し首を傾げて記憶を探った。
「高羽……ああ、あの楽しい人ですか? いいと思いますよ」
あっけらかんとしたうみの肯定に、全員の視線が集まる。
「少ししか視てないですけど、あの人の術式はすごいので!」
「どうすごいのか言えよ」
「いつもの知的な感じはどこ行った」
日下部と秤の容赦ないツッコミに、うみは「いや、本当に意味が分からないんですよ」と苦笑して肩をすくめた。
「ただ、術式のポテンシャルだけで言えば、
無下限呪術クラス……それ以上かもしれません」
その途轍もない評価に、場の空気がピリッと凍りついた。
「彼の言うとおりだ」天使が深く頷く。
「彼の術式に悪い影響が出るかもしれないから、今から話すことは口外しないでほしい。高羽自身にもだ」
天使は声を潜め、確信に満ちた声で告げた。
「彼の術式は、言わば"事象の創造"。
高羽史彦自身が『ウケる』と確信した想像(イメージ)を、全て強制的に現実にする能力だ」
そのあまりにも常識外れな能力の全貌に、百戦錬磨の術師たちが一瞬、言葉を失った。
「なんだそのふざけた術式は……」
「だが、彼自身は自分の術式について自覚がない。
だからこそ、自分の術式を理解させないためにも口外しないでほしいと言ったのだ」
天使の言葉に、全員が深く納得したように黙り込む。
あの底知れない羂索を相手にするなら、確かにそれくらいデタラメなイレギュラーでなければ太刀打ちできないかもしれない。
「でも」
沈黙を破ったのは、うみだった。
「羂索との正面戦闘を高羽さんに任せるとして、羂索を倒すには奇襲用の人員が欲しいですよ?」
「なんでだよ。その術式なら高羽一人で十分なんじゃねえのか」
日下部が訝しげに突っ込むと、うみは淡々と事実を突きつけた。
「高羽さんが『殺し』を面白いって考えられる人だと思います?」
「……!」
その指摘に、日下部だけでなく全員がハッとする。
「……じゃあ、だれにするよ?」
日下部が頭を掻きながら問うと、うみは当然のように首を傾げた。
「俺か憂太先輩じゃないですか? 術者が死んだ後の呪霊操術がどうなるかがわかんないですし」
羂索が死ねば、使役されていた無数の呪霊たちが一斉に暴走する危険性が高い。
その大群を即座に制圧・対処できる手駒を持つ者となれば、リカのいる乙骨か、
殲滅向きの術式のあるうみの二択に絞られる。日下部たちもその理屈には深く同意せざるを得なかった。
◆◆◆
――さらに数日後。高専内の作戦会議室。
プロジェクターのスクリーンを背に、教壇に立った日下部が参加者全員を見渡した。
話し合いの結果、羂索への奇襲は乙骨が担当することになった。
「羂索の方は高羽で隙を作り、乙骨で刺す。条件は五条が負けた場合、それが確定したタイミングで」
日下部の言葉に、乙骨が真剣な表情で頷く。
「でもこれ、マジで乙骨の蜻蛉返り必須だからな。頼むぞマジで」
「はい」
作戦の第一段階を確認した日下部は、息を一つ吐いてから鋭い視線を向けた。
「問題の宿儺戦だが。総力戦とはいえ、まずは誰が参加するか決めねぇとな」
「コイツら阿呆か?」
壁に寄りかかって腕を組んでいた鹿紫雲一が、鼻で笑って口を挟んだ。
「総力戦なんだから全員だろ。まずは俺だが」
「隙も作れねぇ、100%瞬殺される奴を前線に出してなんの意味があんだよ」
日下部が鹿紫雲の暴論をバッサリと切り捨てる。
「例えば三輪。そもそも実力不足な上、渋谷で『今後刀を振るわない』縛りを自らに科した」
名指しされた三輪は、階段席で縮こまりながら申し訳なさそうに苦笑いした。
「その一振りも、素手で防がれたんですけどね。タハハ……」
「……霞先輩」
自虐する三輪に、隣の席に座っていたうみが心配げに視線を向ける。
その様子に、三輪は慌てて両手を振った。
「あ、いや、大丈夫だよ! 私のことは気にしないで!」
無理に取り繕おうとする三輪。
次の瞬間、うみはスッと手を伸ばして三輪の頭を撫でた。
「えっ……?」
突然の事に三輪が目を白黒させる中、うみはただ静かに、労うように微笑んだ。
「あ、あの、うみく、ん……?」
無言のまま向けられる穏やかな眼差しと、頭を撫でる優しい手付き。
三輪の顔はみるみる林檎のように真っ赤に染まり、両手で顔を覆ってぷしゅーっと湯気を上げてしまった。
日下部は(何やってんだこいつら……)と呆れたようにこめかみを押さえる。
「コホン。……話を戻すぞ」
日下部はわざとらしく咳払いをし、全員の意識を再び作戦へと向けさせた。
「天元サマと日本にいる人間の超重複同化は、術師であれば呪力で拒絶できると思う。
宿儺と羂索が勝ち残って、同化で生まれたバケモンが世界中をメチャクチャにしても、生き残る可能性は0じゃない」
「まぁ、泳者になってる奴は、羂索が生き残ればまず殺されるがな」
日下部の重い言葉に、場が静まり返る。
「それでも数日は長生きできる。宿儺だけ勝ち残ればもっとな」
日下部が淡々と告げる。
「……すまないが、私は降りる」
静まり返った空気の中、加茂憲紀が控えめに手を挙げた。
「役に立てそうもないからな。これから、家族を連れて海外に逃げるつもりだ。本当に――」
「あーいいっていいって」
日下部が軽く手を振ってあっさりと了承する。
「いちいち言わなくていい。公開処刑じゃねぇんだから」
日下部がため息をついた。
「この戦いは、役に立てる奴の方がおかしいっちゅー話だ」
「違いないですね」
うみが腕を組みながら同意する。
その隣では、限界を迎えた三輪が完全に机に突っ伏して微動だにしなくなっている。
「あれは文字通りレベルが違いますから。合理的な判断だと思いますよ」
真面目な顔で言葉を続けるうみに、加茂は少しだけ救われたような顔をして小さく頷いた。
「俺は先輩に色々と教えてもらえて助かってるよ」
虎杖が、隣から声をかける
「脹相は教えるの下手だから」
「……そうか」
(お兄様がすごい顔してるよ? 悠二先輩……)
目に見えて落ち込んでいる脹相の様子に、うみは内心で静かにツッコミを入れた。
「……反転術式が使える奴」
日下部が改めて条件を口にする。
「死にたがってる奴、死んでもいいって思ってる奴。それ以外は不参加かサポートだ」
その言葉を聞いて、うみは小さく首を傾げた。
(俺、反転術式は使えないし……死にたがりでもない。ましてや死んでもいいなんて欠片も思ってないけど……)
うみが少しだけ不満げな視線を向けると、日下部はやれやれと疲れたようにため息をついた。
「……言っとくが、お前は別だぞ。お前を戦わせない選択肢はさすがにねぇよ」
「ですよね。よかったです」
「よくねぇよ……」
ホッと胸を撫で下ろすうみに、日下部が渋い顔でツッコミを入れる。
そして、その後方から、真っ直ぐに右手が挙がった。
「鹿紫雲の後は、俺が出る」
スーツ姿の日車寛見が、静かに、しかし確固たる意志を持った声で告げる。
「俺の術式で、宿儺の術式を『没収』する」
ここで、壁に寄りかかっていた鹿紫雲が不機嫌そうに声を上げた。
「俺の負けを前提に話を進めんのムカついてきた」
「仮!! 仮だ!! 五条さんに順番譲ってくれて感謝してる!!」
秤が慌てて鹿紫雲の肩を掴みなだめる
「まだ納得してねぇよ!!」
「あはは…でもまあ金ちゃん先輩の言う通りですよ
鹿紫雲さんの負けを前提にしないと進める話がないですから、勝ったらそこで終しまいですし」
苦笑交じりのうみの言葉に鹿紫雲は反論の言葉を失ったようにチッと舌打ちして再び黙り込んだ。
「それで日車さん。術式の没収っていうのは?」
うみが本題を促すと、日車が淡々と説明を始めた。
「俺の領域内でジャッジマンが相手に『有罪』の判決を下せば、術式を文字通り没収できる。
さらに一番重い『死刑』が取れれば、一撃必殺の『処刑人の剣』で宿儺と戦える」
日下部が顎を撫でながら眉を顰めた。
「一撃必殺の剣か……。それはマジでありがてぇが、『没収』も『死刑』も確実にとれるわけじゃないんだろ?」
「ジャッジマンが宿儺のどの罪状を取り上げるかによる……」
日車が難しそうに答えると、虎杖が確認するように言う。
「そこは日車にも選べないってことでいいんだよね」
「あぁ」
虎杖が身を乗り出し、指を3本立てて言った。
「俺と宿儺が入れ替わったのは、高校・少年院・渋谷の3回だ」
そのうち少年院と渋谷ではかなりの死者が出てるし。伏黒に移ってから今まで、それから新宿でも好き勝手やるだろ。起訴内容がかなり絞られるから、結構な確率で死刑までいける罪状を引けるんじゃねぇか?」
虎杖の楽観的な推測に、日車は重い声で答えた。
「……正直、厳しいな」
「今までの宿儺の情報をまとめると」
日下部が手元の資料に目を落としながら口を開く。
「虎杖のいた高校での、虎杖に対する傷害……肉体の乗っ取り。五条悟に対する殺人未遂。
少年院では、虎杖に対する殺人既遂。これは虎杖が生き返ってるから未遂かもな。それと、伏黒恵に対する殺人未遂。
渋谷では、呪詛師の女子高生2人に対する殺人既遂、市民多数への殺人未遂、サイドテールの呪詛師への殺人既遂、現住建造物放火」
「そして伏黒恵の肉体の乗っ取りだが、伏黒恵の状態次第では傷害致死、死体損壊罪などが考えられる」
「うわぁ。近年稀にみる大犯罪者だ……」
そのえげつない罪状の羅列に、うみがドン引きしたような声を漏らす。
「近年どころか有史以来だろ。稀にも見ねぇよ」
日下部がすかさず呆れたようにツッコミを入れた。
その身も蓋もない正論に、誰もが「違いない」と渋い顔で押し黙る。
そんな中、虎杖が険しい顔で口を挟んだ。
「少年院は、もっと酷かったぞ」
「宿儺の指……呪物による被害では、宿儺を罪に問うのは難しいな」
日車が弁護士としての冷静な見解を述べる。
「間接的には宿儺のせいだが、彼が教唆幇助しているわけじゃない。同じ理由で吉野順平の母の件も難しいだろう」
「…………」
虎杖は悔しそうに俯いて沈黙した。
「殺人罪の量刑相場として、1人殺したら懲役10〜15年。2人殺したら無期懲役や死刑。3人以上殺せば基本的に死刑だ」
日車が指を折りながら解説を続ける。
「宿儺の行為は残虐で身勝手。社会的影響も重大な上、更生させるのは不可能だ」
「永山基準と照らし合わせてもまぁ死刑だ。普通の裁判ならな」
「ナガヤマ?」
さっきまで机に突っ伏していた三輪が、むくりと顔を上げて小首を傾げた。
「簡単に言えば、被疑者を死刑とするかどうかの基準ですね」
隣のうみが、息をするように自然に解説を入れる。
「殺人事件なら、何人殺したとかそこまでの経緯とか、
あとは被疑者の生育環境とかそういう諸々を考慮して死刑にするか、それ以外の刑にするかを決めるんです」
「その通りなんだが……よく知ってんな、そんなこと」
日下部が少し引いたような顔でツッコミを入れる。
「最高裁の判例集には目を通したことがあるので」
「お前は一体どこを目指してんだ……」
平然と答えるうみに日下部が心底呆れ返っていると、突如、三輪が驚いたような声を上げた。
「えっっっ!?」
急な反応に、うみは思わず小首を傾げた。
「どうしたんですか、霞先輩」
(なんか変なとこあったかな?)
しかし、三輪の視線はうみではなく、その隣にいる日下部へと真っ直ぐ向けられていた。
そして、さも信じられないといった顔でビシッと指を差して追及する。
「日下部さん、今の話分かったんですか!? 分かったフリでしょ!!」
「オマエ基本俺を舐めてるよな」
(あはは……そう来たか)
「霞先輩? 篤也さんはこれでも一応教師ですよ?」
「お前ぶっ飛ばすぞ」
フォローの体を全くなしていないうみの言葉に、日下部が青筋を立てて凄んだ。
一連の呆れたやり取りを見守っていた日車が、一つ咳払いをして話を戻した。
「普通の裁判なら全ての罪状ひっくるめて宿儺は死刑になる。
だが、ジャッジマンは一つ一つの罪状を取り上げて起訴する。
今あげた罪状だけなら死刑まで行く確率は3割弱といったところか」
その言葉を継ぐように、日下部が険しい顔で補足する。
「問題は、本来は重い罪に吸収される細かい罪だ」
「……?」
小難しい言い回しに、三輪が頭の上に疑問符を浮かべる。
それを見たうみが、横から分かりやすい例を出して補足を入れる。
「例えば、俺が今パンダをこの机に思いっきり叩きつけたとしますね」「なんで俺!?」
後ろの方からパンダの驚愕の声が飛んでくるが、うみはそれを華麗にスルーして言葉を続ける。
「そうすると、パンダが怪我すれば傷害罪、怪我してなければ暴行罪になるんですけど、
傷害罪の方が分かりやすいので今回はそっちで。ここまではいいですか?」
「あ、うん。なんとなく」
三輪が頷くのを確認し、うみはさらに続ける。
「パンダを思いっきり叩きつけるわけなので、当然机も壊れちゃうじゃないですか?」
「うん、そうだね」
「壊れた机は高専のものなので、俺には器物損壊罪が適用されるんです」
うみは指を二本立てて見せた。
「そうなると、俺が問われる罪は『パンダに怪我をさせたこと』と『他人の財物を壊したこと』
この二つがある状態なわけです。普通ならより重い罪の方で裁かれるので傷害罪になるわけですけど、
ジャッジマンの裁量次第で器物損壊の方で裁かれるかもしれないって話です」
「その通りだ。ジャッジマンが、宿儺の渋谷での虐殺行為を器物損壊や建造物侵入といった視点から起訴する可能性があるんだ」
うみの解説を引き継ぐように、日車が深刻な顔で言う。
「その場合、死刑を勝ち取るのは難しい」
「ジャッジマンは、おれがパチ打ったのも取り上げたやつだからな……全然あり得る」
虎杖が腕を組んで真剣な顔で同意する。
「そうだ、逆に宿儺が受肉時の虎杖の軽い罪に問われることもある」
日車がそこまで言ったところで、日下部が虎杖に目を向ける
「オマエなにしてんの? 馬鹿なの?」
(悠二先輩……)
日下部に続き、うみも思わず呆れたようなジト目を虎杖に向けた。
「さらに問題なのは、千年前の罪だ」
そんなやりとりを気にも留めずに日車は続ける
「いや流石にそれは時効なんじゃ……」
三輪が突っ込む。
「明治時代に近代法が導入された。近代法には時効の概念がある」
「じゃあ時効か」
「2010年に刑事訴訟法が改正されて殺人の時効はなくなった」
「時効じゃないってこと!?」
「いや1985年以前の殺人には時効が成立している」
「時効じゃん!!」
「だが平安時代の養老律令という法体系には時効がない」
「ほな時効違うか……」
「コントですか?」
二人のやりとりに、うみがたまらずツッコミを入れた。
複雑な法律の論理と二転三転する結論に、虎杖の頭がショートしかける。
「マジでどっちなの?」
虎杖が堪えきれずに尋ねると、日車は真顔で即答した。
「分からん」
「えっ」
「犯人が国外にいると時効の進行が停止する。
受肉前の宿儺の扱い次第では、近代法でも時効が成立しないかもしれない」
「あの世を海外と仮定されるとか?」「まさにだ」
秤が茶化すように言うと、日車は真剣に頷いた。
「ジャッジマンは俺の術式に備わっている式神だ。
俺があり得なくもないと思っているなら、ジャッジマンもそうなんだろう」
日下部が顎を撫でながらまとめる。
「つまり、千年前の罪やジャッジマンの裁量を加味すると、宿儺の余罪は計り知れない。
その中から死刑が視野に入ってる罪状をピンポイントで起訴できる確率は、かなり低いってことだな」
「『有罪』から『没収』まではまずいけるんだろ。それだけでありがたい」
秤が言うが、日車の眉間にはまだ深い皺が刻まれていた。
「だが、術式の『没収』が、十種影法術と御厨子の両方に適応されるのか分からん。片方だった場合……」
「いやそれでもめちゃくちゃ助かるけど……」
日下部がフォローを入れる。
「あの」
そこで、うみが少し控えめに口を開いた。
「一つ、気がかりなことがあるんですけど」
「なんだ?」
日下部が促すと、うみは淡々とした口調で問いかけた。
「日車さんの領域って、金ちゃん先輩と同じで少し特殊なタイプですけど、
もし、領域を展開するタイミングが宿儺と被った場合はどうなるんですか?」
その指摘に、場にいた全員の表情が引き締まる。
「普通に領域の押し合いになるんですかね?
もしそうなら
「……正直、分からん」
うみの率直すぎる指摘に、日車は眉間をもみながら苦渋の表情で答えた。
「なるほど」
うみは一度コクリと頷き、そして事もなげに言った。
「それなら、日車さんの前に俺が出ます」
「はぁっ!?」
虎杖とパンダが目を剥いて素頓狂な声を上げる。
「……お前、宿儺相手に一人でやる気か?」
日下部が、呆れと驚きが入り交じったような、酷く冷静な声で問う。
その反応に、うみは苦笑しながら手を振った。
「別に悟さんや鹿紫雲さんみたいに、最後までやらせろって言ってるわけじゃないですよ?」
うみはさらりと言ってのける。
「ただ、10分……いや、15分だけ俺にください」
「15分?」
日車が怪訝そうに眉をひそめる。
「ええ。その15分で、俺が宿儺の術式を潰します」
うみは淡々と、しかし揺るぎない自信を持って宣言した。
「そしたら、日車さんが宿儺の領域を気にしなくてよくなります」
あまりにもサラリと、自分を削り役にするような作戦を口にするうみに、誰もすぐには言葉を返せない。
「だ、だめ……っ!」
重い沈黙を破ったのは、震える声だった。
三輪が、弾かれたように立ち上がる。その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「ダメだよそんなの! 宿儺相手に一人で15分も……死んじゃうかもしれないじゃん!!」
周囲の大人たちが冷静に損得と生存率を計る中、ただ一人、純粋な恐怖と心配だけで三輪が叫ぶ。
必死にすがるようなその姿に、うみは少しだけ驚いたように目を丸くし――そして、ふわりと優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ、霞先輩」
「で、でもっ……!!」
「死なないための戦い方なら、俺は誰よりも上手いので」
「僕は、うみくんに任せてもいいと思うよ」
三輪がさらに言葉を重ねようとしたところを、乙骨の静かな声が遮った。
「うみくんの術式と実力なら、15分くらいなら宿儺を相手にすることは十分に可能だと思う。
……それに"アレ"もあるしね」
後半はうみにだけ聞こえるような小声だったが、
それは紛れもなく、連日の特訓でうみの底知れぬポテンシャルを肌で感じてきた乙骨の本音だった。
「……はぁぁ」
乙骨まで賛同に回ったのを見て、日下部が深々とため息をつき、頭をガシガシと掻いた。
「わーかったよ。お前らに免じて、日車の前を任せる」
「ありがとうございます。それで、話を戻しますけど」
うみはニコッと笑い、日車の方へ向き直る
「宿儺を確実に死刑に持ってく方法ですけど、
ジャッジマンのルールに『刑事訴訟法』の観点から縛りを組み込んだらどうですか?
例えば、起訴便宜主義の排除とか、訴因の特定を強制するとか」
うみの突拍子もない、しかし極めて専門的な提案に、日車は少し驚いたように目を見開いた。
「……なるほど。検察官の裁量を縛って、最も重い罪状だけを強制的に起訴させる縛りか。確かに、ある程度起訴内容を絞り込むことはできるだろう。だが、それでも『死刑になる確率が上がる』程度に留まるだろうな。確実に、とは言い切れない」
「じゃあ、刑法の観点から『併合罪』に関する縛りはどうですか?」
うみがさらに畳み掛ける。
「いや……」
日車は首を横に振った。
「宿儺の余罪は多すぎる。併合罪で重い刑に引き上げようとしても、
そもそもベースになる罪が器物損壊や建造物侵入などに分散してしまえば、死刑には届かない可能性が高い」
「それなら、裁判所法による管轄の限定は?」
「それも、一つ目と同じだ。対象を絞るのが限界で、
最終的なジャッジマンの裁量を完全に操作することはできないだろうな」
「……うーん。まあそう上手くはいかないかぁ」
うみは顎に手を当てて小さく唸った。
どうすれば確実に、あの呪いの王に極刑を突きつけられるのか。
「…………あるかも」
その時、黙って話を聞いていた虎杖が、ふと何かを閃いたように呟いた。
「え?」
「確実に宿儺を『死刑』にする方法……!!」
虎杖の目が、はっきりと光明を捉えて見開かれる。
「三審だ」
「あの時の、俺と日車の裁判を宿儺を巻き込んでやり直す。これなら渋谷の大量殺人で宿儺を起訴できる!!」
「……! 」
その提案を聞いた日車はハッとして目を見開いた。
「だが誅伏賜死は一審・二審・三審の罪状がランダムだ」
「あぁ!! じゃあ駄目か!!」
「いや」
日車は頭の中で法律と術式のルールを急速に照らし合わせていく。
「既に判決が出ている罪を、俺から再審請求すれば……共同被告人として宿儺を加え、同じ罪状で裁判を続けることは不可能じゃない」
「なぜなら俺にメリットがない。あくまで術式対象は虎杖だからな。失敗したとしても、罪状を虎杖に受肉してる間に絞ることができる……!!」
日車の確信に満ちた言葉に、作戦の最も重要なピースがカチリと音を立てて嵌まった。
「なんにせよ、まずはうみが15分で領域を潰し、日車が宿儺の術式を『没収』し、処刑人の剣で斬る。これが本命の作戦になるのは間違いない」
日下部の言葉に、誰もが頷く。
作戦の輪郭が、明確に組み上がった。
五条悟が負けた時、どう動くか。
全ては、その最悪の事態を想定した、絶対に負けられない盤面だった。
それからの約一ヶ月間。
それぞれが己の役割を果たすべく、死に物狂いで特訓と準備を重ねた。
うみも、乙骨の力を借りながら、あの『虎の子』を実戦で確実に使えるレベルにまで引き上げることに成功した。
決戦が近づくにつれ、高専内には張り詰めた空気が漂っていたが、誰も逃げ出す者はいなかった。
すべては、その日のために。
――そして、12月24日。
太い柱が立ち並ぶ広い部屋で、メンバーが顔を突き合わせている。
これから決戦へと向かう『最強』に向けるべき言葉を探して、それぞれが首を傾げている。
「『死ぬな』?」
「『頑張れ』?」
パンダと秤が、それぞれ言葉を口に出してみては微妙な顔をする。
「なんかしっくり来ないんだよな」
「今まで勝って当たり前の人間だったからな」
「心配しよう、応援しようという気が湧かないよね」
秤が腕を組んでボヤくのに、パンダと綺羅羅が苦困り顔で同意した。
その言葉に、棘も「こんぶ」と頷く。
「『敗けたら殺すよ』とかどうですか?」
壁に寄りかかっていたうみが、淡々とした声でとんでもない提案をした。
「お前時々バイオレンスだよな……」
虎杖がツッコミを入れる
「ははっ。でも普通に喜んでくれると思うよ」
乙骨が苦笑しながら言う。
「『あたりめーだろ』とか返されたら、宿儺の前に殴っちまいそうだ」
真希が忌々しげに吐き捨てた、その時だった。
ザッ、ザッ、ザッ。
奥の階段から、静かで、しかし重みのある足音が響いてきた。
楽巌寺学長と庵歌姫を背後に従え、ゆっくりと階段を下りてくる男。
六眼を隠すものはなく、剥き出しになった蒼い瞳が、どこか遠くを見据えるように静かに冷たく光っていた。
その、いつもとは違う異様なまでの重圧と緊張感に、
軽口を叩いていた真希たちも思わず息を呑み、道を空けるように立ち尽くす。
(……初めて見た。こんなに真剣な悟さん)
うみも思わず姿勢を正し、その歩みを見守る。
最強の呪術師が、無言のまま生徒たちの前を通り過ぎようとした、その時だった。
「先生!!」
沈黙を破り、虎杖が声を張り上げた。
「術式邪魔!!」
その言葉に、五条は自ら無下限呪術の防壁をふっと解き、白い羽織を肩からずらした。
「ははっ」
五条が破顔し、腕を振り上げる。
「ばっちこい!!」
その言葉を合図に、静寂は完全に破られた。
バァンッ!!!!
真っ先に虎杖が、五条の背中を思い切り叩いた。
「行ってこいバカ目隠し!!」「面だけの男じゃねえって証明しろ!!」「先生!!」「しゃけ!!」
「しんどくなったら変わりますよ」「勝てよ!! 五条さん!!」
虎杖に続き、真希、パンダ、綺羅羅、狗巻、乙骨、秤が次々と五条の背中や肩を力強く叩き、気合いを入れていく。
バァン! ドカッ! と遠慮のない音が響く。
最後に、うみもその流れに乗って五条の背中をポンッと軽く叩いた。
「……勝って。先生」
何気なく、けれど確かに紡がれたその呼び方に、五条は一瞬だけ目を丸くした。
普段はからかう時くらいしか使わない『先生』という呼称。
そこには、うみなりの不器用な祈りと、五条悟への絶対的な信頼が込められていた。
「応!!」
五条は自信に満ちた笑みを浮かべ、そのまま真っ直ぐに歩みを進める。