生まれ変わった世界は   作:月影うみ

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54話

――『無量空処』の結界が、無惨に砕け散る。

新宿の街に舞い上がる凄まじい土煙。

その中心で、虚ろな目をして立ち尽くす呪いの王の前には、異形の姿。

 

「あれが……魔虚羅……!! 禪院家の虎の子か」

モニターに映し出されたその姿に、冥冥がどこか楽しむように目を細める。

 

『八握剣異戒神将魔虚羅』

あらゆる事象への適応能力を持つ、十種影法術の中で最強の式神。

 

(……それにしても)

周囲が魔虚羅の姿に戦慄する中、うみは先程の光景を思い返していた。

 

(悟さんの領域が『崩壊』した……)

 

五条の意思による解除ではなく、外圧または内側からの破壊による崩壊。

あの時点で宿儺の領域は崩壊し、その機能を停止していた。

即ち、その時宿儺は『無量空処』の影響を受け、行動不能に陥っていたはずだ。

 

つまり、五条の領域を破壊したのは魔虚羅ということになる。

そんなことはうみも理解している。今の状況を見れば疑いようもない。

 

(でも、その上でありえない。いかに魔虚羅といえども、『無量空処』の結界内に顕現すればその影響を受けるはず。

そして、魔虚羅の能力を知っている悟さんが、無防備な状態の魔虚羅が適応するまで待つなんてことをするわけがない)

 

思考がそこまで至った瞬間、うみの脳裏に一つの最悪の可能性が閃いた。

 

「まさか……ッ!!」

 

うみが突然、弾かれたように身を乗り出し、顔を青ざめさせた。

 

「どうした、うみ!」

日下部が鋭く振り返る。

 

「魔虚羅は……『顕現した時点で』すでに、無量空処に適応していた……?」

うみは、信じられないというように自身の推測を口にした。

 

「なんだと!? でも、一体いつ、どうやって……!」

日下部が絶句する。

 

その答えは、モニターの中から、呪いの王自身の口によって語られた。

 

『今までの5度の領域展開。俺が相殺した必中命令は、伏魔御厨子の内側にある「俺以外のすべて」だ』

 

土煙が晴れる中、宿儺は余裕の笑みを浮かべて語り始める。

 

『俺自身への必中命令は、完璧に殺した。……だが、伏黒恵の魂への必中命令は、あえて相殺しなかった』

 

「……ッ!」

その言葉の意味を理解し、待機室にいる何人かが息を呑んだ。

 

『そして、俺が領域内で展延を使わなかった間。その適応を肩代わりさせたのさ。伏黒恵の魂にな』

 

「……ッッ!!」

 

その言葉が待機室に響き渡った瞬間。

虎杖の目が限界まで見開かれ、ギリィッ……と、歯の根が砕けそうなほどの音が鳴った。

 

(適応を肩代わりさせた……? できるのか? そんなことが

いや実際できてるからああなってるんだろうけど……)

 

領域の押し合いの中で、宿儺は自身への『無量空処』の必中効果を打ち消しながら、

伏黒恵の魂への必中効果だけは、意図的に相殺していなかったのだ。

五条と宿儺が領域で戦っていた間、ずっと。

伏黒の魂だけが、あの無量空処をまともに受け続け、魔虚羅の適応のプロセスを肩代わりさせられていた。

 

『……自信満々に語ってるけどさ』

 

絶望的な事実が突きつけられる中、五条悟は口元の血を拭いながら、どこか冷めた声で言い放った。

 

『肩代わりしたのはあくまで"適応の過程"であって、"結果"じゃないだろ』

 

その言葉に、宿儺がわずかに目を細める。

 

『オマエや恵の魂自体が『無量空処』に適応したわけじゃない。

つまり……僕がまた領域を展開すれば、オマエは魔虚羅を出さざるを得ない』

 

五条は再び真っ直ぐに立ち上がり、自身の目元に指を添える。

 

『次は一撃で消してやるよ』

 

五条は狂気すら孕んだ笑みを浮かべ、六度目の領域展開の掌印を結ぼうとした。

 

「……ッ!」

モニター越しにその姿を見た瞬間、うみは背筋にゾクッと悪寒が走るのを感じた。

 

(……そういうことか。ようやく、視えた)

 

六眼が捉える、五条の脳に集中していた呪力。

呪力による脳の破壊と反転術式での修復があまりにも同時かつ精密に行われていたため、

うみの目をもってしてもその正確な手順までは掴みきれていなかった。

 

だが今、極限の綱渡りを繰り返した五条の脳が限界を迎えたことで、破壊の後の『修復』のプロセスに、

ほんの一瞬のラグが生じた。

 

その呪力の流れの乱れによって、先ほどは理解しきれなかった『術式修復』の狂気的なカラクリが、

図らずも明確に視えてしまったのだ。

 

その直後だった。

 

『――ッ』

 

五条の動きが、唐突に止まる。

そして、その端正な顔の、鼻の穴から。

 

ボタボタボタボタッッ!!

 

水道の蛇口を捻ったかのように、五条の鼻から凄まじい量の鮮血が噴き出し、顎を伝って地面に滴り落ちたのだ。

五条自身も、何が起きたのか理解できないというように、見開かれた目を血で染めながら自らの手元を見下ろしている。

 

「どういうことだ!?」

日下部の悲鳴のような声が響く。

 

「……嫌な予感が、当たったのか……!?」

乙骨が、顔面を蒼白にして震える声で呻いた。

 

「……術式の修復。その後遺症です」

うみの低く、絞り出すような声が待機室に響く。

 

「後遺症だと!?」

日下部が血相を変えて振り返る。

うみはギリッと奥歯を噛み締め、六眼を通して視えた狂気的な修復プロセスの全貌を語り始めた。

 

「今、ようやく視えました。

悟さんは脳の一部――術式が刻まれている部分を自らの呪力で破壊してから、

反転術式で治癒することで……焼き切れた生得術式を無理やりリセットしていたんです」

 

「そんなこと、一回でもリスクが高すぎる!!」

うみの口から語られた出鱈目すぎる治癒の真実に、乙骨が絶叫する。

 

「脳の……特に術式に関わる箇所はブラックボックス

直そうと思って治せるほど単純じゃねぇ」

 

日下部が、吐き捨てるように、しかし明らかな絶望を滲ませて言った。

 

「五条は脳の治癒に慣れていると思っていたが……それでも後遺症が出たってわけか」

タバコを咥えたまま、家入硝子が苦々しく呟く。

 

絶望的な状況。領域を使えず、脳に深刻なダメージを負った五条。

対して、まだ余力を残し、魔虚羅という最強の盾まで顕現させた宿儺。

 

『次俺は、領域を結界で閉じる。』

宿儺は、勝ちを確信したように掌印を組む。

 

『逃げ道はない。あとは貴様を切り刻みながら、その"無限"にも適応させてもらう』

 

「……ッ」

誰もが、最悪の結末を予感して息を呑んだ。

 

『じゃあな最強』

宿儺の瞳に、五条悟という存在への決別の色が浮かぶ。

 

『俺がいない時代に生まれただけの凡夫――』

決着の領域を展開しようとした。

 

――その、瞬間だった。

 

『……?』

 

モニターの中の宿儺の動きが、唐突に止まる。

 

「え?」

虎杖が、間の抜けた声を漏らした。

 

背後に顕現しかけていた禍々しい神殿が、ノイズが走ったようにブレて崩れ去る

そして、呪いの王の目から、鼻から。黒々とした血が、ボタボタと止めどなく溢れ出したのだ。

 

「「「!!」」」

日下部、虎杖、乙骨が、信じられないものを見たように一斉に目を見開く。

 

「……領域が、展開できない?」

三輪が呆然と呟く。

 

「……限界だったのは悟さんだけじゃなかったみたいですね」

 

誰もが予想だにしなかった展開。

その理由を、うみが確信をもって告げる。

 

「無量空処による情報負荷は、悟さんに聞いた話では恐らく秒間で2.5年分ほどです」

うみは、モニターの中で片膝を突く宿儺を見据えながら、淡々と語り始めた。

 

「そしてさっき悟さんの領域の中で宿儺の領域が崩壊してから、

悟さんの領域が破壊されるまでがおよそ10秒弱。

その間に宿儺が受けた情報負荷は……大体25年分くらいですかね」

 

そこまで言って、うみはフッと息を吐いた。

 

「つまり、宿儺の脳は10秒に満たない時間の間に、25年分相当の情報の処理を強制させられた。

たったそれだけでも……呪いの王の脳を破壊するには十分すぎるダメージだったってことです。

……悟さんと同様に、領域を展開できなくなるほどに」

 

うみのその看破を裏付けるように。

モニターの中の五条悟は、血に染まった顔で、狂気に満ちた笑みを爆発させた。

 

『しっかり効いてるじゃねえか!!』

 

鼻血を拭い、ふらつく足取りながらも、五条は不敵に笑って自身の後方を指差す。

 

『生徒が見てるんでね』

 

その瞳は真っ直ぐに呪いの王を射抜き、揺るぎない自信と共に言い放った。

 

『まだまだ、カッコつけさせてもらうよ』

 

――最強同士の死闘は、領域という最大の手札を互いに失ったことで、新たな局面へと突入した。

 

モニターの中では、再び激しい肉弾戦が再開されている。

瓦礫を蹴立て、超音速で激突する二つの影。

その凄まじい攻防を息を呑んで見つめる待機室で、日下部が唐突に口を開いた。

 

「この中で、五条に本気で殴られたことあるやついるか?」

 

あまりにも脈絡のない問いかけに、待機室の面々が目を瞬かせる。

 

「「本気で殴ったことなら……当たんなかったけど」」

虎杖とパンダが微妙な顔をしながらあいまいに答えた

 

「本気っていうか、無下限呪術を応用した打撃ってことならあります」

そこに乙骨が割り込み、秤も「俺も」と同意する

 

「俺もありますよ」

うみも、隣で静かに手を挙げた。

「俺が無下限を使えるようになった頃に、『手本見せてあげるから覚えろ』って言われて……」

 

当時の記憶を呼び起こしたのか、うみは椅子の上で少しだけ顔をしかめた。

 

「アイツは呪力で強化した拳に、打撃の瞬間『蒼』で吸い込む反応を重ねてる」

日下部が、理屈を解説をし始める。

 

「威力が上がるだけじゃなくて、普通に殴られてるはずなのにカウンターもらったみたいな感覚になるから最悪なんだよ」

秤が苦い顔をしながら自分の経験談を話す。

 

その話を聞いていた綺羅羅が、「痛かった?」と問いかける。

 

「吐いた」「吐きました」

秤と乙骨が、当時の凄惨な記憶を思い出しながら、遠い目をして同時に答える。

 

「えっ、乙骨先輩たちでも吐くくらい痛いの!?」

虎杖が驚いたように目を丸くし、そしてうみに視線を向けた。

 

「お前よく無事だったな」

乙骨や、秤ですら吐くレベルの一撃。

それを、彼らよりもはるかに小柄で華奢なうみが受けて、無事で済むとは考えにくい。

 

虎杖の素朴な疑問に、うみはスッと視線を虚空へ彷徨わせ、酷く遠い目をした。

 

「……走馬灯って、本当にあるんですよ」

 

「うわぁ……」

一切の感情が抜け落ちたようなうみの声に、虎杖が顔を引き攣らせる。

 

「ていうかオマエ、無下限使えるなら自分でもできんだろ?」

日下部が呆れたようにうみに視線を向ける。

 

「最近ようやくですけど」

 

「ってことは、今五条が何をやってんのか、全部わかってんのか?」

 

日下部の問いに、うみは少しだけ困ったように頭を掻いた。

 

「流石に全部は分かんないですよ。

そもそも俺と悟さんとじゃ、無下限の使い方が違いますし」

 

「使い方が違う?」

 

「戦闘の軸にしてるか、してないかってことです」

 

うみは、画面の中で息をするように『蒼』を乗せた打撃を叩き込む五条を指差した。

 

「一応、俺も無下限だけで戦えないこともないですけど……負担がでかいし扱いも難しいんで。

俺は要所要所の大火力や、ほんの短時間の防御で使う方が戦いやすいんですよ」

 

そこまで言って、うみは呆れたように小さく息を吐いた。

 

「それに、悟さんのあんな戦い方は、

そもそも反転術式で常に脳をリセットできることありきの運用ですしね

俺が同じことやったらあっという間に脳が焼き切れちゃいます」

 

日下部がタバコを咥え直し、ふて腐れたように画面から目を逸らす。

 

「じゃあ、五条が何やってるかってのはこれ以上分からんってことだな」

 

完全に解説を放棄した日下部に、張り詰めていた待機室の何人かが思わず苦笑を漏らした。

再びモニターに視線を戻すと、五条と宿儺の規格外の格闘戦はさらに激しさを増していた。

 

そして数十合ののちに画面の中の五条が、唐突に"増えた"。

いや、正確には違う。無下限呪術を応用し、残像を残すほどの超高速移動。

無数の五条が、宿儺の周囲をぐるりと取り囲むように駆け巡る。

 

「うわ、はっや……」

そのデタラメな速度に、うみが思わずといった様子で目を丸くして感嘆の声を漏らした。

 

だが、呪いの王はそれに翻弄されることはなかった。

無数の残像が入り乱れる中、宿儺は一切の迷いなく「本体」の五条の動きを正確に見極め、的確に拳を叩き込んだ。

 

ガキィッ! と鈍い音が響き渡る。

両者の激しい肉弾戦が続く中、その目まぐるしい攻防を追ううみの視線は、

宿儺の頭上に不気味に浮かぶ『魔虚羅の法陣』を捉えていた。

 

(……回った)

 

宿儺が五条の攻撃を受けた直後。

ガコンッ、と法陣が不気味な音を立てて回転したのだ。

 

「適応したのか!?」

モニター越しにその音を聞き取った日車が、鋭く声を上げる。

 

「多分まだです。魔虚羅出してないですし。

あとさっきからちょくちょく十種が()()()()()()。展延を使ってる時っぽいですけど」

 

「……その時は、魔虚羅の法陣が黒くなっている」

腕を組んで画面を睨んでいた鹿紫雲が、確信を持った声でうみの言葉を補足するように呟いた。

「適応が中断されていると考えて間違いないだろう」

 

「それに加えて、『無量空処』への適応には5度もの領域展開の時間を要している」

冥冥がモニターを見つめながら、静かな声で分析を口にする。

 

「ってことは、五条さんの『無下限呪術』の技には複数回の法陣の回転が必要になるってことか?」

秤がその言葉を継いで推測する。

 

「あり得るな。もはやあの2人にはありえないことが普通だから」

日下部が、疲れたようにタバコの煙を吐き出した。

 

そして、モニターの中の新宿。

瓦礫の上に立つ五条が、少し離れた場所に立つ宿儺に向かって、不敵な笑みを浮かべて口を開いた。

 

『トータル4回だろ。あと3回』

『魔虚羅が、僕の不可侵に適応するまでの法陣の回転数』

 

「「「あと3回……!!」」」

虎杖、日下部、秤たちが、モニターの前で同時に息を呑んだ。

それは明確に突きつけられた、五条悟の「無下限呪術」が破られるまでのタイムリミットだった。

 

『カウントダウンだな』

宿儺は、獰猛な瞳で五条を睨み据える。

『お前のその、薄ら笑いが消えるまでの』

 

『薄ら笑いはお互い様』

五条の表情が、狂気と闘志に満ちた獰猛なものへと変わる。

 

『3カウントなんて待たずに、ぶっ殺してやるよ』

 

五条悟のその獰猛な宣言を皮切りに、新宿での死闘はさらに一段ギアを上げた。

 

崩壊したビル群を駆け抜け、瓦礫を粉砕しながら激突を繰り返す二つの影。

呪いの王・宿儺に対し、五条は宣言通り、息をつかせぬほどの圧倒的な猛攻を仕掛ける。

 

だが、その激しい攻防の最中だった。

 

――ガコンッ。

 

新宿の街に、不気味で重たい金属音が無情に響き渡った。

宿儺の頭上で、魔虚羅の法陣が再び回転したのだ。

 

「2回転目!!」

虎杖がモニターに食い入るように身を乗り出し、切羽詰まった声で叫ぶ。

 

「焦れよ!! 五条!!」

日下部もまた、額に脂汗を滲ませて声を荒らげる。

 

タイムリミットが確実に削られていく中、画面の中の五条は待機室の焦燥などどこ吹く風と、さらなる猛攻を仕掛ける。

 

五条の指先に青白い呪力の球体――『蒼』が顕現する。

だが、それを宿儺に直接放つのではなく、周囲の崩落したビルの瓦礫の間に点在させた。

強力な引力が発生し、巨大なコンクリート片が宿儺の背後や死角から、弾丸のような速度で襲い掛かる。

 

「……!」

宿儺が背後からの瓦礫を弾き飛ばしたその一瞬の隙を突き、五条が死角に潜り込んで強烈な回し蹴りを叩き込む。

 

「なるほど……」

その鮮やかなコンビネーションを見て、うみは感心したように呟いた。

 

「ぶつけるだけじゃなくて相手を起点に周りを引き寄せるのか…

攻撃としては微妙だけど、視界妨害としては十分すぎる。

一瞬でも視界を切れればやれることはいくらでも……」

 

絶体絶命のカウントダウンが進む中、うみは完全に自分の世界に入り込み、高速で思考の海へ沈んでいく。

 

「オマエ、こんな状況でよくそんな冷静に分析できるな……」

日下部が呆れたように視線を向けるが、うみの耳には既に入っていない。

 

現在のうみにとって『蒼』の運用は、対象そのものを削り取る直接攻撃や、打撃への上乗せなど、直線的な使い方が主だった。

だからこそ、直接的なダメージを狙うのではなく、

『本命の次手へ繋ぐための盤面作り』として蒼を点在させるという五条の戦術は、うみにとって完全に盲点だった。

五条の戦い方は、うみの術式運用の幅を広げる上で、これ以上ない生きた教材だった。

 

だが、そんなうみの冷静な分析を余所に、事態は無情に進行する。

 

激しい格闘戦の最中。

五条の拳が宿儺の顔面を捉えた、その直後だった。

 

――ガコンッ。

 

再び、呪いの王の頭上で不吉な音が鳴り響く。

 

「3回転目!! あと1回!!」

秤が、焦燥を隠しきれない声で叫んだ。

 

絶対不可侵の崩壊まで、リーチがかかった。

張り詰めた空気が待機室を支配する中、虎杖がふと、眉をひそめて疑問を口にした。

 

「……適応に必要なのって"時間"? それとも"経験値"?」

 

「……?」

その言葉に、日下部が怪訝な顔をする。

「あー、なるほど成程」

 

日下部は顎を撫でながら、虎杖の言葉の意図を理解し、周囲に向けて説明を始めた。

 

「つまり、一度喰らった攻撃を時間をかけて読み解いて適応するのか。

それとも、何度も同じ攻撃を喰らうことで適応するのか。どっちかって話だな」

 

もし『時間』であれば、五条がどれだけ攻撃の手を緩めようと、やがて適応は完了してしまう。

もし『経験値』すなわち『被弾回数』であれば、これ以上『蒼』を当てなければ適応は進まないということになる。

 

「そりゃオマエ、五条が今順転(蒼)以外の術式を使ってないってことは……どっちだ?」

日下部がそこまで言いかけたところで、鹿紫雲が腕を組んだまま冷たく言い放った。

 

「どちらもありうる……。そんだけだ」

 

「……」

鹿紫雲の身も蓋もない言葉に、待機室に沈黙が落ちる。

 

「うみ、お前はどう思う?」

虎杖が、縋るような視線をうみに向ける。

 

「……ベースは『時間』で、そこに『経験』で適応が加速していく……って感じだと思いますけど」

うみの静かな見解に、全員の視線が集まる。

 

「根拠はなんだ?」

日下部が問うと、うみは淡々と自身の見解を並べ始めた。

 

「法陣の回転の間隔です。一度目の回転から二度目の回転までの時間と、

二度目から三度目までの時間……後者の方が、わずかに短かった気がするんで」

 

「短かった……つまり、同じ攻撃を喰らうことで、その解析スピードが上がってるってことか」

日車がうみの言葉の意図を汲み取って補足する。

 

「ええ。それに、少なくとも『経験値』単体だけが条件ってことはないはずです」

うみは確信を持った声で言い切る。

 

「もし被弾回数だけが条件だとしたら、適応する前に一撃で消し飛ばされたら終わりの式神ってことになりますよね。

いくらなんでも、それじゃあ御三家である禪院家の『奥の手』としては、格が低すぎる気がするんです」

 

「……なるほど。確かに説得力があるな」

日下部が腕を組んで深く頷いた。

 

最強の術師が強いられている、あまりにも過酷な綱渡り。

あと1回の回転で、無下限呪術は破られる。

その極限の重圧の中、新宿での死闘は続く。

 

画面の中では、五条が宿儺に対し、構えをとっていた。

指先から放たれるのは、強烈な斥力を伴う術式反転『赫』。

 

至近距離からの回避不能の一撃。

だが、その直撃の瞬間。うみの眼は、宿儺の頭上に浮かぶ魔虚羅の法陣の色が、不気味に変色するのを確かに捉えた。

 

(法陣が……展延!!)

 

ズドォォンッ!!

 

強烈な『赫』の爆発が宿儺を飲み込む。

しかし、爆炎が晴れた先にいた宿儺は、致命傷を負っていなかった。

法陣を黒く染めた――すなわち適応を中断してまで『領域展延』を展開し、その威力を相殺してダメージを最小限に抑え込んだのだ。

 

追撃とばかりに、五条は周囲の瓦礫を無造作に宿儺へと放つ。

だが、そのあまりにも直線的で単調な物理攻撃を、宿儺はいとも容易く弾き飛ばした。

 

『雑だな』

宿儺が、展延を維持したまま冷笑を浮かべる。

『手を読まれ、焦っているのか?』

 

だが、五条は不敵な笑みを崩さない。

 

『……さっきの「赫」はさ』

 

五条の言葉に、宿儺が怪訝に眉をひそめた、その直後。

 

『まだ炸裂してねぇよ』

 

ズドガァァァンッ!!

 

新宿の巨大な建造物をぐるりと一周して戻ってきた『赫』の衝撃波が、宿儺の完全に無防備な背後から直撃した。

 

「っ……!?」

想定外の死角からの痛撃に、さしもの呪いの王も大きく体勢を崩す。

その致命的な隙を、現代最強の術師が見逃すはずもなかった。

 

五条が、崩れた宿儺の懐へと瞬時に潜り込み、その右拳を深く振りかぶる。

 

(……あっ)

 

モニター越しに五条の拳の軌道と、極限まで練り上げられた呪力の流れを視たうみが、無意識に息を呑んだ。

 

『呪力の密度』『打撃の速度』『インパクトの角度』、そして『タイミング』。

自身の経験と、異常なまでの学習能力による膨大な解析から導き出した、その全ての条件を寸分の狂いもなく満たしていた。

 

「……ドンピシャだ」

 

ドォォォォォォンッッ!!!!

 

空間が歪み、呪力が黒く弾ける。

打撃との誤差0.000001秒以内に呪力が衝突した際に生じる空間の歪み。

 

――『黒閃』。

 

五条の放った黒閃が、宿儺の胸部に深々と突き刺さった。

呪いの王の瞳から一瞬ハイライトが消え、意識を飛ばしたかのように白目を剥いた宿儺の頭上から、

ズル……ッと、魔虚羅の法陣が力なく滑り落ちた。

 

「「「おおおおおっ!!」」」

待機室から、割れんばかりの歓声が上がった。

最強の一撃が見事に決まり、ついに決着がついたと誰もが確信した。

 

だが。歓喜に沸く空気の中、無慈悲にもその時は来た。

 

――ガコンッ!!

 

「4回目!!」

うみの叫びが響いた。黒閃の余韻に気を取られていた全員が、

その異音と悲痛な声によって強引に現実へと引き戻される。

 

画面の中。五条の片足が、突如として足元へとズブッと沈み込んだ。

 

「先生!!」

「嘘だろ!?」

 

虎杖と日下部の悲鳴のような声が重なる。

五条が僅かに視線を落とした、その瞬間。

 

漆黒の影の中から、異形の『両手』がヌッと這い出てきた。

 

影の中から全身を現したのは――魔虚羅。

その右腕に備わった巨大な刃で、五条悟の体を袈裟懸けにざっくりと切り裂いた。

 

「……まだだ」

虎杖が蚊のなくような声を上げる。そして、すぐに自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。

「不可侵に適応されても、条件がイーブンになっただけだし! 傷だって、先生ならすぐに……」

 

「いや……」

硝子が、モニターを食い入るように見つめながら、険しい声で虎杖の言葉を遮った。

「明らかに傷の治りが遅くなってきている」

 

「……反転術式の出力が落ちてるんですね」

うみが、家入の言葉を肯定するように呟く。

 

「それでも、治せないわけじゃ……」

 

「治癒能力とか、もうこの際どうでもいいです」

虎杖のすがるような言葉を、うみは切り捨てる。

 

「一番問題なのは、出力低下による『火力不足』。

……あのままだと、『赫』でも魔虚羅を一撃で破壊できるか怪しいですよ」

 

その言葉に、待機室の空気が完全に凍りついた。

相手が史上最強、呪いの王であっても、誰もがどこかであり得ないと思っていた。

――『五条悟敗北』の可能性が、彼らの脳裏に強く駆け巡る。

 

(……悟さん)

うみは、画面の中で胸から血を流す最強の術師を見つめる。

劣勢。圧倒的な窮地。

だが、モニターに映る五条の横顔には、敗色と同時により濃く湧き上がる『充足』の笑みが浮かんでいた。

 

(こんなギリギリなのに……悟さん、楽しそう)

 

画面の中、五条が魔虚羅の追撃を躱し、素早く紡ぐ。

 

――『位相』『波羅蜜』『光の柱』――

 

「呪詞の詠唱!!」「下がった出力を戻す気だ!!」

日下部と硝子が叫ぶ。

 

放たれるのは、高出力の術式反転『赫』。

だがその瞬間、足元の影から、無数のウサギの式神――『脱兎』が溢れ出し、濁流のように五条の視界と『赫』の軌道を覆い尽くした。

 

『黒閃が効いてるな。いつまで休んでんだよ』

 

視界を遮られた五条は、脱兎の群れの奥に潜む宿儺へ向けて言葉を投げる。

 

ズガァァァァンッ!!

 

直後、ウサギの群れごと周囲を吹き飛ばす『赫』が炸裂する。

だが、視界を塞がれたことで狙いが逸れたのか、

土煙から姿を現した魔虚羅とその後方にいた宿儺は無傷。

 

さらに、崩壊した瓦礫の影から、宿儺が消火器を投げつけて破裂させ、五条の視界を物理的に塞いで牽制する。

 

消火器から噴き出した白い粉煙が視界を遮る中、

魔虚羅が五条の頭上から接近し、宿儺が両手を合わせる特異な構えをとった。

 

「……『穿血』!?」

脹相が息を呑む。

 

だが、放たれる直前。六眼を通してその術式構造を読み取ったうみが、鋭い声を上げた。

 

「いや違う! あれは……『万象』!?」

 

バチュゥゥゥン!!

 

宿儺の両手から射出されたのは、赤血操術の血ではなく、極限まで水圧を高められた水流だった。

 

「式神を顕現させずに?いや……あれなら俺でも……」

 

魔虚羅が五条に肉薄し、その腕を叩きつける。

五条がそれをガードして受け止めた、その瞬間だった。

 

防御が剥がれた五条の側面から宿儺の放った高圧の水流が五条に直撃した。

 

水流の衝撃で体勢を崩した五条へ、接触したままの魔虚羅が右腕の刃を容赦なく振り下ろす。

だが五条はそれを、紙一重のかすり傷で躱してみせる。

 

「魔虚羅が触れてる間なら宿儺の攻撃も通るのか……普通に2対1ですね」

 

「でも、なんで今更魔虚羅以外の式神を使ってきたんだ? さっきまでずっと使わなかっただろ」

激しい連携攻撃を凌ぐ五条を見ながら、秤がふと疑問を口にする。

 

「不可侵への適応が終わって、術式のリソースに余裕ができたからでしょうね」

うみが、モニターから目を離さずに即答する。

「とりあえず魔虚羅が不可侵を消せるようになったから、

適応に使ってた分のリソースを減らして、手札を増やすことに回したんだと思います。

その分、赫への適応には時間がかかると思いますけど」

 

「なるほどね」

冥冥が、うみの解説に納得したように頷く。

「不可侵を突破して攻撃できるようになった以上、時間がかかろうとも問題ないということか」

 

「ええ。悟さんからすれば、魔虚羅に手札をつぶされないので都合がいいでしょうけど……」

 

『勘違いするなよ』

モニターの中の宿儺が、五条に向かって冷酷な声で言い放った。

 

『2対1じゃない』

 

宿儺の足元の影が、不気味に泡立つ。

そして、そこから這い出たのは――巨大な体躯を持つ、異形の合成獣だった。

 

「なんだ、アレ……!」

虎杖が絶句する。

 

「『渾』と『鵺』……『円鹿』……それに『虎葬』と『大蛇』か?」

 

――嵌合獣『顎吐』。

 

式神の融合自体は知っていても、これほどの規模はうみにとっても初めて見るものであった。

 

『3対1だ』

宿儺と、二体の式神。完全に五条を包囲する布陣が完成した。

 

だが、その圧倒的な不利を前にしても、五条悟の余裕が崩れることはなかった。

 

『迷子の宇宙人みたいになってますよー』

 

血に濡れた顔で、現代最強の呪術師は不敵な軽口を叩いてみせた。

 

◆◆◆

 

顎吐の丸太のような豪腕が、五条悟へ向けて容赦なく振り下ろされる。

五条はそれを紙一重でいなし、カウンターで顎吐の巨体に重い蹴りを叩き込む。

だが、顎吐はそれを両腕で堅固にガードし、わずかに後退するのみでダメージを見せない。

 

その直後、五条の死角から魔虚羅の退魔の剣が鋭く閃いた。

五条が上体を逸らして刃を躱した、その瞬間。

回避した五条の足元に落ちる黒い"影"の中から、呪いの王・宿儺が音もなく半身を浮上させた。

 

影から現れた宿儺の両手が、五条の至近距離で再び穿血の構えをとる。

 

バチュゥゥゥンッ!!

 

至近距離から射出された高圧の水流。だが、五条はそれを紙一重で回避し、即座に空中で体勢を立て直してカウンターの拳を宿儺へと叩き下ろす。

しかし、呪いの王は再び音もなく影の中へと沈み込み、その一撃を無傷で躱してみせた。

 

「なんだよあの連携……! 息つく暇もねぇ!」

モニターに釘付けになっていた虎杖が、思わず焦燥の声を上げた。

 

魔虚羅、顎吐、そして宿儺。

3体の規格外の怪物が、一糸乱れぬ波状攻撃で現代最強の呪術師を攻め立てる。

五条は3体からの猛攻を捌きながら、防戦一方での後退を余儀なくされていた。

 

「これじゃあ、反撃の糸口すら……!」

三輪が祈るように両手を握りしめる。

 

だが、その激しい防戦の最中。

五条は強引に踏み込み、魔虚羅の懐へと瞬時に潜り込んだ。

密着状態。逃げ場のないゼロ距離で、五条の指先に赤い呪力が収束する。

 

『赫』

 

ズドォォォォンッ!!

至近距離で炸裂した高出力の術式反転が、魔虚羅の巨体を吹き飛ばし、周囲のビルを粉砕する。

 

「やったか!?」

パンダが身を乗り出す。

 

だが、爆炎と土煙が晴れた先にいた魔虚羅は、立ち上がり、再び五条へ向かって刃を構えていた。

致命傷には程遠い。

 

「……やっぱり、効きが弱いですね」

 

待機室の沈黙を破ったうみの言葉に、日下部が鋭く振り返る。

「出力が下がってるからか?」

 

「それもありますけど、多分適応ですね」

うみがそう断言すると、待機室に緊張が走った。

 

「もう適応されたのか!?」

日下部が鋭く問いかける。

 

「う~ん、なんていえばいいか。今のを視た感じだと、

一口に適応といっても0か100かって感じじゃないんだと思います」

 

「どういうこと?」

乙骨が怪訝そうに眉をひそめる。

 

「いきなり『効果なし!』みたいになるんじゃなくて、適応の中にも段階的なものがあって、

ゆっくり効果が薄れていって、最終的には完全に効かなくなる……って感じだと思うんですけど」

 

うみはモニターを一瞥し、忌々しげに言い放つ。

 

「多分もう赫じゃ無理ですね。直撃させちゃいましたし」

 

「冗談じゃねぇぞ……!」

秤が舌打ちをする。

「なら、魔虚羅に通用するのはもう、『茈』だけってことじゃねぇか!」

 

「それも無制限の『茈』が必要です。

けど、宿儺がめちゃくちゃ警戒してるのでなかなかってのが現状ですね」

 

そのシビアすぎる分析に、待機室の誰もが息を詰まらせ、沈黙が場を支配した。

 

「……僕も出ます」

 

重苦しい沈黙を破ったのは、乙骨憂太の低く、決意に満ちた声だった。

モニターの光に照らされたその手は、刀の柄を固く握りしめている。

 

「戻れ」

だが、乙骨が立ち上がろうとしたその瞬間、鹿紫雲が鋭い声でそれを制した。

 

「邪魔すんな。少なくとも次はオマエじゃねえ」

 

「落ち着け乙骨。これに関しては鹿紫雲が正しい」

秤もまた、鹿紫雲の言葉に同調するように立ち塞がった。

「五条さんは自分がオマエや俺より弱った時にしか介入を認めなかったろ」

 

「ケースバイケースでしょ」

乙骨は譲らない。その瞳には、恩師を助けたいという純粋な焦燥が滲んでいた。

「宿儺は今領域を封じられてるし、式神2体なら僕とリカちゃんで引き受けられる。絶対に役に立てる」

 

「出るなら私だ」

真希が、乙骨の前に立ち塞がるようにして鋭く言い放つ。

「自分の役割を忘れんなよ。憂太がやられたらいくつの保険が消えると思ってんだ」

 

「その保険もここで宿儺に勝てば必要なくなるよ」

反対意見の多い中、虎杖は乙骨の参戦を後押しする。

「行ってくれ乙骨先輩」

 

「待て待て待て、なーんにも分かってねぇじゃん。頼むぜガキ共」

 

日下部が、額に手を当てて大げさにため息をついた。

「君達、宿儺と五条君じゃ勝利条件が違うんだよ」

冥冥がモニターを見つめながら、静かに補足する。

 

「五条君は宿儺に勝てばいいんだが、宿儺は違う。

宿儺は五条君に勝っても、その後間を空けずに私達と戦わなきゃならない」

 

「だから宿儺は、絶対に温存してる切り札がある」

日下部が険しい顔で続ける。

「俺たちが出れば、それを切ってくるかもしれない。そんなことになれば面倒だろ。

全てを出し切るわけにはいかない宿儺に、足手纏いなしの五条を当てる。現状これが一番勝率高いんだよ」

 

乙骨は日下部の正論を理解しつつも、唇を噛み締め、刀の柄から手を離そうとしない。

恩師が削られていくのを見ていることしかできない現状に、納得がいかないのだ。

 

「憂太先輩。気持ちは痛いほど分かりますけど……」

うみが、静かな声で口を挟んだ。

「ここで俺たちが出ると、宿儺は俺たちを利用して悟さんを崩せるようになっちゃうんですよ?」

 

「どういうこと?」

乙骨が視線を向けると、うみは淡々と言葉を紡ぐ。

 

「俺たちが出れば、悟さんの敗北条件に『仲間の死亡』が追加されます。

悟さんは、俺たちを死なせないようにしながら宿儺に勝たなくちゃいけなくなる」

 

「……っ」

乙骨の顔が歪み、握りしめていた手が僅かに震える。

 

「それに……」

うみはモニターの中で、血まみれになりながらも狂気的な笑みを浮かべる最強の術師を見つめ、ポツリとこぼした。

 

「これは俺のただのエゴでしかないんですけど。

……悟さんの邪魔、したくないんです。あんなに楽しそうな悟さんは、初めて見たので」

 

その言葉に、待機室は静まり返る。

だが、腕を組んでいた鹿紫雲だけが、ニヤリと好戦的な笑みを深めた。

 

「へぇ……。分かってんじゃねェか、オマエ」

 

モニターの中では、三体の化け物による理不尽な連携が続いていた。

巨体を持つ顎吐が、五条に向けて容赦なく拳を振り下ろす。五条はそれを躱し、カウンターで強烈な一撃を叩き込むが――。

 

ジュァァァァッ。

 

顎吐の抉れた肉体が、瞬く間に元通りに再生していく。

 

「……やっぱり、『円鹿』の能力は厄介ですね」

うみが、忌々しげにモニターを睨みつける。

 

「魔虚羅と同じで一撃で破壊しないと無限に回復される。

……最悪なのは、あれで宿儺を治癒されることです」

 

「……宿儺を治癒される前に、最優先で破壊するしかねぇな」

日下部がギリッと奥歯を噛み鳴らす。

 

魔虚羅と顎吐を前衛にして挟み込み、宿儺が離れた位置から隙を窺い遊撃する。

確かに息の詰まる波状攻撃だが、陣形としては完全に固定されていた。

 

「とにかく『茈』を発動する隙を作らせない。……宿儺の奴、徹底してやがる」

日下部が、隙を与えない宿儺の戦術に舌打ちをした。

 

画面の中の五条は、顎吐を破壊すべく『蒼』による打撃を叩き込み続けるが、決定打には至らない。

 

焦燥感が充満する中。

 

――ガコンッ!!

 

不気味な音が、再び新宿の街に響き渡った。

魔虚羅の法陣の回転。

 

(……!? ここで適応! でも何に?)

 

魔虚羅が、五条から離れた位置で、その腕に付いた刃を大きく振りかぶる。そして……

 

――ズバァァァンッッ!!!!

 

「なっ……!?」

うみが息を呑む。

画面に映し出されたのは、信じがたい光景だった。

 

現代最強の呪術師、五条悟の右腕が。

肘の少し上から、完全に切断され、宙を舞っていたのだ。

 

「マコラが斬撃を!?」

日下部が絶叫する。

 

「飛ばした!? 宿儺みたいに!?」

虎杖が信じられないというように目を見開く。

 

「マズい!! 五条は今治癒力が落ちてる!!」

家入が、咥えていたタバコを落としそうになりながら叫んだ。

 

待機室がかつてないパニックと絶望に包まれる中、うみは冷や汗を流しながらモニターを凝視していた。

 

(新しい、適応……!?)

 

これまでの魔虚羅は自身の呪力で五条の不可侵を中和することで、不可侵を突破していた。

それは六眼を持つうみにもなんとなく分かっていた。

だが、今の一撃は違う。一目見ただけでは、何が起きたのか全く理解できない。

 

(ただの飛ぶ斬撃なわけがない。それじゃあ不可侵を突破できない。

今まで通り呪力で中和したわけでもない。どうやって……)

 

欠損という致命的なダメージを負った五条。

そして、五条の窮地に乗じて、宿儺と顎吐が容赦のない追撃を仕掛ける。

 

だが、右腕を失い、鮮血を撒き散らしながらも、

五条は残った左腕で迫り来る顎吐の腹部へと強烈な打撃を叩き込んだのだ。

 

『さっきからオマエだけ、釣り合ってねーんだよ』

 

五条は左拳を顎吐に叩きつけた状態から、ゼロ距離で最大出力の『蒼』を射出した。

巨大なブラックホールのような『蒼』が、顎吐の巨体を押し潰すように巻き込みながら、周囲のビル群を丸ごと抉り取って吹き飛んでいく。

 

ズドガァァァァンッッ!!!!

 

「顎吐が……消し飛んだ……!?」

凄まじい破壊の跡。無制限の再生能力を持つはずの顎吐は、跡形もなく圧殺されていた。

土煙が晴れていく画面を見つめ、乙骨が震える声を上げる。

 

「今の一撃、まさか……!」

 

「……二度目の、『黒閃』」

うみが、確信を持って呟いた。

 

モニターの中。空中で魔虚羅と交戦する五条の姿が再び映し出される。

その姿を見た瞬間、待機室にどよめきが走った。

 

「嘘だろ……右腕が、もう治ってる!!」

日下部が信じられないものを見るように叫ぶ。

先ほど魔虚羅に完全に切断されたはずの五条の右腕が、真新しい皮膚と共に完全に再生していたのだ。

 

「黒閃を経たことで、落ちていた反転術式の出力が戻ったんだ!」

硝子が、安堵と感嘆の入り混じった声を上げる。

 

「術式の出力が戻り、顎吐が消えて手数も減らせた。

対して宿儺はまだ傷が治りきってない……」

 

うみもまた、戦況を正確に読み取りながら、握りしめた拳に力を込める。

 

「ってことは、条件は元通り……いや、むしろ五条の方がちょい有利か!?」

日下部の言葉に、空気が一気に熱を帯びる。

 

絶望の淵から、たった一撃で盤面をひっくり返した現代最強の術師。

そのボルテージが最高潮へと達していくのを、誰もが肌で感じていた。

 

(……宿儺の呪力が、揺れてる)

歓喜に沸き立つ場の中で、うみはただ一人、呪いの王の微細な変化を捉えていた。

圧倒的な強者の余裕を崩さなかった両面宿儺。

その宿儺に、『緊張』が走っていることを。

 

画面の中、空中に浮かぶ五条が、再生した腕で印を結び始めた。

 

――『位相』『波羅蜜』『光の柱』――

 

「呪詞の詠唱……!」

「大技を出す気だ!」

 

五条の呪力が極限まで練り上げられていく。

その膨大な呪力の『起こり』を視て、五条の次なる一手を『赫』だと判断。

宿儺が獰猛な笑みを浮かべ、魔虚羅を前面に押し出し、

『赫』を真正面から受けさせて適応のダメ押しを狙う構えをとる。

 

(真正面から赫? さすがに出力が戻ったといえど無理じゃ……)

 

うみもまた、六眼を通して五条の術式の起こりを捉えていた。

だが、その直後。五条が腕を向けた『方向』を見た瞬間、うみは息を呑んだ。

 

「……えっ?」

 

五条が『赫』を向けていたのは、宿儺でも魔虚羅でもなく。自身の真上。

 

まさか。

うみの脳裏に、一つのあまりにもデタラメな可能性が閃く。

 

「……いやいや。それは……ひとりでやるようなものじゃないでしょ……!?」

うみの驚愕と呆れに満ちた叫び。

 

画面の中の宿儺もまた、五条の真の狙いに気づき、目を見開いて絶叫した。

 

『魔虚羅ァ!!』

 

五条悟の指先から、上空の『蒼』へ向けて、『赫』が解き放たれた。

 

放たれた『赫』が上空へ吸い込まれていく。

命令を受けた魔虚羅が、『赫』と『蒼』の衝突を阻むべく跳躍した。

 

だが、『蒼』の引力を利用した高速移動で、

五条がその進路を塞ぐように立ち塞がり、強烈な拳を魔虚羅に叩き込む。

 

宿儺の冷静な判断が光る。魔虚羅が妨害を受ける前提で立ち回り、

魔虚羅の影から『穿血』を放った。狙いは五条ではない。上空の『赫』だ。

 

『蒼』と衝突する前に『赫』を刺激し、炸裂させてしまえば『茈』は完成しない。

 

「『穿血』で『赫』を撃ち落とす気だ……!」

日下部が叫ぶ。

 

だが、五条悟の戦闘IQは、呪いの王のその最適解すらもさらに上回っていた。

 

――『位相』『黄昏』『智慧の瞳』――

 

五条の口から紡がれたのは、『赫』ではなく、すでに上空に滞留している『蒼』に向けた後追いの詠唱。

 

「……発想やば」

うみが、信じられないものを見るように目を見開いた。

 

そして。

 

――『九綱』『偏光』『烏と声明』『表裏の間』――

 

最強の呪術師の呪詞が、戦場に響き渡る。

 

「すみませんでした、日下部先生」

誰よりも五条の身を案じ、強引にでも参戦しようとしていた乙骨が、自身の非を認め素直に頭を下げる。

 

「……いや」

 

日下部は冷や汗を流しながら短く返した。

 

「……僕みたいな足手纏いがいたら、これは出せなかった」

 

乙骨の口から出た、痛感の言葉。

仲間を巻き込まない、一人きりの状況だからこそ躊躇いなく放てる最大火力。

 

『虚式』

 

五条の笑みと共に、相反する二つの無限が衝突し、仮想の質量が生まれる。

ターゲットを絞らない、全方位への無差別攻撃。

 

『茈』

 

次の瞬間、画面は一切の光に包まれた。

新宿のビル群を巻き込み、天地を揺るがすほどの規格外の大爆発が炸裂する。

強烈な閃光とノイズがモニターを完全に覆い尽くす。

 

「……ッ!!」

 

凄まじい破壊の余波は、モニター越しにすら圧倒的な緊張感を突きつけてくる。

息を吸うことすら忘れるような、張り詰めた沈黙。

 

最強と最強の死闘。すべてを白く染め上げた爆発の果てに、果たして何が残ったのか――。

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