新宿の街を白く染め上げた絶対的な破壊の光が、ゆっくりと収束していく。
耳鳴りがするほどの静寂が訪れた後、土煙が晴れたそこには、言葉通りの『更地』が広がっていた。
ひしゃげた鉄骨と砕け散ったコンクリートの瓦礫の山。
その中心で、崩れかけた壁にもたれかかるようにして立つ一つの影があった。
全身に深い裂傷と火傷を負い、左腕を肘から先で完全に失った呪いの王、両面宿儺。
その姿は誰の目から見ても満身創痍であり、明らかな敗北者のそれだった。
一方、彼と対峙する五条悟も無傷ではない。
至近距離で自らの虚式を巻き込まれたことで、衣服は焼け焦げ、顔の右半分にも火傷の痕が痛々しく残っている。
『いやー……自爆なんて初めてだわ』
だが、その表情には揺るぎない自信と余裕があった。
『指向けを絞らず、自身も巻き込む無制限の茈……の割には、ダメージに差が出たね』
宿儺を見下ろす五条の瞳には、明確な勝者の余裕が宿っている。
「治癒も鈍く、魔虚羅を失い、展延での徒手空拳もままならないダメージを負った宿儺……」
高専の待機室でモニターを見つめていた日下部が、安堵の混じった息を吐き出す。
「対して、黒閃で反転術式の出力を取り戻した五条……」
この土壇場で初めての大技出すかよ、と日下部は呆れたように、けれど確かな安堵を浮かべて笑った。
それは、この場にいる全員の共通認識だった。
虎杖が、震える声でその事実を確認する。
「これって……」
「ああ、五条の勝ちだ」
日下部のその言葉は、歓喜と確信に満ちて待機室に響き渡った。
秤が力強く拳を握りしめ、パンダが安堵の息を吐く。極度の緊張から解放された三輪は、へなへなとその場にへたり込んだ。
乙骨でさえ、張り詰めていた表情を和らげ、画面の中の恩師を見つめている。
誰もが、現代最強の術師の勝利を確信した。
この長く苦しい死闘が、ついに終わったのだと。
――しかし、次の瞬間。
ズレた。
モニターに映る、最強の術師の身体が。
胸の下から、腹部にかけて。斜めに、不自然に。
ボトッ。
「え?」
誰かが、間の抜けた声を出した。
真っ赤な鮮血が、新宿の白い更地を染め上げる。
真っ二つに分断された五条悟の上半身が、力なく地面に崩れ落ちた。
下半身だけが、まるで主を失った彫像のように、その場に立ち尽くしている。
歓喜に沸いていた待機室の空気が、一瞬にして凍りついた。
誰一人として、何が起きたのか理解できない。
呪力の起こりも、掌印も、詠唱すら、何もなかった。
ただ唐突に、五条悟の存在が、空間ごと『断たれた』のだ。
『魔虚羅による適応は……一度攻撃を受けると緩やかに解析が始まり、時間経過によって完成する』
画面の中、満身創痍の呪いの王が、ゆっくりと顔を上げて語り始めた。
「……嘘、だろ……」
虎杖が顔を引き攣らせ、乙骨の顔からは完全に血の気が引いていた。
理解の範疇を超えた現実。現代最強の術師の、あまりにも唐突であっけない『死』。
歓喜の絶頂から突き落とされた底なしの絶望が、重く冷たい泥のように彼らの思考と身体を麻痺させていく。
誰一人として、声を上げることも、立ち上がることすらできない。
だが、その絶望の沼に沈む待機室の中で、ただ一人。
うみだけは、まるで別の世界にいるかのように静まり返っていた。
周囲の息を呑む音も、絶望の気配も、今のうみには一切届いていない。
感情の抜け落ちたその横顔が示しているのは、ただ一つ。
彼の脳内で今、誰も追いつけないほどの冷徹で超高速な『別の思考』が、回り始めているということだけだった。
(……悟さんが、死んだ?)
否。
六眼から流れ込む莫大な情報から、感情を完全に削ぎ落とし、事実だけを抽出する。
(……いや。切断面から視て、心臓と肺はギリギリ無事)
(……脳の方も無傷。というか急所は大体無事……
なら、死ぬとしても急性の失血での機能停止……)
ならば。
脳が完全に死滅するまでの、わずか数十秒。
(……両方を強引に動かし続けて、くっつければ)
(今なら、まだ――!)
『生涯貴様を忘れることはないだろう』
画面の中、五条の死を悼むかのように呪いの王が言葉を紡ぎ終えた、その時だった。
上空から、一つの影が、弾丸のように戦地へと降り立った。
「雷神」鹿紫雲一。
五条の敗北の直後、ただ一人飛び出していた戦闘狂の乱入。
『今は機嫌がいい』
宿儺の視線が、そして意識の全てが、五条の亡骸から空から降ってきた新たな標的へと向いた。
(今……ッ!)
そのコンマ数秒の『完全な死角』を、うみは見逃さなかった。
ダンッ!!
床を蹴り砕くほどの踏み込み。
絶望に凍りついていた待機室の中で、うみだけが弾かれたように動いた。
「うみ……?」
日下部が呆然と声を漏らすより早く、うみは部屋の隅で事態に顔を青ざめさせていた少年の腕を、力任せに掴み取った。
「憂くん、跳んで!!」
「え……ッ!?」
血を吐くようなうみの絶叫と、その尋常ではない剣幕。
憂憂は、思考するよりも早く、完全な反射で自身の生得術式を発動させた。
フッ、と。
待機室から、うみと憂憂の姿が掻き消える。
「……は?」
「何、を……!?」
残された虎杖たちが状況を理解できずに息を呑んだ、次の瞬間だった。
ドサァッ……!!
再び空間が歪み、待機室の床に、重々しい『肉の塊』が二つ転がり出た。
血に濡れた白い羽織。
真っ二つに分断された、五条悟の身体だった。
「ひっ……!!」
三輪が悲鳴を上げて後ずさり、乙骨や秤でさえ、そのあまりにも凄惨な現実に顔を歪める。
だが、彼らをさらに驚愕させたのは、その五条の身体と共に帰還したうみの異様な姿だった。
「うみ!? お前、その傷……!!」
パンダが叫ぶ。
うみの左の脇腹が、鋭利な刃物で抉られたように深く裂け、おびただしい量の血が噴き出していた。
否、血は「噴き出している」のではなかった。
脇腹の傷口から溢れ出た真っ赤な鮮血は、重力に逆らうように宙に浮き上がり、脈打つ何本もの赤い管となって伸びている。
そのおびただしい血の線は、一つは五条の上半身――切断された心臓と肺の血管へ。
もう一つは下半身の断面へと、生き物のように強引に潜り込んでいた。
『赤血操術』、そして拡張術式『血因書換』。
五条を回収したコンマ数秒の間に、うみは自らを呪具で切り裂き、
体外へ出した自身の血液の組成を五条のものと完全に同化させたのだ。
そして今、分断された五条を、自らの血を管として繋ぎ合わせ、強引に循環させている。
己の肉体をポンプ代わりにして、五条悟の命を無理やり現世に縛り付けているのだ。
「硝子さん!! 憂太先輩!! くっつけて!!」
血反吐を吐きそうなほどの呪力操作の過負荷に、うみの顔から一瞬にして血の気が引いていく。
だが、その執念の絶叫が、絶望に凍りついていた術師たちの時間を、再び強引に動かし始めた。
「退きな!!」
真っ先に動いたのは、硝子だった。
誰よりも人体を知る医者だからこそ、彼女だけはうみが何をしているのかを理解していたのだ。
咥えていたタバコを乱暴に吐き捨て、白衣を翻して五条の傍らに滑り込む。
いつもは気怠げな彼女の目に、今は鬼気迫るほどの執念が宿っていた。
「憂太! 上半身と下半身の断面を合わせろ! ミリ単位でズラすなよ!」
「はいッ!!」
乙骨も即座に動き、真っ二つになった恩師の身体を抱え寄せる。
ズレた断面がピタリと合わさった瞬間、外部から繋いでいたうみの血の管はその役目を終える。
「うみ、そのまま絶対に血流を止めるな! 脳への酸素供給が絶たれたら完全に終わるぞ!」
「わかって、ますよ……」
急激に体内の血液量が減ったことで貧血を起こしながらも、『赤血操術』を回し続ける。
その横で、硝子と乙骨が同時に掌を五条の肉体に押し当てた。
二人分の、それも規格外の反転術式の光が、待機室を眩く照らし出す。
乙骨の膨大な呪力出力と、硝子の極めて精密な治癒の技術。
それが一つになり、五条の千切れた肉体、神経、血管を強引に縫い合わせにかかる。
◆
【side: ???】
「――やあ」
ふと、声をかけられた。
眩しいほどの青空。どこか懐かしい、茹だるような夏の匂い。
そして、聞き慣れた電車の発着音が、遠くで響いていた。
「うっわ」
パイプ椅子に座っていた五条は、信じられないもの、そして嫌なものを見たように顔をしかめた。
「ざけんな。最悪だよ」
「失礼だな、人の顔を見るなり」
隣の席で笑うのは、たった一人の親友、夏油傑だった。
「死ぬときは独りだって、生徒に言っちまったじゃねーか。……頼むから俺の妄想であってくれよ」
「いいじゃないか、どっちだって」
夏油が肩をすくめ、楽しそうに尋ねた。
「どうだった? 呪いの王は」
「いやマジでつぇーわ。しかも宿儺は全力出し切ってねぇってんだから」
五条は、少し悔しそうに、だがどこか晴れやかな顔で天井を見上げた。
「あっちに恵の十種がなかったとしても、勝てたか怪しい」
「君にそこまで言わせるとはね」
「孤高の侘しさは誰よりも共感できるつもりだ。
……みんな大好きさ、寂しくはなかった。
でもどこかで人としてというより、生き物としての線引きがあったのかな」
五条は自身の拳を見つめながら語る。
「鍛えた肉体に身につけた技術、磨きあげたセンスや発想と瞬発力。
全てをぶつけた。宿儺には全部伝わって欲しかった。
……宿儺は僕に全てをぶつけることができなかった。そこを申し訳なく思うよ」
「……妬けるねぇ。でも君が満足したなら、それで良かったよ」
「……満足ね」
五条は、ふと視線を落とし、出陣前に自身の背中を叩いてくれた教え子たちの手の感触を思い出すように目を細めた。
「背中を叩いた中にお前が居たら、満足だったかもな」
その言葉に、夏油が少しだけ目元を緩めて笑った。
「とにかく。僕を殺すのが時間や病じゃなく、僕より強い奴で良かったよ」
その時。
「どこの武将ですか」
背中合わせの席から、呆れたような声が降ってきた。
「到底現代人とは思えない思考だ。気色悪い」
七海建人、そして灰原雄だった。
「あぁ?」
突然の辛辣な言葉に、五条が後ろを振り返り、サングラス越しに凄んでみせる。
だが、七海は全く意に介した様子もなく、淡々と言葉を継いだ。
「まあ、だからこそ私より長生きできたんでしょうけど」
「誤差の範囲だよ!!五条さんと七海は!!」
灰原が、身を乗り出して口を挟んだ。
五条はその後ろから、七海の頭をわしわしと乱暴に撫で回す。
「やめてください」
七海は頭の上の手を鬱陶しそうにあしらいながら、淡々と言葉を続ける。
「昔、夏油さんに言ったんですよ。もう五条さん1人で良くないですかって」
「あなたは呪術を生きるため、何かを守るために振るうのではなく、
ただひたすら自分を満足させるために行使していた変態でしたから」
そのあまりにも身も蓋もない評価に、五条が呆気にとられていると、身を乗り出した灰原が慌てたように七海をたしなめた。
「七海!! それはみんな思ってたけど言わなかったことだよ!!」
「ちょっと灰原、お前の方がムカつく」
苦笑する五条に、七海が言葉を継ぐ。
「まあ、その肌感は当たっていたわけですが。……あなたらしい最期でしたよ。肯定はしませんが、同情はします」
「そりゃどうも。……オマエはどうだったんだよ」
七海が最期を迎えたあの時。
幻影となって現れた灰原は、七海の視線を、たった一人で戦場へ駆けつけてきた虎杖悠仁へと誘導した。
それが結果として、虎杖に呪いをかけることになった。
だが、七海はそんな灰原を責める様子もなく、ふっと少しだけ表情を緩めた。
「呪いが人を生かすこともある。呪術がそうであるように」
七海は少し遠い目をして、静かに言葉を紡ぐ。
「以前、冥さんに、おすすめの移住先を聞いた時に言われたんです。
"新しい自分になりたいなら北へ、昔の自分に戻りたいなら南へ行きなさい"と」
七海はふっと笑みをこぼす。
「私は迷わず、南国を選んだ。そんな後ろ向きな私が、
最期に未来に賭けたんだ。悪くない最期でしたよ。灰原にも感謝してる」
「どうもどうも」と灰原が笑う。
「そっか……」
五条は、心底安堵したように、静かに微笑んだ。
これでいい。これで、思い残すことは何もない。
そうして、ゆっくりと目を閉じようとした、その時だった。
「――まあ、色々と話しておいてなんですが」
七海が、ふと視線を五条に……いや、五条を通しはるか遠くの世界を見透かすように向けた。
「あなたの教え子たちは、まだあなたを死なせてはくれないようですよ」
「……え?」
五条が間抜けな声を漏らした、次の瞬間。
唐突に、視界がぐらりと揺れた。
眩しいほどの青空も、夏の匂いも、目の前で笑う親友たちの姿も。
まるで深い水底へと沈み込むように、急速に音と色を失い、遠退いていく。
抗う間すらなく。
五条の意識は、そこからスーッと、ただ静かに暗闇の中へと落ちていった。
【side: out】
「……よし、心臓は自立した。体も綺麗にくっついてる」
硝子が血まみれの手で額の汗を拭い、大きく息を吐き出した。
その言葉に、その場の全員の肩から、目に見えるように力が抜ける。
「……とりあえず、命だけは繋ぎ止めたぞ。あとは……いつ目覚めるかだな」
乙骨もまた、緊張から解放されてその場にへたり込んだ。
二人の前には、先ほどまで真っ二つになっていたとは到底思えないほど、完璧に縫い合わされた五条悟が横たわっている。
その胸は、微かではあるが、確かに上下に脈打っていた。
「……よかったぁ」
三輪がその場に崩れ落ちるようにしゃがみ込み、安堵の涙をこぼす。
虎杖もパンダも、言葉にならない声で深く息を吐き出した。
「お前ら……よくやった。マジで」
日下部が、タバコを持つ手を微かに震わせながら、硝子たち、そしてうみに視線を送る。
「……痛い…アドレナリン切れた。硝子さん直してぇ……」
自身で抉った脇腹を押さえ、涙目でうずくまるうみが情けない声を上げる。
「……ったく。しまらないねぇ、お前は」
硝子が呆れたように、しかしどこか優しさを滲ませた声で苦笑しながら、うみの傷口へと反転術式をかける。
うみの深く抉れた傷が瞬く間に塞がっていく静寂の中。
ふと、部屋の隅から重々しい声が響いた。
「……今更だが、大丈夫なのか?」
全員の視線が、声の主である脹相へと向く。
脹相は腕を組んだまま、同じ『赤血操術』の使い手として、険しい顔で五条とうみを交互に見比べた。
「俺たちのような受肉体の血が毒になるのは別として……人間同士の血でも、型が違えば拒絶反応が起こるはずだ。お前と五条の血液型は同じなのか?」
「「「あっ」」」
そのあまりにも常識的で、かつ致命的な指摘に、虎杖やパンダたちが一斉に顔を見合わせた。
そして、誰よりも人体に詳しいはずの医者である硝子が、ハッとして咥えていたタバコを落としそうになる。
「し、しまった……! 緊急事態すぎて完全に頭から抜けてた!!」
いつもは冷静沈着な硝子が、これまでにないほど顔面を蒼白にさせる。
「万が一、悟の血液型と不適合だったら、このまま急性ショックで死ぬぞ!!」
「えええええッ!?」
三輪が再び悲鳴を上げ、待機室が先程とは別の意味でパニックに陥りかける。
だが、その中心にいるうみだけは、「あ、もう治りました。ありがとうございます」と立ち上がり、
血まみれの服をぱんぱんと払いながら涼しい顔で答えた。
「大丈夫ですよ」
「大丈夫って、お前な……!」
日下部が詰め寄ろうとしたところを、うみはあっけらかんとした声で遮る。
「さすがにそこを考えずにやりませんよ。ちゃんと悟さんに適合するように書き換えてあります」
「……どういうことだ?」
静まり返る待機室の中で、脹相が呆然としたように口を開いた。
「拡張術式『血因書換』。自身の血液限定でその組成を書き換えることができます」
「……なるほど。理屈は分かる」
脹相は顎に手を当て、深刻な面持ちで唸った。
「だが、言うだけならともかく、実際に行うとなれば相当な難易度のはずだ。
少なくとも、俺が同じことをやろうとしたら準備にずいぶんな時間を要するだろう。それをあの瞬時に……」
「ふふふ……二回目ともなれば慣れたもんですよ」
深刻に分析する脹相に対し、うみは少し得意げに胸を張って見せた。
「「「二回目!?」」」
パンダ、虎杖、三輪が見事なユニゾンで絶叫する。
「こんな無茶苦茶なことが初めてじゃねぇのかよ!?」
「お前マジでイカれてんのか!?」
日下部たちが頭を抱える中、一回目を知っている真希がやれやれとため息をついた。
「……そういや、そんなこともあったな」
その言葉に、少し後ろにいる真依が、苦笑しながら同調する。
「そうね。……相変わらずの無茶苦茶っぷり」
「「「えっ」」」
突然の当事者からのカミングアウトに、虎杖やパンダたちが一斉に真依へ視線を向ける。
「……でもまあ、そのおかげで今生きてるんだから、文句は言えないわね」
真依は呆れたように言いながらも、その口元にはどこか柔らかい笑みが浮かんでいた。
そう言ってふっと微笑みかけてきた真依に、うみもニコニコと返す。
その温かいやり取りに、張り詰めていた待機室の空気が、ようやくいつもの日常のそれに着地した。
「さて……」
硝子が新しいタバコを咥え、火を点ける。
「悟の命は繋いだが、問題はこれからだぞ」
その言葉に、全員の表情が再び引き締まり、視線がモニターへと向けられる。
そこには、完全に更地と化した新宿で、呪いの王と対峙する「雷神」鹿紫雲一の姿があった。
数合の激しい打ち合い。
そして、鹿紫雲がゆっくりと腰を落とし、構えを取った。
そして、自らの術式を開放する。
――『幻獣琥珀』――
脳内の電気信号の活性化によるアジリティの向上。
物質の固有振動数に最適化し同調する音波。
照射されたものを蒸発させる電磁波。
鹿紫雲が自身の呪力から変換できるあらゆる現象を、実現するために肉体を作り変える。
そしてその代償として、術式終了後にその肉体は崩壊する。
己の命と引き換えに放つ、生涯でただ一度きりの絶対的な切り札。
画面越しにすら伝わる、パチパチと弾けるような凄まじい呪力の波動。
「あれが件の術式……まるで生きた雷ですね」
うみは、六眼に映るその呪力の奔流を見据えながら、静かに呟いた。
「人生で一度限り……自身の命を代償にした術式」
日下部が、モニターから目を離さずに重々しく言葉を継ぐ。
「それを、あの宿儺にぶつけるために今まで温存してたってわけだ」
その言葉の通り、幻獣琥珀を解放した鹿紫雲の動きは、満身創痍の宿儺を完全に圧倒していた。
超高速の打撃が宿儺を捉え、放たれる電磁波が大地を削り取る。
五条との戦いで左腕を失い、ボロボロになっていた呪いの王は、防戦一方に見えた。
そして、鹿紫雲の放った巨大なエネルギー波が宿儺を直撃し、更地を粉砕する。
轟音と共に、新宿の街に再び凄まじい土煙が舞い上がった。
「いけるか……!?」
虎杖が拳を握りしめ、身を乗り出す。
だが、その土煙の向こう側から一つの影がゆっくりと姿を現す。
四本の腕。四つの瞳。
腹部には、巨大な口がパックリと開いている。
かつて、呪いの王と恐れられた『両面宿儺』の、真の姿。
「……化け物だ」
誰ともなくこぼしたその呟きが、静まり返った待機室に重く響き渡った。
「そういえば……古い記録に残ってる宿儺の姿って、あんな感じだったな」
日下部が、忌々しそうに顔をしかめながら思い出すように言う。
「五条と戦ってる時の伏黒の姿が、そもそも万全じゃなかったってことかよ」
「まあ、あれが宿儺の隠してた奥の手なんじゃないですか? 肉体も完全に修復されてますし」
うみが、その異形の肉体を隅々まで解析しながら淡々と口にする。
「……それにしても、呪術師としてこれ以上ないくらい、合理性の塊みたいな姿ですね」
「合理的?」
乙骨が問い返す。
「あの姿なら、掌印を結んでなお両の手が空くため、今まで通りの戦闘が可能
それに、口が二つあるから、心肺に負担をかけることなく、
息継ぎの隙間を埋めるように絶え間なく呪詞の詠唱を続けられる」
「……ッ!!」
その意味を理解し、日下部や乙骨が息を呑む。
「何より、あれだけの異形なのに身体機能は正常そのもの。
……どうやって捌こう」
うみのその冷徹な分析に、待機室は重苦しい沈黙に包まれた。
「常人の倍の腕と口を持ちながら、一切の身体機能を損なっていない。……たしかに、呪術師として完全無欠だ」
日車が、絶望的な事実を口にする。
モニターの中では、完全な姿を取り戻した宿儺が、再び仕掛けてきた鹿紫雲の猛攻をいとも容易くあしらい始めていた。
先ほどまで鹿紫雲が圧倒していたはずの超高速の乱打。
だが、宿儺は四本の腕を完全に統制し、防御と攻撃を同時に行うことで、その手数の差で鹿紫雲を完全に圧倒し、投げ飛ばした。
「がっ……!」
吹き飛ぶ鹿紫雲。だが、空中で体勢を整え、雷撃を放つ。
対する宿儺は、下部の二本の腕で掌印を結び、上の片腕を鹿紫雲へと向ける。
同時に腹部の口で呪詞を詠唱する。
――『龍鱗』『反発』『番の流星』――
『避けろよ』という警告とともに放たれたのは世界を断つ斬撃。五条悟に敗北を与えた一撃。
鹿紫雲は咄嗟に身を捻るが、その肘から先が切断される。
だが、次の瞬間、鹿紫雲は自身の腕を光り輝く電撃で縫い合わせるように繋ぎ、何事もなかったかのように戦い続ける。
(さっきはノーモーションだったのに……初撃限定だったのかな?)
『言わんとしていることは分かるが、「知らん」と言われると些か心外ではある』
モニターの宿儺が、何事か語りかけている。
『まあ奴は説く相手を間違えたな。愛を語るべきは、五条悟や貴様にこそであった』
淡々と語りながらも、宿儺は神武解を手に取り、雷光を纏わせ一閃。
『……ッ!』
神武解の雷撃を間一髪で回避した鹿紫雲だったが、その背後にはすでに宿儺が移動していた。
迎撃しようとした鹿紫雲の両手首を、宿儺が二本の腕でがっちりと掴み上げる。
完全に拘束され、逃れようとする鹿紫雲をあざ笑うように、残りの二本の腕が、鹿紫雲の顔面や胴体へと無慈悲に叩き込まれる。
「なんて手数だ、反撃すらさせてもらえねぇ……!」
モニター越しに伝わる凄惨な乱打戦に、虎杖が息を呑み、日下部が顔をしかめる。
完全な姿を取り戻した宿儺の圧倒的な暴力に、全員が画面に釘付けになっていた。
だが、誰もがその光景に目を奪われている、その最中。
張り詰めた空気の中で、ただ一人だけが、音もなく立ち上がっていた。
(……見たいものは見れたし、そろそろかな)
うみは、足音すら立てない機動で、画面に食い入る大人たちの背後をすり抜ける。
そして、部屋の隅で静かに待機していた憂憂と冥冥の元へと歩み寄った。
「……憂くん」
「えっ——」
唐突に真横から小声で呼ばれ、ビクッと肩を震わせた憂憂が声を上げそうになる。
うみは即座に自分の口元に人差し指を当て、「しーっ」と制止した。
そのまま、隣で面白そうに目を細めている冥冥にも目配せをしてから、憂憂の耳元で小さく囁く。
「そろそろ出るから、お願いしていい?」
「……はい。タイミングと座標は?」
「鹿紫雲さんがやられた直後。金ちゃん先輩の領域よりの上で」
「承知いたしました」
憂憂が静かに頷くのを確認し、うみはもう一つ、重要な伝言を付け加える。
「あと……憂太先輩の方も予定通りにね」
それは、あらかじめ決まっていた羂索への奇襲任務。
この新宿決戦の裏で動く、もう一つの最重要作戦の確認だった。憂憂は再び、無言で力強く頷いた。
モニターの中では、為す術なく乱打を浴びた鹿紫雲が、後方へ殴り飛ばされていた。
だが、空中で投げ出された体勢のまま、鹿紫雲は宿儺へと反撃の一手をを練り上げる。
その時だった。
鹿紫雲の眼前には宿儺の放った、網目状に広がる斬撃。
逃げ場を失った鹿紫雲を、その死の網が完全に飲み込んだ。
「……ッ!! 鹿紫雲!!」
「……やられたか」
決着の瞬間。虎杖が叫び、日下部がギリッと奥歯を噛み締める。
五条悟に続き、一時代の最強すらも退けた呪いの王。
だが、絶望している暇はない。彼らには、次に打つべき手が残っている。
「くそっ……!うみ! 予定通り――」
日下部が顔を上げ、振り返りながらうみが座っていた場所へと視線を向ける。
だが。
「……は?」
そこはもぬけの殻だった。
先ほどまで確かに居たはずの姿はどこにもない。
「……あいつ、どこ行きやがった!?」
日下部の焦ったような声に、虎杖や真希たちもハッとして部屋の中を見回す。
「……ふふっ」
その時、部屋の隅から、冥冥の艶やかな笑い声が響いた。
全員の視線が集まる中、彼女はモニターの片隅——鹿紫雲を沈めたばかりの呪いの王がいる戦場を顎でしゃくってみせた。
「彼なら、もう行ったよ」
◆◆◆
――新宿上空。
遥か眼下に広がる、更地と化した新宿の街並み。
その上空数十メートルの位置には、巨大な黒い球体がポツンと浮かんでいた。
鹿紫雲と宿儺の戦いが始まる直前、空から巨大な氷塊と共に落下してきた裏梅を足止めするため、秤金次が空中で展開した領域『坐殺博徒』の巨大な外殻である。
その黒い結界の頂上に、空間が歪む音と共に二つの影が唐突に現れた。
「……憂くんありがと。戻って大丈夫だよ」
吹き荒れる上空の風に髪を揺らしながら、うみが隣に立つ少年――憂憂に声をかける。
憂憂に声をかけながらもその蒼い双眸は、眼下の戦場を静かに、そして鋭く見据えていた。
「どういたしまして。では、私は戻ります。……ご武運を」
「うん」
短く言葉を交わし、憂憂の姿が再びフッと掻き消える。
(……さて、まずは興味を持ってもらうところからか。大変だなぁ)
うみは、結界の縁へとゆっくりと歩みを進める。
そして、眼下の瓦礫の中心に立つ、四腕四眼の異形のバケモノを真っ直ぐに見下ろした。
躊躇いは、一切ない。
うみはそのまま、スッと虚空へと足を踏み出した。
ヒュウゥゥゥ……ッ!!
重力に従い、小柄な身体が落下していく。
空気の摩擦が頬を打ち、瓦礫の山が猛スピードで迫ってくる。
その時だった。
眼下の更地で、鹿紫雲を葬り去ったばかりの呪いの王が、ふと顔を上げた。
気配を感じ取ったのか、あるいは、ただ何となくか。
空中で、視線が交錯する。
四つの凶悪な真紅の瞳と、世界を映し出す氷のように冷たい蒼の瞳。
風を切り裂きながら降下してくるその小柄な姿を見据え、宿儺は四本の腕を下ろしたまま、
腹部の口ではなく、本来の口で呆れたように、しかしどこか面白がるように声を発した。
『……なんだ。貴様一人なのか?』
呪いの王のその問いかけに対し。
うみは落下しながらも、全く怯むことなく、不敵な——そしてどこか楽しげな笑みを口元に浮かべた。
「まあね」
うみの澄んだ声が、静寂の新宿に響く。
「ちょっとだけ付き合ってよ。退屈はさせないからさ」
——現代最強の術師が敗れ、一時代の最強もが地に伏した。
残されたのは、呪術の歴史上において最も恐れられた『完全無欠』。史上最強の術師――両面宿儺。
相対するは、本来この世界には存在しえないイレギュラー。万能の術師――月影うみ。
呪いの王と、理外の模倣者。
一方は退屈を凌ぐための遊戯として。
一方は己のすべてを懸けた死闘として。
極限の『十五分』が今、幕を開ける。
無理やりな気がするけど、無理やりな中でも無理ない感じ(当社比)で五条先生を生存させました。
許してください