廻る世界、渡る魂   作:月影うみ

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死闘の果て、いつもの温度

「オオオオオオオッ!!」

 

虎杖悠仁の魂の咆哮が、新宿の焦土に轟く。

日車寛見から託され、そして消え去った一撃必殺の光――処刑人の剣。乙骨憂太の決死の領域と、それらすべてを犠牲にして作り出した決定的な隙。

それらを無に帰したかのように嗤った呪いの王へと虎杖の拳が深く、深く沈み込んだ。

 

――黒閃。

 

空間が歪み、黒い火花が弾け飛ぶ。

魂の輪郭を正確に捉えるその一撃は、宿儺の肉体の奥底、冷たく暗い深淵に沈められた伏黒恵の魂の境界を激しく揺さぶった。

 

「ガ、ハッ……!」

宿儺の巨体が大きく仰け反り、四つの瞳が苛立ちに歪む。

だが、その程度で沈む呪いの王ではない。宿儺は即座に体勢を立て直し、下部の二本の腕で虎杖の胴体を捉え、力任せに後方の瓦礫の山へと投げ飛ばした。

 

「チッ……鬱陶しい」

宿儺の掌印が結ば「オオオオオオオッ!!」

 

虎杖悠仁の魂の咆哮が、新宿の焦土に轟く。

日車寛見から託され、そして消え去った一撃必殺の光――処刑人の剣。

乙骨憂太の決死の領域と、それらすべてを犠牲にして作り出した決定的な隙。

それらを無に帰したかのように嗤った呪いの王へと虎杖の拳が深く、深く沈み込んだ。

 

――黒閃。

 

空間が歪み、黒い火花が弾け飛ぶ。

魂の輪郭を正確に捉えるその一撃は、宿儺の肉体の奥底、

冷たく暗い深淵に沈められた伏黒恵の魂の境界を激しく揺さぶった。

 

「ガ、ハッ……!」

宿儺の巨体が大きく仰け反り、四つの瞳が苛立ちに歪む。

だが、その程度で沈む呪いの王ではない。宿儺は即座に体勢を立て直し、

下部の二本の腕で虎杖の胴体を捉え、力任せに後方の瓦礫の山へと投げ飛ばした。

 

「チッ……鬱陶しい」

宿儺の掌印が結ばれる。

領域が崩壊し、出力が落ちているとはいえ、対象を細切れにするには十分すぎる不可視の斬撃の嵐。

広範囲を面で制圧する『解』の乱れ撃ちが、空中に投げ出された虎杖へ向けて放たれた。

 

「悠仁!!」

 

空中で体勢を立て直せない虎杖。回避は不可能。

殺到する死の刃の射線上に、身を挺して飛び込んだ影があった。

脹相だ。弟を護るため、自らの命を盾にし、肉体を呪力と血で限界まで硬化させる決死の覚悟。

 

(……済まない、悠仁。だが、お前だけは――!)

 

脹相が死を覚悟し、目を強く閉じた、その刹那だった。

 

――カァン!!

 

新宿の更地に、ひどく場違いで、乾いた奇妙な音が響き渡った。

 

「……!?」

 

直後。

不可視の斬撃の嵐は、脹相の身体を切り裂くことなく、何もない虚空を空しく通り過ぎていった。

そして、斬撃が通るはずだったその場所には、瓦礫の破片がパラパラと落ちてくるだけ。

 

「……なんだ?」

空を切った手応えに、宿儺が怪訝に四つの瞳を細めた。

 

「遅れてすまない、ブラザー」

 

土煙の向こう側。宿儺の斬撃の射線から完全に外れた安全圏へと退避させられた虎杖と脹相の横に、

一人の筋骨隆々たる男が立っていた。

その左腕には、渋谷で失われた手首の代わりに、奇妙な道具――ビブラスラップがくくり付けられている。

 

東堂葵。

 

「東堂……!! お前、それは……」

 

驚愕に目を見開く虎杖に対し、東堂はニヤリと笑って自らの左腕に視線を落とした。

 

カァン!

 

再び東堂が金属片を弾いた音と共に、脹相や少し離れた場所で血に塗れて倒れていた真希、

猪野たちの身体が、一瞬にして姿を消した。

 

「『不義遊戯』はいまだ健在だ。……俺たちの拍手は、ここにある」

東堂が左腕のビブラスラップを誇らしげに掲げる。

 

不義遊戯はただ復活したわけではない。

東堂の科した『縛り』を経て、より凶悪な進化を遂げていた。

 

ビブラスラップの衝突回数。それに対し、あえて実際の『入れ替え回数』を絞るという縛り。

それにより東堂は、一回の発動における「効果範囲の拡大」と、「複数対象の同時選択」というかつてない恩恵を獲得していた。

だからこそ、倒れていた複数の仲間たちを、一瞬にして広範囲の安全圏へとまとめて退避させることができたのだ。

 

「周りの面倒な避難は済ませた。いくぞ超親友(ブラザー)! 俺とお前で、宿儺を祓う!!」

「おう!!」

 

虎杖の瞳に、再び強烈な闘志の炎が燃え上がる。

 

「……小賢しい」

宿儺が四本の腕を構え、迎撃の態勢をとる。

 

だが、進化した東堂の『不義遊戯』は、宿儺の予測を遥かに凌駕していた。

ビブラスラップの金属片が木の箱に当たる回数、一秒間に最大五十回。

その一打ごとに、発動のオンオフを選択できる。

 

カァン、カァン、カァカァカァン!!

 

「シッ!!」

「オラァッ!!」

 

虎杖の拳が宿儺を捉えたかと思えば、次の瞬間には東堂の蹴りが背後から迫る。

宿儺が迎撃のために放った『解』は、虎杖と宿儺の入れ替えが起こり空を切る。

 

(一度のタップに対する最大値と最小値……こいつが自由に調節しているのか)

 

千年の戦闘経験を持つ宿儺の脳髄が、驚異的な速度で事象を解析していく。

一秒間に最大五十回というデタラメな衝突回数。

その中で、入れ替えを行うか行わないかの「フェイント」が混ざる。

さらに、入れ替える対象が単数か、複数かの「ランダム性」までが東堂の自由意思で選択されている。

 

(……厄介極まりない。これを瞬時に読み切るのは、事実上不可能だ)

 

呪いの王をもってして、そう悟らせるほどの複雑怪奇。

防戦一方に追い込まれ、対応が遅れた宿儺の肉体に、虎杖の重い打撃が次々と叩き込まれる。

 

(だが、確実に読めるタイミングが一つだけある)

 

宿儺の四つの瞳が、極限まで集中を高めた虎杖のモーションを鋭く捉えた。

 

(このタイミング。この絶対の勝負所において、

東堂葵はあえてタップしても『入れ替えない』というフェイントを必ず混ぜてくる)

 

虎杖が地を蹴り、宿儺の眼前へと迫る。

同時に、後方の東堂がビブラスラップを鳴らそうと構えた、その時だった。

 

宿儺は視界の端に一羽の烏を捉える。

 

(あの女の鳥……!! 俺がフェイントを読むことを前提に、

この烏と小僧を入れ替え――と見せかけて、こっちだろう!!)

 

カァンッ!!

 

金属音が響く。烏か、小僧か。

コンマ数秒の極限の読み合い。東堂葵の仕掛けた『裏の裏』。

だが、千年の戦闘経験を持つ呪いの王の闘争勘は、そのさらに奥――『裏の裏の裏』を完全に看破していた。

 

(捉えたぞ、小僧……!!)

 

宿儺は、烏に目もくれず、真っ直ぐに突っ込んでくる虎杖を迎撃する。

 

呪いの王の刃が、虎杖の身体を両断せんとした。

まさに、その瞬間だった。

 

ズドォォォォォォンッ!!!!

 

「……ッ!?」

上空より、一本の光が降り注いだ。

純粋な破壊の奔流が、更地を深く抉り取る。

 

宿儺は咄嗟に後方へと跳躍し、その直撃を間一髪で回避した。

完璧に裏の裏を読み切り、虎杖を仕留めかけたこの絶対の勝負所に割り込んできた、理不尽な一撃。

 

もうもうと舞い上がる猛烈な砂塵。

回避した宿儺が上空を見上げると、その四つの瞳に、忌々しさと――それ以上の、底知れぬ歓喜の色が浮かんだ。

 

(ここで来るか……!!)

 

見上げる宿儺の視線の先。

舞い上がる砂煙のさらに上空から、小柄な影が一直線に落下してくる。

 

銀青の髪を風になびかせたその姿は、服の半分が焼け焦げ、

白い肌にはところどころ痛々しい傷が刻まれた凄惨な有様でありながらも、

どこか浮世離れした神秘的な美しさを放っていた。

 

だが、その蒼の双眸には、疲労を微塵も感じさせない底知れぬ好戦性が宿っている。

 

「悪いけどさ、もっかい遊んでくれる?」

 

舞い降りたうみが、ニコリと笑って煽るように挑発的な言葉を投げる。

 

それに対し、宿儺は獰猛な笑みを浮かべた。

 

「……ククッ。いいだろう。今度こそ灰一つ残さず消し飛ばしてやる」

 

呪いの王の言葉には、僅かな苛立ちと、それを上回る悦びが色濃く滲んでいた。

 

「うみ……!! お前、もう動いて平気なのかよ!?」

虎杖が驚きと歓喜の声を上げる。

 

「完治ではないですけど、大体塞いでもらいましたし足は引っ張りませんよ。

それよりも今の宿儺ってどれくらいの出力ですか?」

 

うみは軽く首を鳴らしながら、虎杖と東堂のそばへと歩み寄った。

 

「出力? えーっと……」

虎杖は少し考え込み、自らの感覚を頼りに答える。

 

「結構落ちてはいると思う。

解ならすぐ治せるくらいだし、捌でも即死はない。反転術式があれば何とかなるレベルだ」

 

その情報を聞いたうみは、小さく頷き、隣に立つ東堂を見上げる。

 

「……なるほど。葵先輩」

 

「どうした、(ブラザー)よ」

 

「俺のことは、盾として組み込んでもらって構いません。

俺に届くのは、展延を使った打撃だけなので」

 

うみの『無下限呪術』による不可侵。

宿儺がこれを突破する術は領域展延による中和、もしくは術式対象を拡張した解のみ。

 

「……ほう。しかし"世界を断つ斬撃"とやらがあるだろう。あれはどうする?」

 

東堂が、顎を撫でながら問う。

それに対しうみは、土煙の向こうで待ち構える宿儺を見据え、不敵に笑った。

 

「俺たち相手に腕三本も封じる余裕があると思います?」

 

解の術式対象を拡張する条件。

それは、掌印を結び、呪詞を詠唱し、さらに腕で斬撃の指向性を定めること。

 

「……なるほど、成程な」

東堂の口角が、限界まで吊り上がる。

 

「ああ、そうだな親友に弟(ブラザーたち)よ! 俺たちが揃えば不可能などない!!」

 

東堂のテンションが、最高潮に達する。

虎杖、東堂、そしてうみ。

三人の術師が、横一列に並び立った。

 

「ひとまず俺が先行します。軸は悠二先輩、ゲームメイクは葵先輩で」

 

「おう!!」

「応!! 俺が勝利へと導いてやろう!!」

 

並び立った三人の術師を見据え、宿儺の四つの瞳が忌々しげに細められる。

 

(まったく。出てくるだろうとは思っていたがこのタイミングとは……最悪と言っていいな)

 

宿儺の思考は、現状の盤面の「どうしようもなさ」を弾き出していく。

 

(術師の中で一番マイペースで崩しづらい東堂葵。

進化した『不義遊戯』だけでも対応は困難極まりないというのに、そこに手駒が一つ増える。

もう読み切るのは不可能になったといっていいだろう)

 

(加えて、あやつに通る攻撃は展延を用いた打撃か、対象を拡張した『解』のみ。

展延を使えば生得術式が使えず小僧たちに隙を晒し、拡張した解を撃とうとすれば、

あの超高速のスイッチの中で腕三本と口を封じられることになる)

 

(ならば領域で一掃すればいいものを……あやつが戦場にいる以上、それすらも不可能)

 

領域を展開した瞬間、『領域干渉』によってその最大の機能を封じられる。

つまり、呪いの王の最大奥義は、月影うみがそこに存在しているというだけで、実質的に封じられているに等しい。

 

「……クハッ。本当に、どこまでも楽しませてくれる」

 

呪いの王は、自身の死すら見えかねないこの絶対の不利を前にして、なおも腹の底から歓喜の笑みをこぼした。

 

「行くぞオオオッ!!」

「応!!」「はい!」

 

その言葉を合図に、三人の術師が同時に地を蹴った。

 

「ひとまず」の宣言通り、先行したうみが風を置き去りにする速度で宿儺の眼前へと肉薄する。

だが、その速度は先ほどの死闘の時とと比べれば明らかに落ちている。

 

「小賢しい」

宿儺は迎撃のため、下部の二本の腕でうみの死角から強烈なフックを放ち、同時に上部の腕で退路を塞ぐように打ち下ろす。

四本腕による、完璧な包囲網。

 

だが、うみの表情に焦りはない。

(右下、左下、そして上。テンポは0.2秒遅れ)

 

先ほどの死闘で身体に刻み込んだ『呪いの王のデータ』。

うみは迫り来る死の連撃に対し、必要最小限のステップと重心移動だけで、

四本の腕が交錯するその「隙間」を縫うようにすり抜けた。

 

「……何?」

空を切った手応えに、宿儺の四つの瞳が微かに見開かれる。

 

(……ちょっとかすった。修正しないと)

 

うみが僅かに体勢を立て直したその刹那。

 

カァン、カァカァンッ!!

 

後方から東堂のビブラスラップが鳴り響く。

それを合図に、虎杖と東堂、そしてうみが入り乱れる超高速のスイッチバトルが始まった。

何度入れ替わるかも、誰が誰と入れ替わるのかすらも分からない。

 

だが、呪いの王の闘争勘は、そのデタラメの中でさえ「芯」を捉えようとしていた。

 

(……ここだ!)

 

無数の入れ替えの法則性――否、理屈を超えた直感とセンスで、

宿儺は次に虎杖が出現する座標とタイミングを完全に読み切った。

空間が歪み、虎杖が姿を現す。

宿儺の巨大な拳が、虎杖の顔面を捉えるべく必殺の速度で振り抜かれた。

 

まさに、その瞬間。

 

――パンッ。

 

東堂のビブラスラップの金属音とは違う、乾いた拍手の音が一つ、戦場に響いた。

 

「……!?」

 

直後、宿儺の拳が叩き潰すはずだった虎杖の姿がフッと掻き消える。

代わりにそこに現れたのは、うみ。

 

宿儺の拳は、うみの目前に展開された見えない壁――『不可侵』によってピタリと止められた。

 

「オラァッ!!」

 

空を振るった形となった宿儺の完全な死角。背後へと転移していた虎杖の重い一撃が、宿儺の背中を強烈に打ち据える。

 

「チッ……!」

前にたたらを踏んだ宿儺の脳内に、激しい戦慄が走った。

 

(こやつ。『不義遊戯』まで模倣しているのか! いよいよ読みは不可能だな。ならば……)

 

宿儺の思考が、現状における最適解を弾き出す。

 

(まずは、東堂葵を強引にでも潰す。ランダムシャッフルがなくなるだけでも随分と楽になるだろう)

 

宿儺の巨大な呪力が膨れ上がり、その明確な殺意が後方でビブラスラップを構える東堂へと向けられた。

 

「シッ!!」

立ちはだかる虎杖の連撃を下部の腕で強引に弾き飛ばし、宿儺は地を蹴る。

同時に東堂の退路を塞ぐように『解』を放った。

 

カァンッ!

東堂がビブラスラップを鳴らし、自身とうみを入れ替えて斬撃の雨を回避する。

 

斬撃は、転移してきたうみの『不可侵』の前にすべて阻まれる。

だが、宿儺はその入れ替えを闘争勘で追いすがり、間髪入れずに退避した東堂へと肉薄した。

 

パンッ、と乾いた音が鳴る。

宿儺の眼前に迫っていた東堂の姿が消え、代わりに『蒼』を使ったうみの掌底が宿儺の顎をカチ上げる。

 

「チッ……!」

僅かに仰け反った宿儺だが、止まらない。

展延を纏った強烈な蹴りを、空中にいるうみへと見舞う。

不可侵を突破して迫るその一撃を、うみは呪力を固めた腕で防御。

宿儺は、それを防いだうみの身体を『足場』にするように力強く蹴り出し、再び東堂へ突進した。

 

(露骨に葵先輩狙いにしてきたな……まあ、それが最適解なんだけど)

弾き飛ばされながらも、うみの頭脳が宿儺の露骨な殺意を冷静に分析する。

 

カァカァンッ!

東堂が再び位置を変え、虎杖が宿儺の死角から強烈な蹴りを叩き込む。

しかし、宿儺は肉を切らせて骨を断つ覚悟でその一撃を背中で受け止め、一切の減速なしに東堂へと四本の腕を伸ばした。

 

明確すぎる、東堂葵への一点突破。

幾度かの激しい攻防の末、乱戦の中でついに東堂が孤立し、うみの不義遊戯の有効射程からも僅かに外れた。

宿儺の剛腕がその身体を捉えんとした、その瞬間。

 

うみは自らの傍らにあった瓦礫へと自身の呪力を流し込む。

 

カァンッ!

宿儺の拳が叩き潰す直前、東堂がビブラスラップを鳴らす。

呪力を帯びた瓦礫と位置を入れ替え、宿儺の猛攻から危機一髪で退避した。

 

ドゴォッ! と宿儺の打撃が瓦礫を粉砕し、空を切る。

 

(今だ……!!)

宿儺の攻撃が空振りし、背を見せたその絶対の隙を突き、虎杖が死角へと強引に踏み込む

 

(掛かったな、小僧)

 

だが、それこそが呪いの王の周到な『罠』。

東堂へ向けた執拗な猛攻も、空を振ったように見せた隙も、すべては虎杖悠仁を誘い込むためのフェイク。

 

宿儺は踏み込んできた虎杖に対し、身体の捻りを利用して完全に死角から迎撃の剛腕を振り下ろした。

東堂は退避の入れ替え直後で、次の発動は間に合わない。うみも不義遊戯の有効射程から外れている。

 

(もらったぞ……!)

 

宿儺が勝利を確信した、まさにその瞬間だった。

 

(この距離で取れる手段は一つ……

悠二先輩の集中は十分だし、ここが使い時か)

 

乱戦の隙間、誰の目にも止まらぬ静寂の中。

突如として、複数の不可視の斬撃が、迎撃のためにがら空きとなった宿儺の脇腹を立て続けに切り刻んだ。

一つ一つは致命の深さではない。

 

だが、その事実は呪いの王の動きを一瞬止めるには十分すぎた。

 

「……なっ!?」

宿儺の四つの瞳が、驚愕に限界まで見開かれた。

反射的にその出所へと向けられた視線の先。そこには、静かにこちらへと指先を向けているうみの姿があった。

 

(これは、『解』!? 馬鹿な……!!)

 

宿儺の脳内に、激しいノイズが走る。思い返されるは先程乙骨憂太の放った言葉。

術式模倣には術者の肉体を要するはずだ。残された自身の指は乙骨が消費した。

つまり、うみが御厨子を使える道理はない。その絶対的な確信が、根底から覆された。

 

(乙骨の言葉は、俺の思考を誘導するためのブラフ……!

こいつの模倣の条件は、乙骨のものとは全くの別物だというのか……!!)

 

一瞬。ほんの一瞬の、思考の硬直。

完璧に作り上げられたその決定的な隙に。

 

「オラァァァァッ!!!」

 

虎杖悠仁の拳。

宿儺の硬直という最大の隙を穿つその一撃が、黒い火花を伴って、宿儺へと深く叩き込まれた。

 

「ガハッ……!」

強烈な黒閃の衝撃が、宿儺の肉体の深淵を大きく揺さぶる。

 

(今ので悠仁先輩は完全に乘った……) (宿儺の呪力出力も大きく下がったな……ここからは)

 

うみと東堂の視線が、ほんの一瞬だけ交錯する。

言葉は不要。二人の天才的なゲームメーカーが、同時に最適解を導き出した。

 

((多少強引にでも、一気に詰める!!))

 

視線を交わした直後。

うみと東堂が、虎杖の「状態」にすべてを合わせる超攻撃的シフトへとゲームメイクを再構築する。

 

「シッ!!」

一発目の黒閃から体勢を立て直した宿儺が、眼前で構える虎杖へと凄まじい連撃を放とうとした、その瞬間。

 

カァンッ!!

 

東堂のビブラスラップが鳴り響く。

宿儺の真正面にいた虎杖の姿が消え、代わりにうみが姿を現す。

 

「チッ……!」

宿儺は即座に対応し、展延を纏った四本の腕でうみとの激しい攻防へともつれ込む。

 

(初撃は上、次が反対側の下から振り上げで、

そのまま回しの上段・逆手で打ち下ろしの連撃――)

 

本来の二者間のスペック差であれば、今のうみが宿儺を相手に、近接戦闘で渡り合うことなど不可能に近い。

先ほどの戦闘では、黒閃を打ち込むまでは宿儺が舐めていたことと初見殺しの多用で、

黒閃を打ち込んでからはゾーン状態にあったことによる特異性――

『呪力の完全密閉による呪力感知からの脱却』と『身体能力の強化倍率の爆増』によって渡り合えていたに過ぎない。

 

だが、ゾーンが解けた今のうみにその恩恵はない。

それでもなお渡り合えているのは、うみの脳と肉体に蓄積された『宿儺のデータ』と、

度重なるダメージによる宿儺自身の著しい出力低下が重なったからに他ならない。

それが、この局所的な攻防においてのみ、うみを僅かに優勢に立たせていた。

 

右のフック、死角を突く左下からのアッパー。

うみは宿儺の打撃軌道を完全に先読みし、必要最小限のステップで紙一重で躱し、あるいは柔らかな捌きで弾き流す。

 

(悠二先輩と葵先輩は……)

 

宿儺を捌きながらも視界の端、そして研ぎ澄まされた呪力知覚で二人の状態を瞬時に確認する。

 

(うん。良好良好~……そしたら――)

 

宿儺の攻撃の『芯』を完全に見切ったうみは、次の瞬間、あえてその猛攻を躱すのをやめ、

宿儺の剛腕を真正面から両腕で強引に掴み止めた。

 

「……!」

同時に、うみの足元から這い出た『影』が宿儺の全身に絡みつき、その肢体を完全に拘束する。

 

(こやつに術式の並列使用は不可能――)

 

呪いの王は幾度もの攻防で、うみの運用限界を見抜いている。

宿儺は即座に展延を解き、掴み合って密着しているうみへと『捌』を叩き込んだ。

 

「……ッ!!」

 

うみの身体が深く切り裂かれ、無数の鮮血が弾け飛ぶ。

 

(ッたいなぁ! けどビンゴ! こんだけ出力が落ちてれば致命傷にはならない!!)

 

全身の肉を裂かれる激痛に顔を歪めながらも、うみは決してその手を離さない。

呪いの王の動きを、その場に完全に「縫い留め」続けた。

 

カァンッ!!

 

東堂の喝采(ビブラスラップ)が鳴り響く。

 

(チッ……!!)

宿儺は直後、自身の完全な死角――横合いから迫る気配に気づく。

だが、うみに身体を固定され、影に四肢を縛られている今の状態では、回避も迎撃も不可能。

 

そして宿儺の視界に火花が散る――

 

ドゴォォォッ!!

凄まじい衝撃波と共に、宿儺の巨体が瓦礫の山へと吹き飛ばされる。

 

「うみ!」

「大丈夫です! 続けますよ!!」

 

宿儺を吹き飛ばした直後、虎杖が心配そうに声をかけるが、

うみは即座に首を振りながら、傷口を流れる血を『赤血操術』で瞬時に凝固させた。

反転術式が使えなくとも、出血という最大のデバフを彼の手札が完全に補っている。

 

「チィィッ……!!」

吹き飛ばされた瓦礫の中で、宿儺が怒りに満ちた声を上げ、即座に体勢を立て直す。

だが、呪いの王が息をつく暇すら、彼らは与えない。

ゾーン状態にある虎杖が地を蹴り、追撃を防ぐべく迎撃の態勢を取る宿儺との、

至近距離での凄まじい乱打へと持ち込んだ。

 

カァン、カァン、カァカァンッ!!

 

ビブラスラップが絶え間なく鳴り響き、三者の位置が猛烈な速度でシャッフルされる。

だが、先ほどまでの連携と決定的に違う点が一つあった。

うみが「被弾覚悟の選択肢」を実戦で組み込んだ事実が、宿儺の脳髄に凶悪なノイズとして響き始めていたのだ。

 

宿儺の眼前で空間が歪み、虎杖からうみへと入れ替わる。

 

(展延を使うか、否か――!!)

 

宿儺の思考に、一瞬の迷いが生じる。

無下限を警戒して『展延』を使えば、うみが別の術式で迎撃してきた際、

生得術式が使えない宿儺は一方的にディスアドバンテージを背負う。

逆に展延を使わなければ、不可侵の壁に打撃を弾かれ、決定的な隙を晒すことになる。

 

『六眼』を持たない宿儺には、目の前の術師が数多のコピー術式の中から「今、どれを発動しようとしているのか」、

呪力の起こりを見るまで判断できない。

これまでは「初手は必ず無下限で防ぐ」という前提があった。だが、先ほどの特攻がその前提を完全に破壊した。

 

(チィィッ……!!)

二択の無限ループ。宿儺の思考が、ほんのコンマ数秒、泥のように鈍る。

 

次なる一撃を打ち込もうと転移してくる虎杖。それを四本の腕で完璧に捌こうとしながらも、

うみへの入れ替えも警戒しなければいけない現状に脳の処理を割かれる宿儺。

その極限の乱戦から少し離れた位置へと退避していたうみが、自らの背後へと『何か』を投擲した。

 

カッ……!!

 

宿儺の視界の端、あるいは死角で突如として炸裂した強烈な閃光。

フラッシュグレネードだ。

 

(あの目眩しの道具か……だが、なぜあんな効果のない位置で?)

 

先ほどの戦闘でその手口を知っているからこそ、宿儺の脳内に強烈な違和感が走る。

自らの視界を奪うには遠く、角度も全く意味を成していない。

だが、あの厄介極まりない理外の男が、この局面で「無意味な行動」をとるはずがない。

呪いの王の闘争勘が、最大級の警鐘を鳴らした。

 

(何を狙っている? よもや、まだ隠している術式があるとでもいうのか? それとも――)

 

だが、豊富な戦闘経験と膨大な呪術の知識を持つ宿儺であっても。

平安の世を生きた彼の脳髄が、「現代兵器の圧倒的な光量」と、

「光の指向性による影の物理的な拡張」という科学的法則に、瞬時に思い至ることなど不可能だった。

 

圧倒的な光量を背後から浴びたうみの『影』が、光と逆方向――宿儺と虎杖の足元一帯へと、

異常なまでの濃さと面積を持って一気に伸びたのだ。

 

影が宿儺の足元を覆った瞬間、『影法師』が発動する。

急激に拡張された影が物理的な拘束力を持って、呪いの王の四肢を一瞬だけ強引に縛り上げた。

 

閃光弾の光量は長くは持たない。影が伸びるのも、拘束できるのも、ほんの一瞬。

だが、ゾーン状態にある虎杖悠仁にとって、呪いの王の迎撃が「一瞬遅れる」という事実は、あまりにも決定的だった。

 

「シッ!!」

 

拘束によって僅かに対応が遅れた宿儺の肉体を、虎杖の重い一撃が完璧に打ち抜く。

空間が歪み、再び激しい黒い火花が弾け飛んだ。

 

(これで通算四度目……ほんと当たり前のようにぽんぽん出すなぁ)

 

黒閃の絶大な衝撃で、宿儺が大きくたたらを踏む。

だが、ゾーン状態にある虎杖の追撃は、打撃だけでは終わらない。

完全に体勢を崩した宿儺の胸板に、虎杖がさらに踏み込み、その掌をピタリと密着させた。

 

「……起きろ伏黒ッ!」

対象に直接触れた状態からの、ゼロ距離での発動。

虎杖悠仁の掌から、術式対象を『宿儺と伏黒恵の魂の境界』に限定した『解』が叩き込まれた。

 

「ガ、アァァァッ!!」

黒閃の衝撃とは全く質の違う、魂そのものを直接抉り取られるような激痛に、呪いの王が絶叫を上げる。

 

その一撃を受けた直後の宿儺の「状態」を、うみは研ぎ澄まされた呪力知覚で観測していた。

宿儺の肉体と、深淵に沈む伏黒恵の魂の境界線が、かつてないほどに激しく、ちぎれんばかりに揺らいでいる。

 

(今のは……術式対象の限定か! 打撃に乗せるよりも圧倒的に効きがいい。

あと、二、三発打ち込めれば……行ける!)

 

うみが確信を抱くのと同時に、宿儺もまた、、「自らの敗北」を予感していた。

 

(マズい……! これを喰らい続ければ、俺は肉体を維持できずに負ける……!)

宿儺の脳内に、明確な焦りと戦慄が走る。

 

(だが……)

 

呪いの王の四つの瞳が、後方でビブラスラップを構える東堂葵を血走った眼差しで射抜く。

 

(アレはもう長くは持たない。ここでダメ押しを入れれば、確実に封じられる)

 

あの理不尽なランダムシャッフルさえ機能停止に追い込めば、この絶望的な盤面であっても、

まだ呪いの王には立て直すだけの「やりよう」がある。

逆に言えば、東堂葵を排除しない限り、虎杖の『解』を躱しきる術はない。宿儺はそう、極めて冷徹に戦局を判断した。

 

もはや牽制や退路を塞ぐような手ぬるい真似はしない。純粋にして圧倒的な「暴力」による強行突破。

宿儺は立ちはだかる虎杖との交戦を完全に放棄し、足元の巨大なコンクリート片を蹴り飛ばして目眩ましにすると、

自らも砲弾のごとき初速で東堂へと一直線に突進した。

 

カァンッ!

異常な殺意を察知した東堂がビブラスラップを鳴らし、自身と遠くの瓦礫を入れ替えて突進の軌道上から退避する。

だが、宿儺はその入れ替えを闘争勘で追いすがり、間髪入れずに退避した東堂へと肉薄し、剛腕を振り下ろす。

 

カァカァンッ!

再び東堂が位置を変え、うみが宿儺の死角から強烈な蹴りを叩き込む。

しかし、宿儺は肉を切らせて骨を断つ覚悟でうみの一撃を背中で受け止め、一切の減速なしに東堂へと再び突進した。

 

明確すぎる、東堂葵への一点突破。

 

(こっの……! 俺は眼中になしですか!)

 

うみが即座にサポートに入ろうとするが、敗北の危機感を抱いた宿儺の執念が僅かに上回る。

 

宿儺が東堂を捉えんとした、その瞬間。

 

東堂は宿儺を前にしても決して怯まず、当然のように次なる入れ替えを行おうと自らの左腕を打ち鳴らした。

 

カァ……ピキッ。

 

だが、乾いた金属音の代わりに響いたのは、ひび割れるような音。

 

一秒間に最大五十回の衝突。それに加え、うみという「異物」を組み込んだ複雑極まりない三者間シャッフル。

東堂の想定よりも早く、左腕にくくり付けられたビブラスラップは呪具としての限界を超え、無惨に砕け散ってしまったのだ。

 

「……!?」

入れ替えが、起きない。不発。

東堂の眼前に、無防備な隙を晒した彼に宿儺の一撃が迫る。

 

(ギリ射程内ッ!!)

 

パンッ!

 

その絶対の死地に、もう一つの乾いた音が響き渡った。うみの拍手だ。

東堂の想定外の事態にいち早く気づいたうみが、咄嗟に自身の『不義遊戯』で自身と東堂の位置を入れ替えたのだ。

 

宿儺の必殺の一撃が振り下ろされるその場所から東堂が掻き消え、代わりにうみが転移する。

 

(やっぱ無理か……!)

 

だが、あまりにも咄嗟のカバー。

転移してきたうみには、『無下限呪術』を起動し、不可侵の壁を展開するだけのコンマ数秒の猶予すらなかった。

 

宿儺の振り抜かれた剛腕が、呪力で防御を固めたうみの小柄な身体を直接捉える。

空間が歪み、呪いの王の拳から激しい黒い火花が弾け飛んだ。

 

ドゴォォォォッ!!

 

凄まじい衝撃波と共に、うみの身体が紙屑のように吹き飛ばされ、遥か後方のビル跡へと激突する。

 

(……ッたい! けど、折れてはない。ヒビが数箇所ってとこか……)

瓦礫の山に埋もれながら、うみは全身の骨が軋む激痛の中で戦況を冷静に分析する。

(さっきの『解』で出力が落ちてなきゃ今のでダウンだったな。早く戻らないと……)

 

「うみ!!」

虎杖が叫ぶ。

 

「ククッ……」

一方、黒閃を放った宿儺は、深いダメージを負いながらも、

その一撃によって失いかけていた呪力出力とテンションを僅かに取り戻していた。

 

うみが一時的に戦線を離脱し、東堂は術式を完全に失った。

バフの掛かった呪いの王を前に、残された二人は圧倒的な劣勢に立たされる。

 

「来い、小僧!!」

テンションを取り戻した宿儺が、四本の腕で容赦のない猛攻を仕掛ける。

 

入れ替えによる回避はもうできない。虎杖と東堂は、純粋な身体能力と呪力操作のみで、

呪いの王の絶え間ない連撃と『解』の雨を凌がなければならなくなった。

東堂が術式を失った左腕を盾にしながら強引に死角へ回り込み、虎杖が真正面からその打撃を受け止める。

 

「ガァッ……!」

血反吐を吐き、傷を増やし、泥臭く地面を這いずりながらも、二人は決して倒れない。

特に虎杖悠仁の闘志は、うみがやられ、東堂が術式を失ったことで、絶望するどころか、さらに深く、静かに研ぎ澄まされていく。

 

(俺が……俺がやるんだ!!)

 

幾度もの黒閃を経て魂の輪郭を掴み、宿儺の肉体を切り裂き、今まさに死線で泥臭く足掻く中で。

虎杖悠仁の呪力は、限界を超え、次なる「最高潮」へと向けて静かに、確実に高まっていた。

 

「フンッ!!」

術式を失った東堂が、それでも退かずに巨体を揺らして宿儺の死角から殴りかかる。

だが、宿儺がそれを煩わしげに払いのけ、東堂へ再び致命の一撃を振り下ろそうとした、その時だった。

 

パンッ!

 

乾いた音が響き、宿儺の眼前から東堂の姿が掻き消える。

代わりに現れたのは、痛みを強引に呪力で押さえ込み、前線へと復帰した月影うみ。

 

「お待たせ! 待った?」

うみの『不義遊戯』によるカバー。

すぐさま虎杖、東堂、うみの三人による猛烈なラッシュが再開される。

うみのサポートが加わったことで、防戦一方だった虎杖と東堂の連携が息を吹き返す。

打撃、蹴り、入れ替え。

極限の攻防の中で、宿儺と真正面から打ち合う虎杖悠仁の集中は、ついに「最高潮」へと達した。

 

呪力の波長が完璧に研ぎ澄まされ、その拳に黒い火花を散らす準備が整う。

 

(ここだ)

虎杖の状態を察知したうみが、攻防の輪からスッと僅かに距離を取る。

宿儺は、最大の脅威である虎杖を完全に迎え撃たんと、四本の腕で必殺の迎撃態勢を取った。

 

(タイミングは悟さんに任せたけど、さすがにここでしょ!)

うみのその確信に呼応するように。

 

直後、虎杖を迎え撃たんとする宿儺の視界――いや、研ぎ澄まされた呪力感知の網に、強烈な「異物」が引っかかった。

 

土煙の向こう側。戦場から少し離れた瓦礫の上に、静かに立つ人影。

その人影は、ここでは場違いな、雑談でもするかのように宿儺へと声をかけてきた

 

「ねぇ宿儺。すごいでしょ?僕の教え子たちは」

 

"それ"は自身が手ずから葬った『最強』

 

(五条悟!?)

あり得ない事象に、宿儺の思考が強烈にそちらへ引かれる。

だが、呪いの王の眼と研ぎ澄まされた感知は、即座に「今の五条悟の状態」を正確に見抜いた。

 

(……いや。本物ではあるようだが、呪力も肉体も、今のあやつに何かできる状態ではない)

脅威に非ず。宿儺はコンマ数秒でそう切り捨て、即座に最優先の排除対象である虎杖へと意識を戻す。

 

(やっぱこれだけじゃ足りないよね)

 

五条の脳裏に、過るのは、うみが復帰を果たす直前の会話。

 

――――

 

「そうだ悟さん。一個だけ頼んでいいですか?」

「いいけど。今、僕は戦えないよ?」

「分かってますよ。とっても簡単なおしごとなので大丈夫です」

「ふーん。それで? 何すればいいの?」

「タイミングは任せます。悠二先輩が乗ってる勝負所で宿儺に姿を見せて――言っちゃえば(デコイ)をしてほしいんです」

「……いいけど、それじゃ足りないんじゃない?」

「ええ、なので俺の方でももう一手打ちます」

 

――――

 

(さて、僕の教え子はどんな一手を――)

戦場の端に立つ五条の意識が、うみへと向けられる。

そして、その瞳に映った光景に、五条はハハッ、と乾いた笑いを漏らして絶句した。

 

(……性格悪すぎでしょ)

 

宿儺が虎杖を迎え撃つべく構えた、その絶対の死合の空間。

そこへ向けて、少し距離を取ったうみが両手で『掌印』を結ぶ姿。

 

それは、五条にとっては自らに終止符を打った大技。

それは、宿儺にとっては自身の生み出した起死回生の一手。

 

『反発』『龍鱗』

 

戦場に響き渡る、明瞭な呪詞。

宿儺の脳髄に、稲妻のような衝撃が走る。

 

(あり得ない……!!)

宿儺の理性はそう叫ぶ。

 

あの大技は宿儺自身でさえ、呪詞・掌印・指向性を必要とする縛りでようやく成り立たせているもの。

うみの"それ"が成立する道理はない。ハッタリだ。宿儺の理性がそう告げる。

 

しかし、これまでに見せられた数々の異常な技術と理不尽なまでの底知れなさが、

その可能性を完全に否定することを許さない。

 

(こやつなら、やりかねない……!!)

 

五条悟の出現による動揺、そこに畳み掛けるように致命の危機感。

宿儺の意識が、視線が、全てが完全にうみへと持っていかれた。

 

意識誘導(ミスディレクション)

呪いの王の意識から、目前に迫っていたはずの「虎杖悠仁」の存在が完全に消え去った。

 

「オラァァァァッ!!!」

 

完全に意識の端から外れた、無防備な死角から。

最高潮に達した虎杖悠仁の拳が、宿儺を貫く。

 

空間が激しく歪み、この日五度目となる、巨大な黒い火花が弾けた。

 

(完璧!! 宿儺の出力がさらに落ち、逆に悠仁先輩の出力は跳ね上がった!)

 

うみが、研ぎ澄まされた知覚で戦局の推移を正確に読み取る。

(これならあと一発……! 一発『解』を直接打ち込めれば、確実に引き剥がせる。

つまり……死んででも隙を作れば勝ち!!)

 

一方、大きく後退した宿儺もまた、現状の自らの危機を正確に理解していた。

 

(まずいな。次にあの一撃を喰らえば、俺は終わる)

だが、呪いの王の瞳に絶望はない。冷静な理性が、勝機を弾き出し続ける。

 

(東堂葵の術式はもうない。月影うみも先ほどの黒閃が響いているのか、パフォーマンスは半分以下。

小僧の『解』も、直接触れられさえしなければ問題ない。……まだ、やりようはある)

 

((次で決める……!!))

 

うみと宿儺。立場は違えど、戦場を俯瞰する二人の思考が、次なる極限の攻防に向けて完全に定まった。

まさに、その瞬間だった。

 

(……なんだと!?) (……マジで?)

 

二人の視界が、信じられないものを捉えた。

黒閃を放ち、最高潮に達した状態の虎杖悠仁。その彼が、追撃に出ることなく、静かに両手で『掌印』を結んでいたのだ。

圧倒的な密度の呪力が、渦巻く。

 

その様子はまるで――

 

(領域……だと!? 月影のように、なにかのためのブラフか……? いや――)

 

(悠仁先輩が領域!? それとも俺みたいに、宿儺の意識を逸らすためのハッタリ……? いや――)

 

宿儺と、うみ。

呪術の深淵を覗く二人の思考が、この極限の戦場で完全にリンクした。

 

((小僧 (悠二先輩) に、そんな器用な真似は不可能 (できない)!!))

 

不器用で、真っ直ぐで、誰よりも純粋な魂を持つ虎杖悠仁。

彼がこんな土壇場で、己の呪力をコントロールしてブラフを張るなどという高度な盤外戦術をとれるはずがない。

つまり、これは紛れもない、本物の――。

 

「――領域展開」

 

静かな、しかし確かな言霊と共に。

虎杖悠仁を中心に、結界が広がり、空間を塗り潰していく。

 

「チィィッ!!」

宿儺は迎撃態勢のまま、その抗いがたい結界の中へと飲み込まれていった。

 

バツンッ!!

 

空間が閉ざされる。

その結界の範囲外――少し離れた場所にいたうみ、東堂、そして五条の三人は、

領域の中へと入ることは叶わず、戦場の外へと完全に締め出された。

 

取り残された三人の前に、巨大な球状の結界が静かに鎮座する。

 

「ありゃ……悠二先輩に先越されてしまった」

 

虎杖悠仁が展開した領域の結界を前に、うみは少しだけ悔しそうに唇を尖らせて呟いた。

次いで、ボロボロの身体を引きずるように結界へと近づくと、その表面に手のひらを当て、ペタペタと撫でるように触れる。

 

「ちょっと、うみ。何やってるのさ」

その奇妙な行動を見かねて、戦場から少し離れた位置で囮役をこなしていた五条が、瓦礫を降りて飄々と歩み寄ってきた。

戦闘不能の状態とはいえ、その足取りに悲壮感はない。

 

「これですか?」

うみは結界から手を離さないまま、五条の方へ視線だけを向ける。

「解析ですよ。万が一にでも宿儺が領域を展開して押し返してきた時のために。

展開した瞬間に外からハックしてやろうかと思いまして」

 

「ふーん」

五条は面白そうに目を細め、巨大な黒い球体を見上げた。

 

「アレって、押し合い中の領域にもできるの?」

 

すぐそばで息を整えていた東堂も、「なんだと?」という顔でうみを見つめている。

二人の疑問に対し、うみは悪びれもせず、堂々と胸を張って答えた。

 

「さあ? わかりません」

 

「わかんないの!?」

 

「そりゃ押し合いしてる領域に使ったことなんてないですもん。

なんせ、憂太先輩以外には本日初公開なんですから」

 

悪びれもせず堂々と言い切るうみに、五条は呆れたように息を吐き、

東堂は「ハッハッハ! 流石は我が(ブラザー)!」と豪快に笑い飛ばした。

 

だが、一時の緩和の後。

うみは結界から手を離さずに、声のトーンを一段階落とした。

 

「後は――天使を呼んでおいた方がいいですね」

 

「……なぜだ?」

東堂が訝しげに眉をひそめる。

 

「最悪を想定して。もし悠仁先輩が負けた場合、こっちに宿儺ともう一戦する余裕はないですから」

 

うみは自身と東堂に視線を回し、ひどく淡々とした口調で続けた。

 

「なので、万が一悠二先輩が負けた場合、領域が崩壊した瞬間に俺が宿儺をとっ捕まえます。

後は、そのまま諸共焼き殺していただくしかないかと。ま、最終手段ってやつです」

 

自己犠牲という言葉すら生ぬるい。自らの命すらも、目的のための単なる「盤面の駒」として組み込む冷徹なロジック。

その狂気的なまでの合理性を前に、五条と東堂は言葉を失う。

 

だが、五条はすぐに小さく息をつくと、巨大な黒い球体を見上げて微笑んだ。

 

「……却下。そんなバッドエンド前提のプランは採用しませーん」

 

「死の淵ギリッギリまで行った人に言われても説得力がありませーん」

 

呆れたように口を尖らせる教え子に、五条は小さく苦笑をこぼす。

張り詰めていた戦場に、僅かながらも確かな「日常」の温度が戻っていた。

 

「ま、待ってなよ。悠仁は、絶対に勝つから」

 

取り残された三人の術師は、巨大な黒い球体を見上げながら、ただ静かに、その決着の時を待つ。

 

「まぁまぁ。とりあえず、終わったら何食べるかでも考えようよ。僕は甘いものがいいなー」

「俺は……なんでもいいです。今は取り合えず寝たい」

「ハッハッハ! 疲れた身体には肉と相場が決まっておる! 俺が極上の焼肉を奢ってやろうぞ、弟よ!」

 

呪いの王との決戦の最中とは思えない、緊張感の欠片もない適当な会話。

だが、それこそが彼らが虎杖の勝利を微塵も疑っていない証でもあった。

 

そして、三人のとりとめのない会話が続いた、その時だった。

 

パキィィィンッ!!

 

ガラスが砕け散るような甲高い音と共に、巨大な黒い球体が弾け飛ぶ。

猛烈な突風と土煙が新宿の更地を覆い尽くした。

 

「……」

三人が無言で目を細め、舞い散る土煙の向こう側を見つめる。

 

やがて煙が晴れた視界の先。

そこには、ボロボロになった虎杖悠仁と、その腕に支えられるようにして倒れ込む、取り戻した「伏黒恵」の姿があった。

そして彼らの足元には、塵となって崩れ去る呪いの王の残骸。

 

完全なる、決着。

 

それを見た東堂が歓喜の雄叫びを上げようと息を吸い込んだ、まさにその時。

虎杖が満面の笑みで、外で待っていた三人に向かって元気よく叫んだ。

 

「みんな! 釘崎が生きてんだよ! アイツ、俺が戦ってる時に『共鳴り』を――」

 

「知ってますよ」

うみは瓦礫に腰を下ろしたまま、ひどくあっさりと虎杖の言葉を遮った。

「というか、多分知らなかったの悠仁先輩だけですよ?」

 

「……は?」

虎杖の笑顔が固まる。

 

「えー!! なんで教えてくんねぇの!?」

「だって悠仁先輩、隠し事とか絶対無理じゃないですか」

 

「ぐっ……! いや、俺だって隠し事の一つや二つくらい――!」

「そういうなら、ああいうのをデスク裏に隠すのはやめた方がいいですよ」

 

うみが淡々と、さも「見て知っている」かのような口調で告げる。

その瞬間、虎杖の顔色から血の気がスッと引いた。

 

「なっ……何で知ってんの!?」

あまりにも露骨に動揺し、冷や汗をかく虎杖。

それを見たうみは、逆に目を丸くしてポカンとした表情を浮かべた。

 

「……え、うっそ。マジでなんか隠してるんですか?」

「へ? ……ハッタリ!?」

「そりゃ適当ですよ。そもそも俺、悠仁先輩の部屋に入ったことないですし……」

 

自ら見事に地雷を踏み抜きにいった教え子の姿に、五条は腹を抱えて笑い出した。

 

「アハハハッ! まぁ、悠仁が隠し事できないってのはよーく分かったね」

「うわぁぁぁ! 忘れて! 今のナシ!!」

 

顔を真っ赤にしてパニックになる虎杖と、それにツッコミを入れる東堂。

呆れたようにため息をつきながらも、微かに口角を上げるうみ。

そして、その教え子たちを見守りながら笑い転げる最強の呪術師。

 

新宿に響く彼らの騒がしい声は、長く、あまりにも凄惨だったこの死闘が、

ついに終わりを告げたのだということを、確かに証明していた。

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