箸休めというやつです。妄想全開になってます。
本編がいいって人には先に謝っときます。ごめんなさい。
この話内のうみくんと三輪さんの服装イメージを貼っときます。
うみくん
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三輪さん
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少しは私を意識して! 〜無自覚な君との初デート〜
「……はぁ。どうしたらいいんだろ」
事の始まりは、あの新宿での決戦からおよそ半年が経過した、ある日のことだった。
都内某所にある、3LDKのマンションの一室。リビングのソファに深く腰掛け、
三輪霞はマグカップを両手で包み込みながら、これ以上ないほど重く長い溜息を吐き出した。
湯気と共に吐き出されたため息が、部屋の空気を少しだけ重くする。
「どうしたのよ、霞。さっきからため息ばっかり」
「クッキー、湿気っちゃうよ?」
向かいのソファで優雅に紅茶を飲んでいた禪院真依と、
カーペットの上でクッションを抱えてテレビを見ていた西宮桃が、不思議そうに首を傾げた。
決戦後、彼女たちの環境は大きく変わった。
自ら呪力と術式を手放して完全に『非術師』となっていた真依は、呪術界から距離を置いた。
西宮は無事に高専を卒業。
そして三輪自身は、渋谷で自らに科した『二度と刀を振るわない』という縛りを抱えていたため、
一線で戦う術師としての道を断念した。
しかし、呪術の世界から完全に離れることは選ばなかった。
彼女は現在、『窓』として高専に籍を置いている。
非術師となった真依、卒業生の西宮と共に上京し、こうして三人でルームシェアをしながら、新しい日常を歩み始めていた。
三輪はマグカップの縁に視線を落とし、ぽつりぽつりと心の内をこぼし始めた。
「……うみくんのこと、なんですけど」
「「あー」」
名前が出た瞬間、二人は「なるほどね」とでも言いたげに見事なハモリを見せた。
――月影うみ。
他者の術式を己の物とする『術式写経』を有し、異常なまでの呪力操作精度と学習能力で、
特級呪霊すらも圧倒し、あまつさえあの両面宿儺とすら渡り合って見せた術師。
いつしか周囲から「理外の模倣者」や「万能の術師」と呼ばれるようになった、現代最高峰の一角。
三輪はそんな彼に並々ならぬ想いを寄せているのである。
そして、三輪の彼に対する好意の矢印が完全にレッドゾーンを振り切っていることは、
もはや周囲の人間からすれば周知の事実となっている。
「あんなの一目見れば分かる。分からん奴は重度のクソボケよ」とはいつぞやの釘崎野薔薇の言だが、
その言葉通り、いまだにこの想いに気付いていないのは、標的である想い人当人くらいのものなのだ。
「うみくん、新宿の決戦の後もずっと五条先生たち大人に混ざって、
呪術界の事後処理に駆け回ってたじゃないですか」
新宿での決戦からうみはその異常なまでの知識量や技術力を買われ、
まだ十代半ばでありながら、大人たちに混ざって戦後の事後処理に奔走していた。
「最近やっとその激務も収まって、一緒にいられる時間が増えたのは凄く嬉しいんです。でも……」
三輪は眉尻を下げ、うーんと唸る。
「私のこと『頼りになる先輩』とか『一緒に戦う仲間』としか見てない気がして……。
どんなに優しくされても、完璧な気遣いをしてくれても、そこに『女の子』としての扱いは感じないというか……。
あくまで『仲間』や『先輩』に対する敬意の延長線上にあるような気がするんです」
三輪の切実な悩みに、真依は呆れたように肩をすくめ、わざとらしく大きなため息をついた。
「……あんたねぇ、今更すぎない? あの子は誰がどう見ても恋愛沙汰には疎いでしょ。
呪術師としては頼もしいかもしれないけど、恋愛方面はまごうことなきポンコツよ」
「そうそう。うみくん、優しくて可愛いくていい子だけど、
そっちのアンテナが完全に折れてるもんね。霞が自分から動かないと、一生『良い先輩』止まりで終わっちゃうよ?」
西宮の容赦ない追撃に、三輪は「うぐっ」と胸を押さえた。
「わ、分かってますよぉ……。でも、こんなの初めてだからどう動けばいいのか分からなくて……」
「なら、デートにでも誘っちゃいなさいよ」
「デッ!?」
真依の直球すぎる提案に、三輪はマグカップを取り落としそうになった。熱い紅茶が少しだけ手に跳ねるが、それどころではない。
「デ、デート!? むむむ無理です! 私からそんな、ハードル高すぎます!
もし断られたら明日からどんな顔して会えばいいか……!」
「断られる? あの子が? あるわけないじゃない。相手はあのうみよ?
もし誘った日に予定が入ってたとしても、別の日に無理やりでも時間を作るわよ。そういう子なのは分かりきってるでしょ」
「そうだよ霞! 善は急げ! ほら、スマホ貸して!」
西宮がベッドから飛び起き、半ば強引に三輪からスマホを取り上げる。
流れるような手つきでメッセージアプリを開く西宮の指先に、三輪はパニックに陥った。
「えっ、ちょ、桃先輩!? なに打ってるんですか!?」
「はい、送信っと」
「あぁぁぁぁぁ!?」
三輪が頭を抱えてベッドに突っ伏した、数秒後。
ピロン、と軽快な通知音が部屋に響いた。
『いいですよ。楽しみですね!』
秒速の即答だった。
画面を覗き込んだ真依が、ふっと口角を上げる。
「ほら、向こうは普通にOKしてくれたじゃない。……で、霞。当日は何着てくつもり?」
「えっ……服、ですか?」
三輪は恐る恐る自室のクローゼットを開け放った。
そこに並んでいたのは、窓としての業務で使いやすい動きやすいパンツスタイルの服か、
逆にカッチリしすぎた無難なスーツやブラウスばかり。
「……」
「……」
「……あ、あの」
「霞」
真依がこめかみを押さえて、重々しく口を開く。
「あんた、これで『女の子として意識してほしい』って言ってたの?」
「だ、だって! 動きやすい方がいいかなって……それに、ラフすぎても気合入ってないって思われちゃうかなとか……!」
「……ぜんっぜんダメね。『男と出かける服』じゃないのばっかり。一ミリも色気がないわ」
西宮がやれやれと首を振り、三輪の肩にぽんと手を置いた。
「ギャップよ、霞。普段見せないような可愛い服着て、ドキッとさせるの! ほら、今から買いに行くわよ!」
「えっ、今から!?」
こうして、真依と西宮による強制的なファッションプロデュースが幕を開けた。
東京の街へ繰り出した三人。三輪は普段の自分では絶対に選ばないような、
少しだけ女性らしいシルエットの淡いブルーのワンピースをあてがわれ、靴や小物に至るまで徹底的にコーディネートされた。
「……よし、これなら完璧ね」
「うんうん! 霞、すっごく可愛いよ! これなら絶対にうみくんも意識するって!」
試着室の鏡の前で見違えるようになった自分を見つめ、三輪はぎゅっと拳を握りしめた。
(よし……! これなら絶対に、少しは異性として意識してもらえるはず……!)
***
そして、時は流れて決戦の日の当日。休日の朝。
「はぁ……どうしよう、緊張して吐きそう……っ!」
シェアハウスの洗面台の前で、三輪は何度も深呼吸を繰り返していた。
真依と桃に見立ててもらったワンピースに身を包み、髪も丁寧に巻いた。
メイクも、ナチュラルだが血色感を強調した少しだけ大人っぽいものに仕上げている。
鏡に映る自分は、いつもの『三輪霞』よりも少しだけ背伸びをしているように見えた。
「大丈夫、深呼吸……! いざ、出陣……!」
両頬をパンッと叩いて気合を入れ、三輪は決死の覚悟で待ち合わせ場所へと向かった。
三輪がマンションを出て数分後。その気配を追うように、ひっそりと部屋の扉が開いた。
「よし……出たわね」
「ふふ、バッチリ尾行開始っと」
「急に人のこと拉致したと思ったら、三輪の尾行って。あんたら何するつもりなの? そもそも三輪はどこに行くのよ!」
突然の事態に抗議の声を上げる歌姫だが、真依と桃はそれを華麗にスルーして追跡を開始する。
かくして、『尾行部隊』は、三輪の背後を静かに追跡し始めたのであった。
***
一方、その頃。呪術高専東京校。
「あ、死んだ」
「マジか……って、伏黒! 回復! 回復頼む!」
「だから俺はヒーラーじゃねぇって言ってんだろ」
自販機の前で、虎杖悠仁と伏黒恵が缶ジュースを片手にスマホのゲームに興じていた。
そこへ、軽い足音が近づいてくる。
「おはようございます。朝から元気ですね」
声をかけられ、二人が顔を上げる。
そこに立っていたのは、自慢の後輩だった。だが、その格好に虎杖は思わず目を丸くした。
「お、うみ。今日私服じゃん。珍しいな」
「ええ、今日はお出かけなので」
うみは缶コーヒーを開けながら、何でもない様子で答えた。
いつもは無難で動きやすいパーカー姿か制服が多い彼だが、今日の装いは全く違った。
白いキャップから零れるように流れる、光を反射するプラチナブルーの長髪。
グレーのパーカーの上に羽織っているのは、多数のポケットやストラップがあしらわれた黒のオーバーサイズのタクティカルジャケット。
ボトムスは黒のジョガーパンツにタクティカルポーチを合わせ、足元はグレーのボリューミーなスニーカーで纏められている。
ダーク・ミニマル・ストリート。持ち前の中性的な美しさに、ストリートのラフさとタクティカルの無骨さが絶妙にマッチしており、
すれ違う通行人が男女問わず思わず振り返るであろう完成度だった。
「また五条先生か?」
伏黒が呆れたように尋ねる。休日にうみが連れ出されるとすれば、十中八九あの無責任教師のせいだからだ。
だが、うみの口から出たのは予想外の名前だった。
「いえ、今日は霞先輩とです」
ピタッ、と。
虎杖と伏黒の親指の動きが同時に止まった。ゲームオーバーのファンファーレが虚しく響く。
「三輪先輩と? へぇ、いってら」
「はい。行ってきます」
軽く手を上げて去っていくうみの背中を、二人はただ無言で見送った。
その直後だった。
「アンタたち、なんでこんなんとこでゲームなんてしてんのよ」
コツン、と足音を響かせて、釘崎野薔薇が自販機コーナーへとやってきた。
「別にいいだろ。お前こそ暇そうだな」
伏黒がスマホから目を離さずに返す。
「暇よ! 買い物も行ったし、映画も見たし……あーあ、なんかパァッと面白いことないわけ?」
釘崎が大きく伸びをしながらぼやくと、虎杖が何気なく口を開いた。
「面白いことかは分かんねぇけど、さっきうみがスゲェ格好で出かけてったぞ」
「……は?」
釘崎の動きがピタリと止まる。
「あのうみが? いつも動きやすさ重視のパーカーか制服しか着てないあいつが、わざわざスゲェ格好で?」
眉をひそめる釘崎。確かに、いつものパーカー姿でも十分様になっていて、
すれ違う人が思わず振り返るような雰囲気を持っている彼だが……
だからこそ、わざわざ気合を入れた服装というのは気になりすぎる。
「まぁ、あのパーカー姿でも十分に様になってて、一々絵になるのがズルいのよねぇ……」
「ああ。なんかモデルみたいだった」
「で? そのスゲェ格好でどこに行くって?」
「三輪先輩とお出かけだってさ」
「……は?」
釘崎の野次馬レーダーが、凄まじい警告音を鳴らし始めた。
「三輪さんと? 休日に? わざわざおめかしして、二人きりでお出かけ? それって……」
鼻息を荒くし、目をギラギラと輝かせる釘崎。
「デートじゃない!!!」
「……デート? うみが?」
伏黒が胡乱な顔をする。
「あいつにそんな自覚があるとは思えねぇけどな」
「行くわよ! アンタたち!!」
「は? なんで俺らが……」
「そうだよ、釘崎。うみのお出かけについてってどうすんだよ」
伏黒と虎杖が胡乱な顔で尋ねると、釘崎はビシッと二人を指差した。
「アンタたちはほんっとにバカね! いい!? あのド天然無自覚タラシのうみが、
純情乙女な三輪さんを相手にどんなデートをするのか……! 気にならないわけないでしょ!!」
「えっ、まあ、確かにちょっと気になるけど……」
「なら決まりね! 先輩として、あの子の晴れ舞台をしっかり見届けてやろうじゃないの! 虎杖、伏黒! 行くわよ!!」
「俺は行かねぇぞ。巻き込むな」
「問答無用!!」
半ば強引に首根っこを掴まれ、引きずられていく男子二人。
かくして、東京校の二年ズによる『尾行部隊』が結成された瞬間だった。
***
都内の待ち合わせスポット。大きな時計台の下。
待ち合わせ時間より少し早く着くように歩いていた三輪は、そわそわと周囲を見回しながら、何度もワンピースの裾を直していた。
(どうしよう、やっぱりこの服、私には似合ってないかな……。
変に気合入れてるって思われたらどうしよう……! メイク濃すぎなかったかな……)
心臓が口から飛び出そうになりながら時計台へと近づくと、
すでにそこには、人混みの中でひときわ目を惹くシルエットが立っているのが見えた。
(あれ、うみくん? っていうか、私より先に着いてる!? まだ30分くらいあるのに)
三輪がハッとして駆け寄ろうとすると、うみも彼女に気づき、ふわりと微笑みながら近づいてきた。
「――おはようございます、霞先輩。早いですね」
「あ、うん。おはよう! うみくんだって早いよ。いつ着いたの?」
「ほんの少し前ですよ。霞先輩を待たせるわけにはいかないですから」
その言葉と、穏やかな笑顔に三輪は一瞬で毒気を抜かれ、それからじわじわと顔が熱くなるのを感じた。
普段は無防備な彼が、今日のデート(彼がどう思ってるかは置いておいて)のためにわざわざ早く来ていた。
その事実だけで、三輪の脳内は幸せなピンク色に染まりそうになる。
「……そ、そうなんだ。ありがとう。待たせちゃってごめんね」
「いえ、とんでもない。霞先輩と遊びに行けるなら、待つ時間も悪くないですし」
うみはいつものように、柔らかく、けれどどこか掴みどころのない微笑みを浮かべる。
二人の間で、穏やかな春の風のような空気が流れていた。
――だが、それは二人の間だけの話である。
***
「……で。結局、どういうことなのよ」
二人が時計台の下で合流し、和やかに会話を始めたのを、
大通り沿いのカフェのテラス席から双眼鏡で覗き込む三つの影があった。
歌姫が、運ばれてきたアイスティーにストローを突き刺しながら、隣に座る西宮と真依を睨みつける。
「散々引きずり回しておいて、結局これなの?
三輪のデートの覗き見なんて、教師として付き合わされてる私の身にもなってよね。
……これって、ただのストーカーじゃない」
歌姫が呆れ果てて小声で抗議する。
すると真依は、双眼鏡から目を離さずにニヤリと口角を上げた。
「ストーカーだなんて人聞きが悪いじゃないですか。これはあくまで、霞の初デートを見守る保護者活動よ」
「そうそう。歌姫先生だって、気になるでしょ? あの二人のこと」
図星を突かれた歌姫が「うっ」と口ごもった、その時だった。
「……しっ。動くわよ」
真依が双眼鏡のピントを合わせながら、低く声を潜めた。
***
「あ、そうだ霞先輩。その服……」
うみが三輪の全身を一度じっくりと眺める。その視線に三輪は身を固くした。
真依と西宮と一緒に選んだワンピース。普段の自分とはかけ離れた可愛らしい服。
変だと思われていないだろうか。緊張で呼吸が浅くなる。
「すごく似合ってます。……いつもと雰囲気、違いますね。とってもカワイイですよ!」
「ッッ――!!?」
あまりの直球な誉め言葉に、三輪は息を呑み、目を見開いた。
その曇りのない無邪気な笑顔が、嘘偽りなく純粋にそう思っていることを物語っている。
その視線が、三輪の理性を容赦なく破壊していった。
「あ、あ、ああありがとうございます……!! う、うみくんも、そのすっごくかっこいい……です!」
「ありがとうございます! でも、何で敬語?」
「……っ!? あ、あぁぁ、ごめん! つい緊張しちゃって!」
三輪は真っ赤になった顔を手で覆い、バタバタと身をよじる。
「ふふっ緊張ですか? 緊張するほど遠い仲じゃないでしょう。
ちょっと距離感じちゃって寂しいです」
三輪は心臓が跳ね上がるのを感じた。
……「寂しい」? 今、この天然人たらしは、自分と距離が遠くて寂しいと言ったのか?
(落ち着いて私! うみくんは平気でこういうこと言っちゃう人なの!!)
三輪の頭の中が真っ白に染まりかけるが、なんとか理性で踏みとどまる。
「ち、違うの! その……うみくんが今日、すごく……っ、大人っぽくて、私が変な格好じゃないかって……緊張してて!」
「そうですか? 俺は今の霞先輩もすごく好きですけど」
さらりと爆弾を投下するうみ。
「……っっっ!!!」
三輪の思考回路は、完全に限界を突破した。
顔面から火が出るほど赤くなり、口をぱくぱくとさせて金魚のようになっている。
開始数分にして、彼女のHPはすでにゼロよ状態だった。
一方、そんな甘酸っぱい(?)やり取りを監視していた尾行部隊はというと。
「はぁぁぁぁぁ……っ! うみくん、恐ろしい子……!!」
カフェのテラス席で、西宮が机に突っ伏しながら身悶えしていた。
完全に致死量の尊さを浴びたオタクの反応である。
「あれで天然なんだからタチが悪いわよね。
霞のやつ、完全に茹でダコじゃない。あれじゃ最後まで持たないわよ?」
真依は呆れたように肩をすくめつつも、後輩のあまりのストレートな物言いに感心したように口角を上げている。
「なんであの子は……!
確かに私と硝子で『五条みたいなデリカシーのないクズ男にならないように』って色々教えてきたけど……!
どうしてあんなナチュラルなタラシモンスターに……!!」
歌姫は頭を抱え、自分たちの教育方針がどこかで間違えたのかと本気で戦慄していた。
そして、そんな様子の三人から少し離れたところわずかに離れた席。
新聞紙に穴を開けて顔を隠すという、昭和の探偵のようなベタすぎる変装をした第二の尾行部隊もまた、
うみの破壊力抜群な一言をバッチリ傍受していた。
「……やるじゃない、うみ。あのポンコツド天然がどこまでやれるか見物だと思ってたけど、初手から100点満点のクリティカルヒットよ」
釘崎が、我が教え子の成長を喜ぶ師匠のような謎の上から目線で、ウンウンと深く頷いている。
その隣で。
サングラスにマスク姿という極めて怪しい出立ちの伏黒は、何も言わず、スッ……と無表情のまま右手を高く掲げた。
その手には、先端に『10』とデカデカと印字された丸い札――審査用のスコアパドルが握られていた。
「いやぁスゲェよな。あいつまだ高1だぜ? なあ伏黒……ってお前何やってんの!?」
うみのスマートすぎる言動に純粋に感動していた虎杖だったが、隣の伏黒の奇行を見て全力でツッコミを入れた。
「お前、その札どっから出したの!?
そんなもん用意する時間なかったよな!? いつも持ち歩いてんのか!?」
「……10点だ」
「俺の質問に答えろよ!!」
虎杖のデカすぎるツッコミの声が、静かなカフェに響き渡る。
「……ちょっと、うるさいわね。誰よ」
その声は、テラス席で監視を続けていた真依たちの耳にもしっかりと届いてしまった。
真依が不審に思い、声のした方へ振り返る。
そこには、新聞紙に穴を開けた女と、10点パドルを掲げるサングラスマスクの男と、それにツッコミを入れるピンク髪の少年の姿。
「「「あ」」」
バッチリと目が合った。
「……ちょっと。なんであんたたちがここにいるのよ」
真依がこめかみをヒクつかせながら、東京二年ズが陣取る席へとズカズカと乗り込んでいく。後ろには桃と歌姫も続いている。
「それはこっちのセリフよ。先輩方に先生まで……揃いも揃って何してんのよ」
釘崎も負けじと新聞紙を下ろし、好戦的な笑みを浮かべて立ち上がった。
「決まってるでしょ。可愛い後輩の初デートをストーk……じゃなくて見守る保護者活動よ」
「奇遇ね。こっちも可愛い後輩の初デートを、野次うm……ゴホンッ、見届けている最中よ」
バチバチと火花を散らすかのように、無言で睨み合う真依と釘崎。
周囲の虎杖や西宮たちが「これは一触即発か……!?」と固唾を呑んで見守った、その直後。
数秒の沈黙を経て、二人の口角が全く同じ角度でニヤァ……と吊り上がった。
ガシッ!!
「「……フッ」」
真依と釘崎は、突如としてガッチリとお互いの腕を絡ませ合い、悪代官のような笑みを浮かべて深く頷き合った。
「……目的は同じみたいね、釘崎」
「ええ、先輩。ここは一時休戦して、共同戦線と行こうじゃない」
「望むところよ。三輪の初デートだもの。私たちが変に張り合って邪魔にでもなったら大変よ」
「こっちだってそれは本意じゃないわ」
普段は顔を合わせれば嫌味の応酬を繰り広げる犬猿の仲の二人が、
後輩のデートの覗き見というゲスすぎる目的を前に、かつてないほどの強固な絆で結ばれた瞬間だった。
「……普段そんなに仲良くねぇだろ」
伏黒が心底呆れたようにツッコミを入れる。
「いや、逆にすげぇよ。野次馬根性だけでここまで一つになれるなんて……」
虎杖が変な感動をしている横で、歌姫は頭を抱えていた。
「こんなこと……! ほんとは止めなきゃいけないのに!!
生徒のプライベートを覗き見するなんて教師のやることじゃないってわかってるのに……!!」
「シーッ! 歌姫先生、声おっきい! 二人にばれちゃう!」
桃が慌てて歌姫の口を塞ぐ。
こうして、無駄に豪華で混沌とした『東京・京都合同尾行部隊』がここに爆誕した。
だが、彼らは気づいていなかった。いや、忘れていたというほうが正しい。
彼ら・彼女らが後をつけているのが、現代最高峰の一角である術師だということを。
うみが長年術師として磨き上げた感覚は彼女らの存在を
(……なんで真依先輩と野薔薇先輩が腕組んでるんだろう。
それに桃先輩に歌姫さんや悠仁先輩、恵先輩までいる。……みんなでお出掛けなのかな?)
全く疑うことなく、うみは彼らを温かい目で見守ることにした。
うみの中では、彼らもただ休日をみんなで満喫しているだけ、という自己完結がなされた。
「うみくん? どうしたの?」
時計台の下で、ようやく顔の熱が引いてきた三輪が不思議そうに首を傾げる。
「何でもないですよ。霞先輩、今日はどこに行きましょうか?」
「えっと、近くに水族館があるから、そこに行きたいな……って思ってて」
「いいですね、行きましょうか」
そう言って歩き出そうとするうみ。
だが、三輪はそのうみのジャケットの端を、意を決してぐいっと引き止めた。
「……あ、あの! うみくん!」
「? どうしたんですか、霞先輩?」
きょとんと首を傾げるうみに、三輪は頬を朱に染めながらも、決死の覚悟で口を開く。
「え、えっとね。その『先輩』っていうの、そろそろなしにしてほしいなぁって。あと……」
三輪は一呼吸置き、さらに小声で付け加える。
「……その、敬語も……普通に話してほしいなぁって」
自分でも何を言っているのか分からないほど緊張した。
『先輩』という立場や、敬語という壁に守られていては、いつまで経っても『女の子』としては見てもらえない。
そう自分に言い聞かせ、うみの反応を待った。
うみは一瞬だけ目を瞬かせ、それから、コテッと小首を傾げた。
「そうですね……。じゃあ、これからは『霞さん』って呼びますね」
「か、霞……さん……っ」
三輪が、心臓が爆発しそうな音を立てて絶句した。
『先輩』という呼び方から、『さん』付けに変わるだけで、これほどまでに距離感が変わるものなのか。
いや、距離そのものよりも、彼が自分を一個人として認識してくれたという実感が、三輪の胸を激しく叩いた。
「敬語については……うーん。そうですね」
うみは顎に手を当て、少しだけ真剣な面持ちで考え込む。
「二人きりの時だけ、外しますね。
高専関係者とか、知ってる人がいるときは最低限通すべき礼節がありますし」
「……っ、う、うん……! お、お願い……しますっ……!」
三輪は顔を真っ赤にして、コクコクと激しく頷いた。
二人きりの時だけ。秘密の共有。そんな甘い響きに、彼女は卒倒しそうなほど舞い上がっていた。
「ふふっ♪ それじゃ改めて。行こっか、霞さん」
「う、うん……っ。い、いこう……うみ……っ、くん」
三輪は顔を覆ったまま、どもりながら懸命にそう返した。
この期に乗じて、うみのことを呼び捨てで呼ぼうかと思ったようだが、今の三輪にはまだ早かったようだ。
「霞さん、顔……というか、耳まで真っ赤だけど。大丈夫?」
うみは心配そうに、少しだけ身体を乗り出して三輪の顔を覗き込んだ。
その、あまりにも自然で、あまりにも距離感の近い動作に、三輪は息を呑む。
「……っ!? だ、大丈夫!! 全然、なんでもないから!!」
三輪は慌てて背中を向け、早歩きで歩き出した。
あまりにも動揺を隠そうとする彼女の不自然な動作に、うみは「……?」と不思議そうに首を傾げ、その後を追う。
「無理しちゃだめだよ? もし本当に危なくなったらちゃんと言ってね」
「だからなんでもないってば!! 行くよ、うみくん!!」
その様子を、隠れて見ていた尾行部隊はというと――
「……はぁぁぁぁぁっ!!」
西宮が手で口元を覆い、その場に崩れ落ちそうになっていた。
気づかれないようにと小さな声ではあるが、その迫力はMAX。絶叫といって差支えない。器用なものである。
「今の聞いた!? 聞いたよね!?『霞さん』だって……!
しかも二人きりの時だけタメ口……!」
「……恐ろしいわね。無自覚なまま的確に急所を打ち抜いてるわ。
霞じゃなくても堕ちるわよ。あれは」
さしもの真依も、思わず息を呑み、戦慄していた。
「なによ! あの天然タラシ!!」
釘崎が双眼鏡を握りしめながら、興奮気味に声を上げる。
「普通なら『ずっとタメ口で』って言うとこでしょ!?
そこをあえて線を引くことで、逆に特別感を演出してるのよ! 狡いわ!!
「……釘崎。お前、さっきから過激すぎやしないか? それとあれは素だ」
伏黒が呆れたような声で呟くが、釘崎は聞く耳を持たない。
「うるさいわね! あれが天然モノであってたまりますかって話よ!!」
その様子を遠巻きに見ていた歌姫は、頭を抱えて深々とため息をついた。
「……もう、見てられない。あの子、自分の何が破壊力高いか分かってないのよ……」
「でも先生。あの子を育てたのは先生たちだよ?」
西宮の容赦ない追撃に、歌姫は白目を剥きそうになった。
「だからそれが! 悔やまれるのよ!!」
歌姫はガシガシと自らの髪をかき乱す。
「ほんとに私は……私と硝子はどこで間違えたの……!?」
「……ま、いいじゃないですか。あの子も幸せそうだし……」
真依がどこか遠くを見る目で呟くと、歌姫はさらに頭を抱える。
「そう……だけど! でもあんなのが続いたら三輪が壊れちゃうわよ……!」
――各々がそれぞれの形で限界を迎えていた。正気なのは虎杖と伏黒だけである。
そんな背後の惨状を、当のうみはスルーしながら、二人で目的地へと歩みを進めていた。
電車に乗り込み揺られること数駅。最寄り駅で降りてから水族館までの道のりは、歩いて十五分ほどの距離だった。
春の穏やかな陽気の中、並んで歩く二人だったが――三輪の歩みは、普段よりも明らかに遅かった。
(うぅ……やっぱり、この靴ちょっと高すぎたかも……)
真依と西宮に見立ててもらった、ワンピースに合わせた華奢なヒール。
普段からスニーカーやローファーばかり履いている三輪にとって、不安定なピンヒールは、歩くという行為の難易度を跳ね上げていた。
変に力が入ってしまいそうになるのを、うみに気づかれないようにと必死に取り繕って歩く。
そんな三輪の視界の端から、スッ、と。
滑らかな動きで差し出された手が、三輪の右手の前に現れた。
「霞さん。手、繋ごう」
「……ふぇっ?」
驚いて顔を上げると、いつの間にか三輪のすぐ隣に寄り添っていたうみが、ふわりと微笑んでこちらを覗き込んでいた。
「普段履かない靴だから、歩きにくいでしょ?」
「あっ、いや、その……!」
図星を突かれて焦る三輪。
「それに人も多いしはぐれないように、ね?」
遠慮する隙など、微塵も与えない。
息をするように自然な、直球の提案。
うみは、三輪の右手を自分の左手で包み込むように優しく握り、ゆっくりと歩き出した。
三輪の手に重なったのは、白く細い、一見すると女性と見紛うような美しい手。
けれど、その手は驚くほど迷いなく、安心感をもって三輪の手を引いてくれる。
「ぁ……っ、う、うん……っ」
三輪はもう、限界だった。
彼の方から繋いでくれた手。自分のために合わせてくれるゆっくりとした歩幅。
ヒールを履いている分、いつもより少しだけ見下ろす形になる、銀青の髪が揺れる横顔。
(自分より小柄で、女の子みたいに綺麗なのに……っ! なんでこんなに……!!)
彼にとっては純粋な思いやりなのだろうが、三輪からすれば、それは致死量のときめきを持った凶器に他ならない。
(手、繋いじゃった……! うみくんと、手……!!)
三輪の脳内は完全にキャパオーバーを起こし、ただただ幸せな白紙状態へと陥っていた。
その後方十数メートル。電柱の陰から双眼鏡で覗き込んでいた歌姫が、震える声で呟いた。
「……ちょっと待って。なに今の」
「あんなスマートに手を取るなんて……しかも『人も多いしはぐれないように』って、大義名分まで用意して……」
「……見事ね。あんなの、並の男じゃ照れが入って絶対できないわよ。息をするようにエスコートしてるわ」
西宮と真依が感心しきったように腕を組む。
「なによアレ! いったい誰よ、あんな高等テクニック教え込んだのは!」
釘崎が興奮気味に吠える。
「普通に生きてたらあんな真っ当な紳士に育つわけないわよ!?」
「……た、確かにそうよねぇ。誰が教えたのかしらねぇ……アハハ」
周囲の鋭いツッコミに、歌姫は冷や汗をダラダラと流しながら、明後日の方向へと目を逸らした。
「いや、マジですげぇなうみ……俺、あんなセリフ絶対言えねぇわ……」
虎杖が妙な尊敬の眼差しを向ける中、その隣では伏黒がスッ……と無表情のまま右手を掲げていた。
手にあるのは、先ほどまで持っていた『10』の札。
しかし伏黒は、もう片方の手で別の札を取り出し、二つの札を見比べながら真剣な顔で呟いた。
「……いや、ここは12点か」
「だからお前なんでそんなもん持ってんだよ!!っていうか12点!?
そんな札この世に存在しねぇだろ! お前それ自作したのか!?」
「うるさい。少し黙ってろ」
「俺のツッコミ全無視!?」
尾行部隊がわちゃわちゃと騒いでいる間も、当人たちは目的地へとむけて歩みを進めていた。
***
休日の水族館は、家族連れやカップルでかなりの賑わいを見せていた。
エントランスを抜け、外の明るい陽射しから一転、館内は深海を思わせるような薄暗く幻想的な空間が広がっている。
「うわぁ、涼しい……それに、結構人多いね」
「休日だからね。……霞さん、暗いから足元気を付けてね」
そう言って、うみは繋いだ手に少しだけ力を込め、自分の側へと三輪を引き寄せた。
「っ……!」
ただでさえ手を繋いでいるというのに、人の波を避けるため、二人の肩が触れ合いそうなほど距離が縮まる。
(ちか、近い近い近い! うみくんとの距離が……!)
薄暗がりに助けられ、顔がゆでダコのように真っ赤になっているのがバレないことだけが、今の三輪にとって唯一の救いだった。
一方、そのすぐ後方。
「ちょっ、お前ライト消せ! 目立つだろ!!」
「暗くて札が見えないだろうが」
「そういう問題じゃねぇよ!!」
薄暗がりに紛れて尾行を続ける面々だったが、
伏黒がスマホのライトでパドルライトアップし始め、虎杖が必死にそれを消そうと揉み合っていた。
「アンタたちバカなの!? バレたらどうすんのよ!」
釘崎が二人を小突く横で、真依や桃は展示パネルの陰に隠れながら息を潜めている。
そんな騒がしい背後を余所に、二人は館内の目玉の一つである巨大な熱帯魚の水槽へと辿り着いた。
青く澄んだ巨大な水槽の中を、色鮮やかな魚たちが悠々と泳いでいる。
「……綺麗だなぁ」
ふと、うみが静かに呟いた。
それは、水族館の空間を純粋に楽しむ、年相応の無邪気な響きだった。
だが、三輪の視線は水槽の魚たちではなく、その青い光に照らされる彼の横顔に完全に釘付けになっていた。
(綺麗って……うみくんの顔の方が、何百倍も綺麗だよ……)
彫刻のように整った横顔に見惚れていると、うみがゆっくりとこちらに顔を向けた。
そして、じっと自分を見つめている三輪に気づき、コテッと小首を傾げる。
「……? どうしたの、霞さん。俺の顔に何かついてる?」
「へっ!? あ、ううんっ! な、なんでもないよ!」
「そう? ならいいんだけど」
慌てて水槽へと視線を逸らす三輪を不思議そうに見つめた後、
うみはふと、優しく尋ねた。
「霞さん、今日……楽しい?」
「えっ? う、うん! もちろん! すっごく楽しいよ!」
「そっか」
ほっとしたように目を細め、うみは一切の曇りもない、純度100%の無邪気な笑顔を咲かせた。
「よかったぁ。霞さんが楽しめてるなら、俺も嬉しい。
……今日、誘ってくれてありがとね。俺もすっごく楽しいよ」
――ドックン。
三輪の心臓が、今日一番の大きな音を立てた。
そこにあるのは、純粋な親愛と感謝。
恋愛感情は感じられないが、ただ真っ直ぐな好意。
それが分かるからこそ、三輪の胸の奥がきゅっと締め付けられる。
(あぁ、もう、ダメだ……)
三輪は、繋がれた右手から伝わる温もりを感じながら、限界を突破した頭でただ一つ、確信した。
(好き。……私、本当にうみくんのこと、大好きなんだ……)
***
「うぐぁぁぁぁ……っ!」
「う、歌姫先生!? しっかりして!! 息して!!」
水槽から少し離れた暗がりで、歌姫が頭を抱えたまま床に蹲り、
奇声を上げそうになるのを西宮が必死に羽交い絞めにして口を塞いでいた。
「……嘘でしょ。あれ、狙ってやってるわよね? 絶対狙ってるんでしょ? 誰か狙ってるって言って!!」
釘崎が、信じられないものを見るような目で水槽の前の二人を――正確にはうみを――指差してわななく。
「……残念ながら。あれが純度100%の素なのよね」
真依が、もはや呆れを通り越した遠い目で答えた。
「おしまいね。あんなのが野放しにされてるなんて。日本の司法は役に立たないわ」
「ええ。同感」
真依と釘崎が、恐れおののくように二人を見つめている。
「なぁ伏黒、お前なんで10と12の札両方上げてんだよ。腕疲れないのか」
「俺に話しかけるな。見逃すだろうが」
かくして、各々が別の意味で限界を迎えながら、水族館での時間は過ぎていくのだった。
***
館内をあらかた回り終えた二人が向かったのは、水族館に併設されている海を見渡せるカフェテリアだった。
開館から歩き回った疲れを癒やすには絶好の環境だ。
お昼時を少し過ぎた時間帯。うみは『期間限定・海のきらめきフルーツパフェ』を、
三輪はアイスティーと軽食を頼んで向かい合わせの席に座っていた。
「……霞さん、これ食べてみて。すごく美味しいよ」
ふと、うみが自身のパフェに添えられていた長いスプーンをすくい上げた。
パフェの上に乗った大粒の苺とクリームをちょこんと乗せる。
そして、息をするように、それを三輪の口元へと差し出した。
「……っ!?」
三輪の思考が、今度こそ完全に停止した。
(こここ、これって……っ!こ、恋人とかがする、"アレ"……だよね!?)
うみから、じっと見つめられながらスプーンを差し出される。
周囲には他にも客がいる。そんなシチュエーションで、
しかも微塵も照れることなく「あーん」をしてしまううみの無邪気さは、殺人的な威力を秘めていた。
「どしたの? もしかして苦手だった……?」
コテッと首を傾げ、心配そうに覗き込んでくる。
「う、ううんっ! そんなことないっ!!」
慌てて首を振った三輪は、意を決して口を開き、ぱくっと苺を咥えた。
「……どう? 美味しい?」
キラキラとした目で感想を待つうみ。
嬉しいやら、恥ずかしいやらでぐちゃぐちゃになった内心で、三輪は顔を真っ赤にしてコクコクと激しく頷いた。
「お、おいしい……っ! すごく、おいしい……!」
(味なんて全然分かんないよ〜〜っ!!)
表面上は必死に笑顔を作って答えるものの、三輪の内心はパニック状態だった。
口の中に広がっているはずの苺の甘酸っぱさもクリームの甘さも、
致死量のときめきの前では完全にどこかへ吹き飛んでしまっている。
「よかった! もっと食べる?」
「だ、大丈夫!! まだ自分のもあるし!」
***
そんな光景を、カフェテリアの観葉植物の陰から盗み見ていた尾行部隊は、凄まじいことになっていた。
「……っぁああああああ!!!」
釘崎がメニュー表を握りしめ、テーブルに伏している。
「いったいどうなってんのよ! あの子は!!
なんでそうやって次から次へと、息をするように爆弾投下できんのよ!
しかも行動起こすたびに、いちいち破壊力更新してんじゃないわよ!!」
「デートとしてはこれ以上ないくらい大成功なんだから、
『よかったわね』って喜ぶべきなんでしょうけど……流石にちょっと可哀想になってくるわね」
真依が頭を抱えながら、呆れと同情の入り混じった溜息をつく。
「公衆の面前であんな……! それも平然と……ッ!! 誰よあんなこと教えたバカは!!」*1
自らの所業を完全に棚に上げて発狂しかける歌姫に、周囲の女子陣は揃ってジト目を向けた。
そんな女子陣の阿鼻叫喚をよそに、隣の席では伏黒がスッ……と無表情のまま右手を掲げていた。
手にあるのは、もはや見慣れてしまった自作のパドル。
しかしそこに書かれている数字は『15』だった。
「お前その札どこまで数字用意してんだよ!!」
虎杖が目をひん剥いてツッコむ。
「うるさい。この流れるような動作と嫌味のなさ。15点に値する」
「採点基準すら知らねぇよ! てか誰目線なんだよお前は!!」
ギャーギャーと騒ぐ尾行部隊の中で、虎杖だけが首を捻りながらポツリと呟いた。
「いや、でもうみのやつ、ああいうの普通にするよな。俺にもたまに『これ美味しいですよ!』って突っ込んでくるし」
その至極真っ当で平和な事実を口にした瞬間。
「「「アンタと霞(三輪さん)を一緒にすんじゃないわよ!! バカ!!」」」
女性陣全員から一斉に怒鳴られ、虎杖は理不尽な暴力*2を受けることになった。
そんな背後の修羅場とも知らず、
うみは「霞さん、この後は少し移動して、大型ショッピングモールでも行ってみない?」と、
次なる提案をしていた。
三輪のHPが、いよいよ消滅の危機に瀕しているとも知らずに。
***
水族館を出た二人は、少し歩いた先にある大型ショッピングモールへとやってきていた。
休日の午後ということもあり、館内は多くの買い物客で賑わっている。
アパレルショップや雑貨屋を見て回りながら、穏やかな時間を過ごす二人。
そんな中、ふと三輪の足がピタリと止まった。
彼女の視線の先にあるのは、ガラス張りの洗練された外観が目を引く、有名なジュエリーブランドの店舗だった。
ショーウィンドウには、スポットライトを浴びてキラキラと輝くシルバーのネックレスやチャームが美しくディスプレイされている。
(わぁ……綺麗……)
ウィンドウ越しの輝きに、三輪は思わず吸い寄せられるように見入ってしまった。
特に、中央に飾られた小ぶりで上品なブルーストーンのネックレスから、どうしても目が離せない。
自分の私服には合わないかもしれないけれど、それでも『女の子』として、純粋に憧れてしまうような輝きだった。
「霞さん? どうかした?」
少し前を歩いていたうみが、三輪が立ち止まっていることに気づき、不思議そうに戻ってきた。
「へっ!? あ、ううんっ! なんでもないよ、ちょっと見てただけ!」
慌てて誤魔化すように笑う三輪。
うみは彼女の視線の先――ショーウィンドウに飾られたジュエリーたちへと目を向けた。
「ああ、そっか。ここのアクセサリー、有名だよね。デザインもシンプルだし、こういうの一個持ってると便利だよね」
「う、うん。そうだね……」
三輪は少しだけ目を伏せ、自嘲気味に、けれどどこか優しく微笑んだ。
「でも、私には無縁かなぁ」
ショーウィンドウから視線を外し、どこか遠くを見るような、そんな切ない横顔。
それを見て、うみの脳裏に、いつかの夕暮れ時の記憶がふっと蘇った。
まだ出会って一ヶ月も経っていない、任務の帰り道でのことだ。
『家のためで、お金のためで……まあ就職活動みたいなものって思って術師になったの』
うみは知っている。彼女が誰よりも家族想いで、自分のことよりも他人のために頑張れる、優しくて強い人だということを。
呪術師として命を懸けていたのも、今こうして『窓』として働いているのも、すべては家族のことを第一に考えているからだ。
「……」
うみは静かに目を細める。
自分の欲よりも、家族の生活。
それが三輪霞という少女の、優しくも尊い現実だった。
「うん。だから、いいの! ほら、行こっか」
三輪は未練を断ち切るようにパンッと両頬を軽く叩くと、いつもの明るい笑顔を作って歩き出した。
「……ん。そうだね」
うみは、少しだけ先を歩く三輪の背中を見つめながら、ショーウィンドウの煌めきをその瞳にしっかりと焼き付けた。
***
二人が次に向かったのは、少し落ち着いた雰囲気のメンズアパレルショップだった。
「さっきは私の見たいとこ付き合ってもらっちゃったし、次はうみくんの服を見よう!」
「俺のを?」
「うん! 私が言えたことじゃないんだけどさ……うみくんって、
いつもパーカーばっかり着てるイメージだから。今日もジャケットの下、パーカーだし」
三輪はくすくす笑いながら、うみの着ているグレーのパーカーを指差した。
「だから、たまには全然違う感じのもいいんじゃないかなって思って!」
「なるほど……たしかにクローゼットの中8割くらいパーカーかも……」
そう言って、三輪は楽しそうに店内を見て回る。
「うーん、うみくんは何でも似合いそうだけど……あ、これとかどうかな?」
三輪が手に取ったのは、春らしい軽やかな素材の、淡いグレーの薄手カーディガンとシンプルなインナーのセットだった。
今のストリート系の服装とは違う、少し大人っぽくて綺麗めなデザインだ。
「霞さんのおすすめですか?」
「うん! 絶対似合うと思う!」
「じゃあ、ちょっと着てみますね」
うみは素直に頷き、三輪から服を受け取って試着室へと入っていった。
数分後。
「――霞さん、どう?」
カーテンが開く。
そこには、三輪の見立てた綺麗めなカーディガンを完璧に着こなすうみの姿があった。
持ち前の中性的な美しさが、柔らかい色合いの服によってさらに引き立っており、
まるでファッション誌から抜け出してきたモデルのようだった。
「っ……!!!」
(か、かっこいい……っ! というか美しすぎる!! 私なんかの適当なチョイスなのに、なんでこんなに完璧なの!?)
「霞さん?」
「す、すっごく似合ってる!! めちゃくちゃカッコいいよ、うみくん!」
興奮のあまり、語彙力を完全に失った三輪が力説する。
すると、うみはパァッと花が咲いたような会心の笑顔を見せた。
「本当ですか? よかった。……あの、霞さん。もしよかったら、もう少し選んでもらってもいい?」
「えっ?」
「霞さんのおすすめ、すごく気に入ったから、この際いくつか買っておこうかなって」
「! もちろん! 任せて!」
三輪は嬉々として店内を歩き回り、うみに合いそうな服を次々とピックアップしていく。
「このシャツも絶対似合うし、あっちのパンツもいいかも……」
(……あれ?)
ふと、ハンガーを手にした三輪の動きがピタリと止まった。
(よく考えたら、うみくんのクローゼットが私の選んだ服で埋まっていくってことは……
これって実質、私がうみくんを『私色に染めてる』ってこと……!?)
恋する乙女の妄想力というものは、時に凄まじい飛躍を見せるものである。
自分から言い出したこととはいえ、唐突に脳内に湧き上がった、凄まじく図々しくも甘すぎる妄想。
彼氏の服を選ぶ彼女、というシチュエーションの破壊力に今更気づき、三輪の顔面はみるみるうちに沸騰していく。
「か、霞さん? 急にどうしたの? 顔、真っ赤だけど……」
「なんでもないっ!! なんでもないです!!」
自らの邪な想像で見事に自爆し、顔を覆ってしゃがみ込む三輪。
そんな彼女の様子に「?」と首を傾げながらも、うみは三輪が選んでくれた服をすべて抱え、ホクホク顔でレジへと向かった。
***
「……三輪さん、急にどうしちゃったわけ?」
少し離れた物陰から様子を窺っていた釘崎が、突然顔を覆ってしゃがみ込んだ三輪を見て胡乱な目を向ける。
すると、真依と西宮がやれやれと首を横に振った。
「どうせまた自分の妄想でキャパオーバーでもしたんでしょ。最近、そこそこの頻度であるのよねぇ、あれ」
「うんうん。霞ってば、一人で勝手に限界突破しちゃうからね」
「なるほどね……」
呆れ返る女子陣。だが、ふと釘崎が別の疑問を口にした。
「でも、あの子あんなに大量に服買って、お財布大丈夫なの? ここ、けっこういい値段するブランドよ?」
すると、新聞紙の穴から覗き込んでいた伏黒が、淡々と答えた。
「大丈夫だろ。最近、『億超えた』って言ってたしな」
「「「……は? 億? 何が?」」」
歌姫以外の全員の動きがピタリと止まった。
「貯金が」
伏黒のあまりにも淡白な返答に、その場に静寂が落ちる。
「「「「…………」」」」
「……まあ、あいつは術師歴自体は長いしな。こん中でアイツより長いの、庵先生くらいだろ」
「長いだけで稼げる額じゃないわよ!! 私だってそんなに稼いでないんだから!!」
伏黒の的外れなフォローを、歌姫が血涙を流さんばかりの勢いで否定する。
すると、これまで黙っていた虎杖が、首を傾げながら鋭い一閃を放った。
「……もしかして、冥さんが色々教えてんじゃねぇの? 稼ぐって言ったら、やっぱあの人でしょ」
「「「「あー……」」」」
全員の脳裏に、あの守銭奴の一級呪術師がうみに怪しい資産運用を吹き込んでいる姿が容易に想像でき、変な納得と共にその場は収束したのだった。
***
***
「ご、ごめん! 私、ちょっとお手洗い行ってきてもいいかな!?」
アパレルショップを出た直後。自らの妄想で沸点に達した顔面をどうにか冷やすため、
三輪は両手で頬をパタパタと扇ぎながら、逃げるようにそう申し出た。
「もちろん。ゆっくりで大丈夫だからね。俺はそこで待ってるから」
うみは一切の怪訝さを見せず、爽やかな笑顔で三輪を見送った。
三輪が小走りで通路の角を曲がり、完全にその姿が見えなくなった――まさにその瞬間だった。
うみはクルリと踵を返すと、迷いのない足取りで、先ほど通ってきた道を戻り始めた。
休日のモールは人がごった返しているにも関わらず、うみの足取りには一切の無駄がなかった。
行き交う人々の動きを完全に先読みしているかのように、
誰とぶつかることもなく滑らかに、人の波の合間を縫うように歩みを進めていく。
決して走ったり悪目立ちするような動きはしていないのだが、
その迷いのない最短距離での移動は、結果的に凄まじい早さとなっていた。
「……ちょっと! あの子、どこ行くの!?」
少し離れた物陰から様子を窺っていた釘崎が、素早く反応した。
「明らかに何か目的がある動きね。……釘崎、桃。私たちはこのまま霞を待つわよ」
「ええ。虎杖! 伏黒! あんたたちはうみを追跡しなさい!」
真依の的確な指示と釘崎の怒声により、尾行部隊は二手に分かれることになった。
「お、おう!」「……チッ、人使いの荒い」
男子陣二人は文句を言いながらも、足早に遠ざかるうみの背中を慌てて追いかけた。
***
「……あいつ、さっきの店じゃねぇか」
数分後。人混みを掻き分けてうみに追いついた虎杖と伏黒が見たのは、
先ほど二人が足を止めていた、ジュエリーブランドの店舗だった。
ガラス張りの洗練された店内で、うみは一直線にショーウィンドウへと向かい、店員に何かを尋ねている。
『あそこのネックレスを見せていただけますか』
店員が恭しく取り出したのは、しずくモチーフのアクアマリンが輝く上品なネックレスだった。
『ありがとうございます。……うん。やっぱりいいな」
『あの、これを――』
店員に告げようとしたうみの視線が、ふと、隣のショーケースでキラリと光ったものに吸い寄せられた。
言葉を切り、少しだけ固まるうみ。
その視線の先にあるのは、繊細な意匠が施されたシルバーのアンクレットだった。
『……すみません。あっちのアンクレットも見せていただけますか?』
うみは静かに二つのアクセサリーを見比べる。
『う~ん……やっぱりネックレス? でも……』
数秒の熟考。そして。
『これとこれ、両方お願いします』
うみは笑顔で店員にそう告げてスムーズに会計を済ませた。
「すげぇな、あいつ。ほぼ迷わなかったぞ」
「……おい。あのブランド、確か最低でも十万は下らねぇはずだぞ」
「じゅっ!? マジで言ってんの!?」
遠巻きに見ていた虎杖と伏黒は、その決断の早さと金銭感覚のバグり具合にただただ戦慄した。
「ま、まぁ、あいつがやばいのはこの際置いとくとして……」
「ああ。ただ普通に買い物してただけだな」
そうこうしている間に、会計を済ませたうみが店から出てきた。
店員から上品な小さなジュエリーボックスを二つ受け取ったうみは、
紙袋を辞退すると、着ているタクティカルジャケットの内ポケットへと放り込んだ。
「……あいつ、術式使いやがった」
「あれ便利だよな! 荷物になんねーし」
「そういうことじゃねーよ……まあいいか周りには気づかれてねぇみたいだし」
目的を終えたうみは、再び人混みを縫い、先ほどの場所を目指して歩き出す。
「おっ、戻るみたいだな。俺らも戻るぞ、伏黒」
「ああ」
かくして、男子陣は「ただ買い物をしていた」という事実を持ち帰り、女子陣との合流を果たすことになった。
***
「ごめんね、お待たせ!」
ほどなくして、顔の赤みが引いた三輪が足早に戻ってきた。
「いえ、全然待ってないですよ。少し休みますか?」
「ううん、大丈夫! 次、行こっか!」
何事もなかったかのように爽やかに微笑むうみ。
そのまま二人そろって歩き出した。
その直後、少し離れた柱の陰で、男女の尾行部隊が合流を果たした。
「ちょっと、あの子どこ行って何してたのよ!?」
合流するなり、釘崎が小声で虎杖の胸ぐらを掴む。
「ん? なんか普通に買い物してただけだぞ」
「は? 何でわざわざ霞がいない隙に?」
「個人的なやつだから、ちょうどよかっただけじゃねぇの?」
虎杖と伏黒によるあまりにもボカされすぎた、そして要領を得ない呑気な報告。
「……ふーん、あっそ。まぁ、あいつのことだしね」
この、男子陣の絶望的なまでの『ポンコツ報告』により女子陣の警戒はあっさりと解かれた。
この時の彼女たちは知る由もなかった。
この男子陣による致命的な事実の隠蔽(無自覚)と、それによる一瞬の油断が、
少し先の未来で『命取り』になるなどとは――。
***
(楽しい時間は、どうしてこうもあっという間に過ぎてしまうのだろうか)
水族館を堪能し、ショッピングモールでの買い物を終えた二人が最寄り駅に着いた頃には、
すっかり日は落ち、街は夜の帳に包まれていた。
駅からシェアハウスのあるマンションまでの、短い帰り道。
等間隔に並ぶ街灯が、並んで歩く二人の影を長く伸ばしては重ねていく。
「……今日は一日、付き合ってくれてありがとう。うみくん」
「こちらこそ。すっごく楽しかったよ」
うみは相変わらず、一切の曇りもない爽やかな笑顔でそう返してくれた。
その笑顔を見つめながら、三輪は歩幅を合わせつつ、小さく息を吐いた。
(本当に……夢みたいな一日だったな)
勇気を出して誘った、初めてのお出かけ。
特別な服を着て、少しだけ背伸びをしたメイクをして。
『先輩』という壁を少しだけ壊して、名前で呼び合って、手まで繋いで。
彼の言動一つ一つに心臓が爆発しそうになり、顔から火が出るほど照れて、
何度もキャパオーバーを起こしたけれど……それでも。
(うみくんは、ずっと優しかった)
歩きにくいヒールを気遣ってくれたこと。
水族館で人混みから守ってくれたこと。
そして、自分のおすすめした服を心から喜んでくれたこと。
(……そういえば。今日って、少しでも私のこと『女の子』として意識してほしくて気合い入れたんだったな)
ふと、今朝の真依や桃とのやり取りを思い出す。
結局のところ、彼の目に自分がどう映っていたのかは、正直よく分からない。
数々のスマートな気遣いも、特別な恋愛感情からくるものというよりは、
彼本来の優しさや『親愛』からくるものだということは分かっている。
(でも……まあ、いっか)
少しもどかしくはあるけれど、彼が自分に向けてくれたその親愛と優しさは、間違いなく本物だった。
これ以上ないくらい楽しくて、すごく幸せな時間だったから。
(……これで、今日のデートはおしまい、か)
目の前に、真依や桃たちと暮らす見慣れたマンションが見えてきた。
今日という一日が終わってしまう寂しさが、胸の奥をきゅっと締め付ける。
もう少しだけ、このままでいたい。そんな我儘な感情をぐっと飲み込み、
三輪はマンションのエントランス前で立ち止まり、うみに向き直った。
「それじゃあ、ここで。……今日は本当に、ありがとうね」
「うん。いっぱい歩いたし、しっかり休んでね」
うみが優しく微笑み返す。
その完璧な別れの挨拶に、三輪はほんの少しだけ寂しさを覚えながらも、「うん、おやすみ!」と最高の笑顔を作って踵を返そうとした。
――その時だった。
「……あ。霞さん、ちょっと待って」
背中を向けようとした三輪を、うみの穏やかな声が引き止める。
「え?」
三輪が振り返ると、うみは着ていたタクティカルジャケットの内ポケット
――正確には、服が作る『影』の中へとスッと右手を差し込んでいた。
***
「……ふぅ。どうやら無事に送り届けたみたいね」
マンションから少し離れた路地の陰。
一日中二人を尾行し続けていた真依が、双眼鏡を下ろして安堵の息を吐いた。
「いやぁ、霞もよく最後まで持ち堪えたわ。何度か昇天しかけてたけど」
西宮もやれやれと首を振りながら、固まっていた肩を回す。
「まったくね。それにしても、最初から最後まで全開だったわね」
釘崎も大きく背伸びをして、ようやく監視任務から解放されたことにホッと胸を撫で下ろしていた。
「まぁ、何もなくて良かったわよ……。ほんと、私の寿命が縮むかと思ったわ……」
歌姫に至っては、もはや疲労困憊で壁に寄りかかってぐったりとしている。
一方、男子陣はというと。
「おっ、終わったか。腹減ったな〜、伏黒、ラーメン食って帰らね?」
「……そうだな」
朝から一日中付き合わされた彼らも、ついに訪れた『デートの終わり』を前に、
完全に警戒を解き、今日の夕飯のことなど考え始めていた。
そう、誰もが完全に油断していたのだ。
この日一番の、そして最大火力の『爆弾』が、今まさに投下されようとしていることなど、知る由もなく。
***
「うみくん? どうし――」
三輪が問いかけようとした瞬間、影から引き抜かれたうみの右手には、二つの小さな箱が握られていた。
上品なリボンがかけられた、見覚えのあるジュエリーボックス。
それを見た瞬間、三輪の思考がフリーズする。
「これ。霞さんにプレゼント」
うみはそう言って、ぽかんとしている三輪の両手に、その二つの箱をそっと乗せた。
「えっ……? これって、あのお店の……?」
「うん」
うみは少しだけ照れくさそうにはにかむと、真っ直ぐに三輪の目を見つめた。
「ショーウィンドウ、ずっと見てたでしょ? 霞さんに絶対似合うと思ったから」
「っ……!!」
(見て、た……!? 気づかれて……!?
しかもわざわざ、私がいない隙に買いに行ってくれたの!?)
思考回路がショート寸前になる中、三輪は震える声で尋ねる。
「あ、あ、開けても……いい、かな……!?」
「もちろん」
三輪はわたわたと焦りながらも、丁寧にリボンを解き、一つ目の箱を開けた。
そこに収まっていたのは、ショーウィンドウで彼女が目を奪われていた、あのブルーストーンのネックレスだった。
「これ……っ」
青く澄んだ輝きを目にした瞬間。
先ほどまでのパニック気味だった思考がふっと凪ぎ、代わって、胸の奥からじんわりと温かいものが込み上げてくる。
ただただ、嬉しくて、幸せで。
三輪は、箱を持ったまま少しだけ視線を上げ、うみを見つめた。
「うみくん」
「ん?」
「あの……これ。着けてもらっても、いいかな……?」
少しはにかみながら、上目遣いでお願いする三輪。
するとうみは、パァッと花が咲いたような笑顔を見せた。
「うん。もちろん」
うみは箱からそっとネックレスを取り出すと、三輪の背後へと静かに回り込んだ。
「髪、少し押さえるね」
「ひゃっ……!」
うみの白く細い指が、三輪の髪をそっと持ち上げる。
首筋に触れる彼の指先の微かな冷たさと、耳元を掠める彼の吐息。
カチャリ、と小さな留め具の音が響き、三輪の胸元に美しいアクアマリンが降り立った。
三輪はもはや、立っているのすらやっとの状態だった。
「うん。やっぱりすごく似合ってる」
うみが前に戻り、満足そうに微笑む。
「あ、ありが……とう……っ」
そして、三輪は震える手でもう一つの箱を開けた。
「こっちは……あ、アンクレット……?」
「うん。ネックレス見に行ったときに、見つけちゃってね。これも似合いそうだなぁって思ったから」
そして、とどめとばかりに、純度100%の無邪気な笑顔が向けられる。
「それに、これならネックレスと違って任務の時でも使えるでしょ?」
ドッッッカァァァァン!!!
三輪霞の脳内で、今日何度目か分からない、そして今日最大の爆発音が鳴り響いた。
***
「ちょっと待っ――!!!!!!?????」
路地裏で、釘崎が目玉が飛び出そうなほどに見開いて絶叫しかけ、真依と桃が慌ててその口を物理的に塞いだ。
しかし、口を塞いでいる二人もまた、信じられないものを見るような顔でマンション前の二人を凝視している。
「あの子、いつの間にあんなものを……!」
「……っ! まさか、あの時……!! おいこらバカ共ォ!!」
西宮は絶句し、釘崎が塞がれた口の隙間からくぐもった声で叫び、
背後にいた虎杖と伏黒の首根っこをガシッと掴んで前後に激しく揺さぶる。
「えっ!? な、なんだよ!? 別にいいじゃんかよ!」
「ああ。何買ったかまでは俺たちも知らなかったしな」
「だからそれが大問題だって言ってんでしょーが!! この節穴!!」
一方、歌姫はというと……。
「……(スッ)」
もはや声すら出ず、頭を抱えたまま無言で路地裏の壁を滑り落ち、完全に崩れ落ちていた。
かくして、最後にして最大の爆弾は、最高のタイミングとシチュエーションで、三輪霞へと着弾したのだった。
***
「……ただいまぁ」
シェアハウスの玄関ドアを閉めた瞬間、三輪はそのままズルズルとその場に座り込んだ。
胸元には、ひんやりとしたアクアマリンの感触。そして手には、もう一つの小さなジュエリーボックス。
耳元には、つい先ほどの彼の吐息と声が、まだ鮮明に焼き付いて離れない。
「あぁ〜〜〜……っ、夢じゃ、ないんだ……っ」
顔を真っ赤にして、幸せを噛み締めるように両手で頬を覆う。
そのままふらふらとした足取りでリビングに向かい、ソファに倒れ込んだ、その時だった。
ガチャリ、と再び玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー。あら、霞。もう帰ってたの?」
「おかえり霞! デート、どうだった!?」
先ほどまで路地裏で阿鼻叫喚の地獄絵図を繰り広げていた真依と西宮が、
尾行していたことなど微塵も悟らせない、完璧な『何も知らないルームメイト』の顔でリビングに入ってきた。
「ま、真依先輩! 桃先輩! お、おかえりなさい……!」
慌ててソファから身を起こす三輪。そのだらしなく緩みきった顔を見れば、どうだったかなど聞くまでもない。
「ふふっ、顔真っ赤にして。……で? どうだったわけ?」
「えっと、その、すっごく、楽しくて……!」
もじもじと語り出そうとする三輪。
と、そこで真依が、わざとらしく目を丸くして三輪の胸元を指差した。
「……ちょっと待って。あんた、そのネックレス、どうしたの?」
「えっ? あっ……!」
「もしかしてもしかして!? うみくんに買ってもらったの!?」
西宮も、今日初めて見たような完璧なリアクションで三輪に詰め寄る。
「あ、は、はい……っ。似合うと思うからって……その、うみくんが着けて、くれて……っ」
「「キャアアアアァァァァァァッ!!!」」
真依と西宮が、今度こそ本物の(?)悲鳴を上げて三輪に飛びついた。
「嘘でしょ!? あのうみが!? しかも着けてくれたって!!」
「やるじゃない! やるじゃない霞!! で!? その時どんな顔してたの!? なに言われたの!?」
「えっ、えっと、髪少し押さえるねって……」
「ひゃーっ! なにそれズルい!」
西宮がクッションをバシバシと叩きながら身悶える。
真依も口元を手で覆いながら、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて三輪の顔を覗き込んだ。
「でもさぁ、霞。男の人がネックレスをプレゼントする意味ってたしか……
『いつも一緒にいたい』とか『あなたを独占したい』って意味だったわよねぇ?」
「そ、そうそう! 年頃の女の子なら誰でも知ってる常識だよねーっ!」
「えっ!? あ、ああああの、うみくんは絶対そういうの知らずに、ただ似合うからって……!」
「ふふっ、どうかしらねぇ? 無自覚だとしても、深層心理の表れなんじゃないの?」
「うぅぅぅ〜〜〜っ……!」
そこからはもう、怒涛の質問責めである。
完全に女子会のノリでとことん弄り倒され、三輪の顔面はすでにゆでダコの限界点に達していた。
「いやぁ、まさかあのうみくんがねぇ。……ん? 霞、そっちの箱は?」
ふと、西宮がテーブルの上に置かれたもう一つのジュエリーボックスに視線を落とした。
「あ、これですか? これも一緒に買ってもらって……。アンクレットなんですけど、
ネックレスと違って足元なら任務の時でも着けられるでしょって……」
照れくさそうに笑う三輪に、真依と西宮は顔を見合わせた。
二人の顔に、純粋な疑問が浮かぶ。
「へぇ……アンクレット。でもさ、指輪とかネックレスって贈る意味が有名だけど……
アンクレットにもなんかあったわよね?」
「えっ? そうなんですか?」
「確かあったはずよ。私も詳しくは知らないけど……ちょっと霞、スマホで調べてみなさいよ」
西宮に急かされ、三輪はコクリと頷いて自分のスマホを取り出した。
検索窓に『アンクレット プレゼント 意味』と打ち込み、検索ボタンを押す。
数秒後。
一番上に表示された検索結果のページを開いた三輪の動きが、ピタリと止まった。
「……霞?」
真依が怪訝そうに覗き込もうとした、次の瞬間。
「ッッッあぁぁぁあああああああああああああああああ!!!!!!?????」
ボンッ!!! と、三輪の頭頂部から物理的な蒸気が吹き上がったかのような錯覚が起きた。
三輪は持っていたスマホを放り投げると、そのままソファのクッションに顔を埋め、
手足をバタバタとさせて凄まじい勢いで身悶えし始めた。
「ちょっ、霞!? なに!? どうしたのよ!!」
「えっ、なに!? なんて書いてあったの!?」
突然発狂して悶絶し始めた後輩に驚きつつ、真依と西宮は放り出されたスマホの画面を急いで覗き込んだ。
そこには、アクセサリーの持つジンクスや意味を解説するサイトが表示されていた。
そして、その『アンクレット』の項目には、こうデカデカと記されていたのである。
『アンクレットをプレゼントする意味――それは、足枷から転じた【あなたは私のもの(束縛)】』
『さらに、それを左足に着ける意味は――【私には恋人・婚約者がいます】』
「「…………」」
スマホの画面と、ソファで「うぅぅぅぅ……っ!!」と限界突破して震える三輪を交互に見比べ、
真依と西宮は、ゆっくりと顔を見合わせた。
天然モンスターによる、まさかの時間差攻撃。
一切の悪意も下心もない、あまりにも完璧すぎる『確殺コンボ』。
「……おしまいね。あんな子、このまま世に放っておいて大丈夫なのかしら……」
「うん……そうだね。とりあえず霞、生きてるかな……」
夜のシェアハウスに、幸せすぎてキャパオーバーを起こした純情乙女の悶絶声と、