廻る世界、渡る魂   作:月影うみ

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ステータスとこれからの目算

翌朝。

豪奢な天蓋付きのベッドに差し込む見知らぬ異世界の陽光を浴びて、うみはゆっくりと目を覚ました。

 

(……んー。まだちょい残ってるか)

 

ズキズキと鳴るこめかみを押さえる。さすがに一晩寝ただけで引くような負荷ではなかったらしい。

この世界の情報量に適応するにはまだまだ時間がかかりそうだ。

そう考えたうみは目隠しの位置を厳密に調整し、視界から入る情報を極限まで絞り込む。

 

そうこうしていると隣のベッドで動く気配を感じる。

 

「あ、おはよう。ハジメ」

「……おはようじゃないよ。本当に心臓止まるかと思ったんだからね」

 

のっそりと起き上がったハジメが、目の下に薄く隈を作りながらジト目を向けてくる。どうやら親友が突然倒れたことで、あまりよく眠れなかったらしい。

うみは「ごめんごめん」と全く悪びれずに笑いながら、寝癖のついた銀青の髪を適当に手で梳いた。

 

「で? 結局昨日の夜のアレは何だったのさ」

「んー? まだ内緒。言ったでしょ? もう一人が揃ってからって」

「……ほんっと、自由だね。ちゃんと説明してよ?」

 

深くため息をつくハジメをよそに、うみは身支度を整え、朝食をとるために食堂へと向かった。

 

***

 

食堂へ向かう道すがら、前を歩いていた集団から明るい声がかかった。

 

「あっ、うみくん! おはようございます!」

「ん? あぁ、リリィ。おはよう、昨日はよく眠れた?」

「いえ……その、お恥ずかしいのですが、今日が楽しみで眠れなくて……!」

 

頬を赤らめ、嬉しそうにはにかむリリアーナ。

周囲にいるクラスメイトの男子たちから殺意のこもった視線が突き刺さる。

仕方のないことだろう。リリアーナは誰がどう見ても息を呑むほどの美少女なのだ。

そのリリアーナと親しげに愛称や名前で呼び合い、あまつさえ乙女のように頬を赤らめさせているのだから。

 

しかし当のうみ本人は、殺気など微塵も気にする様子はなくニコニコと微笑み返している。

 

「それでは、また後程!」とリリアーナがパタパタと手を振って去っていくと、隣を歩いていたハジメが信じられないものを見るような目でうみをジトッと睨んできた。

 

「……うみくん。一体いつの間に王女様とあんなに仲良くなったのさ」

「んー? 昨日の晩餐会でちょっとおしゃべりしただけだよ」

「ちょっとおしゃべりしただけで王族と愛称で呼び合う仲になるわけないでしょ……

前から思ってたけど、うみくんって女たらしだよね?」

「そんなわけないでしょ。失礼なこと言わないで、まったく」

 

ハジメが(この子、自分のこと全然わかってない……!)と頭を抱えて深い深いため息を吐いた。

その時のうみはというと……

 

(……あ、恵里だ)

 

食堂の入り口付近で、優等生の仮面を被って女子たちの輪の中にいる恵里を発見していた。

クラスメイトの前ではあくまで「少し仲の良い友達」という距離感を演じているため、公の場で過度な接触はしない。

うみは立ち止まらず、すれ違いざまに軽く手を振る程度にとどめた。

しかし、視線が交差したほんの一瞬。恵里の眼差しは、いつもよりほんのわずかに温度が低いように感じられた。

 

無理もない。恵里からすれば、愛しのお兄様が、自分を差し置いて女とイチャコラしているように見えたのだから。

 

(あれ? なんか怒ってる? なんで?)

 

だが、そんなことがこの天然朴念仁に理解できるはずもない。

うみは(まあ、後で話せばいっか)と軽く流し、周囲に悟られないよう小さく肩を竦めて『後でね』と視線でサインを送るにとどめた。

昨晩ハジメに言った「もう一人」とは、当然彼女のことだ。

 

***

 

朝食後、早速王宮の訓練場にて、生徒たちに向けた訓練と座学が始まった。

広い石畳の訓練場に集まったうみたちに、十二センチ×七センチほどの銀色のプレートが配られる。

 

「よし、全員に行き渡ったな? 俺は騎士団長のメルド・ロギンスだ。

これから戦友になろうってのに他人行儀はなしだ、気楽にメルドと呼んでくれ!」

 

豪放磊落を絵に描いたような気さくなおじさん――メルド騎士団長が、前に立って説明を始めた。

配られたプレートを見つめながら、生徒たちが不思議そうに首を傾げている。

 

「そのプレートは『ステータスプレート』と呼ばれている。自分の客観的な能力値を数値化して示してくれる、

身分証代わりの便利な道具だ。失くすなよ?」

「へぇ……ゲームみたい」

「すげえ、本当に異世界テンプレだ」

 

ハジメや他の男子生徒たちが少し興奮気味にプレートを裏返している中、うみはその銀色の板をじっと観察していた。

 

(表面のこれは……魔法陣か。さすがに初めて見るものはさっぱりだなぁ。

まあ魔法的な何某なわけだし、他の方陣をたくさん見れば理解できるようになるでしょ)

 

「プレートの一面に魔法陣が刻まれているだろう。

そこに、一緒に渡した針で指に傷を作って、血を一滴垂らしてくれ。それで所持者が登録される」

 

(血を……? 正気?)

 

自身の肉体の一部を捧げるというのは、呪術的にそれなりに大きな意味を持つ。

呪術師であるうみとしては、こんな得体のしれないものに血を捧げるなど、御免被りたいのだが……

 

「『ステータスオープン』と言えば表に自分のステータスが表示されるはずだ。ああ、原理とか聞くなよ? そんなもん知らないからな。神代のアーティファクトの類だ」

「アーティファクト?」

 

光輝が聞き慣れない単語に反応して質問をする。

メルドが「現代じゃ再現できない神代の魔法の道具だ」と自慢げに解説を続けている間に、

周囲のクラスメイトたちは痛みに顔をしかめながらも、次々と針で指を刺し始めていた。

 

誰も得体の知れない魔法陣に疑問を抱くことなく、自らの血を擦りつけていく。

勇者としてやる気に満ちている光輝はもちろん、隣にいるハジメも「いてっ」と小さく声を漏らしながら、素直に血を垂らしていた。

 

(……ほんと、平和ボケというか無防備というか)

 

一人だけまだ登録を渋っているうみをよそに、登録を終えた生徒たちの手元でプレートが発光し、ステータスが表示され始めた。

それを見て、メルドが大きく頷きながら説明を再開する。

 

「全員見れたか? 説明するぞ。まず、最初に『レベル』があるだろう?

それは各ステータスの上昇と共に上がる。上限は100で、それがその人間の限界を示す。

レベル100ということは、人間としての潜在能力を全て発揮した極地ということだからな。そんな奴はそうそういない」

 

どうやらゲームのようにレベルが上がるからステータスが上がる訳ではないらしい。

日々の鍛錬で地道にステータスを上げなければならないようだ。

 

「次に『天職』ってのがあるだろう? それは言うなれば『才能』だ。

末尾にある『技能』と連動していて、その天職の領分においては無類の才能を発揮する。

戦闘系天職と非戦系天職に分類されるんだが、戦闘系は千人に一人、ものによっちゃあ万人に一人の割合だ」

 

その説明を聞いて、隣にいたハジメの口元が微かにニヤリと吊り上がったのをうみは見逃さなかった。

(お。なんか良さげな才能でもあったのかな?)と、少し微笑ましく見守っていたのだが――メルドの次の言葉で、ハジメの様子が一変する。

 

「後は……各ステータスは見たままだ。大体レベル1の平均は10くらいだな。

まぁ、お前達ならその数倍から数十倍は高いだろうがな! 全く羨ましい限りだ!

あ、ステータスプレートの内容は報告してくれ。訓練内容の参考にしなきゃならんからな」

 

「レベル1の平均は10」

その言葉を聞いた瞬間、ハジメの表情からスッと血の気が引き、ドッと嫌な汗が噴き出した。

キョロキョロと必死に周囲の生徒たちの様子を窺っているが、

顔を輝かせている者ばかりで、ハジメのように冷や汗を流している者はいない。ハジメの肩が、目に見えてガクリと落ちた。

 

(……そっちは外したんだ)

 

ステータスの数値など見なくても、うみにはハジメの絶望が手に取るように分かった。

そんな中、メルドの呼びかけに応じ、意気揚々と光輝がステータスの報告に前へ出た。

 

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天之河光輝 17歳 男 レベル:1

天職:勇者

筋力:100

体力:100

耐性:100

敏捷:100

魔力:100

魔耐:100

技能:全属性適性・全属性耐性・物理耐性・複合魔法・剣術・剛力・縮地・先読・

高速魔力回復・気配感知・魔力感知・限界突破・言語理解

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「ほお~、流石勇者様だな。レベル1で既に三桁か……技能も普通は二つ三つなんだがな……規格外な奴め! 頼もしい限りだ!」

「いや~、あはは……」

 

団長の称賛に、照れたように頭を掻く光輝。

周囲の生徒たちからも「すげぇ!」「さすが天之河くん!」と歓声が上がる。

 

(なるほど、あれで十分……どころかめちゃくちゃ高い部類に入るのか。まあでも数字だけでかくてもね……)

うみは内心で冷ややかに分析していた。

いくら数値が高くとも、それを扱うのは実戦経験ゼロのただの高校生だ。

身体の動きと認識のズレを埋めるだけの死線も潜っていない人間に、その力を持て余さずに扱えるとは到底思えなかった。

 

「さあ、他のお前達も見せてくれ!」

 

メルドの声に促され、生徒たちが次々と自分のステータスを公開していく流れが出来上がってしまった。

この空気の中、自分だけ出さないと言い張るのは流石に不自然であり、無用な注目や反感を買うだけだ。

 

(……面倒くさいけど、仕方ないか)

 

うみは一つため息をつくと、諦めて配られた針を手に取った。

チクリとした痛みと共に指先に滲んだ赤い雫を、銀色のプレートの魔法陣へと落とす。

血が吸い込まれると同時に、プレートが淡い光を放ち始めた。

 

やがて光が収まり、銀色の表面に黒い文字が浮かび上がる。

うみはプレートを覗き込み、自身のステータスを確認する。

 

==============================

月影うみ 17歳 男 レベル:1

天職:錬金術師

筋力:1350

体力:1420

耐性:1280

敏捷:1500

魔力:180

魔耐:200

技能:錬金術・鑑定・言語理解・カゴ

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(はぁ、そりゃ術師として鍛えてるからなんとなくわかってはいたけど……)

 

表示されたその圧倒的な四桁の羅列を見た瞬間、うみは思わず無言で天を仰いだ。

魔力と魔耐こそ光輝の少し上程度に収まっているものの、物理ステータスの項目が完全に異常だ。

あれだけもてはやされた光輝の実に十倍以上だ。

 

(さすがにこんなのバレたらろくなことにならない……!)

 

一瞬で状況の厄介さを悟ったうみは、誰も自分の方を見ていないことをサッと確認する。

そして、だれにも悟らせないよう細心の注意を払いながら、手元で小さく印を結んだ。

足元の影から、狐の式神――『幻狐』がひょっこりと顔だけを覗かせる。

 

(頼むよ、幻狐)

 

幻狐の能力による幻術がプレートに干渉し、表示されている文字の配列を強引に書き換えた。

筋力:35、体力:42、耐性:28、敏捷:50、魔力:44、魔耐:33。

ここまで公開されたステータスを見た感じから、全体の平均値より少し低いか、同じくらいになるように数値を調整する。

 

(ふぅ、これでよし。……てか、異常なステータスに引っ張られてスルーしちゃったけど『カゴ』って何!?)

 

偽装を終えて一息ついたところで、ようやく技能欄の異物に気づき、思わず心の中でツッコミを入れる。

明らかにファンタジーな世界観から浮いている。

 

そんなことを考えていると、隣からハジメが恐る恐る覗き込んできた。

うみは(後でちゃんと話すから、今はごめん)と心の中で手を合わせつつ、偽装済みのステータスプレートをあっけらかんと見せた。

 

「んー、数値は平均って感じかなぁ。天職は『錬金術師』だって。どうやらこの世界は、俺にアトリエでも開けって言ってるみたい」

「あはは……錬金術師かぁ。それなら考えること多そうだし、うみくんには合ってるかもね」

 

ハジメが少しだけ安堵したように笑う。

 

「そんで? そういうハジメは?」

「僕? 僕は『錬成師』」

「錬成……つまりエドワード・エルリックを目指すと?」

「……エドは錬金術師だよ?」

「でもあの世界の技術ベースって、どう見ても錬成陣を使った錬成術じゃなかった?」

 

うみの尤もらしい指摘に、ハジメは苦笑する。

 

「まあ、そうだけどさ……。でも、僕じゃあエドみたいには戦えそうにないよ。ほら」

 

そう言ってハジメが見せてきたプレートには、見事なまでに『10』という数字が並んでいた。

ステータスだけ見れば、ただの一般市民だ。

 

「あー……」

「ね? どう見ても一般市民のモブステータスでしょ……」

「まあ、でも応用の幅は広そうだし、やりようはあるんじゃない?」

 

落ち込むハジメを表面上は慰めつつ、うみは内心で全く別のことを考えていた。

 

(錬成術が俺の想像してる通りの力なら、工夫次第で近代兵器並みの武装を作って、

ステータス差なんていくらでもひっくり返せるポテンシャルがあるはずだけどな。……それに)

 

うみはハジメの『魔力:10』という項目をチラリと見る。

 

(これさえ何とか増やせれば、呪力みたいに身体能力の強化に使って誤魔化せるはず……

自分の内側にあるエネルギーを自由に操作できないなんて、そんなバカみたいな話はないでしょ)

 

「まあ、なんとかなるって。とりあえず俺の番っぽいし、行ってくるね」

「うみくんは軽いなぁ……」

 

落ち込むハジメをその場に残し、うみは自分のステータスを報告するためにメルドの元へと向かった。

順番が来て、偽装済みのプレートを見せる。

 

「お、次は君か。名前は…『月影』だな。よろしく頼む。

さてと……ふむ。ステータスは平均か少し下といったところか。天職は……ん? 『錬金術師』?」

 

メルドが目を丸くしてプレートを凝視する。

 

「どうしたの?」

「いや……鍛冶職である『錬成師』や、薬師なんかは知っているが、『錬金術師』というのは聞いたことがないな。

まあ、珍しい非戦系の生産職といったところだろう!」

「そうなんだ」

 

どうやら騎士団長たるメルドでも、錬金術は知らないらしい。

 

(聞いたことがない、ね。失伝したのか、それとも世界初なのか……まあいいや。

この辺は自分で調べればいいし……鑑定で行けないかな?)

 

うみは内心でほくそ笑みながら、列の後ろへと下がった。

 

やがて、報告の順番が回ってきたハジメが、メルドにプレートを見せた。

今まで、規格外のステータスばかり確認してきたメルドの表情はホクホクしていたのだが――ハジメのプレートを見た瞬間、「うん?」と笑顔のまま固まった。

ついには「見間違いか?」というようにプレートをコツコツ叩いたり、光にかざしたりしている。

そして、ジッと凝視した後、もの凄く微妙そうな表情でプレートをハジメに返した。

 

「ああ、その、なんだ。錬成師というのは、まぁ、言ってみれば鍛治職のことだ。鍛冶するときに便利だとか……」

 

歯切れ悪くハジメの天職を説明するメルド。

その様子に、普段からハジメを目の敵にしている男子たちが食いつかないはずがなかった。

鍛治職ということは明らかに非戦系天職だ。

クラスメイト達の大半が戦闘系の天職を持ち、これから戦いが待っている状況では役立たずの可能性が大きい。

 

小悪党四人組のリーダー格、檜山大介が、ニヤニヤとしながら声を張り上げた。

 

「おいおい、南雲。もしかしてお前、非戦系か? 鍛治職でどうやって戦うんだよ? メルドさん、その錬成師って珍しいんっすか?」

「……いや、鍛治職の十人に一人は持っている。国お抱えの職人は全員持っているな」

「おいおい、南雲~。お前、そんなんで戦えるわけ?」

 

檜山が、実にウザイ感じでハジメと肩を組む。

見渡せば、周りの生徒達――特に男子は、檜山に同調するようにニヤニヤと嗤っていた。ハジメが顔を俯かせ、唇を噛みしめる。

 

その時だった。

 

「別に、戦う必要なんてないでしょ」

 

冷たく、感情の抜け落ちた声が訓練場に響き渡った。

声の主は、壁際に寄りかかっていたうみだ。

ニヤついていた檜山たちが、弾かれたようにうみの方を振り向く。

 

「な、なんだよ月影……」

「昨日、イシュタルさんも了承したよね? 『前線に出るか否かは、当人の自由意志を尊重する』って。忘れたの?」

 

うみは黒い目隠し越しに檜山を真っ直ぐに見据え、淡々と事実だけを突きつける。

 

「戦闘の才能がないなら、安全な後方で物資を作って支援に回る。

全体のリソース管理として、ごく当たり前で『合理的』な判断だと思うけど。

……君らは、適性のない人間を無理やり前線に立たせて、自分たちの足を引っ張ってほしいわけ?」

「っ……! そ、そういうわけじゃねぇけど……」

「なら、そんなくだらないことで突っかかってないで、

自分のステータスを見たうえでの思考でも回してれば? どうやって戦うか、とかさ」

 

圧倒的な冷たさを孕んだうみの言葉に、檜山たちは顔を引き攣らせて舌打ちをし、そそくさとハジメから離れていった。

 

***

 

全員のステータス確認と報告が終わると、メルドが大きく柏手を打って空気を切り替えた。

 

「よし! 今日のところはこれで終了だ。明日から本格的な訓練を始めるから、午後はゆっくり休んでくれ。

……が、その前に! 約束通り、お前たちに装備を支給する! 宝物庫に案内するから、ついてこい!」

 

その言葉に、生徒たちから「おおーっ!」という歓声が上がる。

案内された先は、王城の地下深くにある広大な宝物庫だった。

そこには無数の武具や、魔法陣が刻印されたアーティファクトらしき装飾品がずらりと並べられている。

 

「すげえ! 本物の剣だ!」

「こっちには杖があるぞ! 宝石がついてる!」

 

高校生たちが目を輝かせ、自分に合った強力な装備を求めて散開していく。

光輝たちは真っ直ぐに一番立派な両手剣が置かれた区画へと向かっていった。

 

(さてと。誰も彼も浮き足立ってて隙だらけだね)

 

うみは周囲の狂騒に紛れ、気配を殺しながら宝物庫の中を歩く。

その足取りは武器の並ぶ棚を巡りながらも、少し離れた場所で魔法の杖らしきものを眺めていた恵里の元へと向かっていた。

 

「……あ、月影くん」

 

周囲にクラスメイト達がいるため、あくまで「ただのクラスメイト」としての距離感で声をかける。

うみは「ん」と短く返し、隣に並んで棚の装飾品を眺めるふりをしながら、唇だけを動かして小声で囁いた。

 

「この後、自由になったら俺たちの部屋に来て」

「えっ」

「これからの方針を共有しておきたい」

「……わかった。後でね」

 

恵里が小さく頷いたのを確認すると、うみは自然な動作で彼女から離れ、再び宝物庫の奥へと歩き出した。

ひとまずの目的は果たした。次は自身のスキルの検証だ。

 

(とりあえず『鑑定』を試してみようかな……どう使えば? イメージ?)

 

うみは棚に置かれていた、ミスリル製らしき見事な短剣を手に取り、アニメや漫画での鑑定のイメージを描いた。

すると、視界の中に半透明のウィンドウが浮かび上がった。

 

【ミスリルの短剣】

・純度の高いミスリル鉱石を鍛え上げた短剣。

・魔力の伝導率が高く、魔法使用の媒体としても使える。

 

(……ゲームかよ。まあ、邪魔になるようなものじゃないしいいか。そしたら次は……)

 

うみは試しに、意識を自分自身――正確には、自分の持つ『錬金術』というスキルそのものへと向けた。

『鑑定』は物質だけでなく、スキルにも適用できるのか。

 

【錬金術】

・素材の特性を抽出し、魔力を媒介にして釜で混ぜ合わせることで全く別のモノを創り出す技術。

 

(……現実で語られてるタイプの錬金術とは違うわけか。じゃあ次は……)

 

うみはずっと気になっていた異質なスキルへと『鑑定』を向けた。

 

【カゴ】

・錬金術師のみが扱える、素材を収納する亜空間。

・収納容量は術者の魔力上限に依存する。

・生きているものは入れられない。

 

(この仕様……もしかして『錬金術』って『アトリエ式錬金術』のこと?

えっ何? ほんとにアトリエ開かなきゃダメ? 俺、ライザになるの?)

 

数いる錬金術師の中でも、身体能力の高さと物理戦闘に定評のある武闘派錬金術師な彼女こそ、

今のうみの目指すべき姿として最も相応しいような気がしてきた。

方針が決まれば、必要なものも自ずと決まる。

 

うみは武器が並ぶ棚を素通りし、宝物庫の隅にある、埃を被った古い杖のコーナーへと足を運んだ。

彼自身、戦闘においては基本素手、もしくは影に収納し持ち歩いている呪具があるため、この世界の武器は必要ない。

今必要なのは、錬金術の起点――つまり『錬金釜をぐるぐるとかき混ぜるための杖』だ。

 

(あ、これなんかちょうどよさそう)

 

うみが手に取ったのは、装飾の少ない、黒ずんだ木でできた地味な杖だった。

しかし、『鑑定』を通して見ると、それがただの木の枝ではないことがわかった。

 

【神樹の枝杖(朽ちかけ)】

・大古に枯れた神樹の枝から削り出された杖。

・強力な魔力耐性と、素材の魔力を均一に馴染ませる特性を持つ。

※現在は著しく朽ちており機能の大半を失っているが、魔力を通し続けることで元の力を取り戻す。

 

(素材の魔力を馴染ませる、ね。こんな錬金術に特化したようなアイテムが宝物庫に眠ってるってことは、やっぱりこの世界にも昔は錬金術師がいたんだろうな)

 

そして、特にうみの眼を引いたのは、

『現在は著しく朽ちており機能の大半を失っているが、魔力を通し続けることで元の力を取り戻す』という一文。

この杖が修復され、本来の力を取り戻していけば、それに呼応するように『錬金術』スキルの方も、

アトリエシリーズにあるような細かな派生技術――エッセンスやリンクコールといった高度な調合技術が解放されていくのではないか。そんな期待が持てる。

 

(やっぱり最初に作るなら爆弾だよねー。……この世界に『うに』ってあるのかな?)

 

うみは満足げにその地味な杖を手に取ると、ふらふらと宝物庫の中を歩き回る。

すると、立派な武器が並ぶ棚の前で、一人途方に暮れているハジメの姿を見つけた。

 

「あ、ハジメ! そっちは決まった?」

 

声をかけると、ハジメは大剣や槍から視線を外し、がっくりと肩を落とした。

 

「うみくん……。いや、全然。当たり前だけど、どれも使ったことなんてないから、どれにすればいいのか分からなくて」

 

「う~ん。ハジメの体格なら、この辺のでっかいのとか長物よりも、取り回しやすい短剣とかの方がいいよ?」

「そうなの?……って、えっと……うみくんが持ってるその、棒は?」

 

ハジメが不思議そうに指差したのは、うみの手に握られた、ファンタジーRPGの初期装備のような黒ずんだ木の杖だった。

 

「あぁ、これ? 俺の『錬金術』なんだけどさ、どうにも『アトリエシステム』採用っぽいんだよね。

だからこれは大釜をぐるぐるかき回す用」

「……その杖じゃ戦えそうにないんだけど」

「いーの。基本は爆弾とかで戦うんだし」

「あー……あの、どう見ても栗なのに『うに』って言い張ってるやつね……」

 

オタク特有の阿吽の呼吸で瞬時に状況を察したハジメが、少しだけ呆れたように、

けれどさっきまでの陰鬱な表情を少し和らげて笑う。

 

「そうそう。それに錬成って鍛冶職なんでしょ? 最終的に自分で作っちゃえばいいんだよ。

今は最低限の自衛ができる短剣と、軽量の防具でも選んでおきなよ」

「……うん、そうだね。わかった。うみくんの言う通りにしてみるよ」

 

その後、うみはハジメと一緒に手頃なミスリルの短剣と上質な革鎧を見繕った。

 

全員が装備を選び終え、騎士団に登録を済ませた後。

解散の指示が出た生徒たちは、それぞれの思いを胸に割り当てられた自室へと戻っていく。

うみとハジメもまた、連れ立って自分たちの部屋へと足を踏み入れた。

 

***

 

自室に戻ってから少し経った頃。

コンコン、と控えめなノックの音が部屋に響いた。

 

「はーい」とハジメが立ち上がり、扉を開ける。

 

「えっ? 中村さん? どうしたの?」

「俺が呼んだの。入れてあげて」

 

驚くハジメをよそに、部屋の奥からうみが声をかける。

言われるがままハジメが恵里を中へ招き入れると、ハジメはハッとしたように二人を交互に見比べた。

 

「もしかして、昨日うみくんが言ってた『もう一人』って……」

「そう。恵里のこと」

 

うみは頷き、ベッドの端に腰掛けたまま恵里の方へ視線を向ける。

 

「恵里。ハジメの前でなら大丈夫だよ」

 

その言葉を聞いた瞬間、クラスメイトの前で見せていた「優等生で大人しい中村恵里」の空気が霧散した。

代わりに現れたのは、どこか影がありつつも、うみに対して絶対的な信頼を向ける肉親としての顔だ。

 

「わかったよ。兄さん」

「……はい? に、兄さん!?」

 

素の口調で発せられたその一言に、ハジメが素っ頓狂な声を上げる。

 

「俺と恵里は同じ孤児院の出身なの。俺が兄なのは俺の方が所属が早かったから」

「こ、孤児院……? え、じゃあなんで学校じゃあんな他人のフリ……」

「まぁ、その辺の事情も含めて。じゃあさっそく、今後の方針についてなんだけど――」

 

混乱するハジメを意に介さず、うみは淡々と本題に入ろうとした。

しかし、それを遮るように恵里がズイッと一歩前に出る。

 

「ちょっと待って、兄さん。その前に、聞きたいことがあるんだけど」

「……え?」

「……今日の朝、王女様と随分仲が良さそうだったね?」

「そう? 普通じゃなかった?」

 

地を這うような低い声と、ジトッとした冷たい眼差し。

うみは全く心当たりがないという風にキョトンとしているが、横で見ているハジメは顔を引き攣らせている。

 

数秒の間、じっとうみの顔を見つめていた恵里だったが、やがて彼のあまりのポカンとした様子に毒気を抜かれたように、深く、長いため息を吐いた。

 

「……はぁ。まあ、いいや。兄さんはそういう人だもんね」

「うん? 何が?」

「なんでもない。……それで、今後の方針って?」

 

恵里が気を取り直すように居住まいを正すと、うみも一つコホンと咳払いをし、真面目な顔つきに切り替えた。

 

「まずは、現状の認識合わせからだね。ハジメ、どう思う?

あの神様が言ってた『魔族を倒して世界を救えば元の世界に帰してやる』って話」

「えっ? ……うーん、正直、かなり怪しいとは思ってる。

そもそも僕たちを勝手に呼び出した張本人だし、用済みになったらポイ捨てされる可能性だって……」

「だよね。俺も同じ意見。エヒトとかいう神様は胡散臭すぎる。

戦争をやり切ったところで、大人しく帰してくれる保証なんてどこにもない」

「ってことは、自力で帰る方法を探さないといけない、ってこと?」

「そういうこと」

 

ハジメの確認に、うみは迷いなく頷いた。

 

「だから、ある程度準備が整ったら、俺はここを離れる。王国の外に出て、自力で元の世界に帰る手段を探すつもり」

 

その言葉に、すかさず恵里が食いついた。

 

「……じゃあ、私は兄さんについていけばいいの?」

「いや、恵里とハジメにはこの王国に残ってもらう」

「え……?」

「俺が外側から世界を回って情報を集める。二人は内側に留まって、

王国や教会の動向、書物なんかから内側からの情報を探ってほしい。両面からアプローチした方が絶対効率がいいからね」

 

「ちょ、ちょっと待ってよ、うみくん!」

 

慌てて口を挟んだのはハジメだ。

 

「一人で外に出るって……うみくんのステータス、平均値くらいだったじゃないか!

そんなんで一人で外をウロつくなんて無茶だよ!」

「あー、そうだった。それに関してもちゃんと話しておかないとね」

 

うみは懐から銀色のステータスプレートを取り出し、二人にヒョイと見せた。

そこには、先ほどハジメも見た全体的に平均的な数値が並んでいる。 恵里もそれを覗き込み、心配そうに眉をひそめた。

 

「……確かに、この数値で一人は危なすぎるよ、兄さん」

 

二人の視線を受けながら、うみは手元でスッと奇妙な形に指を絡ませた――印を結んだ。

直後。

うみの足元の影が、まるで生き物のようにヌルリと立ち昇る。

影は実体を伴い、一匹の『それなりに大きな狐』へと姿を変えた。

狐は出現するなり、甘えるようにうみの顔へすりすりと頭を擦り付ける。

 

「ひっ!?」

「えっ!? き、狐……!?」

 

突如部屋の中に現れた謎の獣に、ハジメと恵里が揃って目を丸くして驚愕の声を上げた。

その反応に、うみは少し驚いたように目を瞬かせる。

 

「あれ? 二人とも、視えてるんだ?」

「視えてるって……どう見てもそこにいるじゃないか!」

「兄さん、これは……いったい」

 

(この世界に充てられた影響かな? はぁ……上層を響蝠で探るって手段はお蔵入りかぁ)

 

「まあ、いいや。幻狐、『解いて』」

 

うみが幻狐の顎の下を優しく撫でながらそうお願いすると、幻狐は「コンッ」と小さく鳴いた。

途端、うみの手に握られていたステータスプレートの表示が、ノイズが走ったようにブレる。

そして、偽装の幻術が解けたソレには――真の数値が浮かび上がっていた。

それを見たハジメと恵里は、揃って絶句し、石像のように固まった。

 

「えっ……なに、これ」

「うみ、くん……? これ、どういう……」

 

混乱の極致にある二人を見ながら、うみは静かに口を開いた。

 

「ホントは非術師には話しちゃいけない決まりなんだけどね……今は非常時だし、二人には知っておいてほしいから」

 

そこから、うみはできる限り手短に、しかし要点を押さえて二人に説明した。

この世にはびこる『呪い』というものの存在。それを祓うために暗躍する『呪術師』という存在のこと。

そして自身が、幼い頃からその呪術界で生きてきたこと――。

 

「――ってわけで、めちゃくちゃ鍛えてるからこの数値なわけ。だから、俺は一人でも大丈夫」

「「…………」」

 

説明を終えたうみの前で、ハジメと恵里は魂が抜けたようにポカンと口を開けていた。

うみはそんな二人をよそに、話を先へと進める。

 

「それに、俺が外に出るのはまだまだ先の話だしね。それよりも、目下の問題はハジメだよ。今のままだと弱すぎる」

「えっ……あ、うん。そうだね……」

 

ようやく意識を現実に戻したハジメが、自身の不甲斐なさに肩を落とす。

 

「おそらく、最初の実戦投入は一ヶ月後とかになると思う。そして、この時だけは『全員強制参加』になるはずだ」

「えっ? でも、イシュタルさんは『参加は自由だ』って……」

「建前だよ」

 

うみは、甘い考えに縋ろうとするハジメの言葉を冷酷に切り捨てた。

 

「自由参加にしたものの、不参加の方に有能な人材がいたら困るだろうからね。

『最初だけだから』って理由をつけて参加させて、とことんおだてて、なし崩し的に戦力に組み込もうとしてくるよ。

ああいう連中はそういうやり方がうまいからね」

「っ……」

「つまり、その時までに、ハジメを『最低限死なない』レベルまで引き上げる必要があるってこと」

 

ハジメが絶句する。権力者たちの思惑を冷徹に見透かすうみの言葉には、嫌になるほどの説得力があった。

 

「あの、兄さん。……私は?」

 

自分だけ蚊帳の外になるのを恐れたのか、恵里が不安そうにうみの袖を引いた。

 

「んー、恵里については、天職もステータスも知らないんだけど……」

「あっ、そっか……はい、これ」

 

言われて、恵里が慌てて自分のステータスプレートを差し出す。

うみがそれを受け取って視線を落とすと、そこにはハジメよりも遥かに高く、光輝たち勇者組に迫る勢いの魔法系ステータスが並んでいた。

 

==============================

中村恵里 17歳 女 レベル:1

天職:降霊術師

筋力:65

体力:60

耐性:55

敏捷:70

魔力:85

魔耐:90

技能:降霊術・闇属性適性・水属性適性・言語理解

==============================

 

「ふーん……天職は『降霊術師』か。魔法系の数値が特に高いね」

「降霊術……ってことは、シャーマンとかイタコみたいな感じ? それか、過去の英霊とかを自分に憑依させて戦うとか?」

 

ハジメがオタク知識を総動員して、即座に連想を口にする。

うみは「そうそう」と頷き、自身の持つ呪術界の知識やゲームの概念と照らし合わせながら分析を続けた。

 

「そうだね、俺もそういうイメージ。後は……呪術的に言えば死体や人形に霊を降ろして戦わせるとかかな?

ただ、見た感じ収納系のスキルがないから連れ歩くしか方法ないんだけど……人形はまだしも死体だと見た目最悪だね」

「あー……確かに。城の廊下をゾンビ連れて歩けないもんね……」

 

うみの身も蓋もない評価に、ハジメも恵里も苦笑する。

 

「だから恵里は、ハジメが言ったみたいに『自分自身に降霊する』スタイルをメインにするのがいいと思う。

自分の体に霊力や過去の英雄の霊を降ろして、身体能力や技術をブーストする使い方だね。これなら手駒を管理する手間も省けるし、見た目も普通の強化魔法と変わらないから周囲から浮かない」

「なるほど……!」

「ただ、一つ絶対に気をつけてほしいことがある」

 

うみの声が一段と低く、真剣なものになる。

 

「強力な霊や、生前強かった人間の情報を自分の体に降ろすなら、器となる側にも相応の物が必要になる。

俺が実際に見たわけじゃないんだけど、とんでもなく強かった男の肉体情報を降ろした結果、

その魂に器の魂が敗けて乗っ取られたって事例があるんだ」

「の、乗っ取られる……?」

 

恵里がゴクリと息を呑む。

 

「そう。器が弱いままだと、降ろした霊に自我を上書きされる危険があるんだ。

だから恵里もフィジカルの方を鍛えておいた方がいい。健全な魂は健全な肉体に宿るってやつだね」

「わかったよ、兄さん! その方向で頑張ってみるね!」

 

恵里の目がパッと輝いた。

先程までは蚊帳の外のようで不安だったが、うみがちゃんと自分のことも考えてくれているのが嬉しかったのだ。

 

「うん、よろしく。まあ、恵里の方はステータスも高いし、

いざとなれば後ろから適当に魔法撃ってるだけでも当分はごまかせるよ。……さ、じゃあ後はハジメだね」

 

うみは再び、ステータス『オール10』という絶望的な数字を抱えたハジメへと視線を戻した。

 

「ぼ、僕もどうにかできるの……? だって、全部10だよ?」

「ハジメに関しては、さっき訓練場で少し話した通り、やっぱり最終的にはエドのスタイルを目指すべきだと思う」

「エドって……でも、僕のこのステータスじゃあ、あんな風にインファイトなんて……」

「ステータスの方は未だ検証前だけど誤魔化す手段がないわけじゃないし、一朝一夕ではないにしろちゃんと鍛えれば伸びるよ。

それに、これは最終的な話だよ。一ヶ月後のリミットまでにそうなれってわけじゃない」

「そ、それじゃあ……どうするのさ?」

「ハジメの育て方はもう俺の中で決めてるから」

 

うみはニヤリと、それこそ呪術師らしい獰猛な笑みを浮かべた。

 

「とりあえず、これからちょっと団長さんのところに行ってくるよ」

「だ、団長さんのところ? なんで?」

「明日からの訓練。俺とハジメは不参加にしてもらおうと思ってね」

「えっ!? そ、そんなこと許してもらえるわけないでしょ!?」

「幸いなことに、この世界から見た俺たちは揃って『非戦系』だからね。

本職の方の修行を優先させてもらうって名目ならいけるでしょ。ついでに俺たち専用の工房と、練習用の素材も回してもらえるように頼みこもう」

「いやいや、いくらなんでも要求が図々しすぎるよ……」

「ダメなら最悪、リリィ……王女様の方から手を回してもらうから大丈夫。交渉のカードは多いに越したことないしね」

 

事も無げに王族のコネを使おうとするうみに、ハジメは深々とため息をついた。

 

「それで、許可が取れたら……俺の人生の半分以上を占める『呪術師としての経験』をもって、ハジメを鍛え上げるよ」

 

***

 

その後、自室で恵里と解散したうみとハジメは、連れ立って騎士団の施設へと向かった。

関係者に道を尋ねながら辿り着いた先は、騎士団長であるメルドの執務室だ。

 

開け放たれた扉の向こう、山積みの書類を前に難しい顔をしているメルドを見つけるなり、うみは全く遠慮のない声を上げた。

 

「メールードだんちょー」

「ん? おぉ、月影に南雲じゃないか。どうしたんだ?」

 

メルドは、うみの気の抜けた呼び方に苦笑交じりに顔を上げる。

後ろに立つハジメが「す、すみません……」とペコペコ頭を下げる中、うみは気にした様子もなくズカズカと部屋に入り込んだ。

 

「実は、ちょっとお願いがあってー」

「お願い? なんだ、言ってみろ。選んだ武具に不具合でもあったか?」

「ううん、違う違う。明日からの訓練のことなんだけどさ」

 

うみはにっこりと、愛想の良い笑みを浮かべてメルドの目を見据える。

 

「俺とハジメ、明日からの戦闘訓練は不参加にさせてほしいんだよね」

「……はぁ? 不参加だと?」

 

メルドは面食らったように目を丸くし、それから険しい顔つきになった。

 

「おいおい、いくらなんでもそれは……いや、まずは理由を聞かせてもらおうか」

「……へぇ、聞いてくれるんだ。問答無用で却下だと思ってた」

 

少しだけ意外そうに目を丸くするうみに、メルドは小さく息を吐いた。

月影うみという少年。彼のステータス自体は、平均か少し下という平凡なものだった。

だが、メルドは彼から他の生徒たちとは違う『異質さ』を感じ取っていた。

 

(他の連中は、現状に怯え切っているか、

あるいはゲームかお伽話の英雄にでもなったつもりで浮かれているかのどちらかだ。だが、こいつは……)

 

うみの態度は、あまりにも自然体だった。

血生臭い『現実』を既に理解しているかのような、妙に地に足のついた落ち着き。

だからこそメルドは、この少年がただのわがままや逃げで不参加を申し出たわけではないと直感したのだ。

 

「ほら、俺たちって揃って『非戦系』じゃない? だから、戦闘訓練よりも本職の修行を優先したいなって思ってさ。それに――」

 

うみは言葉を切って、小さく肩をすくめる。

 

「最前線で役に立たない奴らが多少剣を振れるようになるよりも、

武具やら道具を充実させる方が、戦略としてよっぽど合理的じゃない?」

 

「……ふむ。一理あるな」

痛いところを突かれた、というようにメルドは顎を撫でた。

確かに、鍛冶職である錬成師や未知数の錬金術師を無理に前線に出すより、武具の整備や生産に回した方が騎士団としてもありがたい。

 

「いいだろう。だが、いざという時の最低限の自衛力は必要だ。完全に不参加というわけにはいかない。

……そうだな、数日に一度は戦闘訓練にも顔を出す。それなら本職の修行を優先してもいいぞ」

「数日に一度ね。……うん、それくらいなら妥協点かな。オッケー、それでよろしく」

 

(オッケーって……この人、騎士団のトップなんだよ?)

 

ハジメが小さく安堵と呆れの混じったため息を吐いたところで、うみがポンッと手を打った。

 

「あ、そうだ。もう一つお願いがあるんだけど」

「まだあるのか。……言ってみろ」

「メルド団長、どこか汚してもよくて、今使われてない部屋とかない? あと、でっかい大釜とか余ってないかな」

「部屋? 大釜?」

「ハジメの方は適当な作業台があればいいんだけど、

俺の錬金術には大釜が必要っぽくてね。それを置ける場所が欲しいんだ。

後はハジメの錬成用に鉱石とか回してほしいなぁって」

 

メルドは深くため息をつくと、渋い顔で首を振った。

 

「……部屋の方は、使っていない物置部屋があるからそこを片付ければなんとかなるだろう。

だが、大釜や鉱石などは騎士団の管轄外だ。城の備品管理や生産ギルドが絡んでくるからな、

すぐには用意できん。少なくとも今日中は無理だ」

「あー、なるほど。いわゆる縦割り行政ってやつだね。異世界も窮屈なんだねー」

「……お前、本当に十七歳か?」

呆れたようにツッコミを入れるメルドに、うみは「もちろん」と笑って返す。

「なんにせよ、今すぐ全てを揃えるのは不可能だということだ」

「ん。分かった。そっちは担当の人に直接相談するよ。部屋の件はお願いね」

「……? まあいいが、問題を起こさない範囲でやれよ」

「了解。ありがとね、団長さん!」

 

***

 

メルドとの交渉を終え、割り当てられた自室へと戻る道すがら。

 

「本当にどうにかなっちゃったね……うみくんの交渉術、凄いよ」

 

ハジメが心底感心したように息を吐く。

 

「メルド団長が真面目な人だっただけだよ。あの人じゃなかったら最低でも、後2時間はかかった」

「でも、素材の方はダメだったじゃないか。これからどうするのさ?」

「まあ、何とかするよ」

 

あっけらかんと言ううみの言葉に、ハジメは不思議そうに首を傾げた。

 

そして、その夜。

二人の部屋の扉が控えめにノックされた。

 

コンコン、という音に続いて、扉の向こうから澄んだ声が響く。

 

「夜分遅くに申し訳ありません。月影様はいらっしゃいますでしょうか?」

 

扉を開けると、そこに立っていたのはリリアーナの付き人らしき、メイド服に身を包んだ女性――ヘリーナだった。

 

「俺が月影だですけど……あなたは?」

「夜分遅くに申し訳ありません。リリアーナ王女殿下遣いで参りました」

「ああ。じゃあ、あなたがヘリーナさん?」

「はい。リリアーナ王女殿下の専属侍女を務めております」

 

うみの言葉に、ヘリーナは一礼とともに肯定を示す。

それを見たうみは、部屋の奥で状況を見守っていたハジメに向かって軽く手を挙げた。

 

「そういうわけだから、ちょっとリリィのところに行ってくるよ。ハジメは先寝てていいからね」

「う、うん。わかった。……気をつけてね、色々と」

 

王女の遣い相手でも全く物怖じしないばかりか、当然のようにここにはいない王女を愛称で呼ぶ親友の姿に、ハジメは引き攣った笑いを浮かべるしかなかった。

うみは「ん」と短く返し、ヘリーナの後を歩き出した。

 

***

 

夜の王城は静まり返っており、等間隔に配置された魔石のランプが、冷たい石造りの廊下をぼんやりと照らしている。

うみは前を歩くメイドの背中を見つめながら、ぽつりと口を開いた。

 

「ヘリーナさん、だっけ?」

「はい。いかがなさいましたか、月影様」

 

歩みを止めず、背筋を伸ばしたままヘリーナが応じる。

その隙のない完璧な侍女としての態度に、うみは少しだけ意地悪く笑った。

 

「無理なのは分かってる上で言うけど、そんなに警戒しなくていいよ。リリィをどうこうするつもりはないからさ」

「……お気遣いありがとうございます。ですが、そういうわけには参りません」

 

感情の読めない固い返事に、うみは「まあ、だよね」と小さく肩をすくめる。

 

「なら、せめてそのかしこまるのやめない? 落ち着かないんだよね」

「……これは癖のようなものなので」

「敬語が癖なのは本当なんだろうけど、そこまで過剰なのはわざとでしょ? 疲れるだろうし普通でいいよ」

「……聞いてはいましたが、不思議な方ですね」

「そう? どこにでもいる一般人なんだけどなぁ」

 

ヘリーナは歩みを止めずにチラリと振り返り、うみの姿を頭の先から足元まで値踏みするように見やった。

現在うみが着ているのは、王城から支給された少しファンタジーチックなゆったりとした部屋着だ。

そして顔には、その半分ほどを覆い隠す漆黒の目隠し。

どう好意的に解釈しても、不審者である。

 

「……そのお出で立ちで一般人を自称されるのは、少々無理があるかと存じます」

「えーひどいなぁ。あ、この目隠しが悪い? ちょっとだけでいいなら外すよ?」

 

そう言ってうみが目隠しに手をかけようとすると、ヘリーナはピシャリと言い放った。

 

「いえ、結構です。これ以上奇行に走られては、私の胃が持ちませんので」

「ふふっ。俺より年下だろうにしっかりしてるね」

「……からかわないでください」

 

ヘリーナが呆れたように小さく息を吐き、再び前を向いて歩き出す。

やがて案内されたのは、王族の居住区画にある、ひと際立派な両開きの扉の前だった。

ヘリーナが短くノックをし、「リリアーナ様、月影様をお連れいたしました」と声をかける。

 

「入ってください!」

 

中から聞こえてきた弾むような声に、ヘリーナが扉を開く。

そこは、乙女の自室というよりは、ちょっとした応接間のような豪華な空間だった。

ソファから勢いよく立ち上がった。

 

「う、うみくん! 来てくれてありがとうございます!」

「やっほーリリィ。そりゃ来るよ。約束だもん」

「えへへ……。さあ、こちらへどうぞ」

 

ヘリーナが手際よく紅茶を淹れ、静かに部屋の隅へと下がるのを確認してから、うみは本題を切り出した。

 

「さて、じゃあさっそく始めようか。どっちからする?」

「私はどちらからでも構いません……あっ、大丈夫、です!」

 

敬語を崩そうと一生懸命に言い直すリリアーナを、ほほえましく思いながらうみは口を開く。

 

「じゃあ、まずはリリィの方からお願いしていい? 最初だし、この世界で一番一般的で有名なものがいいな。創世神話とか、初代勇者の話とか」

「わかりました。それなら、トータスの『創世神話』をお話ししますね。この世界を創られた、主神エヒト様のお話です」

 

そこから、リリアーナは滔々と語り始めた。

遥か昔、神エヒトがこの世界と人間、獣人、魔族を創り出したこと。しかし、一部の愚かな者たちが神に反逆し、『神の使徒』によって討ち滅ぼされたこと。

彼らが『反逆者』として歴史に名を残していること――。

 

(……ふーん)

 

うみは相槌を打ちながらも、内心で冷ややかに分析していた。

神が世界を創り、それに逆らった者たちが悪とされる。どこにでもあるような話である。

この世界の歴史や価値観の根底には、その『エヒト』という神の絶対主義が深く根付いていることがよくわかった。

 

(どこまでが正しいことなのかは、わからないけど。

……ところどころ、随分と都合がいいじゃないか。エヒトさま?)

 

「……というお話です。神様が世界を創ってくださったおかげで、今の私たちがあるんですよ」

「うん、面白かった。教えてくれてありがとう」

「ふふっ、お役に立てたなら嬉しいです」

 

リリアーナが嬉しそうに微笑む。

 

「じゃあ次は俺の番、なんだけど……俺たちの世界って物語に溢れててね。

神話、童話、伝承……それぞれに恋愛ものやら、英雄譚やら、悲劇やらなんでもあるんだけど。リリィはどんなジャンルがいい?」

「えっ!? そ、そんなにあるんですか!?」

「うん。だから、まずはリリィの聞きたいジャンルに絞ろうと思って」

「ジャンル……」

 

リリアーナは少し考え込んだ後、ほんのりと頬を赤らめ、上目遣いでうみを見た。

 

「れ、恋愛もので……! その、最後はハッピーエンドになるような、素敵なお話が聞きたいです……っ」

「ふふっ。リリアーナ王女殿下といえども、年頃の女の子ってことだね」

 

図星を突かれたのか、リリアーナは「うぅ……からかわないでください」とさらに顔を赤くして俯いてしまう。

その初々しい反応に内心でクスリと笑いつつ、うみは優しく声をかけた。

 

「ごめんね。恋愛ものとなるとやっぱり童話がいいね。それも王道、『シンデレラ』で行こうか」

「王道……! 王道というと、やはりそちらの世界では有名なお話なんですか?」

 

『王道』という響きに顔を上げたリリアーナが、興味津々といった様子で身を乗り出す。

 

「とっても有名……どころか知らない人はいないんじゃないかな?

なにせ、この作品の名を冠する『シンデレラストーリー』ってジャンルが確立してるくらいだし」

「一つの物語が、ジャンルそのものに……っ! ぜひ、聞かせてください!」

「オッケー。じゃあ始めるよ? ……むかしむかし、あるところに――」

 

うみは紅茶で喉を潤すと、意地悪な継母と義姉に虐げられていた心優しい少女が、

魔法使いの力で舞踏会に行き、ガラスの靴を残して王子様と結ばれるという、地球ではあまりにも有名な物語を語り始めた。

 

その見事な語り口に乗せられ、リリアーナは完全に物語の世界へ引き込まれ、目を輝かせて聞き入っていた。

うみにとっては皮肉なことだが、『芸能活動』――配信やトークの仕事によって培われた話術は、

ここ異世界において、一国の王女の心を鷲掴みにするという予想外の形で遺憾なく発揮されてたのだ。

 

「……というわけで、シンデレラと王子様は結婚して、末長く幸せに暮らしましたとさ。おしまい」

「はぁぁ……素敵です……!」

 

物語が終わっても、リリアーナは夢心地のまま両手を胸の前で組み、ほうっと熱い吐息を漏らしている。

部屋の隅で控えていたヘリーナでさえ、うみの語り口に思わず聞き入ってしまっていたようで、小さく瞬きをして我に返っていた。

 

「喜んでもらえたならよかったよ」

「はい! 本当に、とっても素敵なお話でした! 私もいつか、そんな素敵な王子様と……」

 

そこまで言いかけて、リリアーナはふと我に返ったように言葉を切り、少しだけ憂いを帯びたような、寂しげな微笑みを浮かべた。

 

「……なんて。おとぎ話の中だけの、夢のようなお話ですよね」

「現実だと、そうはいかないって感じ?」

 

「ええ。王族の結婚は国のためのもの……いわゆる政略結婚が基本ですから。

私が自由に相手を選ぶことなんて、きっとないのだと思います」

 

諦めたようなリリアーナの言葉に、うみは「ふーん」と軽く相槌を打つ。

 

「俺たちのいた国は王政ってわけじゃないからさ、そういう『お姫様のリアルな事情』って聞く機会ないんだよね。大変なんだねー」

「ふふっ。王女である以上、当然の義務ですから。……でも、だからこそ、こういう素敵なお話が聞けて本当に嬉しかったです」

 

「……でもまあ、絶対ってわけじゃないでしょ」

「え……?」

 

驚いて目を瞬かせるリリアーナ。しかし、彼女が何かを言うより早く、部屋の隅に控えていたヘリーナがスッと一歩前に出た。

 

「月影様、恐れ入りますが」

「ん?」

「リリアーナ様を慰めようとしてくださるのはありがたいのですが、根拠もなしに適当なことをおっしゃられては困ります。

殿下は、ご自身の立場を誰よりも重く受け止めておいでなのですから」

 

主を思ってこその、鋭い叱責。

しかし、うみは気を悪くした様子もなく「根拠かぁ」とポツリと呟いた。

 

「別に適当言ってるわけじゃないよ。まあ、これを根拠って言っていいかは微妙だけどさ」

 

うみはどこか遠くを見つめ――今からおよそ三年前の出来事を、己が信じた最強が崩れた時のことを思い出しながら続けた。

 

「俺、絶対に覆らないと思ってたことが、覆るのを見たことあるんだよね」

「……覆った、ですか?」

「そう。俺は、それだけは永久不変だと思ってた。

どんなイレギュラーが起ころうと、それだけは決して揺るがないって。

……でも、現実はそうじゃなかった。俺の信じていた『絶対』は、俺の目の前で崩れた」

 

うみはそこで言葉を切り、リリアーナの方へ視線を戻した。

 

「まあ何が言いたいかって言うと、結局のところ『絶対』っていうのはあくまで自分の中のものでしかないんだよ。

自分が自分を納得させるために、自分の中で勝手に作り上げてるだけの幻想。それが『絶対』の正体だよ」

 

(ああ、今にして思えば悟さんの『最強』もこれなのかな?)

 

「だから、リリィもそんなに思い詰めなくていいんじゃない?

リリィは箱入りだろうからね。リリィが狭い世界で作り上げた『絶対』なんて案外あっさり崩れるかもよ?」

「あっさりと……」

 

齢十四という精神的な未成熟さ。

直前に『シンデレラ』というロマンチックな物語を刷り込まれたことによる、一種のプライミング効果。

それらの要素が複雑に絡み合い、乙女な思考へと傾いていたリリアーナの脳は、

少年の語る『絶対』論における『絶対を覆す何某』を、目の前にいる少年に結びつけてしまった。

 

(それって、つまり……うみくんが、私の王子様に……っ!?)

 

ポンッ、と音が鳴りそうなほど、リリアーナの顔が耳の先まで真っ赤に染め上がる。

そんな彼女の劇的な感情の変化になど微塵も気づいていないうみは、

(さすがにそろそろ戻らないと明日しんどいかなぁ。この後、眼の慣らしをしなきゃだし……)と、ひっそりと席を立ち上がった。

 

「いい時間だし、俺はそろそろ部屋に戻るね。楽しかったよ。また明日ね」

「あ、いえ! こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました……っ」

 

顔を真っ赤にしたまま慌てて見送りに出ようとするリリアーナに背を向けかけたところで、うみは「あ、忘れてた」と足を止めた。

 

「帰る前についでにちょっと相談なんだけどさ。城の備品管理の係とか、生産ギルドの偉い人への取次ぎってできたりする?」

「備品や、ギルドへの取次ぎですか?」

「うん。実は―――ってことで、工房と、あと色々と素材が欲しくてさ。

メルドさんにも掛け合ってみたんだけど、騎士団の方で用意できるのは工房用の部屋だけだって言われちゃって……」

 

うみが事情を説明すると、リリアーナはパァッと顔を輝かせ、前のめりに食いついた。

 

「そういうことでしたら、お任せください!

うみくんのためでしたら、王城の備品庫の解放から、生産ギルドへの手配まで、私が命じてまいりますわ!」

「えっ、いや、別にそこまでは……さすがに自分でやらないとだろうし」

「遠慮なさらなくても大丈夫ですよ!」

「いや、あの……へ、ヘリーナさん!」

 

想像以上の熱量で暴走し始めた王女に若干引き気味になりながら、

うみはたまらず、後ろで静かに頭を抱えている常識人のメイドへと助けを求めるのだった。

 

***

 

なんとかリリアーナを宥めて自室に戻ると、ハジメはまだ起きていて、

城の書庫からでも借りてきたであろう分厚い魔物の図鑑を読み耽っていた。

ガチャリと扉が開く音に振り返り、少しだけゲッソリとした顔で戻ってきたうみを見て首を傾げる。

 

「おかえり。……なんか、すごく疲れてない?」

「……うん、まあね。暴走列車を止めるのってすごく大変なんだなぁって実感したよ」

 

うみは珍しくも疲労の色を見せながら、ベッドに倒れ込む。

余程、暴走したリリアーナを宥めるのに神経をすり減らしたようだ。

 

「何それ……。そもそも、何しに行ってたのさ?」

「リリィとお互いの世界の神話とか童話の物語の交換会。ああいうのって結構有益な情報が含まれてたりするからね。

この世界の物語を教えてもらって、俺からも提供する……そういう約束だったの」

「へぇ……。それで? 何か分かったの?」

 

ハジメの問いに、うみはベッドに突っ伏したまま、少しだけ声のトーンを落とした。

 

「んー。まあ、あのエヒトとやらがさらに信用できなくなったね」

「! ……やっぱり」

「まだ話一つ聞いただけなんだけどさ、ところどころエヒトにとってすごい都合いい感じだったし……あ、そうそう」

 

うみはそこでゴロンと仰向けに寝返りを打ち、話を切り替えた。

 

「明日の朝一で、城の備品管理とか生産ギルドの人に会いに行ってくるよ」

「えっ? あ! さっき素材はどうにかするって言ってたけど、まさか……」

「うん。リリィにお願いして取次ぎだけしてもらうことになったの。

最初さ、『私が全部手配します!』とか言って急に暴走しちゃって。

でも、さすがにそこまでしてもらうのは悪いじゃん?

だから何とか宥めて明日の朝一で担当の人に直接会えるように取次ぎだけしてもらう形に収めたんだよ……。

いやー、いい子過ぎるってのも考えものだね。その内詐欺とか引っ掛かりそうで心配だよー」

「……」

 

(絶対なんかやったじゃん! それで、そのことに気づいてないやつじゃん!

……散々僕にポンコツだのなんだの言ってくるけど、うみくんが一番ポンコツなんじゃないの?)

 

ハジメは深々とため息をつき、「もういいや、深くは聞かないでおくよ」と頭を振った。

 

「とりあえず、これで明日から本格的に始められるね」

「うん。ハジメの方も、厳しくいくから覚悟しといてね。優しくしてあげられるほど、ハジメには余裕がないから」

 

「……お手柔らかにお願いするよ。おやすみ」

 

ハジメも図鑑を片付け、ベッドへと潜り込む。

やがて規則正しい寝息が聞こえ始めた頃。

 

(さて、今日もやりますか。さすがに昨日の今日じゃろくに変わらないだろうけど……)

 

うみはベッドの上に静かに胡坐をかき、漆黒の目隠しをゆっくりと外した。

途端、昨日と同様に『情報』の激流が押し寄せてくる。

 

「……ッ」

 

脳からの警鐘を受けつつも、視界から流れ込み続ける情報を処理し続け、やがて限界ぎりぎりに達したところで目を閉じる。

 

「……ふぅ」

 

小さく息を吐き出し、目隠しを再び顔に巻き直す。

視界が塞がれたことで情報が制限され、ようやく脳に平穏が訪れた。

 

(やっぱり、完全に慣れるにはまだしばらくかかりそうだな)

 

微かに熱を持ったこめかみを指で揉みほぐしながら、うみは静かに思考を回す。

おそらく、生徒たちが本格的に動かされる最初の実戦投入までは約一ヶ月。

 

(間に合ってくれるのが理想なんだけど……)

 

うみはごろんとベッドに横たわり、明日から始まるハジメの特訓と、大人たちとの交渉に思いを馳せながら、静かに眠りへとついた。

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