仕方ないね。あいつら強すぎるんだよ。うみくんだけでも過剰気味なのに
翌朝。
昨日よりも少しだけ慣れた異世界の陽光で目を覚ましたうみは、手早く身支度を整えていた。
隣のベッドでは、ハジメもまだ少し眠たげな目を擦りながら起き上がってくる。
「おはよう、うみくん。……昨日もやってたみたいだけど、目、大丈夫?」
「ありゃ? 起きてたの? まあ、まだまだかかりそうかなぁって感じ」
昨晩の『六眼の慣らし』の余波でまだこめかみが微かに熱を持っているが、
日常生活に支障をきたすほどではないし、初日と比べればはるかにマシである。
目隠しの位置を調整し、思考をクリアにする。今日はやることが山積みだ。
そんな時、部屋の扉がノックされた。
「月影、南雲。起きているか?」
野太くも快活な声。メルドだ。
ハジメが慌てて扉を開けると、そこには既に職務モードのメルドが立っていた。
「おはようございます、メルド団長。こんな朝早くにどうしたんですか?」
「おう、おはよう。昨日月影から頼まれていた『物置部屋』の件だがな、
とりあえず片付けが終わって使えるようになったから、その場所を伝えに来たんだ」
「えっ!?」
うみは思わず目隠し越しに目を丸くした。
昨日の午後、おそらく14時か15時頃に頼んだばかりだ。城の備品が詰まった物置部屋を、一晩で空にしたというのか。
「早くない!? ていうか、場所だけ教えてくれれば、片付けくらい俺たちでやったのに」
「騎士団の仕事舐めるなよ。不要な武具の整理も兼ねて、
当直の奴らにパパッとやらせただけだ。場所はここから地下に二層ほど降りた東区画の突き当たりだ。自由に使ってくれて構わん」
「……お手数おかけしました」
「ありがとー団長さん!」
律儀に頭を下げるハジメの横で、うみは満面の笑みで親指を立てる。
(権力者とか組織のトップって、基本腰が重いイメージしかなかったけど……この人はほんと真面目なんだなぁ)
腐ったミカン共とは大違いだ、と内心で評価を上方修正する。
「それからもう一つ。今日からの訓練についてだ」
メルドは少し表情を引き締め、二人の顔を交互に見た。
「昨日、訓練は数日に一度の参加でいいと許可を出したが……今日はその初日だ。
これからのお前たちの生き残りに直結する『魔法』や『技能(スキル)』の基本的な説明と実演を行う。
だから、今日の最初の説明だけは絶対に参加してくれ」
それを聞いたうみは、少しだけ顎に手を当てて思考を巡らせる。
(魔法と技能の基本説明か……。まあ俺も
その構造が何を示すかは知識がないと分んないしなぁ。後で、リリィに聞くって手もあるけど……
実戦慣れしてる人たちから聞いた方がいいか)
数秒の思考の末、うみは「オッケー。参加する」と軽く頷いた。
「それで? その訓練はいつから?」
「朝食後、大体1時間後くらいには訓練場に集合してもらう予定だ」
「……えっ?」
うみは硬直した。
朝食を済ませてから1時間後。それはつまり、現在時刻から考えても、圧倒的に『猶予がない』ということを意味していた。
「うわっ、全然時間ないじゃん! ハジメ!ご飯行ってていいよ!!」
「えっ? うみくん!?」
うみは弾かれたように窓枠に足をかけ、外へ飛び出そうとする体勢に入った。
「おい月影!? どこへ行くんだ、南雲を置いて朝食はどうする!?」
「俺は各所に『交渉』に行かなきゃいけないから!! 訓練までには戻るから!」
言い残すや否や、うみの姿は影に沈むように、あるいは空間を滑るようにして窓から掻き消えた。
「あ、おいっ! ……行っちまった」
ぽつんと残されたメルドは、呆気にとられたように開いた窓を見つめ、やがて隣のハジメへと視線を移した。
「……南雲。あいつの言う『交渉』とは……まさか、昨日言っていた件か?」
「あ、はい……。昨日、リリアーナ王女殿下に取次ぎをお願いしたって言ってましたけど……」
「王女殿下に!? あいつ、いつの間に殿下とそんな繋がりを……
いや、それより、あの勢いで城の各部署を荒らし回るつもりか?」
メルドの顔に、若干の疲労と胃痛の予兆が浮かぶ。
「ええっと……まあ、うみくんなら上手くやると思います。たぶん」
「……そうか。まあ、お前はとりあえず飯を食ってこい。俺は訓練の準備に戻る」
「はい、失礼します」
嵐のように去っていった少年の残像に頭を振りながら、メルドは踵を返した。
ハジメもまた、重いため息を一つ吐いてから食堂へと向かった。
***
そして、朝食からおよそ1時間後。
王城の広大な訓練場には、既にクラスメイト全員と騎士団の面々が集まっていた。
メルドが前に立ち、これから始まる訓練の概要を説明しようと口を開きかけた、まさにその時。
「ギリギリセーフ!!」
タタタタッ! と石畳を蹴る軽い足音と共に、うみが訓練場の入り口から走ってきて、そのままズザーッとハジメの隣へ滑り込んだ。
朝の緩い部屋着から一転、動きやすそうな細身のズボンとシャツという出で立ちに着替えている。
「……おい月影。完全に説明が始まるところだったぞ。ほぼアウトだ」
メルドがジト目で指摘する。
「ほぼアウトってことは、まだセーフでしょ~。間に合った間に合った」
全く悪びれることなく、うみはニコニコと笑ってハジメの隣の定位置へと収まる。
当然、こんな態度を見せていれば、正義感の化身であるあの男が黙っているはずがない。
「月影! もっとまじめにしないか! これから俺たちはこの世界を救うための大事な説明を受けるんだぞ。遅刻すれすれで来るなんて不謹慎だ!」
早速、クラスの中心にして生粋の勇者気質である光輝が強い非難の眼差しで絡んできた。
だが、うみはそんな光輝の正義感を見向きもせずにさらりと流す。
「はーい。でもメルドだんちょーには先に言ってあるから。ほら、こんなとこで話してたらだんちょーが説明できないよー」
「なっ……君は!」
「光輝くん、今は説明が先だよ。ね?」
態度を改めないうみに追撃をかけようとした光輝だが、香織に宥められ渋々と引き下がった。
「だんちょーごめんね。はじめていいよー」
相変わらずのうみのペースに、メルドは深々とため息を吐きながらも気を取り直した。
「……コホン。さて、気を取り直して。これからの訓練に向けた基礎知識として、技能(スキル)と魔法についての説明をしておく」
そう言って、メルドはまず技能についての説明を簡潔に済ませた。
技能とは天職に関連して発現する才能であり、
日々の訓練や特定の行動を繰り返すことで新たな技能を習得することもあるといった、
昨日ステータスプレートを配った際の説明の補足のような内容だった。
「続いて、魔法についてだ」
メルドの声が一段と真剣味を帯びる。
「お前たちの中にも魔法系の天職を持つ者がいるだろうが、この世界において、人間は『魔力を直接操作することはできない』」
「……ん?」
その言葉を聞いた瞬間、うみは思わず首を傾げた。
聞き間違いかと思ったが、メルドは至極真面目な顔で言葉を続けている。
「魔力とは体内に宿る力だが、それを自らの意志で練り上げ、動かすことは不可能だ。
だからこそ我々人間が魔法を使うためには、二つの手順が必要になる」
メルドは懐から、複雑な幾何学模様――『魔法陣』が描かれた手のひらサイズの紙片を取り出した。
「一つはこの『魔法陣』。魔法の効果を決定する、いわば術の設計図だ。そしてもう一つが――」
メルドが紙片を前方に突き出し、高らかに声を上げる。
「――『踊る焔、熱き礫となりて敵を穿て。火弾』!」
短い詠唱が終わると同時に、紙片に描かれた魔法陣が淡く発光し、
そこからソフトボール大の火の玉が撃ち出された。火の玉は訓練場の空き地に着弾し、軽い破裂音を立てて消滅した。
生徒たちから「おおーっ!」という感嘆の声が上がる。
しかし、その中でうみ一人だけが、目隠しの下で冷めたような、あるいは信じられないものを見るような目をしていた。
(……嘘でしょ? マジで言ってる?)
うみの眼は、先ほどのメルドの体内の魔力の動きを克明に捉えていた。
メルドが詠唱を口にした瞬間、彼の体内にあった魔力が無意識的に引き出され、
魔法陣へと吸い込まれていく。そして魔法陣というフィルターを通ることで、火の玉という現象に変換されたのだ。
(自分の内側にあるエネルギーなのに、直接操作できない? そんなバカな話あるわけないじゃん。
そりゃ、魔法陣みたいな『術式』なしで火の玉とかの複雑な現象を起こせないのはわかる。
外付けの聖徳術式みたいなものだろうし。でも、ただのエネルギーとして動かして身体を強化することすらできないなんて)
呪術師であるうみにとって、体内のエネルギー操作など息をするように当たり前のことだ。
呪力を全身に行き渡らせて肉体を強化し、あるいは純粋な高出力のエネルギーの塊として放つ。
それらは全て、術式など介さない自らの明確な意志による「直接操作」が前提にある。
うみはメルドの口ぶりと、周囲の騎士たちの反応を観察する。
(団長さんの話し方からすると、誰も『直接操作しようと試みたことすらない』って感じだ。
自分たちの内側にある力なのに、いくらなんでも不自然すぎる)
それなのに、誰一人として「魔力を直接操作できないこと」に疑問を抱いていない。まるでそれが当たり前かのように。
(……もしかして、エヒト様の教えとやらか?)
神であるエヒトが、神託という形で『魔法(魔力)とはこういうものだ』とルールを落としたのだとすれば……
エヒトという絶対的な存在をトップに据えるこの世界なら、その一言で「そういうものだ」と認識され、誰もそれを疑おうとはしないはずだ。
昨日リリアーナから聞いたエヒトに都合のいい創世神話といい、ありえない話ではない。
(……後でリリィに、この世界の魔法の歴史や教会の教えについて詳しく聞いてみるか)
そこまで思考を回したところで、うみは隣で食い入るようにメルドの話を聞いているハジメに視線を向けた。
そして、小さく立ち位置をズラす。
光輝たちクラスの中心グループの後ろへと回り込み、周囲の騎士や、
もしこの中に『魔力感知』のようなスキルを持つ者がいたとしても、
自分の手元や身体の微細な変化を
(まあ、ごちゃごちゃ考えるより、まずは実践だね。扱い方は呪力と変わらないだろうけど……)
うみは自身の内側に意識を向ける。
昨日、一昨日と、その眼に焼き付けてきた未知のエネルギーの奔流。
それらと同じ力、自身の中にある『魔力』に対し、
うみは呪力を練り上げるのと全く同じ要領で、己の明確な『意志』をぶつける。
身体の奥から魔力を引き出し、指先へ、そして血管の巡りに沿うようにして全身の細胞へと行き渡らせるイメージ。
ズズッ、と。何の抵抗もなく、魔力はうみの意志に完璧に従い、全身を駆け巡った。
(……やっぱり普通にできるじゃん)
うみは呆れたように、けれど同時に悪戯を思いついた子供のように笑みを浮かべた。
(よかったぁ……これがほんとにできなかったら計画崩れるとこだった)
***
その後、午前中の訓練が無事に(あるいはハジメにとっては残酷な現実を突きつけられる形で)終わり、
昼食を済ませた二人は、朝にメルドから教えられた場所へと向かっていた。
「地下二層の東区画……突き当たり。ここだね」
「うわ、本当に城の地下って感じだね。薄暗いし……」
重厚な木の扉を押し開けると、そこには埃っぽいながらも十分な広さを持つ石造りの部屋があった。
昨日までガラクタが詰まっていたとは思えないほど綺麗に片付いており、メルドの仕事の早さが窺える。
「おー、いい感じのとこじゃん。秘密の隠れ家って感じ?」
「常闇の女王は居ないだろうけどね」
オタク特有の阿吽の呼吸で軽口を叩き合いながら、うみは部屋の中をぐるりと見渡した。
壁も厚く、これなら少々の音や光は外に漏れないだろう。
「うんうん、広さも十分だし完璧だ。さて、それじゃあ……」
うみは部屋の中央でくるりとハジメの方へ向き直ると、パンッと一度手を叩いた。
「本日より『南雲ハジメ強化月間』を開始いたしまーす!」
「……お手柔らかにお願いするよ」
うみの能天気な宣言に、ハジメはどこか遠い目をしながら諦め混じりにため息をついた。
「それで、具体的にどうするのさ? 僕、ステータスが凡人なだけじゃなくて、魔法までダメダメだったんだけど……」
午前中の訓練で、ハジメは魔法陣を用いた初歩的な魔法すら碌に発動できなかった。
彼には、この世界の魔法の才能すら欠けているという残酷な事実を突きつけられたばかりなのだ。
だが、そんなハジメの自虐を、うみはあっけらかんと笑い飛ばす。
「ああ、大丈夫大丈夫。昨日言ったでしょ? 最終的にはエドを目指すって。
魔法はもともとおまけ。なくても別に困らないよ」
「……うん。それで、昨日うみくんが言ってた『ステータスを誤魔化す手段』ってやつをやるの?」
「それはまだ。まずは――」
うみが言葉を続けようとした、まさにその時だった。
トントン、と部屋の重厚な扉がノックされた。
「失礼いたします! 月影様、南雲様はいらっしゃいますでしょうか!」
「はーい。どうぞー」
うみが鍵を開けると、そこには王城の仕入れ担当らしき文官と、屈強な騎士たちが数名、そして彼らが引いてきた巨大な台車が並んでいた。
「王女殿下より『最優先で手配せよ』と仰せつかりまして、ご要望の品をお持ちいたしました!」
文官の合図と共に、騎士たちが次々と部屋の中に運び込んできたのは、
大人複数人がかりでようやく抱えられるほどの巨大な『錬金釜』。
さらに、様々な種類の鉱石が積まれた木箱、薬草の束、そしてハジメの作業用と思われる立派な鉄床と工具一式だった。
「ありゃ? そこまで手回ししてくれたんだ。後でお礼しないとだね。皆さんもありがとうございます」
「滅相もございません! 不足がございましたら、いつでもお申し付けください! それでは失礼いたします!」
嵐のように現れ、目にも留まらぬ速さで資材を搬入し終えると、彼らは深々と一礼して去っていった。
「…………」
静まり返った部屋の中で、ハジメは鎮座する巨大な釜と大量の資材を前に、完全に言葉を失っていた。
「いやー。俺の交渉とは別にも手を回しててくれたみたいだねー」
ニコニコと笑いながら資材の確認を始めるうみを、ハジメは呆然と見つめる。
(一体何したら王女様にそこまで気を回してもらえるのさ……)
常識すらも軽々と無視し、いつの間にか王城の中枢にまで食い込んでいる親友の底知れなさに、ハジメは軽く眩暈を覚えた。
「うん。完璧」
一通り資材の確認を終えたうみは、満足げに頷くと、ハジメの方へ向き直った。
「それじゃ、さっきの続き」
「あ、うん……」
「まずは身体能力の底上げについて。まあ、これは一朝一夕でどうにかなるもんじゃないからね。
毎日コツコツやっていくしかないんだけど……はい、これ」
そう言いながら、うみは足元の自身の影へとスッと右手を沈み込ませた。
まるで水面に手を入れるかのように、何の抵抗もなく影に吸い込まれた手は、直後、一冊のノートが引き抜かれた。
「……えっ?」
ハジメの思考が一時停止した。
「俺が持ってる知識と経験を余すことなく使って作り上げたトレーニング方法をまとめてある。
多分これが最高効率だろうからね。日中はこれ、そんで夜は俺との組手で動き方を覚える。
近接戦闘の問題はこれでどうにかするしかない」
「いやいやいや! 待って待って! ツッコミどころが多すぎるんだけど!?」
ノートを受け取るのも忘れ、ハジメはうみの手と足元の影を交互に指差して叫んだ。
「何今の!?なんで影からノートが出てくるのさ! それに、うみくんと組手って何!?
うみくん強いんだよね!? 戦うことのプロなんだよね!? 僕死んじゃうよ!!」
「大丈夫だよ。加減くらいはちゃんとできるから。俺が直接実戦での動き方を教えてあげる。
後、これは昨日言った呪術のうちの一つだよ」
「さらっととんでもないもの見せないでよ……」
ハジメが頭を抱え込むのをよそに、うみは「さて」と、部屋の一角に積まれた鉱石の入った木箱と鉄床を指差した。
「次は錬成術の方だけど。こっちの鉱石はね、関係各所と交渉して、
『ハジメが騎士団の訓練用の剣を作って納品する』っていう条件で、一部回してもらえるように取り決めてきたんだ」
「ええ!? 納品って、素人の僕がいきなり任せて貰えるものなの!?」
「まあ、あくまでラインのうちの一部をこっちに任せてもらったってだけだし。
それに訓練用なら刃付け、つまり『切れ味』がいらないからね。ちゃんと形になってさえいれば問題ないって判断だよ。
これなら、まずは指定された形に『整形』する技術だけを集中して鍛えられるってことでそういう風にしてもらったの」
「なるほど……形を作るだけなら、確かに初心者でも取っ掛かりやすい、かも……」
うみの理路整然とした説明に、ハジメも少しだけ納得したように頷く。
「そう。で、この回された分のノルマを納品できたら次の鉱石を支給してもらえるシステムになってる。
ハジメがその整形作業に慣れてきて技術が上がったら、ゆくゆくは実戦で使う本物の剣とか鎧も作らせてもらえるように話は通してあるからね」
「おお……それは、すごいね。他の技術もどんどん伸ばせるわけだ」
ハジメの顔に少しだけ希望の光が差す。(なんだ、うみくん、僕のことすごく考えてくれてるじゃないか)と。
しかし、それは甘かった。
目の前の親友が、自分たち『非日常』の側の人間であることをハジメは忘れていた。
「――そして、ここからが俺の考えた『南雲ハジメ強化計画』の本領だよ」
「えっ?」
うみは再び足元の影に手を突っ込むと、今度はなぜか『ハリセン』を取り出し、それをパシッ、パシッと手のひらに打ち当てながら、これ以上ないほどのニッコニコの笑顔を向けた。
「さっき渡したトレーニングメニュー。あれをこなしながら、並行して錬成作業をやってもらいます」
「…………はい?」
ハジメの口から、間の抜けた声が漏れた。
「どっちか一つでも手が止まったり、失敗したりしたら、これで叩くからね♪」
「鬼だぁぁぁぁぁぁっ!!?」
地下室に、ハジメの悲痛な叫び声が響き渡った。
「別に意地悪するってわけじゃないよ。これにもちゃんと理由があるんだから」
「り、理由って……?」
涙目になりながら尋ねるハジメに、うみはハリセンを肩でトントンと叩きながら説明する。
「戦闘って、基本的にマルチタスク、あるいはそれ以上の処理能力が求められるからだよ」
「マルチタスク……」
「そう。相手の動きを見て、自分の動きを考えて、それに加えて魔法や技能の選択・発動プロセスの実行なんかを同時にやんなきゃいけない。
一つのことに集中してる間に他がおろそかになったら、実戦じゃ即命取りだからね」
うみからしてみれば、戦闘とはこれの連続である。
常に相手の動きを読み、呪力操作を行い、体術で応酬する。
さらに、うみ自身の生得術式は他者の術式を模倣する『コピー』だ。
手札が常人より遥かに多い分、盤面の状況に応じて常に最適解を思考し、術式を選択・切り替えながら戦い続ける必要がある。
だからこそ、いかなる状況下でも無意識レベルで並行思考と動作ができるよう、基礎の基礎を徹底的に身体に叩き込む。
それが、自身の実体験に基づいた、うみ流の最速最短の育成メソッドだった。
「……理屈は分かったけどさ」
ハジメは渋々といった様子で頷く。しかし、すぐに一つの重大な懸念事項に思い至った。
「でも、問題があるよ。錬成にも魔力を使うんでしょ? 僕のステータスじゃ魔力も少ないし……
すぐに底を突いちゃって、回復するまで錬成できなくなるんじゃ……」
「あー、それね。うん、むしろ魔力はガンガン使って、一回すっからかんにしちゃっていいよ」
「すっからかんにって……倒れちゃうよ!?」
「魔力の上限を増やす手っ取り早い方法の定番といえば、限界まで使って一回空っぽにすることじゃん?
試す価値はあるでしょ。まあ、気絶する一歩手前くらいで止めるのがベストだけどね」
そう言って、うみは足元の影から、今度は淡いブルーの液体が入ったガラスの小瓶を取り出した。
「で、魔力が空っぽになった後はこれの出番」
「なにそれ?」
「魔力を回復してくれるお薬。俗に言う『魔力《マナ》ポーション』だね」
「おお……! そんな便利なものまで貰ってきたの?」
目を輝かせるハジメに、うみはコクリと頷く。
「うん。魔力切れしたらこれを飲んで、回復したらまた錬成と筋トレのセットを再開するってわけ」
「な、なるほど……でも、そんな貴重そうなもの、毎回分けてもらえるわけじゃないよね?」
ハジメの至極真っ当な疑問に、うみは「鋭いね」と微笑んだ。
「だから、そこは俺側の『交渉』で解決済みだよ」
うみは部屋の隅に積まれた薬草の束を指差す。
「薬師が魔力ポーションを作るための材料を、試験的に数本分だけ回してもらったんだ。
条件は、『渡した材料で通常の規定量より多くポーションを作り出せたら、
その生産量の1〜2割を俺の持ち分として継続的に回してもらう』こと」
「それって……うみくんの『錬金術』なら、それができるってこと?」
「多分ね。ほら、アトリエ式錬金術って生産個数の表記があるじゃん?
絶対その量の材料じゃその数は作れないだろって数字のやつ」
「あー……あるね。さすがは錬金術って感じだよね。あのシステム」
「ぶっちゃけ、こっちの世界じゃ錬金術なんて知られてないし、
絶対に『何馬鹿なこと言ってんだ』って撥ね付けられると思ってたんだ。
だからダメ元で交渉してみたんだけど……なぜかすんなり通っちゃってさ」
うみはそこで苦笑いを浮かべた。
「さっきの騎士の人たちの話を聞いて、なんで上手くいったのかやっと分かったよ。
ほんと頭上がんないね。何をどう返してあげればいいのやら」
(ほんとに……王女様に何したのさ……)
ハジメは三度、底知れない親友に対して眩暈を覚えた。
「まあ、そんなわけで! フィジカルを鍛えつつ、錬成術の練度を上げながら、
並列思考・動作能力まで上がるうえに魔力上限も増やせる……一石四鳥の特別トレーニングだよ!」
「う、うん……頑張るよ……(一か月後……僕、生きてるかなぁ)」
***
うみやハジメたちが異世界へと召喚され、異世界での生活に慣れてきたころ。
元の世界である地球、日本・東京都内では、ある一つの「異常事態」が静かに、だが確実に波紋を広げていた。
東京都立呪術高等専門学校、とある空き教室。
そこには現在、三年生となった虎杖悠仁、伏黒恵、釘崎野薔薇に加え、
既に卒業して第一線の術師として活躍している禪院真希、パンダの面々が勢揃いしていた。
さらに教壇には五条悟と家入硝子、そしてその傍らには、露骨に面倒くさそうな顔をした日下部篤也の姿もある。
「五条先生、急にこんな面々集めてなんかあったの?」
虎杖が部屋をぐるりと見渡しながら、教壇に立つ五条に尋ねた。
「ていうか、うみは? こんなメンバー集めてるのにうみがいないとかある?」
たいてい何かあるたびに召集(強制)されている後輩の不在に、釘崎も不満げに首を傾げる。
「そのうみに関するなんかなんだろ」
伏黒がため息交じりに推測を口にすると、五条はパンッと軽く手を叩いた。
「恵、大正解! そう、今日集まってもらったのは、他でもないうみのことについてだよ。……硝子、お願い」
いつもは飄々としている五条が、どこか真面目なトーンで家入に話を振る。
家入は白衣のポケットからスマートフォンを取り出すと、だるそうに頭を掻いた。
「数日前の昼だ。あいつ……うみから、私宛てにこんなメッセージが来た」
家入がスマホの画面をかつての教え子たちに向ける。そこには、たった一言だけ、短い文章が表示されていた。
『面倒ごと。しばらく連絡つかなくなるかも』
それを見た瞬間、虎杖が「えっ」と声を漏らす。
「……なんか、うみっぽくないな。もっとこう、いつもなら律儀に丁寧な感じじゃないか?」
「ああ。あいつ、メッセージの文面だと普通の会話以上に丁寧だからな。……こんな要件だけの短い文を送ってくるなんて珍しい」
伏黒も顎に手を当てて同意する。
「つまり、いつものペースを崩すほど……悠長に文字を打つ数秒の猶予すらなかったってことだろ」
真希が腕を組みながら、鋭い視線を画面に向けた。
「で? そのメッセージを送ってきたきり、うみはどうしたんだ?」
パンダが核心を突く質問を投げかけると、五条は教壇の下から一部の朝刊を取り出し、放った。
そこには、デカデカとこんな見出しが躍っていた。
『都内高校で集団神隠し事件!? 教師・生徒数十名が忽然と姿を消す!』
「……行方不明。クラスメイトごと、ね」
五条の言葉に、虎杖と釘崎の表情が凍りついた。
「ゆ、行方不明って……!」
「ちょっと待ちなさいよ! うみを出し抜くほどの呪霊やら呪詛師やらが出たってこと!? あの理不尽の塊みたいなのを!?」
釘崎が身を乗り出して叫ぶ。あの両面宿儺とすら渡り合った規格外の術師を、どうこうするなどあり得ない事態だ。
「それがねー……どうも呪霊や呪詛師どころか、呪術自体が全く関係ないっぽいんだよね」
五条は目隠し越しに天井を見上げ、少しだけ忌々しそうに息を吐いた。
「僕も直接現場の教室を見てきたんだけど、呪力の残穢が一切出なかった。手掛かりゼロ。
一応いろいろ調べてはいるけど、ぶっちゃけお手上げって感じ」
「……はぁ」
五条の報告を聞いた日下部が、深刻に落ち込むどころか、深い深いため息を吐いてこめかみを押さえた。
「あいつの人生、一体どうなってんだ。短い間にいろいろと起こりすぎだろ」
「波乱万丈だよな。オレ、もう10年以上一緒に居るけど、アイツの人生が静かだった時期知らねぇもん」
日下部とパンダのどこか呆れたような呟きに、虎杖と釘崎が目を見開いてツッコミを入れる。
「ちょ、ちょっと待って! お前ら心配じゃねぇの!? うみが行方不明なんだぞ!?」
「もしかしたら今頃、未知の化け物に襲われてるかもしれないじゃないの!」
「悠仁、野薔薇。つっても、あのうみだぞ?」
「……え?」
慌てふためく二人に、パンダは「まあまあ」となだめるように手を振った。
「そこのバカ目隠しがいなきゃ憂太と張って最強やってるはずのやつだからな、そんな心配いらねぇだろ」
「同感ですね……そういえば、その乙骨先輩は?」
伏黒も静かに頷くと、ふと首を傾げて五条を見た。
「憂太にはもう調査に動いてもらってるよ」
五条はパンッと手を叩き、教室の空気を切り替えた。
「さて、可愛い後輩が迷子になってるんだ。みんな手伝ってくれるよね?」
うみの生存を微塵も疑わない、強い信頼と絆。
術師たちによる「月影うみ捜索作戦」が、ここに静かに幕を開けた。
***
一方、その頃。呪術という裏の世界を知らない、平和な日常を生きる者たちの間でも、ある小さな異変が共有され始めていた。
深夜。通話アプリ『ナイトコード』内にひっそりと設立された、とある招待制サーバー。
その名も『弟妹至上主義サーバー』のボイスチャットルームには、今日も暑苦しいほどの身内愛が響き渡っていた。
『――というわけで! 今日の咲希もとびきり可愛かったというわけだ!!』
『ふふっ。司くんったら相変わらずね。でも、うちのしぃちゃんも今日は特別ご機嫌で……』
天馬司の力強い演説に、日野森雫がおっとりとした声で相槌を打つ。
ここは、うみ、司、雫の三人が中心となって夜な夜な弟妹の尊さを語り合う、
名付けて『シスコン・ブラコン同盟』のオンラインの溜まり場である。
普段ならここにうみも参加しており、「うちの恵理たちもね」と参戦してくるところなのだが、
ここ最近、彼の声はない。
『……そういえば、最近うみが来ないが雫は何か知っているか?」
『分からないわ。実は、数日前から何度かメッセージを送っているのだけれど、既読もつかなくて……』
雫の声に、微かな翳りが落ちる。
『そうか……雫の方もか。俺の方もここのところ「今日の咲希・観察日記」にスタンプ一つ返ってこないのだ!
いつもなら必ず感想をくれるというのに!』
『ええ……なんだか、少し心配ね』
司の言葉に、雫の胸の中にざわつきが広がる。
いつもなら、どれだけ忙しくても、律儀に何かしらの反応を返してくれる彼からの、あまりにも長い沈黙だった。
***
同じ頃。
音楽サークル『25時、ナイトコードで。』が夜な夜な作業用に使っているボイスチャット。
まだメンバーの『K(奏)』と『えななん(絵名)』はログインしておらず、
通話ルームには『Amia(瑞希)』と『雪(まふゆ)』の二人だけが入っていた。
「はぁ……」
パソコンのモニターの明かりだけが照らす薄暗い部屋で、瑞希はマイク越しに今日何度目か分からないため息を吐き出した。
『……どうしたの、Amia。さっきからため息ばっかり。体調でも悪い?』
「ううん、そういうわけじゃないんだけどさ……」
心配して声をかけてきたまふゆに、瑞希はスマートフォンの画面を見つめながら口を開く。
画面に表示されているのは、推し兼友人の少年、『Luna(月影うみ)』とのトーク画面だ。
「ちょっとうみ……Lunaくんと連絡つかなくてさ。なんかあったのかなーって」
「Luna……ああ、お正月に会った子。忙しいだけじゃなくて?」
まふゆの極めて冷静な声に、瑞希は「うーん」と首を捻る。
「そうなんだけどさぁ。あのLunaくんだよ?忙しくても、
『今ちょっと手離せないから後でね』くらいは返してくれそうじゃない? それがないってことは、なんかあったのかなって」
(『あの』と言われても、私はお正月に少し話しただけなんだけど……)
まふゆは内心で密かにそう思いつつも、かつて初対面で自分の空虚な本質をあっさりと見抜いてみせた、あの不思議な少年のことを思い出す。
機会があればもう一度話してみたいとすら思っていた相手だけに、その安否が少しだけ気にかかった。
一方の瑞希は、未読のままの画面を指でなぞり、ぎゅっとスマートフォンを握りしめた。
(それに、ボクが逃げ出さずにみんなに『本当のこと』を話せたのは、うみくんが勇気をくれたからなんだから)
もしあの時、彼に相談し、背中を押してもらっていなかったら。
今なお逃げ続けていたか、最悪の形で秘密を知られ、この心地よい居場所を失っていたかもしれない。
瑞希にとって彼は、ただの友人ではない。人生の大きな分岐点で、暗闇からすくい上げてくれた恩人なのだ。
『……そんなに気になるなら、日野森さんに聞いてみれば?』
「え? 雫ちゃんに?」
『うん。学校でもLunaの話してるの見るよ。プライベートっぽいこと話してるから、仲いいんじゃないかな』
まふゆの極めて冷静な、しかし的確な提案に、瑞希はハッとして顔を上げた。
「そっか! そういえば雫ちゃんと仲いいんだったね! さっすが雪、よく見てるー!」
『……別に、それくらい普通だと思うけど。えななん達が来る前に連絡しておく?』
「あ、いや。さすがにこんな夜中に雫ちゃんに連絡したら迷惑だろうしね。明日送ってみるよ」
『そう。わかった』
静かな夜の作業通話の裏で、瑞希の胸の中にある強い感謝の念と、だからこそ募る不安の種が、静かに膨らんでいた。
***
翌日の放課後。
宮益坂女子学園の屋上には、『MORE MORE JUMP!』の四人が集まり、いつものように発声と振り付けの練習を行っていた。
「ワン、ツー、スリー、フォー! 雫! ちょっと遅れてるわよ!」
「あ、ご、ごめんなさい……っ」
愛莉の指摘に、雫がワンテンポ遅れて動きを止める。
いつもなら完璧にこなすはずのステップも、今日はどこか上の空だった。
「……ちょっと休憩にしようか」
見かねた遥が、音楽を止めてタオルを差し出す。
「あ、ありがとう、遥ちゃん。ごめんなさい、私ったら……」
「ううん、大丈夫だよ! 雫ちゃん、なんだか元気ないみたいだけど……体調悪いの?」
みのりが心配そうに覗き込む。
愛莉も腕を組んで、ふぅと息を吐いた。
「体調っていうより、心ここにあらずって感じね。雫、何か悩み事? 言ってみなさい」
親友たちの気遣いに、雫は少しだけ視線を落とし、迷いながらも口を開いた。
「実は……うみくんと、少し連絡が取れなくて」
「うみ……ああ、Luna君ね」
「ええ。いつもなら必ずお返事をくれるのだけれど、ここ数日、既読すらつかなくて。……司くんも同じみたいだから、少し心配で」
モデル『Luna』として世間を騒がせ、バレンタイン配信では彼女たちと共演もした、底抜けに優しくてマイペースな少年。
彼の名前が出た瞬間、愛莉も遥も顔を見合わせた。
「Luna君が……確かにあの律儀な子が、何日も放置するなんてちょっと考えにくいわね」
「うん。学校行事やモデルの仕事で忙しいにしても、一言くらいはありそうだけど……」
遥が顎に手を当てて思考を巡らせる。
「雫、心配なら事務所の方に直接連絡してみたらどう? 事務所なら何か事情を知ってるだろうし」
「事務所に……そうね。悩んでいても仕方ないわ」
雫の顔に少しだけ光が戻る。
雫は意を決して、以前名刺をもらっていた冥冥の事務所『Office Corvus(オフィス・コルヴス)』へと電話をかけた。
数回のコールの後、ガチャリと電話が繋がり、若い少年の落ち着いた声が響いた。
『はい、こちらOffice Corvusでございます。本日はどのようなご用件でしょうか?』
「あ、突然申し訳ありません。私、Luna……月影うみくんの友人で、MORE MORE JUMP!の日野森雫と申します。
その、最近うみくんと連絡が取れなくて、何かご存じないかと思い、お電話したのですが……」
『…………』
電話の向こうで、ほんの一瞬だけ、ふっと息を呑むような気配――『沈黙』が落ちた。
だが、すぐにまた、隙のない事務的な声が返ってくる。
『左様ございますか。左様でございますか。日野森様ですね。申し訳ございませんが、
所属モデルの個人的な状況に関する件につきましては、私の一存ではお答えいたしかねます。
オーナーに確認いたしますので、少々お待ちくださいませ』
通話が保留に切り替わる。
その電話の向こう側――Office Corvusdでは、受話器から口を離した憂憂が、ソファに優雅に腰掛ける主へと視線を向けていた。
「姉様。日野森雫という少女から、月影の安否についての問い合わせです。
いかがなさいますか? 適当に誤魔化して切りましょうか」
「……ふむ」
報告を受けた冥冥は、顎に手を当てて瞬時に損得勘定を弾き出した。
「いや、ここへ招きなさい。下手に隠して、騒がれても面倒だ。事情を説明しよう。
……ああ、それと、他にも彼と関わりの深い者がいるなら連れてこさせなさい。一度にまとめてしまった方が手間がない」
「御意」
短いやり取りの後、再び電話口に憂憂の声が戻る。
『お待たせいたしました。オーナーより、直接事情をご説明したいとのことです。
ご都合の合う日程などはございますか?』
「あ、もしよろしければ、今から伺ってもよろしいでしょうか?」
『承知いたしました。……それと、オーナーより「他にも月影を心配されている方がいらっしゃれば、ご一緒にどうぞ」とのことです。では、お待ちしております』
通話が切れ、雫はホッと息をつきながらも、少しだけ緊張した面持ちで親友たちを振り返った。
「オーナーさんが、事情を説明するからいらっしゃいって。今から事務所に行くことになったわ」
「本当!? それなら、私たちも一緒に行くわよ!」
愛莉が力強く頷いた。
「私も行くよ。心配なのは同じだからね」
「みんな……ありがとう」
雫がふわりと微笑んだ、その時だった。
雫のスマートフォンが、短くメッセージの受信音を鳴らした。
「あら? 瑞希ちゃんからだわ」
何気なく画面を開いた雫だったが、表示されたメッセージの内容を読んで目を丸くした。
『雫ちゃーん! 突然ごめんね。最近Lunaきゅんと連絡取れてる? なんだか既読もつかなくて心配で……』
それは、まさに自分たちが今抱えていた不安と全く同じものだった。
「……瑞希ちゃんも、うみくんと連絡が取れていないみたい」
「えっ、瑞希も!?」
愛莉が驚いた声を上げる。
ただの「忙しい」だけではない。複数の親しい人間から同時に連絡が途絶えている。
事態が少しだけ深刻な色を帯びてきたことを察し、雫はすぐさま瑞希宛てにメッセージを打ち返した。
『瑞希ちゃん。実は私も、そして司くんも、うみくんと連絡が取れていないの。
今から愛莉ちゃんたちと一緒に、うみくんの事務所の方へ事情を聞きに行こうと思っているのだけれど……
瑞希ちゃんも、一緒に行かない?』
数秒後、瑞希からの返信は一言だけ、凄まじいスピードで飛んできた。
『すぐ行く!!』
***
都内の一等地、表参道にそびえ立つハイグレードな商業ビル。
その高層階に、冥冥が拠点を構える『Office Corvus』はあった。
「ご、ごめん! お待たせ!」 「ううん、私たちも今着いたところよ。瑞希ちゃん、来てくれてありがとう」
ビルのエントランスで瑞希と合流したモアジャンの四人は、そのまま指定されたフロアへとエレベーターで上がった。
チンッ、と静かな音を立てて扉が開くと、そこにはまるで高級ホテルのラウンジのような空間が広がっていた。
ガラス張りの壁面、大理石調の床、そして黒とゴールドを基調としたシックで洗練された内装。
壁には上品なフォントで『Office Corvus』のロゴが輝いている。
「う、うわぁぁ……!!」
エレベーターを降りた瞬間、みのりが目を丸くして声を上げた。
「な、なんかすごすぎるよ……! テレビドラマに出てくるような『超一流の芸能事務所』って感じ!なんていうか……大人の世界っていうか……!」
「ほんとだ……めっちゃくちゃオシャレ……!」
瑞希もまた、感嘆の声を漏らしながら内装を見渡した。
「この黒とゴールドの合わせ方、すっごくシックでカッコいい!
さすがLunaきゅんが所属してる事務所って感じだね。ボクこういう雰囲気、けっこう好きかも」
興奮気味にキョロキョロと辺りを見回す二人に、愛莉がコホンと小さく咳払いをする。
「ちょっと二人とも、落ち着きなさいよ。あんまりおのぼりさんみたいにしてたら目立つでしょ!」
口ではそうピシャリと注意する愛莉だが、
その実、内心では(な、何よこのゴージャスな空間……! 私が前にいた事務所だってここまでの高級感はなかったわよ!?)と、
空間の放つ圧倒的な「格」に少しだけ気圧されていた。
「愛莉の言う通りだよ。でも……確かにすごいね」
遥もまた、冷静な表情を装いつつも驚きを隠せない様子で周囲を観察している。
「こんな都内の一等地に、これだけハイグレードなオフィスを構えられるなんて……。
ここのオーナーさん、相当なやり手だと思う」
元国民的アイドルとして様々な業界の裏側を見てきた愛莉と遥だからこそ、
このオフィスの異常なまでの「資金力」が肌で理解できた。
「――お待ちしておりました。日野森様、ならびにご友人の皆様ですね」
静かな足音と共に、エントランスの奥から一人の少年が現れた。
パリッとした高級感のあるスーツを完璧に着こなし、年齢にそぐわないほど落ち着き払った空気を纏う少年――憂憂だ。
「あ、はい。お電話させていただいた日野森です。本日は急なお願いにも関わらず、お時間をいただきありがとうございます」
「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。私は当事務所で実務全般を担当しております、憂憂と申します。
さあ、皆様。オーナーがお待ちです、こちらへどうぞ」
流れるような所作で案内を始める憂憂の背中を見ながら、みのりと瑞希がヒソヒソと声を交わす。
(ねえねえ瑞希ちゃん、あの子……絶対私たちより年下だよね!? なんであんなにしっかりしてるの!?)
(うん……なんか、只者じゃないオーラ出てるね。Lunaきゅんといい、この事務所には不思議な子しかいないのかな)
憂憂に導かれ、五人は重厚な扉の奥――オーナー室へと足を踏み入れた。
そこは、エントランス以上に洗練された、しかしどこか『底知れない圧迫感』を伴う空間だった。
部屋の奥、アンティーク調の豪奢な革張りのソファ。そこに、彼女は座っていた。
「よく来たね、可愛らしいお嬢さんたち。歓迎しよう」
白に近い銀糸の髪を顔の前で三つ編みにした、息を呑むほど美しい女性。
しかし、五人が目を奪われたのはその美貌だけではない。
彼女から発せられる、常人とは明らかに次元の違う『強者のオーラ』が、部屋全体の空気を支配していたのだ。
(な、なにこの人……!?)
(すっごく綺麗なのに……なんだろう、この背筋がゾクッとする感じ……)
愛莉や瑞希たちが思わず息を呑んで立ちすくむ中、ソファに深く腰掛けた冥冥は、面白そうに目を細めて妖艶な笑みを浮かべた。
「姉様。少々、気が昂ぶっておられるようです」
静まり返った部屋に、憂憂のひんやりとした声が響いた。
彼は冥冥の傍らに控えると、恭しく一礼して言葉を続ける。
「姉様の崇高なる威光と美しさは、彼女たちのような『普通の方々』には少々刺激が強すぎます。
いわば劇薬のようなもの。どうか少しばかり、収めていただけないでしょうか?」
一般人を気遣う言葉でありながら、その根底にあるのは「姉様の偉大さを讃えたい」という狂信的なシスコンぶり。
そんな弟の言葉に、冥冥は「ふふっ」と優雅に笑い、肩の力を抜いた。
「そうだったね。愛らしいお客人を怯えさせるつもりはなかったのだけれど……悪い癖だ」
冥冥がそう呟いた瞬間、部屋を満たしていた重圧が嘘のようにスッと消え去った。
「はっ……」「ぷはっ……!」
みのりと瑞希が、まるで水面に顔を出したように小さく息を吐き出す。
気圧されていた愛莉や遥も、密かに安堵の息を漏らした。
「さて。確か、月影について、だったね」
「はい……!」
雫が一歩前に出る。その瞳には、先ほどの重圧を乗り越えるだけの強い意志が宿っていた。
「うみくんと、ここ数日全く連絡が取れなくて……。
お電話では詳しくお聞きできませんでしたが、彼に一体、何があったのでしょうか……!」
真っ直ぐに見つめてくる雫の目。その後ろで同じように不安げな顔を向ける瑞希たちを見て、冥冥は小さく顎に手を当てた。
(……随分といい人脈を築いたものだね。これも彼の気質のなせる業か)
冥冥はゆっくりと足を組み替えると、先ほどまでの「歓迎」の空気を一切消し去り、
底冷えするような表情で彼女たちを見据えた。
「いいだろう。君たちには彼の現状を教えよう。――だが、その前に一つだけ絶対の条件を飲んでもらう」
その声のトーンの変化に、五人の肩がビクッと跳ねる。
「これから私が話す内容は、他言無用とさせてもらう。変に騒ぎになると、彼が戻ってきたときに大変だろうからね」
冥冥の静かだが絶対的な言葉に、愛莉や瑞希たちはゴクリと息を呑んで頷こうとする。
だが、雫だけは少しだけ迷うように目を伏せ、おずおずと、しかしはっきりとした声で口を開いた。
「あの……申し訳ありません。実は今日、どうしても外せない用事で来られなかった友人がもう一人おりまして……。
その子も、私たちと同じようにうみくんのことを心から心配しているんです」
「ほう?」
「だから……その子にだけは、事実を伝えてもよろしいでしょうか……?」
相手の放つ圧倒的な気配に怯えながらも、友人のために交渉を持ちかける雫。
冥冥は少しだけ目を細め、値踏みするように彼女を見下ろした。
そもそも彼女たちをここに招いたのは、下手に嗅ぎ回られて情報が漏れるのを防ぐための「口止め」が目的だ。
「……いいだろう。ただし、彼にもこの条件を厳守させることが絶対だ。
もし情報が漏れた場合は、君たちの『連帯責任』とする。それでも構わないね?」
「はい……! 私が必ず、責任を持って伝えます」
雫が深く頭を下げ、他の四人も「約束します」と強く頷いた。
「よろしい。契約成立だ」
冥冥が小さく指を鳴らすと、傍らに控えていた憂憂が一つの朝刊をテーブルの上に広げた。
そこには、『都内高校で集団神隠し事件!? 授業中のクラスから生徒・教師数十名が忽然と姿を消す』という見出しがデカデカと躍っている。
「まずはこれだ。君たちも、このニュースについては知っているかな?」
「あっ、これ……今朝のニュースで見ました。どこかの高校のクラスが、丸ごと行方不明になったって……」
みのりが少し怯えたような声で答える。未成年の事件ゆえに実名報道はされておらず、
一般人からすればただの「得体の知れない怖い事件」という認識でしかなかった。
(行方不明……。それって、まふゆがセカイに引きこもっちゃった時みたいな感じ……?
いや、でもクラス丸ごとだなんて……そんなこと、あり得るのかな……)
瑞希が自身の知る『不思議な現象』と重ね合わせて密かに推測を巡らせる中。
ふと、遥の顔色が変わった。彼女はテーブルの上の新聞記事と、冥冥の顔を交互に見比べる。
「もしかして……。雫、月影くんと連絡つかなくなったのっていつから?」
「えっ? ええと……」
突然の遥の問いかけに、雫が戸惑いながら記憶を辿ろうとした、その時。
遥の視線の先と、その質問の意図に追いついた愛莉が、ハッとして口元を手で覆った。
「ちょっと、嘘でしょ……!? まさか……!」
「ほう。君たちはなかなか勘がいいね」
遥と愛莉の反応に、冥冥は満足げに微笑み、あっさりと事実を告げた。
「ご察しの通りだ。この記事の現場は、彼が通っている高校だよ。
そして彼は、この『集団神隠し』に巻き込まれてしまったらしい」
「そんな……!」
「神隠しって……じゃあ、うみくんは今どこにいるんですか!? 警察の捜索は……!」
雫の顔からサッと血の気が引いた。みのりも信じられないといった様子で口元を押さえる。
「現在捜査中さ。警察だけでなく、各方面にも協力を仰いでいるようだよ。
もっとも、今のところ手掛かりは何一つ見つかっていないがね」
冥冥の淡々とした言葉に、雫は泣き崩れそうになるのを必死に堪えるように両手を握りしめた。
しかし、冥冥はそこで言葉を切ると、ふっと妖艶な、しかし確信に満ちた笑みを浮かべた。
「だが、悲観するには及ばないよ。……彼は、生きている。それだけは私がお墨付きを与えよう」
「え……?」
「君たちは彼のことを低く見積もりすぎだよ。彼は君たちが思っているよりもずっと凄い子だ。
どんな厄介事に巻き込まれたところで、あっけなく野垂れ死ぬようなタマじゃない。
むしろ、今の状況すらいいように利用して立ち回っている可能性の方が高いだろうさ」
(凄い子……?)
瑞希は冥冥の言葉のニュアンスに、微かな引っ掛かりを覚えた。
モデルとしての才能や容姿、頭の良さのことではない。
先ほどこの部屋に入った時に感じた、あのぞっとするような重圧と似た、
もっと根本的な人間としての『異常性』のようなものを、この美しい女性は語っている気がしたのだ。
『――絶対人には言えないような秘密もあるし。ちなみにそっちは妹も知らない』
以前、自身が秘密を打ち明けたあの夜、彼がこぼしていた言葉がふと脳裏を過る。
(もしかして……あの時うみくんが言ってた『秘密』って、こういうことと関係あるのかな……?)
「私や、彼の関係者たちも引き続き彼の行方を探っている。だから君たちは、変に詮索したり騒ぎ立てたりせず、今まで通りに過ごしなさい。彼がしれっと帰ってきた時に、騒ぎになっていては困るだろう?」
冥冥の言葉は、冷徹な事実の伝達でありながら、同時に彼女たちへ向けた最大級の安心材料でもあった。
五人は顔を見合わせ、やがて揃って深く頷いた。
「……はい」
雫は一つ深呼吸をし、真っ直ぐに冥冥を見据えた。
「教えていただいて、本当にありがとうございます。ここでのことは必ず秘密にします」
雫たちの素直な返答に、冥冥は満足げに頷いた。
***
虎杖たちが高専で『神隠し』について共有されているのと同じ頃。
都内某所のマンションでは。
「……えっ。うみくんが、行方不明……?」
リビングのソファでくつろいでいた三輪は、スマートフォンに届いた高専関係者からの連絡を見て、思わず持っていたマグカップを取り落としそうになった。
『集団神隠し』『呪力残穢なし』『生存は絶望的ではないが、帰還の目処立たず』。
並べられた無機質な文字列に、三輪の頭は一瞬真っ白になる。
「嘘、でしょ……。だって、あんなに強いのに……っ」
「ちょっと霞、どうしたのよ。凄い声出して」
キッチンから、真依が不思議そうに顔を出した。
だが、その直後。
「霞! 今の連絡見た!? うみくんが行方不明って!」
自室から、スマートフォンを握りしめた西宮が血相を変えて飛び出してきた。
「えっ!? うみが!?」
真依が目を丸くする。
突然の知らせにパニックになりかける三輪だったが、
ふと、自身の胸元で揺れるネックレスの冷たい感触に気づき、ハッとして強く首を横に振った。
(違う。うみくんに限って、やられるわけない。だって、あのうみくんだよ?)
いつも涼しい顔で、理不尽なほど強くて、そして誰よりも優しい無自覚な彼。
彼があっさりと野垂れ死ぬ姿など、全く想像ができなかった。
「……大丈夫」
三輪は胸元のネックレスをぎゅっと握りしめ、ふぅと息を吐き出した。
「私が心配したところで、どうにかなるわけじゃないし。
……帰ってきた時に、お帰りなさいって『お帰りなさい』って笑顔で言えるように、私も私にできること、頑張らないと!」
「……霞、ほんとにうみのことになると情緒が忙しいわね」
「まあ、霞の言う通りかもね。あの子が死ぬなんてちょっと想像つかないし」
呆れ顔でありながらも少しホッとした様子の同居人たちをよそに、三輪は気合を入れるように両頬をパンッと叩いた。
友人たちも、呪術界の面々も。彼と関わった人々は皆、その無事と帰還を微塵も疑うことなく、それぞれの場所で前を向いていた。