王城の地下二層、東区画の突き当たりにある工房。
その重厚な木の扉の奥からは、カンッ、カンッという硬質な音と、荒い息遣いが規則正しく響いていた。
「……九十八、九十九、ひゃく……っ!」
部屋の中央では、南雲ハジメが尋常ではない量の汗を流しながら、
自重の何倍もの重さのプレートを背負ってスクワットを繰り返していた。
だが、彼の特訓はそれだけではない。
沈み込み、立ち上がるその反復運動の最中、彼の手元では魔力を帯びた淡い光が明滅している。
傍らに置かれた鉄床の上で、支給された無骨な鉱石が『錬成』の技能によって徐々に剣の形へと整形されていくのだ。
足腰の筋肉が悲鳴を上げ、脳が酸素を欲する極限状態。その中で、繊細な作業を同時に行い続ける。
「はい、終了。お疲れ様」
「はぁっ……!!」
部屋の中央に鎮座する巨大な錬金釜の前で、両手を使って小気味よく薬草を調合していたうみが声をかけた瞬間、
ハジメは背負っていた重りを投げ出し、石造りの床に大の字になって倒れ伏した。
うみの足元からは濃い影が意志を持つように立ち上り、その先端に握られた『ハリセン』が、
いつでも振り下ろせるようハジメの頭上でピタリと止まっている。
事の発端は数日前。うみは『ハジメへのハリセン』と『自身の錬金作業』を同時に行うにあたり、自身の計画のある重大な問題に直面した。
錬金術には両手を使う。つまり、ハリセンが持てない。しかしハリセンを優先すれば錬金が止まってしまう。
そこでたどり着いた結論がこの十種影法術の拡張術式『影法師』の、極めて無駄遣いかつ的確な有効活用だった。
つまりは『足りないなら足せばいい』というめちゃくちゃな思考の元考案された形なのだ。
「はぁっ……はぁっ……! し、死ぬ……」
「死なない死なない。ほら、魔力ポーション。またすっからかんでしょ」
うみが釜から視線を外すことなく、足元の影から淡いブルーの液体の入った小瓶を取り出し、ハジメの顔の横に転がす。
『南雲ハジメ強化月間』が始まってから、今日でちょうど一週間。
初日こそ、マルチタスクの処理に脳が追いつかず、幾度となくうみのハリセンの餌食になっていたハジメだったが、
今では一切手を止めることなく、トレーニングメニューと剣の整形を並行して完了させられるようになっていた。
「いやー、一週間でここまで形になるなんて思わなかったよ。ハジメ、意外と根性あるじゃん」
「……誰の、せいだと、思って……っ」
ポーションを煽り、息も絶え絶えに睨みつけてくるハジメ。
日中の『筋トレ&錬成のマルチタスク』による肉体と魔力の限界突破サイクル。そして夜間は、うみとの『組手』という名の地獄。
ハジメ視点からすれば、うみとの組手は理不尽の極みだった。
うみが圧倒的な暴力で蹂躙してくるわけではない。
むしろ逆で、うみは自身の速度や筋力を、ハジメが『ギリギリ対応できるかできないか』の絶妙なラインに完璧に調整し、キープし続けてくるのだ。
目的はただ一つ。『相手の動きをよく視て、自分の頭の中のイメージと実際の身体の動きをすり合わせる』こと。
ハジメが少しでも大振りになれば的確なカウンターをもらい、視線がブレれば死角から足を掬われる。
圧倒的な実力者によって完全にコントロールされた、息の詰まるような実戦的チュートリアル。
結果として、毎晩のように床のシミにされながらも、ハジメは実戦における「動き方」と「読み」の基礎の基礎を、文字通り身体に叩き込まれていたのだ。
「でも、ちゃんと成果は出てるでしょ? ステータスプレート見てみなよ」
うみに促され、ハジメは這い上がるようにして自身のステータスプレートを起動する。
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南雲ハジメ 17歳 男 レベル:1
天職:錬成師
筋力:32
体力:38
耐性:25
敏捷:42
魔力:65
魔耐:28
技能:錬成・言語理解
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「ステータス合計230。もともとが合計60だったから約3.8倍。すごい伸び方だねぇ」
初期値の『オール10』から、わずか一週間で数倍の数値へと跳ね上がっていた。
特に『魔力』に至っては初期値の六倍以上だ。
これはうみが初日に幻術で見せた偽装ステータス(全体平均よりやや下)を大きく上回る数値である。
毎日限界まで魔力を使い切り、ポーションで無理やり回復するという荒療治を繰り返した結果、
「空になった器が強制的に拡張される」ような理屈で異常な成長を遂げたのだろう。
他のステータスも、うみの偽装数値に肉薄しつつある。
「……うん。信じられないくらい伸びてる」
ハジメの目に、確かな自信の光が宿る。
「基礎の整形技術も安定してきたしね。マルチタスクにも相当慣れてきたみたいだね」
うみはハジメが錬成した訓練用の剣を手に取り、しげしげと観察した。
刃付けこそされていないが、重心のバランスや強度は、一週間前の素人が作ったものとは比べ物にならないほど整っている。
「よし。予定通り、今日の基礎トレはこれでお終い!お休み!」
うみがパンッと手を叩いて宣言すると、極限の疲労に喘いでいたハジメがビクッと肩を揺らした。
「……えっ? お休み? いやちょっと待って、予定通りって何!? 僕、そんな予定一言も聞いてないんだけど!」
「そりゃ言ってないもん。一週間後の成長予想を大体で立てて、
そこに達してたら今日は次の段階に進むための準備の時間にしようって俺の中で決めてただけだからね。
錬成術もステータスも及第点!予定通りに成長してくれてよかったよ」
「…………」
にっこりと笑ううみの言葉に、ハジメはサッと顔を青ざめさせた。
(予定通り成長してくれたから今日は休み……ってことは、もし成長予想を下回ってたら、今日も……!?)
この親友のスパルタっぷりとブレない合理性に、ハジメは心底恐ろしいものを感じて震えた。
「で、一週間の成果が出たから、今日は錬成術を次の段階に進めるための準備に時間を使おうと思ってね」
うみは手にした剣を軽く振り、ハジメを見下ろした。
「俺、今からこの剣を持って、ちょっと『交渉』に行ってくる」
「交渉って……まさか」
「そう。そろそろハジメに、実戦用の武具の生産ラインを一部任せてもらえないか掛け合ってみる。
この訓練用の剣を見せて、『とりあえずテストで本物の真剣を一本打たせるための素材を貸してくれ。合否はその出来を見て判断してよ』って感じでね」
「いきなり真剣!? 僕、まだ刃付けもやったことないんだけど!?」
驚くハジメに、うみはあっさりと頷く。
「だから、今日はハジメに城のお抱え職人たちがいる鍛冶工房へ行ってもらう」
「鍛冶工房に? 僕が?」
「ほら、団長さんが言ってたっしょ? お抱えの職人さんはみんな『錬成』持ってるって。
つまり、城の工房はハジメにとっての参考書そのもの。
素人が頭ひねるよりも、本職の『技術』を直接目で見て盗んだほうが効率的でしょ?」
「なるほど……プロの技術を直接見て、自分の錬成の参考にするわけだ」
「そゆこと。あ、見学の許可は俺がこの後取ってくるから。もちろん夜の『組手』は通常通りあるから覚悟しといてね」
「うっ……お手柔らかに頼むよ……」
ハジメが肩を落とすのを見て、うみは満足げに笑う。
「で、うみくんはどうするの? 交渉の後は?」
「俺? 俺は外に出る。城下の外にね」
「そ、外!? なんで!?」
「そりゃあフィールドワークに決まってるでしょ? 錬金術師なんだから自力での素材採取は基本だよ!」
「いやいや、基本って言ってもさすがに許してもらえないでしょ。うみくん、自分が平均的で通ってること忘れてない?」
「まぁ、その辺の『交渉』もセットでやってくるから。じゃ、行ってくるね!」
(相変わらず凄い行動力……)
ハジメのジト目と心の中のツッコミを背に受けながら、うみはひらひらと手を振り、足取りも軽く工房を後にした。
***
王城内、騎士団の詰所・団長執務室。
「――というわけで、だんちょー。これ、ハジメが錬成した剣ね」
「……お前なぁ。また突然やって来て、いきなりなんだ」
執務机で書類仕事をしていた騎士団長メルド・ロギンスは、うみによってドンッと机に置かれた無骨な剣を見て、深々とため息を吐いた。
うみは悪びれる様子もなく、ニコニコと笑いながら要件を切り出す。
「見ての通り、刃付け以外の重心や強度は完璧でしょ。
そろそろハジメを実戦用の武具生産ラインに一部噛ませてほしいんだよね。
とりあえずこの剣を担保にして、『試しに本物の真剣を一本造らせるから、その出来を見て判断してくれ』って、
担当の文官か職人の長に伝えてくれない?」
「……確かに、たった一週間で素人が作ったとは思えん出来だが。いきなり真剣をか?」
メルドは剣を手に取り、そのバランスの良さに僅かに目を見張った。非戦闘職と嘲笑されていた少年の、確かな努力の結晶。
「見学の許可もセットでね。今日、本職の鍛冶師の仕事を見学させて、そうだな……三日以内に一本作らせるよ。
多分、量産型としては十分通用するものができると思うよ。さすがにここぞの一本ってレベルのはまだ無理だけどね」
「分かった。城の専属鍛冶師の長に見せてみよう。お前がそこまで言うならな」
「話が早くて助かるけど……だんちょーってなんか俺に対しての評価高くない? ちょっと不安になってくるレベルなんだけど?」
うみが小首を傾げて尋ねると、メルドは深い疲労を感じさせる目でうみを見返した。
「……この一週間、王女殿下を巻き込んで城の部署をいくつも引っ掻き回した挙句、
きっちりと結果を出している奴の言葉だ。お前がただの無力な子供じゃないことくらい、嫌でも理解させられているだけだ」
メルドの渋面を見て、うみは「あはは、そりゃどうも」と軽く笑い飛ばす。
「じゃあ、その高評価を信じてもう一つお願い」
「まだあるのか」
メルドの顔に、いつもの胃痛の予兆が浮かぶ。
「今日、俺は城下の外に出たいから、騎士を一人貸してほしい」
「……は?」
「やっぱり錬金術師たるもの、自分の足で素材採取しなきゃ二流だからね。
でも、俺一人で勝手に出たらだんちょーたち絶対怒るじゃん? だから、俺のお目付役として騎士を一人同行させてよ」
極めて論理的かつ、有無を言わさぬ圧を伴った笑顔。
(こいつの行動力なら知らぬ間に抜け出しかねんか……
ならばこいつの言う通り、最初から監視をつけて行かせてやった方が安全だろう)
メルドは数秒の思考の末、「……分かった」と渋々頷いた。
「だが、森の浅いところだけだぞ。それ以上は騎士が同行するとはいえ、お前のステータスでは危険だ」
「十分。そもそもそこらの街道に落ちてるものですら材料になるのが錬金術だからね。森の時点で宝庫だよ」
「……ならいい」
メルドは小さく息を吐き、執務室の外で待機していた騎士たちを見渡して一人の女性騎士を指名した。
「おい、セリア!」
「はいっ! メルド団長!」
呼ばれて駆け寄ってきたのは、キリッとした目元と引き締まった体躯を持つ若手女性騎士だった。
「セリア、今日一日、月影の城外探索に同行しろ。くれぐれもこいつのペースに呑まれるなよ」
「えっ? あ、はい! 承知いたしました!」
セリアはメルドの『呑まれるなよ』という忠告の真意を図りかねたように目を瞬かせながらも、直立不動で敬礼した。
うみはセリアに歩み寄ると、愛想よく手を差し出す。
「たった今、ご紹介に預かった月影うみだよ。今日一日よろしくね、セリアさん。
足手まといにはならないから安心して」
「は、はい……? 月影殿、微力ながらお護りさせていただきます……」
セリアは差し出された手と、うみの顔の半分を覆う不審極まりない黒い目隠しを交互に見比べた。
(この、得体の知れない少年?が異世界からの神徒様……?)
明らかな困惑と警戒を顔に浮かべたまま、セリアが恐る恐るその手を握り返すのを見ながら、
メルドは心の中で(……どうか無事に帰ってきてくれよ)と、
これから襲い掛かるであろう心労に部下が無事でいられることを深く祈っていた。
***
王都の巨大な城門を抜け、深い緑に覆われた郊外の森へと続く街道。
なだらかな土の道を、うみとセリアは一定の距離を保ちながら歩いていた。
(団長は『ペースに呑まれるな』と仰っていたけれど……)
セリアはチラチラとうみの横顔を窺う。
目隠しという異様な風体こそ気になるものの、城下町を抜けるまでのうみは、珍しい出店を眺めては無邪気に喜ぶ、年相応の少年そのものだった。
態度も礼儀正しく、警戒していたような振る舞いもない。
(団長は少し気にしすぎなのでは? これなら任務も難なく終わりそう―)
「ねえ、セリアさん。さっきから俺のことチラチラ見てるけど、どうかした?」
「ひゃっ!? い、いえ! 決して怪しんでいるわけでは……!」
突然声をかけられ、ビクッと肩を揺らすセリア。
うみは歩みを止めると、おかしそうにくすくすと笑い声を漏らした。
「あはは、セリアさんって隠し事できないタイプなんだねー。怪しんでるかどうかなんて聞いてないのに全部言っちゃった」
「そ、そんなことありませんっ! 私はこれでも騎士団の……っ」
「ふふっ、ごめんね。ちょっと意地悪しちゃった♪」
図星を突かれてカァッと頬を赤くし、むきになって反論しようとするセリアを、うみは微笑ましそうに見つめた。
セリアの意地を軽く受け流すと、うみはくるりと振り返って自分の顔の半分を覆う黒い布を指差した。
「これが気になるのかな? まあ普通こんなのつけて生活する人居ないもんね」
「そ、それは……申し訳ありません。ですが、やはりその、視界はどうなっているのかと、少し気になってしまい……」
「いいよいいよ、気にしないで、慣れてるし。
この一週間、ずっと城下か城内でしか動けなかったからさ……久々の外でちょっとテンション上がってるんだよね。
だから、ちょっとだけでいいなら見せたげるよ?」
うみはご機嫌な様子でニコッと笑うと、目隠しの端に指をかけた。
セリアはゴクリと息を呑む。
(異世界からの神徒様。その隠された素顔には、一体どんな神聖な、あるいは恐ろしい印が――)
極度の緊張に身を固めるセリア。
うみが指を滑らせ、黒い布がスッと下ろされる。
そこに現れたのは――宝石のように澄み切った、吸い込まれるような『蒼』だった。
(え……?)
恐ろしい印など微塵もない。神聖さすら帯びたその美しすぎる瞳に射抜かれ、
セリアは息をするのも忘れ、魅入られたように完全に石化してしまった。
時が止まったかのような錯覚。
だが、その神秘的な静寂は、わずか数秒で呆気なく打ち砕かれた。
「あっ! セリアさん!あれ何!?」
「ひゃいっ!?」
突然大きな声を出し、街道脇の木を指差して目を輝かせるうみ。
先ほどまでの神秘的で圧倒的な空気はどこへやら、完全にテンションの上がった子供そのものである。
凄まじい情緒のジェットコースターに思考が追いつかず、セリアは混乱の極みに達しながらも、反射的に指差された方を見て答えた。
「え、あ……? ああ、ふぐですね。そろそろ実が落ちてくる季節ですね」
「……ふ、ぐ?」
今度はうみがピタリと動きを止めた。
指を差したまま、ギギギ……と錆びた機械のように首をセリアに向ける。
「ふぐって……あの、ふぐ? 海に住んでて刺激を受けるとプクッと膨んでとげとげする、あのふぐ?」
「海……? いえ、ふぐは木の実ですから海にはいませんよ。
ただ仰る通り、硬いトゲトゲの殻に覆われていて、熟して落ちる頃になると一気にプクッと膨らむんです。
落ちてきて頭に当たると痛いんですよね」
「ふぐが……木に……!!」
セリアは、何を当たり前のことを、というようなきょとんとした顔でうみを見つめ返した。
「? 何を当たり前のことを仰っているんですか。ふぐは木に生るものですけれど……」
「…………」
うみは数秒間フリーズした後、バッと顔を上げ、期待に満ちた目でセリアに詰め寄った。
「じゃ、じゃあ『うに』は!? 『うに』も木に生るの!?」
「ひゃあっ!? ち、近いです月影殿っ……! いやその、うに、ですか?
……いえ、うには海の底の岩場にいる生き物ですが。それが木に生るわけがないじゃないですか」
さきほどの圧倒されるような美しい顔が、突如として至近距離に迫ってきたことで、
セリアはパニックを起こして顔を真っ赤にしながら後ずさった。
だが、うみはそんな彼女の動揺など全く気に留めず、がっくりと肩を落とした。
「そんなぁ……」
(ふぐが木に生るなら、うにも木に生る世界線だと思ったのに……なんでうには海のままなんだよ!)
錬金術師たるもの、『爆粉うに』は必ず通らなければならないと考えていたうみは、
うにを爆弾にできないという事実に、密かに絶望した。
だが、気を取り直すように目隠しをサッと元の位置に戻すと、うみは一つ咳払いをし、
道端に落ちていた手頃な石を拾い上げ、木の上に向かって軽くスナップを効かせて投げた。
ポスッ、ポスッ、という小気味良い音と共に、枝が揺れて『ふぐ』がいくつか落ちてくる。
うみはそれを両手で器用にキャッチし、まじまじと見つめた。
ゴツゴツとした硬い皮と鋭い棘に覆われた、人の頭よりも少し小さいくらいの大きさの球体。
まだ熟していないのか、膨らんではいない。
「えーと、とりあえず『鑑定』」
うみが短く唱えると、彼の目の前の空間に半透明のウィンドウが浮かび上がった。
===============================
名称:ふぐ(未熟)
ランク:C
カテゴリ:(植物) (木の実)
品質:45
属性:風1 / 土1
特性:『硬い殻』『痛烈なトゲ』『膨張する力』
超特性:なし
解説:街道沿いや森の入り口に自生する木の実。熟すと大きく膨らみ、落下して下を歩く者の頭を狙う厄介者。
===============================
(おおー。ちゃんとアトリエ仕様のUIだ……でも宝物庫で見たときは違ったよね?
何でだろ? 鑑定の練度が上がったから? それとも錬金術の練度が上がったから?)
うみは少しだけ首を傾げたが、「まあいいや」とすぐに思考を切り替えた。
「えっと、他にも落ちてるやつはないかなー」
うみは木の根元付近に視線を巡らせ、草むらの中に転がっている別のふぐを発見した。
それは先ほど木から落としたものより一回り大きく、パンパンに膨れ上がって棘のサイズも大きくなっている。
セリアの言っていた通り、熟して落ちる際に『プクッと膨らんだ』状態のようだ。
うみはそれを拾い上げ、再び『鑑定』をかけた。
===============================
名称:ふぐ(完熟)
ランク:C+
カテゴリ:(植物) (木の実)
品質:55
属性:風2
特性:『弾け飛ぶ』『痛烈なトゲ』『範囲拡大』
超特性:なし
解説:完全に熟して木から落ちたふぐ。少しの衝撃で激しく破裂し、トゲを撒き散らすため非常に危険。
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(なるほど……特性が変わって、属性が単一に……
使い勝手は悪くなるけど属性値は上がってるからケースバイケースで使い分けだね)
うみは未熟なふぐと完熟したふぐを両手で見比べながら、一人でうんうんと頷き、極めて純粋な笑みを浮かべた。
(うん、これならいける。この完熟ふぐの『弾け飛ぶ』特性をベースにして、未熟な方の『硬い殻』特性を錬金釜で掛け合わせる。
そこにいろいろ放り込めば……『爆粉うに』ならぬ『爆粉ふぐ』の完成!)
『うに』ではないが、十分に代用可能だ。
アトリエ的錬金術の第一歩を踏み出せそうな予感に、イメージが膨れ上がる。
「セリアさん!ふぐ集めるの手伝って!」
「えっ? あ、はい。それは構いませんが……あの、月影殿? なぜそんなに嬉しそうに……?」
セリアの素朴な疑問に対し、うみは満面の笑みで振り返った。
「だって、これがいっぱいあれば色んなものが作れるからね! 錬金術の基本は素材集めからだよ。
ほら、そっちの丸いやつも全部お願い!」
「は、はい……。ですが、トゲが危ないので気をつけてくださいね」
セリアの心配をニコニコ笑顔で受け流しつつ、うみは道端に落ちている『未熟なふぐ』と『完熟ふぐ』を次々と拾い集めていく。
そして、ある程度手元に集まったところで、何もない空間に向かって手を差し入れた。
ポンッ、ポンッ、と小気味良い音を立てて、両手に抱えた大量のふぐが虚空へと吸い込まれて消えていく。
「えっ……? 今、ふぐが消え……っ!? 空間収納のアーティファクト!? いえ、道具も使わずに……っ!?」
突然の超常現象を目の当たりにしたセリアは、目を丸くして硬直した。
この世界において、空間を利用する収納技術など、一部の国宝級アーティファクトにしか存在しないはずの超希少な代物である。
しかし、うみは驚愕するセリアを不思議そうに見つめ返し、あっけらかんと言い放った。
「ん? ああこれ? 俺の技能『カゴ』。多分錬金術師専用の技能で、
こうやって採取した素材とか、調合した道具なんかを仕舞っておけるの」
「専用の技能で、空間収納を……!?」
(この方は、息をするように国宝級の御業を……っ!? 団長の言っていた通り、やはりただの子供ではないということですか!)
セリアが戦慄していることなど露知らず、うみは内心で一人ガッツポーズを決めていた。
(この一週間でちょっとだけ魔力が伸びて200……それに伴いカゴの枠も200に。
これだけ入れてもまだまだ余裕がある!素晴らしいね)
『爆粉ふぐ』の素材をたっぷりと確保し、ホクホク顔のうみ。
セリアは彼を「不思議な術を使う、純粋な少年」として微笑ましく見守ろうとしていた矢先の特大の衝撃に頭を抱えそうになりながらも、二人は街道を外れて森の中へと足を踏み入れた。
木漏れ日が差し込む穏やかな浅層の森。
だが、そこはうみにとって、単なる自然の風景ではなく『光り輝く採取ポイントの宝庫』に見えていた。
「わっ、あの草! セリアさん見てみて、葉脈が少し青く光ってる!」
「ひゃっ!? つ、月影殿、近いですって……!」
うみは道端に生えていた雑草を引っこ抜くや否や、セリアの目の前まで駆け寄り、ズイッと身を乗り出してそれを見せつけた。
目隠しをしているとはいえ、鼻先が触れ合いそうなほどの至近距離。
先ほどの『素顔』の衝撃が脳裏に焼き付いているセリアは、心臓を跳ね上がらせて慌てて一歩後ずさる。
だが、素材探索モードでテンションが振り切れているうみに、彼女の様子など伝わるはずもない。
「これ絶対、魔力が籠もってる薬草とかそういうのだよ!」
うみが興奮気味にそう言って『鑑定』をかけると、空中に半透明のウィンドウが浮かび上がった。
===============================
名称:トルト草
ランク:D
カテゴリ:(植物) (薬草)
品質:30
属性:風1 / 水1
特性:『微かな治癒』
超特性:なし
解説:魔力溜まりの近くに生える一般的な薬草。傷口にすり込むと少しだけ痛みが和らぐ。
===============================
(おー!やっぱり薬草だ! どうやって使おうかなぁ。ドーナツ作っちゃう? 『アスラドーナツ』みたいに!)
うみは鼻歌交じりにトルト草をむしり取っては、次々と『カゴ』の中へ吸い込ませていく。
かと思えば、今度は崖際に露出している岩肌へ一直線に駆け出した。
(おっ、あそこ赤っぽい岩がある! 何かの鉱石かな?)
「あ、あの! 走らないでください、護衛が追いつけませんっ……!」
カンッ、カンッ!と、どこから取り出したのか(当然これも『カゴ』からである)、手頃なピッケルで岩肌を叩き、赤い鉱石を嬉々として削り出していく。
草、石ころ、木の実、謎のキノコ。
森の中にあるありとあらゆる『採取ポイント』に吸い寄せられ、そのたびに極上の笑顔で「見てみて!」とセリアに距離を詰めてくる。
セリアはその度に顔を赤くしてドギマギさせられ、さらに飛び出す突拍子のない行動の連続に、護衛としての緊張感などとうの昔に吹き飛んでいた。
(な、なんなんですかこの方は……っ。さっきまでの神秘的な雰囲気はどこへ行ったんですか!)
だが、無邪気に素材を集めるうみの姿は、本当にただの純粋な少年のそれだった。
セリアは大きくため息をつきながらも、彼を危険な魔物から守るために周囲への警戒だけは怠らないようにしていた。
「あ、川だ! セリアさん、水! 水があるよ!」
「はい。綺麗な小川ですね。喉でも渇きましたか?」
「ううん、違うよ! 水だよ! 採取しなきゃ!」
うみは川辺にしゃがみ込むと、『カゴ』の中から空のガラス瓶をいくつも取り出し、ジャブジャブと小川の水を汲み始めた。
「えっ……? お水、ですか?」
「そうだよ。錬金術において『きれいな水』は最も汎用性が高い素材だからね。基礎的な調合液を作るのにも必須だし。いくらあっても困らないんだよ」
「み、水が、素材……?」
ただの木の実を異常な熱量でかき集め、伝説級の空間収納を息をするように使いこなし、今度はただの川の水を後生大事に瓶に詰めている。
セリアの常識がまた一つ、音を立てて崩れ去った。
だが、うみが十本目の瓶に水を満たした、その時だった。
ガサリ、と対岸の茂みが大きく揺れた。
セリアは瞬時に騎士の顔つきに戻り、腰の剣を引き抜いてうみの前に進み出た。
「月影殿、下がって! 魔物です!」
茂みを掻き分けて現れたのは、半透明の青いゼリー状の体を持つ、人の膝丈ほどの生き物。
トータスにおける最弱クラスの魔物、『ブルースライム』だった。
ポヨン、ポヨンと間抜けな音を立てて跳ねながら、水場に近づいてくる。
……なんだ、ただのブルースライムですか。森の浅層とはいえ、やはり出ますね」
最弱の魔物であると確認し、セリアは少しだけ肩の力を抜いた。だが、護衛対象の安全を確保するためには討伐しておくに越したことはない。
セリアが軽く剣を構え、スライムの核を突こうと踏み込もうとした瞬間。
背後に庇っていたはずのうみが、セリアの肩越しに身を乗り出して歓喜の声を上げた。
(ぷ、ぷにだぁぁぁーーっ!! リアルぷにだ!!)
「わあっ! セリアさん、あれ倒して! 核だけ綺麗に砕いて、ゼリーの部分はなるべく残してね!!」
「えっ!? ぜ、ゼリーを残す?」
魔物に怯えるどころか、珍しいおもちゃでも見つけたかのように目を輝かせるうみ。
セリアは調子を大きく狂わされながらも、「や、やあっ!」と鋭い踏み込みと共に剣を振り抜いた。
騎士の洗練された一撃はスライムの急所である核だけを正確に砕き、ゼリー状の体はパシャリと音を立てて崩れ落ちた。
「や、やりました。これでよろしいので――」
「やったー! ありがとセリアさん!」
セリアがホッと息を吐いて剣を収めようとした、その時。
うみは歓喜の声を上げながら――あろうことか、セリアにガバッと抱き着いた。
「ひゃんっ!? つ、月影殿!? な、何を急に……っ!」
突然の熱烈なハグ。先ほどからドギマギさせられていた少年からの予想外のスキンシップに、
セリアの顔は瞬く間に沸騰し、パニックで完全にフリーズしてしまった。
「おー! ちゃんとゼリー残ってる!」
「……えっ?」
うみは感謝を伝えるや否やパッとセリアから離れ、今度は足元に崩れたスライムの死骸……もとい、形を失った大きなゼリー状の塊の前にしゃがみ込んだ。
セリアは顔を真っ赤にして両腕を少し浮かせたポーズのまま、ポツンと取り残される。
そんな彼女の羞恥などどこ吹く風で、うみは至近距離で残骸をまじまじと観察し始めた。
「えーっと、『鑑定』!」
===============================
名称:ぷるぷる
ランク:F
カテゴリ:(液体) (ぷにぷに)
品質:20
属性:水1
特性:『打撃緩和』『斬撃弱化』
超特性:なし
解説:ブルースライムの体を構成していた粘性体。弾力があり、強い衝撃を分散させる。
===============================
「おおー!」
うみは歓声を上げながら、半透明の青い塊を指先でツンツンと突いた。
見た目はただの液体だが、触ってみると意外にもしっかりとした反発力がある。
ベトベトというよりは、まさに分厚いゴム風船のような『ぷにぷに』とした感触だった。
かき集めて加工すれば、緩衝材になりそうな弾力だ。
(名称は『ぷるぷる』で、カテゴリが(液体)で(ぷにぷに)……液体なのに、ぷるぷるでぷにぷにとはこれ如何に。
それはもう液体ではないのでは? まぁいっか!)
うみは確かな弾力を持つスライムの残骸を両手でむんずと掴み上げ、ちぎっては空のガラス瓶へと嬉々として詰め込み始めた。
(この『打撃緩和』の特性を活かして防具に混ぜ込めば、打撃耐性が付きそう!
でも、他の素材との比率を間違えると、逆に斬撃に弱くなるデバフが付いちゃいそうだから調合の腕の見せ所かな?
多分中和剤とかも作れるんだろうし、たくさん集めとこ)
純情を弄ばれた挙句、魔物の死骸(スライム)を素手で掴み、ツンツンと小突き、あまつさえ目をキラキラさせて破片を瓶に詰めていく常軌を逸した光景。
自分ばかりが年甲斐もなくドギマギさせられ、当の本人は微塵もこちらを意識していないという事実に、セリアは情けなさと悔しさでとうとう頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
(もう……もう嫌です。自分ばかり振り回されて……っ。この方の護衛、心臓がいくつあっても足りません……っ!)
***
二時間ほどしたころ。うみの常軌を逸したハイペースな採取に付き合わされ続けたセリアは、すっかりと疲弊しきっていた。
太陽が南中を過ぎた頃、うみはようやく立ち止まり、周囲を見渡した。
「よし! 午前中の採取はこれくらいでいいかな。セリアさん、お腹空いたでしょ? お昼ご飯にしよう!」
「……え? あ、はい。そうですね……」
心身ともにヘトヘトになっていたセリアは、虚ろな目で頷いた。
(お昼ご飯と言っても、こんな森の中だ。せいぜい硬い携帯用の干し肉かパンをかじるくらいだろうけれど……)
そんなセリアの予想に反して、うみは朝からずっと肩から提げていた大きめの革バッグをドサリと地面に置き、ゴソゴソと中を漁り始めた。
セリアは少し不思議そうにその様子を見つめる。
(そういえば、月影殿はあれほどの空間収納の御業をお持ちなのに、なぜわざわざあんな大きなバッグを持ち歩いているのかと疑問でしたが……)
「じゃーん! 特製サンドイッチと、野菜たっぷりのスープだよ!」
バッグから次々と取り出されたのは、色鮮やかな具材がパンパンに詰まったふかふかのサンドイッチと、
しっかりと蓋が閉められた、頑丈そうな金属製の水筒だった。
さらに、清潔な敷物まで手際よく広げられていく。
セリアは目を丸くして、信じられないものを見るようにそれらを見つめた。
「あ、あの! 一つお聞きしてもよろしいですか?」
「ん? なに?」
「なぜ、お食事はそのバッグから……? あの便利な空間収納に入れれば、荷物にもならなかったと思うのですが」
「え? だって、素材とか採取道具と同じ空間に自分が食べるご飯を入れるのって……なんか嫌じゃない?」
「えっ」
「技能の仕様的に多分入れた物ごとに個別の空間があるだろうけど……
なんかこう、気分的に嫌でしょ? 万が一もあるし」
「あ……た、確かにそれは嫌ですね……」
伝説級の御業を使いこなしているというのに、その運用理由は極めて庶民的というか、ただの『気分』の問題であった。
スケールが大きいのか小さいのか分からないうみの言動に、セリアはまたしても頭の中がバグりそうになる。
「ほら、はやく食べよ!」
うみはニコニコと笑いながら、セリアの手にサンドイッチと、金属の水筒から注いだスープの入ったカップを握らせた。
香ばしいパンと、じっくりと煮込まれた肉と野菜の匂いが鼻腔をくすぐる。
空腹だったセリアのお腹が、思わずきゅるると小さな音を立てた。
「あ……」
「あはは! 遠慮しないでいっぱい食べてね」
恥ずかしさで顔を赤くするセリアを微笑ましく見つめながら、うみもサンドイッチにかぶりつく。
羞恥を抑えながらも(さすがにもう冷めてしまっているだろうけど……)とセリアも恐る恐るスープを口に運び、一口飲んで――目を丸くした。
「温かい……!?」
思わずこぼれた声に、うみが「ん?」と首を傾げる。
「なぜですか!? このスープ、全く冷めていません!それどころか出来立てのようです!」
「あはは、驚いた? その容器ね、俺が錬金術で『保温』の特性を付与した特製品なんだ。
だからいつどこで開けても、熱々の状態をキープできるってわけ」
「そ、それはつまり、いつでもどこでも出来立ての温かい状態を保てるということですか……!」
(もしそんな魔道具が軍にあれば、過酷な遠征や戦場においてどれほど画期的なことか……っ!)
一人戦慄しているセリアの様子に気づくこともなく、うみは少し照れくさそうに頬を掻いた。
「……まぁ、俺たちの世界ではありふれてたものだったからさ。
頑張って作ってみたけど、錬金術の力を活かし切れてるかって言われると、微妙なんだけどねぇ」
「な、何を仰っているのですかっ!?」
セリアはたまらず身を乗り出し、声を張り上げた。
「このような恒久的な『保温機能』を持つ魔道具など革命も革命! 王侯貴族がこぞって欲しがる超一級品の代物です!
決して錬金術の無駄遣いなどでは――」
「うーん……」
セリアが必死にその素晴らしさを力説しようとしたその時、うみは不意にサンドイッチを食べる手を止め、わざとらしく唸り声を上げた。
「えっ?」
「……堅い」
「か、堅い、ですか? サンドイッチのパンでしょうか……?」
きょとんとするセリアに対し、うみはビシッと彼女の鼻先を指差した。
「違う違う! セリアさんのその話し方! ずーっと気になってたんだよね。多分俺より年上でしょ?」
「えっ? は、はい。私は今年で二十になりますが……」
「ならなんでそんなに堅苦しいのさ! ここから敬語禁止ね!! 普通に喋って!」
「む、無茶なことを仰らないでください! 私はメルド団長から月影殿の護衛を任せられた身であり、
仮にも異世界から来られた神徒様にそのような馴れ馴れしい口調でなど――」
セリアが真面目に反論しようと口を開いた、その瞬間だった。
「ふーん……そっかぁ。どうしても聞いてくれないんだ」
うみの声から、先ほどまでの無邪気で子供っぽいトーンがスッと消え失せた。
「え……?」
戸惑うセリアの視界から、うみの姿がふっと消える。
次の瞬間、ぞくりと、セリアの背筋に悪寒にも似た痺れが走った。
いつの間にか、うみがセリアの背後に回り込み、その顔を肩口にすり寄せるほどの至近距離まで詰めていたのだ。
「敬語、やめてくれないと……」
耳元に直接吹きかかる、甘く、それでいてどこか危険な香りを孕んだ吐息。
先ほどの純粋な少年とはまるで別人のような、艶やかで大人びた低音が響く。
「……いたずらしちゃうよ?」
「ひゃあうっ!?」
耳の奥を直接撫で上げられるような破壊力抜群の囁きに、セリアは変な声を上げて飛び退いた。
真っ赤に染まった顔で慌てて振り返ると、そこには――いつの間にか例の黒い目隠しを外し、至近距離でこちらを見つめるうみの姿があった。
宝石のように澄み切った蒼い瞳。
そして、端正すぎる顔立ちに浮かべた、蠱惑的で、どこか大人の色気を帯びた危険な微笑み。
完全に射抜かれたようにセリアの動きが止まり、全身の血が沸騰するような錯覚に陥る。
(なんかよくわかんないけど……これめっちゃ楽しい!)
魅惑的な表情を完璧に作り上げながら、うみは内心で一人ご満悦だった。
この一週間の引きこもり生活から解放され、久々の外でいつも以上にテンションが上がり、
彼の中で何かのタガが外れてしまっていたのだ。
その結果、地球にいた頃からハジメを弄り倒しているうちに、
知らず知らず目覚めてしまっていた
悪気のない天然の小悪魔ムーブであるからこそ、余計にタチが悪い。
そんな自身の状態に気付くこともなく、うみは数秒間、その危険な微笑みで彼女を存分にフリーズさせた後――。
ふっと、その危険な香りを消し去り、いつもの柔らかく純粋な笑顔に戻った。
「あはは、冗談だよ。そんなに逃げないでよー」
「えっ……あ、あの……」
「でも、敬語の件は本当。少しずつでいいからね、セリアさん」
「なっ……!? つ、月影殿……っ!!」
(なんなのですか、この方は……っ!)
常識外れの魔物への反応。息をするように使う伝説級の御業。料理のためだけに無駄遣いされる革命的な錬金術。
そして、この心臓に悪すぎる急な小悪魔ムーブ。
あまりの情緒の乱高下に、セリアはすっかり毒気を抜かれ、抗議する言葉も紡げずにへたり込んでしまった。
そんな彼女を面白そうに眺めながら、うみは悪びれもせず「あはは、スープ冷めちゃうよ」とサンドイッチを頬張る。
セリアは恨めしそうなジト目を向けつつも、大人しくもう一度スープを口に運んだ。
じわぁっと染み渡るようなその温かさと美味しさに、ふぅ、と自然と息が漏れる。
振り回されてばかりの午前中だったが、こんな風に美味しいお昼ご飯を一緒に囲んでいると、不思議と苛立ちや疲れが溶けていくような気がした。
***
そして時は流れて王城内、騎士団長執務室。
「だんちょー、ただいまー!」
バァン!と勢いよく扉が開かれ、うみが満面の笑みで執務室に飛び込んできた。
書類と睨み合っていたメルドは、ビクッと肩を揺らしてペンを止める。
「一応、無事に帰還しましたって報告は入れといた方がいいかなーと思ってね! ただいま戻りました!」
「……ああ。怪我はないようだな。何よりだ」
メルドが深くため息を吐きながら視線を向けると、うみの後ろから、ひどく疲労困憊した様子のセリアがフラフラと入室してくる。
「セリア、ご苦労だった。……どうした? ひどく疲れているようだが。何か危険な目にでも遭ったか?」
「は、はいっ! いえっ、危険な目というか、その……た、大変、刺激的で貴重な経験をさせていただきました……っ!」
セリアは直立不動で報告しようとするが、その目はどこか泳いでおり、頬には微かに朱が差している。
「そっかそっか! 俺も楽しかったよ!」
うみはニコニコと笑いながら踵を返し、扉へと向かう。そして、部屋を出る直前――ふと足を止め、振り返った。
かと思えば、スッと音もなく再びセリアの傍まで距離を詰め、その耳元へと顔を寄せる。
「今日は一日ありがとね、セリアさん――」
言葉を切るや否や、うみはスッと音もなく再びセリアの傍まで距離を詰め、その耳元へと顔を寄せた。
そして、メルドには聞こえないほどの小さな、それでいて昼の森で見せたあの艶やかなトーンで甘く囁く。
「……また一緒にお出かけしようね?」
「ひゃっ!? あ、えと、その……っ! つ、月影殿ぉ……っ!」
耳元への突然の追撃に、セリアの顔がポンッと音を立てんばかりに真っ赤に沸騰する。
完全に腰から砕け、両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった彼女を尻目に、
うみは「あははっ! じゃ、だんちょーまたねー!」と満足げな笑い声を残し、疾風のように執務室から撤収していった。
パタン、と軽快な音を立てて扉が閉まる。
静まり返った執務室に残されたのは、顔を真っ赤にしてうずくまる若手女性騎士と、無言で天を仰ぐ騎士団長。
(……『ペースに呑まれるな』と忠告したはずだが……完全に手玉に取られているじゃないか。ダメだったか……)
メルドは、自身の胃の辺りがまたキリキリと痛み出すのを感じながら、深々と頭を抱えたのだった。
***
王城の地下二層、東区画のうみとハジメの
「ただいまー、ハジメ」
「あ、おかえりうみくん。そっちも終わったんだね」
「うん、バッチリ! で、ハジメの方はどうだった? 先輩錬成師たちの腕前は?」
うみが尋ねると、ハジメは目を輝かせて興奮気味に語り始めた。
「すごかったよ! プロの『錬成』は全然違った! 魔力の流し方とか、整形の時のイメージの固定とか、無駄が一切ないんだ。ずっと見てても飽きなかったよ」
「おー、そりゃよかった。参考になったみたいだね。で、テストの話はどうなった?」
「うん。午前中にうみくんがメルド団長に話を通して、あの剣も渡してくれてたおかげでスムーズだったよ。
職人も、団長経由で訓練用の剣を見たみたいで、凄く驚いててさ。とりあえず一本分だけ素材を回してもらえるようになった」
「おー。ほんとに仕事速いな団長さんは」
「で、うみくんのフィールドワークの方はどうだったの? ちゃんと素材は集まった?」
「うん、バッチリ! そうだ、見てよハジメ!」
うみは嬉々とした声を出して『カゴ』からポンッと一つの素材を取り出し、ハジメの目の前に突き出した。
ゴツゴツとした硬い皮と鋭い棘に覆われた、人の頭よりも少し小さいくらいの大きさの球体。
「なにそれ? トゲトゲしてるけど……」
「ふぐだよ」
「……ふぐ?」
ハジメは目を瞬かせた。彼の常識において『ふぐ』といえば、怒ると膨らむあの海洋生物である。
「えっ!? フィールドワークって海まで行ったの!? この王城から見える範囲に海なんてなかったと思うけど……」
「ううん? 行ったのは近くの森だよ」
「…………はい?」
ハジメの頭の上に大量のハテナが浮かぶ。
「なんで森に行ってふぐを持って帰ってくるの?」
「聞いて驚きたまえよハジメくん。この世界において、ふぐは木に生るらしい」
「ふぐが!? 木に!?」
「うん。ちなみに、木から落ちるくらい完熟するとこうなる」
ポンッ、とうみがもう一つ『カゴ』から取り出したのは、先ほどよりも一回り大きく、パンパンに膨れ上がった球体だった。
棘はさらに鋭く逆立ち、そのシルエットは、地球の人間が『ふぐ』と聞いて思い浮かべるであろう「怒って膨らんだ状態のふぐ」そのものだった。
「めっちゃふぐだ!! 完全にあの怒った時のふぐだ!! なのに木の実なの!?」
その衝撃的な生態系と絶妙なネーミングセンスにハジメは目を丸くしたが――次の瞬間、
ゲーマーとしての勘が働き、ハジメの顔に期待の色がパッと広がった。
「て、てことはもしかして……うみくん! 『うに』も木に生るの!?」
「…………」
ハジメの期待全開の問いかけに対し、うみは先ほどまでの笑顔をスッと消し、それはそれはほんっとうに残念そうな顔をした。
「……残念ながら、うには水生生物のままらしいんだ。ふぐが木に生るなら、うにも木に生る世界線だと思ったのに……」
「そんなぁ……」
アトリエ系錬金術師を志す者として、そしてそれを横で見守る一オタクとして、
『うに』が木から採れないという事実はあまりにも悲しい。ハジメも一緒になって深く落胆し、肩を落とした。
だが、うみはすぐに顔を上げ、先ほどのふぐを掲げて満面の笑みを作った。
「でもでも! このふぐは完全に『うに』の代わりになるから! 作れるよハジメ! 爆弾!!」
「おおっ! もしかして……」
「そう! すべてのアトリエプレイヤーが必ず通る道、『爆粉うに』ならぬ『爆粉ふぐ』だよ!!」
「やったぁ! 序盤で絶対お世話になる定番アイテム来た!」
と、ゲーマー魂を刺激されたハジメも一緒になって喜ぶ。
「でしょ? これで俺もようやく錬金術師になれるよ」
うみがご満悦でふぐをカゴにしまうと、ハジメはふと表情を引き締めた。
「爆弾作りもいいけど……僕の方も、素材が来るまでに刃付けの練習したいんだけどいい案はない?」
「そうだなー……あ、あれ使えばいいか」
うみが再び『カゴ』からゴロン、ゴロンといくつかの鉱石を作業台の上に転がした。
「フィールドワークで見つけた鉱石。これが剣に向いてるかどうかは置いといて、練習台くらいにはなると思うよ」
ハジメはゴツゴツとした赤茶色の鉱石を手に取り、その手触りと硬さを確かめるように撫でた。
「ありがとう、うみくん! 刃付けの時の錬成の仕方は、さっき見学で目に焼き付けたばかりだから、忘れないうちに試したかったんだ。これなら失敗しても惜しくないし、ちょうどいいよ」
「でしょ? 善は急げってね。じゃ、俺はこっちで『爆粉ふぐ』の調合レシピを組んでみるよ」
「ふふっ、お互い忙しくなりそうだね」
二人は顔を見合わせ、楽しげに笑い合った。
ここから先は、地道で、それでいて最高に心躍る『クラフト』の時間だ。
王城の地下深く、誰からも期待されていない「無能な非戦闘職」と「平均的な少年の皮を被った異端児」。
二人のオタクにして狂気的な職人たちが、この異世界の常識を根底から覆すための第一歩を踏み出した瞬間だった。