廻る世界、渡る魂   作:月影うみ

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悪夢再来

―――王都の地下のアトリエ。

 

ハジメが、恵里にうみの『計画的離脱』の真実を共有したあの夜から、およそ二週間の時が経過していた。

うみが奈落へと姿を消した日から数えれば、約三週間が経ったことになる。

 

カンッ、キィンッ、と、硬質な金属音が静かな空間に響き続けている。

 

ハジメは作業台に向かい、その上に置かれた『重厚な金属の塊』へ錬成の光を流し込んで微調整を行いながら、

銀色のプレート――ステータスの情報を反芻していた。

 

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南雲ハジメ 17歳 男 レベル:24

天職:錬成師

筋力:115

体力:130

耐性:85

敏捷:140

魔力:450

魔耐:130

技能:錬成 [+鉱物系鑑定] [+精密錬成] [+鉱物分離] [+鉱物融合]・言語理解

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うみが奈落へと死んだとされたあの日以来、愛子先生の猛烈な抗議により、迷宮探索は『希望者のみ』となった。

ハジメは恵里と共に、光輝たち勇者パーティーや、檜山たち小悪党組の探索に同行する形で、迷宮の階層を潜り続けていた。

 

この三週間におけるハジメの成長は、目を見張るものがあった。

純粋なステータスの絶対値こそ光輝たち勇者パーティーには及ばないものの、

召喚直後の初期値が『オール10』であったことを鑑みれば、その成長率は間違いなくクラスでもトップクラスと言える。

非戦闘職である『錬成師』の物理ステータスがここまで伸びたのは、

ひとえにうみが遺した『最高効率のトレーニングメニュー(負荷の増やし方やタイミングの指示含む)』を、血を吐くような思いで継続してきた賜物だった。

 

そして、こと『魔力』に関してだけは別次元だ。

うみが『アトリエ』の片隅にストックしてくれていた大量の魔力ポーションを湯水のように使い、

錬成で魔力を限界まで枯渇させては回復する狂気のループを、実戦でのレベル上げと並行して繰り返した。

その結果、ハジメの魔力は非戦闘職としてはあり得ない『450』という数値へと爆発的に跳ね上がり、

長年一つの技能を磨き続けた末に壁を越えるという『派生技能』の獲得すらも、短期間で強引に引きずり出していた。

 

ハジメが開発したのは、うみが残した現代兵器の設計図……ではない。

今のハジメには、強力な銃火器を再現するための素材も、精密な発射機構を錬成する技術もまだ完全ではない。

だからこそ、うみから教わった基礎的な戦い方と魔力操作、そして派生技能によって進化した『錬成』の強みを極限まで活かすための専用武装に行き着いたのだ。

 

ハジメは作業台の上での微調整を終え、それを右腕にカシャリと装着した。

前腕部から手甲までをすっぽりと覆う、流線型の重厚な金属装甲――『手甲型錬成装甲』だ。

 

ハジメは新たに獲得した派生技能『鉱物分離』と『鉱物融合』を駆使し、

迷宮の浅層で採れる安価な鉱石を分子レベルで分解・再構築した。不要な不純物を極限まで削ぎ落とし、

複数の鉱石の特性を掛け合わせることで、表層の素材から作られたとは思えないほどの超硬度と大質量を持つ【複合鉱石】を生み出し、この装甲を作り上げたのだ。

 

特筆すべきは、このガントレット自体が純粋な鉱石の塊で構成されているという点である。

そのため、戦闘中に『錬成』の対象として、形状を自在に変化させることができる。

 

そのため、戦闘中に『錬成』の対象として、形状を自在に変化させることができる。

自在といっても物質である都合上、物理的な限界点はあるが、状況に応じてブレードを生み出したり、盾として展開したりすることが可能だった。

 

「……ふぅ。魔力の伝導率も強度のバランスも完璧、と」

 

ハジメは軽く拳を握り込んだ。

重量はかなりのものだが、うみ直伝の『魔力による身体強化』を常時発動させている今のハジメにとっては、むしろ心地よい重さだった。

低い物理ステータスを、このガントレットの『圧倒的な質量と硬度』、そして魔力強化で補う。それがハジメの導き出した戦闘スタイルだ。

 

「お疲れ様、南雲くん。すごいね、それ。なんかロボットアニメみたい」

 

背後から控えめな足音が近づき、声がかけられた。

振り返ると、私服姿の恵里が、バスケットを手に微笑んで立っていた。

クラスメイトたちの前では『降霊術の詩のイメージを固めるために、

オタク知識が豊富な南雲くんに相談に乗ってもらっている』という建前で、こうして定期的にアトリエを訪れている。

だが、その本質はうみの残した計画を遂行するための『定期報告会』である。

 

「ありがとう、中村さん。うん、とりあえず第一段階の完成ってところかな。これなら、僕の今の戦い方に一番合ってるからね」

 

ハジメは右腕のガントレットを軽く掲げてみせた。

 

「そっちの状況はどう?」

「うん。リリィ――王女殿下のお茶会で、それとなく昔話や国の内情を聞き出してきたよ。

でも……やっぱりこの国、王族より教会の方が力がずっと強いみたい。

リリィのところにも、肝心な情報は全然下りてきてないみたいだった」

 

恵里の言葉に、ハジメは顔を引き締める。

恵里はリリアーナ王女と親しくなったことを最大限に利用し、ただの雑談を装って巧みに会話を誘導し、情報を探っているのだ。

 

「教会が情報を隠してるってこと?」

「うん。ただのガールズトークのフリをして探ったんだけどね。

教会が意図的に情報を止めているのか、王族をただのお飾りにしたいのか……その辺りがきな臭いかなって」

「なるほど……。うみくんが言ってた通り、やっぱり教会……っていうよりエヒトって神様は胡散臭いね」

 

ハジメの言葉に頷きつつ、恵里は少しだけ視線を落とし、自嘲気味に息を吐いた。

 

「……リリィ、私とお茶するの、すごく喜んでくれるんだ。本当にいい子だから……こういう風に、ただの友人を利用してるみたいで、ちょっと胸が痛むかな」

「……ごめん。僕も、白崎さんたちには嘘をつき続けてるわけだしね」

 

同じ『共犯者』として、ハジメもまた痛ましげに頷く。

真実を知らない香織たちからの純粋な心配や同情を受けるたび、ハジメの胸にも罪悪感がチクリと刺さっていた。

 

「……それにしても、最近香織……白崎さんが、すごい目で僕たちのこと見てこない?」

「あはは。香織、南雲くんのことすっごく気にしてるからね。

『最近、南雲くんと恵里ちゃん、よく一緒にいるね……何のお話してるの?』って、この前すごい圧で聞かれたよ」

「うわぁ……ごめん、中村さんにまで迷惑かけて」

「平気平気。『私には兄さんがいるか心配しなくても大丈夫だよ?』って宥めておいたから」

「それ、絶対別の誤解生んでない?」

「誤解じゃないから大丈夫だよ?」

 

ハジメの引き攣った顔でのツッコミに、恵里は堂々と開き直ってみせた。

そのあまりにも清々しいまでのブラコンっぷりに、ハジメは静かに胃を押さえる。

 

「……まあ私のことは置いといてさ。南雲くん、そろそろちゃんと答えてあげてもいいんじゃない?」

「えっ?」

「うちの兄さんみたいな絶望的な朴念仁じゃないんだから、流石に香織の気持ちには気づいてるんでしょ?

それに、嫌いなわけじゃないみたいだし」

 

核心を突く恵里の言葉に、ハジメはカッと顔を赤くして目を泳がせた。

 

「そ、それは……今は、それどころじゃないっていうか……」

「はいはい。まあ、焦らなくてもいいけどね。

あんまり時間かけすぎると、誰かさんみたいに面倒なフラグが乱立するかもしれないから気をつけてね?」

「……白崎さんって前提があるとはいえ、流石にあのレベルはないよ!?」

 

ハジメの必死の抗議に、恵里は「あはは、違いない」と心底楽しそうに笑い声を上げた。

うみの計画のためとはいえ、周囲に波風を立てている自覚はある。

そんな和やかな(?)日常の報告会を終え、二人は来るべき迷宮探索へと向けて、静かに牙を研ぎ澄ましていた。

 

***

 

――翌日。オルクス大迷宮、第四十階層付近。

『一流の冒険者』の証とも言われるこの階層で、光輝たち勇者パーティーは苦戦を強いられていた。

 

「グォォォォォォォッ!!」

 

広間を揺るがす咆哮。彼らの前に立ちはだかっていたのは、

全身を分厚い鋼のような毛皮と外殻で覆われた巨大な熊の魔物――『重甲鬼熊(ヘビーアーマー・ベア)』の群れだった。

全部で五体。そのどれもが、戦車のような質量と暴力的なまでの膂力を持っている。

 

「くっ、陣形を崩すな! 前衛はとにかく耐えろ!」

 

引率と護衛を務めるメルド団長が叫びながら、大剣を振るって生徒たちを庇う。 プロの騎士であっても、重装甲の強敵に囲まれるのは致命的な状況だった。 メルド自身も数人の騎士と共に必死に防御線を張っているが、圧倒的な質量に徐々に押し込まれている。

 

「くっ……! 堅すぎる!」

 

前衛で聖剣を振るう光輝が、忌々しそうに声を上げる。

光輝の放った『天翔閃』は、鬼熊の分厚い装甲に弾かれ、浅い傷を負わせるにとどまっていた。

 

「光輝! 囲まれるわ、一度下がって!」

 

雫が愛刀で鬼熊の攻撃をいなしながら叫ぶ。

龍太郎も自慢の剛腕で殴りつけるが、重厚な鎧を纏ったような魔物には決定打を与えきれていない。

後方から香織や鈴たちが魔法で支援を行うが、鬼熊の群れはそれを意に介さず、じりじりと前衛を押し込んでいく。

 

「チィッ! なんでこんなに固てぇんだよ!」

 

光輝たちのさらに後方で、檜山が苛立たしげに風の魔法を放つが、全く効果がない。

彼の顔には、焦りと共に、迷宮に対する拭いきれない恐怖がへばりついていた。

 

「グルルォォォッ!」

 

一体の鬼熊が、メルドたち騎士団の防御線の僅かな隙間、そして光輝と龍太郎の間をすり抜け、後衛の香織たちへと突進しようと狙いを定めた。

 

「しまっ……! 香織!!」

 

光輝が血相を変えて叫ぶが、間に合わない。

巨大な質量が、魔法の準備をしていた香織と鈴へと迫る――その時だった。

 

「――『錬成』」

 

冷たく、静かな声が広間に響いた。

 

ズガァァァァンッ!!

 

突進していた鬼熊の足元の石畳が、突如として爆発するように隆起した。

石畳は瞬く間に一本の巨大で鋭利な『岩の剛剣』と化し、下から突き上げるように鬼熊の巨体を穿った。

 

「グガァァッ!?」

 

分厚い装甲の隙間、比較的柔らかな腹部を下から強かに打ち据えられた鬼熊は、

その鋭い岩の刃によって突進の勢いを完全に殺され、仰け反るように悲鳴を上げた。

遠征の際には地形を操る『妨害』にとどまっていたハジメの錬成は、ハジメの発想力の転換により、

明確な殺意と鋭さを伴った『攻撃』へと派生していたのだ。

 

香織たちが驚きに目を丸くする中、その横を疾風のように駆け抜ける人影があった。

 

「――『古きブリテンの森、静かなる領主よ』」

 

恵里だ。 彼女は普段の物静かな様子からは想像もつかない速度で、鬼熊の懐へと一気に距離を詰めながら、凛とした声で詩を紡ぐ。

 

「――『預かりし希望を育て、義を以て騎士を導きし者よ。汝の剣技、汝の忠節、今ここにて我に預けよ』――」

 

瞳に鋭い剣士の光を宿した恵里は、詠唱を終えると同時に叫んだ。

 

「南雲くん! 剣!!」

「うん!」

 

バックアップの配置についたハジメは、左腕のガントレットを瞬時に鋭利な『両刃剣』へと造り変え、恵里へ向けて投擲した。

恵里は視線を鬼熊から一切外すことなく、背後から飛んできたその剣をノールックで完璧にキャッチする。

エクター卿の降霊による卓越した剣技。恵里の体が独楽のように回転し、大地の剛剣で仰け反った鬼熊の首筋の隙間を一閃した。

 

「グガァッ……!?」

 

分厚い装甲の隙間を的確に斬り裂かれ、一体の鬼熊が大量の血を噴き出して崩れ落ちる。

 

「グルォォォォッ!!」

 

だが、同胞を殺され激怒した別の個体が、恵里の隙を突いて丸太のような豪腕を横薙ぎに振り抜いた。

ステータスで勝る光輝たちですら避ける一撃。檜山は(死んだ!)と顔を歪めたが。

 

ガァァァンッ!!!

 

「よそ見してる暇はないよ」

 

バックアップの距離にいたはずのハジメが、魔力強化のステップで瞬時に二人の間に割り込み、残った右腕のガントレットを前に突き出していた。

鬼熊の凶悪な爪が、ハジメの右腕を覆う複合鉱石のガントレットに激突し、激しい火花を散らす。

しかし、ハジメは一歩も後ろに下がらない。うみから教わった基礎的な防御の型と魔力強化、

そして超硬度・大質量の錬成装甲が、圧倒的な質量差を完全に相殺していた。

 

「な、なんだあの腕……!?」

 

龍太郎が驚愕の声を上げる中、ハジメの反撃が始まる。

鬼熊の爪を弾き返した勢いそのままに、ハジメは右腕のガントレットを鬼熊の胸元の装甲へと叩きつけた。

 

「シッ!」

 

鋭い呼気と共に、ハジメは『錬成』を発動させる。

装甲そのものの形状を造り変え、先端部を一瞬にして鋭利な『ブレード』へと変形させたのだ。

その刃が、体勢を崩していた鬼熊の首元の関節部へと、深々と突き刺さる。

 

「グォォォォッ!?」

 

鬼熊が苦痛の悲鳴を上げる。だが、ハジメの攻撃はこれで終わりではない。

 

(……咲け!)

 

ハジメは突き刺したブレードにさらに跳ね上がった自身の魔力を流し込み、鬼熊の肉の内部で『錬成』を継続発動させた。

首に突き刺さった一本の刃が、魔物の体内で無数の棘のように枝分かれして急激に膨張する。

内部からズタズタに破壊された鬼熊は、断末魔の悲鳴すら上げる暇もなく、そのままズシンと地響きを立てて崩れ落ちた。

 

「う、嘘だろ……」

「あの無能と中村が……前衛で……?」

 

檜山が、信じられないものを見る目で震えている。

光輝や雫も、そのあまりにも鮮やかで、息の合った戦闘スタイルに言葉を失っていた。

だが、誰よりも驚愕していたのは、百戦錬磨のプロであるメルド団長だった。

 

(ここ数週間の潜りで、奴らの動きが目に見えて洗練されてきていることには薄々勘付いてはいたが……まさか、ここまでとは!)

 

「 ――『林檎を射抜くは自由の矢、暴君を穿つは叛逆の矢』――」

 

二人の動きは止まらない。

周囲の驚愕をよそに、ハジメが盾となって距離を作ったことに呼応し、後方へ跳び退く恵里。

そのすれ違いざま、恵里は手にした剣をハジメへと放り投げた。

ハジメはそれを受け取ると同時に錬成を発動し、一瞬にして左腕のガントレットへと戻す。

恵里は背中に回した手で、いつの間にかアーティファクトの弓を構えていた。

 

『弓は基本的に、余程の性能がなければ他の武器より火力が出ない』

三週間前、うみから渡されたノート。そのウィリアム・テルの項目の隅に記されていた、メモが脳裏を過る。

『ゆえに、弓で狙うべきは比較的装甲の薄い関節や、生物共通の弱点――目や口内など、基本的に装甲がない場所!』

 

「 ――『林檎を射抜くは自由の矢、暴君を穿つは叛逆の矢』――」

 

恵里の瞳に、鋭い狩人の光が宿る。『ウィリアム・テル』への霊の切り替えだ。

彼女の手から、風を切り裂くような数条の光の矢が放たれた。

 

「グギャァァァッ!!」

 

百発百中の精密射撃。光の矢は、残る三体の鬼熊の巨大な瞳へと同時に突き刺さり、視界を完全に奪い去った。

 

「悪いけど、全部貰うよ!」

 

混乱し、盲滅法に腕を振り回す鬼熊の群れ。その懐へ、両腕を大質量のガントレットへと戻したハジメが肉薄する。

視界を奪われているとはいえ、相手は強靭な魔物だ。だが、ハジメは焦らない。

片腕を地面に当て、再び『錬成』の光を放つ。

 

ズボォォッ!

 

鬼熊たちの足元の石畳が泥のように柔らかく変質し、巨大な脚が膝まで深く沈み込んだ。

錬成による徹底的な足場の破壊。これで完全に身動きが取れなくなった。

 

「シッ!!」

 

足場を失い、目を見開いたまま硬直する鬼熊の顔面へ、ハジメは魔力強化で爆発的に加速させた右腕のガントレットを容赦なく叩き込んだ。

超硬度・大質量の複合金属による、純粋な暴力。

頭蓋がひしゃげる凄惨な音と共に、三体の鬼熊は次々と地面に沈んでいった。

 

広間を包んでいた咆哮が止み、重苦しい静寂が落ちる。

広間に立っていた五体の重甲鬼熊は、全てハジメと恵里の二人だけの連携によって、物言わぬ骸へと変わっていた。

 

「……ふぅ。中村さん、ナイスサポート」

「南雲くんも。完璧だったよ」

 

ハジメはガントレットの汚れを払いながら小さく息を吐き、後方から歩み寄ってきた恵里と静かに視線を交わして頷き合う。

その背後で、ようやく硬直から解き放たれたクラスメイトたちがどよめき声を上げた。

 

「すっごい……! え、今の何!? めっちゃカッコよかったんだけど!」

 

真っ先に声を上げながら、鈴がキャッキャと歓声を上げて恵里へと飛びついた。

 

「ちょ、鈴、離れて、重いから」

「えー、いいじゃん! エリリンすごすぎ! さすが私のエリリン!」

「……私、鈴のものになった覚えはないんだけど。私は兄さんのだもん」

「くっそぉ月影くんめぇ〜!私のエリリンを独占しやがって!

なら今のうちに、鈴がエリリンのあんなとこやこんなとこを堪能してやるぅ! げへへ、ここがええのんかー?」

「ちょっ、鈴、どこ触っ……やっ」

 

鈴がやけになり変態オヤジの如く恵里の身体をまさぐろうとした瞬間、背後からスパーン!と心地よい手刀の音が響いた。

 

「あいたぁっ!?」

「いい加減にしなさい、鈴。中村さんが困ってるでしょ」

 

呆れ顔を浮かべた雫が、鈴の脳天にツッコミを入れていた。恵里はホッと息を吐きつつ、乱れた服を直している。

 

一方、ハジメの方には――。

 

「ハジメくんっ!」

 

香織が、周囲の視線も憚らずにものすごい勢いで駆け寄ってきた。

そのままハジメの胸元に飛び込みそうなほどの至近距離でピタリと止まると、潤んだ瞳で彼の顔を覗き込む。

 

「怪我はない!? あの熊、すっごく大きかったし、前衛なんて危なすぎるよ……っ。でも、すっごくかっこよかった……!」

「わっ、白崎さん、近い近い! 顔が近いって!」

 

香織の圧倒的な近さと熱量に、ハジメはタジタジになりながら後ずさる。

そのすぐ後ろから、鈴の対応を終えた雫がため息をつきながら歩いてきた。

 

「香織、いくら何でも距離が近すぎるわよ。南雲くんが困ってるじゃない」

「だってもう! ハジメくんがあんなにカッコいいところ見せたら、心配になっちゃうもん!」

 

香織がぷくっと頬を膨らませる姿に、ハジメは遠い目をしながら(勘弁してくれ……)と心の中で頭を抱えるのだった。

 

そんな和やか(?)になりかけた空気とは別に、広間の隅からは異様な視線が向けられていた。

 

「…………っ」

 

歪んだ憎悪と、底知れぬ嫉妬に満ちたドス黒い視線。

その主は、爪が手のひらに食い込むほど拳を握りしめ、ハジメの背中を睨みつけていた。

 

(なんでだ……なんであんな無能が……! 俺よりも……!!)

 

そのただならぬ殺気に気づいたのか、ハジメはわずかに背筋を震わせ、振り返って周囲を警戒する。

しかし、そこにはただ怯えたような顔をしたクラスメイトたちが固まっているだけで、特におかしな点は見当たらなかった。

 

「……気のせい、か?」

 

首を傾げるハジメの顔を、至近距離にいた香織が不思議そうに覗き込んだ。

 

「ハジメくん? どうかしたの?」

「ううん、なんでもないよ。……ほら、早くメルド団長たちのところに戻ろうか」

「あ、うんっ! 一緒に行こ!」

 

周囲の熱気から少し離れ、前衛の片付けを手伝うために歩き出すハジメ。

賑やかに歩く香織たちクラスメイトの背中を見つめながら、ハジメは心の中で小さく呟いた。

 

(……まあ、うみくんの背中には、まだまだ遠いんだろうけどね)

 

そこに、かつて『無能』と蔑まれた少年の姿はもうない。

 

***

 

迷宮での激戦から、三日が経過した。

今日は迷宮探索の予定はなく、生徒たちは思い思いの休息を取っている。

王城の一室では、香織、雫、鈴、恵里、そしてリリアーナ王女の五人が集まり、和やかにお茶会を開いていた。

 

しかし、その和やかな空気に一人だけ馴染みきれていない少女がいた。

 

「ねえ、恵里ちゃん。この前はああ言ってたけど……やっぱり、最近南雲くんとすっごく息ぴったりだよね?

迷宮でもアイコンタクトだけで連携してたし……。絶対に、二人きりで内緒のお話してるよね?」

 

香織が、身を乗り出すようにして恵里に詰め寄っていた。

その瞳の奥には、確かな焦りと、自分だけがハジメの蚊帳の外に置かれているのではないかという強い嫉妬が渦巻いている。

 

「だーかーら、私の降霊術のイメージ作りのために、オタク知識が豊富な南雲くんに相談に乗ってもらってるだけだってば。この前も言ったでしょ?」

「ううん、絶対それだけじゃないよ! だって、あんなの、よっぽど仲良くないとできないもん!」

 

(くっ! 今日の香織ちゃんは手強い……! 迷宮でのアレを見せちゃった後だから、前みたいに適当に躱すのは無理そう。……でも大丈夫。私には奥の手が――)

 

恵里は内心で切り札を切る決意を固めた。 この窮地を切り抜けるために――。

 

「もう、仕方ないなぁ。私には兄さんがいるから、南雲くんにはぜーんぜん興味ないってば。……そんなに心配ならさ」

 

恵里は紅茶のカップを置き、悪戯っぽく笑って香織の耳元に顔を寄せた。

 

「今、南雲くんアトリエで一人きりのはずだよ? 昨日も一昨日もずーっと引きこもってたし。……押し倒してきちゃえば?」

「お、押し倒すぅっ!?」

「うんうん。男の子は結局、そういう強引なアピールに弱いからね。既成事実作っちゃえばこっちのものだよ?」

「き、既成事実……っ!」

 

香織の顔がゆでダコのように真っ赤になり、ボンッと頭から湯気を噴き出す。

その過激すぎる提案に、周囲の三人も一斉に反応した。

 

「ちょっと中村さん! 香織に変なこと吹き込まないでよ! 香織も真に受けない!」

「ちょっ、カオリン!? さすがに高校生で子持ちは笑えないからね!?」

「お、おしたおっ……!? お、お、押し倒す、なんて、そんなはれんちな……っ」

 

雫が慌てて制止し、鈴が斜め上の心配で騒ぎ立て、リリアーナに至っては刺激の強すぎる単語に脳の処理が追いつかず、両手で顔を覆ってぷるぷると震え出してしまう。

しかし、そんな三人の声など今の香織には届かない。

 

「そ、そうだよね! わ、私、ちょっとハジメくんの様子見てくる!」

 

雫たちの制止も聞かず、香織は弾かれたように立ち上がると、嵐のような勢いで部屋から飛び出していってしまった。

後に残されたのは、ぽかんとする四人だけ。

 

「あーあ、行っちゃった」

「ちょっと中村さん! 本当に変なことになっちゃったらどうするのよ!」

「そうだよ! カオリンが本当にママになっちゃったら大問題だよ!?」

 

非難の声を上げる雫と鈴に対し、恵里は悪びれることなくケラケラと笑う。

 

「あはは、大丈夫大丈夫。あの香織ちゃんにそんな度胸あるわけないし。

……それにしても、香織ちゃんの南雲くんへの執着って、言っちゃあれだけど病的だよね~」

「ア、アンタが言うんじゃないわよ……」

「『自分は月影くんのもの』なんて言っちゃうくらいだもんね~。重症だよ」

 

雫のすかさずのツッコミに同調するように、鈴が迷宮での一幕を思い返しながらジト目を向ける。

だが、恵里は全く悪びれることなく堂々と開き直った。

 

「事実だもん」

 

そのやり取りの横で、鈴はふと、未だに限界まで顔を真っ赤にしてモジモジしているリリアーナを見た。

そして、はたとあることに気がついた。

 

「あれ……? ちょっと待って」

 

鈴は、首を傾げて恵里を見る。

それから、隣のリリアーナを見る。

 

「エリリンは、月影くんが好き。……で、リリィも、この前月影くんが好きって白状した……ってことは」

 

鈴の脳内で、とある恐ろしい図式が完成する。

親友と、親友(王女様)。その二人が、同じ一人の男の子を巡って――。

 

「えっ!? 嘘でしょ!? ライバル!? 修羅場!? ドロドロの三角関係!?

やばい、鈴はどっちを応援すればいいのぉぉっ!?」

 

鈴がパニックになって頭を抱える。

 

「鈴、うるさい。落ち着きなさい」

「い、痛ぁっ……でも雫ちゃん! 友達と好きな人が同じって、大問題だよ!? エリリンはどうなの!? リリィとバチバチなの!?」

 

手刀を落とされて涙目になりながらも、鈴は興奮冷めやらぬ様子で恵里に問い詰める。

しかし、当の恵里は少しも慌てた様子を見せず、楽しそうにクスクスと笑った。

 

「バチバチになんてならないよ。むしろ……」

 

恵里は意味深な笑みを浮かべて、まだ顔を真っ赤にしているリリアーナを見つめる。

 

「兄さんって、難攻不落どころの話じゃないから。私一人で落とすよりも、リリィと二人がかりで落としに行った方が確実かなーって。

何人いようと、兄さんなら多分平等に大切にしてくれると思うし。ね、リリィ?」

「「……え?」」

「ふぇっ!?」

 

予想の斜め上を行く『共闘(シェア)宣言』に、雫と鈴は完全にフリーズした。

 

「わ、わ、わたしはっ、そ、そんな……っ! け、けれど、うみくんが許してくれるなら、その……」

「ちょ、ちょっとリリィ!? 肯定しちゃダメよ! 中村さんも、なんて恐ろしいこと考えてるの!」

「逃げて! 帰ってきたら月影くん超逃げて!!」

 

悲鳴のようなツッコミを入れる二人に、恵里はさらに悪魔のような微笑みを向ける。

 

「なんなら、八重樫さんと鈴も一緒にどう?」

「はぁっ!?」

「いやいやいや! 鈴、月影くんのことほとんど知らないし!? っていうか倫理的にヤバくない!?」

「ふふっ。でも、本当の兄さんを知ったら、鈴だって絶対にメロメロになっちゃうと思うよ?」

 

絶対の自信を持って言い切る恵里に、鈴は「な、ならないよ! 多分!」とたじたじになり、

雫は「……私は遠慮しておくわ。リリィの手前もあるし……って、なんで私が真剣に答えてるのよ!」と盛大にノリツッコミをして頭を抱えた。

平和な昼下がりのお茶会は、恵里の底知れない策士ぶりと、リリアーナの無自覚な重さによって、戦慄と混乱の渦に包まれるのだった。

 

――一方その頃。 恵里にそそのかされた香織は、王城の廊下をメイドに怒られないよう、

チート級の敏捷ステータスと器用さをフル稼働させ、『走らずに走る』という超高速の競歩を駆使していた。

無駄に高い能力を遺憾なく発揮しながら、真っ赤な顔で地下アトリエへと向かって突撃していくのだった。

 

***

 

――バンッ!!

 

「ハ、ハジメくんっ!!」

 

勢いよく、しかし扉を壊さないギリギリの力加減で、香織がアトリエの扉を開け放つ。

恵里に吹き込まれた「既成事実」というパワーワードで完全に茹で上がっていた彼女の頭の中には、(あわよくば本当に……)という謎の勢いがあった。

 

だが、部屋に飛び込んだ彼女の目に飛び込んできたのは、予想とは全く違う光景だった。

 

「…………」

「あっ……」

 

部屋の中央にある作業台。

そこにハジメの姿はあったが、彼は香織の乱入に気付く様子すらなく、一点を見つめていた。

その両手からは、眩いほどの『錬成』の赤い光が放たれ、台の上に置かれた『巨大な黒い塊』へと注ぎ込まれている。

 

(すごい、魔力……っ)

 

魔法適性においてトップクラスである香織の目から見ても、今のハジメから放たれている魔力は尋常ではなかった。

額に滝のような汗を流し、血を吐くような凄まじい集中力で、鉱物の分子レベルの構造を編み上げている。

その張り詰めた神聖な空気に気圧され、香織は先程までの勢いを完全に忘れ、息を呑んで立ち尽くすことしかできなかった。

 

数分後。

カチリ、と。最後のパーツが組み合わさる小さな音が響き。

 

「――っ、はぁぁぁぁ……っ!」

 

ハジメから放たれていた錬成の光が消え、彼が大きく肩で息をした。

その手には、鈍い黒光りを放つ、全長一・五メートルにも及ぶ巨大な『銃』が握られていた。

ハジメの背丈に迫るほどの長大なバレル。複合鉱石によって極限まで圧縮された超重厚なフォルム。

うみの残した現代兵器の設計図をベースに、

ハジメの錬成技術と莫大な魔力で無理やりファンタジー兵器として昇華させた、『対物狙撃銃(アンチマテリアルライフル)』だ。

 

「……できた。ついに、完成した……っ」

 

愛おしそうに銃身を撫でるハジメ。

そこでようやく、彼は入り口で呆然と立ち尽くしている香織の存在に気がついた。

 

「えっ!? し、白崎さん!? いつからそこに!?」

「あ、えっと……ご、ごめんなさい! すごい集中してたから、声かけられなくて……」

 

ハジメが慌てて銃を作業台に置き、タオルで顔の汗を拭う。

香織はハジメの傍に歩み寄り、その巨大な武器を見下ろした。

 

「ハジメくん……。これを作るために、もしかしてずっと……?」

「う、うん。あの日……王城に帰ってきてからずっと試行錯誤してて、今日、ようやく形になったんだ。

中村さんには、これを作るための素材集めとかを手伝ってもらってたんだ。……最近、白崎さんに隠し事みたいなことしててごめん」

「ううん、そんなことない! すごいよハジメくん……。これ、なんていう名前なの?」

 

香織の純粋な称賛に、ハジメは少しだけ照れくさそうに鼻の頭を掻いた。

 

「うみくんが遺してくれた設計図……『ヘカートⅡ』っていう狙撃銃がベースになってるんだ。

でも、ファンタジーの素材と僕の錬成で、元の設計図以上のものになったから……『セレーネ』って名づけたんだ」

「『セレーネ』……」

「うん」

 

ハジメは真っ直ぐに、香織の目を見つめた。

そこに、かつての「無能」と蔑まれて俯いていた少年の面影はない。

 

「あの日……ベヒモスと対峙した時に、痛感したんだ。僕の今の戦い方じゃ、ああいう相手には、決定打が足りないって」

「ハジメ、くん……」

「だから、一撃で全てをぶち抜くような、絶対的な火力が欲しかったんだ。……もう二度と、あんな無力な思いはしたくないからね」

 

その揺るぎない覚悟と、真っ直ぐな言葉。

恵里への嫉妬や疑念など、とうの昔に消し飛んでいた。

香織はポロポロと涙をこぼし、そして――。

 

「……うんっ! 私も、ハジメくんの隣で戦うから!」

 

迷宮のトラウマを乗り越え、最愛の少年の決意に応えるように、力強く頷いたのだった。

 

***

 

それからさらに数週間の時が流れ。

今日で迷宮探索六度目。現在の階層は六十層だ。確認されている歴代の最高到達階数まで、後五層に迫っていた。

 

この数週間の過酷な激戦を経て、ハジメと恵里のステータスは飛躍的な上昇を遂げていた。

 

=============================

南雲ハジメ 17歳 男 レベル:32

天職:錬成師

筋力:210

体力:245

耐性:170

敏捷:265

魔力:850

魔耐:240

技能:錬成 [+鉱物系鑑定] [+精密錬成] [+鉱物分離] [+鉱物融合]

      [+複製錬成]・言語理解

=============================

 

=============================

中村恵里 17歳 女 レベル:36

天職:降霊術師

筋力:230

体力:260

耐性:190

敏捷:280

魔力:520

魔耐:530

技能:降霊術・闇属性適性・水属性適性・言語理解

=============================

 

しかし、光輝たちは現在、立ち往生していた。

正確には先へ行けないのではなく、いつかの悪夢を思い出して思わず立ち止まってしまったのだ。

 

そう、彼らの目の前には、あの日とは異なる場所とはいえ、同じような断崖絶壁が広がっていたのである。

次の階層へ行くには崖に架かった吊り橋を進まなければならない。

それ自体は問題ないが、どうしてもあの日の記憶がフラッシュバックしてしまう。

特に、ハジメは親友であったうみが消えたかのような崖下の闇を、ジッと見つめたまま動かなかった。

 

(うみくんは、まだあの底にいるんだろうか。

それとも、もうとっくに奈落を抜け出して、外の世界をのんびり渡り歩いてるんだろうか……)

 

ハジメがそんなとりとめのない想像を巡らせていると、不意に隣から声が掛かった。

 

「ハジメくん……」

 

声の方を見れば、香織が心配そうに身を寄せ、潤んだ瞳でハジメを見つめていた。

ハジメが親友の死を思い出し、感傷に浸っているのだと勘違いしているのだ。

彼女のあまりにも純粋な優しさに、ハジメの胸に『真実を隠して騙している』ことへの強い申し訳なさが込み上げる。

 

(うわぁ……本当にごめん、白崎さん。うみくん、多分今頃ピンピンしてるんだ……)

 

罪悪感に苛まれ、ハジメの顔に何とも言えない苦い表情が浮かぶ。

だが、それは傍から見れば『悲しみを無理に堪え、気丈に振る舞おうとしている痛々しい顔』にしか見えなかった。

 

ハジメはゆっくりと頭を振ると、少し引き攣りそうになる頬をごまかしながら、彼女に向かって微笑んだ。

 

「大、大丈夫だよ、白崎さん」

「うん……無理しないでね。私が傍にいるから」

「あはは、ありがとう……」

 

ハジメの瞳の奥には確かな意志の光がある。隣で見つめる香織には、ハジメがただ絶望しているわけではないと分かっていた。

 

(ハジメくんはもう、前を向いてるんだもんね)

 

だが、そんな空気は読まないのが勇者クオリティーである。

光輝の目には、眼下を見つめて苦い顔をしたハジメの姿が、

今でも月影の死を思い出し嘆き、そして香織に慰められているように映っていた。

 

「南雲……月影の死が辛いのは分かる。でも、いつまでも過去に囚われていちゃいけない!

前へ進むんだ。きっと、月影もそれを望んでる」

「ちょっと、光輝……」

「雫は黙っていてくれ! ……香織も、南雲を甘やかしすぎだ。大丈夫だ、俺が傍にいる。

もう誰も死なせはしない。香織を不安にさせたりしないと約束するよ」

「はぁ〜、いつもの暴走ね……」

 

光輝の見当違い全開の言葉に、ハジメと香織は顔を見合わせて苦笑いするしかない。

光輝の中で、うみは完全に『死んだ』ことになっているため、何を言っても通じないのだ。

 

(相変わらず、盛大にズレてるなぁ、天之河くん……)

 

内心でジト目を向けながら呆れるハジメ。

 

(囚われるも何も、当のうみくんは今頃、この奈落の底を鼻歌交じりに散歩してるだろうに……)

 

「あはは、大丈夫だよ、天之河くん。言いたいことは分かったから」

「そうか、わかってくれたか!」

 

ハジメが適当に合わせると、光輝は満足げに頷いた。

 

しかし、そのやり取りの傍らで、一人だけ全く笑っていない少女がいた。

恵里である。彼女は、何の悪気もなくうみを「死人」として扱い、

勝手に彼が望んでいることまで断言した光輝の背中を、氷のように冷たく暗い瞳で睨みつけていた。

 

(……わかってる。あの馬鹿勇者に悪気がないことくらい、頭ではわかってる。

でも……()()兄さんが死んだ前提で話が進んでるのが、すっごく腹立たしい……。いっそ呪ってやろうかな……)

 

ギリッ、と恵里の爪が掌に食い込む。そのただならぬ負のオーラにいち早く気づいたのは、親友の鈴だった。

 

「え、エリリン!? ちょ、落ち着いて! ねっ!? 光輝くんはただの光輝くんだから!」

「……うん、そうだね、鈴。私、とっても落ち着いてるよ?」

「全然落ち着いてない顔だよぉ! 目が据わってるよぉ!」

 

慌てて恵里に抱きつき、必死になだめようとする鈴。そこへ雫もため息をつきながらフォローに入る。

 

「ごめんなさいね、恵里。光輝は本当に、あんな調子だから……」

「うぅ〜、エリリンは健気だねぇ〜。もし、万が一にも月影くんが本当に死んでたら、

死んだ月影くんはエリリンの降霊術で呼び出して、ずっと侍らせちゃえばいいんだよ!」

「す、鈴? 何言ってるか自分でもわかってないでしょ?」

 

鈴の斜め上をいく物騒すぎる慰め(?)に、雫が呆れたようにツッコミを入れる。

しかし、当の恵里はその言葉を聞いて、ハッと何かに気づいたように両手を頬に当てた。

 

「そうか……もし兄さんが死んじゃってたら、降霊術でずっと私の側に……

他の誰かに見せることもなく、私だけの兄さんに……ふふっ、ふふふっ♡」

「「ちょっと恵里(ちゃん)!?」」

 

突如として危険すぎる雰囲気を放ち始めた恵里に、雫と香織が盛大なツッコミを入れる。

我に返った恵里は、コホンと咳払いを一つして、ふっと毒気を抜かれたように微笑んだ。

 

「……ふふっ、冗談だよ、鈴。私は……兄さんは生きてるって、信じてるから」

「エリリン……っ!」

 

健気な(?)恵里の言葉に感動した鈴が「うぅ〜、エリリンいい子〜!」と抱きつき、恵里も「ちょ、鈴、重いってば」と苦笑しながらじゃれ合う。

その和やかなやり取りの横で、雫と香織はスッと身を寄せ合い、顔を引き攣らせながらヒソヒソと耳打ちを交わしていた。

 

(香織……今の、割と本気だったわよね?)

(う、うん……恵里ちゃん、目が据わってたもん……)

 

恵里の『生きてるって信じてるから』というセリフには、

ただの希望的観測ではない確固たる真実の響きが込められていたのだが、

同時に垣間見えた彼女の底知れぬ『重さ』に、真実を知るハジメも含め、周囲は別の意味で密かに震え上がるのだった。

 

そんな和やか(?)な姿を、後方から暗い瞳で見つめる者がいた。

檜山大介である。

彼は王都に戻った後、光輝の前で土下座をすることでクラスメイトからの非難を躱し、

今でも近藤たちとつるみながら迷宮探索に参加していた。

そして、その裏では『魔族』との恐ろしい契約を交わし、香織を手に入れるための暗い欲望を滾らせている。

 

(ヒヒ……もうすぐだ。もうすぐ香織は俺の……)

 

***

 

一行は特に問題もなく、遂に歴代最高到達階層である六十五層にたどり着いた。

 

「気を引き締めろ! ここのマップは不完全だ。何が起こるかわからんからな!」

 

メルド団長の声が響く。光輝達は表情を引き締め、未知の領域に足を踏み入れた。

しばらく進んでいると、大きな広間に出た。

広間に侵入すると同時に、部屋の中央に魔法陣が浮かび上がった。赤黒い脈動する直径十メートル程の魔法陣。

それは、とても見覚えのあるものだった。

 

「ま、まさか……アイツなのか!?」

「マジかよ、アイツは死んだんじゃなかったのかよ!」

 

光輝と龍太郎が驚愕をあらわにして叫ぶ。

 

「迷宮の魔物の発生原因は解明されていない。一度倒した魔物と何度も遭遇することも普通にある。

気を引き締めろ! 退路の確保を忘れるな!」

 

メルド団長が叫ぶが、光輝が不満そうに言葉を返した。

 

「メルドさん。俺達はもうあの時の俺達じゃありません。何倍も強くなったんだ! もう負けはしない! 必ず勝ってみせます!」

「へっ、その通りだぜ。ここらでリベンジマッチだ!」

 

そして、遂に魔法陣が爆発したように輝き、かつての悪夢が再び光輝達の前に現れた。

 

「グゥガァアアア!!!」

 

咆哮を上げ、地を踏み鳴らす異形。ベヒモスが光輝達を壮絶な殺意を宿らせた眼光で睨む。

全員に緊張が走る中、後衛に陣取るハジメは、その異形を静かに、けれど熱を帯びた瞳で見据えていた。

 

(……生きていてくれて、というか再出現《リポップ》してくれてよかった)

 

あの日、自分は何もできず、ただ守られるだけだった。あの絶望と無力感は、ハジメの心に深く『無能』の烙印を刻み込んでいた。

うみが残してくれた知識と、自分が磨き上げた錬成術。

それを本当の意味で自分の力にするためには――過去の象徴たるこの化物を、自らの力で超えなければならない。

 

(こいつを超えて、僕は……本当の意味で、前に進むんだ!)

 

ハジメが決意を固めた瞬間、戦いの火蓋が切られた。

 

「万翔羽ばたき 天へと至れ 〝天翔閃〟!」

 

光輝の放った光の斬撃がベヒモスに直撃する。以前は傷一つつかなかったその一撃が、ベヒモスの胸に斜めの剣線を刻み、赤黒い血を滴らせた。

 

「いける! 俺達は確実に強くなってる! 永山達は左、檜山達は背後! 後衛は魔法準備! 上級を頼む!」

 

光輝の指示で、前衛組が一斉にベヒモスを包囲する。

龍太郎と永山が『剛力』の魔法で突進を受け止め、雫の抜刀術『絶断』とメルド団長の『豪撃』の合わせ技が、遂にベヒモスの角の一本を断ち切った。

 

「ガァアアアア!?」

 

激怒したベヒモスが大暴れし、四人を吹き飛ばす。

しかし、そこに香織の光の防御魔法『光輪』と、遠隔の複数同時回復魔法『回天』が瞬時に施され、四人はすぐに体勢を立て直した。

 

一方、後衛陣では、かつてとは違う全く新しい戦術が展開されていた。

 

「――『波を鎮め、風を凪がす、始まりの島の指導者よ』」

 

後方の安全圏で、恵里が目を閉じ、静かに『詩』を紡いでいた。

 

「――『万物の言霊を我が声に宿し、自然の理を今ここにて歌い上げん』」

 

恵里の身体が淡い緑色の魔力に包まれる。彼女の瞳が開かれると、そこには優等生ではなく、万物を統べる指導者としての静かな威厳が宿っていた。

ケルト神話の伝説のドルイドにして吟遊詩人、『アメリギン』の降霊である。

恵里はアーティファクトの杖を地面に突き立てると、透き通るような声で詩を響かせた。

 

その歌声が広間に響き渡った瞬間。

前衛で戦う光輝や雫たちの身体から、爆発的な魔力の光が立ち上った。

 

「なんだこれ!? 力が……湧き上がってくる!」

「身体が軽い……!」

 

アメリギンの降霊による、広域ステータス持続アップの強力なバフ。

前衛陣の動きが目に見えて鋭くなり、ベヒモスの巨体を相手にしても押し負けないほどの超常的な力を発揮し始めた。

 

「グルルォォォッ!!」

 

だが、当然のことながら、その理不尽なまでの強化をもたらしている元凶へと、ベヒモスの強烈な『ヘイト』が向かう。

ベヒモスの殺意に満ちた眼光が、一直線に恵里を睨みつけた。

『アメリギン』の降霊中は強力なバフを維持できる代償として、術者自身はその場から動くことができない。

 

「恵里ちゃんっ!!」

「大丈夫、鈴に任せて!!」

 

恵里へ向けてベヒモスが突進の予備動作に入った瞬間、小さな影が恵里の前に立ちはだかった。

 

恵里へ向けてベヒモスが突進の予備動作に入った瞬間、小さな影が恵里の前に立ちはだかった。谷口鈴だ。

 

「ここは聖域なりて 神敵を通さず 〝聖絶〟!!」

 

鈴が両手を前に突き出し、恵里をすっぽりと覆い隠すように絶対の防御結界を展開する。

直後、ベヒモスが吐き出した灼熱の火球が結界に直撃するが、鈴は歯を食いしばってそれを完全に弾き返した。

 

「エリリンは絶対守るから、そのまま歌い続けて!」

「うんっ! 頼んだよ、鈴!」

 

強力なバフで前衛を強化し、自身に向けられたヘイトは絶対の結界で防ぐ。

恵里と鈴の連携戦術が、完全に機能していた。

 

そんな光輝たちや女子たちの攻防の隙間を縫うように、広間を縦横無尽に駆け回る影があった。

南雲ハジメである。

 

「シッ!」

 

ハジメは軌跡に『錬成』の赤い光を走らせ、ベヒモスの足元の地形を泥のようにぬかるませて突進の勢いを削ぐ。

さらに、左腕のガントレットに仕込んだ反発機構を錬成で弾き出し、

即席で生成した金属の礫を散弾のように撃ち出して物理的な牽制を行い、ベヒモスの注意を引く。

 

恵里によるバフ、香織の完璧な回復、鈴の鉄壁の結界、そして前衛陣の猛攻。

戦況は完全にクラスメイトたちの優位に傾いていた。

 

「ガァアアア!!」

 

だが、六十五階層の主は伊達ではない。

傷つき、追い詰められたベヒモスは、折れた角にお構いなく全体を赤熱化させると、予想外の行動に出た。

前衛組を置き去りにし、凄まじい跳躍で後衛組――恵里と鈴の頭上へと、隕石のように降り注いだのだ。

 

「しまっ……!」

「こっちに来たっ!?」

 

光輝たちが絶望の声を上げる。

だが、鈴は一歩も引かなかった。

 

「ここは聖域なりて 神敵を通さず 〝聖絶〟!!」

 

詠唱省略の二節で無理やり展開した結界が、ベヒモスの巨体を空中で受け止める。

凄まじい衝撃音。本来の力が出せない結界に、メキメキとヒビが入っていく。

 

「ぅううう! 負けるもんかぁー!」

 

鈴が必死に叫ぶ。だが、限界はもうそこだった。破られる、と誰もが思った瞬間。

 

「天恵よ 神秘をここに 〝譲天〟」

 

香織が杖を掲げ、鈴の身体を光が包み込んだ。

他者の魔力を回復させ、魔法陣の流入量を増幅させる『譲天』。

本来の四節分の魔力が流れ込み、鈴の結界が一瞬にして修復される。

 

「これなら! カオリン愛してる!」

 

鈴が結界を張り直し、遂にベヒモスの突進力が尽きて地に落ちた。

 

「今だ! 後衛は下がれ!」

 

光輝の指示で後衛が一気に下がり、再び前衛がベヒモスを取り囲む。

そして、待ちに待った後衛の詠唱が完了した。

 

「「「「「〝炎天〟」」」」」

 

檜山たち術者五人による上級魔法。超高温の炎の球体がベヒモスの直上に創り出され、落下していく。

絶大な熱量がベヒモスを襲い、その堅固な外殻を融解していく。

 

「グゥルァガァアアアア!!!!」

 

ベヒモスの断末魔が広間に響き渡る。

だが、魔法の炎が晴れつつある中……倒れ伏したはずのベヒモスが、執念の炎を瞳に宿し、残された最後の力を振り絞って再び立ち上がろうとしていた。

 

「嘘だろ!? あれでもまだ倒れないのか!」

「マズい、みんなもう大技を撃った直後で……!」

 

前衛も後衛も、技の硬直や魔力切れで一瞬の隙が生まれていた。

ベヒモスが、無防備な香織たちへ向けて最後の突進をかけようと筋肉を隆起させる。

 

その絶体絶命の瞬間だった。

 

「――そこを退け」

 

静かで、しかし広間の喧騒を切り裂くような、よく通る少年の声。

光輝たちが声の方を振り向くと、そこには、いつの間にか後方の開けた位置に陣取っていたハジメの姿があった。

そしてその手には、これまで誰も見たことのない、全長一・五メートルにも及ぶ異形の『黒い銃』が構えられていた。

 

「なんだ、あれ……?」

 

全員の視線がハジメに釘付けになる中、ハジメは静かに引き金に指をかけた。

ハジメが編み出したのは、雷魔法などではない。うみ直伝の『魔力操作』と自身の莫大な魔力を用いた『魔力圧縮』だ。

極厚の複合鉱石で作られた薬室内で、火薬の爆発と自身の魔力を極限まで圧縮して強引に抑え込み、

限界を突破した瞬間に一気に解放することで推進力を生み出す仕組みである。

 

(僕はもう、ただ見ているだけの無能じゃない!)

 

「――穿て、『セレーネ』ッ!!」

 

ズドガァァァァァァァンッッ!!!!

 

広間の空気が爆発したかのような、耳をつんざく轟音。

『セレーネ』の銃口から放たれたのは、魔法などという生易しいものではない、純粋な物理的破壊の極致――白銀の閃光だった。

極限まで圧縮された爆発力によって大気を切り裂きながら飛翔したその凶弾は、突進しようとしていたベヒモスの極厚の装甲を『紙屑のように』容易く貫通した。

そしてそのまま巨体の内部を荒れ狂い、反対側から背後の壁ごと広間の一部を丸ごと吹き飛ばした。

 

「――――」

 

何が起きたのか、誰にも理解できなかった。

ただ一つ確かなのは、ほんの数秒前まで絶対的な脅威として立ち塞がっていたベヒモスの巨体が、

上半身の半分以上を完全に消し飛ばされ、ドサリと物言わぬ肉塊となって崩れ落ちたという事実だけ。

 

「…………え?」

 

静まり返った広間に、誰かの間の抜けた声が響く。

皆が皆、呆然とベヒモスの残骸と、後方で黒い銃を構えたまま肩で息をしているハジメを交互に見つめていた。

 

「あ、あれは……南雲の、魔法……?」 「いや、違う……なんだあの武器は……!」

 

光輝やメルド団長ですら、その常軌を逸した破壊力に戦慄を覚えている。

檜山に至っては、恐怖で腰を抜かし、ガタガタと震えることしかできなかった。

 

「はぁっ、はぁっ……」

 

ハジメは『セレーネ』を杖代わりに地に突き立て、激しい反動と魔力消費による疲労で膝をついた。

 

「ハジメくんっ!」

 

真っ先に我に返った香織が、ものすごい勢いで駆け寄り、ハジメに回復魔法をかける。

 

「大丈夫!? 無茶しすぎだよ!」

「あはは……ごめん、白崎さん。でも、これで……」

 

ハジメは香織の治癒の光に包まれながら、少しだけ得意げに笑ってベヒモスの残骸を見やった。

そこに、かつて自分たちを恐怖のどん底に叩き落とした悪夢の面影はない。

 

「そうだ! 俺達の勝ちだ!」

 

光輝が我に返り、聖剣を掲げて勝鬨を上げる。

それを合図に、広間は一斉に歓声に包まれた。

 

「南雲くん、すごぉい! カッコよかったよ!」

「げへへ、カオリンも頑張ったねぇ! ここがええのんかー!」

「ちょ、鈴ちゃん!? どこ触ってるの!」

「いい加減にしなさい、鈴!」

 

歓喜に沸くクラスメイトたちの中で、いつものように鈴のセクハラと雫のツッコミが炸裂する。

その平和な光景を見つめながら、ハジメは隣に立つ恵里と静かに視線を交わした。

 

(うみくん……。君がくれたもののおかげで、ついに『ここ』を越えられたよ)

 

かつて無能と蔑まれた少年は、自らの足で確かな一歩を踏み出したのだった。

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