廻る世界、渡る魂   作:月影うみ

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奈落最後の試練へ

オルクス大迷宮、深層。

反逆者の住処を目指し、階層を下り続ける月影うみと吸血姫ユエの歩みは、迷宮の過酷さとは裏腹に、まるでピクニックかのように順調そのものだった。

 

それもそのはずである。

深層に蔓延る強力な魔物の群れも、凶悪なトラップも、一級呪術師であるうみの前ではただの障害物に過ぎない。

群れが現れれば『蒼』や『解』で一掃し、硬い外殻を持つ魔物が現れればその防御ごと『宇守羅彈』や『十劃呪法』で粉砕する。

文字通り「瞬殺」の連続だった。

 

しかし、そのあまりにもスムーズすぎる進行の裏で、密かに不満を溜め込んでいる少女がいた。

 

「…………」

うみの少し後ろを歩くユエは、だぶだぶの深紅のコートの袖をぎゅっと握りしめ、ジトッと恨めしそうな視線をうみの背中に向けていた。

 

(……出番、ない)

 

ユエは吸血鬼の先祖返りであり、全属性の魔法を無詠唱で極大威力で放つことができる天才である。

封印から目覚め、うみと共に戦うことで、少しでも彼の役に立ちたいと意気込んでいたのだ。

だというのに、この数階層の間、魔物が現れて彼女が魔力を練り上げるより早く、うみが指先一つで全てを終わらせてしまうのである。

結果として、彼女の役割は「うみの後ろをトコトコとついて歩く」だけになってしまっていた。

 

(これじゃあ、私……ただのお荷物……)

 

三百年の孤独から救い出してくれた、優しくて、でもどこか底知れない新しい『家族』。

ユエにとって、彼に自分が価値のない存在だと思われることがはたまらなく怖かったのだ。

 

「お、下の階層への穴見っけ。……ん?」

通路の先を見下ろしたうみが、足を止めた。

そこは、これまでの無機質な岩肌やタールの沼とは全く異なる、広大な『樹海』が広がる階層だった。

天井の高さは三十メートル以上あり、直径五メートルはあろうかという巨大な木々が鬱蒼と生い茂っている。

 

「へぇ、迷宮の中に森があるんだ。空気もちょっと湿っぽいね」

うみが感心したように周囲を見渡しながら、大穴を飛び降りて樹海へと足を踏み入れた。

ユエもまた、風魔法で落下速度を殺しながらふわりと着地する。

 

ズズンッ……! ズズンッ……!

着地して間もなく、二人の鼓膜を重低音が揺らした。

木々をなぎ倒しながら、凄まじい地響きと共に巨大な影が接近してくる。

 

「……なんだあれ」

うみの視線の先に現れたのは、体長十メートルを超える巨大な爬虫類――地球の知識で言えば、完全に『ティラノサウルス』の姿をした魔物だった。

凶悪な牙、鱗に覆われた屈強な肉体。間違いなくこの階層の主格を張るであろう強敵……なのだが。

 

そのティラノサウルスの頭頂部には、なぜか一輪の可憐な『向日葵のような花』が、ふりふりと風に揺れていた。

 

「……」

あまりにもシュールな光景に、うみは思わず沈黙した。

全身から放たれる殺意と暴力性の塊のようなフォルムに、頭の上のファンシーなお花。ミスマッチの極みである。

 

(……なんていうか、随分……愉快な魔物だなぁ)

 

うみは内心でそんな場違いな感想を抱きつつ、術式を起動しようと指先を向けた。

「まあいいや、とりあえず――」

 

「――〝緋槍(ひそう)〟』」

 

うみが術式を放つよりも一瞬早く。

横からスッと前に出たユエの掲げた手から、螺旋を描く巨大な炎の槍が射出された。

圧倒的な熱量を持つ紅蓮の槍は、咆哮を上げようと口を開けたティラノサウルスの口内へ一直線に突き刺さり、そのまま後頭部までを容易く貫通した。

 

「ギガァッ……!?」

内側から脳と肉を焼き尽くされ、ティラノサウルスは白目を剥いて轟音と共に横倒しに倒れ伏す。

そして、頭に咲いていた向日葵のような花が、ポトリと虚しく地面に落ちた。

 

「…………」

色んな意味で、うみは押し黙った。

ゆっくりと横を見ると、ユエがうみの方を振り返り、無表情ながらもどこか「ドヤッ」とした得意げな顔でこちらを見上げている。

 

「えっと、ユエ? ちょっと張り切りすぎじゃない?」

うみは上げていた腕を降ろしながら苦笑交じりに声をかけた。

「まだ先も長そうだし、そんなに飛ばさなくても……」

 

すると、ユエはドヤ顔をスッと引っ込め、少しだけうつむいてぽつりとこぼした。

「……私、役に立つ。だから……お荷物じゃない」

 

その言葉に、うみは目を瞬かせた。

 

(ああ、そういう……仕方のない子だなぁ)

 

うみは自身の圧倒的な処理能力ゆえに、結果的にユエの活躍の場を奪ってしまっていたことに気がついた。

三百年の孤独から救い出したばかりの彼女に、「自分は不要なのではないか」という不安を抱かせてしまっていたのだ。

 

うみはやれやれと首を振り、歩み寄ってユエの前にしゃがみ込んだ。

 

「……ユエ」

「ん……?」

うみは、その小さな頭にポンと手を乗せ、金糸の髪を優しく撫でた。

「張り切ってくれるのは嬉しいけどさ。俺、別にユエが役に立つから一緒にいるわけじゃないよ?」

「……え?」

 

ユエが紅い瞳を丸くして見つめ返してくる。

 

「『家族』だから一緒にいるの。ただそれだけ。……焦らなくても大丈夫。ユエが頼りになることくらい、ちゃんと分かってるから」

「……っ」

 

うみの静かで、けれど真っ直ぐな言葉が、ユエの胸の奥の不安をスッと溶かしていく。

 

 

「だから、自分の価値を証明しようとしなくていいんだよ。お互い、無理しない程度にやろ?」

「……うんっ」

ユエは頬をほんのりと赤く染め、嬉しそうに目を細めてうみの手に擦り寄った。

 

そんな、血みどろの迷宮の底とは思えないふわふわとした空気が流れていた、その時だった。

 

カサッ、カサササササササッ!

「ん?」

周囲の巨大な木々の隙間、そして背の高い草むらの奥から、不気味な気配が急速に集まってくるのをうみの『六眼』が捉えた。

先ほどユエが倒したティラノサウルスの断末魔か、あるいは血の匂いに引かれたのか。

木陰から姿を現したのは、体長二メートル強の爬虫類――ラプトルのような魔物の群れだった。

しかし、その全てが、先ほどのティラノサウルスと同じように頭から色とりどりの可憐な『花』を咲かせている。

 

「「「「シャァァァァァッ!!」」」」

「……うわぁ」

 

前後左右、文字通り全方位を埋め尽くすように現れたラプトルの群れ。その数は優に百を超えているだろう。

花を咲かせた恐竜の大群というファンシーかつ狂気的な光景に、うみは心底嫌そうな顔をした。

 

「う~ん……。さすがにこの数はめんどくさいね」

 

『蒼』や『解』を使えば一掃できなくもないが、無駄に森を破壊するのも面倒だ。

うみは瞬時に判断を下すと、足元にいたユエをひょいっと抱え上げた。

 

「きゃっ!?」

「ユエ、ちょっと逃げるよ。落ちないようにちゃんと掴まっててね」

「え、あ……うんっ!」

 

うみは呪力により肉体を強化させ、一気に地を蹴った。

ドンッ!!という音とともに地面は砕け、うみの体が弾丸のように鬱蒼とした樹海の中を突き進む。

 

「ひゃっ……!?」

 

あまりの急加速に、ユエは小さな悲鳴を上げてうみの首にぎゅっとしがみついた。

だぶだぶのコートに包まれた細い腕が、振り落とされまいとうみの体に強く回される。

景色が線となって後方へ飛び去り、背後に迫っていたラプトルの群れは、一瞬にして点ほどにまで引き離された。

 

だが、ほんの数秒走ったところで、正面の草むらから別のラプトルの群れが飛び出してきた。

 

「っと、前からもか」

うみは速度を殺すことなく、横に生えていた巨大な木の幹を蹴って直角に進路を変更する。

そしてまた、爆発的な加速で新たな群れを置き去りにした。

 

右へ、左へ、時に上方の太い枝を経由する立体的な機動。

圧倒的な速度差をもって、正面から来る敵を躱しては幾度となく進路を変更し続ける。

普通の獣であれば、匂いや足跡を辿る暇すらなく、とうの昔に完全に見失っているはずの不規則極まりない軌道だ。

 

だが、数分ほど逃走を続けたところで、うみは自身の感知能力がもたらす情報に微かな違和感を覚えた。

 

(……おかしいな)

 

後方で引き離したラプトルたちとの距離は、当然ながら全く縮まっていない。

それなのに、うみが感知する魔物の数が、一向に減る気配を見せないのだ。

 

(もう何回も進路を変えてる。最初のやつらなんか絶対にこっちを見失ってるはずなのに……)

 

走りながら、うみはチラリと背後から現れたラプトルの頭上で揺れる花を見た。

 

(……鑑定は射程外か。まあ、何か情報共有する技能でも持ってるんでしょ)

 

「うみ、魔法、撃つ?」

腕の中で揺られながら、ユエが申し出る。

「ううん、いいよ。あの数相手だと魔力めっちゃ使うだろうし。上に逃げよう」

 

「上……?」

ユエが不思議そうに目を瞬かせる。

「そう。ユエ、ちょっと左手貸して」

「?」

 

うみは自身にしがみついているユエの左手をそっと取り、空いている自分の右手と合わせた。

ユエの小さな手と、うみの手を重ね合わせ、複雑な形――『鳥』の影絵を走りながら結ぶ。

 

「おいで、梟羽」

 

その声に呼応するかのように、うみの足元の影がドロリと蠢き、溢れ出した。

それは瞬く間に形を変え、鎧のような硬い羽毛を持つ式神――『梟羽』がうみの背後でバサァッ!と翼を広げて顕現した。

 

「……っ!」

ユエが驚きに目を丸くする中、うみは地を力強く蹴って高く跳躍し、そのまま梟羽の広い背中へとふわりと飛び乗った。

うみが「お願い」と一言かけると、梟羽は力強く羽ばたき、鬱蒼とした樹海を抜けて、三十メートル近い天井の近くまで一気に舞い上がった。

 

眼下には、突然獲物を見失い、木々の根元でひしめき合ってシャァシャァと威嚇し合う花付きラプトルたちの群れが見える。

 

「……うわぁ。上から見下ろすと、さすがにあれだけ集まると気持ち悪いね。群がる虫みたい」

安全圏から下を覗き込み、うみが心底嫌そうな顔で呟いた。

 

一方、ユエはうみの腕の中から、自身が乗っている巨大なフクロウを不思議そうにペタペタと触っていた。

 

「うみ……これ、魔物?」

「ううん、これも呪術の内の一つだよ。俺の影から式神を作り出すの」

「……ふーん」

 

ユエは梟羽の硬い羽毛を興味深そうに撫でる。

うみはそんな彼女を膝の上に下ろしつつ、眼下の群れへと視線を戻した。

 

「……ふーん。なるほどね」

「うみ?」

「ほら、見てよ」

うみは指を一本立て、眼下の群れ、そして少し離れた樹海の隙間を指し示した。

「あそこにいるの、ラプトルだけじゃない。ティラノサウルスに、大きな熊みたいな魔物までいる。……しかも、例外なく全員の頭にあの可憐な『花』が咲いてる」

「……ほんと」

「逃げてる時、進路を変えてもこっちの位置を正確に追ってきてたのが不思議だったけど……。あの花に何か秘密がありそうだね」

 

うみはそこで言葉を区切り、膝で座るユエへと笑いかけた。

 

「ねえユエ。あそこのラプトルの頭のお花だけ、ピンポイントで撃ち抜ける?」

「ん?」

「呪術なんだけどね、俺のスペック不足で一個ずつしか使えないんだ。

魔法で打ち抜いてもいいんだけど……この距離だと自信なくて。お願いしていい?」

 

十種影法術を展開している間、うみは他の術式を使用できない。自身の魔力操作で純粋な魔力弾を撃ち抜くことも可能だが、せっかくなら彼女の「役に立ちたい」という気持ちを汲んでやりたかったのだ。

 

「……ん!」

頼られたユエは、パァッと嬉しそうに表情を輝かせた。

彼女はスッと指先を眼下のラプトルに向け、小さく風の魔力を練り上げる。

 

「――ッ」

無音の風の弾丸が射出され、狙い違わず一体のラプトルの頭上に咲いていた花を見事に粉砕した。

 

花を撃ち落されたラプトルは、ビクンッと大きく痙攣して地面に倒れ伏した。

しかし、数秒後にはムクッと起き上がり、周囲を見渡す。

そして、自分の足元に散らばった花の残骸を見つけるや否や、親の仇と言わんばかりに猛烈な勢いでそれを踏みつけ始めたのだ。

 

「……あはは。めっちゃ怒ってるじゃん」

「……イジメられてた?」 「まあ、意識があるまま体の自由だけ奪われてたんだろうね。あれは寄生するタイプの何某かぁ」

 

うみが確信を得て頷いた、その時だった。

 

シュッ!シュシュシュシュッ!!

 

風を切るような鋭い音と共に、緑色のピンポン玉のようなものが、周囲の鬱蒼とした樹冠の影から無数に飛来した。

 

「ん?」

 

うみが反応するよりも早く、足元の梟羽が大きく翼を翻し、うみとユエを庇うようにその身を盾にした。

バシィッ!という音と共に、緑の球体の大部分が梟羽の硬い羽毛に弾けて散る。

防ぎきれなかった残りの球体を、うみとユエがそれぞれ叩き落す。

 

「本体からの攻撃ってところかな? まあとりあえず、ありがとね梟――」

 

うみが労いの言葉をかけようとした瞬間。

 

「ギャァァァッ!!」

突如、梟羽が甲高い悲鳴を上げ、暴れるように翼をバタつかせ始めたのだ。

見れば、緑の球体を浴びた梟羽の頭頂部から、強引に根を張るようにして、一輪の不気味な『花』が急速に咲き始めているではないか。

 

「式神にも効くのか!」

 

うみは即座に術式を解除した。

ドロリと影に溶けて消える梟羽。当然、足場を失ったうみとユエの体は、三十メートルの空中から真っ逆さまに落下していく。

 

「ユエ!」

「んっ」

 

うみは空中でユエを引き寄せると、『天衣無縫』を起動した。

空間の面を捉え、見えない階段を降りるようにして空を蹴る。

フワリ、トンッ、と。二人は魔物の群れがいない広場の中央付近へと軽やかに着地した。

 

「あー、びっくりした。まさか式神まで持ってくレベルとは思わなかった」

 

うみはユエを隣に降ろして、周囲を警戒する。

 

だが。

 

「うみ……」

「ん?」

 

隣にいたユエの、ひどく硬い声が響く。

振り返ると、ユエは自身の頭を両手で押さえ、苦しそうに顔を歪めていた。

そして――彼女の美しい金糸の髪の上に、いつの間にか、一輪の真紅の『薔薇』が咲いていたのだ。

空中で飛来した緑の球体の破片か、あるいは胞子に触れてしまっていたのだろう。

 

「えっ。まじ?」

「……逃げて、うみ」

 

ユエの紅い瞳が、悲痛に揺れる。

うみへと向けられた手に膨大な魔力が急速に収束していく。

そして、収縮した魔力は空気を焦がす巨大な炎の渦として放たれた

 

ズドォォォォォンッ!!

 

炎が着弾し、激しい爆発とともに猛烈な土煙が舞い上がる。

 

「……っ、うみ……!!」

自分の手で彼を焼き尽くしてしまった。

その絶望にユエが悲痛な声を上げた、次の瞬間。

 

「ケホッ……煙い。これだから炎ってやつは……」

 

土煙が晴れたそこには、服の裾一つ焦がすことなく、無傷で立っているうみの姿があった。

 

「ユエ、大丈夫? 今そのお花取ってあげるから――」

 

うみがふらりと近づこうとした、その時だった。

ユエの体が勝手に動き、両手で自身の頭を――薔薇の花を庇うように強く覆い隠したのだ。

 

「……そう来たか」

 

うみは足を止め、少しだけ目を細めた。

「宿主を盾に、近づけばユエごと自爆ってわけだ。……今までの魔物より知能は上っぽいね」

 

相手がこちらの接近を警戒し、的確な防御策を取ってきたことに、うみは素直に感心した。

 

(さて、どうやって剥がすかな)

うみが思考を回した、その時だった。

 

カサカサッ……と、鬱蒼とした樹海の奥から不気味な音を立てて『それ』が姿を現した。

 

上半身は人間の女のような姿。しかし下半身は巨大な樹木の根とツルが絡み合ったような、植物と人間が融合した異形の魔物。

RPGなどで『アルラウネ』と呼ばれるそれに似ているが、その顔に浮かぶ内面の醜さを煮詰めたような悪意と、ニタニタとした気味の悪い笑みは、伝承の美しさとはかけ離れていた。

 

「わざわざ出てきてくれるとはね」

 

うみは全く慌てることなく、指先をスッとアルラウネへと向けた。

『解』で切り刻んで終わらせようとした、その直後。

 

うみが術式を放とうと向けた腕の射線上に、ユエの体が勝手に動き、割り込んで妨害したのだ。

 

「うみ……ごめんなさい……っ」

悔しそうな表情で歯を食いしばるユエ。自分が足手まといになっていることが耐え難いのだろう。

引き結ばれた唇からは、鋭い犬歯が食い込んで血が滴り落ちている。

 

ユエを盾にしながら、アルラウネは先程の緑色の球――種子の塊をうみへと向けて無数に放ってきた。

うみは全く慌てることなく、体内で魔力を練り上げ、掌から淡く光る刃を生成する。

魔力の刃を振るい、飛来する種子を的確に叩き落としていく。

パァンッ、と種子が潰れ、目に見えない胞子が周囲に撒き散らされるが、うみの顔には余裕の笑みが浮かんだままだった。

 

(まあ、効かないんだけどね)

 

この深層で毒を持つカエルやサソリを喰らい、『毒耐性』を獲得しているうみにとって、アルラウネの胞子などただの粉塵と変わらない。

種子が全く効いていないことを悟ったのか、アルラウネは不機嫌そうにニタニタ笑いを歪めると、今度はユエに命じて魔法を発動させた。

 

「……っ」

ユエの掌から、不可視の風の刃がうみへと放たれる。

だが、その威力も速度も、本来の性能に比べれば、明らかに劣っていた。

 

(操られてるせいで、本来の出力が出せないのか)

 

うみが風の刃を躱そうとステップを踏みかけた、その瞬間。

ユエの体がビクッと反応し、これ見よがしに自身の頭――寄生花へと手をやった。

「……なるほど、避けたら自爆させるって脅しか」

うみは動こうとした足を止め、その場に留まった。

無下限呪術を展開して弾くこともできたが、それであの醜悪な魔物の機嫌をさらに損ね、

自暴自棄になってユエを傷つけられては元も子もない。

 

うみは呪力を練り上げ、すべてを防御へ回す。

 

ギィィンッ!

 

風の刃がうみの体に直撃するが、圧倒的な呪力で強化された肉体はそれを浅い傷で弾き返した。

 

(さて、本当にどうしたもんか……)

 

うみが内心で打開策を思案していた、その時だった。

 

(あ、そういえば)

 

うみの脳裏に、自身が手札として持っている数多くの術式の中の、とある一つの存在が過った。

あまりにも使用頻度が少なすぎて、すっかり忘却の彼方にあったその術式。

記憶を遡れば、最後にそれを実戦で使ったのは、実に約一年と半年ほど前。

 

彼がその鮮やかな打開策に行き着いた、ほぼ同時のことだった。

 

「うみ! ……私はいいから……撃って!」

何やら覚悟を決めた様子で、うみに撃てと叫ぶユエ。

足手まといになるどころか、彼を攻撃してしまうぐらいなら自分ごと撃って欲しい。

そんな悲壮な意志を込めた紅い瞳が、真っ直ぐにうみを見つめていた。

 

『そんなこと出来るはずないだろう! 必ず助けてみせる!』

普通であれば、そんな熱いセリフが飛び出て、ヒロインと絆を確かめ合う感動のシーンだ。

だが、すでに打開策を手に入れてしまった彼は、そんな王道の展開をあっさりとへし折る。

 

「いや、俺のこと甘く見すぎじゃない? どっちもさ」

自分がついさっきまでその手段の存在をすっかり忘れていたことは棚に上げ、ため息交じりにそう言い放った。

そして、掌の魔力の刃に自身の呪力を色濃く混ぜ込むと、それを自身の真横、何もない虚空へと向けて軽く放り投げた。

 

直後。

 

パンッ!

 

乾いた拍手の音が、広間に響き渡る。

 

「え……?」

次の瞬間、ユエの視界がぐらりと反転した。

気がつけば、彼女はうみのすぐ真横に立っており、アルラウネと自身の間にいたはずの空間には、うみが放り投げた魔力の刃がクルクルと空を舞っていた。

一定以上の呪力を持った対象と位置を入れ替える術式。呪力を混ぜ込んだ刃とユエの座標が、一瞬にして入れ替わったのだ。

 

突然『絶対の盾』が消滅し、目の前にいたはずの少女が消えたことに、アルラウネが呆然と立ち尽くす。

その一瞬の隙を、うみが見逃すはずがない。

 

「――『解』」

 

うみは即座に指先をアルラウネへと向けた。

シュパンッ!!

空気を裂く音すら置き去りにするほどの、超高速の不可視の斬撃。

アルラウネは何が起こったのか理解する間もなく、その醜悪な体が綺麗に五枚におろされ、緑色の体液を撒き散らしながら崩れ落ちた。

 

それと同時に、ユエの頭上で咲き誇っていた真紅の薔薇が、本体の死に呼応するようにボロボロと枯れ落ち、砂のように崩れ去って消滅した。

 

「…………」

ユエはゆっくりと自身の頭の上を手で触れた。

不気味な薔薇の感触はない。ただ、いつも通りのさらさらとした金糸の髪があるだけだった。

 

自分が無傷で助けられたことを理解したユエは、ぽかんとした顔でうみを見上げた後、ジトッとした目を向けて言った。

 

「……あっさりすぎ。ちょっとくらい、ムードとか……悩んでほしかった」

「え? 悩む必要ないじゃん。こうやってユエを無傷で助けられる手札があったんだし」

うみは首を傾げ、至極真っ当な理屈で返す。

 

「うぅ〜……」

 

ポカッ。ポカポカッ。

 

ユエは無表情のまま、うみのお腹を力なく叩き始めた。

確かに、足手まといになるぐらいならと覚悟を決めたのは事実だ。

だが、ユエとて一人の女の子である。多少の夢くらいは見る。

せめてほんの少しだけでも、「お前を犠牲になんてできるか!」と葛藤したり、悲壮な覚悟を受け止めてほしかったのだ。

いくらなんでも、一切の迷いなく放たれたあのあっさりとした対応はムードがなさすぎると、不満全開での八つ当たりだった。

 

「ちょっ、痛くはないけど、何? どうしたの?」

 

対するうみは、なぜ自分がポカポカと殴られているのか、本気でわかっていなかった。

分かるはずもない。

何せこの男は、『霞』から始まり、『恵里』や『リリアーナ』と、

方々から向けられる直球レベルの好意のことごとくに気づかない、筋金入りの朴念仁なのである。

そんな彼に、ユエの抱える複雑な乙女心に気づけという方が無理な話だった。

 

「……うみのバカ。鈍感。朴念仁」

「えぇ……理不尽すぎる」

 

暗い迷宮の底で繰り広げられる、全く緊張感のない痴話喧嘩。

うみが困惑の声を上げる中、ユエはポカポカと彼を叩きながらも、

その内心では、またしても彼に救われてしまったという事実に、密かに安堵の息を吐き出していた。

 

***

 

アルラウネを問答無用で切り刻んでから、幾度となく日は過ぎ、二人はさらにいくつもの階層を下った。

鬱蒼とした樹海エリアを抜け、現在は岩肌が剥き出しになった乾燥した階層を進んでいる。

 

「ふむ……。この魔物の血は、圧縮しやすそう……とっさにやるとなるとまだ難しいからなぁ」

 

うみは、先ほど討伐した体長四メートルほどの、岩のようにゴツゴツとした外殻を持つ巨大な獅子――『砂岩獅子』の死骸の傍らにしゃがみ込んでいた。

彼は慣れた手つきで魔物の頸動脈から血を抜き、持ち歩いている無数のガラスの試験管や特殊な保存用の皮袋へと、手際よく血液を回収していく。

『カゴ』のインベントリに次々と血液パックが吸い込まれていくその光景は、側から見ればかなり猟奇的だが、当のうみは至極真面目な顔で作業に没頭していた。

 

そんな彼の背中を、少し離れたところからジトッとした視線が見つめていた。

 

「……うみ」

「ん? なに、ユエ」

うみが振り返ると、だぶだぶのコートを着たユエが、なぜか不満そうに頬を膨らませて立っていた。

彼女は紅い瞳を細め、うみの手元にある血液パックと、うみの顔を交互に指差した。

 

「……私、うみの血しか飲まないよ?」

 

その口調と視線は、まるで「私との特別な時間を無くそうとしているのか」と言わんばかりの強い抗議の響きを帯びていた。

うみが魔物の血を大量に集めているのを見て、自分の『食事』をその不味そうな血で代用しようとしているのだと勘違いしたらしい。

ユエにとって、うみの血を直接吸う時間は、単なる食事ではなく彼に存分に甘えられる『特別なスキンシップ』の時間なのだ。

それを手軽な代替品で済ませられ、彼との繋がりを蔑ろにされようとしていると思い込み、ご機嫌斜めになっているのである。

 

「あー、いやいや。違う違う」

うみは苦笑しながら手を振り、出来上がった血液パックを一つ持ち上げて見せた。

「これはユエに飲ませるためのものじゃないよ。

そもそも、こんな魔物の血をユエに飲ませるつもりなんてないし。これは俺が使うの」

「……うみが?」

 

ユエは頭の上に疑問符を浮かべるように、小首を傾げた。

人間のうみが、吸血鬼のように血を飲むはずがない。では何に使うのかと不思議に思っているのだろう。

 

「ちょうどいいや。なんで俺が血を集めてるのか、実演してあげるよ」

うみは作業を中断し立ち上がると、視線を上空へと向けた。

この階層の天井は高く、遙か上空には、先ほどからうみたちを狙うように旋回している巨大な鳥型の魔物――翼幅が五メートルはあろうかという怪鳥の姿があった。

距離にしておよそ五十メートル。普通であれば、物理攻撃を当てるには厄介な距離だ。

 

「見ててね」

 

うみは右手に持っていた血液パックの口を開け、中身の魔物の血を空中にぶちまけた。

だが、その血は地面に落ちることなく、うみの『赤血操術』によって空中に留まり、

まるで意志を持っているかのように蠢き始めた。 うみが両手を打ち合わる。

 

「――『百斂』」

 

空中に漂っていた血が、うみの両手の間に向かって急速に収束していく。

ただ集まるだけではない。うみの呪力によって血液が極限まで圧縮され、小さな、しかし超高密度の球体へと変貌していく。

 

「……」

ユエはその様子を無言で見つめていた。

 

うみはその超高密度に圧縮された血液の球体を両手で包み込むように構え、上空で旋回を続ける怪鳥へと真っ直ぐに狙いを定めた。

 

「――『穿血』」

 

パァンッ!!

 

空気が弾けるような鋭い破裂音が、乾燥した岩肌の階層に響き渡る。

うみの両手から放たれたのは、限界まで圧縮された血液が一気に解放される反発力を利用した、超音速の血のレーザーだった。

音速を優に超える初速で撃ち出された紅い閃光は、大気を切り裂きながら一直線に上空へと突き進む。

 

「ギャァッ!?」

怪鳥が反応する間などなかった。

紅い閃光は、怪鳥の分厚い胸の装甲を紙切れのように容易く貫通し、そのまま背中へと突き抜けたのだ。

致命傷を負った怪鳥は、空中で派手に血飛沫を上げながら、力なく真っ逆さまに落下していく。

 

「…………」

あまりの威力と速度に、ユエはぽかんと口を開けて空を見上げていた。

ただの魔物の血を、一撃必殺の凶器へと変える規格外の技術。

 

「百斂での圧縮に1.83秒……。時間かかりすぎだな」

 

うみは自身の両手を見つめながら、不満げにぼやいた。

 

「……十分、速いと思うけど?」

「相手との距離が十分にあればそうだね。でもこれが近・中距離だと話が変わってくる」

 

うみは血生臭い風を払いながら、冷静に自己分析を続ける。

 

「近距離戦闘だと、たった1秒でも長すぎるくらいだからね。

中距離の対面だったとしても、速い相手なら十分距離を詰められる時間だ

それに、圧縮した血を今みたいに放射するんじゃなくて、近距離で爆発させる技もあるから、

なおさらこの『圧縮にかかるタメ時間』は致命的なんだよね」

 

呪胎九相図の長男・脹相のように、一瞬で圧縮を完了できるほどの練度があれば別だが、今のうみの練度ではそこまでの即効性はない。

 

「なるほど、ね」

ユエは納得したように頷き、それから少しだけ嬉しそうに目を細めた。

うみが自分との時間を蔑ろにして代替品の血を飲ませようとしたわけではなかったこと、

そして何より、彼が自身の術式の弱点すらも隠さず説明してくれたことが、彼女の胸の奥をじんわりと温かく満たしていたのだ。

 

***

 

それからさらに数日。

あるいは数週間が経過したかもしれないが、迷宮の中で正確な時間感覚を保つのは難しい。

うみとユエは、着実に階層を下り続け、いよいよ最初の階層から数えて「百階層目」と思われる場所の一歩手前にある、安全な小部屋へと辿り着いていた。

 

「よし、今日はここで一休みしよう。次は俺が来たところから百階層目だし、一応準備しといた方がよさそうだからね」

うみは敷物を広げ、ランタンで明かりを灯すと、周囲に簡易的な結界を張った。

 

「……んっ」

ユエはこくりと頷くと、敷物の上に座ったうみの隣へといそいそと移動し、そのまま彼の背中からぴったりと張り付くように抱きついた。

 

「わっ」

「……うみ、あったかい」

 

サイズの合わないコートに包まれた小さな体が、うみの背中にグリグリと顔を擦りつけてくる。

ここ最近のユエは、拠点や安全地帯で休んでいる時、こうして露骨に甘えるようになっていた。

横になれば添い寝のように腕に抱きつき、座っていれば背中や胸元に張り付いて離れない。

その表情は、出会った当初の無表情からは想像もつかないほど、迷宮には似つかわしくない緩んだものになっていた。

 

「はいはい。よしよし」

 

対するうみは、そんなユエの過剰なスキンシップに対しても全く動じることなく、

慣れた手つきで背中に回された彼女の小さな手を優しくポンポンと叩いた。

孤児院出身で、多くの弟妹たちの面倒を見てきたうみにとって、年下の少女のあしらいはお手の物である。*1

彼のその圧倒的な『長男力』は、三百年の孤独を癒やしたいユエの欲求と見事に合致し、端から見れば恋人同士と見紛うほどの過剰な甘やかし空間を形成していた。

 

「……血、吸う」

「ん。いっぱい吸っていいよ」

うみは少しだけ襟元をくつろげ、ユエを正面に抱き直すようにして首筋を差し出した。

ユエは嬉しそうに目を細めると、うみの首筋にそっと牙を立てる。

 

(相変わらず、全く痛くないんだよなぁ。むしろちょっとくすぐったいというか……)

 

自身の血が吸われていく感覚に身を任せながら、うみはユエの金糸の髪をゆっくりと撫で続けた。

 

一方、うみの血を堪能しながら、ユエの胸の内には静かな感情の変化が訪れていた。

 

(……うみ)

 

出会ったばかりの頃、自分を「妹」のように扱ううみに対し、彼女は反発を覚えていた。

『お兄ちゃん』と呼ばせようとした彼を「鈍感。朴念仁」と罵った日のことを、今でもはっきりと覚えている。

自分は子供扱いされるような年齢ではない。保護されるだけの存在ではないと、意地を張っていた部分もあった。

 

だが、共に迷宮を下り、数え切れないほどの死線を越え、その度に彼に守られ、こうして底なしの優しさで甘やかされ続けるうちに。

 

(……妹、でも。いいかも……しれない)

 

ユエは、密かにそんなことを思い始めていた。

うみにとっての『妹』という存在が、どれほど特別で、どれほど大切に愛されるものなのかを、彼女は身をもって理解してしまったからだ。

 

(……もちろん、一番の特別は諦めないけど)

 

恋人という形にこだわらずとも、まずは彼にとっての『特別な家族』として隣に在り続けられるのなら、それ以上に幸せなことはないのではないか。

そんな思考がよぎってしまうほどには、彼の真っ直ぐな愛情は心地よかったのだ。

 

「お腹いっぱいになった?」

「……ん。ごちそうさま」

「よろしい。じゃあ、少し休んだら出発しよう。その前に……俺も一応ステータスの確認をしておくか」

 

うみはユエの頭を撫でながら、自身の内側――自身のステータスプレートへと意識を向けた。

 

====================================

月影うみ 17歳 男 レベル:43

天職:錬金術師

筋力:2350

体力:2410

耐性:2180

敏捷:2630

魔力:1450

魔耐:1270

技能:錬金術・鑑定・言語理解・カゴ・纏雷・胃酸強化・夜目・気配感知・石化耐性・

   気配遮断・吸魔・念動・無詠唱・真偽判定・磁力操作・毒耐性・麻痺耐性・

   威圧・念話

====================================

 

(うん、各種ステータスも順調に伸びてる)

 

遭遇した魔物を手当たり次第に喰らえばもっと爆発的に上昇するのだろうが、

うみは自身の呪術で十分に対処できるため、無作為な捕食は行っていない。

そのため、肉体的なステータスの上昇幅はそこまで劇的なものではなかった。

うみが重宝しているのは、ステータスの数値よりも、特定の魔物を喰らってピンポイントで取得した有用な技能の方だ。

特に、最近取得した『念話』などは、戦闘中のユエとの連携において非常に役に立っている。

 

「相変わらず、凄い数字」

うみの胸元に張り付いたまま、ユエがステータスプレートを覗き込んでぽつりとこぼす。

「そう? このくらいなら、上はいそうだけど」

「……これが、呪力?の強化で何十倍、何百倍にもなるのは、絶対におかしいと思う」

ジト目を向けてくるユエに、うみは苦笑する。

「まあ、確かに呪力による強化倍率は圧倒的だけど、その分汎用性は魔力に劣るからね。

そう考えたらそうでもないんじゃない?」

「……規格外」

 

ユエはそう言って、再びうみの胸に顔を埋めた。

うみは、胸元で安心しきっているユエの金糸の髪を、まるで猫を撫でるかのようにゆっくりと梳いた。

しばらくの間、薄暗い迷宮の底とは思えない、暖かく穏やかな時間が流れる。

 

やがて、全ての準備と休息を終えた二人は、立ち上がり、階下へと続く階段へと向かった。

 

***

 

階段を降りた先。そこは、無数の強大な柱に支えられた広大な空間だった。

柱の一本一本が直径五メートルはあり、一つ一つに螺旋模様と木の蔓が巻きついたような彫刻が施されている。

柱の並びは規則正しく一定間隔で並んでいる。天井までは三十メートルはありそうだ。

地面も荒れたところはなく平らで綺麗なものである。どこか荘厳さを感じさせる空間だった。

 

うみとユエが、しばしその光景に見惚れつつ足を踏み入れる。

すると、全ての柱が淡く輝き始めた。

「おっと」

ハッと我を取り戻し警戒する二人。柱は彼らを起点に、奥の方へ順次輝いていく。

しばらく警戒していたが特に何も起こらないので、二人は感知能力を全開にしながら慎重に歩みを進めた。

 

二百メートルほど進んだ頃、前方に行き止まりを見つけた。

いや、行き止まりではなく、それは巨大な扉だ。

全長十メートルはある巨大な両開きの扉が有り、これまた美しい彫刻が彫られている。

特に、七角形の頂点に描かれた何らかの文様が印象的だ。

 

「あれは……って言いたいところだけど、まあどう見てもあれが……」

「……反逆者の住処?」

「だろうね」

 

いかにもラスボスの部屋といった感じだ。 実際、うみの『気配感知』には何も引っかかっていないがひしひしと嫌な感覚がする。

この先はめんどくさいぞ、と本能と経験が訴えかけてくる。

一方、ユエは純粋な本能でこの奥に潜むモノの恐ろしさを感じ取っているのか、うっすらと額に冷や汗をかいていた。

 

「まあ、サクッと終わらせて反逆者のお家で休ませてもらおうか。ここまでちゃんとしたところで休めてないし」

うみは内心の面倒くささを表には出さず、ユエを安心させるように小さく笑みを浮かべた。

たとえ何が待ち受けていようと、元の世界に帰るためにはやるしかないのだ。

 

「……んっ!」

ユエも覚悟を決めた表情で、繋いでいたうみの手をギュッと握り返し、扉を睨みつける。

そして、二人揃って扉の前に行こうと、最後の柱の間を越えた。

 

その瞬間。

扉とうみたちの間、三十メートル程の空間に、巨大な魔法陣が現れた。

赤黒い光を放ち、脈打つようにドクンドクンと音を響かせる。

 

うみは、その魔法陣に見覚えがあった。

忘れようもない、あの日、この奈落に来る前に見た、あの巨大な熊(ベヒモス)を召喚した魔法陣と同じものだ。

だが、ベヒモスの魔法陣が直径十メートル位だったのに対して、眼前の魔法陣は三倍の大きさがある上に、構築された式もより複雑で精密なものとなっている。

 

「わー、おっきい。さすがにこのサイズの相手は俺も初めてかも」

「……大丈夫……私達、負けない……」

 

巨大な魔法陣を前にしてもどこかのほほんとした声を上げるうみに対し、

ユエは決然とした表情を崩さず、彼の腕をギュッと掴んだ。

 

「うん、そうだね」

 

うみはユエの言葉に優しく微笑み返すと、安心させるようにその小さな頭をポンと撫でた。

どうやらこの魔法陣から出てくる化物を倒さないと、先へは進めないらしい。

 

魔法陣はより一層輝くと、遂に弾けるように光を放った。

咄嗟に腕をかざし、目を潰されないようにする二人。

光が収まった時、そこに現れたのは……

 

体長三十メートル、六つの頭と長い首、鋭い牙と赤黒い眼の化け物。

例えるなら、神話の怪物――『ヒュドラ』だった。

 

「「「「「「クルゥァァアアン!!」」」」」」

 

六つの首が同時に咆哮を上げ、広大な空間を激しく震わせた。

迷宮の真の絶望が、二人の前に立ち塞がった。

*1
ユエは圧倒的に年上なのだがそこはご愛嬌

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