広大な空間に、六つの頭が同時に放つ、大気を震わせる咆哮が響き渡った。
「「「「「「クルゥァァアアン!!」」」」」」
それは不思議な音色の絶叫でありながら、身の程知らずな侵入者を絶対に許さないという、明確で強烈な殺気を孕んでいた。
常人であれば、その威圧感と殺気を当てられただけで心臓を止め、泡を吹いて倒れてしまうかもしれない。それほどの濃密な死の気配が、うみとユエの二人に叩きつけられた。
「……大丈夫……私達、負けない……」
「うん、そうだね」
ユエはうみの腕をギュッと掴み、決然とした表情でヒュドラを睨みつけている。うみはそんな彼女の頭をポンと優しく撫でると、一歩前に出た。
(さて、君はなんていう子なのかな?)
うみは平然と対象の情報を読み取ろうと『鑑定』の技能を起動した。
――しかし。
空中に一瞬だけ浮かび上がった半透明のウィンドウは、文字一つ表示させる間もなく、
ピキッ……と亀裂を走らせ――次の瞬間、パリーンッ!という音が聞こえそうな演出とともに粉々に砕け散った。
(……完全に弾かれた)
うみは小さく首を傾げた。以前、封印されていたユエを鑑定した際は、文字化けして読めないまでもウィンドウ自体は表示され維持された。
つまりこのヒュドラは、相手の『鑑定』そのものを完全に阻害するような、厄介な固有魔法を持っているということだ。
「鑑定が効かないなら、戦いながら探るしかないか。……まずは小手調べ」
うみはポケットから右手をスッと抜き出し、六つある頭のうち、赤黒い紋様が刻まれた頭(赤頭)に向けて指先を向けた。
赤頭がガパッと大きな口を開き、こちらへ向けて巨大な炎の壁とも呼べる火炎放射を放とうとした、その出鼻を挫くように。
「――『解』」
シュパンッ!!
空気を切り裂く不可視の斬撃が、赤頭の喉元を深く、そして残酷なまでに正確に斬り裂いた。
大量の血飛沫が舞い上がり、赤頭の首は半ばから切断され、ゴトリとだらしない角度に折れ曲がる。
(まずは一つ。やっぱりこの出力じゃ完全に刎ね飛ばすまではいかないか。まあ、それでも……え?)
うみが自身の出力を冷静に分析していた、次の瞬間だった。
白い紋様が入った頭(白頭)が「クルゥアン!」と短い叫び声を上げると、切断されかけていた赤頭を淡い白い光が包み込んだ。
すると、まるでビデオの逆再生でも見ているかのように、噴き出していた血が戻り、切断された肉と骨が一瞬にして結合し、
赤頭は何事もなかったかのように元通りに修復されてしまったのだ。
「なるほど、反転術式……白が回復役ってことね」
うみは呆れたように息を吐き出すと、すぐさま『念話』の技能を起動し、ユエに語りかけた。
『――ユエ。とりあえずあの白い首が回復持ちみたいだから、白から行くよ?』
『――んっ!』
ユエの力強い返念を聞くと同時、二人は左右に散開した。
ユエは自身の魔力を練り上げ、無詠唱で巨大な氷の礫を白頭へ向けて散弾のように撃ち放つ。
うみもまた、指先に引力の球体を発生させた。
「――『蒼』」
空間を抉り取るような引力の塊が、白頭を粉砕すべく飛翔する。
しかし、直撃かと思われた瞬間。
黄色の文様を持つ頭(黄頭)が、サッと白頭の前に射線を遮るように割り込んできた。
黄頭は一瞬で風船のように肥大化し、その表面を淡い黄色の魔力で分厚くコーティングする。
ズガァァァンッ!!
ユエの氷弾と、うみの『蒼』が同時に黄頭に直撃した。
しかし、爆炎と冷気が晴れた後に残っていたのは、所々鱗が剥がれ傷ついてはいるものの、
首を失うには至らず、平然とうみたちを見下ろす黄頭の姿だった。
「……嘘でしょ」
うみは心底嫌そうな顔をした。
「防御特化の盾役なのは分かるけど、『蒼』まで防ぐのは硬すぎない? 攻撃能力がないとかの縛りないと成り立たないでしょあれ……」
直後、「クルゥアン!」という白頭の鳴き声と共に、黄頭の傷も一瞬にして癒やされていく。
回復に盾。実にRPGのボスらしい、理不尽でバランスの取れた役割分担である。
『――正面からだとあの黄色が邪魔だね。ユエ、前後で挟み込もう。どっちかの攻撃は当たるはず』
うみが念話で作戦を伝え、再び二人が動こうとした、その時だった。
「いやぁああああ!!!」
突如として、ユエの絶叫が広間に響き渡った。
「! ユエ!?」
うみが振り返ると、ユエは頭を抱え、まるで恐ろしい悪夢でも見ているかのように顔面を蒼白にして、その場に崩れ落ちていた。
うみが駆け寄ろうとした瞬間、赤頭と緑頭がユエを庇ううみを阻むように炎弾と風刃を乱射してきた。
さらに、倒れ伏したユエを絶好の獲物と判断したのか、青い紋様の頭(青頭)が大口を開け、長い首を蛇のように伸ばしてユエに喰らいつこうと迫る。
「させないよ」
うみは自身に『蒼』の引力を作用させ、空間を滑るような超高速移動で一気にユエの元へと跳躍した。
炎弾と風刃の嵐を、常時展開している『無下限呪術』の不可侵の壁で防ぎながら、一直線に青頭とユエの間に割り込む。
「グルルルッ!」
獲物を邪魔された青頭が、怒りの唸り声と共に、うみごとユエを丸呑みにしようと巨大な顎を閉じる。
だが、うみは逃げることも防ぐこともしない。
ただ、右の拳に呪力を集中させ、そこに『蒼』の引力反応を重ね合わせた。
「ぶっ飛べ」
ドゴォォォォンッ!!!
うみの放った『無下限打撃』――空間そのものを吸い込み、爆発的な破壊力を生み出す一撃が、青頭の下顎にクリーンヒットした。
隕石でも衝突したかのような凄まじい衝撃波が広がり、青頭は顎の骨を粉々に砕かれながら、脳震盪を起こして真上へと大きく弾き飛ばされた。
「ユエ!」
うみはその隙にユエの細い体を抱き上げると、再び『蒼』で後方へと跳躍し、近くの巨大な柱の陰へと退避した。
「ユエ、しっかりして!」
「……ぁ……あ……」
うみは柱の陰にユエを降ろすと、ガタガタと震える彼女の頬を軽くペシペシと叩き、『カゴ』から取り出した神水を口に含ませた。
しかし、ユエの瞳は虚ろなままで、何かの恐怖に縛り付けられているように動かない。
うみは柱の陰からチラリとヒュドラの方を見た。
青頭は白頭の回復によって早くも再生を始めている。そして、遠くからこちらをジッと見つめている黒頭。
その目から、ユエに向かって魔力が放たれているのが『六眼』にははっきりと視えていた。
「……原因はあれか。ちょっと黙っててくれない?」
うみはユエを片手で支えたまま、空いている右手でポケットに手を入れた。
引き出したのは、地球にいた頃から持ち歩いている、何の変哲もない五百円玉。
うみはその硬貨を親指と人差し指で挟むように構えると、右腕全体に『纏雷』の技能を起動させた。
バチバチッ!と、赤黒い稲妻が右腕に走り、硬貨に極限の電磁エネルギーが収束していく。
うみは黒頭の眉間へと正確に狙いを定めると、親指で五百円玉をパチンと弾き飛ばした。
「――『超電磁砲』」
ドッッッガァァァァン!!!
音速の三倍――マッハ3に達する圧倒的な初速で射出されたコインは、眩い閃光を伴いながら広間を一直線に駆け抜けた。
防御役の黄頭が反応する隙すら与えない。
放たれた閃光は、ユエを恐慌状態に陥れていた黒頭を、頭蓋から首の根元まで、文字通り跡形もなく完全に消し飛ばした。
さらに貫通した閃光は、広間の奥の壁を深く抉り取ってようやく消滅した。
黒頭が消滅した瞬間、精神を縛り付けていた魔力の供給が断たれた。
うみの腕の中で震えていたユエの瞳に、ゆっくりと光が戻り始める。
「……っ、はぁっ、はぁっ……」
「ユエ! 気づいた?」
「……うみ?」
パチパチと瞬きをしながら、ユエはその小さな手を伸ばし、うみの頬にそっと触れた。
冷たい手から伝わる確かな体温。
それでようやく、うみが自分の目の前にいることを実感したのか、彼女は安堵の吐息を漏らし、瞳に涙を溜め始めた。
「……よかった……見捨てられたと……また暗闇に一人で……」
「えっ? 見捨てるって……俺が?」
「……うん。急に、頭の中がいっぱいになって……怖くて、動けなくなったの……」
ユエの弱々しい説明を聞き、うみは即座に状況を理解した。
(なるほど、あの黒頭は相手の最も恐れている幻覚や不安を増幅させるデバフ魔法を使うのか。……それにしても)
うみは、涙目で自分にしがみついてくるユエの背中を、優しくポンポンと撫でた。
三百年の孤独を経験した彼女にとって、最も恐ろしい悪夢が『うみに見捨てられること』だったのだ。
その事実が示す彼女の深い依存と信頼に、うみは胸の奥が少しだけチクリと痛むのを感じた。
「……人のトラウマえぐりに来るとか、ずいぶんといい性格してるじゃん」
うみは呆れたように、しかし確かな冷たさを宿した声で吐き捨てながらも、腕の中の少女を安心させるように、その体をギュッと抱きしめ返した。
「うみ……私……」
震える声で何かを言いかけようとするユエ。
うみは彼女を抱きしめていた腕を少し緩めると、両手でユエの小さな頬をふわりと包み込んだ。
「……っ」
そして、そのまま自身の顔を近づけ――コツン、と。
ユエの額に、自分の額を優しく合わせた。
至近距離で、透き通るような蒼い瞳と、涙で潤んだ紅い瞳が真っ直ぐに交差する。
「よく聞いて、ユエ」
静かな、けれど有無を言わさぬ真っ直ぐな声だった。
「俺は、ユエを絶対に置いていかない。この迷宮を抜け出して、元の世界に帰る時も、必ず一緒」
「でも……」
「不安なら……俺と『縛り』を結ぶ?」
その言葉に、ユエはハッと息を呑んだ。
『縛り』。
それは以前、この迷宮を下る道中で、うみが己の力――『呪術』の特異性について語った際に教えられた概念。
自らに不利な条件を科すことで見返りを得る、あるいは他者と絶対の契約を交わすシステム。
そして何より、それを破った者には、いついかなる形で予測不能の『罰』が下るか分からない。
己の命と魂すら天秤にかける、呪術師にとって最も重く、絶対に破ることの許されない掟のことだ。
「俺がユエを絶対に見捨てないっていう縛り。もし俺が破ったら、俺の命ごと持っていかれるくらいの重いやつ」
「……いいの?」
うみのあまりにもあっさりとした、しかし命を懸けた提案に、ユエは目を丸くして問い返した。
「ユエがそれを望むなら。それで安心できるなら、俺は今ここで迷いなくその縛りを結ぶよ」
うみがふわっと笑いかけると、ユエの瞳からスッと絶望の靄が晴れていく。
彼がどれほどその『縛り』を重く捉えているかを知っているからこそ、
それを躊躇いなく提示してきた彼の覚悟そのものが、ユエの不安を完全に打ち砕くには十分すぎるほどの『特効薬』だったのだ。
「……ううん、大丈夫」
「えっ、いいの?」
今度は逆にうみが拍子抜けしたように目を丸くする。
するとユエは、小さく、けれど確かな信頼を込めてふわりと微笑んだ。
「……うん。だって、うみが言った。『家族』だから、一緒にいるって」
「…………」
「家族は、絶対に見捨てない。……でしょ? お兄様」
育ちの良さを感じさせる気品と、悪戯っぽさ、そして深い親愛を込めてそう呼ばれ、
うみは一瞬だけ目をパチクリとさせた後――やれやれと降参したように破顔した。
「ふふっ、そうだよ。お兄ちゃんはどんな時だろうと妹や弟の味方なの。よくわかってるじゃん」
うみの圧倒的な自信と、長男力全開の底なしの包容力。
彼自身の存在そのものが、ユエを悪夢から完全に引き戻した。
「「「「グルルルォォォォン!!」」」」
二人の空気を引き裂くように、ヒュドラの咆哮が響き渡った。
生き残っている五つの頭が、黒頭を消し飛ばされた憎悪を込めてうみたちを睨みつけ、炎弾、風刃、氷弾を矢継ぎ早に撃ち込んでくる。
「さて。お邪魔虫も怒ってるみたいだし、今度こそ反撃と行こうか。……ユエ、援護いける?」
「……任せて!」
ユエの小さな体から、先程までとは桁違いの、膨大で鋭い魔力が立ち昇る。
静かな呟きのような口調が崩れ、覇気に溢れた応答。吹っ切れた吸血姫の放つオーラは、迷宮の最深部に相応しい威圧感を放っていた。
二人は一気に柱の陰を飛び出し、弾幕の中へと身を投じた。
「――『緋槍』! 『砲皇』! 『凍雨』!」
矢継ぎ早に引かれた魔法のトリガー。
ユエの手から有り得ない速度で魔法が構築され、炎の槍と、螺旋に渦巻く真空刃を伴った竜巻、そして鋭い針のような氷の雨が一斉にヒュドラを襲う。
攻撃直後の隙を狙われ死に体の赤頭、青頭、緑頭の前に、再び黄頭が盾になろうと飛び出ようとする。
だが、黄頭はうみの方も警戒しているのか、白頭のカバーを優先してその場を動かず、代わりに咆哮を上げた。
「クルゥアン!」
すると近くの太い柱が波打ち、変形して即席の巨大な石壁となった。
どうやらあの黄頭は、ただ自身の身を硬くするだけでなく、地形を操る魔法も使えるらしい。
ズガァァァンッ!!
ユエの魔法がその石壁に激突する。先陣の魔法が壁を爆砕し、後続の魔法が見事に三つの頭に直撃した。
「「「グルゥウウウウ!!!」」」
悲鳴を上げのたうつ三つの頭。
回復を受けた赤頭、青頭、緑頭がそれぞれ反撃を再開しようとするが、ユエはたった一人でそれら全てと正面から渡り合った。
自身に迫る攻撃を尽く相殺し、隙あらば無詠唱の魔法を次々と叩き込む。手数を重視した圧倒的な弾幕。
一方のうみは、三つの首がユエに掛かり切りになっている間に、一気にヒュドラの死角へと回り込む。
「ユエが上手くヘイトを稼いでくれてる。なら、やることは一つ」
うみは、回復役である白頭と、それを守る黄頭の直線上へと躍り出た。
黄頭がうみの接近に気付き、白頭を守るようにその巨体を肥大化させ、魔力の防壁を分厚く展開する。
「まとめて潰す」
うみはスッと構え、静かに呪詞を紡ぎ始めた。
「――『位相』『黄昏』『智慧の瞳』」
それは『蒼』の出力を極限まで高めるための詠唱。
呪術において言葉とは呪いそのものであり、呪詞を乗せることで術式の出力は爆発的に跳ね上がる。
「――出力最大!術式順転『蒼』!!」
ズガァァァァァァァンッッ!!!!
うみの指先から放たれたのは、極限まで出力を高められた巨大な引力の塊。
大気を削り、空間を無理やり吸い込みながら飛翔したその一撃は、黄頭が展開していた強固な魔力防壁と石化した外殻を『紙屑のように』容易く圧壊・粉砕した。
そしてそのまま黄頭の巨体を内側から抉り取り、背後にいた白頭へと到達。全く威力を落とすことなく白頭をも巻き込み、広間の奥の壁ごと深く球状に抉り取った。
――――
激しい振動が収まった後、そこに残っていたのは、頭部と首が半球状に綺麗さっぱり消滅した二つの残骸と、
どこまで続いているか分からない深い穴の空いた壁だけだった。
一度に二つの頭を消滅させられた残り三つの頭が、思わずユエの相手を忘れて呆然とうみの方を見る。
うみは軽く手を払いながら、残る三つの頭へと冷ややかな視線を向けた。
だが、彼らが相対している敵は、決して目を離していい相手ではなかった。
「――『天灼』」
かつての吸血姫。その天性の才能に同族までもが恐れをなし、奈落に封印した存在。
その力が、己の『家族』と敵対した事への天罰だとでも言うかのように降り注ぐ。
三つの頭の周囲に、六つの放電する雷球が取り囲む様に空中を漂ったかと思うと、
次の瞬間、それぞれの球体的が結びつくように放電を互いに伸ばして繋がり、その中央に巨大な雷球を作り出した。
ズガガガガガガガガガッ!!
中央の雷球が弾けると、六つの雷球で囲まれた範囲内に絶大な威力の雷撃が撒き散らされた。
三つの頭が逃げ出そうとするが、まるで壁でもあるかのように雷球で囲まれた範囲を抜け出せない。天より降り注ぐ神の怒りの如く、轟音と閃光が広大な空間を満たす。
そして、十秒以上続いた最上級魔法に為すすべもなく、三つの頭は断末魔の悲鳴を上げながら遂に消し炭となった。
「ふぅ……」
全ての頭を沈黙させ、ユエがペタリとその場に座り込む。
魔力を大量に消費して荒い息を吐きながらも、無表情の中に満足げな光を瞳に宿し、うみに向けて小さくピースサインを作った。
うみも頬を緩めながら手を振り返し、ヒュドラの胴体部分の残骸に背を向けてユエの下へ行こうと歩みだした。
その直後。
「うみっ!」
ユエの切羽詰まった声が響き渡る。
何事かと見開かれたユエの視線を辿ると、音もなく――七つ目の『銀色に輝く頭』が、ヒュドラの胴体の残骸からズルリとせり上がり、うみを睥睨していた。
(……まだ残機あったのか。でも狙いは俺じゃなくて――)
銀頭はうみからスッと視線を逸らすと、魔力枯渇で座り込んでいるユエを鋭い眼光で射抜いた。
そして、予備動作すら一切見せずに、その口元から圧縮された莫大な熱量の極光を撃ち放ったのだ。
音もなく迫る破滅の光。魔力の切れたユエは動けない。
だが、うみはその直前、銀頭の視線がユエに向けられた瞬間に、すでに『蒼』の引力による超高速移動を開始していた。
「それやるなら、一発はこっちに牽制するべきだったんじゃない?」
極光がユエの細い体を飲み込むよりも遥かに早く、うみは余裕を持ってユエを抱きかかえ、そのまま元の位置から十数メートル離れた柱の陰へと退避していた。
直後、二人がいた場所を極光が通り抜け、背後の壁をドロドロに融解させる。
「う、み……っ」
腕の中で目を見開くユエを降ろし、「大丈夫?」と軽く微笑みかけるうみ。
一方、必殺の奇襲をあっさりと躱された七つ目の銀頭は、苛立たしげに「グルゥルル……!」と低い唸り声を上げた。
そして、銀頭はユエではなく、明確に「一番の脅威」としてうみへと狙いを定めると、今度はこれ見よがしに大口を開け、莫大な魔力を集束させ始めた。
先ほどの極光が予備動作ゼロだったのに対し、今度は明らかに『溜め』に入っている。
(今の速度を見て? さすがにその隙は致命的すぎるんじゃ……)
いくら威力を高めようが、そもそも撃てなければ意味がない。
うみとヒュドラの間にある距離は20mといったところ。
先程見せた移動速度に、自身の防御特化の頭を消し飛ばした攻撃力を考えれば、射出まで持たないことは明白だろう。
それは迷宮の最深部を任されるような上位の魔物であれば、理解できているはずだ。
うみとヒュドラの銀頭の視線が交差する。
(ああ、なるほど……そういうことか)
数秒の沈黙の中で、うみは銀頭の目から伝わってくる強烈な意志を感じ取っていた。
どうしようもなく遥か上の次元にいる規格外の強者。それを前にして、銀頭は勝敗すらもとうに投げ捨てていた。
ただ純粋に、己の存在の全てを懸けた最大最強の一撃を、あの強者に真っ向からぶつけてみたい。
そんな、魔物らしからぬ純粋な渇望が、その眼光に宿っていた。
(――しょうがないなぁ)
うみは小さく息を吐き出した。
本来であれば、このまま距離を詰めて仕留めてしまえばいい。
うみにはそれができるだけの力がある。相手のワガママに付き合ってやる義理なんてどこにもない。
だが、全てを出し切ろうとするあの熱に当てられて、その選択を取るのは、なんだかひどく野暮なことに思えた。
「……憂太先輩に倣って、だね」
うみは誰に言うともなく呟くと、隣のユエに向かって優しく言った。
「ユエ、巻き込まれるかもしれないから、もう少し離れてて」
「うみ……?」
不思議そうに首を傾げるユエをよそに、うみは前へと歩み出た。
そして、極光の溜めを終えようとしている銀頭に向けて、スッと右腕を突き出す。
「一回だけだからね?」
静かな、しかし迷宮の空気を震わせるような凄みを帯びた声で、うみは呪詞の詠唱を開始した。
「――『巨星』『焔核』」
言葉という『呪い』が乗るたびに、うみの右腕の先に圧縮されていく呪力の密度が爆発的に跳ね上がり、空間そのものが悲鳴を上げるように歪み始める。
一方の銀頭の口元にも、それを迎え撃たんとばかりに、迷宮の最深部を白く染め上げるほどの莫大な魔力光が臨界点へと達しようとしていた。
「――『穿天の光柱』」
詠唱の完了と共に、うみの掌で極限まで圧縮された呪力は、今にも暴発しそうなほどの眩い輝きと破壊の予兆を放つ。
そして、互いの殺意と熱量が頂点に達し、銀頭が全てを消し飛ばす極光を解き放とうとした、まさにその瞬間。
「――いくよ?」
ドガァァァァァァァァァンッッ!!!!
うみの合図とともに、うみの指先から放たれた純粋な呪力の奔流と、銀頭の口から放たれた極光が、広間の中央で激突した。
純白の極光と、漆黒を孕んだ蒼い呪力の柱。
二つの圧倒的なエネルギーがぶつかり合い、迷宮そのものが崩壊するかのような凄まじい衝撃波と轟音が空間を支配する。
しかし、その拮抗はほんの一瞬の出来事だった。
銀頭の極光すらも児戯に思えるほどの、圧倒的な質量と熱量を伴ったうみの呪力の奔流は、
光の激流を真っ向からねじ伏せるように押し返し――そのまま巨大な頭部ごと、はるか後方の迷宮の壁まで完全に消し飛ばした。
「案外……悪くなかったよ?」
激しい轟音と爆発の余韻が消えゆく中、うみは軽く息を吐いて右手を下ろした。
ヒュドラの巨体は完全に沈黙し、胴体部分の残骸だけがその場に横たわっている。
うみはクルッと振り返り、呆然とその光景を見つめていたユエの元へと歩み寄った。
「ユエ、大丈夫だった? ケガとかない?」
「……うん。でも、魔力が、からっぽ……」
コクンと頷いたものの、ユエは立っているのもやっとなのか、ふらふらと体を揺らしている。
うみは苦笑しながら、その小さな体をヒョイと抱き上げた。
「よく頑張ったね。少し休もうか」
「ん……」
「あっ、ちょっ……ユエ?」
抱き上げられたユエは、うみの胸に顔を埋めるなり、そのままコテンと首筋に顔を寄せた。
そして、小さく口を開くと――カプッ、とうみの首筋に牙を立てた。
「んっ……吸うなら吸うって言ってよ。急だとびっくりするから……っていうか、くすぐったい」
「……んくっ……んちゅっ……」
うみが文句を言いながらも抵抗せずにいると、ユエは魔力と栄養(血液)を補給するように、喉を鳴らしながら美味しそうに血を吸い始めた。
しばらくして満足したのか、ユエはぷはぁと息を吐いて口を離し、ペロッと唇を舐める。
「……ごちそうさま。うみの血、おいしい」
「はいはい、お粗末様。……さて、それじゃあ」
うみはユエを片腕で抱えたまま、横たわるヒュドラの胴体の残骸へと近づいていった。
「……うみ、何してるの?」
「ん? ああ、ちょっとこのヒュドラから使えそうな素材でも回収できないかなって思って。
一番強い魔物みたいだったから、お肉とかも美味しいかもしれないし」
ユエが不思議そうに首を傾げる中、うみは『収納』の技能でヒュドラの肉や鱗、爪といった使えそうな部位を次々と解体・回収していく。
『鑑定』が弾かれたため、どんな固有魔法や技能を持っていたのかは結局分からずじまいだったが、
もし万が一、肉を食らうことで何か有用な技能を引き継げる可能性もゼロではない。うみはそんな下心も抱きつつ、念入りに回収作業を続けた。
そんな作業を終えようとしていた、その時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
突如、広間の最奥、ヒュドラが陣取っていた壁の奥から重低音が響き渡り、巨大な両開きの扉が独りでにゆっくりと開いていったのだ。
「! 新手……!?」
ユエが咄嗟にうみの腕の中で身を固くし、殺気を放つ。
しかし、うみは『六眼』で扉の奥の空間を視認し、特に魔物や危険な呪力の反応がないことを確認すると、ポンポンとユエの背中を撫でた。
「大丈夫だよ、ユエ。あの中には誰もいないみたいだ」
「……ほんとに?」
「うん。もしかしたら、ボスを倒したことへの『お出迎え』みたいなものかもね。
……もうちょっと待って何もなかったら行ってみようか」
うみの言葉にユエも少しだけ警戒を解き、コクンと頷いた。
数分ほどその場で待機し、本当に何も出てこないことを確認してから、うみはユエを抱えたまま、開かれた扉の奥へと足を踏み入れた。
――そして、踏み込んだ扉の奥に広がっていたのは。
「これが……反逆者の住処」
ユエが思わずそう呟くのも無理はない。
そこには、迷宮の最深部とは到底思えないような、広大な空間に建てられた、住み心地の良さそうな「住居」があった。
二人は顔を見合わせると、少し警戒を残しながらも、その石造りの建物のエントランスへと足を踏み入れた。
建物内部は全体的に白く石灰のような手触りで、清潔感がある。
温かみのある光球が天井から突き出す台座の先端に灯っており、薄暗いところに長くいた二人には少し眩しいくらいだ。
どうやら三階建てらしく、上まで吹き抜けになっている。
そのまま一階の探索を始めた二人は、ふと広間から続く大きな扉を開けた。
するとそこには、地下迷宮とは到底思えない、広大な『中庭』が広がっていた。
天井高くには太陽を模したような巨大な光球が浮かび、遠くには滝や川、さらには畑や別の居住棟のようなものまで見える。
「わぁ……」 「すごいね。地下にこんな空間を作っちゃうなんて。……あ、そうだ」
人工太陽を見上げたうみは、不意に何かを思い出したようにユエに視線を向けた。
「そういえばユエって、太陽の光は大丈夫なの?」
「……? 太陽?」
ユエはきょとんとした顔で首を傾げた。うみの質問の意図が全くわかっていない様子だ。
「えっとね、俺のいた世界――地球の常識というかお伽話だと、吸血鬼って太陽の光を浴びると灰になっちゃうって言われてるんだよね」
「はいに……?」
「うん。これは魔法で作られた人工的な光だろうから大丈夫だとは思うけど、
もし地上に出て外の太陽を浴びた瞬間にユエが灰になっちゃったら嫌だなって思って」
うみが真面目な顔で心配すると、ユエは数秒目をパチクリとさせた後、ふるふると首を横に振った。
「……大丈夫。吸血鬼は太陽、平気。灰にはならない」
「へえ、そうなんだ。じゃあトータスの吸血鬼は一律『
「でいうぉーかー?」
聞き慣れない言葉にユエが反応する。
「日の下でも普通に活動できる吸血鬼のことを、俺のいた世界ではそう呼んだりするんだよ」
「……日歩く者……かっこいい」
少し気に入ったのか、ユエが小さく呟く。
うみは「そっか、よかった」と安堵の笑みをこぼしつつ、中庭へと続く扉を一旦パタンと閉めた。
「とりあえず、今いるこの建物から一階ずつ見て回ろうか。あの中庭とか、他の建物は後回しで」
「ん、わかった」
二人はまず一階から見て回ることにした。
暖炉や柔らかな絨毯、ソファのあるリビングらしき場所、台所、トイレを発見した。どれも長年放置されていたような気配はない。
「……不思議。全然、埃っぽくないし、汚れてもない」
「建物全体に劣化を防いで清浄を保つような、大規模な術式……結界みたいな魔法が張り巡らされてるね。それも超高性能なやつが」
うみは壁の端や天井に刻まれた微かな魔力の流れを六眼で読み取りながら、感心したように呟いた。
まるで、住人はいないが誰かが毎日手入れして管理維持しているような、そんな空気感だ。
さらに一階の奥へ進むと、大きな円状の穴があり、その淵にはライオンぽい動物の彫刻が口を開いた状態で鎮座している部屋に出た。
彫刻の隣には魔法陣が刻まれている。
うみが試しにほんの少しだけ魔力を注いでみると、ライオンモドキの口から勢いよく温水が飛び出した。
どこの世界でも水を吐くのはライオンというのがお約束らしい。
「お風呂だね。どう見ても」
思わず頬を緩めるうみ。
迷宮を下る道中、体の汚れは魔法の応用で全身洗濯とドライヤー代わりの温風で衛生的に保つことはできていた。
しかし、うみも日本人だ。たまには足を伸ばしてゆっくりと湯船に浸かってくつろぎたいと思うのは仕方ないことだろう。
そんなうみを見て、ユエがうみの服の裾をツンツンと引っ張り、上目遣いで一言。
「……入る? 一緒に……」
「久しぶりだし、最初は一人でゆっくり浸かりたいかなぁ」
「むぅ……」
素足でパシャパシャと温水を蹴りながら不満げに頬を膨らませるユエの姿に、うみは苦笑した。
孤児院での生活が長いうみにとって、小さな妹や弟のような存在と一緒にお風呂に入るのは日常茶飯事であり、ユエの見た目も相まって全く抵抗はない。
しかし、せっかくの久しぶりのお風呂くらい、誰にも邪魔されず一人でのんびりしたいという、ささやかなワガママであった。
「後で順番に入ろうね」
うみが優しくポンポンと頭を撫でてやると、ユエはピタリと足を止め、何かを考え込むように首を傾げた。
(『最初は』一人で……つまり、二回目からは一緒に入ってもいいってこと……?)
自分なりに非常に都合の良い解釈を導き出したユエは、パァッと表情を明るくし、「んっ!」と嬉しそうに頷いた。
(あれ? なんで急に機嫌よくなったんだろ。まあいいか、ラッキー)
その解釈の飛躍に全く気付いていないうみは、内心で呑気にそう思いながら、再び探索を再開した。
それから、二階で書斎や工房らしき部屋を発見した。
しかし、書棚も工房の中の扉も強力な封印が施されているらしく、うみの力をもってしても無理やり開けることはできなかった。
『蒼』や『解』で物理的に破壊することは可能かもしれないが、中の重要な情報ごと消し飛ぶ可能性が高いため自重した。
仕方なく諦め、二人は三階の奥の部屋に向かった。
三階は一部屋しかないようだ。奥の扉を開けると、
そこには直径七、八メートルの、今まで見たこともないほど精緻で繊細な魔法陣が部屋の中央の床に刻まれていた。
いっそ一つの芸術といってもいいほど見事な幾何学模様である。
しかし、それよりも注目すべきなのは、その魔法陣の向こう側、豪奢な椅子に座った人影である。
人影は――骸だった。
既に白骨化しており、黒に金の刺繍が施された見事なローブを羽織っている。
薄汚れた印象はなく、お化け屋敷などにあるそういうオブジェと言われれば納得してしまいそうだ。
その骸は椅子にもたれかかりながら俯いている。その姿勢のまま朽ちて白骨化したのだろう。
魔法陣しかないこの部屋で、骸は何を思っていたのか。寝室やリビングではなく、この場所を選んで果てた意図はなんなのか……。
「……怪しい……どうする?」
ユエもこの骸に疑問を抱いたようだ。
おそらく反逆者と言われる者達の一人なのだろうが、苦しんだ様子もなく座ったまま果てたその姿は、まるで誰かを待っているようである。
うみは魔法陣の前にしゃがみ込み、六眼でその構造をじっと観察した。
「……記録系統の術式だね。中身が何にせよ、触れてみないことには何も進まなさそうだ」
うみはそう言うと、魔法陣へ向けて踏み出した。
そして、うみが魔法陣の中央に足を踏み込んだ瞬間、カッと純白の光が爆ぜ、部屋を真っ白に染め上げた。
「っ……」
眩しさに目を閉じるうみ。直後、何かが頭の中に侵入し、直接的な情報として脳内に展開されていく。
やがて光が収まり、目を開けたうみの目の前には――黒衣の青年が立っていた。
魔法陣が淡く輝き、部屋を神秘的な光で満たしている。
中央に立つうみの眼前に立つ青年は、よく見れば後ろの骸と同じローブを着ていた。
「試練を乗り越えよくたどり着いた。私の名はオスカー・オルクス。この迷宮を創った者だ。反逆者と言えばわかるかな?」
話し始めた彼はオスカー・オルクスというらしい。『オルクス大迷宮』の創造者のようだ。
「ああ、質問は許して欲しい。これはただの記録映像のようなものでね、生憎君の質問には答えられない」
何かを聞かれるのを先んじて制すように、オスカーは続ける。
「だが、この場所にたどり着いた強者に、世界の真実を知る者として、我々が何のために戦ったのか……メッセージを残したくてね。
このような形を取らせてもらった。どうか聞いて欲しい。……我々は反逆者であって反逆者ではないということを」
そうして始まったオスカーの話は、この世界の住人であるユエにとっても、そして異世界人であるうみにとっても、驚愕すべき真実だった。
それは、狂った神とその子孫達の戦いの物語。
神代の少し後の時代、世界は争いで満たされていた。
人間と魔人、様々な亜人達が絶えず戦争を続けていた。
争う理由は領土拡大、種族的価値観、支配欲など様々だが、一番の理由は互いが『神敵』だから。
今よりずっと種族も国も細かく分かれていた時代、それぞれの種族・国が信奉する神からの『神託』によって、人々は争い続けていたのだという。
だが、そんな何百年と続く争いに終止符を打たんとする者達が現れた。それが当時、『解放者』と呼ばれた集団である。
彼らには共通する繋がりがあった。それは全員が神代から続く神々の直系の子孫であったということだ。
そのためか、『解放者』のリーダーは、ある時偶然にも神々の真意を知ってしまった。
なんと神々は、人々を駒にし、ただの『遊戯』のつもりで戦争を促していたのだ。
『解放者』のリーダーは、神々が裏で人々を巧みに操り、無意味な殺し合いへと駆り立てていることに耐えられなくなり、志を同じくするものを集めた。
彼等は『神域』と呼ばれる神々がいる場所を突き止め、先祖返りと言われる強力な力を持った七人を中心に、神々に戦いを挑んだ。
しかし、その目論見は戦う前に破綻してしまう。
なんと、神は人々を巧みに操り、『解放者』達を「世界に破滅をもたらそうとする神敵」であると認識させ、人々自身に彼らを討伐させたのである。
紆余曲折の末、守るべき人々に力を振るう訳にもいかず、神に仇なした『反逆者』のレッテルを貼られた『解放者』達は次々と討たれていった。
最後まで残ったのは中心の七人だけだった。
世界を敵に回し、彼等はもはや自分達では神を討つことはできないと判断した。そして、バラバラに大陸の果てに迷宮を創り、潜伏することにしたのだ。
最深部に試練を用意し、それを突破した強者に自分達の『神代の魔法』を譲り、いつの日か神の遊戯を終わらせる者が現れることを願って。
長い話が終わり、オスカーは穏やかに微笑む。
「君が何者で、何の目的でここにたどり着いたのかはわからない。君に神殺しを強要するつもりもない。
ただ、知っておいて欲しかった。我々が何のために立ち上がったのかを。
……君に私の力を授ける。どのように使うも君の自由だ。だが、願わくば悪しき心を満たすためには振るわないで欲しい。
話は以上だ。聞いてくれてありがとう。君のこれからが自由な意志の下にあらんことを」
そう話を締めくくり、オスカーの記録映像はスッと消えた。
同時に、うみの脳裏に膨大な知識の塊が直接流れ込んでくる。
ズキッと軽い頭痛が走ったが、常日頃から情報の処理を強制させられているうみにとって、この程度の情報流入による負荷など慣れっこであった。
それがとある魔法の行使方法を無理やり刷り込んでいるのだと即座に理解したうみは、表情一つ変えることなく、その膨大な知識をあっさりと脳内に定着させた。
やがて、魔法陣の光も消え去る。うみはゆっくりと息を吐いた。
「うみ……大丈夫?」
「ああ、平気。……それにしても、何かめんどくさい話を聞いちゃったね」
「……ん……どうするの?」
ユエがオスカーの話を聞いてどうするのかと尋ねる。
「うーん……正直、これが本当に真実かどうかっていう確証がないんだよね。
記録情報相手だから『真偽判定』も上手く機能してるかわからないし。
まあ地上の方に伝わってる話よりは信憑性あるんだけど」
うみは頭を掻きながら、あくまで冷静な見解を述べる。
「相手が『呪い』だって話だったら、迷うことなく動いたんだけど……神殺しに興味はないからなぁ」
(それにしても、前情報一切なしでいきなり放り込まれて、後は勝手どうぞって丸投げされるこの状況……悟さんの無茶ぶりにそっくりだ。
……そう考えたらちょっとムカついてきたな。倒す倒さないは別にして、一発ぐらいは殴っといた方がいいかもしれない)
地球にいた頃から変わらない自身の扱いを思い出し、うみは小さくため息をついて肩をすくめた。
「だからいったん保留で。まずはここを出て元の世界に帰る方法を探すのが最優先だね。……でも」
そこで言葉を切り、うみはユエを真っ直ぐに見つめた。
「ユエはどうしたい? この世界の住人として、今の話を放っておけないって言うなら、俺も付き合うけど」
うみにとって、この世界がどうなろうと本来は知ったことではない。
だが、ユエがそれを望むなら話は別だ。家族の、妹の願いをできる限り叶えるのは兄の責務なのである。
しかし、ユエは僅かな躊躇いもなく、ふるふると首を振った。
「私の居場所はここ……他は知らない」
そう言って、うみに寄り添いその手を取る。ギュッと握られた小さな手が、それが偽りない本心であることを如実に語っていた。
ユエは過去、自分の国のために己の全てを捧げてきた。だがそれを信頼していた者たちに裏切られ、三百年間誰も助けてはくれなかった。
彼女にとって、この世界そのものが既に冷たい牢獄だったのだ。
その牢獄から救い出してくれたのは、目の前にいるうみだ。
だからこそ、彼がどこへ行こうとも、何をしようとも。うみの隣こそが、ユエの全てなのである。
「……そっか」
彼女の決意と深い親愛を受け取り、うみは優しく微笑んでその小さな手を握り返した。
「じゃあ、これからもよろしくね、ユエ」
「……んっ」
嬉しそうに目を細めるユエの頭をひとしきり撫でた後、うみはパンッと軽く手を叩いて空気を変えた。
「さて。今後のことはおいおい考えるとして……とりあえず、さっき頭に無理やり流し込まれた『神代魔法』の確認をしよっか」
「オスカーの魔法……どんなのだった?」
「『生成魔法』っていうみたい。ハジメ……俺の友達の『錬成』に似てるけど、結構違うみたい」
うみは脳裏に焼き付けられた知識を引っ張り出しながら説明する。
「『魔法を鉱物に付加して、特殊な性質を持った鉱物を生成出来る魔法』だってさ」
うみの言葉にポカンと口を開いて驚愕をあらわにするユエ。
「……アーティファクト作れる?」
「まあ、そういうことになるのかな?
といっても、アーティファクトもどきならもともと錬金術で作れたから、
作れるもののバリエーションが増えたくらいの認識だけどね」
「れんきんじゅつ……?」
聞き慣れない言葉に、ユエが小さく首を傾げる。
そういえば、迷宮を下る道中では錬金釜がなかったため、一度も使っていなかったことを思い出し、うみは苦笑した。
「ああ、そっか。ユエにはちゃんと説明してなかったね」
うみは苦笑しながら説明を続ける。
「錬金術っていうのはね、万物に宿る性質や力を理解して、それを組み合わせることで自然界には存在しない新しい何かを生み出す技術のことだよ」
「……新しい何か?」
「そう。俺がこっちの世界に来た時に得た力なんだけど、それを使うには『錬金釜』っていう専用の道具が必要でさ。
だから、道具がないこの迷宮の中じゃ、今まで一度も出番がなかったんだ」
うみはパチンと指を鳴らす。
「でも、この『生成魔法』を使えば、その錬金術に使える素材をただの石ころから大量に作れる。かなり都合がいいでしょ?」
(とりあえず、いつかハジメを連れてきてこの魔法を覚えさせよう。俺やハジメのためにあるような魔法だし)
うみは内心でそんなことを考えつつ、満足げに頷くと、ふとユエに向き直った。
「ユエも覚えてみる? 魔法陣に入ると記憶を探られるみたいなんだけど、
オスカーが言ってた『試練』を突破したって判断されれば、誰でも覚えられるかもしれないし」
「……錬成も錬金術、使わない……」
「まあ、そうだろうけどね。持ってて損になるようなものではないよ?」
「……ん……うみが言うなら」
うみの勧めに、ユエは魔法陣の中央へと足を踏み入れた。
魔法陣が輝き、ユエの記憶を探る。そして、試練をクリアしたものと判断されたのか……
「試練を乗り越えよくたどり着いた。私の名はオス……」
またオスカーが現れた。何かいたたまれない気持ちになった。
うみとユエは、ペラペラと全く同じことを話し始めたオスカーの記録映像を完全に無視して会話を続ける。
「どう? 覚えられた?」
「ん……した。でも……アーティファクトは難しい」
「まあ神代魔法って言っても、魔法だしね。相性とか適性の問題でしょ」
そんなことを話している間も、隣でオスカーは何もない空間に向かって微笑みながら話している。
非常にシュールな光景だった。後ろの骸が心なしか悲しそうに見えたのは、気のせいではないかもしれない。
「……とりあえず、先人への敬意も込めて、遺体くらいは片付けてあげようか。中庭に景色のいい場所もあったしね」
さすがに記録映像とはいえ、自分たちに力を残してくれた先人の遺体をこのまま放置するのも寝覚めが悪い。
うみの提案に、ユエも小さく頷いた。
「ん……お墓、作る」
二人はオスカーの骸を、中庭の景色のいい木の根元へと運び、埋葬した。
一応、うみが土魔法で作った石碑(墓石)も立ててあげた。
「安らかに」
「ん……おやすみ」
埋葬が終わると、二人は再び屋敷へと戻り、封印されていた場所へ向かうことにした。
ついでに、オスカーの遺体が嵌めていたと思われる指輪もしっかりと回収しておいた。
その指輪には十字に円が重なった文様が刻まれており、それが書斎や工房にあった封印の文様と同じだったためである。
まずは二階の書斎だ。
一番の目的である地上への道を探らなければならない。
二人は指輪を使って書棚にかけられた封印を解き、めぼしいものを調べていく。
すると、この住居の施設設計図らしきものを発見した。
「みーっけ」 「んっ」
うみから歓喜の声が上がる。ユエも嬉しそうだ。
設計図によれば、どうやら先ほどの三階にある魔法陣が、そのまま地上に施した魔法陣と繋がっているらしい。
オルクスの指輪を持っていないと起動しないようだ。貰っておいてよかったと、うみはこっそり胸を撫で下ろす。
「うみ……これ」
「ん?」
うみが設計図をチェックしていると、他の資料を探っていたユエが一冊の本を持ってきた。
どうやらオスカーの手記のようだ。かつての仲間、特に中心の七人との何気ない日常について書いたもののようである。
その内の一節に、他の六人の迷宮に関することが書かれていた。
「……つまり、他の迷宮も攻略すると、創設者の神代魔法が手に入る、と」 「……かも」
手記によれば、オスカーと同様に六人の『解放者』達も、迷宮の最深部で攻略者に神代魔法を教授する用意をしているようだ。
生憎とどんな魔法かまでは書かれていなかったが……
「……帰る方法見つかるかも」
ユエの言う通り、その可能性は十分にあるだろう。
実際、召喚魔法という世界を越える転移魔法は神代魔法なのだから。
「だね。これで今後の指針ができたよ。地上に出たら、他の迷宮攻略も目指してみようか」
「んっ」
明確な指針ができて頬が緩むうみ。思わずユエの頭を撫でると、ユエも嬉しそうに目を細めた。
それからしばらく探したが、正確な迷宮の場所を示すような資料は発見できなかった。
現在、確認されている【グリューエン大砂漠の大火山】【ハルツィナ樹海】、
目星をつけられている【ライセン大峡谷】【シュネー雪原の氷雪洞窟】辺りから調べていくしかないだろう。
しばらくして書斎あさりに満足した二人は、工房へと移動した。
工房には小部屋が幾つもあり、その全てをオルクスの指輪で開くことができた。
中には、様々な鉱石や見たこともない作業道具、理論書。
そして――立派な『錬金釜』が、部屋の中央に鎮座していた。
(……もしかしたら、オスカーは錬金術にも覚えがあったのかな?)
部屋の中央に鎮座する立派な『錬金釜』を見つめながら、うみは静かに思考を巡らせた。
この過酷な奈落の迷宮で回収してきた、地上では到底お目にかかれない強力な魔物たちの素材。
そして、先ほど手に入れたばかりの神代魔法『生成魔法』。
それらと、この錬金釜。
必要なピースは全て揃った。錬金術師としての知的好奇心と、様々な組み合わせを試してみたいという創作意欲が、うみの胸の奥で静かに、しかし確実に湧き上がってくるのを感じていた。
そんなうみの様子を見て、ユエが首を傾げながら尋ねた。
「……どうしたの?」
うみはしばらく考え込んだ後、ユエに提案した。
「うーん……ねえ、ユエ。しばらくここに残らない?
ユエ的には早く外に出たいだろうけど……せっかく学べるものも多いし、何よりついに『錬金釜』も見つかった。
拠点にするには最高の場所だからね。これからのことを考えても、ここで可能な限り準備しておきたいんだけど……どうかな?」
ユエは三百年も地下深くに封印されていたのだから、一秒でも早く外に出たいだろうとうみは思ったのだが。
彼の提案にキョトンとした後、ユエはすぐに了承した。
「……うみと一緒ならどこでもいい」
真っ直ぐな瞳でそう告げられ、うみは少しだけ目を丸くした。
三百年間も暗闇に閉じ込められていた彼女にとって、この迷宮は決して居心地の良い場所ではないはずだ。
それでも、自分と一緒にいることを何よりも優先してくれる。
その無垢で真っ直ぐな親愛に、うみはふっと表情を和らげた。
「……そっか。ありがとう、ユエ」
うみはごく自然な動作で、ユエの頭を優しくポンポンと撫でた。
「じゃあ、お言葉に甘えて。……しばらくここで、みっちり合宿と行こうか」
「んっ!」
嬉しそうに目を細めてすり寄ってくるユエ。
結局、二人はここで可能な限りの鍛錬と装備の充実を図ることになった。
途方もない迷宮探索の末にようやく手に入れた、安息の地での準備期間の始まりである。