熊人族の襲撃という余興を終え、再び鬱蒼としたハルツィナ樹海を進む一行。
先頭を歩くカムたちハウリア族は、うみの教えを完璧に遂行し、一切の私語なく冷徹に索敵をこなしている。
しかし、最後尾を歩くシアだけは、未だに家族の変貌を受け入れられず、ウサミミを力なく垂れ下げてメソメソと愚痴をこぼしていた。
「うぅ……やっぱり私の知ってる父様たちじゃないですぅ……。あんな冷たい目で『索敵の邪魔です』って言われるなんて……」
「まあまあ」
うみは、完全に暗殺部隊と化したハウリア族の背中を眺めながら、呆れ半分、慰め半分といった調子で口を開いた。
「これから君が離れていく側なんだから、あっちが生存戦略として自立してくれてる方が、精神衛生上気楽でしょ? 頼もしい限りじゃん」
「そ、それはそうかもしれませんが……! でも、お花畑をキャッキャと走っていた頃の父様たちが恋しいですぅ……」
「……諦めて。もう戻らない」
未練がましく嘆くシアに、ユエがジト目で追い打ちをかける。
そんなやり取りを交わしながら進むこと数時間。
一行はついに、樹海の最深部――大樹の下へと辿り着いた。
「これは……。大樹って名前にしてはイメージからかけ離れた姿だね」
うみの口から、驚きと疑問が混ざったような声が漏れる。
ユエも、予想が外れたのか微妙な表情を浮かべていた。
二人は、大樹というからには、フェアベルゲンで見たような生命力に溢れる巨木のさらにスケールが大きいものを想像していたのだ。
しかし、実際の大樹は……見事に枯れていた。
大きさに関しては想像通り、いやそれ以上に途轍もない。直径は五十メートルはあるだろうか。
周囲の木々が青々とした葉を茂らせている中で、その巨木だけが完全に枯れ木となっている異様な光景だった。
「大樹は、フェアベルゲン建国前から枯れているそうです。しかし、朽ちることはない。
周囲の霧の性質と、枯れながらも朽ちないという点から神聖視されるようになりました。
まぁ、言ってみればただの観光名所みたいなものですが……」
カムが、普段の雰囲気に戻って、観光ガイドのような解説を入れる。
うみはその解説を聞き流しながら、大樹の根元へと歩み寄った。
そこには、アルフレリックが言っていた通り、古びた石板が建てられていた。
「これは……オルクスで見たやつだね」
「……ん、同じ文様」
石版には七角形とその頂点の位置に七つの文様が刻まれていた。オルクスの部屋の扉に刻まれていたものと全く同じものだ。
一応、『オルクスの指輪』を取り出し紋章を確認する。
(……ん?)
そこで、うみの『六眼』がある異常を捉えた。
取り出した指輪から、微弱な魔力の糸のようなものが流れ出ているのだ。
その魔力の糸は、空間を漂い、目の前の石板の『裏側』へと繋がっているように見える。
石板の裏側へと回り込むと、そこには、表の文様に対応するように、小さな窪みが開いていた。
「……これが入り口かな?」
うみは指からオルクスの指輪を外し、その窪みへとカチリとはめ込む。
すると……石板が淡く輝きだした。
周囲を警戒していたハウリア族も何事かと集まってくる。
しばらく輝いていた石板は、やがて光を収め、代わりに空中に光の文字を浮かび上がらせた。
『〝四つの証〟 〝再生の力〟 〝紡がれた絆の道標〟 〝全てを有する者に新たな試練の道は開かれるだろう〟』
「……ここにきて謎解き?」
うみがめんどくさそうに声をあげる。
「う~ん……『紡がれた絆の道標』は、あれじゃないですか?
亜人の案内人を得られたかどうか。
亜人は基本的に樹海から出ませんし、うみくんみたいに人間族が亜人に樹海を案内してもらえる事なんて例外中の例外ですし」
「なるほど。まあ、そうじゃなきゃわざわざ『口伝』なんてものを残す理由がないしね」
シアの推測に、うみは納得したように頷く。
「じゃあ……『四つの証』は、他の迷宮の証? 『再生の力』っていうのは何でしょう?」
「再生の力か……。反転術式……なわけないよね」
うみは、異世界トータスに呪術の概念が存在しないことから、即座にその可能性を除外した。
「反転術式ってなんですか?」
聞き慣れない単語に、シアがウサミミをピクッと動かして尋ねる。
「俺たち呪術師が扱える唯一の回復技術だよ」
うみは簡潔に説明しつつ、少しだけ不満げに、どこか拗ねたような口調で独り言をこぼした。
「……まあ、俺はまだできないんだけどね」
「なら……私?」
うみの横で、ユエが自分の固有魔法〝自動再生〟を連想し、自身を指差した。
試しにと、薄く指先を切り、自動再生を発動させながら石板や大樹に触れてみるが……特に変化はない。
「むぅ……違うみたい」
「さすがに限定的すぎるしね。……そういえば、この大樹はずっと枯れたままだって言ってたね」
不服そうにするユエに苦笑いしながら、うみは枯れ果てた巨木を見上げ思考を展開させる。
「『大樹を再生する力』と『他の迷宮を四つクリアした証』を集めてこいってことかな」
そこまで口にして、うみは深々と、本当に心の底から面倒くさそうな溜息を吐き出した。
どうやらこのハルツィナ大樹の迷宮は、他の迷宮を複数攻略し、神代魔法という『証』を一定数集めた者でなければ、挑戦すら許されない特別な場所だったらしい。
「……じゃあ、ここはまだ入れない?」
「そういうこと。残念だけど、ここは一旦後回しだね」
入れないと分かった瞬間、うみは未練や執着など微塵も見せず、あっさりと踵を返した。
「ええっ!? こ、ここが目的だったんじゃないんですか!?」
あまりの諦めの早さに、シアが目を丸くして戸惑う。
「条件が揃ってないんだから仕方ないでしょ」
「そ、そんな……! じゃあ、次はどうするんですか?」
「どうするも何も、他の迷宮に向かうしかないでしょ」
うみは淡々と事実だけを告げると、少し離れた場所で待機していたカムたちハウリア族へと向き直った。
「はい、じゃあ俺たちからの依頼はこれでおしまい。大樹までの案内っていう約束は果たしてもらったし、ここで解散ね」
「えっ……」
「別に心配いらないでしょ。今の君らなら、魔族の領土にでも突っ込んでいかない限り問題なく生きていけるはずだし」
うみは、彼らの身につけた異常なまでの生存能力と戦闘力をドライに評価し、あっさりと別れを切り出した。
それを聞いたシアは、少し寂しそうにしながらも、しばらく家族と会えなくなることを悟り、一歩前に出た。
「とうさ――『主よ! お話があります!』……あれぇ、父様? 今は私のターンでは……」
シアの別れの言葉を完全に無視し、カムが音もなくスッと一歩前に出たのだ。
軍人のような直立不動ではない。完全に気配を殺し、片膝をついて深く頭を垂れる、暗殺者としての洗練された姿勢だった。
「……今度はなに?」
とりあえず「父様? ちょっと父様?」と声をかけているシアは無視する方向で、うみはカムに聞き返した。
カムはシアの存在など全く視界に入っていないというように無視したまま、意を決してハウリア族の総意を伝える。
「うみ様! 我々も、うみ様の影としてお供に付いていかせてください!」
「えっ! 父様たちも付いて行くんですか!?」
カムの言葉に、シアが驚愕を露わにする。
十日前の話し合いでは、自分だけを送り出す雰囲気だったのにどうしたのかと声を上げる。
「我々はもはやただのハウリアにあらず! うみ様の教えを賜った影であります! 是非、お供に! これは一族の総意にございます!」
「ちょっと、父様! 私、そんなの聞いてませんよ! ていうか、これで許可されちゃったら私の苦労は何だったのかと……」
「ぶっちゃけ、シアが羨ましいのです!」
「ぶっちゃけちゃった! ぶっちゃけちゃいましたよ! ホント、この十日間の間に何があったんですかっ!」
カムが一族の総意を声高に叫び、シアがツッコミつつ話しかけるが、やはり華麗にスルーされる。
その様子を面倒くさそうに眺めつつ、うみはきっちりと返答した。
「却下」
「なぜです!?」
うみの秒での即答に、身を乗り出して理由を問い詰めるカム。他のハウリア族もジリジリと気配を殺しながら迫ってくる。
「俺たちがこれから行く迷宮の奥に連れて行けるほど、君らはまだ強くないでしょ」
「ならば許可を得られなくとも、我らはうみ様の影として勝手に付いていきます!」
なおも狂信的な眼差しで食い下がろうとするカムたち。
どうやら、うみの『教育』のせいで、妙な信頼や畏敬といったものが極限までこじらせられているようである。
「いや、影なら尚更一緒にいたら意味ないでしょ。
何十人もゾロゾロ後ろからついてきたら、影どころか悪目立ちするに決まってるじゃん」
心底呆れたようにツッコミを入れるうみ。
だが、このままでは本当に世界中どこまでもストーキングされかねない。
そう判断したうみは、(ああもう仕方ないな。この子らの忍者ごっこに付き合ってあげるか)と内心で深い溜息を吐いた。
「……じゃあ、君らには『任務』を与える」
「任務、ですか?」
「そう。ここが本当に迷宮の入り口なんだとしたら、万一にも俺たちが戻ってくるまでに、なにかあったら困るからね。
だから、俺が戻ってくるまで、この場を守るのこと」
「おお……我らに大樹の防衛を……!」
うみの与えた役割に、カムたちはパァッと顔を輝かせる。
うみはさらに、大樹――もとい迷宮(仮)を見上げながら言葉を付け加えた。
「次に俺がここに戻ってきたとき。その時に君らが足手まといにならないくらい強くなってたら、同行を考えてあげるよ。
おあつらえ向きの『試験場』もあることだしね」
「……そのお言葉に、偽りはありませんか?」
カムが、鋭く、しかし期待に満ちた声で確認する。
「ないよ」
「嘘だったら……我らの隠密技術を駆使して各所の要人を次々と暗殺し、すべて『月影うみ』の指示だと吹聴して回りますからな?」
「……は?」
「世界中を敵に回せば、否が応でも数が必要となり、我らを頼るしかなくなりますので」
極めて真面目な顔で、とんでもない脅迫を口にするカム。
うみから叩き込まれた隠密と暗殺の技術を最大限に悪用し、かつ、最も避けたい『無用な敵対する』方法を的確に突いてきたのだ。
あまりの合理的な脅迫と重すぎる狂信っぷりに、うみは心底ドン引きしたように目を細めた。
「……君ら、結構イカレてるね」
「うみ様の影を自負していますので」
真顔でそう言い切る暗殺者たちに、うみは深々と頭を抱えた。
隣にいたユエが、ぽんぽんと慰めるようにうみの腕を叩く。
「……自業自得」
「うぅ……反論できないのが辛い……」
うみは深い溜息を吐きながら、次に樹海に戻った時が本当に面倒そうだと天を仰ぐのだった。
「ぐすっ、誰も見向きもしてくれない……旅立ちの日なのに……」
傍らでシアが地面に『の』の字を書いていじけているが、やはり誰も気にしなかった。
***
樹海の境界でカムたちと別れた後、うみ、ユエ、シアの三人を乗せた浮遊艇は、平原を滑るように疾走していた。
座席の位置取りは、うみとユエが並んで座り、向かい側にシアという形だ。
向かいからシアが質問する。
「うみくん。そう言えば聞いていませんでしたが、次の目的地はどこなんですか?」
「ん? 次の目的地はライセン大峡谷だね」
「ライセン大峡谷!?」
うみの告げた目的地に、シアの顔が引き攣る。
現在確認されている七大迷宮は、ハルツィナ樹海を除けば『グリューエン大砂漠の大火山』と『シュネー雪原の氷雪洞窟』である。
確実を期すなら、次の目的地はそのどちらかにするべきでは、とシアは思ったのだ。
その疑問を察したのか、うみは合理的な理由を口にする。
「シュネー雪原は魔族の領土だから面倒なことになりそうだし、とりあえず大砂漠を目指すのがベターなんだけど。
どうせ西大陸に行くなら、東西に伸びるライセンを通りながら行けば、途中で迷宮が見つかるかもしれないでしょ?」
「つ、ついででライセン大峡谷を渡るのですか……」
ライセン大峡谷は、『地獄にして処刑場』というのが一般的な認識であり、つい最近、一族が全滅しかけた場所でもある。
そんな場所をただの街道と一緒くたに考えていることに、シアは内心で激しく動揺していた。
うみはそんなシアの動揺を察し、呆れたように突っ込む。
「少しは自分の力を自覚しなよ。今の君の身体能力なら峡谷の魔物なんて敵じゃないし、
魔法が霧散しようが身体強化に特化してる君には関係ない。むしろ独壇場だよ」
そこまで言ってから、うみは「それに」と前置きを付け加えた。
「シア。ユエと峡谷の魔物、どっちの方が怖い?」
「ユエさんです!」
「即答だね。なら、何の問題もないでしょ?」
「……確かに!」
見事に納得して調子に乗りかけたシアだったが――直後、車内の温度が急激に下がった。
原因は、うみの隣に座るユエだ。
彼女はシアへ怒りのこもった冷たい視線を向ける。
次いで、諸悪の根源であるうみへ向けても「不満です」と抗議するようなジト目を向けていた。
「……駄ウサギ?」
紡がれたのは、ただ一言。
しかし、その短く静かな呼びかけには『私を峡谷の魔物より恐ろしいと言ったのだから、当然それ相応の覚悟はできているのよね?』という、有無を言わさぬプレッシャーが込められていた。
「ひぃっ!?」
縮み上がるシア。
一方のうみは、ユエからの無言の抗議の視線を受け、内心で盛大に冷や汗をかいた。
「あ、いや……ご、ごめんねユエ! ほら、シアが変なこと言うからさ!」
うみは全責任をシアに擦り付けつつ、ユエをヒョイと自分の膝の上に乗せ、ギュッと抱きしめながらその頭を撫でて必死に誤魔化しを謀る。
「……んむ」
うみに抱きしめられ撫でられたことで、ユエの機嫌はあっさりと直ったようだが、
理不尽に責任を押し付けられたシアは「私悪くないですよね!?」と涙目で抗議していた。
その抗議をガン無視されながらも、なんとか話題を逸らすようにシアが尋ねる。
「で、では、ライセン大峡谷に行くとして、今日は野営ですか? それとも町へ?」
「町がいいね。まともな食材や調味料を揃えたいし、換金もしておきたいからさ」
「はぁ〜、そうですか……よかったです」
うみの言葉に、なぜか心底安堵の表情を見せるシア。
「うみくんのことだから、ライセン大峡谷でも魔物の肉をバリボリ食べて満足しちゃうんじゃないかと思ってまして……。
ユエさんはうみくんの血があれば問題ないですし、私の食糧の調達をどう説得しようかと。杞憂でよかったです!
うみくんもまともな料理食べるんですね!」
「当たり前じゃん。あれ美味しくないんだから……」
うみは、魔物の味を思い出して心底不味そうに顔を顰めた。
「他に食べるものがないのと、便利そうな技能が手に入るから我慢して食べてるだけでさ」
その人間らしい素直な反応を見て、シアはすっかり調子を取り戻し、ウサミミをピンと立てた。
「ふふっ、なんだか安心しました! うみくんもやっぱり普通の男の子なんですね!
よーし、町に着いたらお姉ちゃんが美味しいもの、い〜っぱいご馳走してあげますからね!」
自信満々に胸を張るシア。
だが、ウザ絡みを発動したシアに対し、うみは呆れたような表情を見せながら、冷ややかな声で告げた。
「……一文無しが何言ってんの?」
「……ぐふっ!?」
つい最近まで逃亡者であったシアが財布など持っているはずもないというのが現実。
見事なクリティカルヒットを受け、シアは胸を押さえて沈没した。
ユエが膝の上から冷たく言い放つ。
「……身の程知らず。ウザウサギ」
「うぅ……反論できないですぅ……」
ある意味、非常に賑やかな様子で平原を進む三人。
数時間ほど走り、日が暮れかかる頃、前方に町が見えてきた。
奈落から出て以来の『人間の文明』に帰ってきたという感覚に、うみの頬が少しだけ緩む。
膝の上のユエも、どこかワクワクした様子だ。
二人は視線を交わし、ふわりと微笑み合った。
***
しばらく浮遊艇を走らせると、町の方からも視認されそうな距離になったため、うみたちは目立つ浮遊艇を収納し、徒歩に切り替えることにした。
歩き出しながら、うみは空間収納から黒を基調としたシンプルなチョーカーを取り出し、シアへと差し出した。
「シア、これ着けといて」
「え? なんですかこれ。首輪ですか?」
「人間族の町に入るんだから、亜人の君は基本的に『誰かの所有物』っていう立場で通す必要がある。
これは首輪の代わり。まぁ、首輪じゃない分、奴隷の証明としての効力は薄いかもしれないけど、ないよりはマシでしょ」
「は、はぁ……なるほど。そういうことなら……」
うみの論理的な説明に、シアは少し不満そうにしながらも納得し、素直に自分の首にチョーカーを巻き付けた。
カチリと音を立てて固定されたそれを確認し、うみはさらに言葉を続ける。
「あと、そのチョーカーだけど。ただの飾りじゃなくて『念話石』と『特定石』を組み込んでおいたから、必要なら使って」
「念話石と特定石、ですか?」
「そう。念話石は文字通り、魔力を通せば遠くにいても念話ができる鉱石。
特定石は気配感知の派生みたいな感じで特定の対象を識別しやすくする鉱石だね。
それに魔力を流すことで、ビーコン……まぁ、発信機みたいな役割を果たせるように調整してある」
うみの説明に、シアがウサミミをピクッと動かして感心の声を上げる。
「なるほどぉ〜。ちなみに、それって私が外したい時に外せるんですか?」
「きっちり特定量の魔力を流せば、ちゃんと外れるようになってるよ。いつでも俺に繋がるしね。……あ」
そこまで説明して、うみはあるミスに気がついた。
(……これ、カムたちにも渡しとけばよかったな)
別れ際の怒涛の勢いと狂信っぷりに押され、すっかり忘れていた。 しかし、今さら樹海まで戻って渡すのも面倒くさい。
(……まあいいか)
うみは秒で思考を放棄し、何事もなかったかのようにすんと表情を戻した。
「ふふっ、いざという時の連絡用と護身用なんですね! わかりました!」
シアはうみの内心など知る由もなく、安全対策が万全だと確認してホクホク顔で頷き、うみたちは再び歩き出した。
やがて町の門までたどり着くと、案の定、門番の詰所から武装した男が出てきた。
革鎧に長剣を腰に下げており、兵士というよりは冒険者風の男だ。
「止まってくれ。ステータスプレートを。あと、町に来た目的は?」
「食料とか消耗品、その他諸々の補給。旅の途中なんだ」
規定通りの質問に淡々と答えながら、うみは自分のステータスプレートを取り出して渡す。
もちろん、うみは『隠蔽機能』を完璧に使いこなしており、プレートには『名前・年齢・性別・天職』といった無難な基本情報のみが表示されている状態だ。
ふーん、と気のない相槌を打ちながらプレートを受け取った門番だったが――表示の『天職』の項目を見て、僅かに眉を寄せた。
「ん? 『錬金術師』……? 聞いたことない天職だな」
「なんてことない生産職だよ。装飾屋みたいなもの」
門番の疑問に、うみは面倒くさそうに、しかし至極自然に嘘をついて適当に誤魔化した。
「へぇ、そうなのか」と門番は深く追求することなく納得し、最後にもう一通り情報を確認しようと視線を滑らせ――そこで、完全に動きを止めた。
目を丸くして二度見、三度見をし、うみの顔とプレートを交互に凝視する。
「えっ……性別、男!? 嘘だろ!?」
「……どっからどう見ても男でしょ?」
「いやいやいや! どこからどう見ても女……声は確かに男、か……? マジかよ……」
うみの圧倒的な美貌に、門番は本気で混乱したように顔を引き攣らせている。
心底面倒くさそうな目を向けるうみと、隣で「失礼な奴」とばかりにジト目を向けるユエ、
そして「自分も初見で間違えたから気持ちはわかる」と苦笑いでユエを宥めるシア。
しばらくまじまじとうみの顔とプレートを見比べていた門番だが、やがて諦めたように息を吐き、
今度はユエとシアの方に視線を向けた。
「はぁ……世の中わかんねえもんだな。……で、そっちの二人は――」
門番がユエとシアにステータスプレートの提出を求めようとした直後、彼の動きがピタリと硬直した。
ユエは言わずもがな、精巧なビスクドールと見紛うほどの美少女。シアも喋らなければ神秘性溢れる美少女である。
二人の美貌に見惚れ、門番は顔を真っ赤にして正気を失いかけた。
――だが、直前にうみという『同レベル』を至近距離で浴びていたおかげで、完全なフリーズには至らなかった。
「ハッ……!」
門番は自力で我に返り、慌てて咳払いをする。
うみはそんな門番の様子を冷めた目で見つめながら、ユエを指差した。
「こっちの子のプレートは、魔物に襲われた時に失くしたんだよね」
「な、失くした? まぁ、そういうこともあるか……」
「で、こっちの兎人族は……わかるでしょ? 珍しいことでもないしさ」
うみがシアの首元にあるチョーカーを示して言葉少なに告げると、門番は「なるほど」とすぐに納得した。
「それにしても、随分な綺麗どころを連れてるな。白髪の兎人族なんて相当レアなんじゃないか?」
「だろうね、俺も初めて見たし。……通ってもいい?」
「あ、ああ、通っていいぞ」
門番の羨望と嫉妬が入り交じった視線を完全にスルーし、うみはステータスプレートを受け取る。
「あ、そうだ。素材の換金場所って何処にある?」
「あん? それなら、中央の道を真っ直ぐ行けば冒険者ギルドがある。
店に直接持ち込むなら、ギルドで場所を聞け。簡単な町の地図をくれるから」
「そう、ありがと。」
門番から情報を得て、うみたちは門をくぐり町へと入っていく。
門のところで確認したが、この町の名前はブルックというらしい。
町中はそれなりに活気があり、露店も多く出ていて呼び込みの声や値切り交渉の喧騒が聞こえてくる。
こういう騒がしさは、訳もなく気分を高揚させるものだ。
うみだけでなく、ユエも楽しげに目元を和らげている。
しかし、シアだけは先程からぷるぷると震えて、涙目でうみを睨んでいた。
怒鳴るわけでもなく、ただジッと涙目を向けてくるので、流石に気になったうみが面倒くさそうに口を開く。
「……なに、捨てられた子犬みたいな目してんの」
「理由は分かってますけど! やっぱりジロジロ見られて奴隷扱いされるのは屈辱的ですぅ〜!」
うみに言われた通り、町を行き交う人々はシアの首元を見て『誰かの奴隷なのだ』と納得したような視線を送ってくる。
頭では理解していても、感情的に納得できないシアが愚痴をこぼした。
うみは呆れつつも、頭ごなしに否定はせず歩きながら答える。
「まあ気持ちは分らんでもないけど、それ無かったら四方八方からちょっかい出されるよ?
それに、着けてなくたってじろじろ見られるのは変わらないよ。白髪の兎人は珍しいし、シアは見た目もいいし」
ごくフラットなトーンで事実だけを告げたうみ。
だが、彼からサラッと「見た目がいい」と評価されたことで、シアの態度は一変した。
「も、もう、うみくんったらぁ。こんな公衆の面前で、いきなり何言い出すんですかぁ。
そんな、容姿もスタイルも抜群で、世界一可愛くて魅力的だなんてぇ……。でも、だめですよぉ?
私はお姉ちゃんなんですからぁ。近親はちょっと……えへへっ、でも嬉しいでっぶげら!?」
調子に乗ってクネクネするシアの頬に、ユエの黄金の右ストレートが突き刺さった。
可愛げの欠片もない悲鳴を上げて倒れるシア。
「……調子に乗っちゃダメ」
「……ずびばぜん、ユエざん」
冷たいユエの声にぶるりと体を震わせ、別の意味で赤くなった頬をさすりながら起き上がるシア。
理屈はわかっても、仲間というものに強い憧れを持っていただけに、ただの奴隷として見られるのはやはり割り切れないのだろう。
しょぼんとウサミミを垂れ下げるシアに、ユエが声をかけた。
「……有象無象の評価なんてどうでもいい」
「ユエさん?」
「……大切な事は、大切な人が知っていてくれれば十分。……違う?」
「…………そう、そうですね。そうですよね」
「……ん、不本意だけど……シアは私が認めた相手……小さい事気にしちゃダメ」
「……ユエさん……えへへ。ありがとうございますぅ」
ユエの言葉に、シアの心にストンと何かが落ちる。自分が彼らの仲間であることは、当人たちが分かっていればいいのだ。
照れたように微笑むシアに、うみも肩を竦めて言葉を紡ぐ。
「まあ、万が一奴隷じゃないってバレても、見捨てたりはしないから安心しなよ」
「……街中の人が敵になってもですか?」
「ついこないだに帝国兵と事構えたばっかだよ?」
「じゃ、じゃあ、国が相手でもですね! ふふっ」
「規模の問題じゃないよ。国だろうと世界だろうと……それこそ神でさえ。俺の家族に手を出すなら皆死すべし」
「くふふ、聞きました? ユエさん。うみくんったらこんなこと言ってますよ? よっぽど私達が大事なんですねぇ~」
「……うみが一番大事なのは私」
「ちょっ、空気読んで下さいよ! そこは素直に返事するだけでよくないですか!? なんでマウント取ったんですぅ!!」
文句を言いながらも、シアは嬉しげで楽しげな表情を浮かべていた。
いざとなれば国や世界、神が相手でも自分を守ってくれるという事実は、やはり嬉しいものなのだろう。
そんな風にわちゃわちゃと騒がしくメインストリートを歩いていき、やがて一本の大剣が描かれた看板を発見する。
うみは看板を確認すると、その重厚そうな扉を開き、冒険者ギルドの中へと踏み込んだ。
***
ギルドは荒くれ者達の場所というイメージから、うみはもっと薄汚れた場所かと考えていたが、意外に清潔さが保たれた場所だった。
入口正面にカウンターがあり、左手は飲食店になっているようだ。何人かの冒険者らしい者達が食事を取ったり雑談したりしている。
しかし、誰ひとり酒を注文していない。
(時間的にはもう飲み始めててもいいころだろうけど……真面目な人たちが多いのか、
それとも酔っ払いたいなら別の酒場に行けってことか)
うみは周囲の状況を分析しながら中へと足を踏み入れた。
うみ達がギルドに入ると、当然のように冒険者達が注目してくる。
最初こそ、見慣れない三人組ということでささやかな注意を引いたに過ぎなかったが、
彼等の視線がユエとシア、そしてうみ自身に向くと、途端に瞳の奥の好奇心と驚嘆が増した。
中には「ほぅ」と感心の声を上げる者や、門番同様にボーと見惚れている者もいる。
テンプレ的なちょっかいを掛けてくるなんてこともあるかと思ったが、
冒険者たちは意外にも理性的で、遠巻きに観察するに留めているようだ。
「……まあ、絡まれなかったからいいけど。やっぱり君たち、目立つね」
面倒事が起きなかったことに安堵しつつ、うみは背後の二人に向けて呟く。
すると、ユエとシアからは抗議のようなジト目が返ってきた。
「……一番目立ってるのはうみ」
「そうですよ! うみくんのそのお顔のせいで、あっちの男の人たちまで顔赤くしてるじゃないですか! 女としてはちょっと複雑です!」
小声で文句を言う二人の言葉通り、うみの整いすぎた容姿は、ユエやシアの美少女っぷりにも引けを取らないほどの引力を放っていた。
うみは「そんなわけないでしょ」と適当に聞き流し、足止めされなくて幸いとカウンターへ向かう。
カウンターには、横幅がユエ二人分はある恰幅の良いオバチャンがニコニコと立っていた。
(……二次元によくある『若くて美人の受付嬢』なんて、やっぱり人間の妄想なんだね。
ハジメがいたら残念がりそう……そして白崎さんに殺されるんだ。骨は拾ってあげるからね)
どこにいるかもわからない友人の末路を勝手に予想し、うみは心の中で合掌する。
もっとも、うみ自身は『美人の受付嬢』がいなかったことに落胆など微塵もしていない。むしろ逆だ。
ああいう年季の入った人物の方が、実務経験が豊富で仕事が早い。
無駄なやり取りを省けるという意味で、うみにとっては『当たり』だった。
そんなうみの内心を知ってか知らずか、オバチャンは人好きのする笑みで迎えてくれた。
「いらっしゃい。両手に花を持ってるのに、まだ足りなかったのかい? 残念だったね、美人の受付じゃなくて」
「……」
うみは少しだけ目を丸くした。
『美人の受付を期待していた』という的外れな勘違いをされたからではない。
オバチャンが、初見で自分の性別を『男』だと見抜いたことにだ。
先ほどの門番はステータスプレートを見るまで気づかなかったというのに。
「……分かるの? 俺が男だって」
うみが尋ねると、オバチャンは豪快に笑った。
「あはははは! そりゃあもう長いこと受付やってるからね。
パッと見の骨格や仕草を見れば大体わかるもんさ。まぁ、確かに花側に見えないこともないほどだけどね」
「なるほどね」
オバチャンの並外れた観察眼――その有能さを認め、うみはフラットな声で答える。
「まあ、俺は別に美人の受付なんて期待してないよ。仕事が早ければ誰でもいいし」
「おや、それはそれは。でも、男の単純な中身なんて女の勘で簡単にわかっちまうんだからね。後ろの可愛い子たちに愛想尽かされないようにね?」
オバチャンの忠告に、後ろに立つユエとシアから『当然』『当たり前です』と言わんばかりの圧を感じる。
「よくわかんないけど覚えとく」
うみは適当に相槌を打った。憎めないタイプの、そして何より仕事ができそうなオバチャンだと評価する。
「さて、じゃあ改めて、冒険者ギルド、ブルック支部にようこそ。ご用件は何かしら?」
「素材の買取をお願いしたいんだけど」
「素材の買取だね。じゃあ、まずステータスプレートを出してくれるかい?」
「ん? 買取にも必要なの?」
うみが疑問を口にすると、オバチャンは「おや?」という顔をした。
「あんた冒険者じゃなかったのかい?
確かに、買取にステータスプレートは不要だけどね、冒険者と確認できれば一割増で売れるんだよ」
聞けば、冒険者になれば様々な特典が付くらしい。ギルドと提携している宿や店で割引が受けられたりするという。
登録には千ルタ必要とのことだ。
「そう。ならせっかくだし登録しておくよ。ただ、持ち合わせが全くないから、買取金額から天引きってことでいい?」
「可愛い子二人もいるのに文無しなんて何やってんだい。ちゃんと上乗せしといてあげるから、不自由させんじゃないよ?」
豪快に笑って承諾してくれるオバチャン。
うみはありがたく厚意を受け取り、自身のステータスプレートを差し出した。
もちろん、きっちりと隠蔽機能を使用し、『名前・年齢・性別・天職』のみが開示された状態のものだ。
オバチャンはユエとシアの分も登録するかと聞いたが、うみはそれを断った。
二人はそもそもプレートを持っていない。
一から発行してもらうしかないのだが、隠蔽されていない状態のステータスや固有魔法が見られてしまう。
今の段階でそれを知られるのは、リスクと面倒が大きすぎると判断したのだ。
戻ってきたステータスプレートには、新たな情報が表記されていた。
天職欄の横に職業欄ができ、そこに『冒険者』と表記され、更にその横に青色の点が付いている。
青色の点は冒険者ランクだ。
上昇するにつれ赤、黄、紫、緑、白、黒、銀、金と変化する。
この色は、トータスの通貨であるルタの色と完全に一致しているという。
つまり、青色の冒険者とは『一ルタ程度の価値しかない』ということ意味する。
「……趣味悪いね、この制度作った奴」
うみは心底嫌そうに呟いた。
「男なら頑張って黒を目指しなよ? お嬢さん達にカッコ悪いところ見せないようにね」
「はいはい。で、買取はここでいいの?」
「構わないよ。あたしは査定資格も持ってるから見せてちょうだい」
受付だけでなく査定までできるというオバチャンに、うみはあらかじめまとめておいた素材をカウンターへと並べた。
品目は魔物の毛皮や爪、牙、そして魔石だ。
当然、奈落の魔物の素材などは出さない。出したのはすべて『ハルツィナ樹海』の魔物の素材である。
カウンターの受け取り用の入れ物に入れられていく素材を見て、オバチャンが目を見張った。
「おや……これは」
恐る恐る手に取り、隅から隅まで丹念に確かめる。
数秒の沈黙の後、ようやく顔を上げたオバチャンは、感心したような溜息を吐いた。
「とんでもないものを持ってきたね。これは…………樹海の魔物の素材かい?」
「そうだけど、珍しい?」
うみが問い返すと、オバチャンは呆れたような、しかし感心したような笑みを浮かべた。
「そりゃあねぇ。樹海の中じゃあ、人間族は感覚を狂わされるし、一度迷えば二度と出てこれないからハイリスク。
好き好んで入る人間なんていないよ。……なるほどね。腕利きの亜人の連れでもいなければ、とても集められない代物さね」
オバチャンはチラリと背後のシアに視線をやりつつ、そう納得したように呟いた。
うみは余計な詮索をされずに済んだと内心で安堵しつつ、そのまま査定を任せる。
それからオバチャンは、全ての素材を丁寧に査定し金額を提示した。
「買取額は四十八万七千ルタ。これでいいかい? 中央ならもう少し高く売れるだろうけど」
「いや、この額で構わないよ」
うみは五枚の硬貨と五十枚強の薄いルタ通貨を受け取る。
この貨幣は非常に軽く嵩張らないので、ポイント高い、と評価しつつ、うみは空間収納へとそれをしまった。
「ところで、門番の彼に、この町の簡単な地図を貰えると聞いたんだけど」
「ああ、ちょっと待っといで……ほら、これだよ。おすすめの宿や店も書いてあるから参考にしなさいな」
手渡された地図は、中々に精巧で有用な情報が綺麗に記載された素晴らしい出来だった。
『簡単な地図』というよりは、もはや『ガイドブック』と呼ぶべきレベルである。
「……これ、
うみが呆れ半分に感心すると、オバチャンは事も無げに笑う。
「あたしが趣味で書いてるだけだからね。書士の天職を持ってるから、それくらい落書きみたいなもんだよ」
その言葉を聞き、うみの思考が繋がる。
「査定資格に、観察眼。手書きの精巧な地図に、中央の相場事情にも詳しい……。オバチャンってもしかして元々中央の人だったりする?」
うみが推測を口にすると、オバチャンは一瞬だけ目を丸くし、それから面白そうに笑った。
「さあねぇ? ただの田舎の受付オバチャンかもしれないよ?
坊やこそ、その歳で樹海を渡り歩くだなんて、ただの『冒険者』じゃないだろ?」
互いに深くは詮索せず、お互いに心地よい牽制で終わらせる。
「どうだろうね。あ、そうだ。ポーションとか魔道具が売れそうなとこって、この町にある?」
用が済んで立ち去ろうとしたところで、うみは一つ思い出し、売り先の確保のために尋ねる。
「それなら、この地図の×印の店に行ってみな。あたしの紹介だって言えば、変な買い叩かれ方はしないはずさ」
「ん、わかった」
有益な情報を得て、うみは頷く。
「金はあるんだから、少しはいいところに泊りなよ。可愛い子たちに変な虫がつかないようにね」
「そうするよ。ありがとね、オバチャン」
最後まで気配りの行き届いたオバチャンに礼を言い、うみは入口に向かって踵を返した。ユエとシアも頭を下げて追従する。
食事処の冒険者たちのコソコソとした視線を背に受けながら、三人はギルドを後にした。
「ふむ、いろんな意味で面白そうな連中だね……」
後には、そんなオバチャンの楽しげな呟きが残されていた。
***
うみたちが、もはや地図というよりガイドブックと呼ぶべきそれを見て決めたのは、『マサカの宿』という宿屋だ。
紹介文によれば「料理が美味く防犯もしっかりしており、何より風呂に入れる」という。
特に最後が決め手だった。
宿の中は一階が食堂になっており、複数の客が食事をとっていた。
うみたちが入ると、案の定、「とんでもない美少女が三人……」とでも言いたげな周囲の視線が突き刺さる。
いつものようにスルーし、うみはカウンターへと向かった。
そこには、十五歳くらいの元気な女の子が立っていた。
「いらっしゃいませー! ようこそ『マサカの宿』へ! 本日はお泊まりですか? それともお食事だけですか?」
「宿泊で。一泊、食事付き。あとお風呂も。二時間くらいとれる?」
うみは地図を見せ、スムーズに手続きを進める。
当然のように、受付の女の子もうみの圧倒的な美貌に当てられ、
彼の性別を微塵も疑うことなく「綺麗なお姉さん(リーダー)」として接客している。
「はい! お風呂は十五分百ルタです。二時間ですね、今のところこの時間帯が空いてますが……あ、部屋ってどれくらいの広さ?
備え付けのベッドとか机を壁際に全部寄せたら、空きスペースって作れる?」
「えっ? あ、はい。三人部屋ならかなり広いですし、十分なスペースができるとは思いますけど……」
「そう。じゃあ三人部屋で」
うみが合理的な理由で即答した、その時。
彼に付き従うように後ろに立っていたユエが、すかさず待ったをかけた。
「……ダメ。二人部屋二つで。……私とうみで一部屋。シアは別室」
「ちょっ、何でですか! 私だけ仲間外れとか嫌ですよぉ! 三人部屋でいいじゃないですかっ!」
猛然と抗議するシアに、ユエはさらりと言ってのける。
「……シアがいると気が散る。うみとの大事な時間が邪魔される」
「大事な時間ってなんですか! どうせうみくんに甘えるだけですよね! いっぱいお世話してもらおうとしてるだけじゃないですか!!」
シアの言葉に、食堂の空気がピタリと止まった。
「……おい、今『くん』って言ったか?」
「じゃあ、あの子って……男!?」
「あの顔でかよ、嘘だろ……!?」
うみが男だと発覚し、ざわめきが一気に広がる。
だが、波紋はそれだけでは終わらない。
「……シアはわかってない。甘えるだけじゃない。今日こそ……」
呆れたように、しかし少し勝ち誇ったように目を細めたユエの宣言に、シアのウサミミがピクリと反応する。
「『今日こそ』って……いったい何するつもりなんですか?」
「……何って……ナニ?」
「ぶっ!? ちょっ、こんなとこで何言ってるんですか! お下品ですよ!
ダメですダメです! いくらなんでも自分のお兄ちゃんを襲おうだなんて……っ!」
シアの悲鳴じみた叫びに、周囲の客は「お兄ちゃん!?」「きょうだいで!?」とさらに凍りつく。
だが、シアの『お姉ちゃん』としての使命感は暴走を止めなかった。
「だ、だったらユエさんこそ別室に行って下さい! うみくんと私で一部屋です!
うみくんの貞操はこのお姉ちゃんが守ります!
もちろん、お布団に入って身体の隅々まで綺麗にお世話してあげるんで安心してください!!」
「きょうだいで……お布団で隅々まで……なんてアブノーマルなっ!」
受付の女の子が顔を真っ赤にして別のトリップに突入する中、ユエが瞳に絶対零度を宿してゆらりと動いた。
「……邪魔ウサギ。今日がお前の命日」
「うっ……ま、負けません! 私はお姉ちゃんを遂行するんですぅ!!」
ユエから尋常ではないプレッシャーが迸り、シアも負けじと大槌に手をかける。
周囲の客たちが固唾を呑んで見守る中――。
ポカッ、ポカッ。
「ひぅ!?」
「はきゅ!?」
手加減した軽いチョップが、二人の頭に落とされた。
もちろん、うみである。
「……ユエ、姉さん。人前で姉妹喧嘩しないでくれる? 普通に恥ずかしいんだけど」
「……うぅ」
「わ、私だってお姉ちゃんとして……」
うみがため息混じりに咎めると、ユエもシアも涙目になってしゃがみ込んだ。
「す、すみませんねぇ、うちの娘が」
厨房の奥から出てきた女将さんらしき人が、完全に出来上がってしまった受付の娘をズルズルと奥へ引きずっていく。
代わりに父親らしき男性が「色々大変だろうけどね。わかってるよ」という生温かい目を向けながら、部屋の鍵を渡してきた。
(……いや、なにその目? てか、受付の子も何一人で赤くなってんの?)
周囲の生温かい視線の意味を全く理解していないうみは、なぜそんな目で見られるのか首を傾げつつも、
ただ「騒ぎを起こして恥ずかしいし、疲れた」と深い溜息を吐きながら、蹲るユエとシアの首根っこを掴み、逃げるように三階の部屋へと向かった。
部屋に入ったうみは、ひとまずユエとシアをベッドに放り投げた。
そして、スペースを作るべく『念動』の技能を使って備え付けのベッドや机を壁際へとスライドさせ、
部屋の中央にぽっかりと広いスペースを作り出す。
「よし」
うみは『宝物庫』から錬金釜を取り出し、どんと部屋の中央に設置した。
『カゴ』の中にストックしておいた、ハルツィナ樹海で採集した(植物)や(薬の素材)カテゴリのアイテムを次々と釜の中に放り込んでいく。
「わぁっ! うみくん、何してるんですか!?」
姉妹喧嘩の制裁から回復したシアが、初めて見る錬金釜と作業風景に目を輝かせ、
うみの背後からひょっこりと顔を出して釜の中を覗き込んでくる。
ペシッ。
「あいたっ!?」
「……邪魔。ちょっと下がってて」
手元が狂うのを嫌ったうみが、振り返りもせずに裏拳で軽くシアの額を叩く。
シアは「うぅ〜……」と額を押さえて渋々後ろに下がったが、それでも興味津々な様子でウサミミをピコピコと動かしながら作業を眺めていた。
うみはそんな賑やかな兎を横目に、即席のアトリエと化した部屋で、消耗したポーション類の補充と錬金作業に没頭した。
そして数時間後。
予約していた風呂の時間がやってきた。
男女で時間を分けるという概念など最初からないユエと、当然のようにお姉ちゃんヅラをして乱入してきたシアと共に、うみは広い湯船に浸かっていた。
「うぅ〜……男の人の前で裸なんて、恥ずかしいですぅ……」
うみとユエが一緒に風呂に入ることに何の羞恥もないのに対し、シアだけは顔を真っ赤にして湯船の隅に身を潜めている。
お姉ちゃんとしてのお世話をすると息巻いていた割に、いざ全裸のうみを前にすると羞恥心が勝ってしまったらしい。
「……ヘタレウサギ」
「う、うるさいです! ユエさんがおかしすぎるんですよ!」
ジト目で煽ってくるユエに、シアが涙目で抗議する。
そんな二人をよそに、うみはいつものようにユエを前に座らせ、丁寧に髪を洗ってやっていた。
「そんなとこで何やってるのさ。さっさと入りなよ。風邪ひくよ?」
うみはフラットな声でシアに声をかける。彼にとってはきょうだいでのお風呂など普通なことでしかなく、羞恥心など微塵もなかった。
さらに、就寝時。
うみのベッドの右腕には、いつものようにユエががっちりとホールドし、抱き枕にしていた。
だが今夜は、そこに対抗心を燃やしたシアが左腕に抱きついてきたのだ。
左腕に、シアの――ユエにはない圧倒的な発育の暴力が、これでもかと押し付けられる。
健全な男子高校生ならば理性を吹き飛ばされかねない状況である。
だが、我らがうみくんの感情は、一切のピンク色に染まることはなかった。
(……暑い。とてつもなく暑い。純粋に寝苦しい)
オスカーの隠れ家やハルツィナ樹海といった涼しい環境に慣れていたせいか、
両腕に人肌が密着するこの状況は、うみにとって体感温度を爆上げする修行のようなものだった。
そして、問題はそれだけではない。
右腕に張り付くユエから、なぜか無言の圧が、至近距離から一晩中突き刺さり続けていたのだ。
(……なんなのこの圧。今まで一緒に寝ててもこんなことなかったのに……)
うみは暗闇の中で首を傾げる。
今までとの違いといえば、ただ一つ。左腕にシアが抱きついていることくらいだ。
(……もしかして、シアが一緒なのが嫌とか? いやいや、いくらなんでもそれはないか。
なんだかんだ仲良さそうだし。仮にそうだとしても対処のしようがない)
家族愛の権化であるうみの中では、「シアを別室にする」という選択肢など最初から存在しない。
結局、うみは「なんでか分からないけど、とりあえず耐えるしかない」と諦め、
圧倒的な熱気と絶対零度の視線に板挟みにされながらも、強引に意識を手放し眠りについたのである。
翌朝。
朝食を終えたうみは、若干げっそりとした顔でユエとシアに金を渡し、旅に必要なものの買い出しを頼んだ。
チェックアウトまではまだ時間があるため、もう少し睡眠をとって体力を回復しておきたかったのだ。
「昨夜は寝苦しくてあんまり疲れが取れてないからさ……俺はもう少し部屋で寝てるから、適当に見て回ってきてよ」
「……そ、そうだ。ユエさん。私、服も見ておきたいんですけどいいですか?」
「……ん、問題ない。私は、露店も見てみたい」
「あっ、いいですね! 買い物しながら何か食べましょうか」
うみの言葉に、自分たちが原因だと自覚している二人は、気まずそうにサッと視線を逸らした。
そして、見事な阿吽の呼吸で話題を逸らし、逃げるように部屋を出て行こうとする。
その背中を見送りながら、うみは呆れたように呟いた。
「……君ら、なんだかんだ結構仲良いよね」
そんなうみの呟きも、パタンと閉まった扉の向こうへと虚しくスルーされるのだった。