廻る世界、渡る魂   作:月影うみ

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ライセン大峡谷

ユエとシアが買い出しに出てから約一時間後。

静かな部屋のベッドの上で、うみはゆっくりと目を開けた。

大きく伸びをすると、二度寝のおかげで身体の疲労はすっきりと抜けているのが分かる。

起き上がって身支度を整え、漆黒の高専制服に袖を通した。

着替えを終えたうみは、昨日キャサリンから教えてもらった店で換金を済ませておくため、一人で宿を出た。

 

宿を出ると、朝のブルックの町は既に活気に満ち溢れていた。

荷馬車が行き交い、露店からは香ばしい串焼きの匂いや、威勢の良い客引きの声が響いている。

街を歩く人々の視線が、時折うみの銀青の髪と整いすぎた容貌に釘付けになるが、うみは完全に環境音の一部としてスルーしていた。

 

メインストリートを歩くこと十数分。

大きな木彫りの薬瓶と歯車の看板が掲げられた、道具屋兼薬屋に到着した。

 

カラン、と立て付けの良い扉を開けて店内に入る。

薬草のツンとした匂いと、金属や油の匂いが混ざった、いかにもファンタジーの道具屋といった空間だった。

壁際の棚には様々な色の液体が入った小瓶が並び、ガラスケースの中には魔法陣が刻まれた杖やアクセサリーなどの魔道具が陳列されている。

 

うみは店内を歩きながら、それらの商品をで軽く観察した。

 

(……なるほど。大体の相場と技術レベルは把握できた)

 

六眼を通して視る市販の魔道具の構造は、うみからすれば酷く大雑把だった。

魔法陣の導線には無駄が多く、魔力の伝導率も悪い。

このレベルが主流なのだとすれば、自分が錬金術で作り上げた魔道具もといアーティファクトなどは、間違いなくオーバースペックだろう。

 

(こんなところでガチの魔道具を出したら、相場を壊すどころか面倒な連中に目をつけられるな。……売るのは消耗品だけに限定しよう)

 

方針を固めたうみは、店の奥、カウンターで帳簿と睨めっこをしている人の良さそうな初老の店主へと声をかけた。

 

「こんにちわ。薬の買い取りをお願いしたいんですけど」

「ん? おお、いらっしゃい。買い取りだね。……見ない顔だが、よそから来た冒険者かい?」

「まあ、そんなところです。ギルドのキャサリンさんから、ここなら変な買い叩かれ方はしないって紹介されてきたんですけど」

「おや、キャサリンの紹介か。そりゃあ下手な査定はできないな。どれ、見せてみなさい」

 

ギルドのオバチャンの名前は絶大な効果があったらしく、店主の表情がスッと商人のそれへと引き締まった。

うみはカウンターの上に、自身の『カゴ』からコトリ、コトリと小さな瓶を三つ取り出して並べた。

 

「ええと、全部で三種類ですね。ハルツィナ樹海で採れた素材を使って、俺が調合したものです」

「ほぅ……自作かい。どれどれ」

 

店主がルーペを取り出し、最初の緑の液体が入ったガラス瓶を光にかざす。

 

「まず一つ目が、普通の『回復薬』ですね。

素材は基本ハルツィナ樹海のものを使ってるんで、一般に普及してるものより効能はかなり高いです。

……と言っても、実演があった方がいいですかね。店主さん、ちょっと汚れてもいい桶とかあります?」

「ん? ああ、それならあるが……」

 

店主がカウンターの下から小さな木桶を取り出して置くと、うみは自身の懐からスッとナイフを取り出した。

そして、なんの躊躇いもなく、取り出したナイフで自身の手のひらをグサッと深く突き刺した。

 

「なっ!? あんた、いきなり何を……ッ!」

 

実演とは聞いていたが、まさか躊躇いもなく自らの手を深く突き刺すとは微塵も思っていなかったのだろう。

店主が悲鳴のような声を上げて顔を青ざめさせる中、

うみは全く痛痒を感じていない涼しい顔のまま、「大丈夫ですよ、落ち着いて」とパニックになる店主を宥めつつ、

ポーションの入った瓶の蓋を開けた。

そして、そのまま瓶に口をつけ、中の液体をコクリと飲み干す。

 

すると、パックリと開いていた手のひらの傷口が、まるで時間を巻き戻すかのように内側から細胞を結合させ、数秒で完全に塞がってしまった。

跡には、うっすらとした血の痕が残るだけで、傷跡すら一切ない。

 

「とまあ、こんな感じで。即効性重視で、市販のものより効果を高めてあります。

このくらいなら数秒で塞がりますけど、さすがに失った腕を生やすとかは無理です。

おまけで軽めの解毒作用も付いています」

 

血の付いた手をハンカチで拭いながら、うみは事も無げに解説を続けた。

 

「あ、ちなみにさっきみたいに緊急時は傷口に直接かけても効果は出ますけど、

飲んだ時に比べて効果が落ちるんで、基本は飲むのを推奨します。

今のくらいの傷だと、直接かけたら治りはするけど痕が残るくらいまで効果が落ち込むので」

 

目の前で繰り広げられた狂気的な自傷行為と、それを一瞬でなかったことにする特効薬の性能に、店主は言葉を失っていた。

 

「ふ、ふむ……傷薬に解毒効果の付与か。ただ素材が良いだけじゃこうはいかん。

王都の一流薬師か、国のお抱えレベルの調合技術だな」

 

動悸を抑えながらなんとか商人の顔を取り繕う店主に、うみは飄々と言葉を返した。

 

「解毒と言っても、軽い麻痺を治せるレベルですから、そこまで難しい物じゃないですよ。……あ、それと」

「それと?」

「味を飲みやすいように調整してあります」

「……は?」

 

店主がルーペを落としそうになり、ポカンと口を開けた。

この世界において、回復薬というものは『良薬口に苦し』を地で行く、泥水と苦草を混ぜたような不味さが常識である。

 

「そ、そんな余計な工程を挟めば、薬効が落ちるだろうに!」

「いえ、効果は落としてませんよ。方法は秘密ですけどね」

「……」

 

信じられないといった顔の店主に、うみは二つ目の小さな木箱を開けて見せた。

中には、パチンコ玉ほどの大きさの緑色の丸薬が転がっている。

 

「で、こっちの二つ目が『丸薬タイプ』の回復薬です。こっちは少し苦いですけど、効能はさっきのポーションと全く同じ。

何より小さくてかさばらないから、荷物を減らしたい冒険者にはこっちの方が売れると思います」

「液体と同等の効果を、このサイズに圧縮したというのか……?」

「ええ。保存も利きますよ」

 

うみは淡々と説明を続け、最後に、黒みがかった赤い丸薬が一つだけ入った小瓶を指差した。

 

「で、最後がこれ。『増血丸』です」

「ぞうけつ……血を増やす、薬だと?」

「はい。ポーションで傷を塞いでも、失った血が戻るわけじゃないでしょ?

大怪我して血を流しすぎたら、傷が治っても動けなくて最悪そのまま死んじゃう。

だから、血そのものを補う薬を作ったんです」

 

「服用してから大体三分から五分かけて、体内の総血液量の約二割から三割――1.2倍から1.3倍相当の血を強制的に造り出します。

瀕死の貧血状態からでも、死なないラインまで持ち直せるはずです」

 

店主の手が震え始めた。それが事実ならば、冒険者の生存率を劇的に引き上げる革命的な秘薬だ。

 

「ただ、これには一つ問題があって。……これ、血が減ってない健康な時に飲むと、キャパオーバーで死にます」

「なっ……!?」

「器が100%のところに無理やり血を増やすわけですからね。

血がドロドロになって血管が詰まるか、血圧が跳ね上がって目や鼻から血を吹き出して血管が破裂します。

多血症の急性的なやつですね。だから、使い所を見極められる玄人向けの薬です。素人には売らない方がいいですよ」

 

事もなげに恐ろしい副作用を語る少年に、店主はゴクリと生唾を飲んだ。

目の前にいるこの少年は、ただの腕のいい薬師ではない。

人体という構造を完璧に理解し、生と死の境界線を弄るような真似を平然とやってのける異端の存在なのだと。

 

「……なるほど。キャサリンがわざわざウチを紹介した理由が分かったよ。

こんな危なっかしくも途轍もない代物、その辺のヤブ店じゃ扱い切れんからな」

 

店主は額の汗を拭うと、プロの商人としての鋭い眼差しを取り戻した。

 

「……買い取ろう。少し時間をくれ。きっちり適正価格で査定させてもらう」

「あ、価格は一般に普及してるやつの、ちょっと上くらいの設定でいいですよ」

「なっ……そんな安値でいいのか!? これほどの薬なら、もっと高値で吹っ掛けても……」

「数は結構作ってあるんで、全部合わせれば十分な額になると思いますし。

高すぎて必要な人に普及しないんじゃ意味がないですから」

それに、とうみは飄々と付け足した。

「素材は自分で採ってきたから、原価ゼロですしね」

「原価ゼロ……ハルツィナ樹海の素材が、か……。ははっ、敵わんなぁ」

 

店主は呆れたように笑いながらも、どこか感心したように頷いた。

 

「じゃ、よろしくお願いします」

 

うみは柔らかく微笑むと、カウンターに寄りかかって査定が終わるのをのんびりと待つことにした。

この分なら、これからの旅の資金には十分すぎる額になりそうだと、内心で計算をしながら。

 

***

 

それから数十分後。

ずっしりと重い金貨の入った革袋を『影』に収納し、うみはホクホク顔で薬屋を後にした。

店主が頑張って適正価格で買い取ってくれたおかげで、予想を上回る大金を手に入れることができた。

これなら当分の間、旅の資金や食費に困ることはないだろう。

 

「さて、二人ともまだ買い出し中だろうし、まっすぐ宿に帰って残りの時間はどうしようかな。

……そういえば呪具って錬金術で作れないかな?流すのを魔力じゃなくて呪力に――」

 

そう独り言をこぼしながら歩き出した、その時。

うみは微かに眉をひそめた。

 

(……なんだ?)

 

長年の経験で培われた直感が、周囲の異常を告げていた。

街を行き交う人々の自然な気配とは違う、不自然に密集した『過剰な熱気』とでも呼ぶべき気配が、周囲の路地裏や建物の陰からこちらへ向かってじわじわと近づいてきているのだ。

しかも、一つや二つではない。大きく分けて二つの集団が、完全にうみを包囲するような陣形を組んで距離を詰めてきている。

 

うみが足を止め、面倒くさそうに周囲を見渡した次の瞬間。

前方の大通りの影から、妙に気合の入った装いの女性冒険者や街の女性たちの集団が、熱を帯びた視線を向けながら姿を現した。

 

「見つけたわ、噂の可愛い坊や……。ねえ、お姉さんたちがとっても良いこと、教えてあげようか?」

「ギルドでオバチャン相手に愛想振り撒いてたって聞いたけど、私たちの方がずっと優しくしてあげるわよ?」

 

甘ったるく、しかし確かな執着を隠そうともしない女たち。

そして背後からは、さらなる面倒ごとがうみの退路を塞ぐように現れた。

 

「頼む! 俺たちと付き合ってくれぇぇッ!!」

「その顔に、完全に惚れちまったんだよ!」

「男だろうが関係ねぇ!」

 

熱烈すぎる眼差しで、ド直球の告白を放ちながらにじり寄ってくる業の深い男たち。

 

昨日のギルドでのオバチャンや門番とのやり取り、そして宿屋でのシアの「うみくんの貞操は〜」という爆弾発言。

それらが面白おかしく尾ひれを引いて一晩で街中に広まった結果、うみはブルックの町における『最悪の包囲網』の中心に立たされていた。

 

肌にまとわりつくような彼らの気配は、過剰な好奇心や下心といった厄介な感情で溢れ返っている。

普通の感性を持った者なら恐怖と嫌悪で卒倒してもおかしくない状況。

 

しかし、うみはその包囲網のど真ん中で、心底めんどうくさいものを見るような絶対零度の視線を彼らに向けていた。

 

(終わってる……この街の連中、頭おかしいんじゃないの)

 

深い、本当に深い溜息を吐き出しながら、うみは脳内でこの状況の最適解を凄まじい速度で検索する。

 

『普通に言葉で断る』。――却下。この熱に浮かされた連中が、言葉なんぞで諦めるはずがない。

 

『実力行使』。――却下。ここで手を出せば騒ぎになり、ギルドなんかの介入があるかもしれない。今後に禍根が残り、何より面倒くさすぎる。

 

『ガン無視して逃走する』。――却下。普通に断るのと一緒。そんなのであきらめるわけがないし、地の果てまで追ってきかねない。根本的な解決にはならない。

 

(なら、どうする……?)

 

導き出される答えは全て手詰まり。

あまりにも不条理で理不尽な状況と、向けられ続ける強烈なストレス。

あまりにも面倒くさくなったうみは、考えることを放棄した。

 

(……そうだ)

 

中途半端な拒絶や逃走が事態を悪化させるなら、いっそのこと、誰も予想できない行動でこの場を完全に支配してしまえばいい。

彼らの厄介な欲望を、強制的に上書きできるほどの『圧倒的な何か』をぶつけて。

 

(めちゃくちゃやって、この状況を有耶無耶にしてしまおう)

 

偉い人は言いました。『狂気には、純粋をぶつけるんだよ』と。*1

 

うみは一つ、大きく息を吐き出した。

自身の交友関係の中で最も純粋な人物の姿を脳内に描き出し、その言動を己に完全にトレースしていく。

 

(……こんなくだらないことのためにだなんて。花里さんごめんなさい。希望、お借りします)

 

不本意なヤケクソ感と多大なる申し訳なさを抱えながら、うみは現在の少し冷たげな空気を霧散させる。

代わりに身に纏うのは、どこまでも前向きで、ひたむきな『純真』。

 

準備が整ったうみはパッと顔を上げ、花が咲いたような、完璧すぎるほどの笑顔を浮かべた。

 

「――ごめんなさいっ!」

 

ビシッと顔の前で両手を合わせ、元気いっぱいに頭を下げる。

 

「みんなの気持ちはすっごく、すっごく嬉しいんだけど……僕は、誰か一人だけのものにはなれないの!」

「だって僕は……みーんなのものだからっ!」

 

熱気と欲望に浮かされていた男女たちの動きが、ピタリと止まった。

 

「み、みんなのもの……?」

「私たち、全員の……?」

 

獲物を奪い合うように目を血走らせていた彼らは、うみの口から飛び出したあまりにも純粋で、想定外すぎる言葉に完全に虚を突かれていた。

その純度100%のひたむきさに当てられ、呆然とポカンと口を開ける群衆。

 

彼らの意識が完全に自分に釘付けになったその瞬間を逃さず、うみは愛嬌たっぷりに首を傾げ、人差し指を口元に当てる。

 

「だから、僕を独り占めしようとするのは、めっ! だよ?」

 

一切の照れを捨てた、純粋な希望を体現する完璧なアイドル・ムーブ。

圧倒的な『博愛』と『純粋』を至近距離で正面から浴びた連中の心に、凄まじい衝撃が走った。

彼らの中に渦巻いていたドロドロとした独占欲や色欲といった『不純』が、強烈な輝きによって強制的に上書きされていく。

 

「あぁ……なんて、眩しい……」

「俺たちは、みんなのものを独り占めしようだなんて……なんて汚らわしい真似を……ッ!」

 

チャリン、ボトッ、と。 彼らが隠し持っていた武器や怪しい道具が、次々と地面に落ちる。

そして彼らは、まるで女神を前にして己の業を恥じるかのようにその場に膝をつき――ズラリと左右に分かれて、モーセの海割りが如く綺麗に道を空けた。

 

そこにあるのは、獲物を狙うケダモノの目ではない。

推しの幸せをただ静かに見守る温かい眼差しだった。

 

うみは彼らの反応を見て内心で(本当にこれでなんとかなっちゃうんだ……)とドン引きしつつも、表面上は完璧な笑顔を崩さずに頷いた。

 

「うんうんっ! じゃあ、みーんなで仲良くね! それじゃあねーっ!」

 

軽やかに手を振りながら、うみは空けられたファンたちの間を悠々と駆け抜けていく。

誰一人として、彼を追おうとする無粋な真似をする者はいなかった。

 

それから数分後。

宿の近くの人気のない路地裏に飛び込み、完全に安全を確保したことを確認した瞬間――うみは、壁に手をついてズルズルと崩れ落ちた。

 

「…………俺、なにしてんだろ……」

 

全身を凄まじい自己嫌悪と羞恥心が襲う。

 

(元の世界に戻った後、仕事とかで絶対顔合わせることあるのに……どんな顔して会えば……)

 

有耶無耶にするためとはいえ、とんでもないことをやってしまった。

うみは頭を抱え、自ら生み出してしまった永遠の黒歴史に、ただひたすらに絶望した。

 

うなだれること数分。

這うようにして立ち上がり、よろよろと歩き出そうとした矢先のことだった。

大通りの方角、少し離れた別の場所から、突如として騒がしい音が響いてきた。

 

『アッーーー!!』

『もうやめてぇー』

『おかぁちゃーん!』

 

悲鳴というか、男の情けない断末魔のような声と、荒れ狂う魔力の気配である。

うみは「……随分と騒がしい場所だなぁ……」と遠い目をしながらぽつりと呟いたが、今のうみには、そこに意識を向ける余裕は微塵も残されていなかった。

 

「……とにかく、今は帰ろう。俺のメンタルが持たない」

 

自らが生み出した黒歴史のダメージは、それほどまでに深刻だったのだ。

うみは騒ぎの方向からそっと目を逸らし、気配を殺したまま足早に宿の自室へと逃げ帰った。

 

***

 

宿の自室に戻ったうみは、扉に鍵をかけるなり、ベッドにダイブして頭を抱えた。

 

「にゃあぁぁぁぁ…………!」

 

静かな部屋の中で一人になると、先ほどの己の行動が克明にフラッシュバックし、再び羞恥の波が押し寄せてくる。

このままでは、恥ずかしさのあまりベッドの上でもんどり打って死んでしまいそうだ。

 

「……ダメだ。何か、何か別のことを考えないと死ぬ」

 

うみは弾かれたように跳ね起きると、ポンッと両手を打ち合わせた。

意識を強制的に別の方向へと向けるための、最も手っ取り早い手段。それは、作業への没頭だ。

 

「そうだ、作業しよう。錬金術だ」

 

うみは部屋の内装であるベッドや机、椅子といった家具を『念動』でスススッと部屋の隅へと寄せていった。

中央にぽっかりと開いた十分なスペースに、錬金釜をドスンと配置する。

 

「ええと、素材は……」

 

いざ素材を放り込んで作業を始めようとしたところで、うみはピタリと動きを止め、

先ほど変態たちに包囲される直前――薬屋から出て歩いていた時に考えていた、一つの思考を思い出した。

 

(呪具………)

 

「……うん、実験しよう」

 

黒歴史の記憶を頭の奥底に押し込めるように、うみは完全に職人の思考へとシフトした。

うみは『カゴ』から、迷宮の深層で採取したシュタル鉱石などの触媒となる素材を取り出し、錬金釜の前に立つ。

 

まずは、魔力を一切使わず、代わりに自身の『呪力』だけを流し込んでの錬成を試みる。

釜に素材を入れ、杖を使ってかき混ぜながら、魔力ではなく呪力を流し込む。

 

結果は、失敗。そもそも錬金術のシステム自体が起動しなかった。

 

「まあ、ベースが魔法の技術だし、そりゃそうだよね」

 

うみは想像通りの結果に納得し、次の実験へと移行する。

今度はいつも通りのやり方――魔力を流し込みながらかき混ぜるプロセスに加えて、呪力も同時に流し込んでみる。

釜の中が淡い光を放ち、錬金術のプロセス自体は正常に進行していく。

やがて光が収まると、そこには一振りの『短刀』が完成していた。

だが、結果としてはこれも失敗だった。

完成した短刀は、魔力のみで構築されたごく普通の調合品であり、

流し込んだはずの呪力は素材に定着することなく、霧散してしまっていた。

 

「……ダメか。量が足んないのかな?」

 

純粋な疑問を持ったうみは、ならば力技で解決できるかどうかを試すべく、次の実験へと移行した。

 

第三実験。流し込む呪力の量を、先ほどとは比べ物にならないほど大幅に増やす。

うみの呪力総量は規格外とされる乙骨憂太のそれの約七割ほど。

その総呪力の『半分』という、途轍もないリソースを強引に注ぎ込むのだ。

新しい素材を釜に入れ、杖でかき混ぜる。魔力と共に、莫大な呪力を強引に叩き込んでいく。

釜から激しい光が溢れ、新たな短刀が完成した。

 

「一応成功。だけど……あれだけ消費して、残ったのはこれっぽっちか」

 

うみは完成した短刀を『六眼』で観察し、小さく息を吐いた。

莫大な呪力リソースを消費したにも関わらず、短刀に定着した呪力はごく僅かだった。

しかし、量は少なくても、定着した呪力の『濃度』は普段のものよりほんの少しだけ濃いことが判明した。

 

「定着させること自体は可能。効率は最悪」

 

この結果から、うみの頭の中にいくつかの仮説が浮かび上がった。

 

一つ目は、アトリエシリーズでいうところの『中和剤ループ』。

この僅かに呪力を帯びた短刀を素材にして、もう一度同じように調合を繰り返せば、呪力の含有量や濃度を底上げできるのではないか。

二つ目は、素材の相性。そもそも今回使った鉱石という物質自体が、呪力と相性が悪かったのではないか。

木には神仏や呪いが宿りやすいと昔から言うし、金属よりも木材などの素材を混ぜた方が定着しやすいかもしれない。

そして三つ目。

 

「一番手っ取り早いのは……素材として俺の血液を混ぜることか。

自分の呪力との親和性が格段に上がって、もっと定着しやすくなる……かも?」

 

この世で自分の呪力と一番相性がいい素材は、当然自分自身の血肉である。

だが、うみはそこで思考を打ち切り、短刀を『カゴ』へと収納した。

 

「……でも、さすがに今日はここまでかな」

 

六眼の特性上、普段の術式行使等で生じる呪力のロスは限りなくゼロに抑えられているため、うみが『呪力切れ』を起こすことはまずない。

だが、それはあくまで真っ当な使い方をした場合の話だ。

今回のように、自らの意志で『総呪力の半分』という莫大な消費量を意図的に設定して注ぎ込んだのであれば、当然その設定した分の呪力はしっかり消費される。

六眼に呪力を自動回復させるような機能があるわけではないのだ。

すでに総呪力の半分ほどを消費している現状。

この後ユエやシアと合流し、次なる目的地であるライセン大峡谷へと出発する予定があることを考えると、これ以上の意図的な呪力消費は避けるべきである。

道中、もしかしたら自己補完の範疇を外れるほどの呪力を必要とする事態が起きないとも限らないのだから。

 

「作業自体はこれくらいにしておこう」

 

うみは満足げに頷くと、錬金釜を片付け、部屋の家具を元の位置へと戻した。

 

――それからしばらくして。

部屋の扉が開き、買い出しに行っていたユエとシアが帰還した。

 

「お疲れ様。そういえば、さっき町中が騒がしそうだったけど、何かあった?」

 

うみは自分の黒歴史のことは見事に棚に上げて、純粋な疑問として二人に尋ねた。

 

「……問題ない」

「あ~、うん、そうですね。問題ないですよ」

 

ユエは少し目を逸らし気味に呟き、シアもあからさまに愛想笑いを浮かべて誤魔化す。

そんな不自然すぎる二人の態度を見て、うみは少し訝しそうな表情をした。

しかし、すぐに(ああ、さっきの騒ぎの原因はこの子らなんだな)と内心で察する。

とはいえ、自分自身もつい先ほど町中で凄まじい黒歴史で少しばかり騒がせてきたところだ。

人のことは言えないし、何より深く追及して面倒事に巻き込まれるのは御免だった。

 

「……そっか」

 

うみは小さく肩を竦め、それ以上触れるのはやめにした。

 

「必要なものは全部揃った?」

「……ん、大丈夫」

「ですね。食料も沢山揃えましたから大丈夫です。それにしても『宝物庫』ってホント便利ですよね~」

 

そう言いながら、シアはうみから預かっていた『宝物庫』の指輪を返す。

うみは指輪を受け取りながら、二人が無事に買い出しを済ませてくれたことにホッと安堵の息を吐いた。

 

「さて、それじゃあ行こうか」

 

うみは二人を連れて部屋を出ると、宿の受付でチェックアウトを済ませる。

受付の女の子たちがうみの顔を見て何やら頬を染めたりソワソワしたりしていたが、

うみにはその理由が全くわからなかったため、(……何考えてるか分かんないけど、とりあえずスルーで)と完全に無視して外へと出た。

 

外に出ると、太陽は天頂近くに登り、燦々と暖かな光を降らせていた。

うみは町中に自分の痛々しい噂が二人に知られる前に一刻も早くこの場を離れたいという切実な思いから、「よし、さっさと出よう」と少し早足で歩き出す。

 

ユエとシアは、不自然に急ぎ足なうみの背中を不思議そうに見つめながらも、それに追従した。

 

***

 

それから、ブルックの町を出てどれほどの距離を進んだだろうか。

うみたちを乗せた浮遊艇は、ライセン大峡谷の谷底を、一切の摩擦抵抗を感じさせない滑らかな挙動で爆速で駆け抜けていた。

うみの『磁力操作』によって駆動するこのリニア・フロートは、悪路であろうと問題なく踏破できる。

 

ドゴォォォォンッ!!

谷底を切り裂くような速度で走る浮遊艇の横で、巨大な岩石に魔物が押しつぶされる。

うみが運転の片手間に、『念動』を使って周囲の岩を射出・衝突させ、雑魚を処理したのだ。

 

「いやぁ、快適ですねぇ〜! 峡谷の魔物なんて、うみくんやユエさんの敵じゃありませんし、

私も大活躍です! これぞまさにお散歩ドライブ!」

 

後部座席から身を乗り出し、『千鈞』で迫り来る魔物をホームランの如く吹き飛ばしていくシアが、ウサミミを風に靡かせて上機嫌に声を張り上げる。

 

「……シア、うるさい」

 

うみの隣に座るユエが、相変わらず冷ややかな声でシアを牽制する。

とはいえ、ユエも魔力消費が十倍という悪環境でありながら、うみから贈られた『蒼輝の首輪 / 指輪』の莫大な魔力バックアップにより、

強引なまでの高火力魔法を連発して魔物を次々と炭化させていた。

 

「……それにしても、魔力消費が激しい。この首輪と指輪がなかったら、とっくに干上がってる」

「まあ、この環境じゃ仕方ないよ。その分、俺とシアでカバーするからさ」

 

うみは運転席で軽く肩を竦めながら、片手で浮遊艇を操る。

だが、彼の意識の大半は、運転でも魔物退治でもなく、峡谷の『探索』へと向けられていた。

 

現在、うみは『十種影法術』を展開し、無数の『響蝠』を峡谷全域に放ち、エコロケーションによるマッピングと広域索敵を行っている真っ最中であった。

十種を展開している以上、無下限呪術や御厨子といった強力な術式は使えず、

さらには演算負荷の大きい『群蝶』も併用を封じられているという、彼にしてはかなりの制限下での戦闘である。

 

それでも、うみは『天象儀の枝杖』による魔法と、『纏雷』や『念動』といった技能、

さらには戦術アイテムを適宜使い分けながら、群がる魔物を完全に作業感覚で屠っていたのだ。

 

(大峡谷のどこか、なんて言われても広すぎるかと思ったけど……やっぱり響蝠は便利だね。

オルクスみたいにわかりやすい入り口がドカンとあるわけじゃないにしても……絶対に何か人工的な仕掛けがあるはずなんだけどな)

 

そう思考を巡らせていた、その時だった。

 

「……ん?」

 

響蝠が拾い上げた情報の中から、微かな『違和感』を捉えた。

それは、大峡谷の壁面の一角。

自然の地形にしてはあまりにも不自然な、ぽっかりと空いた人工的な空洞の反応だった。

 

「……ビンゴ」

 

うみは小さく口角を上げると、浮遊艇の進路をその空洞へと向けた。

出発からわずか半日。夕暮れが近づく前に、うみのチート級の索敵能力は、あっさりと迷宮の入り口らしきポイントをマッピングしてしまったのである。

 

 

「ここですね! うみくんが見つけた怪しい場所って!」

 

浮遊艇を降り、巨大な一枚岩の隙間へと足を踏み入れたシアが、目を輝かせて声を上げる。

岩の隙間を奥へと進むと、そこには壁面が奥へと窪んだ、意外なほど広い空間が存在していた。

 

「うん、ここだね。で、あの奥にあるのが……」

 

うみが指差した先。

空間の中程まで進んだ三人の目に飛び込んできたのは、地獄の谷底には全く似つかわしくない、一つの『看板』だった。

 

壁を直接削って作られたであろう見事な装飾の長方形型の看板。

だが、そこに掘られていた文字は、妙に女の子らしい、丸っこい字でこう書かれていたのだ。

 

『おいでませ! ミレディ・ライセンのドキワク大迷宮へ♪』

 

「「「…………」」」

 

そのあまりにも場違いで、チャラすぎる煽り文句に、三人は揃って呆然と立ち尽くした。

 

「……なに、これ」

「えっと……大迷宮の、入り口……ですよね?」

 

ユエとシアが、信じられないものを見るような目で看板を見つめる。

一方のうみは、深い深い溜息を吐き出していた。

 

(……なんだろう。この文字を見ただけで、猛烈に頭が痛くなってきた)

 

『ドキワク大迷宮へ♪』というふざけたテンション。

オルクス大迷宮のあの重厚でシリアスな雰囲気とは真逆の、人を食ったような悪趣味さ。

うみの脳裏に、いつも散々自分を振り回し、同じようにふざけた無茶ぶりをしてきた、あの大人の姿(31歳児)がフラッシュバックした。

 

(いやいやいや、あんなめちゃくちゃな人が、そうそういてたまるか)

 

うみは頭を激しく振り、全力でその思考を振り払った。

 

気を取り直し、うみは『響蝠』のエコロケーションが拾い上げた反響データと、『六眼』に映る目の前の壁の詳細な情報を照らし合わせる。

 

(壁の向こう側に続く空間……そして、この壁の極めて微細な切れ込み……なるほどね)

 

「あの……入り口って言いますけど、扉らしきものは見当たりませんね? この奥も行き止まりですし……」

 

看板の奥の壁をペシペシと叩きながら、シアが不思議そうに首を傾げる。

うみは彼女を制止するように声をかけた。

 

「あんまり不用意に触らない方がいいよ、シア。入り口は、その壁自体だから」

「えっ? この壁がですか?」

「うん。多分、こうやって回るんだよ」

 

うみは壁の一部に手を当て、軽く力を込めて押し込んだ。

すると、ガコンッ!という重い音と共に壁がグルンッと回転し、うみは壁の向こう側へと姿を消した。

さながら忍者屋敷の仕掛け扉である。

 

「「……」」

 

ユエとシアが呆気にとられていると、すぐに扉がもう半回転し、うみが「こんな感じでね」とひょっこりと戻ってきた。

 

「おおーっ! すごいです! 」

「……じゃあ、このまま中に入る?」

 

やる気満々になった二人だったが、うみは「うーん」と首を横に振った。

 

「いや、今日はやめておこう。もう夕方だしね」

 

うみはあのふざけた丸文字の看板を胡乱な目で見つめ、小さくため息をつく。

 

「それに、この看板のふざけたテンション……絶対なんか仕掛けてあるじゃん。万全を期して休んどこう」

 

そう言い残し、うみは岩の隙間から少し開けた場所へと歩み出た。

大峡谷の底は日が落ちるのが早く、すでに周囲は薄暗くなり始めている。

長距離の移動と魔物との戦闘で、少なからず疲労は蓄積しているはずだ。

 

「とりあえず、ここで野営にしようか。二人とも、準備手伝って」

「はいっ! お任せください!」

「……ん」

 

うみの指示に、ユエとシアがテキパキと動き出す。

うみは『カゴ』から、『天象儀の枝杖(アストロラーベ)』を取り出した。

先端に青い宝玉が浮かび、真鍮のリングが交差するこの杖は、ブルックの町に滞在していた際、うみの『アイテムリビルド』によって密かに改良が施されていた。

リングの一部に、小さな窪みが新設されていたのだ。

 

うみは同じく『カゴ』から、球状に加工しておいた青い石――『フェアドレン水晶』を取り出し、杖の窪みへとカチリとはめ込んだ。

この窪みにはめ込んだ素材の特性を、次に発動する魔法の術式へと強制的に付与・拡散させるギミックである。

 

うみは杖を構え、魔力を一気に注ぎ込み始めた。

彼は自らに『魔法行使時の完全詠唱』という縛りを科すことで、出力を爆発的に跳ね上げている。

大峡谷の静かな谷底に、うみの涼やかな、しかし絶対的な力を秘めた詠唱が響き渡った。

 

「――『外なる理を拒絶せし、不可侵の壁よ』」

杖の先端に浮かぶ青い宝玉の周囲に、淡く輝く一つ目の魔法陣――「結界」の陣が展開される。

 

「――天を巡る陽よ、安らぎの灯火となりて凍てを祓え」

続いて、赤く輝く二つ目の魔法陣――「火」の属性陣が重なるように浮かび上がる。

 

「――夜を統べる月よ、静謐なる涼風となりて熱を凪げ」

さらに、青く輝く三つ目の魔法陣――「氷」の属性陣が展開し、赤い陣と交差するように空中で複雑に絡み合う。

 

「――揺らぐことなき天の盾となりて、我らを守護する聖域と化せ――」

三つの魔法陣が空中で完全に融合し、巨大で精緻な複合魔法陣へと組み上がっていく。

四節に及ぶ長大な詠唱の完了。

同時に、窪みにはめ込まれたフェアドレン水晶が眩い青光を放ち、その本来持つ『そこそこの魔物避け』の特性が、魔力によってブーストされて魔法陣全体へと付与された。

 

「――〝星天の聖域〟」

 

うみは掲げていた杖を、野営地の中心となる地面へと力強く突き刺した。

 

ガァァンッ!!

 

直後、杖を基点として、淡い青色の半透明なドーム状の複合結界が一気に膨張し、広範囲をすっぽりと覆い尽くした。

結界魔法で内外を完全に隔絶し、火と氷の魔力で内部の温度を適温に自動調節し、さらに強力な魔物避けの効果を併せ持つ、極めて高度で力技な大魔法だ。

外の冷たい峡谷の風や、遠くで響く魔物の咆哮は完全に遮断された。

 

しかし、それを構築し終えたうみは、杖から手を離し、ふぅと少し疲れたような息を吐き出した。

 

「……さすがにこの環境での大魔術はしんどいね。これ一個張るだけで、魔力半分も持ってかれた」

 

ライセン大峡谷特有の『魔法が霧散する』という悪環境。

その性質は、発動した魔法を構成する魔力が極めて短時間で強制的に分解・拡散されてしまうという厄介極まりないものだ。

ただでさえ魔法を形として成立させるだけで通常の十倍の魔力を必要とする上、

一晩中結界を持続させるために『魔法の発動とは別に莫大な魔力を消費する代わりに、魔法そのものが霧散するのを防ぐ』という【縛り】を上乗せしている。

環境による基本デバフと、縛りによる超消費の二重苦により、規格外の魔力総量を誇るうみであっても、一気に総量の半分を持っていかれるほどの劇的な消費量となっていたのだ。

 

「すごい結界ですね! 外の冷たい風が全然入ってきません!」

「……匂いも音も。うみ、お疲れ様」

「うん。結界のおかげで気温は問題ないけど、さすがに地べたに寝るわけにはいかないからね。

俺がご飯を作るから、二人はテントの設営をお願いしていい?」

 

そう言って、うみは『カゴ』から野営用の道具一式を取り出した。

ただのテントと言うには少々大きすぎる、ちょっとしたコテージほどの広さがある立派な大型テント。

そして、組み立て式のベッドフレームと、青みがかった半透明の分厚いマットである。

 

「そのマット、素材にブルースライムを使ってるから、ウォーターベッドみたいで寝心地いいはずだよ」

「うぉーたーべっど……? わっ、ぷにぷにしててすっごく気持ちいいです!」

「……ん。反発力が絶妙……ダメになりそう」

 

テントの中でベッドを組み立てながら、スライムマットの感触に感動してポヨポヨと跳ねるシアと、こっそり身を沈めてとろけそうになっているユエ。

そんな微笑ましい二人にはそのまま設営を任せ、うみは夕食の準備に取り掛かる。

 

本日のメニューは、うみの現代知識と規格外の能力をフル活用した『クルルー鳥のフリカッセ』――平たく言えば、お洒落な鶏肉のホワイトソース煮込みである。

うみは『捌』を使って鶏肉(モドキ)や野菜を一瞬にして完璧な均等サイズにサイコロカットしていく。

呪術の恐るべき無駄遣いである。 そして、空中に魔法の火を浮かべ、温度を調節・維持。

野営地とは思えない、最新鋭のシステムキッチン顔負けの調理環境を単独で構築し、手際よく作業を進めていった。

 

やがて、結界の中にバターの香ばしい匂いと、濃厚なクリームの香りが食欲をそそるように漂い始めた。

 

「二人とも、ご飯できたよー」

「「はーい!」」

 

テントの設営を終えた二人がやってくると、うみは出来立てのフリカッセとパンを取り分けた。

 

「ん〜! うみくんのご飯、すっごく美味しいです!」

「……ん。クリーミー。お店出せる」

 

一口サイズに切られたホロホロの肉を頬張りながら、シアとユエが満足げに頬を緩める。

圧倒的な戦闘力に始まり、野営の素早い準備からプロ顔負けの料理の腕前まで。

この数時間で完璧すぎるうみの姿を次々と見せつけられ、シアは不思議そうにうみの顔を覗き込んできた。

 

「それにしても、うみくんって本当に何でもできちゃいますよね。

魔法もすごいし、お料理もプロ並みだし、あんな凄いベッドまで作れちゃうし……逆に、何ならできないんですか?」

「何ならって……そりゃ、できないことも普通にあるよ」

「……想像つかない」

 

ソースが染み込んだパンをモグモグと咀嚼しながら、ユエもシアの言葉に激しく同意するように何度も頷いている。

うみは少し考えるような素振りを見せた後、苦笑しながら答えた。

 

「俺が色々できるのは、どっちかっていうと俺の『体質』のおかげなんだよね。

だから、100%純粋な才能とか、生まれ持った素質だけで決まるようなことはできないよ」

「才能? 例えばどんなことですか?」

「例えば……そうだな、魔法が一番わかりやすいかな。

もし俺とユエの魔力量とか技術が全く同じだったとして、二人で同時に『炎』の魔法を使ったとするでしょ?

その場合、絶対にユエの魔法の方が強くなる」

「……適性の差?」

「そう。俺の魔法適性は『氷』と『雷』だけど、ユエは全属性だからね。

技術は真似できても、そういう『生まれ持った』ものは、どうやっても覆せない」

 

「……たいしつ?」

ユエが小首を傾げる。

 

「うん。普通の人は何度も練習して体に技術を覚えさせるでしょ? でも俺の脳はちょっと特殊でね。

一度経験したり見たりしたことなら、一晩寝るだけで、完全に『記憶』として脳に定着しちゃうんだ。

頭の中では『どうすればいいか』完璧に理解できてる状態になるってこと。

まあ、それを実際に体が動くようにするには時間と根気が必要だけどね。

でもゴールが完全に見えてるから、努力でどうにかなることなら、大抵のことは人より圧倒的に早く習得できるってだけだよ」

「一晩寝るだけで……完璧に記憶……!?」

「……ズルい。反則」

 

うみの口から明かされた、デタラメすぎるチート体質の正体。

二人は呆然と口を開け、手元のパンを落としそうになっていた。

 

夕食を終えた後も、三人は結界の中でリラックスした時間を過ごしていた。

 

「さて、それじゃあ明日に備えて寝ようか」

「はいっ! うみくん、おやすみなさーい!」

「……ん。おやすみ」

 

ふかふかのスライムベッドに身を沈めると、心地よい反発力が三人の身体を優しく包み込む。

過酷な大峡谷の底とは思えないほどの絶対的な安心感の中、彼らは泥のように深い眠りについた。

 

――翌朝。

 

三人は結界の快適な環境のおかげで、疲労を完全に抜いた状態で清々しい目覚めを迎えていた。

軽く朝食を済ませると、うみはテントとベッドを『カゴ』に収納し、地面に突き刺していた天象儀の枝杖を引き抜いて結界を解除した。

 

再び、大峡谷特有の冷たい風と、かすかな魔物の気配が肌を撫でる。

だが、万全の休息を取った三人の顔に不安の色はない。

 

彼らは再び、あのふざけた丸文字の看板と、岩壁に擬態した回転扉の前に立っていた。

 

「準備はいい? ユエ、シア」

「……ん!」

「はい!」

 

うみの問いかけに、二人は力強く頷く。

 

「それじゃあ――行こうか」

 

うみが壁を押し込み、重い音を立てて扉が回転する。

三人は、試練に挑むべく、ミレディ・ライセンの大迷宮へとその足を踏み入れた。

*1
言ってません

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