轟音の余韻が消え、粉塵が静かに舞い落ちる。
放射状にひび割れた浮遊ブロックの上で、ミレディ・ゴーレムだった残骸が転がっている。その中心で剥き出しになった赤い核は、シアの放った大槌によって完全に粉砕されていた。
「……やり、ました!やりましたよぉ!」
空中で一回転して着地したシアは、肩で荒い息を吐きながら、満面の笑みでサムズアップを作った。
うみはゆっくりと歩み寄り、そんな彼女へ向けて柔らかい笑みを向けた。
「お疲れ様。これで試験は合格だね」
「えへへ……!」
「実力自体は十分通用するよ。途中でちょいちょい危ないところはあったけど、それは単純な実戦経験の不足だからね。数をこなせばどうにかなる範囲だし。……普段の言動はアレだけど、さすがお姉ちゃん」
「お、お姉ちゃん……っ!」
うみからの真っ当な評価と、待ちに待った『ご褒美』の呼び名。
張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れたのか、シアはポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。
争いを好まない温厚な兎人族の彼女が、恐怖と動揺を押し殺し、大迷宮の最深部で強大なボスと渡り合ったのだ。その重圧は計り知れない。
「うぅ……っ、うみくぅんっ……!」
「はいはい、よく頑張りました」
泣きついてくるシアを、うみは真正面から受け止め、その背中をポンポンと軽く叩いてやる。
そこへ、ユエがトコトコと歩み寄ってきた。
彼女はうみの胸で泣きじゃくるシアを見下ろした後――ふう、と小さく息を吐いて、その青みがかった白髪をそっと撫でた。
「……ん。今回は特別。……よく頑張った」
「ユエさぁんっ! ありがとうございますぅ〜!」
シアはうみから離れると、今度はユエにヒシッと抱きついて泣き声を上げた。
普段なら「ウザウサギ」とあしらうユエも、今回ばかりは微かな労いの色を滲ませて、大人しく抱きつかせている。
そんな微笑ましい光景に、うみは柔らかく目を細めた。そして、スッと手を伸ばし、ユエの金糸の髪を優しく撫でる。
「ユエもお疲れ様。完璧な立ち回りだったよ。……流石だね」 「……んっ」
うみからの労いと撫でに、ユエはシアを受け止めたまま心地よさそうに目を細め、すりすりとその手にすり寄った。
そんな穏やかな空気が流れる中。
唐突に、砕けたミレディ・ゴーレムの残骸から声が響いた。
『あのぉ~、いい雰囲気のところ悪いんだけどぉ~、そろそろヤバイんで、ちょっといいかなぁ~?』
「「「……」」」
完全に沈黙したかと思われていたゴーレムの眼に、儚げな光が明滅している。
不意の事態にユエとシアがハッとして身構える。
『ちょっとちょっとぉ、大丈夫だってぇ〜。試練はクリア! 君たちの勝ち!
核の欠片に残った力で少しだけ話す時間をとっただけだよぉ〜。もう数分も持たないからさ』
警戒を解いたうみは、フラットな声で言葉を返す。
「なかなかにしぶといね。……また神様がどうのって話?」
うみの問いに、ミレディはあのウザったい口調を潜め、どこか感傷的で真面目なトーンへと変わった。
『言わないよぉ。言う必要もないからねぇ。話したい……というより忠告だね。
訪れた迷宮で目当ての神代魔法がなくても、必ず私達全員の神代魔法を手に入れること……君の望みのために必要だから……』
「元の世界に帰るのに、全部の神代魔法がいるってこと?」
『そうだよ……』
「でも、全部って言われてもね。他の迷宮の場所なんてほとんどわかんないんだけど。時間が経ちすぎて失伝してるみたいだし」
『あぁ、そうなんだ……そっか、迷宮の場所がわからなくなるほど……長い時が経ったんだね……うん、場所……場所はね……』
ミレディは、ポツリポツリと残りの七大迷宮の所在を語っていく。中には驚くような場所にあるようだ。
消滅を前にして素顔を見せた、一人の偉大な『解放者』。その真摯な言葉に、ユエとシアは神妙な面持ちで耳を傾けていた。
『以上だよ……頑張ってね』
「……もう、あのふざけたキャラ付けはいいの?」
うみは呆れたような、けれどどこか納得したような声で問いかけた。
道中のふざけた煽り文を見た時から、彼女が何かを覆い隠すために意図的に歪なテンションを作り上げていることは察していたからだ。
『あはは、あれはごめんね~。でもさ……あのクソ野郎共って……ホントに嫌なヤツらでさ……嫌らしいことばっかりしてくるんだよね。
……だから、少しでも……慣れておいて欲しくてね……』
「……うみは神様なんて興味ない。どうして戦うこと前提なの?」
うみの代わりに、ユエが怪訝そうに問い返す。
その問いに、ミレディは意外なほど真剣さと確信を宿した言葉で返した。
『……戦うよ。君たちが君たちである限り……必ず……君らは、神殺しを為す』
それは予言のような、確信に満ちた言葉。
それを受けたうみは、呆れたような、けれどどこか納得したように小さく息を吐いた。
「……まあ、そうなるだろうね」
「「え?」」
あっさりと肯定したうみに、ユエとシアが怪訝な顔で声を揃えた。
「うみくん、神様には興味ないんじゃ……」
「興味はないよ。でも、興味のあるなしは関係ないことに気づいてね」
うみは呆れたように肩を竦め、極めて論理的な推測を口にした。
「わざわざ別の世界から自分勝手な理由で買い付けた駒が、自分の盤上から出ていこうとしてるのを黙って見てるはずない」
「あ……」
「絶対に邪魔してくるに決まってる。俺が帰るための障害になるっていうなら、神様だろうと祓うしかない」
その冷徹で合理的な、けれど狂った神すらただの障害物として切り捨てる傲慢なまでの言葉。
ミレディは、それを聞いて楽しげな笑い声を漏らした。
『ふふ……あははっ! 最高だね……。それでいい……。
君は君の思った通りに生きればいい……君の選択が……きっと…………この世界にとっての……最良だから……』
いつしか、ミレディ・ゴーレムの残骸は青白い燐光に包まれ、蛍火のように淡い光となって天へと昇り始めていた。
ユエが一歩前に出た。
「……お疲れ様。よく頑張りました」
たった一人で長い時間を耐え抜いた者へ、同じく封印の孤独を知る彼女からのささやかな手向け。
ミレディは少し驚いたような間を置いた後、『……ありがとね』と穏やかに返し、
最後に『君達のこれからが……自由な意志の下に……あらんことを……』と言い残して、完全に光となって消滅した。
静寂の中、ユエとシアが余韻に浸るように光の軌跡を見上げている。
しかし、その美しい別れのシーンの裏で、うみだけはひどく冷めた目をしていた。
(……本当なら感動的なところなんだろうけど、これ、本人じゃないんだよなぁ……)
うみの『六眼』は、先ほどから魔力の流れを克明に捉えていた。
今まさに消えゆく光の裏側で、術式の本体とも呼べる魔力のコアが、壁の奥の隠し部屋へとスィーッと移動していくのが丸見えだったのである。
だが、ここで「まだ奥で生きてるよ」と突っ込んで二人の感動をぶち壊すのも野暮というものだ。うみはあえて空気を読み、黙秘を貫くことにした。
「……最初は最悪な人だと思いましたけど、一生懸命だったんですね」
「……ん」
しんみりと言葉を交わす二人。
そんな二人を眺めながら、うみは呆れたように小さく息を吐いた。
ここで「まだ奥で生きてるよ」と突っ込んで二人の感動を完全にぶち壊すのは野暮というものだ。
しかし、いつまでもこのままというわけにはいかないことと、
どうにも神妙な空気になりすぎていることには居心地の悪さを覚え、うみはあえて水を差すように口を開いた。
「……とりあえず、もういいかな? さっさと先に行こうよ。あのキャラ自体は演技だとしても、意地の悪さだけは絶対素だと思うし」
「ちょっと、うみくん。そんな感動的な別れをした人にムチ打つようなことを。ヒドイですよ。まったく空気読めないのはうみくんの方ですよ」
「……うみ、KY?」
感動の余韻を台無しにされたシアとユエが、非難のジト目を向けてくる。
普段ならまずあり得ない、少女二人からの揃ってのブーイング。
この集まりにおいて絶対的な保護者ポジションを確立しているうみにとっては、極めて珍しい光景だった。
当のうみはどこ吹く風と、やれやれと肩を竦める。
「先に行けば分かるよ」
そんな雑談を交わしていると、いつの間にか壁の一角が光を放っていることに気がついた。
気を取り直して、その場所に向かう。上方の壁にあるので浮遊ブロックを足場に跳んでいこうと、ブロックの一つに三人で跳び乗った。
と、その途端、足場の浮遊ブロックがスィーと動き出し、光る壁まで自動的に彼らを運んでいく。
「……」
「わわっ、勝手に動いてますよ、これ。便利ですねぇ」
「……サービス?」
勝手に運んでくれる浮遊ブロックにシアは驚き、ユエは首をかしげる。
しかし、うみだけは(魔力駆動なのにオートなわけない)と言わんばかりの呆れた目をしていた。
十秒もかからず光る壁の前まで進むと、その手前五メートル程の場所でピタリと動きを止める。
すると、光る壁はまるで見計らったようなタイミングで発光を薄れさせていき、スっと音も立てずに発光部分の壁だけが手前に抜き取られた。
奥には光沢のある白い壁で出来た通路が続いている。
ブロックは光る壁をすり抜け、白く輝く通路の奥へ、奥へと進んでいく。
やがて、オスカーの隠れ家で見たのと同じ、七つの文様が描かれた扉が現れ、自動で開かれた。
そして、その向こう側にいたのは――。
「やっほー、さっきぶり! ミレディちゃんだよ☆」
ちっこいミレディ・ゴーレムだった。
人間らしい華奢なボディに乳白色のローブを纏い、顔にはニコちゃんマークの白い仮面。
語尾に星を飛ばさんばかりのテンションで、三人の前に躍り出た。
「「…………」」
ユエとシアの感動が、文字通り音を立てて崩れ去った。
「あれぇ? テンション低いよぉ~? もっと驚いてもいいんだよぉ~? ドッキリ大成功ぉ~だね☆」
「……死ね」
「死んで下さい」
静かな、しかし確かな殺意が二人の少女から立ち昇る。
慌てたミニ・ミレディが「テヘ、ペロ☆」と火に油を注ぎ、ユエの魔法とシアの大槌が遠慮なく振り下ろされようとした。
だが、そのドタバタの裏で。
うみの様子が、明らかにおかしかった。
「……は?」
ぽつりと漏れた、信じられないものを見たような声。
うみの眼は、目の前で逃げ回っているふざけたミニ・ゴーレムの内側に、はっきりと『それ』を視認していた。
――魂。
これまで、うみはミレディが未だこうしていられることについて『残留思念』か、
あるいは『生体器官(脳など)をどこかで培養液に漬けて延命しているようなもの』だと予想していた。
だが、実際は違った。
人間の魂が、何の生体器官も持たない無機物であるゴーレムの器にピタリと定着しているのだ。
その事実が示すことは――。
(この世界の技術に……魂を弄る術式がある……?)
その可能性に思い至った瞬間。
うみの脳裏を過ったのは、史上最悪の呪霊。人間の悪意の象徴たる、ヒトの呪い――『真人』。
そして、他者の魂に触れ、その形を弄り、命を冒涜し尽くした最悪の術式『無為転変』。
うみの纏う空気が、一瞬にして氷点下へと急降下した。
普段はできるだけ外に出ないよう抑えている呪力が、無意識のうちに薄っすらと漏れ出し始める。
「や、やめてぇー! このボディは貧弱なのぉ!」
そんなふざけた悲鳴を上げながらドタバタと逃げ回るミニ・ミレディと、それを追い回すユエとシア。
その騒ぎの中心へと、うみは静かな足取りで近づいていった。
それに気付いたユエとシアが、少し期待したような顔で声をかける。
「うみくんもやりますか!?」
「……うみ、やる?」
だが、二人のウキウキした様子に反して。
「……ちょっと、どいて」
うみのひどく冷たく、静かな声に、二人はビクッと肩を揺らして動きを止めた。
いつもの飄々とした態度とは違う、張り詰めた殺気。戸惑う二人の前で、ミレディが勘違いして声を上げる。
「いや〜ありがとねぇ〜、助かったよぉ。でももちょっと早かったらーー」
「――なぁ」
ミレディのふざけた言葉を、うみの底冷えするような声音が遮った。
うみにしては本当に珍しい、粗暴で低い声。その一言だけで、部屋の空気が凍りつく。
「この世界には、魂をどうにかする術式があるのか?」
振り返ったうみの蒼い瞳は、完全に『呪術師』のそれだった。
その深淵を覗き込んだミレディは、ヒュッと息を呑んだ。
生物ーーゴーレムだがーーとしての本能が、目の前の少年に警鐘を鳴らしている。
「あ、あはは……。神代魔法の一つにね。『魂魄魔法』っていうのがあるんだよぉ……。
私がこうしてゴーレムに魂を定着させてるのも、その力で……」
「詳細は?」
気圧されながらも答えたミレディに対し、うみはさらに一歩詰め寄る。
ミレディはどうにかいつものペースを取り戻そうと、
「な、なになに〜? そんなに気になるのぉ? でもダメだよぉ〜! そういうのはちゃんとその迷宮を攻略して――」
「――答えろ。ミレディ・ライセン」
ズンッ! と、漏れ出した呪力の圧が部屋全体を押し潰すように重くのしかかった。
「ヒッ……!」
余りのプレッシャーに耐えきれなくなったミレディは、震える声で早口にまくし立てた。
魂魄魔法は、生物の魂や精神、魔力といった非物質に作用する魔法であること。
精神状態を整えたり、自らの意識を別のものに定着させたりすることはできるが、
肉体を変異させるような物理的な改変を行うものではないこと。
その詳細を聞き終えたうみは、じっとミレディを見下ろしたまま、小さく息を吐いた。
「……つまり、魂の形を弄って物理的にどうこうする、悪趣味なものではないと?」
「そ、そうだよぉ! ラーくんもそういうのやってなかったしできないんじゃないかなぁ」
数秒の沈黙。
やがて、部屋を満たしていた重苦しい呪力の圧が、スッと霧散した。
「……そう。ならいい」
うみの瞳から冷酷な光が消え、いつもの飄々とした、柔らかい表情が戻ってきた。
彼はそのまましゃがみ込むと、腰を抜かしているミレディの頭を、ポンポンと優しく撫でた。
「ごめんね、急に詰めて。……ちょっと、嫌なこと思い出しちゃってさ」
「へ……?」
「怖かったでしょ。ごめんごめん」
自身の呪力の影響力と、それが与えたであろう精神的な負荷を自覚しているからこそのフォロー。
ニコちゃんマークの仮面を撫でられ、ミレディは完全に毒気を抜かれたようにぽかんとしている。
ユエとシアも、突然のうみの豹変と元通りに戸惑いながらも、ホッと安堵の息を吐いていた。
(あの冷たい目……うみ、一体どうしたんだろ……)
(あんな恐ろしいうみくん、初めて見ました……)
先ほどの、空気が凍りつくほどの殺気と、見知らぬ『呪術師』としての底知れぬ顔。
二人の胸の内には聞きたいことが山ほどあった。
だが、あの普段の彼からは想像もつかないほどのナニカを垣間見てしまった直後では、恐れ多くて迂闊に口にすることはできなかった。
二人は交わした視線だけで、その疑問を心の奥底へと押し留める。
「さて。じゃあ気を取り直して……神代魔法、もらおうかな」
うみがいつもの調子で振り返ると、ミレディも慌てて立ち上がり「りょ、了解であります!」と敬礼して、部屋の中央にある魔法陣を起動させた。
魔法陣の上に立った三人の脳内に、直接『重力魔法』の知識と使用方法が刻み込まれていく。
数秒後、光が収まると、三人はそれぞれの適性を確認した。
「……うん、完璧」
ユエは元々の適性も相まって、十全に使いこなせる確信を得たようだった。
「うぅ……私は体重の増減くらいしかできないみたいですぅ……」
シアはガッカリとウサミミを垂れ下げている。
「うみはどう?」
「んー……俺もシアと似たようなもんかな。自身にかかる重力の倍率……つまり自重を弄る程度しかできなさそうだね」
うみは自身の手に視線を落とし、軽く肩をすくめた。
「まあ、普段のトレーニングの負荷上げに使えるから十分だけどね」
「ま、まだ強くなるつもりなのぉ!? さっき私のゴーレムに力負けしなかったのに!?」
その恐るべき腕力を目の当たりにしていたミレディが、信じられないものを見るような声を上げる。
だが、うみは当然のことのように飄々と返した。
「俺の目標は『最強』に並び立つことだからね。この程度じゃまだまだ全然足りないよ」
「「……?」」
その見知らぬ単語に、ユエとシアが不思議そうに小首を傾げる。
二人に向け、うみはどこか懐かしむような、それでいて決意を秘めた笑みを浮かべた。
「『最強』は孤独らしいんだよ。だから、俺がその隣を埋めるの」
「「「……」」」
彼の迷いのない言葉に、三人はそれぞれ言葉を失い、ただその横顔を見つめることしかできなかった。
しかし、当のうみは満足げにパンッと手を叩き、意図的に空気を切り替えるように、とびきり爽やかな笑顔を浮かべてミレディへと向き直った。
「ところで、攻略の証は? ここにもあるんでしょ?」
「あっ、うん! もちろんあるよぉ!」
うみの飄々としたペースに巻き込まれるように、ミレディは慌てて頷いた。
彼女は短い腕を虚空へ伸ばすと、空間がグニャリと歪む。
そこから、一本の杭が貫いた意匠の指輪――『ライセンの指輪』を取り出した。
「はい、これ。試練を突破した証の……って、どうしたのぉ?」
ミレディが指輪を差し出そうとした瞬間。
うみは指輪そのものではなく、ミレディが虚空からそれを取り出した現象そのものに、食い入るように目を輝かせていた。
「それって、宝物庫だよね?その中には地上じゃお目にかかれないような、神代のレアな素材とかも入ってたりしないの?」
「えっ、そりゃあまあ……迷宮の維持もしなきゃいけないからいっぱいあるけど。でも、戦闘職の君には無用の長物でしょ?」
ミレディは不思議そうに首を傾げた。 彼女の視点からすれば、先ほどのうみの戦い方は常軌を逸していた。
あの巨大なミレディ・ゴーレムの質量に対し真正面から物理で殴り合う化け物じみたフィジカルに加え、
迷宮の環境すら受けていないかのように見えるほどの規格外の大魔法。
どう考えても、彼の天職は前衛と後衛を極めた『魔法剣士』や、あるいは『勇者』といった、戦闘特化の最強職のはずである。
未加工の素材をもらっても使い道はないだろう。
しかし。
「何言ってんの? 俺の天職は『錬金術師』。正真正銘の生産職だよ」
うみはさも当然のように、しれっとそう言い放った。
その瞬間。
「嘘だぁぁぁッ!?」
ミレディの絶叫が、隠し部屋に木霊した。
ミレディは頭を抱え、ニコちゃんマークの仮面が剥がれ落ちそうなほどの勢いで後ずさる。
「れ、錬金術師ってあの!?」
「……ッ! 錬金術師を知ってるの!?」
ガシッ! と、うみが瞬時に距離を詰め、ミレディの小さな両肩を掴んで前後に激しく揺さぶった。
この世界に来てから数ヶ月、ようやく見つけた『錬金術』に関する生きた情報源。
普段の飄々とした態度はどこへやら、確かな手がかりへの興奮から瞳を爛々と輝かせている。
「ちょ、ちょっとぉ! 揺さぶらないでぇ!」
至近距離で迫ってくる、整いすぎた美しい顔立ち。
その見事なまでの美貌の圧と凄まじい勢いに、あのミレディでさえも抗議の声を上げながらも思わずドギマギとたじろいだ。
「な、なによぉ……。し、知ってるよ。
ほんの少しの間だけだったけど、私達と一緒に居たし……ふらっと現れて、ふらっといなくなったけど……」
「そっか。やっぱりこの世界にも錬金術師はいたんだ。……それで? どんな人だったの?」
「どんな人って……」
うみに問われ、ミレディはかつての記憶を思い返したのだろう。
仮面に眉毛はないはずなのだが、明らかに吊り上がったような気配を見せ、ギリッと歯ぎしりをした。
「いっつも煙草ふかして文句ばっかり言ってる、学者みたいな偉っそうな偏屈ジジイだよ!その後ろを歩く機械みたいな女の人も無表情で怖かったし!
魔法陣も使わずに凄い道具を作るからって、オーくんが師事したけど、魔法とは違う独自の『才能』が必要だからって挫折してたんだけど……ほんっとうに偉そうなやつでさぁ!」
まるで堰を切ったように始まる愚痴大会。
(常に煙草をふかす偏屈な学者のジジイに、無表情な機械の従者……。聞けば聞くほど、あの『真理の探求者コンビ』に似てるなぁ……)
もし本当に、あのゲーム通りの堅物で論理を重んじる性格をしているのだとすれば、ミレディとは水と油のごとく相性が悪かったに違いない。
この愚痴の勢いにも納得である。とうみは内心で深く頷いていた。
しかし、ひとしきり愚痴をこぼしたところで、ミレディはハッと我に返ったように首を振った。
「って、そんなことはどうでもいいんだよ! 確かにあの二人は強かったけど、君みたいに巨大ゴーレムを真正面からねじ伏せるような、無茶苦茶な戦い方はしなかったよ!」
その真っ当なツッコミに対し、うみはやれやれと呆れたように首を振った。
「ミレディ、知らないの?」
「な、なにを……?」
「錬金術師っていうのはね、杖一本でドラゴンを殴り倒す、超武闘派なんだよ?」
うみの脳内には、杖を振り回して魔物を粉砕する、某太もも錬金術師の姿が浮かんでいた。
「どんな生産職だよ!!」
激しくツッコミを入れ、パニックを起こすミレディ。
一方、ユエとシアは。
「あー……」
「……ん」
完全にツッコミを放棄し、暴れるミレディへ向けて生暖かい目を向けていた。
うみにとっては錬金術師=武闘派の式は当たり前の事実なのだが、常識からすれば異常らしい。
そんなドタバタとしたやり取りが一段落したところで、うみは改めて本題を切り出した。
「まあ、そういうわけだから。さっき言ってた宝物庫の素材、錬金術に使いたいから分けてよ」
「ええーっ!? さっき戦闘職には無用の長物って言ったから油断してたのにぃ!」
「ほら、偉大な先輩から後輩へのプレゼントってことで、気前よく譲ってよ」
「うぅ……まあ、いいけどさぁ。君たちは試練の達成者なんだし……」
渋々といった様子で、ミレディは虚空から次々と神代の希少な鉱石や素材を取り出していく。
うみはそれらを満足げに受け取り、『カゴ』の中へとポイポイと放り込んで収納していった。
「……よしっ、これで目ぼしいものは全部だよ! 大事に使ってよね!」
「うん、ありがと。助かるよ」
素材の受け渡しが完了し、ミレディはコホンと一つ咳払いをした。
ウザキャラのテンションを残しつつも、どこか先輩としての真面目さを滲ませて、三人を真っ直ぐに見上げる。
その小さな体から発せられるのは、数千年もの間たった独りで迷宮を守り抜いてきた『解放者』としての、どこかやり切ったような、静かな気配だった。
「…………」
うみは静かな瞳で、目の前の小さなゴーレムを見下ろした。
彼女がこの後どうなるかなど、少し考えればわかることだ。かつての仲間はもう一人もいない。
試練を与え、神代魔法という遺産を次代に託すという役割も終えた。
ならば、この薄暗い迷宮に取り残された彼女の末路は、カラダが朽ちるのを待つだけだ。
それが彼女自身で選んだ道であり、覚悟であるならば、黙って見送ってやるのが礼儀なのかもしれない。
だが――気が遠くなるほどの時をたった独りで耐え抜き、その末路が、この世界の人間ですらない異邦人にすべてを託しての退場とは。
それはあまりにも報われず、虚しい。
「それじゃあ、改めて! 偉大な先輩からのプレゼントも渡したことだし、いよいよ君たちの旅立ちだよぉ! 君達のこれからが、自由な意志の下に――」
「――一つ聞かせて」
「えっ?」
別れの挨拶の最中。
あえて空気を読まずに割り込んだうみの声からはからかいの色が消え、相手の芯を見透かすような、一切の誤魔化しを許さない静かな響きを帯びていた。
その変化を感じ取り、ミレディの仮面がピクッと動く。
「ここで俺たちを送り出して、その後は?」
「……」
うみの問いかけに、ミレディは答えない。いや、答えられなかった。
「ここで独り、その
「……」
それが彼女の行き着くであろう、確定した未来だったからだ。
痛いほどの沈黙が落ちる。しかし、うみは少しの間を置いた後、あえて土足で踏み込むような無遠慮な問いを投げかけた。
「……神とやらに一発入れてやらなくていいの?」
「ッ……」
その言葉に、ミレディの小さな体がビクンと跳ねた。
明らかに動揺を示した彼女を確認し、うみは容赦なく畳みかける。
「君たち『解放者』はそのために全てを投げうって、君はそのために、悠久の孤独に耐えてきたんじゃないの?」
「それは……」
「それとも、君たちがすべてを懸けたことは、無関係な人間に『後はお願い』なんて丸投げして任せることができる程度の、どうしようもない――」
「――君に何がわかるんだよ!」
うみの言葉を遮り、ミレディが激しく爆発した。
あのウザったいテンションは完全に消え失せ、そこにあったのは、数千年もの間ずっと押し殺してきたもの。
痛切で、生々しい感情の奔流。
「嫌に決まってるでしょ!? あんなクソ野郎に負けたまま、独りぼっちでこんな薄暗い場所で、この体が動かなくなるのをただ待ってるだけなんて!」
ゴーレムの体であるため、涙は流せない。
しかし、その声は悲痛に震え、彼女がどれほどの絶望を抱えてきたのかを痛いほどに物語っていた。
「でも、どうしようもないじゃないか……ッ! 私の仲間は、もう一人もいない!」
小さな両手を強く握りしめ、ミレディは叫ぶ。
「オーちゃんも、ナッちゃんも、メル姉も、ラーくんも、ヴァンくんも、リュティも……皆! 私を置いて死んじゃったんだよ!? 守るべき人たちに刃を向けられて、どうすることもできなくて!」
彼女たちの戦いは、決して報われるものではなかった。 人々を救うために立ち上がったのに、狂った神の策謀によってその人々から迫害され、刃を向けられた。仲間を失い、それでも前に進むしかなかった。
ひとしきり叫んだ後、ミレディは糸が切れたようにトーンダウンし、うなだれた。
「……悔しくて、仕方ないよ。……できることなら君の言う通り、アイツに一矢報いたい……」
それは、偉大な解放者の最後の一人が漏らした、あまりにも無力で悲しい本音だった。
その痛切な吐露を聞き届けたうみは、表情を変えることなく、ただ静かに視線を動かした。
空気になっていたユエとシアを横目で見やる。
二人とも、ミレディの悲痛な叫びに痛ましく目を伏せながらも、うみを見つめていた。
そして、示し合わせたように、無言でコクリと頷く。
(これは……そういうことで間違ってないよね?)
二人の無言の意思表示を受け取ったうみは、ゆっくりとミレディに向き直った。
「そんなミレディに吉報。丁度ここに、これから神に挑むことになるであろう一行がいるんだけど……どうする?」
あまりにもあっさりとした、けれど確かな『同行』の誘い。
ミレディは弾かれたように顔を上げた。しかし、すぐに見えない仮面の下で自嘲するように力なく首を振った。
「……誘ってくれるのは嬉しいけど。でも、無理だよ。
迷宮のギミックが使えない外に出たら、このカラダじゃ、ただの足手まといだもん。
重力魔法である程度戦えるだろうけど、神相手には到底届かないよ」
神を打倒するには、あまりにも脆弱すぎる自らの器。それが彼女の諦めの最大の理由だった。
しかし。
「おいおい……ボケるにはまだ早――いや、もう云千歳のおばあちゃんだったか」
「な、なにをー! レディに対してなんてこと言うんだよ!!」
突然の失礼極まりない煽りに、ミレディが条件反射で食って掛かる。
そんな彼女に対し、うみはやれやれと肩を竦め、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「忘れたの? 君の前にいるのは、『錬金術師』だぜ?」
「え……?」
「君が戦うためのカラダ……ホムンクルスや
うみには、『錬金術』ならばそれが成し得ると言う確信があった。
戦闘用の素体を作ることなど、技術的に全く問題ないと。
(黄昏の大地の前時代の錬金術師も、ソフィー・ノイエンミュラー一行もそれを成した。同じ技術を持つ俺にできない道理はない)
途方もないうみの言葉に、ミレディの仮面の下の瞳が見開かれる。
ゴーレムの体である彼女は、信じられないものを見るような様子で震えるように呟いた。
「……本当に? 私もアイツと戦えるの……?」 「まあ、流石に五感機能までつけるとなると、今すぐには無理だけどね」
うみが補足すると、そのやり取りを聞いていたユエとシアが不思議そうに首を傾げた。
「……戦うためのカラダさえあれば、問題ないんじゃない? 五感なんて必要なの?」 「そうかもしれないけどさ……」
うみはしゃがみ込み、ミレディの視線に高さを合わせるようにして、静かに、けれど強い意志を込めて告げた。
「どうせ神とやらの前に立つなら、できる限り『人間』に近い方がいいでしょ?」
「……ッ」
「だって、ミレディは――君たち『解放者』は、神に抗う『人間』なんだからさ」
それは、彼女の『解放者』としての在り方と矜持に対する、最大級の敬意。
兵器としてではなく、一人の人間として、因縁の神の前に立たせてやる。
そのうみの美学に満ちた言葉に、ミレディは完全に心を打ち抜かれた。
「……君はずるい人だね」
震える声でそう零したミレディの仮面は、どこか嬉しそうに、そして少しだけ熱を帯びて笑っているように見えた。
「……む」
と、そこで不意に、ユエがうみの服の裾をキュッと引っ張った。
見下ろせば、彼女はミレディへ向けて、警戒度を一段階上げたようなジト目を向けている。
(えー……。今の流れでなんで?)
うみは内心で本気で首を傾げた。
ただ先達の矜持を尊重し、人間としての敬意を示しただけの、極めて真面目な会話だったはずである。
一体このやり取りのどこに、ユエがミレディを警戒するような要素があったというのだろうか。
全くもって理解不能である。
だが、うみにはわからずとも、ユエのその鋭い視線が意味するものを正確に察知したのか。
ミレディはハッとして照れ隠しのようにブルブルと首を振り、ウザキャラのテンションを無理やり引っ張り出した。
「し、仕方ないなぁ! そこまで言うんだったら? この偉大な先輩を助けさせてあげなくもないよ?」
「……なんでそんな上からなの」
さっきまでのしんみりした空気はどこへやら、どこまでも不遜でふんぞり返った態度を見せるミレディ。
そのあまりの図太さに、うみはちょっとした悪戯をしてやることにした。
「やっぱこのウザ絡みおばあちゃんは置いていこうかな。ユエ、シア、帰るよ」
「「……ん(はい!)」」
「わーっ!? わーわーっ! 待って待って! 冗談! 冗談だからぁ!!」
息の合った三人が即座に背を向けて歩き出すと、ミレディが慌てふためいて縋り付いてきた。
うみが足を止めて振り返ると、ミレディはコホンと一つ咳払いをして、今度こそ真面目なトーンで、けれど声に確かな熱を帯びて告げた。
「……私を、連れて行って。絶対に、損はさせないからさ」
「……」
偉大な『解放者』の一人としての、確かな決意。
それを受け取ったうみは、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「よろしく、ミレディ」
「うんっ! じゃあ、ちょっと待ってて! このまま外に出るわけにもいかないから、少しだけ私物を回収してくるね!」
そう言うと、ミレディはトコトコと部屋の奥へと走っていった。
数分後、私物の回収を終えて戻ってくる。
「お待たせ! それじゃあ、いよいよ脱出しようか! 確かこの辺りに、私用のショートカットの仕掛けが……あったあった!」
ミレディは壁の一部を押し込んだ。
ガコンッ、という重い音が部屋に響く。
しかし、何も起こる気配はない。
「……あれ?」
ミレディが首を傾げた、その時。
ピクッ、とシアのウサミミが反応した。
「……うみくん、なんか地鳴りみたいな音が聞こえるんですけど……」
「地鳴り? いや、これは……」
うみも耳を澄ます。ドドドドド、という腹の底に響く轟音。
それは土砂崩れや地震の類ではなく、尋常ではない量の『水』が押し寄せてくる音だった。
「……水流の音だね。ミレディ、何のスイッチ押した?」
「……あ。ご、ごっめ〜ん☆ これ、侵入者を撃退用トラップのスイッチだったみたい!」
「「「は?」」」
次の瞬間、部屋の壁が四方から一気に崩れ落ちた。
そこから雪崩れ込んできたのは、まるでダムが決壊したかのような、問答無用の大激流。
「このポンコツッ!!」
「死んで下さい!」
「いやああああっ! わざとじゃないのぉぉぉっ!!」
ユエとシアの悲鳴と殺意、そしてミレディの情けない叫びがこだまする。
回避など不可能な全方位からの鉄砲水。
だが、その絶体絶命の濁流を前にして、うみだけは冷静だった。
「まったく……手のかかる先輩だこと」
呆れたように言葉を漏らした瞬間、うみの足元の『影』が蠢いた。
漆黒の影は瞬く間にうみたち四人を覆い隠し、完全な球体となって外部を遮断する。
直後、万トン単位の激流が影の球体を飲み込んだ。
「きゃあああああっ!」
「わあああああっ!」
球体の中は安全とはいえ、激流に流されてグルグルと回転する洗濯機状態である。
暗闇の影の中で、少女たちの阿鼻叫喚と、うみの深いため息だけが、ゴボゴボという水の音と共に迷宮へと吸い込まれていった。