ブルックの町を出発して三日目。フューレンへ向かう商隊の旅路は、ちょうど半分を過ぎたところだった。
道中、これといった襲撃もなく、うみたち護衛組が担当する後方は実にのどかなものである。
日が沈む前に野営の準備に入るというサイクルにも慣れてきたこの日も、特に何事もなく夕食の時間となった。
本来、商隊の護衛において、冒険者たちの食事は自腹かつ各自で用意するのが暗黙のルールだ。
野営で凝った食事を作れば荷物が増え、有事の際に邪魔になる。
そのため、任務中の冒険者たちは携帯食で手早く済ませ、町で報酬をもらってから美味いものを腹一杯食うのがセオリーなのだ。
だが、そんなセオリーなど、この規格外の三人(+一機)には全く通用しなかった。
「ふぅ……こんなもんかな。シア、そっちはどう?」
「バッチリですよぉ!」
うみは『カゴ』の空間収納から、鍋や調理器具、新鮮な野菜や肉、そして各種調味料を次々と取り出し、シアと一緒に手際よく夕食の準備を進めていた。
完成したのは、うみとシアの調理スキルが合わさった、野営とは思えないほど豪勢な『シチューモドキ』と香ばしい『串焼き肉』だ。
初日こそ、その光景を遠巻きに見ていた冒険者たちだったが、ふかふかのパンをシチューに浸し、ハフハフと熱々の食事を堪能するうみたちを見て、彼らの理性はあっさりと崩壊した。
涎を滝のように流し、血走った目で凝視してくる冒険者たちの視線に、さすがのシアも居心地が悪くなり、「お裾分けしましょうか?」と提案したのが運の尽きだった。
「カァーーッ、うめぇ! ホント、美味いわぁ〜、流石シアちゃん! もう、亜人とか関係ないから俺の嫁にならない?」
「ガツッガツッ、ゴクンッ、ぷはっ、てめぇ、何抜け駆けしてやがる! シアちゃんは俺の嫁だ!」
「はっ、お前みたいな小汚いブ男が何言ってんだ? 身の程を弁えろ。ところでシアちゃん、町についたら一緒に食事でもどう? もちろん、俺のおごりで」
「な、なら、俺はユエちゃんだ! ユエちゃん、俺と食事に!」
「ユエちゃんのスプーン……ハァハァ」
一度美味い飯の味を知ってしまった冒険者たちは、食事の時間になるたびにハイエナのように群がってくるようになったのだ。
最初は恐縮していた彼らも次第に調子に乗り始め、美味い飯を作ってくれるシアや、その美貌で周囲を圧倒するユエに対して、ことある毎に軽く口説くようになったのである。
そんな騒がしい男たちの一方で、少し離れた場所では別の熱を帯びた葛藤が繰り広げられていた。
業の深い『うみくん親衛隊』の面々である。
「くそっ……俺だって、俺だってうみくんと……! 一緒に食事して、なんなら一生養いたい……っ!」
「馬鹿やめろ! うみくんはみんなのうみくんだろ! 独り占めは〝めっ!〟 なんだぞ!
……うぅ、でもあんなに無防備にシチューを食べる姿……尊い……っ!」
「あぁっ、うみくんがこっちを見たわ! ダメよ私、これ以上近づいたら親衛隊の掟が……っ!」
男女問わず、血の涙を流しながら「独り占めしたい欲求」と「みんなのアイドルであるという戒め」の狭間で激しく葛藤し、悶え苦しんでいる。
遠巻きに向けられる熱視線と、ボソボソと聞こえてくる彼らの会話や反応から、うみは内心で(ちょっと鬱陶しいな……)と呆れつつも、あることに思い至った。
(……でも、ユエやシアみたいに直接絡まれないだけ、まだマシなのか?)
ユエやシアが直接的なアプローチを受けて鬱陶しい思いをしているのに対し、
自分には遠巻きに熱視線を送ってくるだけで誰も直接絡んでこない。
ブルックの町で見事に作り上げた「みんなのもの」という暗黙の了解が、彼らの理性を強固に縛り付けているのだ。
うみが築き上げた消し去りたい黒歴史は、ここに来て意外にもプラスの方向で機能しているようであった。
『ねぇねぇ、うみくん。あの子たちあんなに絡まれてるけど、あれはほっといていいのぉ?』
そんなうみの脳内に、声が響いた。
声の主は、ユエとシアが冒険者に囲まれているのをいいことに、ちゃっかりとうみの膝の上を確保しているミレディだ。
うみはスプーンを動かしながら、同じく念話で返す。
『まあ、あーいうのに関しては、あの二人の自由だからね。俺があれこれ口出しすることじゃないよ』
余程の問題や危険がなければ、あくまで本人の意思を尊重する。それがうみの基本スタンスだ。
だが、うみはスプーンをコトリと皿に置くと、シチューの入った器を見つめながら、ぽつりと――今度は念話ではなく、独り言としてこぼした。
「……まあ、恵先輩くらいの人じゃないと、認めないけどね」
『ん? めぐみせんぱい? 誰それぇ?』
うみの独り言は、距離的に近いうみの膝上にいるミレディにはバッチリ聞こえていたらしい。
すかさず飛んできた好奇心旺盛な念話に、うみはふわりと、どこか自慢げな笑みを浮かべて返した。
『俺が心から尊敬してる先輩。とってもかっこいい人だよ』
『へぇ〜……うみくんがそこまで言うなんて、相当な人なんだねぇ』
ミレディは感心したように相槌を打ったものの、見知らぬ「めぐみせんぱい」への興味はそこまでだったらしい。
彼女にとって、ユエやシアに邪魔されることなくうみを独占できる今の状況は、何よりも貴重なチャンスなのだ。
ミレディはうみの胸に背を預けていた姿勢からクルリと向き直ると、うみの胴にギュッと抱き着き、その小さな頭をぐりぐりと胸元に押し付けてきた。
うみは甘えてくる彼女に応え、空いた手で優しく頭を撫でてやる。
そんな時間を過ごしていた――その時だった。
「ねえねえ、ユエちゃんってば! 俺と――」
「……しつこい」「ヒィッ!?」
突如として、男の軽薄な声が、情けない悲鳴へと変わった。
うみが視線を向けると、冒険者たちに囲まれていたユエが、スプーンを持ったままゆっくりと立ち上がっていた。
その小さな体から立ち昇るのは、先ほどまでの穏やかな空気とは正反対の、絶対零度のプレッシャー。
うみとミレディが抜け駆けして二人きりの時間を過ごし、あまつさえ誰か謎の先輩の話をしていることを把握したユエ。
自分は鬱陶しい男たちに囲まれているという現状も相まって、その不満がついに限界を突破したのだ。
ユエの紅い瞳が、群がる冒険者たちを射抜く。
熱々のシチューモドキで体の芯まで温まっていたはずの冒険者たちは、一瞬にして氷水に突き落とされたような錯覚に陥り、ピタリと動きを止めた。
「……潰されたいのは、誰?」
「「「「「調子に乗ってすんませんっしたー!!!!!」」」」」
見事なハモリとシンクロした土下座で、冒険者たちは一斉に頭を地面に擦り付けた。
彼らの多くはベテランだが、そこに威厳など微塵もない。
ブルックの町で彼女らが行った『股間スマッシュ事件』の恐ろしさを想起したためである。
彼女に逆らうなど自殺行為。新たな人生(笑)への片道切符でしかないのだ。
ユエは、冒険者たちの土下座によってぽっかりと空いた包囲の隙間を抜け、真っ直ぐにうみの元へとやってきた。
そして、うみの膝の上を陣取って寛いでいたミレディをスッと横にずらすと、空いた片方の膝の上に自らがちゃっかりと陣取ったのである。
邪魔者を容赦なく弾き飛ばすかと思いきや、ミレディを放り出さずにうみのもう片方の膝に居座らせておくあたり、ユエも存外仲間に甘いようである。
ユエはうみの膝の上で何事もなかったかのように向き直ると、串焼き肉を手にしてスッと差し出した。
「……ん。あ〜ん」
「ん、ありがと。あー」
ユエの要求に、うみは全く躊躇うことなく口を開けて串焼きを受け入れる。
うみが咀嚼し、ゴクンと飲み込むまでを満足そうに見届けた後。
ユエはスッと空いた手を伸ばし、うみの手を取った。
そして、自分が持っていた串の持ち手部分をうみの手に握らせると、そのままジッとうみの顔を無言で見上げた。
「……?」
突然串を持たされ、うみは困惑して瞬きをする。
持たされた串と、真っ直ぐに見つめ続けてくるユエの紅い瞳とを数往復視線を往復させ……やがて、彼女が何を求めているのかを理解した。
「……あー」
「……ん」
うみが苦笑交じりに串の肉をユエの口元へと運ぶと、ユエは嬉しそうに目を細めてパクリと肉を咥え込んだ。
「あっ! 仲間外れはヒドイですよぉ!」
二人のやり取りを見ていたシアが、負けじと自分が焼いた串焼きを手にして割り込んでくる。
「ほら、うみくん! なにをユエさんにお世話されてるんですか!それはお姉ちゃんである私の役目なんですからね!?」
「……わかった、わかったから」
右からシア、左からユエ。二人の美少女に餌付けされる美少年。
その光景を、土下座の姿勢のままチラリと見せつけられた冒険者たちは、圧倒的な力関係により手出しできない虚しさを抱えつつ、
(頼むから爆発して下さい!!)と、内心で血涙を流すしかなかった。
***
時は経ち、フューレンまで残す道程が一日となった頃。
馬車の御者台の横で周囲を警戒していたシアのウサ耳が、ピクリと大きく反応を示した。
「……皆さん、止まってください! 森の中から、すごい数の足音が近づいてきます! ざっと……百以上!」
シアの兎人族特有の高い聴力が感知したその報告に、商隊に緊張が走る。
現在通っている街道は、森に隣接してはいるが其処まで危険な場所ではない。
何せ、大陸一の商業都市へのルートなのだ。道中の安全は、それなりに確保されている。
なので、魔物に遭遇する話はよく聞くが、せいぜい二十体前後、多くても四十体くらいが限度のはずなのだ。
「百だと!? こんな街道沿いにそんな大群が……くそっ、このままじゃ全滅だ。
護衛を二手に分けて、商隊だけでも逃がすか……!」
護衛隊のリーダーであるガリティマは、そう悪態をつきながら苦い表情をする。商隊の護衛は、全部で十五人。
ユエとシア、戦闘ができるか定かではないゴーレムのミリィを入れたとしても十八だ。
この人数で、商隊を無傷で守りきるのはかなり難しい。
ガリティマが、いっそ隊の大部分を足止めにして商隊だけでも逃がそうかと考え始めた時、その考えを遮るように提案の声が上がった。
「迷ってるなら、俺がやるけど?」
「えっ?」
ちょっとおつかいにでも行くような気軽さで放たれた提案に、思わず、間抜けな声で聞き返してしまう。
「そっちに案がないなら俺が全部片づけてくるって言ってるんだけど……」
「い、いや、それは確かに、このままでは商隊を無傷で守るのは難しいのだが……えっと、出来るのか?
このあたりに出現する魔物はそれほど強いわけではないが、数が……」
あまりにも軽い調子に、ガリティマが信じられないというように聞き返す。
しかし、うみは事も無げに言葉を返した。
「あの程度なら何体いようが同じでしょ」
圧倒的な力の前には、有象無象の群れなど意味を成さない。
うみとあの魔物の群れとの間にはそれほどまでの隔絶が存在するのだ。
うみは内心で、(新しい道具の実験台にちょうどいい)と、自ら魔物の群れを片付けるつもりでいた。
だが、その時、隣に座っていたユエがツンツンとうみの服の裾を引いた。
「……私がやる」
「ん? ああ……」
ユエの真っ直ぐな視線を受け、うみはその申し出の理由を察する。
(そういえば、ここ最近満足に魔法を使えてないのか)
つい最近と言えば、ライセン大峡谷および、ライセン大迷宮の攻略に乗り出していた。
あの場所は魔法の分散作用が働いていたため、ユエは相当窮屈だっただろう。
攻略が終わった後も、特にどこかへ行くわけでもなく、ブルックの町に滞在。
この護衛依頼に関しても、特に大きな戦闘があったわけではなく、ユエが思いっきり魔法を使える機会が全くなかったのだ。
つまり、今のユエは相当鬱憤がたまっている。
それを察したうみは、仕方なしとユエに任せることにした。
「そういうわけで、ユエがすぐ終わらせてくれるから」
うみがガリティマにそう告げると、ガリティマは半信半疑ながらも、彼らの底知れない実力にかけて初撃をユエに任せる決断を下した。
馬車の屋根の上。
魔物の大群が森を抜け、土煙を上げて迫ってくるのを視界に収めながら、うみは隣に立つユエに小声で指示を出した。
「一応、適当に詠唱してね。後がめんどくさいから」
「……詠唱……詠唱……?」
「……そういえばしたことないんだったね。適当にそれっぽい言葉を並べとけば大丈夫だよ」
「わかった」
そんなやり取りをしていると、シアから「接敵、十秒前ですよ~」と報告が入る。
ユエは、右手をスっと森に向けて掲げると、透き通るような声で詠唱を始めた。
「彼の者、常闇に紅き光をもたらさん、古の牢獄を打ち砕き、障碍の尽くを退けん、
最強の片割れたるこの力、彼の者と共にありて、天すら呑み込む光となれ、〝雷龍〟」
ユエの詠唱が終わり、魔法のトリガーが引かれた。
その瞬間、詠唱の途中から立ち込めた暗雲より雷で出来た龍が現れた。
その姿は、蛇を彷彿とさせる東洋の龍だ。
「な、なんだあれ……」
それは誰が呟いた言葉だったのか。
目の前に魔物の群れがいるにもかかわらず、誰もが暗示でも掛けられたように天を仰ぎ激しく放電する雷龍の異様を凝視している。
護衛隊にいた魔法に精通しているはずの後衛組すら、見たことも聞いたこともない魔法に口をパクパクさせて呆けていた。
そして、それは何も味方だけのことではない。
森の中から獲物を喰らいつくそうと殺意にまみれてやって来た魔物達も、商隊と森の中間あたりの場所で立ち止まり、
うねりながら天より自分達を睥睨する巨大な雷龍に、まるで蛇に睨まれたカエルの如く射竦められて硬直していた。
そして、天よりもたらされる裁きの如く、ユエの細く綺麗な指タクトに合わせて、
天すら呑み込むと詠われた雷龍は魔物達へとその顎門を開き襲いかかった。
ゴォガァアアア!!!
「うわっ!?」
「どわぁあ!?」
「きゃぁあああ!!」
雷龍が、凄まじい轟音を迸らせながら大口を開くと、何とその場にいた魔物の尽くが自らその顎門へと飛び込んでいく。
そして、一瞬の抵抗も許されずに雷の顎門に滅却され消えていった。
圧倒的な蹂躙劇。
雷龍が暴れ回る光景を屋根の上から見下ろしながら、魔法の構造を読み解き、ミレディへと念話を送る。
『どう? あの子の重力魔法の出来栄えは?』
『……すごいなんてものじゃないね。重力魔法を覚えてからまだ二週間だよ?』
重力魔法の元祖たるミレディをして、その魔法センスに驚嘆の声を上げさせるほどの完成度だった。
一方、あまりにも非現実的で圧倒的な魔法の威力を目の当たりにした冒険者たちは、完全にパニックに陥っていた。
「ま、魔法が生きてる!」「ユエちゃんは女神だ!」と、完全に現実逃避を始めている。
その惨状を見回し、うみは「……ちょーっとやり過ぎかなぁ」と苦笑いを浮かべるしかなかった。
壊れて「ユエさま万歳!」などと叫び出した冒険者たちの中で、唯一まともな理性を保っていたリーダーのガリティマが、盛大なため息を吐きながら馬車へと近づいてきた。
「はぁ、まずは礼を言う。ユエちゃんのおかげで被害ゼロで切り抜けることが出来た」
「別に。そもそもこれが仕事なんだから礼は不要でしょ。ね?」
「……ん、仕事しただけ」
「はは、そうか……で、だ。さっきのは何だ?」
ガリティマが困惑を隠せずに尋ねてくる。
「……オリジナル」
「オ、オリジナル? 自分で創った魔法ってことか? 上級魔法、いや、もしかしたら最上級を?」
「……創ってない。複合魔法」
「複合魔法? だが、一体、何と何を組み合わせればあんな……」
「……秘密」
「ッ……それは、まぁ、そうだろうな。切り札のタネを簡単に明かす冒険者などいないしな……」
深い溜息と共に、追及を諦めたガリティマ。ベテラン冒険者なだけに、その辺りの暗黙のルールには敏感らしい。
肩を竦めた彼は、未だに「女神!」と騒ぎ立てている壊れた仲間たちを正気に戻しにかかった。
(このままでは〝ユエ教〟なんて新興宗教が生まれかねない……ガリティマさんには是非とも頑張ってもらわないと)
うみはそんなことを人ごとのように考えつつも、ふと気づく。
大変不本意ながら結成されている自身のファンクラブも準宗教のようなものなので、今更一つ増えたところで誤差かもしれない、と。
うみがそんなくだらない思考を巡らせながら、未だに「女神!」と現実逃避を続ける冒険者たちを半眼で眺めていると、
ふと、新たな反応がうみの感知範囲に入ってきた。
反応の方へと視線を動かし直接視認すると、ため息を一つ吐き、彼はパニック状態の護衛たちに冷や水を浴びせるように声をかける。
「現実逃避してるとこ悪いんだけど、もう一波来るから構えた方がいいんじゃない?」
うみの声に、ビクッと肩を震わせた冒険者たちが慌てて周囲を見回す。
しかし、シアはピンとウサ耳を立てたまま、不思議そうに首を傾げた。
「でもうみくん、何の音もしないですよ?」
「ここで覚えとくといいよ。音もなく近づいてくるやつは割といるってことをね」
うみは教え諭すように告げ、スッと上空を指差した。
釣られて全員が空を見上げる。すると、雲の切れ間から数十体の魔物の群れが、こちらに向かって滑空してきているのが見えた。
フクロウのような姿をしたその魔物たちが、羽音一つ立てずに迫ってきている。接敵まであと一、二分といったところだ。
うみは冒険者たちを横目に、隣のユエに問いかけた。
「こっちはもらってもいい?」
「……ん。どうぞ」
ユエの同意を得ると、うみはガリティマに向かって「一手目はもらうね」と声をかけ、シアを自分の元へ手招きした。
「うみくん、私がやるんですか?」
「うん。これ使ってみて」
うみは『カゴ』の空間収納から、青白い液体の入った試験管のような瓶を取り出し、シアに手渡した。
「届く距離になったら、あの群れの真ん中にいるやつにコレを投げつけてくれる?」 「はいっ! お任せください!」
やがて、無音の暗殺者たちが上空から射程圏内に入った瞬間。
「いきますよぉ! えいっ!」
シアが渾身の力で瓶を投擲する。
一直線に飛んでいった瓶は、見事に群れの中央を飛んでいた魔物に直撃し、パリンッと甲高い音を立てて砕け散った。
その瞬間、四方八方へと蜘蛛の巣状の強烈な雷撃が炸裂した。
「ギャァアアアッ!?」
空を飛んでいた魔物たちは雷撃の直撃を受け、次々とボトボトと地面へ落下していく。
中心部から離れた位置を飛んでいた数体は即死こそ免れたものの、落下の衝撃と感電による麻痺で完全に動きを鈍らせていた。
「はい、あとは落ちてきたやつらを片付けるだけだよ」
うみがパンパンと手を叩いて促すと、我に返ったガリティマたち護衛の冒険者たちも慌てて武器を構え、無力化された残党の掃討へと向かった。
***
戦闘終了後。魔物の死骸の処理もそこそこに、シアが興奮気味にうみの元へ駆け寄ってきた。
「うみくん! さっきの瓶はなんですか!?」
その声に、ガリティマたち冒険者も興味津々といった様子で聞き耳を立てる。
「あれはね、魔法を液体に閉じ込めたものだよ」
「魔法を、液体に……?」
「そう。中に入ってる液体が空気中の魔力に触れた瞬間、炸裂する仕組みになってるんだ。
詠唱も魔法陣もいらないし適性も関係ない。作るとき以外、魔力を使わないから亜人でも魔法が使える仕組みになってる」
「へぇ~! それなら私も魔法で戦えますね!」
目を輝かせるシアに、うみは人差し指を立てて注意を促す。
「ただし、衝撃ですぐ割れるように作ってあるから、持ち運びには細心の注意が必要だけどね。
あと、作るのにめちゃくちゃコストがかかるんだ」
うみはもっともらしい顔でそう告げながら、内心で(材料はただの瓶と水だから嘘だけど)と付け足す。
だが、それはあながち嘘とも言い切れない。
このアイテムは、うみが錬金術と生成魔法を駆使して作成したものだ。
生成魔法の効果とは「無機物に魔法を付与する」ことである。
しかし、うみが色々と試行錯誤した結果わかったのは、付与されるのは「魔法そのもの」ではなく、あくまで「魔法の効果」のようであった。
例えば、先ほどのユエの『雷龍』。雷を落とし、重力場を作るという「魔法効果」を付与することは可能だろう。
だが、それを龍の形に象り、軌道を操作するなどといった離れ業は、純粋にユエの魔法コントロールの賜物である。
道具に付与した場合、おそらく着弾地点に重力場が発生し、そこ周辺へ無差別に雷が降り注ぐといった大味な効果になる。
しかし、うみは『対象の魔法を使用するのに必要な魔力の五倍を消費する』という縛りを設けることで、術者の技能が介在する「魔法事象そのもの」を液体に閉じ込めることを成り立たせていた。
うみの規格外の魔力量があるからこそやすやすと成り立つ芸当であり、魔力消費という点において「非常にコストが高い」というのは、決して間違ってはいない事実であった。
うみの種明かしと、その常識外れな効力――そして、莫大だというコストの真実を知らない護衛や商隊の一行は、彼ら三人に対して更なる畏怖の念を抱きながらその歩みを再開した。
***
ユエとうみが全ての商隊の人々と冒険者達の度肝を抜いた日以降、特に何事もなく、一行は遂に中立商業都市フューレンに到着した。
フューレンの東門には六つの入場受付があり、そこで持ち込み品のチェックをする。
うみ達もその内の一つの列に並んでいたが、順番が来るまでしばらくかかりそうだった。
馬車の屋根では、ユエとミレディがうみの膝枕で気持ちよさそうに目を閉じ、シアがその傍らに侍るようにして寛いでいる。
そんなうみ達のもとへ、商隊の責任者であるモットーがやって来た。
若干、呆れ気味に屋根の上の光景を見上げる彼に、うみは軽く頷いて屋根から飛び降りた。
「まったく豪胆ですな。周囲の目が気になりませんかな?」
モットーの言う周囲の目とは、毎度お馴染みのうみに対する嫉妬と羨望の目、そしてユエとシアに対する感嘆と嫌らしさを含んだ目だ。
流石は大都市の玄関口、単純な好色だけでなく、利益も絡んだ値踏みするような視線も多い。
「まぁ、鬱陶しいけど仕方ないでしょ。気にするだけ無駄だし」
肩を竦めるうみに、モットーは苦笑する。
「フューレンに入れば更に問題が増えそうですな。やはり、彼女を売る気は……」
さりげなくシアの売買交渉を申し出るモットーだったが、うみの半眼のジト目による無言の圧力を受け、両手を上げて降参のポーズをとった。
「……そんな話をしに来たわけじゃないでしょ?」
「ええ、本命は別です。貴方の持つアーティファクト、やはり譲ってはもらえませんか?
それか商会に来ていただければ、一生遊んで暮らせるだけの給与をお支払いしますよ」
野営中にうみが空間収納から次々と物を取り出す光景を見ていたモットーは、商人として狂的なまでにうみの持つアイテムの恩恵に預かりたがっていた。
しかし、うみはやれやれと首を振る。
「前にも言ったけど、俺が持ってるのは俺が使いやすいように調整してあるか、使うのにコストが馬鹿高いものばかりなんだよ。
君らがまともに扱えるものはほとんど――」
「それでもッ! どうかそこを曲げて……!」
なおも食い下がるモットーの熱意に、うみは「仕方ないなぁ」と溜息をつき、空中に展開した『カゴ』の中を探り始めた。
(売って意味がありそうなもの、ね……)
やがて、うみは空間収納の中から一つのブレスレットを取り出した。
青い光を放つ拳大の結晶を加工して作られた装飾品。それは以前、ハルツィナ樹海でフェアベルゲンを訪れた際、うみがちゃっかりと拝借してきた『フェアドレン水晶』を用いて作ったものだ。
「これなら君らでも使えると思うよ」
「ほほう、それは?」
「魔物除けのブレスレット。そこそこの効力で、この護衛依頼中に寄ってきた程度の魔物なら、ほぼ寄ってこなくなるくらい」
「なっ……!?」
モットーが驚愕に目を見開く。
「絶対に寄り付かないわけじゃないし、長期使用はまだ試したことないから、値はそっちで決めていいよ」
うみがブレスレットをふわりと放り投げると、モットーは慌てて、しかし壊れ物でも扱うように丁重にそれを受け取った。
その効果と現物を目の当たりにしたモットーは、護衛費用の削減や安全な物流ルートの確保など、商人としてその絶大な価値を瞬時に理解し、顔を紅潮させて狂喜した。
「素晴らしい! ええ、ええ! 破格の値段で買い取らせていただきますとも!」
いい買い物をしたモットーは、ホクホク顔でブレスレットを懐にしまうと、ふと表情を引き締めた。
「この素晴らしい取引のついでと言っては何ですが……一つ、忠告をしておきましょう」
「忠告?」
「ええ。先日の魔物襲撃の際、ユエ殿が放った魔法ですが……あれが『竜』を模していることは、あまり公言しない方がいいでしょう」
モットーによれば、竜、とい竜人族は人にも魔物にも成れる半端者であり、神を信仰しない不信心者として、教会から激しく異端視されているらしい。
「教会の権威主義者には面白くない存在というわけです。まぁ、竜というより蛇という方が近いので言い逃れはできるでしょうが」
「なるほどね。あんた、そんなこと言って不信心者と思われるよ?」
「私が信仰しているのは神であって、権威をかさに着る”人”ではありません。人は皆、”客”ですな」
「……根っからの商人だね。逞しいよ」
実利を重んじるモットーの商人魂に、うみは呆れつつも苦笑をこぼした。
「ご入り用の際は、是非我が商会をご贔屓に」
上機嫌に一礼し、前列へ戻っていくモットー。
彼が去った後も、ユエとシアに向けられる欲望の視線は一向に収まる気配がない。
むしろ、都市に入ることでさらに強まっている気さえする。
(……ホント、この子らは目立つなぁ)
自身に向けられている周囲からの視線を綺麗さっぱり棚に上げ、うみは美少女二人のあまりの目立ちっぷりに呆れつつ、盛大なため息をつくのだった。
***
中立商業都市フューレン。
高さ二十メートル、長さ二百キロメートルの外壁で囲まれた大陸一の商業都市だ。あらゆる業種が日々しのぎを削り合い、出入りの激しさは大陸一と言えるだろう。
そんなフューレンの中央区にある冒険者ギルド・支部に、モットーの商隊と別れたうみ達はやって来ていた。
「そういうわけなので、一先ず宿をお取りになりたいのでしたら観光区へ行くことをオススメしますわ」
現在、ギルド内に併設されたカフェで軽食を取りながら、うみ達は『案内人』の女性・リシーから都市の基本事項や宿についての説明を受けていた。
「なるほどね。じゃあ観光区で探そうかな。条件としては……部屋が広いこと。
あとはお風呂があれば文句はないかな。立地は問わないけど……あとは、責任の所在が明確な場所がいい」
リシーは、最初の二つの要望には「うんうん」と頷き、脳内でオススメの宿をリストアップしたようだが、続くうみの言葉で「ん?」と首を傾げた。
「あの~、責任の所在、ですか?」
うみは苦笑しながら説明を付け足した。
「そうだな~。例えばなんだけどさ、何らかの争いごとに巻き込まれたとして、こちらが完全に被害者だった時に、宿内での損害について誰が責任を持つのかとかね。
どうせならいい宿に泊まりたいけど、それだと備品なんか高そうでしょ? 後から賠償だ―って言われてもめんどくさいし」
「え~と、そうそう巻き込まれることはないと思いますが……」
困惑するリシーにうみは困った顔をする。
「普通ならそうなんだけど……見ての通りうちの子たちは目立つからね」
うみの言葉に、リシーは両脇でうまうまと軽食を食べるユエとシアへ視線を向ける。
二人とも、ギルド内の荒くれた男たちからねっとりとした欲望の視線を向けられている。
特にシアは兎人族だ。他人の奴隷に手を出すのは犯罪だが、欲望に目が眩んだ輩が強行に出ないとも限らない。
「しかし、それなら警備が厳重な宿でいいのでは? そういうことに気を使う方も多いですし、いい宿をご紹介できますが……」
「う~ん。それでもいいんだけど、世の中話の通じない人は多いからね。
警備じゃどうしようもないときに制圧を許してくれるとこがいいんだよ。まあこれは〝出来れば〟くらいでいいよ」
「せ、制圧ですか……なるほど、それで責任の所在なわけですか」
完全にうみの意図を理解したリシーは、案内人としてのプロ意識から、やる気に満ちた表情で頷いた。
そして、ユエとシアの方に視線を転じ、二人にも要望がないかを聞いた。
「……お風呂は混浴、貸切が必須」
「えっと、大きなベッドがいいです」
ユエとシアの要望を聞いた瞬間、リシーの頬が僅かに赤くなった。
二人の要望を組み合わせれば、自然とその意図が透けて見えたからだ。
実際のところ、この三人にそんな思惑など微塵もない――ユエだけは少々怪しいところだが――ため、完全にリシーの勝手な妄想なのだが。
リシーはチラチラとうみ達を交互に見ながら「承知しましたわ」とすまし顔で了承する。
そんな和やかなやり取りをしていた矢先のことだった。
不意に、シアとユエに対してこれまでで一番不躾で、粘着質な視線が向けられた。
視線の主は、体重が優に百キロは超えていそうな肥えた体に脂ぎった顔をしたブタ男だった。
身なりだけは良いようで、遠目にも高級とわかる服を着ている。
そのブタ男が、重そうな体をゆっさゆっさと揺らしながら、うみ達のテーブルへと近づいてきた。
「げっ!」
案内人のリシーが思わずはしたない声を上げる。
ブタ男はテーブルの傍まで来ると、ニヤついた目でユエとシアを舐め回すように見やり、うみに対して傲慢な態度で要求を突きつけた。
「お、おい、ガキ。ひゃ、百万ルタやる。この兎を、わ、渡せ。
それとそっちの金髪はわ、私の妾にしてやる。い、一緒に来い」
ドモリ気味のきぃきぃ声でそう告げ、ブタ男がユエに触れようと汚い手を伸ばした、その瞬間。
「……うちの家族を、なんだって?」
うみから、静かだが決定的な怒気が放たれた。
ピンポイントでその重圧を浴びたブタ男は、「ひぃ!?」と情けない悲鳴を上げて尻餅をつき、そのまま股間を濡らし始めた。
周囲のテーブルの男たちも、余波だけで青ざめて後ずさる。
「……場所を変えようか」
うみが呆れたように席を立とうとした直後、大男がうみ達の進路を塞ぐように立ち塞がった。
ブタ男とは違う意味で百キロはありそうな、全身筋肉の塊のような歴戦の戦士だ。
「そ、そうだ、レガニド! そのクソガキを殺せ! 嬲り殺せぇ! い、いいからやれぇ! お、女は、傷つけるな! 私のだぁ!」
「了解ですぜ、坊ちゃん。おう、坊主。わりぃな、俺の金のためにちょっと半殺しになってくれや。
なに、殺しはしねぇよ。まぁ、嬢ちゃん達の方は……諦めてくれ」
周囲のヒソヒソ声から、この男がランク〝黒〟の冒険者『暴風』のレガニドだと知れる。
〝黒〟と言えば、上から三番目のランクであり相当な実力者ということだ。
うみは「めんどくさいなぁ」とため息をつき、前に出ようとした。
しかし、それを制止するようにユエが立ち上がる。
「……うみ、待って。私達が相手をする」
「えっ? ユエさん、私もですか?」
「ガッハハハハ! 嬢ちゃん達が相手をするだって? 何だ、夜の相手でもして許してもらおうって『……黙れ、ゴミクズ』ッ!?」
レガニドの下品な言葉は、ユエの神速の風刃によって頬を切り裂かれ、強制的に中断された。
プシュと小さな音を立てて血が滴り落ちる。レガニドはユエの言葉通り黙り込んだ。魔法が速すぎて全く反応できなかったのだ。
ユエは何事もなかったように、うみに向けて話を続ける。
「……私達がただ守られるだけのお姫様じゃないって、周知させる」
「ああ、なるほど。私達自身が手痛いしっぺ返し出来ることを示すんですね」
「……そう。せっかくだから、これを利用する」
ユエは厳しい目を向けているレガニドを指差した。
「まあ、いいけど……やり過ぎたらダメだよ?」
少々の間を置き、承諾と念押しをするも、ユエとシアは「わかってる」「任せてください」と生返事だ。
(……ほんとに分かってるのかなぁ) 内心で呆れつつ、うみは「ほらミリィ。危なくなるからこっちおいで」と、
テーブルの上に座っていたミレディをヒョイと抱き上げ、少し後ろへ下がる。
このゴーレムに危険はなく、このパーティのマスコット枠だと周囲に刷り込むためのポーズである。
ユエは、うみが下がったのを確認すると、隣のシアに先にいけと目で合図を送る。
それを読み取ったシアは、腰に提げていた小槌に手を伸ばした。
握りしめた瞬間、小槌は持ち主であるシアの意思に呼応し、瞬時にその質量とサイズを爆発的に膨張させる。
あっという間に身の丈に迫る『超重量級の戦槌』へと姿を変えたそれを、シアはまるで重さを感じさせずに一回転させて手に収めた。
「ほう、面白い玩具を持ってるみたいだが……おいおい、兎人族の嬢ちゃんに何が出来るってんだ?
雇い主の意向もあるんでね。大人しくしていて欲しいんだが?」
ユエから目を離さずにレガニドはシアに告げる。しかし、シアはレガニドの言葉を無視するように、逆に忠告をした。
「腰の長剣。抜かなくていいんですか? 手加減はしますけど、素手だと危ないですよ?」
「ハッ、兎ちゃんが大きく出たな。坊ちゃん! わりぃけど、傷の一つや二つは勘弁ですぜ!」
レガニドは、シアは大して気にせずユエに気を配りながらブタ男に断りを入れる。
だが、彼は気が付くべきだった。常識的に考えて、愛玩奴隷という認識が強い兎人族が戦鎚を持っていることの違和感に。
相応の実力が垣間見えるうみとユエが、初手を任せたという意味に。
既に言葉はないと、シアは千鈞を腰だめに構え……一気に踏み込んだ。
次の瞬間にはレガニドの眼前に出現する。
「ッ!?」
「やぁ!!」
可愛らしい声音に反して豪風と共に振るわれた超重量の大槌が、レガニドの胸部に迫る。
直撃の寸前、レガニドは辛うじて両腕を十字にクロスさせて防御を試みるが……
(重すぎるだろっ!?)
踏ん張ることなど微塵もかなわず、咄嗟に後ろに飛んで衝撃を逃がそうとするも、スイングが速すぎてほとんど意味はなさない。
グシャ!
そんな生々しい音を響かせながら、レガニドは勢いよく吹き飛び、ギルドの壁に背中から激突した。
(……あれ?)
一部始終を後ろで見守っていたうみは、小首を傾げた。
ランク〝黒〟――上から三番目の実力者だと聞いていたため、いくら相手の油断があったとはいえ、もう少しやるものだと思っていたのだ。
あっさりと吹き飛んだ巨漢を見て、うみは(もしかして、ランク黒って大したことない?)と根本的な基準を疑い始めていた。
一方で、轟音と共に肺の中の空気を余さず吐き出したレガニドは、揺れる視界の中に拍子抜けしたようなシアの姿を見る。
「まさか手加減されてなお拍子抜けされるとは」と笑うしかなく、立ち上がろうとして激痛に顔を歪めた。
ひしゃげたように潰れた自分の腕が見えた。
幸い潰されたのは片腕だけで、レガニドは痛みを堪えながら何とか立ち上がる。
だが、立ち上がった事は果たしていい事だったのか。
ユエが氷の如き冷めた目で右手を突き出しているのを見て、レガニドは内心で盛大に愚痴る。
(坊ちゃん、こりゃ、割に合わなさすぎだ……)
直後、レガニドは生涯で初めて、〝空中で踊る〟という貴重で最悪の体験をすることになった。
「舞い散る花よ、風に抱かれて砕け散れ 〝風花〟」
ユエの複合魔法が発動する。重力場を帯びた複数の風の砲弾が、立ち上がろうとしたレガニドの周囲を旋回し、全方位から彼を空中に磔にする。
あとは、空中での一方的なサンドバッグ状態だった。
グシャリ、ボギョ、という骨の折れる音が響き渡る。
最初の数撃で既に意識を失っていたのだが、知ってか知らずか、ユエはその後も容赦なく連撃をかまし、レガニドはピクリとも動かなくなって床に落ちた。
「うわぁ……あれ生きてるのかなぁ?」
『あの二人って、結構容赦ないよねぇ……』
うみはその眼を通して、レガニドが生きていることは確認しているのだが、
あまりにも凄惨な姿のレガニドを見て、思わずといった様子で呟き、抱えられたミレディも念話で同調する。
そんなうみの様子に「いや、なんで他人事なんですか!?」と、案内人のリシーが震える声で的確なツッコミを入れた。
ギルド内が完全な静寂に包まれる中、うみは視線を動かす。
その先には、腰を抜かしたまま震えているブタ男がいた。
視線に気づいた男が「ひっ!」と怯え、再びキィキィと喚き始める。
それを皮切りに、周囲の冒険者たちは皆、うみが次にどう動くのかと固唾を呑んで注目した。
(さて、こいつのおいたには何かしら制裁しないと後でまた絡んでくるだろうけど……)とうみは考える。
(どう見ても強くはないだろうし、俺がやったら命に関わる……どうしよう)
悩むうみの視界に、腕に抱かれたミリィが入った。
「あ、そうだ。……ねえミリィ」
うみはミレディに限界まで顔を近づけ、ヒソヒソと内緒話をする。
端から見れば何をやっているのか全く意味不明な光景だ。
内緒話を終えたうみは笑顔で頷き、ミリィと呼ばれたゴーレムは何やらやる気に満ち溢れたように小さな拳を握りしめた。
いったい何を話したのか。 うみはミリィを抱えたまま、男の元へ歩み寄る。
「ひぃ! く、来るなぁ! わ、私を誰だと思っている! プーム・ミンだぞ! ミン男爵家に逆らう気かぁ!」
「……えい」
うみはある程度近づいたところで、喚くプームへ向けて、抱えていたミレディを軽く放り投げた。
放物線を描いて飛んだミレディは、空中で重力魔法を行使して自身の重量を増加させると、プームの顔面へ向けてそのままパンチを叩き込んだ。
「プギャ!?」
ゴスッ! という鈍い音と共に、ただの肥満体であるプームは見事にひっくり返り、大の字で伸びた。
いかに貧弱なゴーレムのパンチといえど、重力魔法で底上げすれば一般人をひっくり返す程度のパワーは出るのだ。
その上に着地したミリィは、ビシッと拳を掲げ、勝者のポーズをとる。
うみはそれを見て、優しく温かい拍手を送った。
その様子は「初めてつかまり立ちをした赤ちゃん」を褒め称える親や兄弟である。
(((いや、めちゃくちゃ微笑ましい光景みたいになってるけど、やってることが全く微笑ましくないから!!)))
ギルド内の全員が、内心で激しいツッコミをシンクロさせていた。
うみはプームの上に乗っているミリィを回収し、痛みに呻きながら体を起こそうとしているプームの前にしゃがみ込んだ。
そして、それはそれは本当に、ほんっとうにいい笑顔を向けて、告げた。
「次は……ないからね?」
全く目が笑っていない、深淵を覗き込むような絶対的強者の冷酷な笑顔。
その一言に込められた底知れぬ恐怖の前に、小心者のプームの精神は完全にへし折られ、白目を剥いて泡を吹き、完全に気絶した。
「よし、終わった」
うみは立ち上がると、リシーの元へ戻った。
「お騒がせしました。じゃあ、続きお願いできる?」
「はひっ! い、いえ、その、私、何といいますか……っ!」
一連の惨劇を目の当たりにしたリシーは、完全に怯えきってしどろもどろになっていた。
これでは話が進まない。 うみは、非常に不本意ながらも、事態を収拾するための最終手段に出ることにした。
かつて、あの東堂葵に「これが完璧にできるまで帰さない」と拘束され、泣く泣く習得させられた必殺技を行使する。
正直なところ、(イカレてんのか?)と当時のうみは思ったが、相手は東堂葵である。
当然、イカレているに決まっている。
うみは、リシーを下から覗き込むように、あざとさ全開の上目遣いを作り上げた。
「……だめ、かな?」
コテン、と首を傾げ、蒼い瞳を潤ませて見つめる『おねだり』である。
これの習得におよそ半月もかけさせられたのである。本当にイカレている。
「……ッ!!??」
直撃を受けたリシーの顔は瞬時に沸騰したように真っ赤になり、そのまま機能停止した。
周囲の冒険者たちすらも、「……グッ!?」と胸を押さえて謎のダメージを負っている。
(……なかなかしんどい)
東堂の前では特に何も感じなかったうみだが、これだけの視線にさらされれば羞恥も沸くというもの。
内心で悪態をつくうみだったが、ふと横から刺さる視線に気づいた。
ユエ、シア、そしてミレディの三人が、『ジト目』でうみを凝視していた。
(うぅ……!)
身内からの冷ややかな視線は、うみの精神に300ほどのダメージを与えた。
「――何をしているのです? これは一体、何事ですか?」
リシーが正気を取り戻し、ようやく話が進みそうになったその時。
凛とした声と共に、眼鏡をかけた理知的な細身の男性――ドット秘書長と、数人のギルド職員が現れ、うみ達を厳しく視線を向けていたのだった。