広大な平原のど真ん中に、北へ向けて真っ直ぐに伸びる街道がある。
街道と言っても、何度も踏みしめられることで自然と雑草が禿げて道となっただけのものだ。
この世界の馬車にはサスペンションなどという気の利いたものはないので、きっとこの道を通る馬車の乗員は、目的地に着いた途端、自らの尻を慰めることになるのだろう。
だが、そんな整備されていない悪路を、あり得ない速度で滑るように爆走する一つの影があった。
車輪すら持たず、地面から数十センチ浮遊した状態で突き進む漆黒の流線型――うみのお手製である『磁気浮遊艇』である。
本来、この世界で魔法や魔道具を稼働させるには大気中の魔力との調和が必要だが、うみの操るこの乗り物は、彼自身の『磁力操作』と『念動』によって強引かつ完璧に制御されていた。
物理的な摩擦抵抗が一切存在しないため、時速八十キロを超える猛スピードで荒野を駆け抜けていても、車内には一切の振動が伝わらない。
それに加え、車体にはうみが錬金術で組み上げた数々の魔道具が搭載されている。
屋根には大気中の魔力を利用して自動展開される薄い光の層が張られ、風圧や強い日差しを完全にカット。
空調の魔道具によって車内は常に適温に保たれ、まるで最高級リゾートのラウンジにいるかのような快適空間が出来上がっていた。
「……うん。やっぱり馬車と比べると雲泥の差だね」
車内――といっても、運転席や助手席といった概念はない。
うみは、リムジン仕様に誂えられた広々としたソファシートに深く腰掛け、完全にリラックスした姿勢で呟いた。
操縦は彼が車体のどこかに触れ、外の状況さえ把握していれば思考だけで完結するのだ。
片手間で磁力を操作しながら、残りのリソースを『気配感知』による広域索敵に回しても、まだまだ彼には圧倒的な余裕があった。
そんな快適すぎる車内で、窓代わりの魔力層越しに流れる景色をぼんやりと眺めていたシアが、ふと視線を車内に戻し、甘えたような声を上げた。
「ユエさぁん、ミレディさぁん。たまにはうみくんの隣、交代してくれませんかぁ?」
コの字型のソファは広々としており、シアが寝転がれるほどのスペースが十分にある。
だが、うみが座った瞬間、当然の権利であるかのように、その両サイドは二人の少女(一人+一機)によってガッチリと固められていたのだ。
右隣には、うみの腕にすり寄るようにしてぴったりと張り付くユエ。
左隣には、彼の手をにぎにぎと弄っているミレディの姿があった。
「……ダメ。ここは私の場所」
シアの要求に対し、ユエは目を閉じたまま、即座に却下した。
さらに、うみの腕にぎゅっと抱きつき、物理的にも視覚的にも「ここは譲らない」という強固な意思表示をする。
「んふふ〜……ざんね〜ん。ここは私のだよぉ〜」
ミレディもまた、まるで日向ぼっこをしている猫のように、どこかふわふわとした心地よさそうな声で拒否権を発動した。
「たまにはいいじゃないですかぁ!」
ウサミミをピコピコと逆立て、プンスカと抗議するシア。
そんな騒がしくもコミカルな三人の言い合いを、うみは「全くもう」と呆れ半分、微笑ましさ半分といった様子で眺めていた。
「はいはい。喧嘩しないの」
うみは、自分の左隣で手をにぎにぎとしていたミレディを両脇からひょいっと抱き上げると、そのままポンと自分の膝の上へと移動させた。
突然席をどかされたミレディだったが、不満を言うどころか「おっ?」と声を上げ、うみの太ももにピトッと張り付く。
彼女にとっては、うみに触れてさえいればどこでも、むしろ膝の上の方が更なる特等席なのだ。
そして、ミレディを退かせて空いた自分のすぐ横のスペースをポンポンと手で叩き、うみはシアに向かって柔らかく声をかけた。
「ほら、姉さん。こっちおいで」
ごく自然に、息をするように紡がれた『姉さん』という響き。
その言葉に、シアのウサミミがピンッ!と垂直に跳ね上がった。
「うみく〜ん!! やったー! さすが私の弟ですぅ!」
念願の特等席を用意されたシアは、大喜びでソファを滑り、うみの隣へとスライディング気味に移動してすり寄った。
膝の上へ移動したミレディもご満悦の様子だ。
ユエはシアがうみの隣に収まったことに少しだけ「むすっ」とした顔を見せたが、
うみが空いた手で優しく頭を撫で、金糸の髪を指で梳いてやると、あっさりと機嫌を直して心地よさそうに目を細めた。
結果として、うみのパーソナルスペースには、右にユエ、左にシア、そして膝の上にミレディという、人口密度が高すぎる配置が完成した。
「それにしても……」
わちゃわちゃとしたやり取りが一段落したところで、シアがふと真面目なトーンに戻り、うみの顔を見上げた。
「あの支部長さんの依頼、受けてよかったんですか? 私たちの目的地は西なのに、わざわざ北の山脈に行くなんて」
フューレンのギルド支部長、イルワから受けた『ウィル少年の捜索依頼』のことだ。
シアの疑問に対し、うみは視線を前方の景色に向けたまま、淡々とその理由を口にした。
「使えるコネは、多い方がいいからね」
その言葉は、温かな車内の空気とは裏腹に、極めて冷徹で合理的なものだった。
「俺たちの持つ力や特異性は、絶対に隠し通せるものじゃない。
いずれ、教会とか王国とかいう面倒な連中に目をつけられるのは確定事項だよ。
だから、いざって時に使える保険は多いに越したことはない。
フューレンの支部長っていう肩書きを持つあの人なら、恩を売っておけばうまく立ち回ってくれるはずだからね」
自分たちを追うかもしれない強大な組織を想定し、先手で盤面を操作するための打算。
そのシビアな思考に、シアとユエは少しだけ神妙な顔をして頷いた。
しかし。
その直後、うみは先ほどまでの冷たい雰囲気をスッと消し去り、少しだけ表情を緩ませた。
いや、緩ませたというより、どこか遠い目をして、ひどく切実な声でこう続けたのだ。
「……それに」
「それに?」
「これから行く『ウル』の町近郊は、大陸一の稲作地帯らしいんだよね」
稲作地帯。その単語に込められた熱量に、ユエとシアが首を傾げる。
「……いなさく?」
「そう。お米だよ、お米」
うみは、普段の達観した態度からは想像もつかないほど、食い気味に、そして力説するように語り始めた。
「俺の故郷だとね、主食だったんだよ。こっちに来てから、ずっとパンかお肉ばっかりだったからさ……。
あの白いご飯の味が、無性に恋しくて恋しくて。大陸一って言うくらいなら、絶対に美味しいに決まってる。
……ああ、早く食べたい」
うみの脳裏には、ふっくらと炊き上がった白米のビジュアルがありありと浮かんでいた。
彼がこの世界に来てから最も我慢を強いられていたもの。
それは魔物との戦闘でも、理不尽な環境でもなく、「米が食えない」という日本人としてのアイデンティティの欠如であった。
うみの意外すぎる『食』への執着に、ユエとシアは目を丸くした後、クスクスと笑い合った。
「……ん。私も、うみの故郷の味、知りたい」
「うみくんがそこまで言うなら、絶対に美味しいですね! 美味しいご飯なら、このお姉ちゃんにお任せください!」
ユエが微笑み、シアが胸を張って意気込む。
そんな和やかな空気が流れる中、うみの膝の上にいたミレディだけが、ポツンと不貞腐れたような声を上げた。
「……いいよねぇ、ご飯。私、ゴーレムだから食べられないのにさぁ……。味覚もないし……」
ゴーレムの体である彼女には、食事をとる機能が備わっていない。
楽しげな三人の中で、自分だけがその楽しみを共有できないことに、いじけてしまったのだ。
うみはそんなミレディを見下ろすと、苦笑しながらその硬い頭を優しく撫でた。
「ごめんごめん。……でも、もう少し我慢してね。ちゃんと美味しいものが食べられるカラダ、作ってあげるからさ」
それは、迷宮の底で約束した『人間(ホムンクルス)の身体を作る』という誓いの再確認。
錬金術師としての矜持と、彼女を一個人として扱ううみの底知れぬ優しさが込められた言葉だった。
その頼もしい言葉に、ミレディは少し照れくさそうにモジモジとしながら、嬉しそうに頷いた。
「……んっ、待ってる。絶対、とびきり美味しいやつ食べさせてよね!」
うみは「はいはい」と笑いながら頷き、再び前方の景色へと視線を戻した。
「湖畔の町、ウルか。……色々と楽しみだね」
うみの言葉に応えるように、浮遊艇はさらに滑らかに加速し、遥か北に霞む山脈の麓――目指す湖畔の町へと向かって、一直線に平原を駆け抜けていった。
***
「はぁ、今日も手掛かりはなしですか……清水君、一体どこに行ってしまったんですか……」
悄然と肩を落とし、ウルの町の表通りをトボトボと歩くのは召喚組の一人にして教師、畑山愛子だ。
普段の快活な様子がなりを潜め、今は、不安と心配に苛まれて陰鬱な雰囲気を漂わせている。
心なしか、表通りを彩る街灯の灯りすら、いつもより薄暗い気がする。
「愛子、あまり気を落とすな。まだ、何も分かっていないんだ。無事という可能性は十分にある。お前が信じなくてどうするんだ」
「そうですよ、愛ちゃん先生。清水君の部屋だって荒らされた様子はなかったんです。
自分で何処かに行った可能性だって高いんですよ? 悪い方にばかり考えないでください」
元気のない愛子に、そう声をかけたのは愛子専属護衛隊隊長のデビッドと、生徒の園部優花だ。
周りには他にも、毎度お馴染みとなった騎士達と生徒達がいる。
彼等も口々に愛子を気遣うような言葉をかけた。
クラスメイトの一人、清水幸利が失踪してから既に二週間と少し。愛子達は八方手を尽くして彼を探したが、その行方はようとして知れなかった。
当初は事件に巻き込まれたのではと騒然となったものの、部屋が荒らされていなかったこと、
彼が『闇術師』という高い適性を持つ天職を所持していたことから、ゴロツキにやられるとは考えにくく、今では自発的な失踪と考える者が多かった。
元々、清水は大人しいインドアタイプの人間で社交性もあまり高くなかった。
生徒たちは、清水の安否よりも、それを憂いて日に日に元気がなくなっていく愛子の方を心配しているのが実情である。
護衛の騎士達に至っては言わずもがなだ。
次々とかけられる気遣いの言葉に、愛子は内心で自分を殴りつけた。
(心配なのは当然です。でも、それを表に出して、今傍にいる生徒達を不安にさせるどころか、気遣わせてどうするんですか!
それでも、私はこの子達の教師なんですから!)
愛子は、一度深呼吸すると、ペシッと両手で頬を叩いて気持ちを立て直した。
「皆さん、心配かけてごめんなさい。そうですよね。悩んでばかりいても解決しません。
清水君は優秀な魔法使いです。きっと大丈夫。今は、無事を信じて出来ることをしましょう。
取り敢えずは――本日の晩御飯です! お腹いっぱい食べて、明日に備えましょう!」
無理しているのは丸分かりだが、気合の入った掛け声に生徒達も「は~い」と素直に返事をする。
騎士達は、その様子を微笑ましげに眺めた。
カランッカランッ、と。
愛子達は、自分達が宿泊しているウルの町で一番の高級宿『水妖精の宿』の扉を開いた。
一階部分がレストランになっているこの宿は、ウルの町の名物である『米料理』が数多く揃えられている。
歴史を感じさせる重厚な内装と、落ち着いた空気が漂う老舗だ。
当初、愛子達は高級すぎて落ち着かないと難色を示したが、“豊穣の女神”とまで呼ばれ始めている愛子や生徒達を普通の宿に泊めるのは外聞的にあり得ないと騎士達に説得され、ここに滞在することになった。
今ではすっかりリラックス出来る場所になり、ここでとる米料理は東奔西走する彼らの毎日の楽しみになっていた。
全員が一番奥のVIP席――三方を壁に囲まれ、カーテンを引くことで個室にできる席――に座り、その日の夕食に舌鼓を打つ。
「ああ、相変わらず美味しいぃ~! 異世界に来てカレーが食べれるとは思わなかったよ」
「まぁ、見た目はシチューなんだけどな。……いや、ホワイトカレーってあったけ?」
「いや、それよりも天丼だろ? このタレとか絶品だぞ? 日本負けてんじゃない?」
「チャーハンモドキ一択で。これやめられないよ」
極めて地球の料理に近い米料理に、毎晩生徒達のテンションは上がりっぱなしだ。
美味しい料理で一時の幸せを噛み締めている愛子達のもとへ、六十代くらいの口ひげが見事な男性がにこやかに近寄ってきた。
「皆様、本日のお食事はいかがですか? 何かございましたら、どうぞ遠慮なくお申し付けください」
「あ、オーナーさん」
話しかけてきたのは、この宿のオーナーであるフォス・セルオである。
愛子が代表して「今日もとてもおいしいですよ。毎日、癒されてます」とニッコリ笑って答えると、フォスも嬉しそうに微笑んだ。
しかし、次の瞬間には、その表情を申し訳なさそうに曇らせた。
「実は、大変申し訳ないのですが……香辛料を使った料理は今日限りとなります」
「えっ!? それって、もうこのニルシッシル食べれないってことですか?」
カレーが大好物の優花がショックを受けたように問い返すと、フォスは重々しく頷いた。
「はい。何分、材料が切れまして……。ここ一ヶ月ほど北山脈が不穏ということで採取に行く者が激減しております。
つい先日も、調査に来た高ランク冒険者の一行が行方不明となりまして……当店にも次にいつ入荷するか分かりかねる状況なのです」
「あの……不穏っていうのは具体的には?」
「北山脈は山を越えなければ比較的安全な場所なのですが、何人かの者が、いるはずのない『山向こうの魔物の群れ』を見たのだとか」
「それは、心配ですね……」
愛子が眉をしかめる。他の皆も若干沈んだ様子で顔を見合わせた。
フォスは、「食事中にする話ではありませんでしたね」と申し訳なさそうな表情をすると、場の雰囲気を盛り返すように明るい口調で話を続けた。
「しかし、その異変ももしかするともう直ぐ収まるかもしれませんよ」
「どういうことですか?」
「実は、今日のちょうど日の入り位に新規のお客様が宿泊にいらしたのですが、何でも先の冒険者方の捜索のため北山脈へ行かれるらしいのです。
フューレンのギルド支部長様の指名依頼らしく、相当な実力者のようですね。もしかしたら、異変の原因も突き止めてくれるやもしれません」
愛子達はピンと来ないようだが、食事を共にしていたデビッド達護衛の騎士は一様に「ほぅ」と感心と興味の声を上げた。
フューレンの支部長と言えばギルド全体でも最上級クラスの幹部だ。その直指名となれば、相当な実力者――それこそ有名な“金”ランクの冒険者がリストアップされる。
愛子達が騎士のざわめきに不思議そうな顔をしていると、二階へ通じる階段の方から、何やら騒がしい声が近づいてくるのが聞こえ始めた。
「おや、噂をすれば。彼等ですよ。騎士様、彼等は明朝にはここを出るそうなので、もしお話になるのでしたら今のうちがよろしいかと」
「そうか、わかった。……しかし、随分と若い声だ。“金”ランクに、あんな若い者がいたか?」
デビッド達騎士は、脳内でリストアップした有名な“金”クラスの冒険者の中に、今聞こえてきているような若い声の持ち主がいないことに、若干困惑したように顔を見合わせた。
そうこうしている内に、声の主たち――若い男女の騒がしめの会話が、徐々にレストランの方へと近づいてきた。
「もうっ、何度言えばわかるんですか。ユエさんやミリィさんを甘やかすのはいいですけど、私に甘える時間もちゃんと作ってくださいよぉ!
お姉ちゃんとしては、もっとドロドロになるくらい甘やかしたいんですからね!?」
「……ダメ。そうしたら私との時間が短くなる」
「私だってうみくんと一緒の時間が欲しいんですよ!? 痛っ、ちょっとミリィさん、ポカポカ叩いて抗議しないでください!」
「あはは……。と言っても、そういうのあんまりしたことないからなぁ。どうしていいかよくわかんないんだよね」
その会話の内容に、そして少女の声が呼ぶ名前に、愛子の心臓が一瞬にして飛び跳ねる。
彼女達は今何と言った? 少年の名前を何と呼んだ? 少年の声は、〝あの少年〟の声に似てはいないか?
愛子の脳内を一瞬で疑問が埋め尽くし、金縛りにあったように硬直しながら、カーテンを視線だけで貫こうとでも言うように凝視する。
それは、傍らの優花や他の生徒達も同じだった。
彼らの脳裏に、およそ四ヶ月前に奈落の底へと消えていった、とある少年が浮かび上がる。
クラスメイト達に〝異世界での死〟というものを強く認識させた少年、消したい記憶の根幹となっている少年、良くも悪くも目立っていた少年。
尋常でない様子の愛子と生徒達に、フォスや騎士達が訝しげな視線と共に声をかけるが、誰一人として反応しない。
騎士達が、一体何事だと顔を見合わせていると、愛子がポツリとその名を零した。
「……月影くん?」
無意識に出した自分の声で、有り得ない事態に硬直していた体が自由を取り戻す。
愛子は、椅子を蹴倒しながら立ち上がり、転びそうになりながらカーテンを引きちぎる勢いで開け放った。
シャァァァ!!
存外に大きく響いたカーテンの引かれる音に、ギョッとして思わず立ち止まる三人の少年少女。
愛子は、相手を確認する余裕もなく叫んだ。大切な教え子の名前を。
「月影くん!!」
「ん? …………先生?」
そこにいたのは、黒い目隠しを外した素顔の『月影うみ』だった。
奈落に落ちた時とは異なり、髪が少し伸びたことで、その人間離れした中性的な美貌にはさらに磨きがかかっている。
だが、間違いなく彼女がよく知る――そして、死んだと聞かされていた教え子の姿だった。
「月影くん……やっぱり月影くんなんですね? 生きて……本当に生きて……っ!」
奇跡のような再会に感動し、涙目になる愛子。
愛子の背後に控えていた優花たち生徒も、そこにいるのが死んだはずのうみであることに気づき、驚愕のあまり完全にフリーズしている。
感動的な再会。本来なら抱き合って喜ぶような場面だろう。
しかし、うみの視線は愛子ではなく、その背後にいるデビッドたち――教会関係者である護衛騎士たちへと向けられていた。
(あちゃー……教会関係者いるじゃん。あんまり接触したくなかったんだけどな……。ここから誤魔化し効くか?)
不意の再会による動揺で、つい「先生」と口走ってしまった己を呪いつつ、うみは一縷の望みを懸けた悪あがきとして、極めて真顔で言葉を紡いだ。
「……ごめんなさい。多分、人違いです」
「へ?」
思わず間抜けな声を上げて、涙も引っ込む愛子。
スタスタと宿の出口に向かって歩き始めたうみを呆然と見送ると、ハッと正気を取り戻し、慌てて追いかけてその袖口を掴んだ。
「ちょっと待って下さい! 月影くんですよね? 今、先生のこと先生って呼びましたよね!? なぜ人違いだなんて!」
「いや、聞き間違いですよ。あれは……そう、方言で『可愛らしい』って意味の挨拶でして……」
「へっ? あ、あの……っ。――じゃなくて!」
『可愛らしい』という言葉に一瞬照れて丸め込まれそうになった愛子だが、すぐに首を振って我に返り、食い下がる。
「おだてて誤魔化そうったってそうはいきませんよ! そんな都合のいい方言があるわけないでしょう! 先生は騙されませんからね!」
「……今、絶対一瞬丸め込まれそうになってたよね……?」「チョロいな愛ちゃん先生……」
愛子の背後で、優花たち生徒がヒソヒソとツッコミを入れるが、愛子はそれに構わずうみに詰め寄る。
と、そこでうみを救うように介入してきたのは、彼の右腕にすり寄っていた吸血姫だった。
ユエはツカツカと二人の傍に歩み寄ると、うみの腕を掴む愛子の手を強引に振り払った。その際、護衛騎士達が僅かに殺気立つ。
「……離れて。うみが困ってる」
「な、何ですか、あなたは? 今、先生は月影くんと大事な話を……」
「……なら、少しは落ち着いて」
冷めた目で自分を睨む美貌の少女に、愛子が僅かに怯む。
二人の身長に大差はない。普通に見ればちみっ子同士の喧嘩に見えるだろう。
しかし、見た目に反して妖艶な雰囲気を纏うユエと、常に実年齢より下に見られる愛子では、どうしても『大人に怒られる子供』という構図に見えてしまう。
実際、注意しているのはユエの方で、彼女の言葉に自分が暴走気味だった事を自覚し頬を赤らめてうみからそっと距離をとり、
遅まきながら大人の威厳を見せようと背筋を正す愛子は……背伸びした子供のようだった。
「すいません、取り乱しました。改めて……月影くんで間違いないですね?」
今度は、静かな、しかし確信を持った声音で問い直す愛子。
うみは、これ以上は誤魔化しきれないと悟り、「やっぱダメだったかぁ」とでも言いたげな諦めの雰囲気を纏いながら、どこかふわっとした声音で肯定した。
「……ええ。お久しぶりです、愛子先生」
「やっぱり、やっぱり月影くんなんですね……生きていたんですね……」
「まあ、何とかってとこですよ」
「よかった。本当によかったです」
うみは、再び涙目になりそれ以上言葉が出ない様子の愛子を見ると、(もういいのかな?)とさっさと近くのテーブルに座った。
そして、すっかり気配を消して事の成り行きを見守っていたオーナーのフォスを手招きし、念願の米料理の注文を始めた。
「え、ええと、うみくん。いいんですか? あの方々、うみくんのお知り合いですよね?」
シアがおずおずと問いかける。それを見て、ユエとシアも席に着く。シアは困惑しながらだったが。
「うーん……いいかよくないかで言えば、まあよくない寄りなんだけど。でも、それよりも今は早くお米を食べたい」
あっさりと本能に敗北したうみは、少しだけ目を輝かせてメニューらしきボードを見つめた。
「流石にいきなり現れた時は驚いたけどね。元々晩ご飯を食べに来たんだし、さっさと注文しよう。ほんとに楽しみにしてたんだから。
知ってる? ここ、カレー……じゃわからないか。ニルシッシルっていうスパイシーなご飯があるらしいんだ。想像通りの味ならいいんだけど……」
「……なら、私もそれにする。うみの好きな味、知りたい」
「あっ、そういうところでさり気ないアピールを……流石ユエさん。というわけで私もそれにします! 店員さぁ〜ん、注文お願いしまぁ〜す!」
うみがそう言うならいいかとあっさり意識を切り替えたシアも、困った笑みで寄ってきたフォスに注文を始めた。
うみのあまりにもマイペースな振る舞いに呆然としていた愛子だったが、すぐに息を吹き返し、ツカツカとうみのテーブルに近寄ると、ペシッとテーブルを叩いた。
「月影くん、まだ話は終わっていませんよ! なに物凄く自然に注文しているんですか。大体、こちらの女性達はどちら様ですか?」
愛子の言い分は、その場の全員の気持ちを代弁していた。
うみは少し困ったように眉をしかめたが、答えない限り愛子が持ち前の行動力で食い下がり、落ち着いて食事も出来ないだろうと思い、仕方なさそうに二人に視線を向けた。
「……ユエ。うみの、妹」
「シアです! 私はお姉ちゃんですぅ!」
「……とまあ、そんな感じです」
うみが簡潔にまとめたその説明に、愛子の脳内で激しいエラーが起きた。
まず一つ。彼女たち三人の距離感がおかしい。
ユエはごく自然な動作でうみの腕をとってべったりとくっついているし、シアに至ってはうみの隣にぴったりと椅子を寄せ、身を乗り出すようにして一緒にメニューを覗き込んでいる。
どう見ても愛子の知る『きょうだい』の距離感ではない。
そして二つ。地球出身のうみに、どう見ても現地人な彼女たちが『きょうだい』であるはずがない。
とどめに三つ。先ほど聞こえていた『ドロドロに甘やかす』だの『私との時間』だのなんだのという会話はどう考えても、一人の男を巡る女たちの痴話喧嘩だった。
その三つの要素が愛子の頭の中でガッチリと組み合わさり、一つの結論を導き出した。
すなわち――うみが二股を隠すために、苦し紛れに『きょうだい』という設定で誤魔化そうとしている、あるいはそういう遊びをしている、という解釈である。
顔を真っ赤にして、愛子の教師魂が爆発する。
そして、〝先生の怒り〟という特大の雷が、ウルの町一番の高級宿に落ちた。
「行方不明になって心配させておいて、連絡一つ寄越さずに遊び歩いて、ふ、二股……!
挙句にそれを『きょうだい』などとのたまうとは!
……先生は絶対に許しませんよ! お説教です! そこに直りなさい、月影くん!」
きゃんきゃんと吠える愛子先生を前に、うみは(おかしい……俺は何一つ嘘言ってないはずなのに……)と理不尽さに苛まれながら、深い深い溜息を吐くのであった。
***
散々、愛子が吠えた後。他の客の目もあるということで、
どうにか宥めすかしてようやくありつけた念願のニルシッシルを頬張るうみへ、
愛子や生徒たちから怒涛の質問が投げかけられていた。
しかし、うみは背後に教会関係者である護衛騎士たちが控えている手前、馬鹿正直に子細を語るつもりなど毛頭なかった。
目の前の絶品スパイシーカレーに夢中なフリ(半分本気)をして、端折りに端折った答えをおざなりに返していく。
「あんなところから、どうやって生き延びたの!?」
「まぁ、普通に?」
「なんか、雰囲気というか性格違わない? 前はもっとこう……なんというか……」
「今までのはただのキャラ付け。こっちが平常運転」
「どうして、すぐに皆のところへ戻らなかったんですか?」
「戻る理由がないから」
そこまで聞いて、愛子が「真面目に答えなさい!」と頬を膨らませて怒る。
しかし全く迫力がないのが物悲しい。案の定、うみには柳に風といった様子だ。
目を合わせることもなく、美味そうに、時折ユエやシアと感想を言い合いながらニルシッシルに舌鼓を打つ。
表情は非常に満足そうである。
その様子にキレたのは、愛子専属護衛隊隊長のデビッドだ。
愛する女性が蔑ろにされていることに耐えられなかったのだろう。拳をテーブルに叩きつけながら大声を上げた。
「おい、お前! 愛子が質問しているのだぞ! 真面目に答えろ!」
うみは、チラリとデビッドを見ると、はぁと深い溜息を吐いた。
「食事中だから、静かにして。行儀悪いよ?」
全く相手にされていないことが丸分かりの物言い。
元々、神殿騎士にして重要人物の護衛隊長を任されているということから自然とプライドも高くなっているデビッドは、我慢ならないと顔を真っ赤にした。
そして、何を言ってものらりくらりとして明確な答えを返さないうみから矛先を変え、その視線がシアへと向く。
「ふん、行儀だと? その言葉、そっくりそのまま返してやる。
薄汚い獣風情を人間と同じテーブルに着かせるなど、お前の方が礼儀がなってないな。
せめてその醜い耳を切り落としたらどうだ? 少しは人間らしくなるだろう」
侮蔑をたっぷりと含んだ眼で睨まれたシアは、ビクッと体を震わせた。
ブルックの町では友好的な人が多く、フューレンでも奴隷と認識されていたからか直接的な言葉を浴びせかけられる事はなかった。
つまり、旅に出てから初めて、亜人族に対する直接的な差別的言葉の暴力を受けたのである。
有象無象の事など気にしないと割り切ったはずだったが、思いの他ダメージがあったらしく、シアはシュンと顔を俯かせた。
よく見れば、デビッドだけでなく、他の騎士達も同じような目でシアを見ている。
彼等がいくら愛子達と親しくなろうと、聖教教会や国の中枢に近い人間であり、それは取りも直さず、亜人族に対する差別意識が強いということでもある。
ほんの数ヶ月程度で変わる程、根の浅い価値観ではないのだ。
あんまりな物言いに、思わず愛子が注意をしようとするが、その前に俯くシアの手を握ったユエが、絶対零度の視線をデビッドに向けた。
最高級ビスクドールのような美貌の少女に体の芯まで凍りつきそうな冷ややかな眼を向けられて、デビッドは一瞬たじろぐも、見た目幼さを残す少女に気圧されたことに逆上する。
普段ならここまでキレやすい人間ではないのだが、思わず言ってしまった言葉に、愛しい愛子からも非難がましい視線を向けられて軽く我を失っているようだった。
「何だ、その眼は? 無礼だぞ! 神殿騎士に逆らうのか!」
思わず立ち上がるデビッド。それを、ユエの言葉がやけに明瞭に切り裂いた。
「……小さい男」
それは嘲りの言葉。たかが種族の違い如きで喚き立て、少女の視線一つに逆上する器の小ささを嗤う言葉だ。
唯でさえ怒りで冷静さを失っていたデビッドは、愛子の前で男としての器の小ささを嗤われ、完全にキレた。
「……異教徒め。そこの獣風情と一緒に地獄へ送ってやる」
無表情で静かに呟き、ついに鞘から剣を引き抜くデビッド。
突如現れた修羅場に生徒達はオロオロし、愛子達は止めようとする。
だが、デビッドは周りの声も聞こえない様子で、強固な造りの神殿騎士の剣をうみ達へ向けて振りかざした。
その瞬間。
ブォン!!
空気を震わせる独特の起動音と共に、目が眩むような強烈な光の瞬きが視界を白く染め上げた。
熱を伴う圧倒的な光量に、その場の全員が思わず目を細める。
「なっ――!?」
直後、驚愕の声を上げたのはデビッドだった。
デビッドが振り下ろした強固な剣の刀身は、一切の抵抗もなく、音すら立てずに斜めに一刀両断されていたのだ。
何が起きたのかと、目を瞬かせた愛子達の視界に映ったのは。 座ったまま片腕を真横に振り切った姿勢のうみだった。
少しうつむき気味のその顔は、伸びた前髪が深い影を落としており、どんな表情を浮かべているのか全く窺い知ることができない。
ただ、彼が握る『短い円筒』から一直線に伸びる眩い光の刃だけが、異様な存在感を放っていた。
真っ二つになった自らの愛剣の断面がドロドロに溶け落ちる様を見て、デビッドは完全に硬直する。
その絶好の隙を突き、うみはさらに右手に嵌めたシンプルな銀の指輪を、これ見よがしに撫でた。
この指輪自体に大した効果はない。
なぜならこれは、人前で呪術や魔物から得た技能を使う際、その力がアーティファクトの効力であると誤認させるためのカモフラージュ。
『魔力を通すと光る』、ただそれだけの指輪である。
指輪が青白く明滅した瞬間、うみは『念動』を発動した。
ドォン!!
「がはっ!?」
見えない巨大なハンマーで殴られたかのように、デビッドの巨体が後方へと勢いよく吹き飛んだ。
そのまま背後の壁に凄まじい音を立てながら激突し、白目を剥いてズルズルと崩れ落ちる。
未知の光る剣、そして謎の光る指輪の連続行使。
詳細は分からないが、うみが攻撃したという事実を認識した他の騎士達が、一斉に剣に手をかけて殺気を放つ。
しかし、直後。
騎士達の殺気などとは比べ物にならない、凄絶で、桁違いに濃密な『威圧感』が、まるで天から鉄槌となって降り注いだ。
「――ッ!?」
立ち上がりかけた騎士達は、目に見えない重圧に押し潰されるように強制的に座席へと縫い留められる。
直接殺気を浴びているわけではない愛子達も、ハッと息を呑んで顔を青ざめさせ、ガクガクと震え上がった。
うみは、光の刃をブゥンと音を立てて収めると、円筒をテーブルの上にゴトッと置いた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。前髪の影から露わになった素顔――そこには、静かでありながらも背筋が凍るような、底知れぬ怒りが張り付いていた。
その威圧感とともに、自分と彼らとの立ち位置を明確に宣言する。
「俺は、あんたらに興味がない。関わりたいとも、関わって欲しいとも思わないし、いちいち報告する義理もない。ここは互いに不干渉でいこう」
極めて冷たい、絶対零度の声。
「あんたらがどこで何をしようと勝手だけど、気を付けなよ? 今みたいに俺の家族に手をあげるなら……全員、死んでもらうことになるからさ」
わかった? 怒りを宿した射抜くような視線で問いかけるうみに、誰も何も言えなかった。
直接プレッシャーを浴びている騎士たちは僅かに頷くので精一杯であり、愛子も、教え子の圧倒的な力と拒絶の前に、言葉を失っていた。
「……ふぅ。驚かせてごめんなさい、先生。でも、あれだけ言われて剣まで抜かれたらね」
うみはため息を吐き、肩を竦めると、あっさりと威圧を解いた。
凄まじい圧迫感が消え去り、騎士達がドウッと崩れ落ちて大きく息を吐く。
愛子達も疲労困憊といった様子で椅子に深く座り込んだ。
そんな周囲の疲弊をよそに、うみは何事もなかったかのように食事を再開し、まだシュンとしているシアに話しかけた。
「姉さん、外じゃこれが普通。いちいち気にするだけ無駄だよ?」
「はぃ、そうですよね……。分かってはいるのですけど……やっぱり、人間の方には、この耳は気持ち悪いのでしょうね……」
自嘲気味に、自分のウサミミを手で撫でながら苦笑いをするシア。
そんなシアに、ユエが真っ直ぐな瞳で慰めるように呟く。
「……シアのウサミミは可愛い」
「ユエさん……。でも……」
それでも自信なさげなシアに、うみは全く隠す素振りも見せずに、あっさりと告げた。
「俺は好きだよ。姉さんのその耳。モフモフしてて気持ちいいし」
「えっ……? あ、あの、うみくん……私のウサミミ、お好きだったんですか……?」
「……ん。シアが寝てる時に、二人でよくモフモフしてる」
「なっ!? 二人揃って何してるんですかぁ!?」
うみのストレートな好意の言葉と、ユエの爆弾発言。
シアは赤く染まった頬を両手で押さえてイヤンイヤンと身悶えし、頭上のウサミミは「わーい!」と喜びを表現する様にわっさわっさと動いている。
うみとユエは、そんなシアを見て楽しそうにくすくすと笑い合った。
ついさっきまで下手をすれば皆殺しにされるのではと錯覚しそうな緊迫感が漂っていたのに、今は何故か、甘ったるい桃色空間が広がっている。
そのあまりの高低差と不思議な光景に、愛子達も騎士達も、ただただ目を白黒させてポカンとするしかなかった。
しばらく、うみ達のやり取りを見ていると、男子生徒の一人、相川昇がポツリとこぼす。
「あれ? 不思議だな。さっきまで月影のことマジで怖かったんだけど、今は殺意しか湧いてこないや……」
「お前もか。つーか、あの二人、ヤバイくらい可愛いんですけど……どストライクなんですけど……なのに、目の前にいちゃつかれるとか拷問なんですけど……」
「……月影が何をしていたかなんてどうでもいい。だが、異世界の女の子と仲良くなる術だけは……聞き出したい! ……昇! 明人!」
「「へっ、地獄に行く時は一緒だぜ、淳史!」」
グツグツと煮えたぎる嫉妬を込めた眼で、ついさっき自分達を震え上がらせたうみを睨みながら、一致団結する愛ちゃん護衛隊の男勢三人。
すっかりシリアスな雰囲気が吹き飛び、本来の調子を取り戻し始めた女生徒達が、そんな男子生徒達に物凄く冷めた目を向けていた。
チェイスが、場の雰囲気が落ち着いたのを悟り、デビッドの治癒に当たらせる。同時に、警戒心と敵意を押し殺して、微笑と共にうみに問い掛けた。
うみの事情はともかく、どうしても聞かなければならない事があったのだ。
「月影君でいいでしょうか? 先程は、隊長が失礼しました。
何分、我々は愛子さんの護衛を務めておりますから、愛子さんに関することになると少々神経が過敏になってしまうのです。
どうか、お許し願いたい」
その微笑というポーカーフェイスの裏で、頭の回転が早いチェイスは、到底放置できない目の前のアーティファクトらしき物――机に置かれた短い円筒と、光る指輪――に目を向け、うみに切り込んだ。
「しかし……どうしてもお聞きしたい。そのアーティファクトについてです。
魔法の詠唱も陣もなしに、恐るべき威力を見せた。一体、何処で手に入れたのでしょう?」
微笑んでいるが、目は笑っていないチェイス。
先ほどのやり取りで魔法陣が展開された様子がないことから、純粋な物理的な機構が用いられているのであれば、量産が可能かもしれないと計算を巡らせていた。
そうなれば、戦争の行く末すら左右しかねない。
自分達が束になってもうみには敵わないかもしれないとは思いつつも、聞かずにはいられなかったのだ。
うみが、チラリとチェイスを見る。そして、何かを言おうとして、興奮した声に遮られた。
クラス男子の玉井淳史だ。
「そ、そうだよ月影! それ、『ライトセーバー』だろ!? 何で、そんなもん持ってんだよ!」
玉井の叫びに、チェイスが反応する。
「ライトセーバー……? 玉井は、あれが何か知っているのですか?」
「え? ああ、そりゃあ知ってるよ。俺達の世界の、創作物の中の武器だからな」
玉井の言葉に、チェイスはさらにうみが指にはめている指輪へと視線を向けた。
「……では、あの光る指輪も?」
「いや、あっちは知らないけど……」
玉井の言葉を聞き、チェイスの目が鋭く光る。そして、ゆっくりとうみを見据えた。
「ふむ。指輪は置いておいて、そちらのそれはこの世界に元々あったアーティファクトではないと。
とすると、異世界人によって作成されたもの……作成者は当然……」
「俺だね」
うみは、あっさりと自分が創り出したと答えた。
チェイスは、うみに秘密主義者という印象を抱いていたため、あっさり認めたことに意外感を表にする。
「あっさり認めるのですね。それが持つ意味を理解していますか? それは……」
「この世界の戦争事情を一変させる……でしょ?
大方、言いたいことはやはり戻ってこいとか、せめて作成方法を教えろとか、そんなとこ?」
チェイスの図星を突き、うみは冷たく言い放つ。
「生憎だけど、戻るつもりはないし、作り方を教えたところで錬金術によるものだから意味ないよ。諦めて」
取り付く島もない言葉。だが、チェイスも国を背負う騎士として、やすやすとは引き下がれない。
奪うことも辞さないような強硬な雰囲気を見せかけた彼に対し、うみは静かに釘を刺した。
「国ごと滅びたくないなら、奪おうとか考えない方がいいよ。力量差はさっきので十分わかったでしょ?」
その言葉に込められた絶対的な自信と、一切の容赦を感じさせない響きに、チェイスは全身を悪寒に襲われ口をつぐむ。
そこへ愛子が執り成すように口を挟む。
「チェイスさん。月影君には月影君の考えがあります。無理強いはしないで下さい。月影君も、あまり過激な事は言わないで下さい。
もっと穏便に……月影君は、本当に戻ってこないんですか?」
愛子が悲しそうにうみを見やり、理由を聞こうとするが、それより早くうみが席を立った。
いつの間にか、ユエやシアも食事を終えている。
「明日の朝、仕事に出て依頼を果たしたら、ここを出ます」
それだけを告げ、愛子が引きとめようとするのも無視して、うみはユエとシアを連れて二階への階段を上っていってしまった。
後に残された愛子達の間には、何とも言えない重い空気が流れる。
うみ本人は先ほど「今までのはキャラ付けで、こっちが平常運転」と言っていた。しかし、愛子や生徒たちはそれをそのまま受け取ることはできなかった。
あの常軌を逸したプレッシャーや、「邪魔をするなら殺す」「国ごと滅ぼす」と絶対零度の声で言い放つ底知れない冷酷な態度は、地球で過ごしていた頃の彼からは想像もつかないものだったからだ。
ハジメを庇って奈落に落ちた彼が、あんな恐ろしい威圧感を放ち、他者を容赦なく切り捨てるようになるまでに、一体どれほど過酷で凄惨な経験をしたのか。
その勝手な推測と、彼を救えなかったことへの『誤爆事件』の負い目が、愛子たちを深く沈ませる。
チェイスは、傍らで治癒をかけられているデビッドの姿を見ながら、何かを深く考え込んでいる。
食事はすっかり冷めてしまい、食欲も失せた。
目の前の料理を何となしに眺めながら、誰もが一様に沈んだ表情で、その日は解散となった。
***
夜中。
深夜を回り、一日の活動とその後の予想外の展開に精神的にも肉体的にも疲れ果て、誰もが眠りについた頃。
しかし、愛子は未だ寝付けずにいた。
愛子の部屋は一人部屋で、それほど大きくはない。木製の猫脚ベッドとテーブルセット、それに小さな暖炉があり、その前には革張りのソファーが置かれている。
愛子はソファーに深く身を預け、火の入っていない暖炉を何となしに見つめていた。
彼女の頭の中は、整理されていない本棚のようにあらゆる情報が無秩序に並んでいる。
死んだと思っていた教え子が、生きて目の前に現れた喜び。
だが、その後の非友好的ですらない無関心な態度と、デビッドの剣を両断した時のあの常軌を逸した冷酷なプレッシャー。
(あんな風に変わらなければ、生き残れなかったのでしょうか……)
何の助けにもなれなかった自分の無力さに、愛子は深い溜息を吐いた。
「なに百面相してるんですか、先生?」
「ッ!?」
突如、誰もいないはずの密室から声が掛けられ、愛子はギョッとして振り向いた。
そこには――。
「月影、くん……!?」
部屋の隅に置かれた家具。その陰に落ちた真っ黒な『影』の中から、うみがまるで水面から浮上するかのように、音もなく這い出してくるところだった。
そのあまりにも非現実的で不気味な光景に、愛子は驚愕のあまり舌をもつれさせながら言葉を絞り出す。
「ど、どうやって入ってきたの!? 鍵はかかっていたはず……それに、今そこから……っ」
「手段なら色々ありますよ。手札が多いのが俺の強みなので」
飄々と答えるうみに、愛子はしばらく呆然とした後、
驚きでバクバクと煩い心臓を何とか落ち着かせながら、眉をしかめて咎めるような表情になった。
「こんな時間に、しかも女性の部屋にノックもなくいきなり侵入するとは感心しませんよ。
わざわざ不気味な手を使ってまで……一体、どうしたんですか?」
愛子の脳裏に一瞬、夜這いという言葉が過ぎったが即行で打ち消す。生徒相手に何を考えているのだと軽く頭を振った。
うみは、そんな愛子のお叱りを柳に風と受け流し、非常識な来訪の目的を告げた。
「そこを言われると弱いんだけど……。まあそれより、あの教会の連中がいると話せなかったんで。直接来ちゃいました」
「わざわざ先生に話を……? も、もしかして、本当は戻ってくる気になったんですか?」
期待に目を輝かせる愛子だが、うみは即座にその希望を打ち砕いた。
「いや、戻る気はないですよ。期待した目で見るのはやめてください。……今から話すのは、先生が一番冷静に受け止められるだろうと思ったからです」
そう前置きして、うみはオスカー・オルクスから聞いた『狂った神の遊戯』と『解放者』の物語、そして神が勇者たちを元の世界へ帰す気などないだろうという推測を語った。
愛子は呆然としながらも、懸命にその事実を咀嚼しようとする。
「俺が奈落で知った真実はこれだけ。戯言と切って捨てるか、真実として行動するかは先生たちに任せます」
それだけを告げ、うみは早々に話を切り上げて背を向けた。
再び影の中へ沈み込もうとする彼の背中に、愛子は慌てて声をかける。
「ま、待ってください! 南雲くんと中村さんは……諦めていませんでしたよ」
「……」
「皆が月影くんは死んだと言っても、南雲君たちは月影君を探すために、今も迷宮に潜って……」
愛子の悲痛な声。
しかし、その言葉を聞いたうみは、驚くわけでも、感動するわけでもなく。
ただ肩越しに振り返り、極めて平坦な声で返した。
「……だろうね。そうじゃないと困る」
「えっ……? それはどういう……」
意味がわからず戸惑う愛子に対し、うみは悪びれもせず、シンプルな事実を告げた。
「あの子らは、俺が生きてることを最初から知ってる。あの二人は、俺の協力者だから」
「――え?」
愛子の思考がフリーズする。
ハジメたちが、うみの生存も、そして自発的な離脱も全て知った上で、王都で行動していた。
そのあまりにも予想外な事実に、愛子は驚愕し、声もなく呆然と立ち尽くした。
「ところで……」
愛子が混乱の極致にあるのをよそに、うみはそのまま話題を変えるように、唐突な質問を投げかけた。
「檜山大介はどうなりました?」
「ひ、檜山くんですか……? 彼は天之河くんたちと一緒に、迷宮の攻略を頑張っていますよ……」
急に特定の生徒の名前が出たことに戸惑いながらも、愛子がそう答える。
それを聞いたうみは、「ふーん」と、どこか酷薄なほど冷たく目を細めた。
「じゃあやっぱり、あの一件はただの『事故』として処理されたんですね」
「え……? 事故って……どういうことですか?」
嫌な予感に、愛子の背筋に悪寒が走る。
うみは、さらに愛子を絶望のどん底へと突き落とす、決定的な事実を口にした。
「俺が離脱するきっかけになったあの一件。あれは事故じゃありません。
檜山がハジメを狙って起こした突発的な犯行です。まあ平たく言えば、ハジメは檜山に殺されかけたってわけですね」
「――ッ!?」
顔面が蒼白になり、愛子の全身が硬直する。
クラスメイトの中に、仲間を殺そうとした人間がいる。しかもそれが、今も勇者たちの中に混ざって平然と行動している。
「そ、そんなわけないでしょう!? 万が一そうだとして、どうして檜山くんが南雲くんを……!」
生徒を信じたい一心で、愛子は声を震わせて反論した。
しかし、うみはどこまでも淡々と、真実を突きつける。
「動機はシンプル。白崎さんですよ」
「……なぜそこで白崎さんが……?」
「檜山は白崎さんに惚れてる。でも当の本人はハジメにご執心。檜山としては面白くなかっただろうね。
そんな中でイレギュラーな事態……好機がやって来た。魔が差したってやつでしょうね」
「ありえません……! そんなことで、仲間を殺そうとするなんて……!」
あまりにも身勝手で、くだらなくて、けれど高校生が陥るにはあまりにもリアルな動機。
愛子は両手で口を覆い、絶望的な顔で首を振った。
そんな愛子を見下ろしながら、うみは静かに告げる。
「愛子先生からしたら信じがたいでしょうけど、割とよくあることだと思いますよ。
俺の信頼する人曰く、『愛ほど歪んだ呪いはない』らしいので」
人を想う強すぎる感情が、時として黒く歪み、呪いへと変貌する様を、うみは呪術の世界で嫌というほど見てきた。
「ハジメと会う機会があるなら伝えておいてもらえますか? 『背後』には気をつけなよって」
そう言い残し、うみは足元の影へとズブズブと沈み込んでいく。
そして、完全に姿を消す直前。微かに安堵したような、柔らかな声でポツリと独り言をこぼした。
「まあ、恵里が気づいて警戒してくれてはいそうだけど……」
それが、愛子の部屋に響いた最後の言葉だった。
影は跡形もなく消え去り、静寂だけが残される。
愛子は、神の真実と、生徒の中に潜む『殺人未遂犯』という重すぎる事実を受け止めきれず、自らの体を抱きしめながら、長く眠れぬ夜を過ごすのだった。