夜明け前。
まだ空が白み始めたばかりのウルの町は、ひんやりとした朝靄に包まれていた。
静寂の中、うみ、ユエ、シア、そしてミレディの四人は、すっかり旅支度を整え、『水妖精の宿』の前に立っていた。
「朝早くからありがとう。助かるよ」
うみが、宿の主であるフォスから手渡された包み――移動しながら食べられるようにと握られたおにぎり――を受け取り、ふわりと微笑む。
色素の薄い銀青の髪と、神秘的な蒼い瞳。
ただでさえ目を引く美貌の持ち主が、何の気負いもない自然体で向けた笑顔に、
オーナーであるフォスは、大人の余裕を感じさせる柔らかな笑みで応え、
従業員たちはポッと頬を染めて硬直する。彼に他意は一切ない。
呼吸をするように人を惹きつける雰囲気は、今日も平常運転である。
「……ん。行こう」
「はいです! 今日も頑張りましょう!」
ユエがうみの袖を軽く引き、シアが元気よくウサミミを揺らす。
うみは「そうだね」と頷き、一行は北の山脈地帯へと通じる北門へ向かって歩き出した。
やがて、朝靄の向こうに巨大な北門のシルエットが見えてきた。
しかし、その門の傍らには、すでに複数の人影と、嘶く馬たちの姿があった。
愛子と、六人の生徒たち――園部優花、菅原妙子、宮崎奈々、玉井淳史、相川昇、仁村明人だ。
その光景をいち早く捉えたうみは、歩みを止めることなく、いつもの抑揚のないフラットな声で問いかけた。
「……何となく想像はつくけど、一応聞こうかな。何してるんですか? こんな朝早くから」
その声にビクッと肩を揺らした愛子だったが、すぐに毅然とした態度を作り、うみと正面から向き合った。
その後ろで、生徒たちも愛子を守るように固まる。
「私達も行きます。行方不明者の捜索ですよね? 人数は多いほうがいいはずです」
「却下です」
考える間も与えない即答。あまりにあっさりとした拒絶に、愛子は目を丸くした。
「な、なぜですか!?」
「単純に、実力不足だから。言葉を選ばずに言うなら、足手まとい」
身も蓋もない事実の提示。
その言葉に、愛子を守る親衛隊であり、かつて迷宮でうみに命を救われたことで彼を少し意識し始めていた園部が、たまらず前に出た。
気丈に振る舞いながらも、彼女の目には僅かに涙が滲んでいる。
「ちょっと、月影くん! そんな言い方ないでしょ!?
私たちのことよく思ってないからって、愛ちゃん先生にまでそんな冷たく八つ当たりしないでよ!」
悲痛な抗議。
しかし、それを受けたうみは、心底不思議そうに小首を傾げた。
「えっと……園部さん、だったよね? 何か根本的に勘違いしてるみたいだけど」
うみは小さく息を吐き、どこか諭すような落ち着いたトーンで言葉を紡ぐ。そこに怒りや苛立ちは微塵もない。
「俺はそもそも、君たちのこと嫌いでも何でもないよ? 愛子先生に至っては、一人の教師として尊敬してすらいる」
うみの脳裏に過るは自身の周囲の教師たち。
五条悟、日下部篤也、庵歌姫。
悪い人たちというわけではないのだが、誰もかれも教師としては一癖ある者ばかり。
それに比べて、どんな理不尽な状況下でも真っ当に「生徒」を案じ、
自身の非力さを嘆きながらも前に立とうとする愛子は、純粋に尊敬に値する『先生』だった。
五条たちがそうじゃない、というわけではないのだが……。
そんなうみのストレートすぎる本音は、思わぬ副産物を生み出した。
「そ、尊敬だなんてぇ……えへへ」
愛子の態度が一変した。威厳と頼りがいのある教師を目指して気を張っていた彼女にとって、教え子からの「尊敬している」という評価はクリティカルヒットだったらしい。
だらしなく頬を緩ませ、分かりやすくデレッとしてしまう。
その後ろで、菅原が「愛ちゃん先生……」と、今喜ぶところじゃないでしょ、とばかりに呆れたツッコミを入れた。
「……なっ、ならどうして!」
気を取り直した園部が再び食い下がる。
うみは「これは君らのために言ってるの。いい?」と前置きをして、冷徹な分析結果を突きつけた。
「俺たちがフューレンのギルド支部長から受けたのは、北の山脈の調査に向かって行方不明になったパーティーの捜索依頼。
その行方不明になったのは、平均ランク『黒』のベテラン5人パーティー。これは詳細を聞いてるから間違いない」
うみの視線が、園部たちを静かに射抜く。
死線を潜り抜けてきた彼の経験則が、目の前の生徒たちの魔力や身のこなしから、その力量にある程度の想定をつける。
フューレンで遭遇した黒ランクの冒険者、レガニドの力量を基準にすれば、結果は火を見るより明らかだ。
「対して、君たちの実力。……見た感じ、大体平均『紫』ランクってとこかな。
黒ランクの冒険者の実力はだいたい知ってるけど、今の君らじゃ逆立ちしても勝てない。
足手まといを連れていたとはいえ、平均ランク『黒』の5人が全員生死不明になるような危険地帯に、『白』にすら満たない君らが行く気?」
絶望的な戦力差を論理的に提示され、生徒たちは言葉を失う。
だが、それでも愛子だけは引き下がらなかった。
行方不明になっている清水のこと、そして昨夜うみが語った「檜山の殺人未遂」の真意を問いただすという、教師としての重い責任があるからだ。
愛子が「それでも行かなければならない。逃げれば追う」と不退転の覚悟を見せると、うみは困ったように頬を掻いた。
「……しょうがないなぁ。死んでも自己責任ですからね?」
そう言って、うみは呆れ半分、諦め半分で同行を許可した。
「……ん。うみ、連れて行くの?」
「うん。この人はそういう人だからね。生徒の事に関しては妥協しないんだよ。
ここで下手に放置して、後で騎士団とか動かされて騒がれる方が絶対に面倒なことになるから」
「ほぇ~、生徒さん想いのいい先生なのですねぇ~。
でも、生徒さんのことを考えるなら、今のうみくんのお話を聞いて引くべきなのでは?」
感心しつつも首を傾げるシアに、うみは小さく息を吐いた。
「今の説明も事実ではあるけど、園部さんたちの危険を煽れればって思ったんだけどね。……先生にとっては、俺も『生徒』ってわけだ」
生徒(園部たち)が危険だから引くべき。
でも、うみもまた生徒である以上、放っておくわけにはいかないから自分だけはついて行く。
それを見た園部たちも「先生一人を行かせられるか」と全員同行、といったところだろうか。
「なるほど……どこまでも『先生』なのですねぇ」
身内たちとのやり取りを終え、うみは再び愛子たちへ視線を向けた。
「というわけで、一緒に行くならその馬は置いてきてください」
「えっ? 馬がなかったら、どうやって移動するのよ?」
すかさず園部がもっともな疑問を口にする。うみたちの足に合わせるなら馬の速度では論外だが、かといって徒歩などあり得ない。
うみはそれに答える代わりに、『カゴ』の能力を発動させた。
ズゥン……という重い稼働音と共に、虚空から巨大な物体が出現する。
「えっ……!?」
「な、なんだこれ……!?」
突然現れた異世界にはそぐわない代物に、生徒たちは度肝を抜かれ絶句した。
それは、大型のボートのような形状をした『磁気浮遊艇』。
物理的な屋根はなく、内装は高級なリムジンのようにゆったりとしたシートが対面式に配置され、十二、三人が余裕で座れる広さがある。
操縦席やハンドルのようなものは一切存在しない。
駆動はすべてうみの技能によって行われ、走行を開始すれば空気中の魔力を吸収して不可視の天蓋を張るという、オーバーテクノロジーの塊であった。
「ほら、早くして」
呆然とするクラスメイトたちをよそに、うみは彼らの反応など一切気にする様子もなく、ユエたちを伴ってマイペースに広々としたシートへと腰を下ろした。
その後、全員が乗り込んだことを確認すると、うみは視線だけを動かして「出発するよ」と短く告げた。
直後、浮遊艇は浮かび上がると音もなく滑るように前進を始めた。
車輪がないため振動は一切なく、それでいて周囲の景色が飛ぶような速度で後ろへと流れていく。
さらに、艇を覆うように展開された不可視の魔力障壁が風の抵抗を完全に遮断しており、
これだけの猛スピードを出していながら、車内はそよ風一つ吹かない完璧な静寂と快適さが保たれていた。
「うわっ……! なんだこれ、すっげぇ!」
「本当に浮いてる……信じられない、どんなアーティファクトなんだ……?」
相川をはじめとする男子たちが、窓外の景色と足元の感覚に驚嘆の声を上げる。
一方、園部たち女子勢は、少し離れた席でユエとシアを囲み、異世界の事情などを質問攻めにしていた。
「ねえねえ、ユエちゃんって普段どんな魔法使うの?」
「シアちゃんのそのウサミミ、触ってもいい!?」
「……ん」
「はいです! ちょっとだけならいいですよー」
ユエとシアは女子たちに囲まれながら、内心で泣く泣く愛想笑いを浮かべていた。
実は出立前、うみから「自分が先生と話している間、生徒たちをこちらに近寄らせないでほしい」と事前に指示されていたのだ。
うみと一緒にいられないのは不満だったが、彼の頼みとあらば断れない。
二人は防音壁の役割を果たすべく、女子たちの相手を引き受けていたのである。
そんな彼女たちの涙ぐましい努力によって生まれた隙を突き、うみは少し離れた席で、愛子と対峙していた。
「それで? 愛子先生が聞きたいのは昨夜のこと……主に檜山とハジメのことでしょうけど、
正直、昨日言ったのが全部でそれ以上はないですよ?」
うみは、昨夜の続きを求めてくる愛子に対し、最初から核心を突くように切り出した。
愛子は姿勢を正し、真剣な表情で口を開く。
「……今は、それが故意だったかどうかは置いておきます。
ですが……そもそもなぜ、檜山くんの放った魔法だったと、月影くんは言い切れるんですか?」
愛子の問いは、感情論ではなく理詰めだった。
オルクス大迷宮での事件後、彼女はメルドや同行した騎士たちに仔細を聞いて回っていた。
そこで得た情報は「誰かの魔法が衝突した」「あの混乱の中では、誰のものかは分からない」というものだったのだ。
だからこそ、愛子にはどうしても解せない。
騎士団ですら分からないものを、なぜうみは断言できるのか。
そんな愛子の追及に対し、うみは少し悩ましそうに息を吐いた。
「……それに答えるには、先に話さなきゃいけない前提があるんですけど……先生に理解できるかなぁ」
「はぐらかそうとしても無駄ですよ、月影くん。私は教師として真剣に聞いているんです。
理解できるかどうかは、聞いてから判断します」
はぐらかされたと感じてムッとする愛子に、うみは困ったように苦笑して釘を刺す。
「誤魔化すつもりなんてないですよ。ただ、俺が今から話す内容は、普通の人間には少し理解しがたいものだ……っていう話です」
「……わかりました。聞かせてください」
愛子が促すと、うみは一つ頷き、話し始めた。
「わかりました。まずは大前提となる、俺の体質……この『眼』についての話です」
「……眼、ですか? あれ? そういえば月影くんって、視覚過敏症じゃなかったんですか? いつも目を隠していましたよね?」
「ああ、あれは嘘です。俺、そこそこ有名人だったので、ただの身バレ対策です」
「う、嘘だったんですか!?」
驚く愛子を、うみは「そこは今重要じゃないので置いときます」とバッサリ切り捨てて、本題に戻る。
「俺のこの眼は、『六眼』と呼ばれる特異体質で……簡単に言うと、いろいろなものが視えるんです」
「いろいろなもの?」
「ええ。あらゆる物質の詳細な構造から、オカルト的な力の流れまで、この眼に映る世界は、すべてが情報に溢れてる。
ざっと常人の数倍以上の情報量でしょうね」
「…………」
「と、まずはここまでが一つ。ここまではいいですか? というか、これを受け入れてくれないとこの先進めないんですけど」
愛子は突拍子もない告白に目を瞬かせたが、コホンと咳払いをした。
「え、ええ……。つまり、月影くんの眼は、普通の人には見えない細かい部分まで視えてしまう……ということですよね。
信じがたいですが、あなたが嘘を吐く理由もありませんし……分かりました」
「ならよかったです。それじゃあ次。この世界の『魔力』についてです」
うみは少しだけ姿勢を崩し、愛子の顔を覗き込むようにして問いかけた。
「この世界では基本的に亜人以外は魔力を持ってるわけですけど……そのすべてが同じものだと思いますか?」
「えっと……ステータスプレートを見ても、人によって魔力値も違えば、魔法の適性も違いますよね。なので、全く同じ、ということはないんじゃないですか?」
少し考え込み、愛子は自分なりの答えを出した。その返答に、うみは少しだけ目を丸くして驚いたような顔を見せる。
「へぇ……。まさか、非戦闘員の先生からその発想が出てくるとは思いませんでした」
「え? そ、そうですか?」
「ええ。この世界の人に同じ質問をしたら、『当然同じに決まっている』って答えが返ってきますよ」
うみは感心したように頷き、説明を続ける。
「結論から言えば、先生の言う通り正解です。
魔力は魔法を行使するエネルギーとしては同じでも、個々人によって微細な違い……波長や色の違いが存在する。
ただ、この世界の人間には認識されていませんが」
「認識されていない……?」
「当然です。なにせこの世界には、魔力を感知する手段はあっても、それを『視る』手段が存在しませんから」
うみはそこで言葉を切り、静かに愛子を見据えた。
「さて、これで必要な前提が揃ったわけですけど……先生、何か気づきませんか?」
うみの問いかけに対し、愛子は提示された二つの前提情報を頭の中で整理し直す。
すべてを視透かす眼。そして、個人によって異なる魔力。
二つの情報が結びついた瞬間、愛子の顔がサァッと青ざめた。
「月影くんの眼が特殊で……魔力は個人で違う……まさか!」
「そう。俺のこの眼には、魔力の流れもその個性もハッキリと映る。あの時の魔法の魔力は、間違いなく檜山の物でした」
最終結論を告げるうみの声は、どこまでも平坦だった。
確定してしまった事実に、愛子の唇がワナワナと震える。そこへ、うみはさらに残酷な事実を突きつけた。
「それで、最初に先生が横に置いておいた『故意かどうか』についてですけど。
それは昨日話した動機と……あの時、ハジメに魔法が着弾した瞬間の、檜山の顔からの判断です」
「顔、ですか……?」
「ええ。それはそれは、ほんっとうにいい笑顔でしたよ?」
うみの残酷なまでの観察結果を突きつけられ、愛子は頭を抱えてウンウンと呻き声を上げ始めた。
ほぼ確定となった事実。
人殺しで歪んでしまったであろう檜山の心をどうすれば元に戻せるのか、どうやって償いをさせるのか。
教師としての重圧と絶望に、愛子の思考がグルグルと回り始める。
そんな彼女を見て、うみは呆れたように小さく息を吐いた。
「何考えてるかは大体わかりますけど、寝不足の頭で考えてもろくな答えは出ませんよ。一回寝たらどうです?」
「こ、こんなこと聞かされて、寝れるわけないじゃないですかっ!」
クマのある目で抗議する愛子。その真っ当な反論に、うみは「ですよねぇ」と同意するように頷いた。
「……仕方ない」
「えっ……?」
うみがスッと手を伸ばし、愛子の額に人差し指と中指をトンッと押し当てた。
直後、言葉を紡ぐ間もなく、愛子の意識がプツンと途切れ、その体が崩れ落ちる。
「っと」
うみは崩れ落ちた愛子をスッと受け止めると、空間を繋ぐ『カゴ』の能力でクッションと毛布を取り出した。
広々としたシートに愛子を寝かせ、毛布をかけてやる。
手際よく愛子の寝床を作ったうみは、そのままスッと立ち上がり、誰も座っていない席へと移動し、ゆったりと腰を下ろした。
***
うみが席に座り、外の景色を眺めながらくつろいでいると、女子勢の輪から抜け出した園部が、緊張した面持ちで近づいてきた。
他の生徒たちは、園部が何をするか事情を知っている。
だが、昨夜にうみの放つプレッシャーを体感したため、『大丈夫か?』と固唾を呑んで見守っている。
「あの……月影くん。ちょっと、いいかな」
「……? うん、どうぞ」
うみが短く促すと、園部は隣に座り、居住まいを正して深く頭を下げた。
「あの時はありがとう。月影くんが居なかったら、私は死んでたと思う……っ」
意を決した真摯な感謝。
しかし、それを受けたうみはキョトンとして小首を傾げた。
「……えっ? なんかあったっけ?」
予想外すぎる返答に、見守っていた生徒たちもズコーッとずっこけそうになる。
「えっ!? ほ、ほら、オルクス大迷宮でベヒモスが出た時! 私が骸骨に殺されそうになったのを助けてくれて……!」
「……あー、あれかぁ」
必死に説明する園部に、うみは少し視線を上に向けて記憶を探り、ようやく思い当たったように頷いた。
「……別に気にしなくていいよ。頭上げて」
うみは優し気な声で続ける。
「偶然あそこにいたのが俺だったってだけだし。俺がやらなくても、他の誰かがやってたよ」
「それでもだよ……! 助けてくれた事実は変わらないし、月影くんのおかげで今生きているから……っ」
引き下がらない園部の真っ直ぐな瞳に、うみは「ふむ」と小さく息を吐いた。
「……そこまで言うなら、大人しく受け取っておくよ。どういたしまして」
うみがフッと見せた気負いのない笑顔に、園部はホッとした表情を見せた。
そのやり取りを眺め、うみの態度が意外に普通であることに安堵した他の5人の生徒たちも、恐る恐るうみの周りに集まってくる。
生徒たちが勢揃いし、全員が一斉に深く頭を下げ謝罪した。
しかし、それを受けたうみは、先ほどの感謝以上に本気でピンときていない顔をする。
「…………えーっと。これは何の『ごめん』? 本当に覚えがないんだけど」
本気で理由が思いつかないという顔で首を傾げるうみに、頭を下げていた生徒たちは再び毒気を抜かれたように顔を上げる。
園部が落ち込み気味に、その理由を説明した。
「その、迷宮で……南雲くんが落ちて、月影くんが助けに飛び込んだ時……私たち、本当に何もできなかったから。
……あの一件がなかったら、月影くんが昨日みたいな……あんな風に、変わっちゃうこともなかっただろうから……っ」
昨夜の夕食時、うみは自ら「今までのはただのキャラ付け。こっちが平常運転」と語っていた。しかし、生徒たちの間では未だにそれを額面通りには受け取れておらず、誤解が解けていなかったのだ。
自分たちが見殺しにしたせいで、彼の性格が冷酷に歪んでしまったのだという自責の念。
その説明を聞き、いまだにそんな勘違いをしていたのかと、うみはようやく合点がいったように「う〜ん……なるほど?」と顎に手を当てた。
「そっちから見ると、そういう結果に見える……のか?」
うみは一旦それで納得したように頷き、彼らの根本的な誤解を訂正する。
「昨日も言った通り、俺は別に異世界に来て変わったわけじゃないよ。地球にいた頃からの価値観だから。
……だから、別に君らが気に病むことないよ」
そうあっさり許容すると、うみは園部の頭を、息をするように自然に撫でた。
「ぇ……あ、う、うん……っ」
不意打ちで頭を撫でられた園部は、ポッと顔を真っ赤にしてカチコチに固まってしまう。
そんな彼女の様子に、少し離れた席から、ユエたちの「まーたやってるよ」という視線が突き刺さっているが、気づくはずもない。
うみは、園部の頭を撫でた手を下ろすと、何でもないことのように爆弾発言を投下した。
「そもそも、あそこでの離脱は俺の意思によるものだからね」
「え? 意思って……どういうことだよ?」
玉井が頭にハテナを浮かべる中、うみは淡々と真実を語る。
「あそこでハジメと二人で戻る手段はあったし、そもそも、あの時点で真っ先にベヒモスを片付ける選択肢もあった。
……ただ、あの時点で教会とかに目を付けられたくなかったのと、ちょうどいい離脱の理由付けになるから、あの選択を取っただけ」
その言葉に、生徒たちは息を呑み、絶句した。
「べ、ベヒモスを片付けるって……あんな化け物、あの時の俺たちじゃ……それに騎士団だって手も足も出なかったのに……!?」
絶句する玉井に対し、うみは平然と返す。
「俺にはできたってだけの話。あの程度のやつなら、倒せる人は地球にも結構いるよ?」
「地球にも……って。月影、お前まさか……地球にいた頃から……!?」
驚愕する相川に、うみは静かに目を細め、どこか遠くを見るような、それでいて凄みのある声で返した。
「詳細は言わないけど、俺は元々そういう環境に身を置いてたから。もう、十年以上になるかな」
その言葉に、目の前にいるクラスメイトは、奈落での凄惨な経験から変わったのではなく、
最初から自分たちとは別次元の存在だったのだと、その真実をここに来て初めて正確に理解し、生徒たちは戦慄を覚えるのだった。
***
北の山脈地帯。
標高千メートルから八千メートル級の山々からなるそこは、
エリアごとに秋の色彩や真夏のような青葉など環境がバラバラで、北へ北へと幾重にも重なる不思議な場所だ。
うみの操る浮遊艇は、そんな山脈の麓――赤や黄の鮮やかな紅葉が広がるエリアへと到着した。
到着の少し前、愛子が目を覚ました。
当初は、自分にかけられた毛布から、「眠れるわけない!」と宣言(?)をした直後にぐっすりと眠っていたことに気づき、
愛子は己の失態に顔を真っ赤にして恥じていたものである。
うみに強制シャットダウンされたことには、微塵も気づいていない。
だが、浮遊艇を降りて山脈の美しい自然の芸術を前にすると、女性陣から「ほぅ」と感嘆の溜息が漏れ、
愛子も鮮やかな景色を前に彼女的黒歴史を頭の奥へ追いやることに成功したようだった。
また、うみの異常なバックボーンを知って戦慄していた生徒たちは、過剰に萎縮するわけではなく、概ね通常通りの態度に戻っていた。
彼ら自身もこの世界の基準に照らせば『超人』の部類に入ることと、なんだかんだこの異世界に適応していた結果だろう。
ただ、園部だけはうみに対して少したどたどしく、どこかよそよそしい態度になっていた。
ここ数ヶ月の間、封じ込めていた『何かしら』が、先程までのやり取りを経て、膨れ始めているのだろう。
「それじゃ、探そっか」
うみは指で印を結び、自身の影から呪力で構成された式神『響蝠』を大量に顕現させた。
その数は十や二十ではない。優に三桁に及ぶほど。
空を覆い尽くさんばかりの黒いコウモリの群れが一斉に山脈へと散らばっていく。
それを見て、仁村がたまらずツッコミを入れた。
「おいちょっと待て! 今の絶対、錬金術関係ねぇだろ!?」
「言ったでしょ。俺は元々、そういう環境で生きてきたって」
呆然と空を見上げる愛子も、恐る恐る問いかける。
「……それで、あれは一体何なんですか?」
「先生たちに分かるように言うなら、『使い魔』ってところですかね。
あの子たちが拾った情報は、全部俺の脳に直接届くようになってます」
愛子の疑問に簡潔に答えながら、ミレディを抱えて山へ足を踏み入れていく。
それに追従するように、ユエ、シアと続き、愛子たち一行もおいてかれまいと後を追う。
しかし、足場の悪い山道を進むにつれ、元々運動不足の教師である愛子や、ステータスは高くても登山の疲労には慣れていない生徒たちが次第に息を上げ、バテバテになっていく。
対照的に、うみたちは涼しい顔だった。ユエは息一つ乱さず、シアに至ってはピョンピョンと跳ね回りながらおにぎりをモグモグと食べている。
そんな状態でおおよそ六合目まで来たかというところで、うみは脚を止めた。
響蝠からの情報で、この先はさらなる悪路となることが分かっている。
さすがにこの惨状では先に進めないと判断して休憩を取ることにしたのである。
「はぁはぁ、きゅ、休憩ですか……けほっ、はぁはぁ」
「ぜぇー、ぜぇー、大丈夫ですか……愛ちゃん先生、ぜぇーぜぇー」
「うぇっぷ、もう休んでいいのか? はぁはぁ、いいよな? 休むぞ?」
「……ひゅぅーひゅぅー」
「ゲホゲホ、月影達は化け物か……」
死屍累々とはこのことか。
息も絶え絶え、一人の例外なく脚をもつらせている。
「君ら体力ないねー」
限界寸前でゼェハァと息を吐く愛子たちを見て、うみは純粋に思ったことをそのまま口に出す。
「そっちがおかしいんだよっ!」
相川がたまらず吠えた。
「どんだけステータスが高くても、こんな足場の悪い山道をずっと登りっぱなしなら普通は疲れるんだって!」
「そうよ……だいたい、ミリィちゃんを抱えたまま全く汗もかいてない月影くんが一番おかしいのよ……」
宮崎もぜぇぜぇと息を吐きながら同意する。
そんな彼らの尤もな抗議に、うみが何かを言い返そうとした、その直後だった。
広域に散らせていた響蝠の一体が、少し上流の川岸付近で『人工物』を捉えたのだ。
「先生、ちょっと周囲を見てきます」
うみは地面にへたり込む愛子たちにそう言い残し、反応のあった場所へ移動を開始する。
ユエとシアも当然のようについてきたが、川岸に着いた途端、澄み切った清流を前にした二人の興味は、完全に「川遊び」へとシフトしてしまった。
その様子を見たうみは仕方ないなぁと笑いながら、「遊んでていいよ」と声をかける。
なお、ミレディにも聞いたが、「一緒についていく」とのことだったので、ユエとシアを残して二人で反応のもとへ向かった。
川のせせらぎが少しずつ遠ざかり、木々のざわめきが濃くなる獣道を、うみはミレディを抱えたまま静かに進む。
周囲に他の誰もいなくなったのを確認すると、ミレディがうみの腕の中でニヤニヤと笑いながら口を開いた。
「ふふふ~、ユエちゃんもシアちゃんも相変わらず自由だねぇ。
まあ、うみくんを独り占めできるから、ミレディちゃんとしては願ったり叶ったりだけど!」
「はいはい」
うみが適当に相槌を打ちながら進んでいると、ミレディがジトッとした探るような声を上げた。
「それでぇ? あの園部ちゃんだっけ? うみくんとはどんな関係なのかなぁ?」
「どんなって? 友人……っていうにはほぼ関わりなかったから……知り合い?」
「うっそぉ!? ただの知り合いであんな雰囲気になるわけないじゃんか! あの子、完全にうみくんのこと意識しちゃってたじゃないさ!」
さっきまでの車内での光景を見ていたミレディは、信じられないものを見るような目で声を上げる。
ミレディはうみに対して一人の女性としての恋慕やヤキモチをダダ漏れにしているが、当のうみは不思議そうに首を傾げるだけだった。
「そんなわけないでしょ。そもそもちゃんと話したのはさっきのが初めてだし。……それに、むしろ今は苦手意識を持たれてるっぽいしね」
「は? どこをどう見たらそうなるのさ?」
「いや、さっきの……地球にいた頃の話をした後から、なんか態度がたどたどしいというか、よそよそしかったから」
うみは、先ほど浮遊艇を降りてからの園部の態度を思い返し、肩をすくめた。
自分は元々、地球にいた頃から死線と隣り合わせの血生臭い環境に身を置いてきた人間だ。
詳細は語らなかったが、あの文脈と口ぶりから自分が「そっち側」の人間だと察し、平和な日本で生きてきた普通の高校生が引くのは当然のこと。
なんなら、戦慄しつつもすぐに通常運転に戻った相川たちの方がこの世界に染まりすぎていて異常であり、
自分を恐れて距離を置こうとしている(とうみは思っている)園部の反応こそが、一般人として極めて真っ当だとすら感じていた。
「まあ
「不憫だねぇ、園部ちゃん……」
うみの見事なまでの勘違いと自己完結に、ミレディは心底同情するようにため息を吐く。
――が、次の瞬間、彼女はハッと息を呑んだ。
(……って、笑い事じゃないかも。これ、私にとっても相当手強い相手なんじゃ……?)
向けられる好意に対する超ド級の無自覚さと、それを自分の中で強引に論理変換してしまう鉄壁の鈍感力。
ミレディは、己の前途も多難であることに気づいて内心で冷や汗を流した。
ふと彼女の軽口が途切れ、ゴーレムの瞳がスッと細められた。
同時に、うみも足を止める。
「……お喋りはここまでみたいだね」
「うん。ビンゴだ」
二人が辿り着いた先。川の上流、鬱蒼と茂る茂みを抜けた少し開けた場所に、それはあった。
地面に散乱しているのは、小ぶりな金属製のラウンドシールドと、革製の鞄だ。
うみはミレディを地面に下ろし、自らも屈み込んで遺留品を精査する。
ラウンドシールドは、中央から無残にひしゃげてひん曲がっており、鞄の紐は半ばで強引に引きちぎられていた。
「……確か、捜索対象のパーティーには盾持ちと軽戦士がいたんだっけか。少なくとも、この盾を構えていた人は死んだね」
「同感。それに、あそこを見てよ」
ミレディが指差した先には、一本の太い木があった。
その木の表面の皮が、べろりと広範囲にわたって剥げ落ちている。
何かが激しく擦れた拍子に剥がれたような、生々しい傷跡だ。
「高さは大体二メートルってところか。この山脈全体で見て、こんなことができそうなのは……確か、二つほどお隣さんの『ブルタール』ってやつだっけ?」
「だねぇ。事前に聞いた情報通りなら、その子くらいしかできない芸当だ。……まったく、そんな奥地にいるはずの連中が、わざわざこんなところまで出張ってきたってことかぁ」
ミレディがやれやれと肩をすくめる。
しかし、うみは傷跡の付き方や周囲の状況を静かに見渡し、さらなる推測を口にした。
「一般的な生態系で考えて、生き物が本来の生息圏を外れて別のエリアに大きく移動する理由は、大体四つに分けられる」
うみはひしゃげた盾を無造作に置き、淡々と指を折りながら一般論を並べていく。
「一つ、『食糧枯渇による遠征』。 二つ、『気候変動等による環境変化』。
三つ、『自然災害の発生』。 そして最後が――『自身以上の存在からの逃亡』」
「なるほどねぇ」
ミレディは感心したように頷くと、ゴーレムの短い腕を組んで先を促した。
「……で? その中でうみくんの見立てはどれなのさ」
「『自身以上の存在からの逃亡』だね」
迷いなく言い切ったうみに、ミレディは「理由は?」と首を傾げる。
「まず真っ先に、『気候変動』と『自然災害』が消える。もし異常気象や災害が起きていれば、必ずギルドや街の記録に残るはずだけど、そんな記録は見つからなかったからね」
「確かに。じゃあ『食糧枯渇』はどうして弾いたのさ?」
「事前に調べた限り、ブルタールは雑食らしい。基本何でも食べる生き物が食糧枯渇に陥るとは考えにくい」
うみはそこで言葉を区切り、ひしゃげた盾から、広範囲に皮が剥がれた木へと視線を移す。
「以上の消去法から残ったのが四つ目。……本来の生息地である二つ隣の山で、自分たちより強い上位の魔物か何かに縄張りを追われたってことだ。
そこから逃げてきたブルタールが、ここで冒険者と鉢合わせた……ってのが最有力だろうね」
一通りの痕跡と状況の分析を終えたうみは、「戻ろうか」と短く告げ、再びミレディを抱え上げて水辺へと引き返した。
***
うみたちが川岸へ戻ると、そこには休憩からいくらか復活し、ユエやシアに追いついてきた愛子たちの姿があった。
「手がかりがありました。こっちです」
うみがそう告げると、愛子や生徒たちの顔にサッと緊張が走る。
うみは彼らを先導し、先ほど見つけた盾や、木の傷がある地点まで全員を案内した。
「これは……盾、ですか?」
「ぐにゃぐにゃに曲がってる……それに、あの木の傷……」
凄惨な争いの片鱗を前に、生徒たちが息を呑む。
彼らが遺留品を観察している間、うみは響蝠に指示を送る。
直後、山脈全域に広範囲に散らせていた響蝠たちが、バサバサと羽音を立てて上空から舞い戻ってくる。
うみはそれらをこの周辺一帯へと集中的に再配置した。 広大な索敵範囲を限定し、一つのエリアに何百もの目と耳を集中させることで、捜索の密度を劇的に上げる。
些細な痕跡すら見逃さない、網の目のような精密索敵網の完成だ。
「行くよ。ここからは油断しないで」
うみの声を合図に、響蝠の精密索敵を頼りにしながら、全員で傷のある木の向こう側へと踏み込んでいく。
先へ進むほど、次々と激しい争いの形跡が発見された。
半ばでへし折れた太い木や枝。激しく踏み荒らされた草木。
さらには、折れた剣の刀身や、べっとりと黒ずんだ血が飛び散った痕まで。
その生々しい光景を目の当たりにする度に、愛子や生徒たちの表情がこわばり、顔から血の気が引いていく。
しばらく無言のまま争いの形跡を追っていくと、響蝠とパスを共有していたうみが歩みを止め、前方の茂みを掻き分けた。
「……ペンダント?」
うみが土の中から拾い上げたのは、泥にまみれたペンダントだった。
指先で軽く汚れを落とすと、それがただの装飾品ではなく、ロケットペンダントであることが分かる。
カチリと留め金を外して中を見ると、そこには優しげな女性の写真が入っていた。
おそらく、誰かの恋人か妻といったところだろう。
「うみくん、それは……?」
「行方不明になった冒険者パーティーの誰かのものだろうね。古びた様子もないし、まだ新しい」
シアの問いに答えながら、うみはそれを静かにポケットへと回収した。
大した手がかりではないかもしれないが、彼らがここにいたという決定的な証拠だ。
その後も、遺留品が散見され、一行はそれを辿るようにさらに山を登っていく。
どれくらい探索しただろうか。位置的には八合目と九合目の間に差し掛かり、日はだいぶ傾き始めていた。
奇妙なことに、未だに野生の動物以外の生命反応が一切ない。
山の浅い階層ならともかく、ここまで登れば弱い魔物の一匹や二匹出てもおかしくないはずだが、
まるで周囲のすべての生物が息を潜めているような、不気味なほどの静けさが辺りを支配していた。
しばらくして、東へ三百メートルほど離れた場所に配置していた『響蝠』から、うみの脳裏に大規模な破壊の痕跡のビジョンが共有された。
「……こっち」
うみの案内に従い、急行した先。
そこは、上流に小さな滝が見える大きな川だった。水量が多く、流れもそれなりに激しい。
しかし、異常なのはその地形だった。
「……な、なんだよこれ……」
相川が、信じられないものを見るような目で呟く。
本来なら真っ直ぐ麓に向かって流れているはずの川が、途中で大きく抉り取られ、そこに小さな支流ができてしまっていたのだ。
抉れた部分は不自然なほど直線的で、周囲の木々や地面は黒く焦げ付いている。
さらに、凄まじい衝撃を受けたのか、何本もの大木が半ばからへし折られ、何十メートルも遠くに吹き飛んで横倒しになっていた。
まるで、横合いから極太のレーザーか何かで一帯を丸ごと抉り飛ばしたかのような惨状。
「川辺のぬかるみに大きな足跡がある。……下流で冒険者と鉢合わせたブルタールの群れが、逃げる彼らを追ってここまで来たんだろうね」
うみは、ひしゃげた盾を叩き潰したであろう魔物の足跡を一瞥した後、異常な熱線によって抉り取られた川の断面へと視線を移した。
ブルタールには当然、川に支流を作るような規模の攻撃手段はないし、普通の人間が扱える魔法の範疇も大きく逸脱している。
圧倒的な破壊の痕跡。
愛子や生徒たちがその惨状に言葉を失い、戦慄している中、通信用のアーティファクトを通じて、ミレディからの念話が飛んできた。
『これは……』
『さっきの答え合わせだね。ブルタールをテリトリーから追い出した元凶が、こっちまで追ってきちゃったっぽい』
『うわぁ……当たってほしくない予想だったんだけどねぇ』
うみとミレディが、先ほど二人だけで立てていた仮説の答え合わせを交わす。
だが、その念話はシステム上、アイテムを所持しているパーティー全員の耳に届く仕組みになっていた。
『……ん? なんの話?』
『うみくん、何か分かったんですか?』
さっき川遊びに夢中で推察に参加していなかったユエとシアが、不思議そうに念話に割り込んでくる。
そんな彼女たちからの問いに対し、うみは異常なまでにえぐり取られた物理的な惨状を静かに見据えたまま、簡潔な答えを返した。
『――ここに、ブルタールなんかよりずっとヤバい奴が来てるってこと』
うみが告げた事実に、ユエとシアが僅かに息を呑む気配が伝わってきた。
一方、念話を持たない愛子や生徒たちは、目の前の抉り取られた川岸と巨大な足跡を前にして、未だに言葉を失い青ざめている。
「……とりあえず、現状を共有しておこうか」
うみは静かに呟くと、川のぬかるみに残されたブルタールの足跡から、周囲の状況へと視線を巡らせた。
「あの足跡の向きと乱れ方からして、ブルタールの群れは逃げる冒険者を追って川のすぐそばまで踏み込んでいる。で、その直後にこのレーザー状の攻撃が横合いから飛んできたんだと思います」
「それじゃあ、冒険者もブルタールも一緒に川に……?」
愛子の不安げな問いに、うみは「十中八九」と頷く。
「まともに直撃してたら、この抉れた地面みたいに跡形もなく消し飛んでるだろうから探すだけ無駄です。でも、運良く川に落ちて流されただけなら、下流に打ち上げられてる可能性があるので下流へ向かいます」
うみはそれだけ告げると、事もなげに川を下り始めた。
愛子たちはまだ状況に追いつけていない様子だったが、この得体の知れない破壊の跡にいつまでも留まりたくはなかったのか、慌ててうみの背中を追う。
しばらく川辺を下っていくと、やがて轟々と水音を立てる立派な滝に行き着いた。
うみたちは軽快な足取りで滝横の崖をひょいひょいと降り、滝壺付近へと着地する。遅れて、息を切らした愛子たちも斜面を滑るようにしてどうにか降りてきた。
滝の傍特有の清涼な風が、登山で疲労した生徒たちの体を優しく撫でる。
その時、うみがピタリと足を止めた。
彼を象徴する蒼い瞳が、滝壺の奥に微かな、しかし確かな”情報”を捉えていた。
「……驚いた。あの状況で、生存者がいるんだ」
「生きてる人がいるんですか!?」
うみの報告に、愛子が驚きを含んだ声を上げる。
無理もない。ウィルたち冒険者パーティーが消息を絶ってからすでに五日は経過しているのだ。
いくらベテランとはいえ、あのような破壊の痕跡を残すバケモノが跋扈する状況下で生き延びているなど、奇跡以外の何物でもない。
「ユエ、あの滝、開けてもらえる?」
「……ん。任せて」
うみが滝壺を見据えたまま声をかけると、ユエは一つ頷き、すっと右手を前にかざした。
詠唱も、魔法陣の展開もない。ただ純粋な魔力の操作のみによる、文字通りの『魔法』の行使。
「――『波城』、『風壁』」
ユエが手を振り払った瞬間。
轟音を立てて落ちていた巨大な滝と滝壺の水が、まるで神話のモーセの伝説のように、左右に真っ二つに割れた。
さらに、分断された水壁の内側には暴風のバリアが展開され、飛び散る水滴すら完全に遮断して完璧な通り道を形成している。
「「「…………」」」
詠唱もなしに、水と風という二つの属性魔法を同時に、かつこれほどの大規模で展開してのけたユエの規格外の御業に、愛子と生徒たちは何度目か分からない驚愕に口をポカンと開けて固まっていた。
だが、当の身内たちはそんな反応を気にする様子もない。
「うん、完璧。さすがユエ」
「……えへへ」
うみは息をするようにユエの頭を撫で、ユエもまた目を細めて嬉しそうにそれに擦り寄っている。
神話のような光景を前にしたイチャイチャというシュールな図に、生徒たちの脳は完全に処理を放棄していた。
「ほら、行きますよ」
うみは呆然とする愛子たちを促し、滝壺から奥へ続く洞窟らしき場所へと足を踏み入れた。
洞窟は入ってすぐに上方へ曲がっており、そこを抜けると、天井の隙間から自然光が差し込むそれなりの広さの空洞に出た。
その空間の一番奥。岩肌に寄りかかるようにして、一人の青年が横倒しになっていた。
二十歳くらいの、端正で育ちの良さそうな顔立ちの青年だ。
今は青ざめて死人のような顔色をしているが、大きな外傷はなく、傍らに転がった鞄には少量の食料も残っている。
どうやら、極度の疲労と恐怖の中で気絶しているだけのようだ。
「あなた! 大丈夫ですか!? しっかりして……!」
愛子が教師としての顔になり、慌てて青年に駆け寄ろうとする。
しかし、うみはその愛子の肩を掴み、「ちょっと退いてください」と無理やり横へ退けた。
「ちょ、月影くん!? 怪我人の容体を確認しないと……!」
「外傷はないですよ。ただの気絶です。それより、身元の確認が先です」
正論すぎる正論を口にしながら、うみは気絶している青年の傍らにしゃがみ込む。
そして、無表情のまま右手の指先を立てた。
パチ……パチチッ……!
うみの指先に、青白い火花が明滅し始める。
それは体表に雷属性の魔力を纏わせる技能『纏雷』を、人体に致命傷を与えないギリギリのラインまで”加減”したものだった。
とはいえ、それはあくまでうみの基準での話である。
「手っ取り早く起こしますよ」
「え? まさか……待って、月影く――」
愛子の制止の声が響くより早く。
うみは帯電したその二本指を、容赦なく青年の額に押し当てた。
ビガッッッ!!!
「アババババババッ!?」
洞窟内に、青白い閃光と激しい放電音が弾ける。
脳髄を直接揺さぶられるような、強制的な電流ショック。
青年は情けない悲鳴を上げ、文字通り全身をビクンビクンと痙攣させながら跳ね起きた。
一瞬白目を剥きかけたが、強烈すぎる刺激によってその意識は強制的にクリアな状態へと引き戻される。
「はぁっ、はぁっ!? な、なんだ!? 落雷!? 洞窟なのに!?」
「な、ななな何するんですかっ!? 死んじゃいますよ!?」
涙目で周囲を見回す青年と、ドン引きして抗議の声を上げる愛子。
そんな二人をよそに、うみは煙を上げる自身の指先をフッと吹き消し、一切悪びれる様子もなく淡々と告げた。
「おはよう。目覚めはバッチリ?」
「鬼ですかあなたはっ!」
愛子の悲痛なツッコミと非難の視線を、うみはそよ風のように華麗にスルーした。
そして、未だに涙目でガタガタと震えている青年に向けて、事務的な口調で問いかける。
「君がウィル・クデタで間違いない?」
「ってて、えっ、君達は一体、どうしてここに……」
状況を把握できていないようで目を白黒させる青年に、うみは小さく息を吐く。
そして再び、指先にパチパチと青白い火花を散らしながら、無表情のままゆっくりと指を近づけていく。
「質問に答えて」
「えっ、えっと、うわっ、はい! そうです! 私がウィル・クデタです! はい!」
無言のプレッシャー(物理)に慌てて、青年――ウィルは自らの名を名乗った。
どうやら、本当に本人のようだ。奇跡的に生きていたらしい。
「そう。俺はフューレンのギルド支部長、イルワからの依頼で捜索に来た冒険者。まぁ……生きててなによりだよ」
「イルワさんが!? そうですか。
あの人が……また借りができてしまったようだ……あの、あなたも有難うございます。
イルワさんから依頼を受けるなんて、よほどの凄腕なのですね」
尊敬を含んだ眼差しと共に礼を言うウィル。先程、電気ショックを受けたことは気にしていないらしい。
案外大物なのかもしれない。 その後、うみたちは各人の自己紹介を手短に済ませ、ウィルから何があったのかを聞き出した。
要約するとこうだ。
ウィルたちは五日前、うみたちと同じ山道に入り五合目の少し上辺りで、突然、十体のブルタールと遭遇したらしい。
流石にその数との遭遇戦は勘弁だと撤退に移ったのだが、襲い来るブルタールを捌いているうちに数がどんどん増えていき、気がつけば六合目の例の川にいた。
そこで包囲網を脱出するために、盾役と軽戦士の二人が犠牲になったのだという。
それから、追い立てられながら大きな川に出たところで、前方に絶望が現れた。
漆黒の竜だったらしい。
その黒竜は、ウィルたちが川沿いに出てくるや否や特大のブレスを吐き、その攻撃でウィルは吹き飛ばされて川に転落。
流されながら見た限りでは、そのブレスで一人が跡形もなく消し飛び、残り二人も後門のブルタール、前門の竜に挟撃されていたという。
「わ、わだじはさいでいだ。うぅ、みんなじんでしまったのに、何のやぐにもだたない、ひっく、わたじだけ生き残っで……それを、ぐす……よろごんでる……わたじはっ!」
ウィルは、話している内に感情が高ぶったようですすり泣きを始めた。
無理を言って同行したのに、冒険者のノウハウを嫌な顔一つせず教えてくれた面倒見のいい先輩冒険者達。
そんな彼らの安否を確認することもせず、恐怖に震えてただ助けが来るのを待つことしか出来なかった情けない自分。
救助が来たことで、仲間が死んだのに安堵している最低な自分。
様々な思いが駆け巡り、涙となって溢れ出していた。
洞窟の中にウィルの慟哭が木霊する。
「ウィルさん……」
愛子が悲痛な表情でウィルの背中を優しくさすり、菅原や宮崎といった生徒たちも、
顔をぐしゃぐしゃにして自分を責める彼にどう声をかければいいのか見当もつかず、ただ痛ましそうに歩み寄る。
そんな感傷的な空気に包まれる中。
うみは彼らが寄ってきたタイミングを見計らい、スーッと後方へ下がって距離を取った。
ウィルの慟哭に対し、うみは完全に無反応だった。
彼の顔には同情も、悲哀も、ましてや先ほどまで見せていた非情さすらない。
ただ、彼の腕の中に抱えられていたミレディだけが、うみの体に起きている”異変”に気がついた。
(……あれ? うみくん、震えてる?)
微かな、しかし確かな震え。
不審に思ったミレディは、念話を用いて声をかける。
『うみくん?』
その声は当然、システムを共有しているユエとシアの脳内にも響く。
二人がハッとしてうみの方へ視線を向けると、少し離れた位置に立つうみは、ウィルの惨状など全く耳に入っていない様子で、虚空を見つめながらポツリとつぶやいていた。
「……どらごん」
その声は、妙に熱を帯びていた。
「……? うみ、どうしたの?」
明らかに普段と様子が違ううみに、ユエが心配そうに歩み寄り、その袖を軽く引く。
すると、うみはユエの顔を見て一つ頷き、抱えていたミレディを「ユエ、ここお願いね」とぽいっと預けた。
そして、そのまま無言でクルッと踵を返し、来た道へ――つまり外へと向かって迷いのない足取りで歩き始めたのだ。
「ちょっと月影くん!? どこ行くんですか!」
ウィルの慰めからふと顔を上げた愛子が、一人で外へ向かおうとするうみに気づき、慌てて駆け寄って彼の腕を全力で引っ張った。
「ドラゴンを探しに行くんですよ」
「何でですか!? 危ないからダメですよ!!」
必死に腕を引っ張り、体重をかけて引き留めようとする愛子。
しかし悲しいかな。
いくら教師としての責任感があろうと、か弱く愛らしい小動物『愛ちゃん』の力で、素の状態で人外級のフィジカルを誇るうみを止められるはずもない。
「ぜ、全然止まりません〜っ」
うみは愛子の抵抗など全く意に介さず、腕に愛子をぶら下げたまま、まるでちょっと重い鞄でも持っているかのような平然とした顔でズンズンと進んでいく。
足元の土を擦りながら、愛子がズルズルと引きずられていく。
「つ、月影くん! 愛ちゃん先生の言う通りだよ! そもそもなんでわざわざ探しに行くの!?」
そのあまりにもシュールな光景に、園部がたまらず駆け寄り、愛子に加勢してうみのもう片方の腕を引っ張る。
しかし悲しいかな。一応この世界の基準では超人レベルのステータスがあるとはいえ、女子高生が一人増えた程度でうみの歩みが止まるはずもなく。
結局、愛子と園部の二人が仲良くズルズルと引きずられていくという、さらにシュールな絵面が完成しただけだった。
「なんでって……」
ズルズルと二人を引きずりながら、うみがピタリと足を止めて振り返る。
そして、普段の達観した大人びた態度からは到底想像もつかないような――年相応の、無邪気で純粋な、とびっきりいい笑顔を浮かべて言い放った。
「だって、ドラゴンだよ!? ドラゴン!」
そう。うみは、呪術界でも指折りの実力者であり、数々の死線を潜り抜けてきた男だが、同時にまだ17歳の少年なのだ。
ファンタジーの王道であり、強者の象徴。
そんな『ドラゴン』という存在を前にして、彼の内に眠る年相応の少年の心が爆発してしまっていたのである。
「あ…………っ」
しかし、ただでさえ息を呑むほどの美貌を持つうみの、不意打ちの『無邪気な笑顔』がもたらす破壊力は、凄まじかった。
至近距離でそれを浴びた園部は、ボフンッと音が鳴りそうなほど顔を真っ赤にして一撃で撃沈。
そして、教師としての理性をしっかりと保っているはずの愛子でさえ、想定外の顔面暴力の前にキャパオーバーを起こし、プスプスと頭から煙を出してフリーズしてしまった。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるね!」
うみは、ぽてっとその場に座り込んでしまった二人を置いて、意気揚々と単身で外へ飛び出していった。
「……っ、びっくりした。うみがあんな無邪気な顔するなんて……。ふふっ、楽しそうで何より」
「はいです! うみくん、すっごくキラキラしてましたねー!」
『あははっ、ほんとほんと。思いがけず、すっごくいいものが見れたじゃないさ』
初めて見るうみの「年相応にはしゃぐ少年の姿」に、ユエ、シア、ミレディの三人は驚きつつも、
どこかほほえましいものを見るような温かい目で見送っている。
一方、ノックアウトされた愛子と園部を見て、少し離れた場所にいた菅原と宮崎がヒソヒソと囁き合っていた。
「あれはもうだめね……」
「離れたとこに居る私たちでもちょっとクラッときたのに。園部さんなんか余計にでしょ。ただでさえ『アレ』なんだし」
「ていうか、愛ちゃん先生大丈夫かな? 堕ちてないよね?」
女子陣がそんな生々しい心配をしている横で、相川、仁村、玉井の男子陣三人は、妙にホッとした様子で深く頷き合っていた。
「……なんか俺、安心したわ。アイツもちゃんと男なんだなってわかって」
「ああ、ドラゴンであんなにテンション上がるなんてな。あの見た目だから、正直ちょっと不安になるよな」
「それな」
完全に緊張感が消え失せ、それぞれがピントのズレた反応をしている空間。
そこで一人、完全に置いてけぼりを食らっていたウィルが、たまらず叫び声を上げた。
「そ、そそそんなこと言ってる場合ですか!? 黒竜ですよ!? ベテラン冒険者でも手も足も出なかった化け物なんですよ!?」
もっともな常識人の必死の抗議の声に、愛子と生徒たちはようやくハッと我に返った。
「そ、そうでした! 止めないと!」
「月影くーん! 待ってー!」
慌てて立ち上がった愛子たちが、急いでうみの後を追って外へと走り出す。
なお、ユエたち三人は最初から一切の焦りもなく、マイペースに歩いて後を追っていた。