わたしたちは大きく口を開き、緑、赤、黄色……鮮やかに彩られた具沢山のピザに、かぶりつきました。瞬間、香ばしい小麦の香りと爽やかなバジルの香りがふわっと鼻を抜けていきました。ぷちんとミニトマトがはじけ、ざく、と歯がカリカリのピザ生地に触れます。
八等分に切ったピザは、あっという間にわたしたち二人の胃袋に収まりました。千空くんはコップ(最近子どもに人気があるロボットアニメのイラストがついています)の麦茶を飲み干すと、ふう、と満足げに息を吐きました。
「あ、千空くん。口のとこにソースついてますよ」
「どこだ?」
「ここです、ここ」
「むぐ」
「ん、取れたかな」
手拭き用に置いていた濡れたハンドタオルで、千空くんの口元を拭います。
「どうします、もう一枚焼きます?」
「いや、俺はもういい……」
「ですよね~。わたしも、もうお腹いっぱいです。ではでは、ごちそうさましましょうか」
二人で手を合わせて、「ごちそうさまでした」の挨拶をします。
中まで火が通るギリギリまで具材を乗せ、焼いたあとにも火が通らなくてもいい具材を乗せ……、そうしてできた『100億%完璧なピザ・2』(途中から面倒になって、省略して『ピザ・2』と呼ぶようになりましたが)は、幼児二人の胃袋を満たすのに充分すぎる質量を持っていました。加えてサラダもあったので、お腹はいっぱいいっぱいです。わたしは椅子の背もたれに身体を預け、ぽんぽこりんのお腹に手を当てました。
(で、そんなピザをわたしたち用と百夜さん用で二枚も作ったのに、具材が結構余ってるんですよね……)
どうしましょ、とわたしは顎に人差し指を当てました。生地はあと一枚残っていますが、たとえもう一枚あのピザを作っても残りの具材全てを使い切ることはできないでしょう。百夜さんと材料費を出し合ったことで予算が多めだったのと、バリエーションを増やそうと張り切りすぎて、明らかに買いすぎました。
(うーん、どうしようかな。ミネストローネにでもしましょうか?)
夕ご飯のメニューを考えていると、横――千空くんのズボンのポケットから、『きらきら星』のメロディーが聞こえてきました。少し眠たそうにしていた千空くんはしゃきんと背筋を正し、ポケットから子ども用の丸っこいデザインの携帯電話を取り出すと、ボタンを押して耳に当てました。
「百夜!」
お父さんの名前を呼ぶ彼の表情は明るく、声も心なしか弾んでいました。
「ふふ……あ、ごめんなさい」
思わず笑い声を洩らすと、わたしの方をちらりと見て、ちょっと恥ずかしそうに咳ばらいをします。「わたし、食器片づけたりするので、キッチン行きますね」小声で告げて席を立とうとしましたが、携帯を持っていない方の手で首根っこを掴まれ、引き留められます。
「今どこだ? ……。……あ゙ー、横にいる。二人でピザ作って食った。ククク、百夜のも用意してあんぞ。…………おう、一色に代わる」
千空くんはわたしの耳に携帯を当てました。『もしもし、一色ちゃん?』
「あ、百夜さん……! こ、こんにちは。お仕事は終わりました?」
『おう、なんとかな。早いとこそっちに帰る……じゃねえわ』
百夜さんは「もっと先に言うべきことがあった」と呟くように言いました。
『――今日はすまん! こっちから頼んでんのに、約束すっぽかしちまって』
「ああ、いえ……あ、千空くんと勝手に始めちゃったんですけど、良かったですか?」
わたしは「千空くん」と言ったところで、千空くんに目を向けました。携帯をわたしに押し付けて席を立った千空くんは、サラダの取り皿やピザのお皿を重ねています。
あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す。
口パクで伝えると、千空くんはひらっと手を振って、キッチンの方へと消えていきます。
(――…………なんか、不覚にもキュンとしてしまいました)
どこであんなイケメン仕草を習ったんでしょう。恐るべし保育園児。
『ちゃん、――?』
「あ、すみません! 聞いてませんでした、えっと」
『ん、まあ大したことじゃねえよ。……二人でピザ作ったんだって?』
「ええ、はい。千空くん、初めて包丁を持ったと思えないくらい切るのが上手で! とっても美味しくできたんですよ。それで……具材が余ったので、夜はミネストローネにでもしようかなと思うんです」
お昼は残念でしたけど、そっちは一緒に作りましょう! というと、携帯電話の向こうで百夜さんが笑ったのが分かりました。
「どうかしました?」
『いや、なんでもねえよ。……じゃ、切るわ。千空によろしくな』
「はい、それでは」
通話は切れました。携帯を返すためにキッチンの千空くんの元へ向かいます。
「千空く~ん、お電話返しますね」
ひょっこりと顔を覗かせると、千空くんは踏み台に乗って、スポンジを片手に食器と格闘していました。「あっ!」とわたしは声を上げます。
「洗い物してくれてたんですか?! わたしも手伝います!」
「あー、助かる」
洗面所から踏み台を持ってきて、千空くんの立っている横に置きました。
腕を捲り、千空くんが洗った食器をすすいでいきます。水道管の中で熱されたのでしょう、出てきた水は最初のうちだけ、お湯と呼んでいいほどに温くなっていました。
「夕ご飯は一緒にミネストローネを作りましょうね~」
「ミネストローネ?」
「ピザと同じイタリアの料理で、野菜をいっぱい入れて作るスープなんです。わりと何を入れてもいい自由なところが好きなんですけど……」
「和食でいうみそ汁みたいなもんか?」
「そうですねえ、確かに近いかもしれません。あ、いっそみそ汁にしてもいいかな。トマトみそ汁」
ふふふ、とわたしは笑みを作ります。ここ数年、毎日、毎食、何を作ろうか、どうしようかと考えてきたけれど、こんなに楽しく献立を考えることなんてありませんでした。
「トマ……美味いのか、それ?」
「意外といけるのでは? まあ駄目でも、ほら、料理は試行錯誤ですし」
「んな適当な……」
「ひらめきは意外なところから生まれるんですよ」
わたしはウインクをしました。
「……どうした、目に泡でも入ったのか?」
「え?! ウインクですよ、ウインク!」
「ヘッタクソすぎてわかんねーよ」
「ええっ?! ひどい! もう一回よく見てくださいよ、ほら、ほら」
「そういえばなんで洗剤使ったらベタベタが落ちんだ?」
「スルーですか?! ちなみに油汚れが洗剤で落ちるのは、『界面活性剤』という……」
「そういえば、百夜さん。相談があるんですけど……」
夕ご飯のあと、百夜さんがお土産に買ってきてくれたスイーツ店のプリンに舌鼓を打ちながら、わたしはそう切り出しました。
「ん、なんだ?」
「『お料理教室』のことで……。まず、頻度はどうします? 毎週土曜のお昼? あと期間も。とりあえず半年くらいですか? ……あ、あと毎回このおうちのキッチンを使うのか、それともうちのキッチンと交互に使うのかなとか、そういうとこも決めときたくて」
初回打ち切りの予定だった『一色先生の楽しいお料理教室』ですが、気が変わって続けることにしましたから、あまり考えていなかったこの辺りの話を詰めていく必要があります。頻度によっては予算も変わりますし、水道代や光熱費も馬鹿になりませんからその辺りがフェアになるよう調整しなくてはなりません。
「あー、確かに、そういう話は決めてなかったな……」
百夜さんは後ろ頭をがしがし掻きます。わたしの隣でプリンを食べていた千空くんが、スプーンから口を離し、冷めた目で呟きました。
「そもそも、美味いメシ食いてえなら俺らがメシの作り方教わるより一色にメシ作ってもらう方が早えんじゃねえのか」
「え」
「……!」
百夜さんは「その手があったか!」と言い出しそうな顔をして、ぽんと手を打ちました。
「その手があったか!」
(本当に言った……)
わたしは肩を落としました。
「ちょ、ちょっと。二人ともあんなに楽しそうに作ってたじゃないですか、ミネストローネ!」
椅子から腰を浮かせて訴えますが、二人の反応は微妙です。
「いや~~、料理なあ……イベントとしちゃ楽しかったが、毎日やれるかっつうとなあ……」
覇気のない百夜さんの言葉に、千空くんも「うんうん」と頷いています。
「千空くん! ピザ作りのときの情熱はどうしたんですか、裏切り者~!」
「俺らが一から料理覚えんのより、そっちのが合理的っつー話だ」
「ご、合理……保育園児から出るワードじゃなくないですか……?」
……いやまあ、料理の楽しさに目覚めて科学そっちのけになっても困りますし、これはこれでいいのでしょうか? 腕を組んでうぬぬ、と悩んでいると千空くんは「ま、こっちは頼む側だ、無理強いはしねえよ」と肩にぽんと手を置いてきました。
「頼む側の態度じゃねえよ、千空……」
百夜さんがささやかにツッコミを入れます。わたしはため息を吐きました。
「……まあ、確かにそっちの方が早いですし、一人分作るのも三人分作るのもそんなに変わりませんからね」
ただし、とわたしは指を立てました。
「条件があります」