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日曜日はお休みの日です。
とはいえ、保育園にも幼稚園にも通っていないわたしにとっては毎日が日曜日のようなものですから、いつもと同じ時間に起きるのですが。
――じりりりり。
目覚まし時計を寝ぼけた手つきで叩いてアラームを止めると、わたしはぐんと伸びをしました。
希望の朝……かは分かりませんが、ともかく新しい朝です。布団を畳み、ラジオ体操をして、ベランダの夏野菜のプランターたちに水やりをします。家計の助けになればと今夏から始めた家庭菜園でしたが、これがなかなか、やってみると思うようにはいきません。
水はどれくらいやればいいのか? 土の量は? 肥料の種類は?
考えることが沢山ですし、虫は来ますし、第一、六歳児の肉体では土を運ぶのも水をやるのも一苦労どころか百億苦労です。
(育てるのにかかる手間暇を考えると、買った方が安上がりなのでは?)
じょうろを傾けながら、ふと冷静になりかけました。……いえ、未就学児のあり余る時間を有効活用できていると、そう考えましょう。一度環境を整えてしまえば、苗一つで夏中コンスタントに野菜が得られるのはかなりのメリットです。
実は昨日のピザの具材もいくらかは、このベランダで採れたものだったりしますし。
十分に水をやったあと、ささっと食べごろのものを収穫してしまいます。今日はトマトとナスが二つずつ、きゅうりが三本、ピーマンが四つ。今まではわたし一人分としては多すぎる量が採れてしまう、という点にひそかに頭を悩ませていましたが。
(今日からは、もう悩まなくていいんです、よね)
昨日のことを思い出してなんだか落ち着かない気持ちになりながら、わたしは荷物をトートバッグに詰めて家を出ました。行き先はもちろん、お隣です。
朝九時。約束の時間通りにインターフォンを押すと、しばらくして芸術的に爆発した寝ぐせの千空くんがドアを開けてくれました。
「おはようございます」
「んー……」
声が半分寝ていました。顔も半分寝ています。
「すみません、起こしちゃいましたか?」
「いや、時間通りだろ。……百夜はまだ寝てる。起こすか?」
千空くんが指さした、おそらく寝室の方から微かにいびきが聞こえてきます。
「お疲れでしょうし、構いませんよ。ではでは、お邪魔しますね」
昨日よりも少し慣れた足取りで、わたしは石神家の玄関をくぐりました。――嘘です、「お邪魔しますね」の声は普通に震えていました。
「朝飯、なに作んだ?」
「サンドイッチです。お手伝い、お願いしてもいいですか?」
興味津々といった様子でバッグを覗き込んでいた千空くんにそう言うと、嬉しそうにニヤッとされました。
そうしてわたしたちは、昨日と同じように、机の上に材料と調理器具を並べて朝ごはんの準備を始めたのでした。
「千空くん、きゅうりの切り口をこすり合わせてもらえませんか? こうやって、くるくる~って」
「なんでだ? ……うわ、んだこれ!」
言われるまま千空くんはヘタと実の切り口を回すようにこすり合わせます。すると、断面からもこもこと白い泡のようなものが滲み出てきました。それを見て千空くんの目がまんまるになります。
「ああ、灰汁ですよ」
ハムやチーズを切りながら短く答えると、それだけで千空くんには伝わったようでした。「あ゙―、苦くなるやつか」と、昨日の話を思い返して合点がいった様子で頷きます。
「こうやってくるくるすると、『維管束』から灰汁が抜けるんです」
「イカ……なんだ?」
いかん、千空くんが保育園児ということをすっかり忘れていました。維管束だけに。
「いかんそく、です。んー、植物の……栄養の通り道、といいますか」
「クク、なるほどな。人間でいう血管か」
「理解が早くて助かりすぎます」
さすが、未来で全人類復活を成し遂げる救世の英雄。感心しているわたしの横で、なおも千空くんの疑問は尽きない様子です。きゅうりをくるくるしながら難しい顔をしています。
「なんでナスときゅうりでアク抜くやり方が違ってんだ?」
「……たしかに、何ででしょうね?」
千空くんが口にした問いに一緒になって首を傾げると、「知らねえのかよ」と不満げにされてしまいました。
「たぶんですけど、きゅうりの灰汁はヘタの辺りに集中してるからとか……ナスは反対に、」
と、途中まで言いかけたとき、寝室の方からドスンと何かが落ちる重たい音と、かすれたうめき声がしました。いったい何が、とわたしたちがそちらに足を向けるよりはやく、「げぇっ、九時一六分?!」という叫びが聞こえました。どたどた足音騒がしく、誰かがこちらに向かってきます。
「悪り、千空っ! 父さん寝坊した。一色ちゃんは――」
寝起きの若干かすれた声で言いながらリビングに飛び込んできた百夜さんの頭もまた、芸術的に爆発していました。
「おはようございます、百夜さん。お邪魔してます」
「き、来てたのか一色ちゃんっ! や、来てっよなそりゃーな!」
慌ただしい手つきで寝ぐせを撫でつけ、よれたパジャマの襟を正す百夜さんに、千空くんが「やっと起きやがったか」と白い眼を向けました。
「う……」
千空くんの視線に、百夜さんはばつが悪そうに頭をがしがしと掻きます。それからぱんっ、と両方の手を合わせてわたしに頭を下げました。
「ほんっとーにすまねー! 一色ちゃんっ! 約束しといて遅刻したり寝坊したりばっかで! 俺は自分が情けねーっ!」
空気が震えるほどの音量で謝られてしまって、わたしは思わず肩をびくっとさせてしまいました。それからぶんぶんと首を振ります。
「頭をあげてください! 百夜さんは何も悪くありませんから!」
「いや、大人のくせに約束守れねーのは悪りいだろ普通に」
千空くんがお皿の準備をしながらさらっとツッコミを入れます。百夜さん、撃沈。子どもの正論は大人に言われるそれよりよっぽどキツいものがありますよね、分かります。
「と、とにかくわたしは気にしてませんからっ。百夜さんは顔を洗って着替えてきてください。ねっ? それに昨日のはお呼び出しだったんでしょう? お土産のプリンもありましたし、チャラです、チャラ!」
「言い訳してる暇があんならさっさと着替えて手伝いやがれ」
やれやれ、と言った様子で千空くんは肩をすくめました。追い打ちをかけているように見えて、それは千空くんなりの「気にすんな」だったのでしょう。わたしたちを見て百夜さんは、
「……ありがとな」
と、目元をふっと和らげました。
百夜さんが洗面所に向かった後、コッペパンにマヨネーズを塗って、ハムとチーズ、きゅうりとトマトを挟んでいきます。単純な作業ですが、三人分となるとそれなりの量です。
「待たせて悪りい。なんか手伝えることあっか?」
「じゃあ、目玉焼きを焼き始めてもらえますか? こっちはもう少しで終わるので」
戻ってきた百夜さんに、わたしは手を動かしながら答えました。横では千空くんも手伝ってくれています。
「あ、千空くん。マヨネーズはチューブから使ってほしいかなっ?」
小皿に出しているマヨネーズに手を伸ばした千空くんを慌てて止めます。すると案の定、「なんでだ?」と首を傾げられました。
「お皿に出してる方は百夜さん用にからしを混ぜてあるので、わたしたちのぶんと混ざったら大変ですから」
「からし? なんでだ」
その問いに、冷蔵庫から卵を取り出しながら百夜さんが応じました。
「そりゃあれだ、千空。その方が味にアクセントが付くっつーか……美味くなんだよ」
「あ゙―? からしなんざ入れたって辛ぇだけだろ」
「ふふふ、その辛さがいいんですよ」
「そーそー。千空も大人になったら分かるさ」
得意げなわたしと百夜さんを見て、千空くんは「わけがわからない」という顔をしました。まあ、前世の経験で知っているだけで、今のわたしも苦手で食べられませんけどね、からし。身体が子どもということは、味蕾も子どものそれですから。辛味や苦味が平気になるのはいつになることやら。
「百夜さん、箸の準備お願いできますか?」
「はいよ。……牛乳冷蔵庫にあったっけな。千空、見てきてくれるか」
「おう」
出来上がったものをお皿に盛りつけていきます。連携プレーも手馴れてきました。百夜さんの指示に千空くんが冷蔵庫へ向かい、その背中を見送りながら百夜さんは小さく息を吐きました。
「……なんつーか、変な感じだな」
「変、ですか?」
「いつもは俺が適当に作るか、買って済ませるかだからな。朝からちゃんとしたメシがあるってのがもう違和感バリバリでよ」
自分を笑うような、情けなさの滲む声で発された言葉に、わたしは「なるほど」と頷きました。
小さな子にとって食事はただの栄養補給ではなく、心を育てる体験でもありますから。百夜さんも色々と思うところがあるのでしょう。なんとなく察せられるものがあります。
「わたしは、百夜さんはいいお父さんだと思います」
気づくとわたしはそう口にしていました。なぐさめではなく、本当のことがつい、口からこぼれたといった感じでした。だって、少なくともわたしのお父さんは、わたしにご飯を作ってくれることも、買ってきてくれることもありませんでしたから。
「すごくちゃんとしてると思います」
……む、この言い方だと某糸目の槍使いが頭の端によぎりますね。
と、セルフツッコミを入れている私の横で、百夜さんは「はあ」と呆けた相槌で、目をぱしぱししています。
その顔に、わたしは「しまった」と思いました。今のわたしの返事は「ちゃんとした朝食に違和感がある」という言葉に対するものとしては、微妙にかみ合っていません。しかもなんか、意味深です。意図せず意味深になってしまいました。薄幸な感じが出てます。
「い、今は違和感があっても、な、慣れますよ。きっと、そのうち、いつか」
と、言ってみましたが。いくらなんでも噛みすぎです、わたし。百夜さんの視線がびしばし突き刺さっています。やめてください、そういう疑惑の目を向けるのは。疑惑というかほぼ百億パーセント確信している類の目を向けるのは。
「ご、ごはんにしましょう! ねっ!」
空気に耐えかねたわたしがさらに畳みかけたのと、千空くんが「牛乳あったぞ」と、牛乳パックと三人分のコップを抱えて戻ってきたのがほぼ同時でした。ナイスタイミング。取り落としそうなコップを回収して、サンドイッチやら目玉焼きやらの乗っかった朝食プレートの横に並べます。
プレートも、箸も、コップも、三人分。
(……慣れるのかな。いつかは)
わたしはひっそりとため息を吐きました。それがどういう種類のため息かは、わたしにもまだわかりませんでした。