【仮題】ドリジャ男性観破壊RTA   作:花火師

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おはつとうこう


第10話

 トレセン学園はブラックである。どれくらいブラックなのかは、今日が何曜日なのか分からなくなっている僕を見れば察せられるだろう。カレンダーは一応確認すれば分かるが、体感時間と全く一致しないので、もはや意味を成していない。

 

 自宅が遠いからといって、基本的に長期の休日でしか帰らない生活。そのツケが、こうしてじわじわと効いてきている。

 

 ……いや、そもそもだ。

 

 暇だからといって休日にこっそり仕事なんてするものじゃない。あれが全ての始まりだった気がする。

 

 けれどまぁ、トレーナーってそういう生き物だ。

 

 僕と同じように休日返上で仕事しているトレーナーなんて、そこら中にゴロゴロいる。廊下で顔を合わせれば、互いに軽く会釈をして終わり。プロ同士、多くは語らない。

 

 ――楽しいもんな、担当のために頑張るの。

 

 分かるよ。痛いほどに。

 

 それはそれとして、もうそろそろ連勤日数が3桁に届いてもおかしくない気がしてきた。

 

 いや、流石にそれは盛りすぎか。多分まだ30連勤とか、それくらいだろう。……多分。

 

 クラシック期の先輩と比べれば、まだまだ可愛いものである。

 

「あっ……このノートももう終わりか」

 

 机の上に置いてあったノートを閉じ、新しいものを取り出す。手慣れた動作で表紙を開き、ペンを走らせる準備をする。

 

 気付けば、ジャーニー用のノートもこれで7冊目だ。

 

 最初の頃は簡単なメモ程度だったはずなのに、今ではページの端から端までびっしりと書き込まれている。日に日に書くことが増え、比例するように朝それを読み返す時間も長くなっていく。

 

 結果として、ただでさえ少ない睡眠時間がさらに削れていくわけだが――

 

 不思議と、苦ではなかった。

 

 ヒトより長いこの命、多少使い潰したところで問題はないのであるよ。よかった、ヒトじゃなくて。

 

 ……まぁ、その分ポンコツな脳ミソを引いているわけだが。

 

 プラマイで言えば、微妙なところだな。

 

 そんなことをぼんやり考えながら、僕は今日もジャーニーの状態を記録し、調整方針を組み立てていく。

 

 よし、ひとまずここまで。

 

 ペンを置き、今までのページをパラパラと捲る。紙の擦れる音と共に、積み重ねてきた時間が指先に伝わってくる。

 

「……順調だ、怖いくらいに」

 

 思わず、そう呟いていた。

 

 体力は既に十分以上。速度も、メイクデビュー時とは比較にならない。ジュニア級の中であれば、抜きん出ていると言っても過言ではない水準だ。

 

 加えて、レースの常識も、外道も、知識としてしっかりと理解している。状況判断も早く、頭の回転もいい。

 

「お疲れ様です、トレーナーさん……トレーナーさん?」

 

 根性論というのは今時古いのかもしれないが、彼女にはそれもある。トレーニングで体力の限界まで追い込んだ直後に「妹に頼まれたから」と併走を始めた時は、流石に目を疑った。

 

 いや、あれは根性というか執念の類かもしれない。

 

「無視……いや、集中していて気付いていないだけか」

 

 スタミナ、スピード、根性、そして知性。

 

 ほとんど揃っている。

 

 ――だからこそ、目立つ。

 

 足りないものが。

 

 結局のところ、課題は1つ。小柄な体格。

 

 メイクデビューのような外から一気に差し切る走りは、あの時は上手くいったが、何度も通用する類のものではない。他のウマ娘に進路を塞がれたら? さらに速い相手がいたら?

 

 そもそも外を回るということは、それだけ走る距離で不利を背負う訳で。やはり安定して勝ちを拾うなら、内を走る選択肢を持たせたい。

 

 だが、小柄なジャーニーが内で戦うには力が足りない。

 

「力かぁ……」

 

 ぽつりと零す。

 

 体格差をねじ伏せるほどの力。進路を塞がれても押し切る力。どんな展開でも、自分の走りを貫けるだけの強さ。

 

 それがあれば理想だ。

 

 だが同時に、それはリスクでもある。

 

 筋肉をつけるということは、重くなるということ。彼女の軽さ、あの終盤の切れ味を損なう可能性がある。

 

 バランスが、難しい。

 

「これは……相当、お疲れのようだ。仕方がない」

 

 ――黒。

 

 唐突に、視界が閉ざされた。

 

 目は開いているはずなのに、何も見えない。光が完全に遮断されている。

 

 一瞬だけ思考が止まり、次の瞬間、届いた香りで理解する。微かに混じる、あのスモーキーな香り。そして、直接伝わる体温。

 

 ――ジャーニーだ。

 

 どうやら後ろから、手で目を覆われているらしい。

 

 ……いや、待て。これは普通にまずい。コンプラ的にも眠気的にも凄い不味い。

 

 ウマ娘の体温はヒトよりも高い。そして僕の体温は、ヒトよりも低い。つまり今のこの状況は温かいタオルで、目元を優しく覆われているのと同義なわけで。

 

 じんわりとした熱が、じわじわと意識を溶かしていく。

 

 あー……駄目だこれ。

 

 目の奥の疲れが、面白いくらい抜けていく。でもそれ以上にかなり、やばい。本当に、眠気がかなりやばい。

 

「お疲れ様です、トレーナーさん」

「……あぁ、こんにちはジャーニー」

 

 なんとか声を返す。

 

 このまま意識を手放したら、多分そのまま数時間は起きれない気がする。

 

「随分とお疲れのようですね」

 

 柔らかい声色のままなのに、妙に圧がある。静かに、じわじわと締め付けてくるタイプのやつ。

 

 あー、そういえば。

 

 ちゃんと寝て休めって、何度か言われてたんだっけな。確かノートにも書いてあった気がする。「睡眠時間を削るな」みたいな感じで。すっかり忘れてた。

 

 とはいえ今は、僕の顔はジャーニーの手によって完全に隠されている。つまり表情は読まれない。よし、まだ誤魔化せるな。

 

「いや、そんなことは――」

「しっかり寝てください、と再三言ったはずですが」

 

 あ、無理だこれ。言い終わる前に被せてきたあたり、完全に見抜かれている。

 

 というか何だろう、この感じ。静かなのに逃げ場がないというか、理詰めで追い詰められてるというか……うっすら寒気がする。

 

 ソ連――いや、今はロシアか。ロシア時代の空気感を思い出すレベルの圧である。こういう詰め方を未成年が習得しているの、教育的によろしくないと思う。

 

 ……いやまぁ、原因は多分僕なんだけど。

 

 それはそれとして、もう限界かもしれない。温かいし、暗いし、声も落ち着くしで、完全に睡眠導入環境が整っている。

 

「……ジャーニー、これ――」

 

 言い切る前に、意識が沈む。抵抗しようとした思考が、そのまま途切れた。

 

 

 


 

 

 

「……トレーナーさん……寝た、か」

 

 覆っていた手の向こうで、呼吸がゆっくりと深くなる。

 

 規則的な寝息。

 

 完全に意識を手放したのを確認してから、私はほんの僅かに間を置き、小さく息を吐いた。

 

「こうして寝かしつけるのも、かれこれ何度目か……」

 

 初めては、確かメイクデビューが終わって数日後。

 

 何をしても私に気付かないものだから、半ば意地になって目を覆ったら――まるで電源が落ちたかのように、そのまま眠りに落ちた。

 

 あの時は、流石に面食らった。

 

 それからというもの、こうして寝かしつける機会が定期的に訪れるようになったのだから、なんとも言えない話だ。

 

「本当に、素直で、御し易く、優しい方だ」

 

 そう呟きながら、そっと手を外す。

 

 無防備な寝顔。

 

 警戒心など微塵もないその様子に、呆れと――ほんの少しの安堵が混じる。

 

 再会して、契約を結んで、数ヶ月。

 

 覚える事の出来ない彼にとってはせいぜい数日程度の感覚なのだろう。

 

 未だに、香水を付けることを怠れば、彼の中から私は消える。

 

 長期休みの後などは特に顕著だ。香りを纏っていたとしても、私の名前を呼ぶまでに、僅かな“間”が生まれる。

 

 ほんの数秒。それだけのことなのに――あまりにも、長い。

 

 ……何度味わっても、慣れるものではない。

 

 そんな風に私すら忘れてしまう事があるというのに、休みの間も私のためにと仕事をしているのだから、どうにも納得がいかない。

 

 覚えられないのに、積み重ねた事を忘れてしまうのに、それでも積み重ねることだけはやめない。余りにも真っ直ぐで、理解し難い人だ。

 

 そもそもこの人は、ウマ娘という存在そのものに良い感情を持っていない。

 

 嫌っている、とまでは言わない。けれど、好いているわけでもない。

 

 関わりのないウマ娘など、覚える気すらないのだろう。恐らく彼の中で、名前と顔が一致しているウマ娘は、私とライスシャワーさんの2人。

 

 本当は、オルのことも覚えていてほしいのだが……とはいえ、彼にとっての“特別”であるという立場は――悪くない。

 

 当然ライスシャワーさんは例外だ。流石にここまでお世話になっている人に嫉妬しようという気にすらならないし、あの人とは明確に好いている人が違うのだから。

 

 デスクで寝ていては体に悪いだろうと、彼の体を支え、ソファへと横たえる。軽い、無防備で、力の抜けきった体。

 

「……トレーナーさん、貴方は十分働いていますよ」

 

 少し窮屈そうだったネクタイを緩め、崩れた姿勢を整え、散らばっていた書類やペンを多少整理しつつ机の脇へと避ける。ほんの僅かでも休みやすいように整えてから、聞こえるはずもない言葉を、言い聞かせるように落とした。

 

 彼のノートに、形は変われど繰り返し綴られている言葉。「自分は、ちゃんと責務を果たせているのか」そんなもの、私からすれば答えは1つだ。

 

 十分どころではない。過剰なほどに、果たしている。

 

 毎日のように細かく修正されるトレーニング内容。僅かな変化すら見逃さず、その日のうちに、あるいは翌日には必ず次へと繋げる積み重ね。記憶に頼れないからこそ記録に頼り、それでもなお精度を落とさないその在り方は、常人であればとっくに破綻しているはずなのに、この人は平然と続けている。

 

 その結果として、今の私は皐月賞を明日走ったとしても掲示板争いに食い込めるだけの実力を既に備えている。純粋な能力だけで見れば、朝日杯FSの勝利は、ほぼ確実と言っていい。

 

「だからもう少しくらい、誇ったって良いんですよ」

 

 私1人であれば、或いは平凡なトレーナーと一緒では間違いなく、ここまで急な成長曲線を描く事は無かった。今の私は、間違いなくトレーナーさんあっての物だ。だというのに、自分を過小評価し続けるのだから、本当に困った人だと思う。

 

「さて、どう刻んだものか」

 

 故に、多少は自信を持ってほしい。私の隣に立ち、道連れとして旅路を進むのだから相応程度の自信を――与えられるのではなく、掴み取ったと実感できる形で。

 

「であればやはり、貴方に勝利を――G1ウマ娘の担当トレーナーという立場をプレゼントしなければなりませんね」

 

 穏やかな寝顔を見下ろしながら、小さくそう結んだ。




御旅屋トレーナーの秘密⑤:忘れっぽいので、自分の連勤数が100を超えていることに気づいていない。
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