作:よく

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私の心臓
新兵勧誘式2


 夜闇の中で篝火が揺れる。羽虫がそれに引き寄せられるように近づいては、くねるような軌道で離れていった。

 篝火は日本にいたころには目にすることの少ないものだった。フィクションで使われているかのような光源を、日常的に使用していることを今でも不思議に思うことがある。

 

 調査兵団の新兵勧誘式は終わり、連絡事項が伝えられると解散となった。

 団長エルヴィン・スミスが壇上から姿を消すと、訓練兵――今や調査兵団の新兵たちは、顔を見合わせてぽつぽつと言葉を交わしていた。

 

 私はなんともなしに自らの手を見下ろす。それはもう震えていなかった。

 

――どうせ、死ぬのだ。

 

 きっとすぐに第五十七回壁外調査で、アニや無垢の巨人に殺される。よしんば生き残ったとしても、その先、どれほどうまく立ち回ろうが、最終的には数カ月後にシガンシナ区で獣の巨人(ジーク)からの投石を食らって、死ぬ。

 そう考えると悩んでいたのが馬鹿らしくなった。

 自分の命の期限が決まって、かえって晴れやかな気持ちだった。

 

 明日は、忙しい。少ないとはいえ、私物を持って調査兵団の兵舎に引っ越さなければならない。サシャとコニーがなにか話しているのを尻目に、私は踵を返した。

 

 人の群れから少し離れると、周囲は夜の闇に包まれる。それでも篝火のなごりが僅かな光源となり、ぼんやりと人型の影を地面に伸ばしていた。

 

 ふいに背後から「ミノリ」と呼ぶライナーの声がした。その声はやや硬い。

 私は一度呼吸をしてから振り返り、思わずびくりと固まった。思ったよりも近い位置にライナーがいたのだ。

 

 ライナーと顔を合わせるのは、死体を焼いた日以来だった。あの日、彼の前で泣いてしまったことを思い出して、じわりと羞恥心が湧き出る。

 だが仄暗い闇にぼんやりと浮かぶ彼の顔を見て、それは萎んだ。

 彼はただ、じっと私を見ていた。その観察するような瞳には、なにか、気圧されるような光が宿っていた。

 

 やがて、ライナーは何か言いかけて、止まった。

 

「……ライナー?」

 

 ライナーは答えを返すことはなかった。

 

「――どうしてだ」

「……?」

「お前、駐屯兵になるって言ってただろ? どうして、調査兵団を選んだんだ」

 

 そう言い切ってから、ライナーは少し柔らかな声で「……お前、本当に大丈夫か」と聞いた。

 おまえのせいだ、と、嫌味が口から出かけて、ぐっと飲み込んだ。

 それから誤魔化すために、大丈夫、と、言い返そうとしたが上手く言葉にならない。私は後ろめたさを隠すようにライナーから少し視線を逸らした。

 

「……あなたに、関係、ある?」

「あるだろ」

 

 ライナーは力強く頷く。どくりと心臓が鳴った。

 

「同じ調査兵団として、命をかける兵士として、聞かなければならん」

 

 すっと動揺が引いた。

 

 どうやら今のライナーは兵士として、私のような未熟な兵が調査兵団に入団することが気にかかっているようだった。

 

「教えてくれ、ミノリ」

「……そう」

 

 私はなんともなしに自分の髪をいじった。

 

「どうして、だろ……」

 

 自然と体が震えるような決意の残滓は、今も身の内に残っていた。しかし、それは言葉にしようとするたびに、するりと手の内から逃げて行った。

 

「よく……わからない……」

「……は?」

 

 ライナーは目を見開きそう言ったものの、黙って続きを待っていた。

 私は言葉を探しながら口を開いた。

 

「……ただ、みんなを、……ぜんぶを、見捨てて……。私、思ったの。

――最悪な死に方をする、って」

 

 私は唇を歪めて笑った。

 

「なら、まだ、巨人に喰われて、死んだ方が……役に立つ、でしょ?」

 

 上辺だけを語った言葉に、ライナーはなにも言うことはなかった。ただ、真っ直ぐな視線が私を射貫いた。

 ややあってから、彼は無言のまま私の方に向かって一歩踏み出した。

 

「わ、……え?」

 

 ライナーは私の両肩をがっしりと掴んだ。驚きで体が跳ねたが、それを抑え込むような力だった。

 

「お前……! 死ぬ気なのか」

 

 壁を破って侵入してきた巨人。扉を閉めた時の、木の手触り。巨人の指先が掠ったとき――。

 数日前の生々しい死の恐怖が、ぐうっとせり上がってくる。

 箍が、外れた。

 私は浅く呼吸をし、何度も首を振りながら「違う!」と言った。半ば、叫ぶような声だった。

 

「死にたくない。死にたくなんて、ないよ……!」

 

 肩を掴むライナーの手の力が少し弱まった。

 

「だけど……! ……だけど。見ないふりは、できなかった」

 

 また、あの、虚ろな無数の瞳が見えた。死臭が鼻の奥に蘇る。

 私は、ライナーとベルトルトとアニを止めようともしなかった。これから先、人類の八割を見殺しにする。

 そうすることを、選んだのだ。

――だから、私には彼を糾弾する資格はない。

 ふっとそのことに思い至って、思わず唇が歪んだ。

 

「私は……、罪深い」

 

 ライナーが、はっと息を吞んだ。そして彼の唇が何か言いかけるように震えてから、ぐっと閉じられた。

 

「壁の内に、閉じこもることは……許されない……」

 

 言ってから、胸が鋭いもので突かれたかのように痛んだ。

 

――そうだ。

 

 私の罪は許されない。

 

 私はそこで口を閉ざした。言葉にならなかった。荒れ狂う感情を抑え込むように歯を食いしばった。

 それでも、震える体で深呼吸をしてから、必死に言葉を重ねた。

 

「……だから、だよ。

――だから。私が、自らの意志で、選んだ」

 

 長く喋ったからか、頭の芯が痺れるような疲労感が身を巣食っている。深く呼吸をするたびに、薪を燃やす匂いが鼻を抜けていった。

 

 ライナーは口を開くことはなかった。しばらく私の肩を掴んだまま、考え込むようにちょっと顔をうつむけていた。

 彼の顔を舐めるように遠くから篝火の濃い色の光が照らしている。その顔にはどんな表情も浮かんでいなかった。

 やがて、「……そうか」と呟くと、両肩を掴む彼の手がゆっくりと離れた。

 

 ライナーは笑みを浮かべていた。それは作られたように完璧なものだった。

 

「そうか、死ぬつもりがねえんなら、安心した」

 

 ライナーは乱暴に自らの頭を掻いた。

 

「だがなあ……、あまり勘違いさせることは言わないほうがいいぞ」

 

 ライナーは呆れたように言った。

 それは私が――認めたくはないが――意地を張った対応をしたときによく聞く声音だった。

 

「……そう?」

 

 冗談めかして言おうと思った。だが実際にはひどく疲れ切った声だった。ライナーの表情に案ずるような色が浮かぶ。私はごまかすように曖昧に微笑んだ。

 

 篝火は変わらずに燃えている。

 やがて一匹の小さな蛾が引き寄せられるように近づいて、炎にのまれた。

 

 

 

 

 

 

――自由の翼。

 

 支給された真新しいジャケットとマントには、その紋章が鮮やかに刻まれていた。

 私はなんともなしに白と青の刺繍をなぞってから、身に着けた。

 糊の効いた生地は昨日まで着ていた、訓練兵として三年身に着けたものよりも硬く、なによりも、ひどく、重かった。

 

 

 

 調査兵としての初日は慌ただしく過ぎた。

 私たち新兵はまず、引っ越しと兵舎の掃除をし、長距離索敵陣形の講義――。それがひと段落してから、馬の割り当てのために放牧場に出ることとなった。

 

 私に割り当てられた馬は、鹿毛のありふれた馬だった。

 仮に、私がうまく行きウォール・マリア最終奪還作戦に参加することになれば、この子も私と同じように海を見れずに死ぬ。こんな人間が主であることに、申し訳なさが湧き上がってくる。

 だというのに、軽くふれあっているうちに愛おしさがこみあげてきた。

 

 馬は、いい。

 訓練兵のころ、馬術の授業はどれほどきつくても、動物とふれあえるというだけで嫌いになれなかった。馬の黒々とした瞳に見られると、胸の奥で重く固まっていた感情が柔く溶かされるような心地を覚えた。

 だから、愛着は持ちたくなかった。

 どうせ死ぬというのに、共倒れになるかもしれないのに、愛するなんて残酷な話だ。

 私は努めて何も考えないように、馬の手入れをした。

 

 ヒストリア――クリスタが誰よりも早く馬を懐かせ――ユミルはなぜか自慢げにしている――馬を馬房に戻すと、ふいに、「オイ!」と声がかけられた。

 エレンである。

 ミカサはびくりと体を震わせると真っ先にエレンのもとに駆けた。次いで同期たちも、ぞろぞろとエレンの方に向かう。私は悩んでから最後尾をついていった。

 

 エレンはミカサやアルミンと言葉を交わすと、それ以外の104期生を確かめるように見た。

 

「――ってことは、憲兵団に行ったのはアニとマルコとジャンだけで、あとは皆、駐屯兵かそれ以外ってことか……」

 

 エレンがそう言うと、周囲に沈鬱な雰囲気が訪れた。そこにジャンの声が響いた。

 

「マルコは死んだ」

 

 私は、マルコを必要な犠牲だと信じ見捨てた。

 動揺することも許されない。

 そう思っていたのに、重く張り詰めたジャンの声を聞いた途端に、胸のにぶい痛みが走った。

 私は目をつむり、口を開けて息を吸った。

 

「ジャン……!? 何でお前がここに……」

 

 エレンは驚愕を滲ませて言ったあとに、息を呑んだ。

 

「今、なんて言った? マルコが? 死んだ……って……言ったのか」

「誰しも劇的に死ねるってわけでもないらしいぜ」

 

 ジャンは少し皮肉っぽく言った後に、声を落とした。

 

「どんな最期だったかもわかんねぇよ……立体起動装置もつけてねぇし……」

 

 私は、知っていた。マルコの死の真相を、マルコが死ぬことすらをも。

 これから先も同じように多くを犠牲にする。

 

「あいつは誰も見てない所で人知れず死んだんだ」

「は……」

 

 うつむき、マルコの死を受け入れようとしているエレンの名前をジャンは呼んだ。

 それからジャンはエレンに巨人化能力のことを聞いた。そして現状――エレンはまだ巨人化能力を使いこなせていない――を知ると、自らの想いを直言した。

 

「――知っておくべきだ。エレンもオレたちも。オレたちがなんのために命を使うかをな」

 

 エレンは、ただ、黙ってジャンの話を聞いていた。珍しいことだった。

 

「じゃねぇといざというときに迷っちまうよ

 オレたちはエレンに見返りを求めている。きっちり値踏みさせてくれよ

 自分の命に見合うのかどうかをな……」

 

 私も、エレンに見返りを求めていた。

――地鳴らしをして、巨人のいない未来をもたらすこと。

 だが、私は果たしてそのために命を使えるのだろうか。

 

「だから……エレン」

「――!」

「お前……」

 

 ジャンがエレンの肩をがしっと掴んだ。

 

「本当に……頼むぞ?」

 

 それは、マルコの死によって生まれた覚悟だった。私が望んだものであり、私にはない強さだった。

 

 重い沈黙が落ちた。誰も口を開かない。だというのに、風が遠くの梢や下草を揺らす音が長閑に響いていた。

 

 エレンは強張った顔で、104期生みんなの顔を確かめるように見ていた。

 私は同期たちの陰で身を縮こまらせていた。だが、ついにエレンと瞳があった。彼はやにわに目を見開いた。

 

「ミノリ!? なんでお前まで調査兵団にいるんだよ……!?」

 

 驚愕と困惑の入り混じった声に、思わずしかめっ面をした。

 

「……みんな、それを聞く」

 

 私はエレンから視線を逸らし、みんなを見た。

 

「……なんで?」

 

 私は意図的に明るい声で問いかける。同期の多くが視線を逸らした。

 

「俺、お前は絶対に駐屯兵団に行くと思ってた」

「そうですよ、ミノリ。いっつもやる気なさそうにしてたじゃないですか」

 

 コニーとサシャは遠慮なくそう言った。

 

「……なかったのは、やる気じゃなくて、体力」

 

 私は思わず言い返した。

 

「……俺も、ミノリだけは絶対に駐屯兵団に行くと思っていたんだがな」

 

 ライナーは肩をすくめてそう言った。

 私はアルミンに視線を向けた。彼は気まずそうに視線を逸らすと、わざとらしい笑い声をあげた。

 

「僕も……意外、かな……」

「……そう。……まあ、いいけど」

 

 私はエレンに視線を合わせた。

 

「エレン。私は……。……自分から、死ぬことを、選んだ」

「……なんでだよ」

 

 怪訝そうな声だった。

 

「生きたいって、お前言ってたじゃねえか」

「うん。そう言ったね。

 でも、今は……」

 

 私は一度言葉を切り、浅く息を吸った。

 

「……エレンもそのときに、言ってたでしょ。――そんな生き方、ごめんだって」

「あ、ああ……」

 

 エレンは浅く頷いた。

 

「私も、そう思った。だから、選んだ。

 それだけの、ことだから……」

 

 本心であり、虚飾でもある理由だった。

 しばしの沈黙のあとに、エレンはそれに「……そう、なのか」困惑と納得とが入り混じった声で答えた。

 

 

 

 エレンと別れ、私たち新兵には第五十七回壁外調査での配置が発表された。

 企画紙を受け取った瞬間、思わず顔が強張った。私の所属することとなった班は四列五・伝令、右翼側の配置だった。

 

 アニからの襲撃を受ける可能性が高い――。私も、この班の先輩方も、生き残れるのだろうか。

 そこまで考えて苦い笑みが浮かんだ。

 

 どうせ、死ぬのだ。

 

 それが一月後であろうが、数か月後であろうが、なんの違いもないことだ。

 

 物思いにふけっていると、やがて班長が「どうした、大丈夫か?」と問いかけてきた。私は企画紙から顔をあげた。

 班長や班員の先輩方の顔には心配そうな色が浮かんでいた。

 

「……いえ。なんでも……ありません。

 その、みなさん。ふつつかものですが……、よろしく……お願いします」

「おいおい、なんだ、改まっていきなり」

 

 班長も班員の先輩方も鷹揚に笑って受け入れてくれる。

 胸に苦いものが広がった。

 それでも、私はこの人たちを見捨てることが――ひいてはエレンが選び、ミカサのもたらす結果が、最良の結末であると信じている。

 

 

 

 

 

 

 日に日に日差しの色が濃くなっていく。肌をなでる風も、いつの間にか生暖かいものに変わっていた。

 一月が経つのは――第五十七回壁外調査まで、あっという間のことだった。

 

 

 

 壁外調査の前日とはいえ、いつものように訓練や業務で一日を終えた。それでも、兵舎でだされた夕食はいつもよりも少し豪華なもので、サシャは大喜びだった。

 私は食事を早々に終え、みんなよりも早く食堂を退室した。

 

 いつもならば数人がいる寝室も、今はひどく静かだった。

 私は私物置き場から紙を取り出す。真白く上質なそれは、遺書を書くためにちょっと前の休暇に買ったものだった。

 

 第五十七回壁外調査では、アルミンやジャン、ライナーと同じく右翼側という配置になった。それを思えば、死ぬ可能性の方が高い。だから遺書を書こうと思っていたのだが、日々の忙しさにかまけて、ここまで引き伸ばしてしまった。

 

 私はベッドに腰かけて、膝の上に置いた紙を見つめた。何を書こうか。やはり書き出しは『この手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないのでしょう――』から始めた方がいいのだろうか――。

 

 だが、いつまで経っても書くことは思い浮かばなかった。

 

 遺したいものも、想いを告げたい相手もいないのだ。

 

 胸に穴が開いたかのような虚しさがじんわりと広がる。それから目を逸らすように窓を見た。分厚い窓ガラスには、月が水面に映るときのように揺蕩って見える。

 

 しばらく、そうやってぼんやりとしていると、やがて遠くから人の気配がした。私は慌てて紙を私物置き場に戻した。なんとなくだが、同室の同期たち――特にサシャには見られたくなかった。




第二章は週一回の更新を予定しています。
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