作:よく

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第57回壁外調査

 ウォール・ローゼ東端にあるカラネス区――。

 壁の外縁に存在する街特有の活気に満ちたこの場所も、早朝は静かだった。

 トロスト区でエレンが岩で穴を塞いだからだろうか。街の人々はなにをするでもなく、好奇心と僅かな期待がこもった視線を調査兵に向けている。

 

 鐘楼の音が風に乗って響いた。壁外調査の開始は近い。

 

「いよいよだ! これより人類はまた一歩前進する!

 お前たちの訓練の成果を見せてくれ!」

 

 その気勢を上げる声に兵士たちは雄たけびで答える。私はそれを目をつむって聞いていた。

 目蓋の裏の暗闇にはいつものように無数の虚ろな瞳が見える。彼らは私がそこに行くのを手ぐすね引いて待っているのだろうか。

 すぐ、そちらに行く。

 遅くとも、数か月後には――。

 

 やがて、「開門はじめ!」と合図が聞こえた。

 目を開く。早朝の淡い光に照らされる、始祖ユミルの娘ローゼの紋章が刻まれた扉が、ゆっくりと引き上げられていくのが見えた。

 今、この瞬間も始祖ユミルは観測しているのだろう。ここも彼女の旅路の通過点に過ぎないのだ――。

 

 一際大きな音を立てて壁外に繋がる門が完全に開ききると、「進め」とエルヴィン・スミスが号令をかけた。瞬く間に蹄音が地を揺らした。

 

「第五十七回壁外調査を開始する。前進せよ!」

 

 エルヴィン団長の指示に従い、調査兵団はウォール・マリアの内側、つい五年前までは町だった場所を駆け抜ける。援護班の支援を受けながらそこを抜けると、目の前に草原が広がった。

 それと同時にエルヴィン団長が「長距離索敵陣形、展開!」と声を張り上げる。その声が響くや否や調査兵たちは広がっていった。

 

 私は右翼側へと馬を走らせる。同じく右翼側を担当しているライナーとジャン、アルミンも、言葉を交わしてから、作戦企画紙どおりに展開していく。私は彼らから断ち切るように視線を逸らした。

 

 

 

 空馬を並走させながら周囲に目を配り、駆けさせる。

 信煙弾の発砲音が響くたびに、はじかれるようにそちらを見た。

 空に立ち上るのは進路を伝える赤か緑の煙だった。まだ、作戦遂行不能を伝える黄色の信煙弾は一発も撃ちあがっていない。

 

 四列五・伝令――。

 伝達班のなかでは最右翼の配置だ。間違いなく、女型の巨人(アニ)や彼女の引き連れる無垢の巨人と遭遇することになるだろう。

 

 その予想どおりだった。

 

 壁外調査が始まってからしばらく経つと、前触れもなく無垢の巨人が現れた。それも、一体ではなく数体。取りこぼしではあり得ない数だった。やはり右翼側の索敵は、女型の巨人によって全滅したのだろう。

 動揺する同じ班の先輩方を尻目に、私はそう冷静に考えていた。

 

 生き残れるだろうか。

 

 そう思った瞬間、寒気にも似た震えが体の芯から湧いて出た。

 

 私は、死ぬのだ。知っている。覚悟している。そのはずなのに――。

 

 わけもわからぬうちに、無垢の巨人の一体が私に手を伸ばした。ひきつった叫びが喉の奥からもれる。それから慌てて冷や汗でぬめる手で手綱を引き、巨人の手から逃げた。

 だが逃げた先にも巨人はいる。

 必死になっているうちに、いつの間にか空馬の手綱は手から離れ、どこかに逃げていった。だがそのことが意識に入らないまま、私はくねるような軌道で逃げ続けた。

 その果てに、巨人の腕がぬっと逃げ道に現れた。

 

 死ぬ。

 

 ここで――こんなところで、死ぬのだ。

 息をするのも忘れ、ぎゅっと目を閉じた。

 だが、激痛よりも先に、なにかを切断する音が響く。

 反射的に目を見開いた。

 私に向かって手を伸ばす腕は断たれていた。次の瞬間、巨人の体が崩れ落ちる。私が囮となっているうちに同じ班の調査兵の先輩方がその巨人のうなじを削いだのだ。

 

 どっと汗が噴き出す。

 

 安堵に浸る間もなく巨人は群れを成して襲い掛かってくる。その数は先程よりも増えている。

 私たちは馬を駆け、逃げ続けた。やがて班長が悪態をついた。

 

「索敵班はなにしてんだよ……!?」

 

 彼はもう一度「クソッ」と言った。

 

「新兵、お前は逃げろ」

「……え?」

 

 そんな声が漏れてから、「逃げろ」という言葉の意味がじわりと染み込んでくる。胸の奥でなにかがゆるむ。

 あ。

 安堵している。そう思った瞬間、歯をぎりぎりと食いしばっていた。

 駄目だ。許されない。

 それに、私は、どうせ死ぬのだ。

 

 私はぎゅっと目を閉じてから、開いた。

 

「――わ……私、も……!」

「お前の仕事はなんだ!」

 

 私がブレードを引き抜きながら言うと、班長が怒鳴りつけた。

 一瞬、言葉を失う。

 

「……伝達、です」

「そうだ、それでいい」

 

 班長は満足げに言った。

 

「……ですが」

「なんだ、上官の指示が聞けないのか?」

 

 言葉面とは裏腹に、冗談交じりの穏やかな声だった。

 

「いえ……」

「お前には、この異常を伝達する義務がある」

 

 いい淀む私に、班長はきっぱりと言った。

 なんと言っていいか、わからなかった。私は何度も口を開いては閉じて、それから、口を開いた。

 

「……了解、しました」

 

 ブレードを納めて、手綱をしっかりと握った。

 

「……どうか、ご武運を」

 

 使命感か、安堵感か――。自分でもよく分からない感情が、この場から突き動かす。

 私は班長と無垢の巨人たちから視線を逸らし、背を向け、駆けた。作戦続行不可を報せる黄色の信煙弾を放つと、やがて背後から、微かに断末魔が響いた。

 

 身をよじり振り返っても、巨人が見えるだけだった。

 

 

 

 班長たちの断末魔が遠ざかってから、無心で馬を駆けさせているうちに、前方で黄色の信煙弾が放たれた。それとほぼ同時に右翼側でも黄色の信煙弾が放たれる。

 はじまった。

 女型の巨人とアルミンが接触したのだ。

 

 このまま直進すれば、アルミンたちと女型の巨人との戦いに巻き込まれることになる。

 

 女型の巨人戦には介入しないほうがいい。

 なにか、わずかでもずれてしまえば、アルミンの洞察――この戦闘を乗り越え、アニとライナーとベルトルトの正体に気づくもの――が歪んでしまうだろう。

 

 だがここで進路を変えるのも不自然だ。

 ちょっとした隙であっても、エルヴィン・スミスに気づかれたら、原作から大きく変わってしまうことになる。彼だけには疑われたくない。

 

 それに、また、見ないふりをするのか。

 

 いずれにせよ、道は一つしかない。そういった生き方をあの夜、選んだ。

 私は手綱を引くことはなく、そのままの速度で直進し続けた。

 

 視界の先に点のようだった後ろ姿が、段々と近づくにつれ、はっきりと肉が剥き出しの後ろ姿が見えてくるようになった。

 一瞬の逡巡ののちに、馬の腹を蹴る。

 ぐんぐんと女型の巨人との距離が縮まっていく。間もなく走る女型の巨人と追いすがる三体の馬の姿が見えた。

 女型の巨人を見ても、思っていた以上の衝撃はなかった。知っていたからか、アニとのかかわりを避けていたからか――。

 

 突然、女型の巨人が軽やかな――格闘訓練のときのアニのような――動作で振り向くと、なにかを手で叩いた。

 戦闘が始まったのだ。

 女型の巨人はさらに別方向にステップを踏み、なにかをはじきとばした。それがこちらの方に飛んでくる。

 こげ茶色の点のようだったそれも、近づき地面に落下するころには、馬であることがはっきりと見て取れた。

 

 誰か――ジャンだろう――が立体起動装置で女型の巨人を翻弄している。

 ジャンはうなじ付近にアンカーを刺した。女型の巨人は左手でうなじを守る。このままだとジャンはうなじを削ぐことができずに、女型の巨人に殺されるだろう。

 だが、原作どおりにいけばジャンは死なない。

 

 目の前で仲間が死にかけていて、何もしないことはおかしいことは分かっている。

 だが、原作の流れを変えるわけにはいかない。私程度が女型の巨人に立ち向かったとしても、無駄死にに終わるだろう。そうだ。介入しないほうがいい。

 手を止める理由は、沢山あって。

 でも。

 また、見捨てるのか。

――そんな思いが、ふっと湧いて出た。

 

 私は。

 

 どうすれば、いい?

 

 ブレードの柄にそろそろと手を伸ばす。冷たいそれを逡巡しながら握る。そのとき、手が震えていることに気づいた。柄から刀身を引き抜こうとして、止まった。

 息をはく。

 意図的なのか無意識なのか。私自身ですら分からぬまま柄から手を放し、両手で手綱を掴んだ。

 

 どうせ、ジャンは助かるのだ。

 

 事実、「ジャン! 仇を取ってくれ!」という、アルミンの声が響くと同時に、女型の巨人の動きが止まった。ジャンは女型の巨人からアンカーを抜き地面に転がるように着地する。彼は知っている通り生き延びることができていた。

 

「右翼側でほんとうに死に急いでしまった、死に急ぎ野郎の仇だ! そいつに殺された!」

 

 アルミンは女型の巨人の正体に感づいたようだ。

 私は胸の重さを吐き出すように息をこぼした。

 

「僕の親友をこいつが踏みつぶしたんだ! 足の裏にこびりついてるのを見た!」

 

 アルミンが言い切るのと同時に、ライナーがわざわざフードをはずして立体機動に移った。

 直線的な鋭い軌道で、ライナーは女型の巨人のうなじに迫る。だが、女型の巨人は手を伸ばすと難なくライナーを掴んだ。

 ぎりぎりと音を立ててライナーが握りしめられる。彼は苦し気な声を上げた。

 

 茶番だ。

 

 私はライナーとアニからきっぱりと視線を逸らし、アルミンを見た。彼は頭から血を流している。

 馬に乗っている私がアルミンを救助し運ぶのが自然だろう。だが、アルミンには女型の巨人が手に書かれた情報を読むところを目撃してもらわなければならない。

 私は女型の巨人の手からライナーが解放されるのを確認してから、ジャンのいる木立の方に行き、「ジャン」と彼の名前を呼んだ。

 

「は? ミノリ!?」

「乗って」

 

 言いながら私はジャンに手を差し伸べた。

 ジャンは一拍の沈黙ののちに「お、おう」と答えて、私の手を掴む。

 手を取ったとき彼の手の熱さに驚いた。それほどに私の手は冷えていた。

 

 

 

 適当な木立が見えたので、私たちは一度、馬から降りた。巨人に奇襲される危険があるが、アルミンの手当をしなければならない。

 

 ライナーがアルミンの手当をはじめるのを尻目に、私とジャンはそれぞれ手綱を持って待機していた。

 なんともなしに周囲を見る。風が吹くたびに、さわさわと下草が揺れるさまは、状況に反して穏やかだった。

 ふいに視線を感じて向くと、ジャンが固い表情で見ていた。彼の顔を真正面から見るのは、トロスト区以来だった。あのときの全てを見捨てたいやな感覚を思い出して、胃の腑がじくりと重くなった。

 

「助かった……けど」

 

 そこでジャンは言葉を切った。

 

「どうしてお前がここにいるんだよ」

「……四列五班は、全滅した」

 

 ジャンは息を呑んだ。

 

「伝達する途中で、黄色の信煙弾が見えたから、ここに来た」

「……そうか」

「……うん」

 

 どちらともなく口を噤んだ。気まずい沈黙が落ちる。やがてジャンは自らの馬を呼ぶために指笛を吹き始めた。

 

「どうだアルミン、立体起動装置は?」

「大丈夫……留め具が正しく外れてくれたから、壊れてはいないんだ」

 

 私は逃げるようにその会話が聞こえる方を向いた。

 ライナーがアルミンの頭に包帯を巻いている。その最中もジャンは指笛を吹いているが、いつまで経っても馬は訪れない。それはそうだ。なにせクリスタがジャンの馬を並走させているのだから。

 

「そうか……それはよかった」

 

 ライナーは私に目配せした。

 

「それにしたってミノリが来てくれて助かった。おかげで誰もここに残さないですむ」

 

 私は思わず視線を逸らしながら「信煙弾が、見えたから」と返した。

 

 一方でアルミンの返事はない。彼はぼんやりとしていた。

 包帯を巻き終えたライナーが「アルミン」と気づかわしげに名前を呼んだが、反応はない。

 

「おい、アルミン!」

 

 アルミンは力のない声で「あ」とこぼした。

 

「やはり……まだ意識はしっかりしないのか?」

「うん……まだ、ちょっと、ボーっとするよ……」

「そうか」

 

 ライナーはジャンの指笛が止むのを見計らって口を開いた。

 

「どうだ、ジャン。馬は戻ってきそうか?」

「いや、駄目だ。

 クソッ、あいつはどこにいったんだ……?」

「なら、俺がアルミンを乗せる。ミノリはジャンを乗せてやってくれ」

 

 アルミンとジャンは口々に賛同の意を唱えた。

 

 それは困る。

 恐らく、クリスタは近くまで来ている。ここで彼女と合流できないと、なにかがずれてしまうかもしれない。

 

「誰かが……ジャンの馬を、捕まえたのかもしれない。煙弾を、撃つべきだと思う」

 

 私は平静を装って言った。

 怪しまれていないだろうか――。

 三人が考え込む数秒が、ひどく長く感じた。

 

「それもそうだね。近くに四列三班が来ているはずだ」

 

 アルミンが言いながら煙弾を手に取ったとき、ふっと体から力が抜けた。

 

 緊急事態を告げる紫色の信煙弾が空にたなびく。

 ほどなくして馬の蹄の音が遠くから聞こえてきた。クリスタだろう。

 

 よかった。

 これで原作どおりに進みそうだ。

 

 

 

 

 

 

 ジャンとアルミンはクリスタから馬を受け取り、私たち五人は陣形に戻るべく――私は伝達するべく――駆けた。

 ジャンやライナーは撤退の司令を想定していた。しかしながら作戦続行が伝えられ、調査兵はエルヴィン・スミスの司令どおり東に直進した。

 

 

 

 

 

 

 私は伝達を終え、陣形に戻り進み続けた。やがて、通常の樹木の何倍もの威容を誇る木々が見えるようになる。巨大樹の森に辿り着いたのだ。

 

 エレンたちリヴァイ班の所属する中列が女型の巨人に追われながら、巨大樹の森に入ったのだろう。巨大樹の森の外縁を駆けてしばらくすると、右翼側の新兵に抜剣しての樹上待機の命令が下った。

 私には同じく五班のライナーと近くの配置が伝えられる。

 私は馬の首元を労わるようにさすってから、近くの枝に手綱を繋ぎ、立体起動装置で巨大樹の梢に上った。

 

 見上げるほど高い樹枝から漏れる陽光がまだらに辺りを照らしている。その鬱蒼とした薄暗さに目が慣れると、遠く、巨大樹の森の外の景色が目に沁みるように見えた。

 

 早朝からずっと周囲に誰かの息づかいがあった。だが今は、近くにライナーがいるにしても静かだった。

 一人になると、世界が色を取り戻していくようにはっきりとしてきた。そうして、ようやく自分のしたことの恐ろしさがじわじわと実感を伴ってきた。

 

 私は仲間であっても三年間をともにした同期であっても、必要ならば簡単に見捨てることができる。なにを経験しようが変わらない酷薄な薄情さが恐ろしかった。

 だが、最初から覚悟していたことだ。

 見ないふりはできなかった。

 それでも、誰かを助けるために調査兵団に入団したわけではない。

 地鳴らし。ひいては巨人のいない未来のためならば、私は同期も、仲間も、八割の人類をも犠牲にする――。

 

 苦いものが胸を刺し、場違いにも笑みが浮かぶ。だが、それはすぐに歪んだ。

 

 見ていた。

 全部、見ていた。

 それでも動かなかった。

 

 なればこそ、もっと苦しむべきだった。

 目を逸らすことは、許されない。

 

 地上から無垢の巨人が、こちらを引きずり落さんばかりに手を向けている。その無機質な目が、虚ろな瞳に重なる。それを見返して、ブレードの柄を握りしめた。

 

 

 

 ときおり無垢の巨人から逃げるように位置を変えながら待機する。

 女型の巨人を生け捕りにすべく、ワイヤーを打ち込み始めたのだろう。森の奥から大砲のような音が聞こえてきた。

 

 ということは、女型の巨人に呼び寄せられた無垢の巨人との戦闘も近い。

 首の裏が強張り、視界が遠くなるような感覚を覚えた。

 

「ミノリ」

 

 ふいにライナーの声がした。私はそちらの方に顔を向けた。木漏れ日が彼の顔に深緑の影を落としている。

 奇妙な既視感を覚えた。それから数秒経って納得した。そういえば初めてライナーと会話したのも似たような場所だった。

 

 未だに疼くような憎悪や怒りは沈殿している。だがそれを維持できるほど私は強い人間ではなかった。

 なによりも私は、彼らを糾弾できるほどに、無辜ではない。

 

「――なあ、どう思うか」

 

 ライナーはちらりと巨大樹の森の奥に視線を向けた。

 

「こんな森の奥から爆発音が聞こえるなんて。大砲でも持ってきたのか? そんな大荷物持ってきているようには思えなかったがな」

 

 ライナーは言いながら私の方を見た。

 私はちょっと視線を落とし「そう……だね……」と言った。

 

「……発破を、持ってきてたんじゃ……ない?」

「それにしたって数が多すぎる」

 

 私はできるだけ自然に肩を竦めた。

 

「じゃあ、分からないよ」

「そうだよな」

 

 ライナーは腕を組み、顎をさすりながら言った。

 

「……そう思ってるなら、聞かないで」

 

 思わず眉根を寄せた。

 

「だいたい、ライナーの方が成績、よかったでしょ」

「悪かった」

 

 ライナーはにやっと笑った。

 

「だが、お前だって最初に比べたら、良くなっただろ」

「あなたのおかげで、ね」

 

 話しているうちにいつのまにか爆発音は止んでいた。この静けさが不気味だと感じるのは顛末を知っているからか。

 

「止まったな」

「……うん」

 

 束の間、葉擦れの音が聞こえるほどに静かになった。それから、やにわに巨大樹の森の奥から叫び声が聞こえてきた。

 ライナーは弾かれるようにそちらのほうを見た。彼の横顔には、はっきりと動揺が浮かんでいる。

 

 長く続いた絶叫が終わると耳が痛くなるような静寂が訪れる。それは巨人の足音が周囲から一斉に鳴り響くことによって、打ち破られた。

 

 樹上にいる調査兵たちに手を伸ばしていた無垢の巨人たちは、今やなにかに引っ張られるかのように森の中心へと駆け出していた。

 

「……森の中に行かせるな! 戦闘開始!」

 

 班長の指示から一拍おいて私たちは背を向ける巨人たちに向かった。

 

 無垢の巨人はこちらを意に介さず、背を向けて走り続けている。傀儡のようなさまだが、彼らも、人間だったのだ。

 

 私は息を詰めて接敵し、無防備なうなじを削いた。

 巨人が、がくりと力を失い、くずおれた。ぱくりと斬れたうなじから、蒸気が立ち昇っている。

 呆気なかった。

 一か月ほど前まで熱心に行われていた模擬訓練を思わす単調さだった。

 

 視界の端ではライナーが続けざまに無垢の巨人を屠っていた。それに次ぐように、私も樹幹にアンカーを刺し、ガスをふかした。

 だが全速力で走る巨人に追いつく術はなく、あっという間に無垢の巨人たちは手の内から逃げて行った。

 森の奥まで追うべきか――。

 その疑問に答えが出るよりも先に、森の奥から撤退を告げる信煙弾が立ち昇った。

 

 酸欠のときと似ただるさがあった。じんじんと頭が痺れている。凝り固まった体をほぐすように、鋭く息をはく。それからワイヤーでぶら下がったまま、木々の隙間からたなびく青い煙を、なにを考えるわけでもなく、ただ、見上げた。

 

 終わった。

 

 だがエレンからすればここからだ。間もなくアニにリヴァイ班の班員たちが殺される。私はそれを見捨てる。

 なんともなしに携えるブレードを見た。たった一回の使用でそれは刃こぼれしている。刃の入れ方が甘かったのだ。

 

 ふいに立体起動起動装置の独特な動作音が近づき、梢に降り立つ気配があった。

 ライナーだ。

 

「初陣で三割は死ぬとエルヴィン団長は言ってたが、俺たちは生き残ったってわけか」

 

 のろのろとライナーの方を見た。彼はいつものように自信や余裕のある顔をしている。

 

「……帰るまでは、分からないけどね」

 

 ライナーが「そうだな」と返すのを聞きながら、私は近くの梢に降り立った。

 

「だがまあ……ここまで来たんだ、生きて帰るしかねえだろ」

 

 どこに、帰るのか。どこに帰ればいいのだろうか。

 わからない。

 

 だが、帰れるのだ。

 

「そっか。私……生き残ったんだ……」

 

 ライナーは撤退すべくアンカーを射出しようとしていたが、それを止め、顔だけで私の方を向いた。

 

「そりゃあ、当たり前だろ」

 

 ライナーは当然のように言った。

 

「当たり、前……」

 

 その言葉をうまく呑み込めなくて、思わず繰り返した。我ながら、力のない声だった。

 ライナーは体ごと振り向くといつものように口を開く。

 

「あのなあ。お前、死にたくないって、言ってただろ」

 

 ライナーの表情にも声音にも、呆れが滲んでいた。だが、不快ではなかった。

 

――あれは一月前、新兵勧誘式の日だったか。そのようなことを、たしかに言った。ライナーはそのことを覚えていたのだ。

 

 血が通うように、じわじわと彼の言葉の意味が沁み込んでいく。それがなんだか、面映ゆくて、居心地が悪くて、意識して唇をまっすぐに引き結んだ。

 

 ライナーの言葉へのうまい返しも思い浮かばずに「うん」と相槌を打った。

 

「……行こう」

「ああ」

 

 私たちは立体起動装置で巨大樹の森の外縁まで出た。あたりは昼前の濃い陽光が照らしている。眩しさに目を細めた。

 私はいつものように「よろしくね」と声をかけてから馬に跨り、退却先まで進んだ。

 

 

 

 

 

 

 右翼と左翼の班がエルヴィン団長率いる荷馬車護衛班と合流することができても、リヴァイ班とミカサが姿を現すことがなかった。

 やがて負傷したエレンを抱えたリヴァイ兵士長と、ミカサが巨大樹の森から現れた。

 生き残ったのはこの三人だけだった。リヴァイ班はエレンとリヴァイ兵士長を残して全滅した。

 

 

 

 辛うじて回収することのできた遺体だけを荷馬車に積み、カラネス区へと帰路を辿る。

 

 今回の壁外調査で犠牲になった人々と、私ではなにが違ったのだろうか。本来であれば自分も、あちら側だったのではないか。だが、そう思う度に、ライナーの言った言葉がふっと浮かんだ。

 

 やがて、カラネス区に着くころには、太陽は中天に座していた。

 

 白々と輝くウォール・ローゼに設けられた門をくぐった途端に、人の作るざわめきに全身を包まれる。壁の外とは音の情報量が全く持って異なっていた。

 てんでばらばらな日常的なその音は、時間が経つにつれて方向性をもって、私たち調査兵団に向けられるようになった。

 

「――早朝から叫びまわって出てったと思ったら、昼メシ時にはもう帰って来やがった。

 なにしに行ったんだ?」

「さぁな……。

 まぁ、しかし、こいつらのシケた面から察するにだな……。俺らの税をドブに捨てに行くことには、成功したらしいぜ」

 

 早朝とは異なり嘲るようなざわめきだった。それは段々と罵声や、責任を追及するものへと変わる。

 調査兵の誰もが顔を歪めている。

 だが、私は結果――アニの捕縛、ひいてはパラディ島の発展――を知っているからか、野次を聞いても負の感情は湧き立たなかった。むしろ、冷たい納得が浮かび上がってきた。

 

――彼らが、このなにも知らない民衆が、排外主義を育てあげていく。

 

 『心臓を捧げよ』と、熱狂に吞まれていくのだ。

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