棘 作:よく
第五十七回壁外調査から一日が経った。
私たち104期調査兵団の多くは、カラネス区――ウォール・ローゼ東方――からウォール・ローゼの南区へと移動。そこの調査兵団の施設で武装を解除した上での待機命令が下される。
要するに軟禁だった。
調査兵団の施設の一室に閉じ込められた同期たちは誰もが苛立ちを隠していた。どこはかとなくぴりぴりとした雰囲気が漂っている。例外は、全部を知っている私と、ただ単に能天気なサシャとコニーだけくらいだろう。
既にマーレから
それをどうすることもできないし、できたとしてもしない。私はなに一つ変わっていない。
腹の底がざわざわするような緊張感や罪悪感を覚えている。同時に、することもなくただ待っているというのは、ひどく、退屈だった。
朝方は姿勢を正して座って、そのときが来るのを待っていた。だが緊張感を持続することは難しい。今や姿勢を崩し頬杖をつきながら窓の外を見ていた。
外は、明るい。
燦々とした陽光が木々を青々と照らしている。柔らかそうな風が梢を揺らす。鳥たちが飛び立つ。
眠気を誘うほどに、酷く穏やかな光景だった。
ユミルとクリスタの話し声。コニーとサシャの暇そうな声。チェスをするライナーとベルトルトの気配――。
段々と瞼が重くなってきた。一応、勤務中だ。必死にそれに抗った。
◇
暗闇の中、無数の虚ろな瞳が見える。
それは、じっと、私を見ている。
鼻の奥には死臭がこびりついている。
――これは、夢だ。
わかっていても、恐ろしかった。
無数の虚ろな瞳は何を言うでもなく、恨めしそうにまだ生きている私を見ている。
仕方のないことだった。耐えるしかなかった。
私はそれらの視線を受け止め続けた。
耐えて、耐えて、耐えて――。
やがて、誰かが私の背を撫でた。
◇
「みんなワケがわからなくて困惑してる。呑気にくつろいでんのはお前らだけだよ
――いや、ミノリもか」
ふいに、名前を呼ばれた。
ふっと意識が浮上した。いつの間にか伏せかけていた視線を慌てて上げる。そうしてはじめて、自分が目を閉じていたことに気づいた。
私は慌てて姿勢を正す。
一瞬、自分がどこにいるか分からなかった。数秒経ってから、ライナーが腕を組みながら私をじっと見ていることに気づく。彼の表情には呆れと親しみが滲んでいた。
「おい、起きてたほうがいいぞ」
サシャとコニーも私を見ている。
――ああ、そうか。ここは調査兵団の施設で、私たちは待機命令が出されていたのだ。
状況を理解していて、一気に頬が熱くなった。
「――寝てない。寝てない、よ」
「どう見たって、寝てただろ」
コニーは呆れたように言った。
「……寝て、ないし」
サシャはコニーをなだめるように「まあまあ」と言った。
「ミノリはちょっとでも寝た方がいいですって。夜、いっつも起きてるじゃないですか」
よく、気づいたな、と驚いた。同時に、納得もしていた。
野生動物のように鋭いサシャなら、私が夜ベッドの中で横になっているだけのことにも気づくだろう。
「……庇ってくれて、ありがとう」
「素直じゃないですねえ」
言ってから、サシャは訝し気に唇をへの字に曲げると「……ん?」と呟き、机に耳を当てた。
「あれ!?」
サシャはいきなり立ち上がった。
「足音みたいな地鳴りが聞こえます!!」
「なに言ってんだ、サシャ?」
ライナーが不思議そうに言うのを尻目に、私も立ち上がった。
――長い一日が、はじまったのだ。
「本当です! 確かに足音が!」
サシャが両手を上げながらそう言うのと同時に、窓が開いた。そこからナナバさんが外から「全員いるか?」と聞く。同期たちに驚愕の雰囲気が滲んだ。
「五百メートル南方より巨人が多数接近、こっちに向かって歩いてきている
君達に戦闘服をきせてるヒマは無い。直ちに馬に乗り……付近の民家や集落を走り回って避難させなさい。
いいね?」
同期たちは言葉を失った。
やがてコニーが「南方……から?」と呆然と呟いた。
罪悪感で胸が痛む。それに慣れることは、まだ、なかった。
コニーの懸念通りに、彼の故郷はすでに侵略されている。
――せめてもの救いは、彼の母だけでも助かることか。
一拍置いてから、それが酷く傲慢な考えであったということに気づく。母以外を奪われることが、救いであるものか。
「――さぁ! 動いて!!」
ナナバさんの鋭い号令が、思考を断ち切る。
「ぼけっとしてられるのも、生きてる間だけだよ!」
私たちは弾かれるように馬房に向かった。
訓練で何度もそうしたように、手早く馬に鞍とサドルバッグを装着しハミを噛ませる。
そして私たちは騎乗し調査兵団の施設を後にした。
「あの巨人群が林まで到達したら、一斉に離散する!
それまでに四つの班を構成する!」
ミケ分隊長はそう言うと、班分けについて説明をした。
東西南北の四つの班に分け、巨人の襲撃及びウォール・ローゼの破壊を伝達する。
南班はウォール・ローゼ破壊個所特定のために、人数を必要とする。
――とのことだった。
サシャが北、コニーが南の班に決定した。それぞれ二人の出身地に配属されたのだ。そしてライナーが南班に志願し、ベルトルトも南班に参加することとなった。
私は東か北を志願しようと考えていた。
そうすれば、ラガコ村の惨状を知らずに済む。ウトガルド城の戦いに巻き込まれなくて済む。
だが――。
――見て見ぬふりをするのか。
そう、思ってしまった。
「――私、も」
ゆっくりと瞬きをする。
目蓋の裏には、無数の虚ろな目が見えた。
「私、も。……南班に、参加します」
「ミノリ!? お前まで……!」
コニーが驚きと心配の入り混じった声で言った。
私はコニーから見えていないと分かっていながらも、唇を歪めた。
「人数……必要なんでしょ? ドベでも、役に立つ……かも」
コニーは笑った。引きつった笑い声だった。
「お前……こんなときでも、変わんねえな。……ありがとうよ」
なにか、気の利いた言葉を返そうとして、そんな資格もないことに思い至る。私はぎゅっと唇を結んだ。
こうして東西南北の班が決まると、ナナバさんが口を開いた。
「わかってると思うが、今日は人類最悪の日が更新された日だ!
そして人類史上最も忙しく働くべき時が――今だ!
巨人どもが林に到達したぞ!!」
ちらりと後ろ見ると、遠く、調査兵団の施設の近くの林には巨人の群れが到達していた。先ほどまでいた場所に巨人がいるのを見るのはぞっとしなかった。
「離散せよ! 最高速度で駆け抜けろ!!」
ナナバさんのその号令で、手綱を譲り、馬の腹をかかとで軽く挟む。
私たちは班ごとに分かれて駆けた。
――だが。
ドドドド……と地鳴りのような足音が響く。図ったかのように、巨人たちも駆けだした。
獣の巨人の仕業だ。
無垢の巨人たちは疾走し続ける。このままでは簡単に追いつかれてしまうだろう。
「――ゲルガー!」
ミケ分隊長が動揺を表に出さずに言った。
「南班はお前に任せた!」
言いながらミケ分隊長は巨人の群れに向かって馬を走らせた。
あの人は、死ぬ。巨人にたかられて、貪られる。
私は、見送った。
私は南班としての任務を行った。
人や集落を見つけたときに避難誘導をする。そのときに離脱することもできた。しかし、私は辞退し続けた。
私はラガコ村にジークの脊髄液が噴霧されることを知っていて見捨てた。
見ないふりも逃げることも、もう、できない。
日が暮れてくると、そのうち街道の先に夕暮れに染まるラガコ村が見えてきた。その途端にコニーは先陣を切って駆けだした。
「待て、コニー、落ち着け!」
ライナーが制止した。だがコニーは構うことなく馬を走らせる。私たちはコニーを先頭に進んだ。
やがて、ラガコ村に辿り着いた。
そこはひどいありさまだった。木々は折られ、家屋は踏み荒らされ、人の気配がしない。
ここの住人が全員、無垢の巨人に変えられた。
私が、見捨てたのだ。
吐き気がした。
「誰か……!? 誰かいないか!?」
悲痛な声が響いた。
「俺だ! コニーだ!! 帰ってきたぞ!!」
答えはない。
コニーは、はっとしたあとに「俺の家……!」と呟くと村の奥へと馬を走らせた。
私たちは彼についていった。
倒壊した一軒の家屋――コニーの生家だ――前に辿り着くと、コニーは急停止した。そこには巨人が横たわっていた。
手足が細く、自重を支えることさえできない巨人――。
コニーの母だ。
「コニー下がれ!」
「お……俺の……家だ……。
俺の……」
コニーは茫然と言った。
私はその巨人の瞳を見上げた。ガラス玉のようなそれからは知性が感じられない。
それでいい、と思った。
四年後のいつの日か、エレンが巨人の存在を消し去るその日まで――。なにも、感じられなければいい。
ラガコ村には巨人が見当たらないので、今後の任務に備える好機だった。
わずかな時間だが、馬を休め、松明を用意することとなった。
なんともなしに見ていた視界の先では、ライナーがコニーを慰めている。
ライナーは何を考えて、そんなことをしているのだろうか。或いは、兵士の人格なのか――。
ベルトルトがライナーを心配そうにじっと見ていた。
やがて人数分の松明もそろったので出発することとなった。
私たちは馬に騎乗した。
そのときだった。
「オ……アエリ……」
擦れたか細い声が、した。
「は……。今……」
「オイ! コニー! 急げ! ゲルガーたちに遅れちまうぞ!」
後ろからライナーとコニーのやり取りが聞こえる。
ここにきて、疑われたくない。感づいたとは僅かであっても思わせたくない。
だが、思わず振り返ってしまった。
ライナーは必死にコニーを誘導している。真実に気づかれないように。任務が失敗しないように
――ああ、そうか。
その必死さでシガンシナ区は奪われた。私はここにいる。
封をした感情が、ぐるぐると荒れ狂っていた。
でも、仕方がないことだった。
私は前を向き、馬を駆けさせた。
手綱を握る手に力が入りすぎているのか指先が痺れていた。意識して手の力を抜いた。
私たちはラガコ村からさらに南下し、ウォール・ローゼ沿いに――実際には存在しない――壁に開けられた穴を探して、北へと進んだ。
日が落ちると暗闇の中で手に持つ松明だけを光源にして進んだ。
ウォール・ローゼは破られていない。壁内に発生した巨人も、ほとんどがジークの支配下に置かれている。安全といえる状況だ。
だが、知っていても、全身にじっとりとした汗をかくような恐怖が付き纏っていた。
数十分か、或いは数時間か――。
時間の感覚が曖昧になるような緊張の中、進み続け、やがて、四つの光源がぼんやりと見えてきた。
ナナバさん率いる西班だ。
松明の光が照らす憔悴した顔が見える位置まで、互いに近づく。南班と西班の班員たちは言葉もなく顔を見合わせた。
「お前らも壁に沿ってきたのか?」
しばらくしてから、ゲルガーさんが沈黙を破った。
「あぁ……それで……。穴はどこに?」
ナナバさんの問いにゲルガーさんは「……は?」と困惑した声を上げた。
ナナバさんは困惑した表情を浮かべる。
「……こっちはかなり西から壁沿いを迂回してきたんだけど、異常はなにもなかった。
こっちじゃないとすればそっちが見つけたはずでは?」
ゲルガーさんはその想定外の言葉に数秒、言葉を失った。
「いいや……こちらも穴など見てない」
壁内に巨人が現れたのに、壁に穴があけられていない――。
その理解し得ない状況に誰も口を開くことができない。ただ、風の吹く音だけが響いた。
「……見落とした可能性は?」
「ありえない……巨人が通れるほどの破壊跡だぞ」
リーネさんの疑問にすぐさまヘニングさんが反論をした。
「どうする……。もう一度確認してみるか?」
「そうすべきだが……さすがに馬も我々も疲労が限界に来てる。
今以上の集中力は期待できない」
ナナバさんがちらりと夜空を見上げた。
「せねて月明かりがあればな……」
ちょうど、上空で風が吹いたのだろう。
ナナバさんがそう言うのと同じようなタイミングで、雲の切れ間から冴え冴えとした月が姿を現した。
満月だ。
日本にいたころは、夜になっても明るかった。日が落ちてから外にいても街灯があった。ないときは、スマホか懐中電灯を使えばよかった。月光のありがたみを感じることは、ほとんどなかったと言えるだろう。
だが、この世界に来てから月明かりは、心強い存在だった。
今も、そうだ。
薄っすらと明るくなっただけで、周囲が見えないことによる恐怖が少し引いた。
「あれは……」
ゲルガーさんは息を呑んでからそう言った。
「城……跡……か?」
ゲルガーさんの視線の先を追う。そこには古城――ウトガルド城が見えた。
私たちはウトガルド城に向けて、馬を進ませた。
精神的にも肉体的にも追い込まれていたが、ゴールが目に見えているからか、壁に実際には空いていない穴を探しているときよりは楽だった。
やがて古城に着いた。
周囲の安全が確認できてから、馬を馬房に繋ぐこととなった。そのとき、思わず手が止まった。
数時間後、ここは戦場になる。
だから、きっと、この子は明日の朝日を見れない。獣の巨人の投石攻撃か、巨人との戦いに巻き込まれて、死ぬ。
でも、どうすることもできなかった。どうすることもしなかった。私の所為だった。
胸が重く痛む。
何度も浅く呼吸をして、「ごめんなさい」と口の中で呟いた。その言葉は自己満足でしかないのに、止めることができなかった。
それから、やめればいいのに、無為な行為なのに、馬の首筋を撫でた。何度も撫でた。
あたたかかった。
後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、馬から手を離した。
「ごめんなさい……」
最後にもう一度そう呟いてから、私は古城へと足を進めた。
広間で火を起こし、盗まれた――というよりもジークたちが用意したのだろう――物資を使い、ようやく腰を下ろすことができた。
調査兵の先輩方が見張りを行い、私たち新兵は夜明けまで休めることとなった。しかしあと数時間で巨人が襲撃し、間もなく先輩方は命を落とす。
私は壁に背中を預けて、膝を抱いて座る。
ユミルがコニーの家にいた巨人が、コニーの母に似ていることを、茶化して誤魔化すのを聞きながら、私は目を閉じた。