作:よく

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エレン奪還戦2

 凄まじい勢いで景色が流れていく。ヒュウヒュウと風を切る音と、規則正しい蹄が地を削る音だけが耳に届いていたた。

 顎を引いてまっすぐと前を見やると、遠くにぼんやりと巨大樹の森が見えている。

 

 私たちは長距離索敵陣形を維持できる限界の速度で、馬を駆っていた。巨大樹の森に日が暮れるまでに辿り着くために――。

 

 視界の端で右翼側からの赤い信煙弾が上がったのに気付いた。巨人が見つかったのだろう。

 すぐさま本陣から左翼側に進む指示が緑の信煙弾で伝えられるが、その直後に左翼側からも二発の赤い信煙弾が上がる。続けざまに右翼左翼を問わず赤い信煙弾が空に何本も昇った。

 囲まれている。

 

 細く長く息を吐いた。

――戦闘が、近い。

 世界と私の間に膜が一枚張っているかのように、現実味がない。

 一方で思考は冴えていた。

 果たして、生き残れるのだろうか。ふっと疑問が湧く。ただ、すぐにそれを胸の底に、うずめた。

 考えないほうが、いい。

 

 緑の信煙弾が放たれる。進行方向は、直進。戦闘用意の指示も出された。

 手綱を譲った。

 

 はっきりと巨大樹の樹幹が見えてくると、巨大樹の森の奥深くから鮮烈な光がこぼれた。ユミルが巨人化したのだろう。

 それと同時に大勢の人間に釣られて、何体もの無垢の巨人が森から姿を現した。無意識のうちに手綱を握る手にぐっと力がこもる。

 

「――総員散会!」

 

 団長の指示が響いた。

 

 私たちは、まず二手に分かれて、巨大樹の森の縁を沿うように馬を駆けさせた。

 

 無数の巨人を掻い潜り、巨大樹の森の奥深くまで入らなければならない。巨人たちの合間を抜けるべく、じっと目を凝らした。

 

 やにわに前を行く憲兵の一人に、巨人の手が、伸びる。

 

 見なければいいのに、咄嗟に、ちらりとそれを見てしまった。

 

 憲兵は呆気なく掴まれて、巨人の口の前まで持ち上げられ、ぶつりと噛み千切られる。血と臓物が草むらにこぼれ、つんざくような断末魔が響いた。

 

 目を逸らすことは、許されない。

 

 同時に、それが私でなくて良かったと安堵してしまっていた。

 

 醜いね。

 

 私たちは多くの兵を囮に、臨時で構成された班ごとに散会して、巨大樹の森に入った。

 それでもなお追いすがる無垢の巨人たちから逃げるように進み、やがて、立体機動装置で樹上からエレンを探すこととなった。

 

 立体機動装置特有の、ガスをふかす音や、ワイヤーを巻き取る音が巨大樹の森に響く。

 私たちは立体機動装置で樹々の隙間を縫うように進んだ。

 

 程なくして巨大樹の森の奥から、巨人の――顎の巨人(ユミル)の叫び声が聞こえてくる。

 それを目印に進むと、やがてユミルが樹幹にぶら下がっているのが見えた。駐屯兵の一人が彼女に切りかかろうとしたが、コニーがすぐさま制止する。

 

 コニーはユミルの傍まで移動すると「オイ! ユミル! どうしたんだ、お前だけ!?」と、声をかけた。だが、ユミルの反応はない。

 ユミルは伺うように私たちを見やる。

 私もじっとユミルを見た。

 

 ふいに別の方向からヒストリアが「ユミル」と呼ぶ声が森に響く。ユミルは弾かれるようにそちらに向かうと、現れたヒストリアをぱくりと口にした。

 

 咄嗟の出来事に場が硬直した。誰も反応できないその隙に、ユミルは木立の隙間を縫うように、先へと――ライナーたちのいる方へと進む。

 私は後を追うために、アンカーを放った。

 

 ユミルは、疾い。

 立体機動装置をしても追いつくことは難しかった。

 誰もが追いつくことができないまま、ユミルの向かう先は段々と明るい景色になっていく。巨大樹の森の終端へと至るのだ。

 

 ユミルが巨大樹の森を脱する直前に、巨大樹の森の終端から、より眩い光が弾ける。

――そこから、鎧の巨人が姿を現した。

 

 ユミルは最後の一飛びをすると、鎧の巨人にしがみつく。その肩にはエレンを背負うベルトルトも見えた。

 

「まずい……。エレンが連れて行かれる……!」

 

 アルミンが茫然と呟くと、後ろから現れたハンネスさんが「止まるな! 馬を使って追うぞ!」と鋭く指示を出した。

 

 私たちは馬の並走をさせていた駐屯兵から馬を受け取ると、騎乗し、荒地へと足を踏み入れる。

 鎧の巨人の走る速さは、顎の巨人に比べるまでもなく、遅い。しばらく馬を走らせると、やがて、立体機動装置の射程距離圏内に入った。

 

「ウオオ――!」

 

 ハンネスさんが声を上げ、鎧の巨人のふくらはぎに斬りかかる。だがガキンと硬い音を立てて、硬質化した表皮に弾かれた。

 同じタイミングで鎧の巨人のうなじを狙った駐屯兵は、鎧の巨人の背中にしがみつくユミルにワイヤーを掴まれて、地面に落とされる。

 

 その、次の瞬間だった。

 

 疾風のようにミカサがユミルの左目を斬り裂くと、ベルトルトに刃を向けた。

 ベルトルトがミカサから距離を取るために、鎧の巨人の肩から喉元に逃げる。ミカサが鋭いステップで距離を詰め、ブレードが振りかざされる。だが、それが振り下ろされるよりも先に、鎧の巨人が手を喉元に当て、ベルトルトは護られた。

 

 そうしているうちに先行するミカサに、コニーとアルミン、ジャンが追いついた。彼らは立体機動装置で鎧の巨人のもとへと向かう。

 

 私は。

 

 ブレードを抜いて、でも、なにをすればよいのか分からなくて。顔を伏せて刀身を見た。

 すべらかなそれに、自らの顔がぼんやりと反射している。それは、ちょっと前にユミルに言われたように、酷い顔だった。

 

 私には、なにもできない。なにもしないことを選んだ。そもそも、なにをしようが結果は変わらない。

 

――私が、行って、なにになるのだろうか。

 

 胸の中枢に空ろにぽっかりと穴が開いている。それは見ないようにしていたものだった。

 その空ろな穴に吸い込まれていくようだった。

 

 途方もない虚しさが広がった。

 私はブレードをしまおうとする。そのとき、ふっと疑問が湧いた。鮮烈な感情だった。

 

 なんで、ライナーは私に構ったのだろうか。なんで、教え、助け、交流をしたのだろうか――。

 

 すぐさま、それらしい答えは浮かぶ。

 即ち、兄貴分らしい行いのためであり、同情からだ。

 

 知っていることだ。納得していることだ。だが、ふつふつと、憤りが腹の下から突きあがってくる。

 思わず、アンカーを鎧の巨人に刺して、トリガーを引いた。

 

 びゅうびゅうと耳元で風が唸る。

 ガスのふかし方、体重移動、ワイヤーの使い方――。

 何度もライナーにアドバイスされた方法で、彼の喉元を守る腕へと向かう。

 

 やがて、トン、と硬い音を立てて、私はライナーのもとに降り立った。

 

 かつての仲間、或いは今や敵である私やアルミンたちが間近にいるというのに、鎧の巨人は我関せず疾駆している。

 その速さも、高さも、乗馬や立体機動装置で体感したことのあるものだった。それでも、高い位置で揺すられるように動く景色は、奇妙な感じがした。

 

 焦燥感のようなものが、ちりちりと胸を焦がす。

 深く息をしてから、鎧の巨人の顔を見た。

 

 こうして見上げると、案外、鎧の巨人にはライナーの面影のようなものが、ふっと感じられた。

 透けて見えてしまう。過日が。

 

――じくり、と。どうしようもなく、胸が苦しくなる。

 

 五年前、私から居場所を奪い、そのくせ、歳月をかけて絆した。

 衝動的に、なぜ裏切った、と、がなりそうになった。だが、彼らとて、被害者なのだ。

 仕方のないことだった。

 

 ふっと、止めるまもなく溜息が口からこぼれる。

 

 ひどく、疲れていた。

 

 思わずしゃがみこみ、うつむく。こつり、と、額が鎧の巨人の手首にぶつかった。それから、目を閉じる。

 

 目蓋の裏側では、仄赤い闇が広がっている。そこから無数の虚ろな瞳がじっと私を見ている。

 忘れない、ゆるさない、お前も直にこちらに来るのだと、じっと。じいっと。見ているのだ。

 

 こんな私に、果たして、なにが言えようか。

 

 暗闇の中、風を切る音と鎧の巨人の足音の向こう側から、ぼんやりとジャンとミカサとコニーが、ライナーとベルトルトに話しかけているのが聞こえてくる。

 心臓が、どくどくと早鐘を打っている。それをなだめるように何度も呼吸をした。

 私は一度、額を強く鎧の巨人の手首に押し当ててから顔を上げる。そしてライナーの瞳を見上げた。彼は進むべき方向を見ているから、視線は合わない。

 

「……ライナー」

 

 期せずしてこぼれたその声は、哀れっぽく震えていて。

 私は。微笑もうとして、失敗した。その、ぐしゃぐしゃに歪んだ顔を取り繕えないまま、立ち上がり、ブレードを抜き、構える。私なら、斬れるはずだ。断ち切らなくては、いけない。

 だって、最初から、知っていた筈だ。

 

 どうせ、こいつらは、敵なのだと。

 

「おいおい――。お前らこのまま逃げ通す気か? そりゃねぇよお前ら……。三年間、一つ屋根の下で苦楽を共にした仲じゃねぇか……」

 

 ジャンは彼らしい皮肉っぽい言い方で言葉を重ねた。

 

「ベルトルト。お前の寝相の悪さは芸術的だったな。

 いつからかみんな、お前が毎朝生み出す作品を楽しみにして、その日の天気を占ったりした……」

 

 そう言うとジャンは唇を引き結んでから、「……けどよ、お前」と言った。その声音からはいつもの調子は消え、隠しきれない憤りが滲み始めていた。

 

「あんなことした加害者が……、被害者たちの前でよく……ぐっすり眠られたもんだな」

 

 ジャンが言い終えると、コニーが「全部嘘だったのかよ……!?」と吐き出した。

 

「どうすりゃみんなで生き残れるか話し合ったのも、おっさんになるまで生きていつかみんなで酒飲もうって話したのも……全部……嘘だったのか?

 なあ!? お前ら……お前らは、今までなに考えてたんだ!?」

「――そんなもの、わからなくていい」

 

 鋭く、コニーの途惑いを断ち切るようにミカサの声が響いた。

 

「こいつの首を刎ねることだけに集中して。一瞬でも躊躇すれば、もうエレンは取り返せない。

 こいつらは人類の害。それで十分」

 

 ミカサが淡々と言葉を重ねた。

 わずかな沈黙ののちに、鎧の巨人の手の内側から「だッ……」と押し殺しきれない声が聞こえた。

 

「誰が! 人なんか殺したいとッ……思うんだ!!」

 

 悲痛な声だった。

 

「誰が好きでこんなこと! こんなことをしたいと思うんだよ!」

 

 それが突き刺さるように響いて、思わずブレードの柄を強く握った。

 

「人から恨まれて、殺されても……当然のことをした。取り返しのつかないことを……。でも……僕らは罪を受け入れきれなかった……兵士を演じている間だけは少しだけ楽だった」

 

 知っていたことを、まざまざと、突きつけられる。

 

 マーレの戦士たちは、ずっと苦しんでいる。

 やりたくてやっているわけではない。

 

 胸が重く苦しくなった。それでも、或いは、だからこそ――聞かないふりは、許されない。

 私は意味もなく鎧の巨人の指の隙間の闇に目を凝らした。

 

「嘘じゃないんだ、コニー! ジャン!」

 

 裏返った声でベルトルトは二人の名前を呼んだ。

 

「確かにみんな騙した……けど、すべてが嘘じゃない! 本当に仲間だと思ってたよ!

 僕らに……謝る資格なんてあるわけない……けど……誰か……。頼む……誰か……。

 誰か僕らを見つけてくれ……」

 

 沈黙が落ちた。

 やがてミカサが「ベルトルト、エレンを返して」と押し殺した声で言った。

 

「……駄目だ。できない。

 誰かがやらなくちゃいけないんだよ……」

「――」

 

 息を呑んだ。

 

「誰かが自分の手を血で染めないと……――」

 

 思わず視線を落とす。

 

 ブレードを持つこの手には、トロスト区防衛戦で木の扉を閉めたときの重みが、死体の感触が、未だに残っている。

 

 だが、私にその覚悟はあったか? ただ、流されるまま、選ばされていたのではないか。

 私は、ただ、見ているだけなんじゃ、ないか。

 

 なにも、変わっていないんじゃ――。

 

「――お前ら! そこから離れろ!」

 

 ハンネスさんのその声に、いつの間にか、うつむいていた顔を上げた。

 

「信じらんねぇ……どういうつもりだ、エルヴィン……!?

 巨人を引き連れて来やがった!」

 

 みんながライナーの進行方向を向き、息を呑んでいた。私もつられてそちらを見る。

 

 そこにはエルヴィン団長を先頭に、無垢の巨人の大軍がいた。

 

「お前ら、いますぐ飛べ!」

 

 私たちはハンネスさんの指示に従い、すぐさまライナーから離れ、馬に飛び乗る。

 直後、団長から散会指示が出され、無垢の巨人の大軍から距離をとった。

 

 しかし、鎧の巨人は進行方向を変えるわけにはいかない。鎧の巨人はそのまま無垢の巨人の群れにぶち当たった。

 数体の無垢の巨人がタックルの勢いで弾き飛ばされる。だが、すぐさま鎧の巨人に別の無事な巨人が群がり、集り、やがて、鎧の巨人は地面に崩れ落ちた。

 

「なんだこりゃ……。地獄か?」

 

 ジャンが呆然とそう呟くと、エルヴィン団長が鎧の巨人の方に馬を進めながら「いいや、これからだ。総員突撃!」と堂々と指示を出した。

 

「人類存亡の命運は今、この瞬間に決定する!

 エレンなくして人類がこの地上に生息できる将来など、永遠に訪れない!

 エレンを奪い返し、即、帰還するぞ!」

 

 エルヴィン・スミスは右腕を左胸に力強くあてた。

 

「心臓を捧げよ!」

 

――嗚呼。ここが死に場所なのか。

 

 全ての結末を知っていたとしても、そう思わせるカリスマがエルヴィン・スミスにはあった。

 

 あと少し。

 あと少しで、どうせ、死ぬのだ。

 

 早ければ、今。遅ければ二、三か月後にシガンシナ区で――。

 

 乾いた笑いがこぼれる。

 私は手綱を譲り、馬の腹を蹴る。名も知らぬ馬は怖気ることなく無垢の巨人の群れへと駆けだした。

 

「進め!」

 

 先陣を切るエルヴィン団長がそう雄たけびをあげた、次の瞬間、前から迫りくる無垢の巨人に右腕を食われる。がちん、と嫌な音が響いた。

 

 調査兵の間に動揺が走る。

 それでも、エルヴィン団長は巨人に咥えられながらも「進め!」と鬨の声を上げる。

 

「エレンは、すぐそこだ。進め――!」

 

 その声に背を押されるように、私は進む。

 

 目前に無垢の巨人の群れが壁のように迫り、それを抜けた。

 隣を前を、後ろを――。随伴する兵たちが、無垢の巨人に掴まれ、咥えられ、死んでいく。私はただ前だけを見て、馬を駆けさせた。

 

 ときに急転換させ、ときに身を屈め――。私は巨人から身を躱し続ける。

 自分でも、なにをしているのか分からない。それほどに集中していた。

 

 どれほどの時間が経ったのか、「総員撤退!」と指示が出された。

――エルヴィン団長の声だ。

 その声でぱっと意識が引き戻された。呼吸するのも忘れていたのか、ひどく息苦しい。私は口を開けて思い切り息を吸う。それから慌ててその声が聞こえた方向を向いた。

 

 ベルトルトは胸から蒸気を上げて、鎧の巨人にぶら下がっている。そこにエレンの姿はない。視線を落とすと、ミカサに抱えられて馬に乗るエレンがいた。

 エレンは救出されたのだ。

 私は手綱を引き、鐙を蹴り、無垢の巨人たちから背を向けて駆けだした。

 

 まだ、生きている。まだ――。

 だが、終わりではない。

 

 無我夢中で馬を駆けさせてしばらく経ったころ、ひゅううう……と風を切る音が響いた。頭上に影が、差す。

 咄嗟に体重を後ろにかけ、手綱を引く。

 馬が止まった。

 次の瞬間、数メートル先になにかが降ってきた。どお、と音を立てて、それ――無垢の巨人が地に落ちる。

 大地が揺れる。土塊が捲れ上がり、土埃が舞い上がる。反射的に腕で顔を覆った。

 

 風圧が治まり、目を開けるようになったころには、周囲は土埃でほとんどなにも見えなくなった。薄茶色くけぶる向こうから、ぼんやりと、よろよろと起き上がろうとする巨人の影だけが見える。

 

 死にたくないのなら、進まなければ、いけない。だがどうしたらいいのか。

 

 巨人が墜落する音はあちこちから聞こえる。やがて巨人に囲まれるだろう。一刻も早く動かなければ状況は悪くなる一方だ。

 だが、どこを走るべきか――。

 じっと周囲を確認していると「ミノリ! 無事か!?」と、後ろから声が聞こえた。私は咄嗟にその方向に馬を走らせた。

 

 土埃が落ち着いてくると、見慣れた人影が見えてくる。

 コニーだ。

 声を出そうとしたが、土埃で喉をやられたのか掠れた声しか出ない。私は何度かむせてから、ようやくまともに声が出るようになった。

 

「コニー」

 

 言ってから、彼の後ろにヒストリアが、そして近くに顎の巨人(ユミル)いることに気づいた。

 

「……。ユミル、……クリスタ……。

 私は、平気」

「そうか。じゃあ、さっさと撤退するぞ」

「うん」

「でも、どこに……!?」

 

 ヒストリアが眉根を寄せながら言うと、コニーも顔を歪めた。

 

「わかんねえけど……とにかく、進むしかねえよ」

 

 危惧していたように、周囲は鎧の巨人が投げ寄越す巨人に囲まれてしまっている。もはや、どこが前線なのか分からないようなありさまだった。

 それでも、人の流れを見ているうちに、なんとなく退路が見えてくる。その流れの先陣を切っているのはやはり、エルヴィン団長だった。

 私は団長を指差し「あっち」と言った。

 

「わかった」

 

 コニーは少し目を見開いてからそう言って、素早く馬の腹を蹴った。私も馬を駆けさせ、彼と轡を並べる。少し後ろから、ヒストリアとユミルの進む音が聞こえた。

 

 私たちはエルヴィン団長を目印に撤退をする。その間も変わらず巨人が空から降ってくる。

 やがて一体の巨人が、ちょうどエルヴィン団長の近くに落ちた。

 

 それが素早い動作で立ち上がりエルヴィン団長に目掛けて走り出すと、追従するユミルが方向転換した。そして馬よりも早い機敏な動きでその巨人に圧し掛かった。

 

「ユミル!」

 

 ヒストリアは叫ぶと、ユミルの方を指さした。

 

「コニー、あっち!」

「わかってる!」

 

 コニーとヒストリアがユミルの方に向かって駆ける。私もそれについていった。

 ユミルは無垢の巨人の首を食いちぎると、私とコニーに合流して並んで駆ける。

 

――『ありがとよ』。

 

 こんな、どうしようもない――見捨て続けてきた私に、ユミルはそう言ってくれた。なのに、私はなに一つ返せないまま、見捨てる。

 重石が沈むように、胸が苦しくなった。

 

 しばらく駆けたところで、唐突にヒストリアがアンカーをユミルの額に刺し、ユミルの頭に飛び乗った。

 

「クリスタ!?」

「コニー、違うよ。私の名前はヒストリアって言うの」

 

 ヒストリアはユミルの瞳を見た。

 

「ねえ、ユミル。さっきコニーが言ってたことが正しかったら、自分が助かりたいからって理由はウソなの?

 いや……ウソなんでしょ?

 どうして? なんのためなの?」

 

 ヒストリアはつっと眉を寄せた。

 

「……私? また、私は守られるの?」

 

 ふいに、一体の巨人がこちらに向かってきた。私はコニーと数秒、目を見合わせてから、ヒストリアを見た。

 ヒストリアからは撤退の意志は感じられない。むしろ内側から迸るような生気を放っていた。

 コニーが大きく息を吸ってから歯を食いしばるのが横目で見えた。

 

「ユミル。あなたが私に言ったとおり、私たちはもう……、人のために生きるのは、やめよう。私たちは、これから!

 私たちのために生きようよ!」

 

 必死にユミルに語り掛けるヒストリアのその声は、こんな窮地だというのに一切震えていなかった。

 

「なんだか不思議なんだけど、あなたといればどんな世界でも――」

 

 ヒストリアがブレードを構える。

 

「――怖くないや!」

 

 ヒストリアは迷いなく目前に迫る巨人にアンカーを放つとガスをふかす。同じタイミングでユミルが強く地を踏み、駆けだした。

 一拍おいてコニーが「くそッ!」と悪態をついてから、宙を舞った。

 

 コニーもヒストリアもユミルも、生き残るだろう。原作どおりに行けば――。

 私はなにもしなくて、いい。骨身にしみて、わかっている。

 でも、こんな、感謝される資格なんてない私に、与えてくれる人が、いたのだ。

 

 手が、動いた。

 

 私はヒストリアに注目している巨人にアンカーを刺し、トリガーを引いた。耳元で風が唸る。

 無垢の巨人がヒストリアに腕を伸ばす。ユミルがそれを切り裂いた。その反対側の腕をコニーが斬った。

 私は。

 ガスをふかす。低く地を這うように滑空する。アンカーを刺し直し、ブレードを構える。

 

 そして、私は、巨人のアキレス腱を切り裂いた。

 肉を裂く感覚が手に伝わる。想像よりも硬かった。返り血が頬にかかる。巨人が、がくりと膝をついた。

 

 隙だった。

 

 高く跳んだヒストリアが巨人の無防備なうなじにアンカーを刺し、直滑降する。彼女のブレードがうなじを削ぐ。巨人の体が崩れ落ちた。

 

 ブレードには蒸気を上げて消えゆく返り血が僅かに残っていた。私が斬ったのだ。アニに操られた傀儡のような巨人ではなく、人を食らわんとする巨人を、私が――。

 

 だが感慨に浸る間もなく、巨人が現れる。

 私はまたブレードを構えた。

 

 

 

 四人で連携して、何体目かの巨人と戦っている最中だった。

 無垢の巨人の動きが、電流に撃たれたかのように静止する。

 巨人は、唐突に振り返ると、私たちに見向きもせずに走り去っていった。

 

 私たちが戦っていた巨人だけではない。この場にいる無垢の巨人のすべてが同じ方向に走っていった。

 その終着点では、一体の巨人が数多の巨人に貪られている。

 

 エレンが、ダイナ・フリッツに接触し、始祖の力を使ったのだ。

 

 身震いした。

 巨人を――いわんや、あらゆるユミルの民をも操作する力。

 

――これを使えば地ならしは起こせるだろう。

 

 恐ろしかった。

 

 同時にあれほど恐ろしい巨人が、たった一人の人間の意のままに動くさまは、胸のすくような快感を感じさせた。

 

「なんか……よくわかんねぇけど、今のうちだ。逃げんぞ!」

 

 コニーのその困惑した声で意識が引き戻された。

 

 私たちは急いで馬に乗ると、巨人から逃げるように馬を駆けさせた。

 一瞬立ち止まってからついてきたユミルが、弾かれたように振り向く。その視線の先では鎧の巨人が無垢の巨人にたかられていた。

 

「ユミル?」

「オイ、ブス! なにやってんだ、早く帰るぞ!」

 

 ぐっと唇を引き結んだ。だが、思わず「ユミル」と彼女の名前を呼んでしまった。頼りない声だった。

 その先、言葉は続かない。言ってもいいことなんて一つもない。

 

 ユミルはなにかを伝えるわけでもなく、ちらりと私を見た。僅か数秒間、ユミルの力強く真っ直ぐな瞳と視線が合った。

 見透かすような視線だった。

 

 やがてユミルは私からきっぱりと視線を逸らすと、ヒストリアに近づき、彼女を労わるように、そっと撫でた。

 

「ゴエンア」

 

 黒々と、輝く両の眼でユミルは最期にじっとヒストリアを見る。

 そして、ユミルは名残惜し気にヒストリアから手を放し、鎧の巨人たちの方へと走り去った。

 

「……え?」

 

 ユミルが地を駆ける音が遠くなっていく。

 

「――ユミル、どこ行くの!?」

 

 ヒストリアは言うなり、手綱を引き、ユミルのもとへ駆けだそうとした。

 だが、コニーが「よせ!」と言いながらヒストリアの乗る馬の手綱を強く引いた。

 

「でも! ユミルが……!」

 

 ヒストリアは体をねじり、遥か後方――ユミルへと手を伸ばした。

 

「……待って。

 待ってよ! ユミル!」

「死にたいのかよ!?」

 

 コニーは顔を歪めてから一度、目をつむった。

 

「ああ……クソッ!

 ミノリ! お前もなんとか言ってくれ!」

 

 コニーは冷や汗を流しながら私を見た。

 ヒストリアはコニーに馬を牽かれながらも、ユミルに手を伸ばし続けている。

 なにかの弾みがあれば、立体機動装置でユミルのもとへ向かうやもしれない。彼女のその必死な仕草からは、そういった無謀な勢いを感じさせた。

 

 私になにか言う資格など、なかった。

 だが止めなければ、ヒストリアはユミルについて行ってしまうかもしれない――。

 

「……し……仕方、ない……から……」

 

 私は逡巡してから口を開いた。

 

「もう……どうすることも……」

 

 それが、この場でできることで、原作通りの流れであり、或いは運命である。

 

「……ッ!」

 

 ヒストリアは息を呑むと「なんで」と、ぽつりとつぶやき、私を見た。

 彼女の目には涙が浮かんでいた。

 

「なんで……!」

 

 さまざまな感情が込められている、うねるような声だった。

 

「……」

 

 耐えきれず視線を落とした。だが、私は歯をぐっと食いしばってから顔を上げる。涙で濡れた瞳と視線が合った。

 それからヒストリアはなにを言うでもなく振り向くと、ユミルを見た。

 

「ミノリの言うとおりだ」

 

 コニーが抑えた声で言った。

 

「もう……俺たちにはどうすることも、できないんだよ」

 

 私たちの誰もが口を開くことはなく、ただ馬を走らせた。

 

 

 

 

 

 

 四十人ほどとなった兵士で長距離索敵陣形を構成しウォール・ローゼまで撤退する。

 帰路、一切巨人に遭遇することはなかった。

 だがそれは幸運などではなく、始祖の力によるものであると私は知っていた。

 

 

 

 無事にウォール・ローゼに到着し、壁の上に登ることができたころには、私もコニーもヒストリアも、全員がふらふらで立つこともできないような状況だった。

 

 崩れるように地面に座りこんだ。その地面の硬さや冷たさがどこか他人事に感じる。昨日から続けて馬に乗っていたから、全身が熱をもったように痺れている。

 

 私は立ち上がる気力もなく、ただ、エレンやアルミン、ジャン、コニーの会話を聞いていた。

 

 やがて私と同じようにしゃがみこんでいたヒストリアは、よろよろと立ち上がるとアルミンと言葉を交わしたのちに「壁の向こうに早く行こう」と、エレンに言った。

 

「……お前、まだ立たないほうが――」

「――私はいいから!」

 

 ヒストリアはエレンの肩を掴んで、遮るように声を張り上げた。

 

「ユミルを取り戻さないと……! 早くしないと遠くに行っちゃうから!」

 

 エレンと駐屯兵がヒストリアを制止するが、彼女は我関せず言葉を重ねる。

 

「エレン、強い人でしょ! 巨人の力でなんとかしてよ!」

 

 気力を振り絞ったのだろう。言い終えると、ヒストリアの膝から、かくりと力が抜けた。

 駐屯兵やエレン、コニー、ジャンがなだめるように、安心させるようにヒストリアに言葉をかけた。

 だが、ヒストリアはその言葉に反応を示すことはなかった。顔をうつむけたままぽつりと「許さない」と呟いた。

 

「なんで……私……より、あっちの方を……選ぶ……なんて……。

 い……一緒に……自分たちのために……生きようって……私を置き去りにしていくなんて……」

 

 ヒストリアの瞳からほろりと涙がこぼれた。

 

「裏切り者……絶対許さない……」

 

 震え、小さな声だった。

 

 それを、聞いて。「あ」と声が漏れた。

 

 これは。ヒストリアの苦しみは、私が見捨てた結果だった。

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