作:よく

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エレン奪還戦3

 やわらかな草地の上に、薄墨色の墓が等間隔に並んでいる。それを、けぶらせるかのように、雨が降り注ぐ。気づけば、トレンチコートは水を含み、ぐっしょりと体に張り付いていた。

 

 エレン奪還戦から数日が経った。

 

 ウォール・シーナが破られたとの報せに始まった一連の戦いは、あまりにも多くの命を奪った。

 未だ見つからない遺体も多い中、衛生状態や、心理的な影響を背景に、早急に死者を弔う儀礼が執り行われることとなった。

 

 カール・フリッツ王率いるユミルの民が、パラディ島に囚えられて、百年余。マーレから楽園に送り込まれる無垢の巨人(罪人)は、パラディ島に生きとし生ける人々を虐げ続けた。

 だが、神やそれに類するものは、たったの一度として人に慈悲を与えない。

 だからだろう、パラディ島の葬儀は宗教色が薄いものだった。

 

 合同慰霊は調査兵団の有する墓地で、分隊長が中心となって執り行われた。団長であるエルヴィン・スミスが負傷し未だ目を覚ましていないからだ。

 

 短い弔辞を聞いたあとに、祈りを捧げる。

 それだけの、淡々とした儀礼だった。

 

 だが、終えたあとも、墓前では常に誰かが祈りを捧げ、ときには生前の思い出をぽつぽつと語り合う兵もいた。真新しい墓も、そうでない墓も、弔花が添えられているものが多い。

 調査兵団は死が近いが、弔う姿勢に慣れのようなものは感じられなかった。或いは、死が近いからこそ丁寧に、悼み、弔うのかもしれない。

 

 墓は数えるのが億劫なほど並んでいる。

 それだけの人々が命を落とし、これからも死ぬ。もう間もなく訪れる王政編ではハンジさんの班員が死ぬ。いずれ、サシャも。そして私も、もうすぐ死ぬ。

 

 望もうが望むまいが、どうせ死ぬのだ。

 あの夜、調査兵団に入団すると選んだ瞬間から、――いや、もしかすると、ずっと前から、それが私の運命だった。

 

 葬儀では、神も救いも語られなかった。死者に向かって祈る者はいても、その祈りを聞くなにかの名は呼ばれなかった。

 人は、人に祈りを、或いは、もっと純朴な願いを捧げていた。

 

 であるのなら、私が死ねば誰が祈ってくれるのだろうか。誰かが悼んでくれるのだろうか。私が死んだら、なにが遺るのだろうか。

 誰か、覚えていてくれるのだろうか。

 

 あの夜、どうか、やわい所に刺さってくれと、願った。棘が抜けなければよかった。

 ならば、ライナーは私が死んだと知ったら悲しむのだろうか。私のことを、覚えていてくれるのだろうか。

 サシャは、コニーは、アルミンは、エレンは、どう思うのだろうか。

 

 詮無い疑問だ。私は息をはき、断ち切るように目を閉じる。暗闇から無数の虚ろな瞳が、じっと、こちらを見ている。

 

 もうすぐ、そちらに行く。

 

 いつものようにそう唱えて、目を開けば、墓石が整然と並んでいる光景が変わらず広がっていた。

 

 なんともなしに、私の名前が刻まれた墓石に、花が添えられていることを想像してみた。

 

――それの、なにが。

 

 それが、なんの慰めになるのだろうか。

 死ねば、なにも残らない。誰もが、死の直前まで、こんな道を選ぶのではなかったと、生きていたかったと。そう思っていたはずだ。

 

 ……ああ。なるほど。

 

 マルコや、私が見捨てた命たちは、あの無数の虚ろな瞳たちは、最期にこう思っていたのか。そしてユミルも、きっと、そう思って死ぬのだろう。

 私も、そうだ。

 

 死にたくないと、心底、そう思いながら、死ぬのだ。

 

 死ねば。もしかしたら、ライナーの心に、なにかを遺せるのかもしれない。そう願っている。だが、それは仄暗い快楽に過ぎず、死を前にしては救いにはならない。

 せいぜいが余生を彩る戯れ程度。

 

 そのくせ、ライナーはこの先もずっと生きるのだ。苦しみながら、それでも――。

 憐みのような、切ないような、苛立たしいような。そんな形容し難い感情がこみ上げてきて、無性に、なにかに当たり散らしたくなった。

 

 だって、新兵勧誘式の直後に死にたくないと言わせた、おまえが。あきらめるなと言った、おまえが。死にたいと願いながらも生きて、私は、死ぬのだ。

 ずるいよ。

 

 ぎりぎりと音が鳴るまで歯を食いしばって、一定のリズムで呼吸することを意識する。

 耐えて、耐えて、耐えて――。

 やがて、噴き出るような感情は波を引き、砂を噛むような虚しさが胸に広がった。

 

 

 

 兵舎に戻ると、私は人目を忍び倉庫の裏手に行った。

 

 訓練兵団にいたころから一人になれる場所が、好きだった。

 

 成績のことを思えば休んでいる時間も、もったいなかったのだろうが、やはり、限界というものがある。私は、疲れきったら人通りの少ない場所で、ぼんやりとしていた。それだけで、多少は気が紛れた。

 横槍を入れられない場所を選んだはずなのに、なぜか、ライナーやサシャはよく、私を見つけたけど。

 なんで、だったのだろうか。

 

 そんな、些細な疑問が沈むと、鮮烈な感情が胸を、つっ、と、貫いた。

 

――死にたくなんて、なかった。

 

 胸が詰まって、苦しくて。私は細く長く息をはいた。

 

 それは見ないふりをしていたものだった。どこか、ずっと深く潜った底にうずめていた。

 でも、いまや、その本音は、(ふち)まで来ている。すぐに気づける場所にあった。

 

 調査兵団に入団していなければ、きっと、死なないで済んだ。

 

 なら、果たして、あの夜の選択は間違ったものだったのだろうか。分からない。そも、正しい選択があったのかどうかすらも分からない。

 

 だけど、見ないふりなんて、できなかった。

 

 それが、私の選んだものだった。

 

 どうあれ、望まぬとも、世界の中に投げ出されてしまったのならば、私は、私の選択について責任がある。それから逃げることは決してできない。

 だから、私は、死ぬのだ。

 

 降りしきっていた雨は、いつしか小糠雨へ変わり、それすらも気づけば止んでいた。

 空模様が移り変わるほどの間、ここで物思いにふけっていたのだ。

 それに思い至ってから、なんともなしに、ごつごつとした倉庫の壁に背を預け、ずるずるとしゃがみ込んだ。

 

 こんなことをしていたら、礼装の兵服に皺が寄るかもしれないが、どうでもいい。

 これが礼服を着る最期の機会になる。どうせ、次はないのだ。

 

 地面が近づくと、雨で濡れた土の匂いが、むっと漂ってきた。

 そういえば、季節はいつのまにか夏になっていた。だが、雨で湿ったトレンチコートを着たままだったから、むしろ、体は冷えていた。

 日本の夏であれば、まとわりつくように蒸した空気や、土いきれを感じたのだろうか。

 

「……」

 

 なにかを考えることすら億劫で、私は、ただ、ところどころ水の溜まった荒れた草地を見て、ぼんやりとしていた。

 

 やがて、湿った地面を踏みしめる足音が聞こえた。

 珍しい。ここに人が来ることはめったにないのに。

 だが、それどころか、ゆっくりとした足取りは、段々とこちらへ近づいてきた。

 

 調査兵には待機の命令が下されているが、礼装のまま、こんなことをしていることを知られたら、上官に叱咤されるだろう。

 だが、それも、どうでもよかった。移動するのもめんどうだった。

 私はしゃがみ込んだままでいた。

 

 足音は近くでゆっくりと、止まった。ぼやけた影が差す。

 怒鳴られることはなかった。

 

 誰だろうか。同期なのだろうか。

 そう思いはするものの、反応をするのもめんどうで、しゃがみ込んだままでいた。

 

「ミノリ?」

 

 やがて、聞き覚えのある声が降ってきた。

 私は観念して、ゆるゆると顔を上げた。

 

「……エレン」

 

 そこにはエレンがいた。

 

 合同慰霊の帰りなのだろう。エレンも私と同じように礼装を身に着けたままだった。

 それに、彼のいつもなら意志の強そうな瞳は、わずかに翳っている。私は黙してそれを見つめた。

 

「……お前、どうしてこんなとこにいんだよ?」

「それは……こっちの……――」

 

 暗い色のある声に、そこまで返して、言葉を切る。

 

「――……ん、そっか」

 

 当然だ。

 

 だって、エレンの知る人は、沢山死んだ。

 おじさんとして、慕うハンネスさんまで、命を落としたのだ。

 そして、私は、見捨てた。助けようともしなかった。

 

「そう……だよ、ね」

 

 言って、立ち上がった。

 ずっとしゃがんでいたからか、一瞬、くらりとする。私は深く息をした。

 

「すぐ、どくから」

 

 それは、エレンを慮っているからか、或いは、罪から目を逸らしたいからか。

 

「……あー、いや。いい」

 

 私のずるい言葉にエレンは訥々と返す。彼にしては珍しい歯切れの悪い口調だった。

 私は何度か瞬いてから、「そう?」と返す。

 

 頬に湿った髪が張り付いている。それを指で払ってから、私は倉庫の壁に背中を預けた。

 

 雨は止んでいるが、どこか霧がかったように、兵舎が見える。

 いつもなら、兵舎のどこにいても人の気配があった。あの、どこか生気のある喧騒がないだけで、景色は彩度が一段落ちたかのように感じる。だから霧がかったように見えるのかもしれない。

 その褪せた光景から視線を逸らし、私は口を開いた。

 

「訓練兵のころは。……たまに、話す機会、あったけど……。……なんだか、……久しぶり、だね」

「ああ、そうだな。お前とこうやって話すのは……入団した日、以来だよな?」

 

 向かいに立つエレンはわずかに視線を落として問う。それに首肯した。

 

「あなたは、ずっと、忙しそうだったから、ね」

 

 エレンが曖昧に相槌を打つと、沈黙が落ちた。

 それがなんとも気まずくて、「……体調は、大丈夫?」と誤魔化すように口にした。

 すぐに、ああ、失敗したな、と思った。

 

「――ごめん。大丈夫じゃない……よね」

 

 親しい人が命を落とし、ミカサも大怪我を負った。大丈夫なわけがなかった。

 だというのに、眉をひそめてエレンは「いや」と言った。

 

「オレは……」

 

 そこでぷつりと言葉を切る。

 

「お前こそ、んなとこに一人でいて……大丈夫か?」

「ここに……来たのは、エレンも同じ、じゃない?」

「そりゃ、そうだけど」

 

 束の間、エレンが言葉を選ぶかのように、口を閉ざす。

 

 湿った風が梢を揺らす音が、遠くから微かに聞こえてくる。

 

 やがてエレンは迷いを滲ませながらも、口を開いた。

 

「お前、ライナーと、仲よかったよな」

 

 意外だった。

 まさかエレンからライナーの名前を聞くことになろうとは。

 

「っ――、……」

 

 そう、平然と受け止められるはずなのに。なぜか、私は動揺していた。

 

 エレンは目を大きく見開いてから、視線を落とした。

 

「……あ。いや、悪い」

 

 エレンは視線を合わせ、頬を掻きながら言った。

 

「……あいつのことなんか、今は出されたくねぇよな」

 

 エレンは「……クソ、なんなんだよ、あいつら……」と、独り言ちる。

 

 深呼吸をする。深く、長く、ゆっくりと。

 

「……うん、大丈夫」

 

 跳ねるような鼓動が落ちついてから言って、エレンの反応を見る前に私は言葉を重ねた。

 

「アルミンにも、似たようなこと、言われた」

 

 そう。あのとき、アルミンは実に心配そうにしていた。

 それに、実のところ最近はよくサシャやコニーにも心配そうな視線を向けられている。

 

「ライナーって、別に、私だけに……話しかけていたわけじゃない、よね。エレンとだって、よく、話してた」

 

 エレンは顔を険しくした。

 そういえば、この段階のエレンは、まだ、ライナーたち裏切り者への敵愾心が強かった。

 

 私は眉を下げて「ごめん、……いやだったよ、ね」と言った。

 

 エレンは怒りがわずかに滲んだ表情を、はっと緩めた。

 

「イヤ、オレも似たようなこと言っちまったし、気にすんな」

「……ん、ありがとう」

 

 言葉は途切れた。

 沈黙がさほど気まずくないのは、エレンがなにか考えるような素振りをしているからか。

 やがて彼は、静かに言った。

 

「アイツは、まあ、色んな奴に話しかけてたかもしれねえけど、お前には、……ライナーだろ」

「……。……なにそれ?」

 

 たぶん、私は苦虫を嚙み潰したような顔をしている。

 それを見たエレンは目尻を下げたが、笑みというには強張った表情だった。

 

「……まあ、うん。そう、なんだ……」

 

 なんで、私にはライナーなのか。

 なんともなしに湿った髪を弄りながら、少し考えた。

 

 確かに訓練兵団のころ、たまに、彼に助けられていた。

 それが日常であったから、確かに、客観的に見ればそう思われていたのかもしれない。

 

「なら、なんで」

「え?」

「最初から、敵だったなら。なんで、」

 

 そこまで言って、言葉を切る。

 だって、詮無いことだ。

 そう言い聞かせ、首をふった。

 

「仕方、ないんだよ……ね」

「……そうか」

 

 エレンはぽつりとこぼした。

 

 それから、すぐには、なにも言わなかった。

 

 ただ、じっと、強い色のない瞳で、確かめるかのように私の目を見つめている。

 居心地が悪くて、私は視線を逸らした。

 

 やがて、しみじみと「お前、変わったな」と彼は言った。

 

 思わず、目を見開く。それから、唇が無意識に歪んだ。

 

「……そんなこと、ない」

 

 私は、なにも変わっていない。

 

 だって、ずっと見捨てて、正当化し続けて――。

 

「イヤ、全然違ぇよ」

「――……」

 

 思わず、視線を上げた。

 

「訓練兵のころは。なんつーか、ずっと、どこ見てんだか分かんねえ、目、してて……」

 

 記憶を手繰りながら話しているのだろうか。エレンはわずかに視線を落としながら、ぼんやりとした声で言った。

 程なくして、エレンは瞳に強い意志を宿し、私を見た。

 

「でも、今のお前は違う。前よりも、ずっと人間っぽい」

 

 それが、どういう意味なのか、私には推察することしかできない。

 変わったのだろうか。変わったとしたら、それは、いいことなのだろうか。

 

 分からない。

 

「……私、は」

 

 言葉を切る。

 だって、エレンから見たミノリがどういう人物かなんて、私にはどうすることもできない。

 私は「そう、なんだ」と言うしかなかった。

 

 なんともなしに水気を帯びたトレンチコートの襟を正してから、空を仰いだ。

 雨が上がってしばらくが経つが、晴れることはなく、鈍色の重い雲が果てなく覆っている。

 息苦しくなるような空模様だった。

 

 ふいに、視線を感じて顔を下げると、エレンがこちらを見ていた。彼はなにか言いたげな顔をしているように見える。

 

「どうしたの?」

 

 問うと、エレンの瞳が揺れ、逸れた。

 やがて、彼は真っすぐに私を見やると、何度か大きく息をしてから口を開いた。

 

「――なあ。お前、嘘ついてんのか」

 

 一瞬、呼吸の仕方が分からなくなった。私は、は、と息を鋭くはく。

 

 想定外の言葉だった。

 

 いつ、どこで、なにが、ばれたのだろうか。

 

 心臓が早鐘を打つ。世界が膜を隔てたかのように、遠く感じる。

 

 だが、この動揺すらも隠さなければならない。そうしなければ、ここにいられなくなってしまう。

 

「……どうして?」

 

 私はいつもどおりを意識した声音や表情で言った。

 

「……ユミルから、聞いた」

 

 想定外の理由だった。

 動揺も忘れて「ユミル、から……?」と、聞き返す。

 余程、不思議そうにしていたのだろう。エレンは私がなにか言うよりも先に、経緯について語った。

 

――曰く、エレンがライナーたちに巨大樹の森に攫われたとき、エレンは私のことを話題にだしたそうだ。そのときに、ユミルが『嘘つき同士、波長が合ってたんだろうよ』と言ったらしい。

 

「そう、だったんだ……」

 

 ユミルらしい言葉だな、と思った。

 

 ユミルは、きっと私の嘘の内容自体は知らないが――知っていたらカマをかけたりしたはずだ――私の本性には気づいていたのだろう。

 ならば、なぜ、全てを暴露しなかったのか。もっと嫌な言い方をすれば、もっとタイミングを選べば、裏切りであるという形にもできただろうに。なんで。

 

 分からない。

 

 それでも、あのとき、『ありがとよ』と、言われたように、私はユミルから与えられてばかりだった。

 

 だというのに、見捨てたのだ。

 

「……」

「お前があいつらみたいに嘘ついてるわけ、ないよな」

 

 エレンは自らに言い聞かせるように言った。

 

「そ、れは……」

 

 肯定すれば、いい。

 そうすれば全てが丸く収まる。だって、どうせすぐに私は死に、忘れ去られる。

 

 それは。

 

 それで、いいのだろうか。

 

「……うん」

 

 あと数日もすれば、エレンは硬質化の能力の実験をするために山奥に行く。

 ウォール・マリア最終奪還作戦で、私は死ぬ。

 もうエレンと会うことも、ないのだ。

 

 なら、最期くらい、嘘をつきたくなかった。

 

「……そんなこと、ないよ」

 

 エレンは口をぽかんと開け「は」と、こぼした。

 

「違ぇだろ。ユミルのやつが適当言っただけだろ。お前、そういうのじゃ――」

 

 エレンは顔を歪めて言い、そこで言葉が止まる。

 雨上がりの湿った、どこか青みがかったような空気の向こうから、エレンの目が見ている。

 

「……本当、なのか?」

「うん。……嘘、ついてるよ」

「――」

 

 エレンは息をのんだ。

 

「なあ」

 

 彼は硬い声で言って、一歩こちらに踏み出した。

 

「なら、どんな嘘をついてんだよ」

「……」

 

 エレンは私の肩を掴みそうな勢いで距離を詰めた。

 彼の目がきらきらと強い光を放っている。場違いにも、きれいだな、と思った。

 

「――おい、ふざけんなよ……! あいつらみたいに、オレたちを騙してんのか!?」

「……教えるよ」

 

 エレンは、掴みかかろうとしていた、というよりも、感情の高ぶりで高い位置で握ったのだろう拳を、ほどき、ゆるゆると体の横に降ろす。

 彼の気勢は目に見えて、削がれていった。

 

「ん。そう、だね……」

 

 嘘は、つきたくなかった。

 

 かといって、ここで真実など明かせるはずがあろうものか。

 

「……。……ウォール・マリアを奪還できたら、……ね」

 

 私は誤魔化すように、叶うことのない約束を、口にした。

 

 エレンは水でもかけられたかのように、固まる。それから、何度も口を開け閉めして、口火を切った。

 

「なに言ってんだよ!? だったら今すぐ、教えてくれ!」

「……だめ?」

「ダメに決まってるだろ! んないつになるか分かんない日まで待てるかよ!」

「すぐに、できる」

「ハア!?」

「エレンなら、()()()できる。ウォール・マリアも、シガンシナ区も、――その先の、どこへだって、行ける」

 

 私がそう言うと、エレンは毒気が抜かれたかのような顔をした。

 

「本気、なのか?」

「……うん」

 

 エレンは「なんだそれ」と、怒りのような呆れのような、そんな感情を滲ませる硬い声で言った。

 

「……なあ、」

 

 やがて、ぽつりとエレンは言った。

 

「なんで、お前は、そんなに……オレのことを信じられるんだ?

 初めて会った……格闘訓練のときから、そうだ。あのときも、お前、オレのやりたいことをバカにしなかっただろ」

「エレン・イェーガーが、そういう人だって、知って……いたから」

「そうか」

 

 エレンは納得したかのような表情を浮かべたが、すぐに、「いや、おかしいだろ。なんで、初対面で知ってるんだよ」と、眉根を寄せて言った。

 私は、毛先を指に巻き付けるように手遊びしてから、ゆっくりと口を開いた。

 

「エレンは……とても、入団した日の夜から、目立っていた」

 

 実際に、そうだった。

 

 訓練兵団に入団した夜、エレンを中心に話が盛り上がっていたことを、今でも覚えている。

 

「……そんだけか?」

「まだ、ある。……聞いて」

「お、おう」

「適性検査のとき……あなたは、壊れた金具で、ぶら下がった」

 

 エレンは、愚直に努力し、シャーディス教官が金具を壊したベルトで、適性検査に合格した。

 不可能を、可能にしたのだ。

 

「あれは、たまたま――」

「――偶然だろうと、あなたは、できないことを、やった。

 そして……誰よりも、訓練をしていた。ドベの私と同じくらい……」

 

 私は「ううん」と言い、首をふった。

 

「……私よりも、もっとたくさん、訓練、していた」

 

 エレンは不思議そうに瞬いた。

 

「あなたは、不可能だとされる事に、挑むために……ずっと……努力し続けている」

 

 世界よりも愛する仲間を取った人。最期まで突き進めてしまった人。それでも、生きたかった人。

 だから、紙面上でずっと追っていた。

 やきもきしながらも、真意を知ったときには、涙せずにはいられなかった。

 

 でも、それだけじゃなくなった。

 

「私は……知識じゃなく、見て、考えて……あなたが、どこまでも、進めてしまえる人であると、知った。

 だから、私は……、エレン・イェーガーのことを……エレンを信じるし、好ましく、思っている」

「――」

 

 エレンは口を半端に開けたまま、完全に硬直した。

 やがて、エレンは腕で顔を隠しながら顔を背けた。その首筋や耳は、血色がよかった。

 

「ッ……」

 

 彼は私から視線を逸らしたまま、ガシガシと頭を掻いた。

 

「……照れてる?」

 

 問いかけると、エレンは、弾かれたようにこちらを向いた。そして、あからさまに視線を泳がせてから「違えよ!」と、怒鳴り声をあげる。

 

「……。なるほど」

「ハア!? なに、納得してんだよ!?」

 

 エレンは長い溜息をつくと、「ミノリ」と、呼んだ。

 

「……ん?」

「信じてるからな」

「……」

 

 その言葉が果たして、なににかかっているのか。分からない。

 それでも、誤魔化しのようなものであっても、私は教えると、言った。

 

「……うん。約束、だね」

 

 私は嘘を、明かす。

 

 生きていたら。

 

「ああ、約束だ」

 

 エレンが硬い声で言った。

 

「じゃあ、オレは戻る」

 

 打って変わって、いつもどおりの声だった。

 

「……うん」

 

 私は「またね」と言って、手をふった。エレンも軽く手を挙げて応えると、轍の形をした水たまりを超え、歩いていく。

 

 ふいに、唇が、薄い笑みの形に、歪んだ。

 

 エレンは四年後に、死ぬ。十九歳で死ぬ。

 私は裏切り続ける。

 未来を知りながら、何も変えない。見殺しにする。そして、自らの選択の結果を見届けることなく、死ぬ。

 それが、私の選択だった。

 

 そして、世界はそのような選択をエレンに迫る。

 

 ミカサが言うように、世界は、残酷だ。

 だが、果たして残酷な選択を迫る世界は、美しいのだろうか。

 

 わからない。

 ただ、胸がひどく重苦しかった。

 

 やがて、エレンの後ろ姿は、建物の角を曲がり、見えなくなる。

 

「……ごめんなさい」

 

 私は長く伸びた影に、吐き出すように、無意味に謝罪をした。

 

 

 

 

 

 

 さらに数日が経ったある日、上官に呼び出された。

 

 おおかた、異動辞令だろう。

 第五十七回壁外調査から、エレン奪還作戦まで――。多くの班は維持できないほどに班員が命を落としていた。私の所属している班もそうだ。

 私はまだ、生きていた。

 また、生き残った。

 

――だが、あと二、三か月もすれば、どうせ死ぬのだ。

 

 期限は間近に迫っている。

 そう思うと、私は。

 

 私は。

 

 

 

 呼び出された部屋に入ると、数少ない生き残った同期たち――つまり原作キャラたち――がいたので、一瞬、面食らった。

 だが、全員に同じタイミングで辞令を下したほうが早い、彼らも今日、新リヴァイ班への所属が決定するのだ、と、思えば納得があった。

 

 部屋で待機するみんなの顔には困惑や緊張が滲み、言葉少なに上官を待っていたが、サシャやコニーの会話をきっかけに、いつものような雰囲気が戻ってきた。だが、ドアノブを引く音が響くと水を打ったように静まり返る。

 誰もが姿勢を正す中、扉を開く音が響く。それから規則正しい足音。小柄な人影が私たちの横を通り抜けた。

 その人は――リヴァイだった。

 

 どくりと心臓が鳴った。

 

 兵長は私たちの前に立つと、前置きもなく口を開いた。

 

「この場にいねぇやつもいるが……。エレン、ヒストリア、ミカサ――」

 

 今や心臓は早鐘を打っている。無意識のうちに強く握りしめていた手は、冷え切っていた。

 

「――ジャン、コニー、サシャ、アルミン、ミノリ。お前らは明日から俺の指示に従え。以上だ」

 

 束の間の沈黙。ややあってから「了解しました」と原作どおりの新リヴァイ班のメンバーが言うのが聞こえた。その声も兵長の声も、 薄膜一枚隔てたかのように遠く聞こえていた。

 

 何度、瞬いても世界の色は褪せたままだった。

 口の中がカラカラに乾いている。

 

 だが、私は思考がまとまるよりも先に、「な――ッ! なん、で……!」と声を張り上げていた。

 

 部屋にいる全員の視線が私に集中した。だがそれになにかを思う余裕もない。

 

 私は、

 

 同期たちとのかかわりはここまでだと思っていた。だって、私はウォール・マリア最終奪還作戦で、どうせ、死ぬのだ。死にたく、ないのだとしても。それが選択の結果だから。受け入れるしかないのだ。

 

 そう、ずっと言い聞かせて、きたのに――。

 

「なぜ、私が……リヴァイ……兵士長の班の所属、なのですか!? 納得できません!」

 

 一息に言いきってから、ぐっと歯を食いしばった。

 上官に歯向かったのだ。

 怒鳴られるだろう。或いは、殴られたり蹴られたりするかもしれない。

 だが、どうでもいいことだった。

 むしろ、ここで懲罰を受けるような人物であれば新リヴァイ班に所属することにはならない。

 そうすれば――。

 

 そうすれば、死んでしまうのだ。

 

 壁、机、床。窓からこぼれる光。前に立つリヴァイ兵士長、隣に並ぶ、みんな。視界に移るもの、気配を感じるもの。それらの手触りが遠いものになる。

 全部、なにもかもが平面的で、まるで、ゲームのキャラクターを操作しているかのようだった。

 

 リヴァイ兵士長は暴力を振るうことはなく、むしろ淡々と「理由はなんだ」と問うた。その声で、引き戻されるように、わずかに、感覚が戻ってきた。

 私は何度か瞬いた。

 

「……ぇ?」

「納得できねえ理由だ」

 

 言葉に詰まった。

 原作知識だとかそういうことは、言えない。言ったら、原作どおり巨人のいない未来が訪れなくなってしまうかもしれない。

 

「そ、れは……」

 

 目をつむり、思考する。からからと上滑りする思考。同時に目蓋の裏の暗闇には、無数の、虚ろな瞳が見えた。それから、逃げるように目を開く。

 

「わた、し、は……成績上位者では、ありません。アルミンのように、頭もよくありません」

 

 私は上辺だけの言葉を吐き出した。

 

「能力で選んでいるわけじゃねえ」

「ですが、私は――」

「――お前はここまで生き延びた」

 

 リヴァイ兵士長は面倒くさそうに顔を歪めた。

 

「そもそも、上官の命令が聞けねえのか」

 

 それは、だめだ。

 

 新リヴァイ班に所属することなんて、あり得ない。だから、死ななくちゃいけなくて、でも、死にたくなくて。 

 なら、ここで頷けばいい。だが、それは許されないのではないか。

 

 どくどくと、鼓動は早鐘を打っている。

 

 なんども、断ろうと、あえて激怒されるようなことを言おうと、口を開く。だが、そのたびに喉の奥からは、かすれた吐息だけがこぼれた。

 

 死にたくなんて、なかった。

 だって、私が訓練兵団に入団したのだってそうだった。誰が、死ぬために努力をし続けてきたのだろうか。

 

 その激情を押し殺すように、拳をぐっとにぎる。爪が手のひらの肉に突き刺さる。

 

――『当たり前だろ』

 

 ふいに、その、ライナーの言ってくれた言葉が浮き上がる。

 同時に、あのときの、ちらちらと緑に輝く木漏れ日と、森と土の匂いも呼び起こされた。

 

 あのときも、それ以前も、それ以後も、ずっとライナーは私の死を望んでなどいなかった。それどころか、もしかしたら――。

 

 その記憶が、最後の一押しだった。手が、ゆるゆるとほどけて、しまう。

 

「……ッ。……了解、しました」

 

 やがて、私は絞り出すように、言った。

 ここで盾突けば、新リヴァイ班に加入しなくて済んだかもしれないというのに――。

 

 

 

 部屋を辞して廊下に出ると、みんなが私を見ているのをなんとなく感じていた。私はそれに気づかないふりをして歩みを進めた。

 気まずさすら感じる沈黙の中、やがてコニーが乾いた笑い声をあげた。

 

「ハハ……お前、すげえな。あのリヴァイ兵長に歯向かうなんて」

「ミノリ、どうしちゃったんですか?」

 

 コニーもサシャも慮ってくれているのだろう。二人は横に立ち、やわらかい声色で話しかけてくれる。

 だが、それどころではない。

 私は曖昧に「うん」と返すことしかできなかった。

 

 コニーとサシャは顔を見合わせたあとに口を閉じてしまった。

 

 靄がかかっているかのように現実感がなかった。

 

 エレンが死に物狂いになれる環境である新リヴァイ班に、私が加入するはずがなかった。

 

 だから、この先、どれほどうまく立ち回ろうが、最終的には二、三か月後にシガンシナ区で獣の巨人(ジーク)からの投石を食らって、死ぬ。どうせ、死ぬのだ、とそう思い続けていた。

 

 だが予想は外れ、なんの冗談かリヴァイ班に所属することになった。間もなく王政や憲兵との戦いが始まるが、それを乗り越え、ウォール・マリア最終奪還作戦に参加することとなっても、エルヴィン・スミスとともに囮になることはまずないだろう。

 だから、もしかしたら。

 

 死なないで、すむのかも、しれない。

 

 はたと、足が止まった。

 

 箍が外れた。腹の底から歓喜とも後悔ともつかぬ感情がこみ上げてきた。

 

 喉の奥が焼けるように痛い。歯を食いしばって堪えていたが、ふいに、じわりと視界が滲んだ。その顔が見られたくなくて、手で目元を覆う。

 薄闇の中、私の心臓が胸の裡でずっと鼓動を続けているのを、立ち竦んで聞いていた。




ここまでで一区切りです。

今後の更新は書き溜めがなくなったため、しばらくありません。更新は三章を書き終え次第、再開する予定です。

お読みいただきありがとうございました。
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