棘   作:よく

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征矢となる
盛夏のころ


 燦々と陽光が降り注いでいる。夏の盛りの、まっすぐな光だ。

 日を浴びるとじわじわと体が熱くなったが、木陰を通ると、すっと汗が引く。乾いた夏だった。

 

 この世界に来てから五年ほどが経つ。それでも未だに夏には、じっとりとした蒸し暑さや蝉時雨の記憶が色濃い。

 いつか、日本での記憶を忘れる日がくるのだろうか――。

 

「ミノリ! なにぼーっとしてるんですか!」

 

 ふいに、呼ぶ声が聞こえた。

 

「……サシャ」

 

 隣を見ると、サシャは底抜けに明るい目でこちらを見ていた。

 

「久々に町に出られるんですから、そんな顔してる余裕なんてありませんよ!」

「――オイ、なに言ってんだよ」

 

 向かい側に座るジャンが、わざとらしいほどの嫌味っぽい声で言う。

 

「これは買い出しだぞ? 調整日に町に行くのとは訳が違う」

 

 サシャが「うぐ」と唸り声を上げた。

 

「俺たちに課せられた任務は非常に重要だ。お前、わかってんのか?」

「……わかってますよ!」

 

 御者をするアルミンが「まあまあ」と声をかけた。

 

「ちょっとくらいはしゃいでも兵長には気づかれないよ」

「アルミン!」

 

 サシャが感激したように言ったあとで、アルミンは小声で「多分」と付け足した。

 

 ふいに、がたがたと荷馬車が揺れた。轍の残る道に出たのだ。人里はもう近い。私はフードを深く被った。

 

 

 

◇

 

 

 

 ウトガルド城の戦い、エレン奪還戦、そして、理由もわからぬまま新リヴァイ班に加入してから、一週間ほどが経過した。

 

 私は当然のように、同期のみんなやリヴァイ兵士長ら(原作どおりのメンバー)とともに、山奥で共同生活を送っていた。

 

 日々を重ねるということは即ち、王政編が近づいているということである。

 

 事実、昨夜、リヴァイ兵士長とハンジさんがトロスト区に戻るという連絡を聞いた。

 まもなくニック司祭は憲兵団に捕らえられるのだろう。

 

 ハンジさんに進言し、ニック司祭の部屋を変えたり、彼の警備をする人数を増やしてもらったりすることもできた。

 

 だが、私はしないことを選んだ。

 

 この段階で真の王族の秘密や、壁外の世界の存在などを知ってしまえば、なにが起こるか分からない。

 

 仮に、ヒストリアが女王になれなかったら? 仮に、エレンが硬質化の能力を身に付けられなかったら?

 それ以外にも、私の思いもよらないず(・)れ(・)が生じる可能性に満ちている。

 

 ニック司祭は爪を剥がれ、鼻を折られ、歯を抜かれ、殺されるが、仕方のないことだった。

 

 山小屋に逃げるように移動したときも、ヒストリアの昔話を聞いたときも、ずっと、霧のなかにいるかのようなぼんやりとした心地だった。

 だというのに、なにかを見捨てるとき、言い訳は簡単に思い浮かぶ。

 

 私は、なにも変わっていなかった。

 

 

 

◇

 

 

 

 リヴァイ班とハンジ班、合わせて十人以上の兵士を賄う食料を購入しなければならないが、目立つことは避けなければならない。買い出しには大都市でも田舎でもない、中規模の町を指定された。

 

 その町は決して大きくはないが、近くの町や村の台所を担っているのだろう、青空のもと屋台が連なる市場は、なかなかの盛況ぶりだった。

 この一週間ほど人気のない山奥で過ごしていたからか、なおさら、そのざわめきは鮮烈に感じた。

 

 しかしながら、よく見なくともちらほらと商品がまばらな売り台が目立つ。

 ウォール・ローゼが突破されたという報せが流布した影響だろう。品々も――私はあまり買い物に行くことはないが――高いと感じる値段をしていた。

 

 四人もいるので手分けしたほうが効率はいいのだろうが、なにせ、二班の人員を賄うだけの食料だ。購入したものを運べなければ元も子もない。

 どこか閑散とした雰囲気を拭えない市場で、全員そろって買い出しを始めた。

 

 アルミンとジャンがいると、なにをするにせよ効率がいい。買い出しであってもそうだ。二人とも世間慣れしていて、計算も早い。物品の選定と購入はアルミンとジャンが進める。

 私とサシャは荷物持ちに従事した。

 

 不自然にならないように、同じ店で大量に購入はしなかった。

 それでも、若い男女四人組――私服なので兵士だと思われない――が食料を買い込むというのは、目立つ行為で、なぜそんなに買っているのか、と、問われることもあった。

 そういうときは、素知らぬ顔で「この前、壁が壊されたから、心配で……」と告げると、疑われることなく済んだ。

 

 かくして、買い出しは無事に終わる。私たちは市場から少し離れた場所に停めた荷馬車へと、荷物を運んだ。

 

「しかし、あっちいな」

 

 ジャンが荷台に、どさりと荷物を置きながら言った。

 

「そうですねえ」

「時期が時期だからね。それにこの辺りは山に囲まれているから、熱が籠りやすいんだよ」

 

 サシャはアルミンの蘊蓄に適当な相槌を打ちながら荷物を置く。そしてこちらを振り向いた。

 

「でもミノリは平気そうですね? というかフード被ってますし……」

「……ん?」

 

 私は手に持った荷物を置きながら言った。

 

「暑くないんですか?」

 

 サシャは至極不思議そうに問いかけた。

 

 私はちらりと空を見た。陽光は白々と降り注いでいる。暑い。だが、やはり、それほどではない。

 

 日本の、あの、うだるような夏!

 

 日本にいたころは早く過ぎ去ってくれと、天に祈ることもあった。だが、いまとなっては懐かしいほどだった。

 

「ああ。まあ……これぐらいの、暑さなら、我慢できる」

 

 私はまた別の荷物を荷馬車に積みながら言った。

 

「はへえ」

 

 サシャが気の抜けた声で相槌を打った。それから「でも」と続ける。

 

「やっぱり暑いんですよね?」

「……うん」

「ミノリって変に我慢強いですねえ」

「そう」

 

 そうしているうちに、荷を積み終えたので、私たちは荷馬車に乗った。

 

 帰路はジャンが御者となることになった。轍の残る道を抜け、町から遠ざかっていく。

 もう、人混みに紛れることはないから、顔を晒しても目立たない。私はフードを脱ぐ。

 

 乾いた風が髪を揺らした。

 

 

 

 拠点が近づくにつれて、カーン、カーン……と規則正しい薪割りの音が聞こえてくるようになる。それからほどなくして、山奥の拠点に着いた。

 

「……やっと着いた」

「いくらなんでも人里から遠すぎだろ……」

 

 早朝に出発したというのに、もういい時間になっている。アルミンとジャンがそう言いたくなるのもよく分かる。

 エレンとヒストリアを、世間の混乱から守らなければならないからだと分かっていても、このようなことが続くとしたら辟易する。

 

 だが、実際のところは、ここに滞在するのは長くとも、あと数日だけだ。

 あと少しで、調査兵団はこの小さな国を揺るがす内乱に巻き込まれる。――いや、加担することになるのだ。

 

 調査兵団がこれからやることは、クーデターであり、どう取り繕おうが殺人である。

 私は調査兵で、さらに言えば、なにを間違ったかリヴァイ班のメンバーだ。もはや、内乱を素知らぬ顔で素通りすることなど、できようがない。

 

 私は、さんざん人を見捨て、巨人を殺してきた。だが、人と戦えるのだろうか。

 

 直接、手を下せるのだろうか。

 

 わからない。なにも、わからない。

 

 ぐるぐると思考は廻る。燦々とした陽光も、サシャやアルミンやジャンの話し声も、全部、背景となり沈んでいく。

 

 やがて、がたん、と衝撃が尻を小さく打った。それが、じわ、と現実の鮮明さを上げた。

 落ちていた視線を上げ、前髪を指で払う。周囲を見ると、いつのまにか、荷馬車は山奥の拠点の小さな庭に止まっていた。

 荷下ろしをしなければならない。

 ぐるぐると廻る思考を振り切るように、あるいは、先延ばしをして、立ち上がった。

 

 数時間ぶりに、揺れない硬い地面に立つと安心感がある。思わず、深く息を吸うと、胸のあたりが広がって、こき、と身体の内から骨が鳴った。解放感が身を包んだことで、疲労に気づいた。

 

 そうしているうちに、ぎっ、と軋んだ音が続いた。サシャとアルミンも荷馬車を降りたのだろう。振り向くと、二人とも荷馬車から降り、伸びをしていた。

 

 ジャンも御者台から荷馬車の上に移動すると、伸びをする。

 

 つかの間の、休息。

 

 ほどなくして、かすかに緩んだ空気は引き締まる。

 

 買い足した食料を、拠点にしまわなければならない。御者をしていたジャンが荷を下ろし、残るメンバーが荷物を運ぶこととなった。

 

「ほら、サシャ、お前にはこれだ!」

「なんですかこれ?」

 

 サシャは荷台に立つジャンから木箱を受け取ると「う!?」と呻いた。

 

「重い!」

「中身は芋だ、お前の友達だろ」

「な……んの話ですか、それは? 私はもう忘れました」

「安心しろ。あの事件を忘れることができる奴なんて、同期にいねぇから」

 

 それはそうだ。

 

 サシャが芋を食すと知っていたはずの私ですら、本当にやるのか、と思ったのだから。それに数年後のマーレにいるときのライナー、も、忘れていなかった、はずだ。

 

「――」

 

 一瞬、足が止まった。

 

「……」

 

 瞬く。

 

 一歩、踏み出す。

 

 そうだ。無駄なことを考えている余裕はない。

 

 私は荷物を受け取ったサシャの横を通り、荷馬車の前に立った。

 

 コニーはハンジさんと出かけて、エレンは拠点で掃除をしているのだろう。ミカサとヒストリアはきっと薪割りをしている。私も、はやく、荷物を片付けなければならない。

 

「ミノリは、これを運んでくれ」

「わかった」

 

 ジャンが荷馬車の上から差し出した木箱を、抱えた。

 

 瞬間、腕が沈んだ。

 

「ぁ、」

 

 気を抜きすぎていた。やばい。そう思ったときにはもう遅かった。

 

 重い。よろける――。

 

 寸前、腕が、ぐっ、と上に引かれた。

 

「あっぶねえな、オイ」

 

 たたらを踏みながらも、なんとか、つんのめることなく済んだ。

 荷物も、まだ腕の中にある。

 

 体から力が抜けた。

 

 それから、顔を上げると、ジャンの顔が近いところにあった。一瞬、面食らった。

 彼は荷馬車の上で膝をつき、私に手を伸ばしていた。

 荷物を落とさないですんだのは、ジャンのおかげだった。

 

「大丈夫ですか!?」

「怪我はない?」

 

 そう声をかけるサシャとアルミンに「へいき」と返してから、しっかりとジャンの目を見た。

 

「……ごめん、油断してた」

 

 ジャンは息をはきながら、私の腕から手を離す。

 

「ったく、気をつけろよ」

 

 私は「うん」と言いながら頷いた。

 

「あと、ジャン」

「あ?」

「ありがとう」

「……おう」

 

 数日分の食料だ。絶対に無駄にすることはできない。

 私は荷物を、よりしっかりと抱える。手にずっしりと重みが食い込んだ。

 

 私が拠点のほうへと歩き始めると、ジャンが荷馬車から降りる気配がした。

 

 あとから荷を持って来たはずのジャンが私を追い抜いたころだった。

 

「それにしても」

 

 前を進むアルミンがふいに言った。

 

「どれもこれも、高騰してたね。

 もし、この食料を失ったら、僕ら餓死しちゃうよ」

「そうだぞ、サシャ。つまみ食いでもしてみろ。リヴァイ兵長にお前を食べやすい大きさに捌いてもらうからな」

「うぅ……。しませんよ」

 

 サシャが小さく「たぶん」と付け足すと、ジャンがすぐさま「は……?」と声にした。

 

「いま、なんか付け加えたか?」

 

 みんなの後ろ姿を追いながら、いつも通りの調子で繰り広げられる会話を聞いているうちに、家の前に辿り着いた。あとは、食糧庫に収納するだけ、だが――。

 

「待って」

 

 思わず、呼び掛けた。

 

「みんな。泥とか埃、落とした方が、いい」

 

 リヴァイ兵長は言わずと知れた潔癖症である。掃除をした方が良いに決まっている。

 

「兵長たちが帰ってくる前に、この大荷物を片付けなきゃいけないんだぞ。んなことやってるヒマなんてねえよ」

「そうですよ。みんなに気づかれ……来ないうちに、この荷物をしまいましょう」

「……オイ。『気づかれない』ってどういうことだよ?」

「……言い間違えただけです」

 

 サシャとジャンは言い合いながら、進む。

 二人の軌跡として残るのは、わずかに削れた乾いた土だけ。泥などはなさそうで、そのまま拠点に戻っても、不衛生だとは思えない。だとしても、兵長は綺麗だと判断しないだろう。

 

「……」

 

 言葉での説得は無に帰した。私では、もはや、どうすることもできなさそうだ。

 

「……そっか」

 

 ぽつ、といった言葉に返答はない。ジャンとサシャは荷物を抱えたまま拠点の中に入っていった。

 二人から少し遅れてアルミンが扉をくぐる。彼はその前に、軽く靴に付いた泥を払っていた。

 

 だが、その程度では無意味だろう。

 このありさまでは、リヴァイ兵士長の納得のいく綺麗さにはならない。

 

 そんなことは、知っている。

 無駄かもしれない。

 それでも、私は荷物を一度、地面に置いてから、体に付く泥や埃を払ってから、拠点に入った。

 

 

 

 家に入ると薄暗さで一瞬、目が眩む。何度か瞬いてようやく、はっきりと見えるようになってきた。

 

 玄関はちょっとしたパントリーのようになっていて、小麦の入った袋やら、樽やらが片付けられている。

 荷物を運びながらそこを抜けると、ようやく目的地である台所にたどり着いた。

 

 この拠点に住むようになって、まだ、たった、数日程度だった。それでも、台所には、人数分の食器や調理器具が置かれ、うっすらと生活感が漂っている。

 そこに、サシャやジャンやアルミンがいる。

 不思議な感じがした。

 ここ数年はずっと――訓練兵団の――大きな調理場で作業をしていたから、ここはまるで、誰かの家の台所のようだった。

 

「こんな買い物にばっかり頼らなくても、この山から獲ってくればいいんですよ!」

 

 サシャが荷物を台の上に、どさりと置きながら言うと、すぐさまアルミンが「ダメなんだよ、サシャ」と返した。

 

「こんな山奥でも禁猟区なんだ。見つかって騒がれたら、僕たちが隠れてる意味がなくなっちゃうよ」

「わ、わかってますよ、やりませんって……」

 

 サシャは小さく「たぶん」と付け加える。

 

「聞こえたぞ、芋女てめぇ!」

 

 ジャンの突っ込みとほぼ同時に、「お前ら……」という声とともに三角巾を頭につけた人影がぬっ、と、居間から現れる。

 

 どきりと心臓がなり、荷物が手から離れかけ、もう一度抱えなおす。同時に、「うわ」と変な声がでた。

 

「お」

 

 人影――エレンが私のほうを向き、ぱちくりと瞬きし、そうこぼす。それから彼は両手で抱えていた箒から片手を離し、自らの頭を掻いた。

 

「……悪い。気づかなかった」

「……ん、や。気に、しないで」

「……」

「……」

 

 嫌な緊張感のある沈黙が落ちた。

 

 ウォール・マリアが奪還できたら、私は嘘を明かす。そうエレンと約束をした。

 

 合同慰霊の直後までは、叶うことのない約束だった。

 いまとなっても、どうだろうか、わからない。王政編やウォール・マリア最終奪還作戦で死ぬ可能性が、ある。

 それでも、あのときよりは生存の芽がある。死なないで済むのかもしれない。

 

 ならば、もしかすると、いつかこの嘘を明かす日が来るのかもしれない。

 だが、嘘を明かして、どうするのだろうか。なにを、したいのだろうか。

 

 いま、考えるべきことではないだろう。

 

 ふいに浮かんだ疑問を沈め、一歩足を踏み出す。

 

「……ごめん。通る、ね」

 

 私は軽く会釈してエレンの前を通り、台所の奥へと進んだ。

 

 台所の作業台に荷物をどかりと置くと、体からこわばりが消えた。重さもそうだが、それよりも、落とせないものを運んでいることに、疲れた。

 

「おつかれさまです」

 

 横でごそごそと片づけをしているサシャが、顔を上げずに言った。

 

「サシャも、おつかれさま」

 

 なんともなしに指先をすり合わせると、それは冷えていた。しばらく指先を揉んで血の気が通ってから、私は片づけをはじめた。

 

 そのくらいのタイミングで玄関の方から、エレンの声が聞こえた。

 

「家に入る前に、ちゃんと埃や泥を落として来たか?」

 

 ジャンがエレンに「やってねぇよ。この大荷物見りゃ、そんな暇じゃねぇことぐらいわかるだろ」と言い返した。それをきっかけに、エレンとジャンの言い合いが始まった。

 

――と、いうよりもジャンがエレンに突っかかるというほうが正確か。

 

 その言い合いは台所の奥の方にいても、はっきりと聞こえるほどの大きさだった。

 やがて、「おかえり」と、ミカサの声が聞こえると、なおさらジャンはエレンに声を荒らげた。

 

「……なんだか」

 

 隣のサシャが呟く。

 

「訓練兵のときに戻ったみたいですね」

 

 たしかに、そうだった。

 

 つい一か月ちょっと前まで、訓練兵のみんなを遠巻きに見ていたとき、こんな雰囲気だった。

 

「うん……でも……。エレンとヒストリアを守るっていうのは、重要な任務だ。

 いくら熟練兵士の多くを失ってしまったからって、ほかにもっと経験ある優秀な兵士はいるだろうに……」

 

 アルミンは物憂げな声をしていた。

 

「なんで僕らがリヴァイ班に選ばれたんだろ……」

 

 思わず、片づけの手が止まった。

 

 リヴァイ班の選定基準は、エレンがやる気を出しやすいメンバーであることであったはずだ。

 

 エレンの幼馴染であり、その上、優秀な頭脳を持つアルミンは選定理由が明白だ。ミカサも分かりやすい。

 また、そもそもとして、ある種の保護対象であるヒストリアが、リヴァイ兵長(最高戦力)の下に来るのは当然のことだろう。

 

 ジャン、サシャ、コニーはエレンと交流のあった同期であるだけでなく、成績も上位十位以内と優秀だった。

 

 だが、私はドベで、なにかを見捨てることしかできない。エレンとせいぜいが、多少会話をする程度の仲にすぎない。

 

 それでも、そのおかげで、ウォール・マリア最終奪還作戦で、囮として特攻しなくてすむ。そう、思うと、私は、安堵していた。してしまっていた。また、すべてを見捨てて、私だけ生き残ろうとする。それは、だめだ。

 

 でも、死にたくなかった。

 

 死ぬのは、怖かった。

 

 生々しい死の恐怖が突き上がってきて、胃液がせり上がってきた。私はごくりとつばを飲み込んで、作業台の上に散らばる食材を注視した。

 

 手を動かせば、忘れられる。見ないふりができる。だというのに身体を動かすのが億劫だった。

 作業台の上に置かれた食材は、絵のようで現実からなにかを一枚、隔てている。

 その気持ち悪い浮遊感を「まあ――」と、隣から聞こえたサシャの明るい声が、ぐっと現実に縫い留めた。

 

「――優秀だからでしょうね」

 

 サシャは、こともなげに続ける。その言葉は、驚くほど鮮明だった。

 

 なんで、こういうことを言えるんだろう。

 ちっともわからない。

 でも彼女の、こういう、良(・)く(・)言(・)え(・)ば(・)毅いところは、私には全くない部分だった。

 

 私はゆるゆると顔を上げてサシャを見た。

 

 彼女は、木箱から、パンを盗んでいた。

 

「……」

 

――こういうところは、全く持って見習えない。

 

「――ん? サシャ? いま、バッグになに入れたの?」

 

 アルミンが鋭く詰問した。

 

「パンのようなものは、なにも……」

 

 白を切るサシャに、ジャンが「オイ、てめえ、こら」と声を荒らげて迫り寄る。同時に、薪割り斧を担いだままのミカサもサシャに近づいた。

 たちまちサシャの周囲は騒がしくなった。

 

 

 

 ほどなくして、リヴァイ兵士長とコニーが帰宅し、ハンジさん率いるハンジ班のメンバーもこの小屋を訪れた。

 

 全員が腰を落ち着け、紅茶が用意されると、リヴァイ兵士長が前置きもなく口火を切った。

 

「状況を整理し、方針を固めるぞ」

 

 リヴァイ兵士長とアルミンの説明により、この場にいる全員が、当座の目標――ウォール・マリア奪還のために巨人の力を実験する――を共有した。

 

 巨人の力の実験――。

 常ならばハンジ・ゾエは真っ先にそれに食いつくだろう。だが、そうではなかった。ハンジさんはどこか沈鬱だった。

 

 なぜならば、私の知っている通り、ニック司祭が拷問の末に憲兵によって殺されたからだ。

 

 憲兵は、ウォール教の秘する情報をどこまで喋ったか、エレンとヒストリアの居場所、それらを知るために、ニック司祭を殺した。

 そして、憲兵を使った中央の『なにか』。それを警戒して、ハンジさんは実験をせずに守りに入るべきだ、と言う。

 

 だが、それにリヴァイ兵士長は淡々と「逆だ」と答えた。

 

「時間が経てば奴らが諦めるとでも思ってんのか? ここはいずれ見つかる。逃げてるだけじゃ時間が経つほどに追い詰められる」

 

 その通りだった。事実、あと何日かすれば中央がこの山小屋に気づき、追っ手が差し向けられる。

 

「ニックの爪は何枚剥がされていた?」

 

 唐突に、リヴァイ兵士長は言った。

 

「……は?」

「見たんだろ? 何枚だ」

「わからないよ。……一瞬しか見れなかったんだ。

 でも、見えた限りの爪は全部、剥がされてた」

 

 リヴァイ兵士長はハンジさんの困惑した声に「ほう」と相槌を打った。

 

「喋る奴は一枚で喋るが……喋らねぇ奴は何枚剥がしたって同じだ。

 ニック司祭……あいつはバカだったとは思うが、自分の信じるものを最後まで曲げることはなかったらしい」

 

 ハンジさんは息を呑んだ。

 

「ニックが口を割らなかった可能性が高いとなれば、中央の『なにか』は調査兵団がレイス家を注視してるってとこまで警戒してない……かもしれん。

 まあ……俺に言わせりゃ今後の方針は二つだ。

 背後から刺される前に外に行くか、背後から刺すやつを駆除して外へ行くか――」

 

 リヴァイ兵士長は言葉を重ねると、ハンジさんの方を見た。

 

「お前はどっちだ、ハンジ? 刺される前に行く方か?」

 

 ハンジさんは束の間、表情を歪めたが、すぐさま唇を引き締めた。

 

「――両方だ」

 

 力強い声だった。

 

「どっちも同時に進めよう」

 

 みんなが、ハンジさんを見ているなか、私は横目でちらりとヒストリアを見た。彼女の表情は、どこか薄い。

 

 数日ほど前、巨人の正体についての推測をリヴァイ兵士長が説明したときも、ヒストリアの横顔に表情のようなものはなかった。

 

 ヒストリアは、きっと、ずっと、苦しんでいる。それは私がユミルを見捨てた結果だった。

 

 謝罪したほうが、いいのだろう。だが、私が謝ってなにになるのだろうか。許されて楽になりたいだけではないのか。

 それに、謝ったところでなにも変わらない。ユミルは戻ってこない。私はヒストリアを諦めさせた。ならば、恨まれたままでいい。

 いや、都合のいい理由を並べ立てて、逃げているだけか。わからない。なにも。

 

 無意識のうちに固く組んでいた両手の指は、冷え、冷や汗でぬれていた。それをほどき、能面のようなヒストリアの表情(顔)から視線をそらした。




八割強ほど書けたので投稿を再開します。なお、王政編は漫画版がベースです。
更新は週一回程度を予定しています。

更新するタイミングの参考にしたいので、アンケートにご協力いただけるとありがたいです。
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