棘 作:よく
瓦礫の合間から巨人の姿が見えなくなって、しばらくが経った。
まだ、地面はかすかに揺れているものの、さきほどまでの立つことが難しいような揺れではない。天井が崩壊する兆しも、もう、なかった。
土埃が落ちてきてはいるが、エレンの作った結晶の隙間から見上げても、瓦礫は存在していない。代わりに天井や壁を支えるように網目状の結晶が乱立していた。
「いったい、どういうことなんだよ……」
コニーは腕を組みながら上を見上げていた。
サシャも同じように腕を組みながら目を閉じて、「むむむ……」と唸ると、目を見開いた。
「私もわかりません! わかりません、けど……」
「私たち、助かった……ってことでいいんだよね?」
次いで言ったヒストリアの言葉に、兵士長が「だろうな」と淡々と返した。
「相変わらず、ワケのわからねぇ状況だが……ひとまずは、潰されるのも焼き殺されるのも避けられたみてぇだ」
歓声が上がることはなかった。ただ、ぴんと張りつめていた空気がわずかに緩んだ。
直後、ミカサは、はっとしたかのように顔を上げると、すぐさま「エレン!」と呼びエレンの陰から飛び出した。
「あ、おい!」
ジャンが声を上げるとミカサを追うように駆けた。
「アイツら……」
リヴァイ兵士長は舌打ちをすると、ミカサとジャンが行った方向から私たちの方を見、口を開いた。
「コニー、サシャ、ミノリ。お前らは外に出る道がねぇか確認してこい」
エレンの陰から出て仰ぎ見て、思わず息を呑んだ。
地下空洞の壁や天井を構成していた青白い結晶は、亀裂が入り、ところどころ岩盤がむき出しになっていた。それらを縫い留めるようにエレンの作り出した真新しい結晶が張り巡らされている。
その奇妙な光景に、知っているはずの私ですら、驚いてしまった。サシャとコニーも口をぽかんと開けて周囲を見ていた。
ちょっと開けた場所では、先に飛び出していたミカサが、周囲を見渡しながら声を上げている。
「エレン!? どこ、無事なの!?」
ミカサに追いついたジャンが、「オイ、落ち着け」と、ミカサに呼びかけた。
「落ち着け、ミカサ!」
「でも!」
「ミカサ、アレを見ろ」
ジャンがミカサの肩を引き、白々と輝く人型へ顎をくいっと動かした。
「ありゃあ、どう見ても……」
ジャンの語尾は吸い込まれるように消えた。
「あれは……巨人になったエレン……?」
ミカサが呆然と言った。
その二人のやり取りで、人型――硬質化したエレン――に気づいたサシャとコニーも、呟くように言った。
「なんだ、あれ?」
「な、んなんですか……!?」
私たちは、ただ、立ち尽くしていた。だがしばらく経つと誰からともなく動き始めた。私も結晶の隙間に目を凝らした。
この、儀式の間に来るために使った進路は瓦礫で塞がれていた。
地上につながっている空洞はいくつかあった。しかし、人が通れそうな大きさや形状のものとなると、すぐには見つけることができなかった。
地下空洞は半壊し、狭い。その上、エレンの作った結晶が張り巡らされている。
目のいいサシャが下から指示を出し、私とコニーは慎重に立体機動装置を使い、出口になりそうな場所を探した。
カン、カン……と、下のほうから、硬いものを打ち付ける鋭い音が、立体機動装置の動作音に紛れて微かに聞こえる。ミカサとジャン――もしかしたら兵士長も――が、エレンを、硬質化した巨人の体から掘り出そうとしているのだろう。
私は結晶の柱にアンカーを撃ち込み、周囲を見回した。
地上へ続いていそうな裂け目はいくつかある。だが、どれも人ひとりが抜けるには狭すぎる。しかも、結晶が複雑に絡み合い、先がどうなっているのか見えない。
「あ!」
唐突にサシャが声を上げる。私とコニーは手ごろな結晶に着地すると、サシャの方を振り向いた。
「あれなら……通れそうじゃないですか?」
サシャの指し示す先を見上げると、そこには歪な裂け目があった。
裂け目は、それなりに大きい。なによりも、エレンの作った結晶が周囲を穿っておらず、土埃がぱらぱらと降ってきていない。
コニーが「あれなら」と言い、私のほうを見る。私は彼に頷き返した。
「見てくる!」
コニーはサシャに言ってアンカーを放った。私も彼に続いた。
裂け目は、少なくとも四、五人が並んで通れそうなくらい広かったが、立体機動装置で通り抜けるのは平時ですることではない。
私とコニーは立体機動装置で裂け目にできるだけ近づいてから、よじ登りはじめた。
訓練兵だったころに、命綱なしで――ときには命綱を切られながら――登攀した経験が生きた。私も難なく登ることができた。
「ミノリ」
あとちょっとで地上に上れそうといったところで、先に地上についていたコニーの声が上から降ってきた。顔を上げると彼は手を伸ばしている。
私は利き腕を目いっぱい伸ばし、彼の手を取った。ぐい、と体が引き上げられる。
「ありがとう」
「おう」
夜風が気持ちよい。その新鮮な空気の涼しさで、自分が汗ばんでいたことに気づいた。
無意識のうちに、長く、はー、と息をはいていた。それから、慌てて周りを見渡した。
地面に地割れはない。地鳴りも聞こえない。
「これなら、出口になりそうじゃねぇか?」
コニーは言って私に視線を向けた。私は「うん」と、言いながら首肯する。
「しばらくは、崩れない……と、思う」
「よし」
コニーは裂け目のふちに立つと、膝をつき、「大丈夫だ、外に出られるぞ!」とサシャに告げた。
「やったぁ~~」
サシャの歓声が裂け目から響いた。そして彼女は兵士長やミカサたちのもとへと降りたのか、「兵長~~」と、呼ぶ声が、反響しながら下へと遠ざかっていった。
コニーは立ち上がると、遠くを見やり、「しかし」と言う。彼の見ている先を見ると、そこには、平らな台地など存在していなかった。
つい先ほど、レイス家の所有する礼拝堂に入るまでは、地平線が見えるほど平地が続いていた。
それがいまや、大地は陥没し、えぐられたかのようにへこんでいる。その、へこみの底には、岩盤と青い結晶でできた瓦礫が散らばっている。薄暗い夜明け前の闇の中、ほのかに青白い結晶が光を放っていた。
「よく潰されないですんだな。俺たち」
「うん。そうだね……」
巨人化能力を得た始祖ユミルは、道を開き、荒れ地を耕し、峠に橋を架けたという。
たった一人の巨人が、これほどまでに地形を変えることができるのならば、およそ二千年前の古代、始祖ユミルの持つ力は恐ろしく強大なものだっただろう。
「ん? ……なんだあれ?」
コニーが額に手を当てて遠くを見ながら言うのと同じタイミングで、「おーい」と、アルミンの声が背後からした。
コニーが振り向いた。
「アルミン!」
私も同じように後ろを見ると、少し離れたところにアルミンがいた。
コニーがアルミンのほうへと小走りで駆けだす。私も彼を追ってアルミンのそばへと近づいた。
「ハンジさんは無事か!?」
「無事だよ。しばらく立体機動装置は使えないだろうけど……」
コニーが息をつきながら「よかった」と、言う。
私も一安心していた。
まさか、ここでハンジさんが命を落とすようなことがあれば、そうでなくとも命に関わるような大怪我を負うようなことがあれば、どのような影響があるか想像もつかない。
「それで、君たちのほうはなにがあったの? エレンとヒストリアは無事?」
「あー……」
コニーが言葉に詰まり、頭を掻いた。
「まさか……!」
「いや、全員無事だ」
アルミンの強張った肩から、見るからに力が抜けた。
「だけどよ……。クソッ。なんて言やいいんだ」
「……ん。そう……だね……」
私が顎を撫でながら呟くと、二人がこちらを見た。
あと少しで全員が合流する。それに、聡いアルミンのことだから、私がなにを言っても言わなくても、すぐに気づくだろう。
「エレン、が、頑張ったから……私たち、は、生きて……いる……?」
あまり内容を考えずに簡潔に事実を伝えると、二人はきょとんとした。
「ああ、まあ、だいたいそんなところ……か……?」
「う、うん……? そう、なんだ……?」
もう少しちゃんと説明したほうがよかったのだろうか。
補足しようか迷っていると、コニーが「そうだ!」と声を張り上げた。
「あの巨人はどこだ!? オイ、アルミン、なにか見てないか!?」
アルミンはすぐさま表情を険しいものにすると、崩落した地面のその先を指さした。
「あそこを見て」
私たちは身を引き、アルミンの示す先を見やった。
ほどなくしてコニーが訝しげに「なんだあれは……?」と、言った。
地下空洞だった崩落した大地の先。アルミンの指先のずっと、ずっと先では、もうもうと白煙が立ち込めている。そのもとに、ほの明るい肉塊のようなものが見えた。
それは、到底、巨人の形をしているようには見えない。だが、あの地を這いずる肉塊が、ロッド・レイスが巨人になった姿なのだ。
「巨人だよ」
「巨人……? あれがか!?」
「うん。……突然、地面が割れて、そこから出てきた」
コニーは「おいおい、マジかよ」と呟くと裂け目へ駆け出した。
「兵長たちに伝えてくる! お前たちはそこで待っててくれ!」
「わかった!」
遠ざかっていくコニーの声にアルミンが答える。ややあって、裂け目の下から「兵長、大変です! 早く来てください!」というコニーの声が聞こえた。
なにをするでもなく崩落した台地を見ていると、アルミンが「ミノリ」と呼んだ。
「ん?」
横を見ると、彼はわずかに微笑んでいた。
「さっきは助かったよ」
「……?」
首を傾げると、アルミンは微苦笑を浮かべた。
「ほら、さっき、僕とハンジさんを信煙弾で援護してくれただろう?」
「ああ……あれ……」
つい先ほどの出来事なのに、崩落に巻き込まれかけたりと、いろいろなことがあって、いまのいままで忘れていた。
だが、感謝されるようなことをしたわけではない。
「あ、れは……調査兵団として……当然のこと、を……」
私が言葉を濁すと、アルミンは苦い表情を浮かべた。
「だとしても、だよ。……僕は勝算もなく飛び出していた」
「それは……」
たしかにそうだった。あのとき、どこかに伏兵がいたとしてもおかしくなかった。彼の言葉を否定もできずに黙り込んでいると、アルミンは表情を和らげた。
「君がいなかったら……僕とハンジさんは憲兵に撃たれていたかもしれない」
「……」
「だから、ミノリ、ありがとう」
――違う。
そう言ってしまいたかった。
私がいなくても、アルミンとハンジさんはこんなところで死ぬことはなかった。それに、アルミンがまだ直接命を奪っていないだろうことを考えれば、私がなしたことは、むしろ、悪いことでしかない。
だけどアルミンにきっかけを与えてしまったら、私のおかしさに気づいてしまうかもしれない。一体、この島で調査兵団に疑われてどう生きるのだろうか。絶対に怪しまれたくなかった。
苦いものをぐっと飲みこむ。それから、できるだけ、いつもの表情で、いつもの声音で、「そっか」と返した。
会話が途切れると、私とアルミンは礼拝堂の地下空洞に繋がっている裂け目の近くで待機した。ほどなくして兵士長やエレンたちが地下空洞から地上へと戻ってくる。
私とアルミンは、昇ってくるみんなへ手を貸した。
地上へ戻ってきたみんなは、だれもが呆然と、崩落した大地とその先にいるロッド・レイス巨人を見ていた。
エレンとアルミンがぽつぽつと情報共有をすると、やがて兵士長が礼拝堂があった方へと一歩踏み出した。
「あの巨人を追うぞ。周囲には中央憲兵が潜んでいるかもしれん。警戒しろ」
アルミン曰く、馬や荷馬車はマルロとヒッチが礼拝堂近くの馬小屋から退避してくれていたおかげで、崩落に巻き込まれずにすんだらしい。ひとまず馬と荷馬車を取りに礼拝堂の方へと戻ることとなった。
礼拝堂は辛うじて崩れずに残っていたらしく、尖塔が夜闇に紛れて見えている。それを目印に所々ヒビの入った地面を歩いていると、エレンが「なあ、」と呼ぶ声が聞こえた。
エレンは兵士長やアルミン、ミカサたちと一緒に先頭のほうを歩いていたはずだが、いつのまにか後ろのほうを歩く私の隣を歩いていた。
「どうしたの?」
少し驚きながらエレンを見ると、彼は心配そうな顔で私を見下ろしていた。
「ミノリ、その怪我、大丈夫か?」
「……怪我?」
一瞬、なにを言われたのかわからなかった。
だが、言われて、ついさっき頬を擦りむいていたことを思い出した。
怪我を思い出した途端、頬がじんじんと痛んできたような気がしてくる。
私は頬を一度撫でる。もう血は出ていない。砂利とかが傷口に入ってないといいが。
「ああ、これは……さっき、ちょっと擦りむいちゃって……」
エレンは顔を歪めて一瞬、足を止めた。それから、少し距離の開いた私を追うように、早足になった。
「そうじゃねえよ」
「……え?」
「え、いや……だって、ほら、服、血まみれだろ」
エレンはきょとんとしながら、私の胸のあたりを指さした。
「休んでたほうがいいんじゃないか?」
ほの暗い夜闇の中、胸のあたりを見下ろすと、上衣は赤黒く染まって見えた。これでは、乾いた血なのか、真新しいものなのか、一見わからないだろう。
もう、あれから一日経っているというのに。
ふいに、胸にしなだれかかってきた女の兵士の背中の生温い重みがよみがえってきて、一瞬、足が止まった。
「……怪我じゃない」
一度かぶりを振ってから、小走りになりながら乾いた血のついた袖をかざすと、エレンは困惑げに眉をひそめた。
「これは……返り血だから……」
エレンは口を開けてなにかを言いかけたが、それよりも先に私が前を向き、言った。
「私は、大丈夫だよ。エレン。だから……急ごう」
「お前、また……」
エレンは呆れたように言うと、一度言葉を切った。
「……ああ、そうだな」
礼拝堂から少し離れた場所で、マルロとヒッチが馬や荷馬車や、松明の準備をしてくれていた。これなら、このまますぐに出立できるだろう。
馬を取りに行くべく荷馬車の横を早足で抜けると、荷馬車からゆらゆらと手が上がり、手招く。私が足を止めると、ペンだこの目立つ手はぐったりと落とされた。
「ミノリ」
力ない声が、呼んだ。
「……ハンジ、さん」
なにかあったのだろうか。私はのろのろと荷馬車へと近寄った。
荷台に横たわるハンジさんの肩には布が巻かれていた。だが、すでに血が滲み、巻かれた布の一部は赤黒く染まっている。顔色も、いつもより悪かった。
「……ハンジさん。怪我は……」
「ああ、これくらい平気さ」
ハンジさんは億劫そうに視線だけを動かして、私を見た。
「アルミンから聞いたよ。さっきは、ありがとね」
「……いえ、その……」
上官の言葉を謙遜しすぎるのは失礼に値するだろう。それに、ハンジさんは――私がなにもしなかったから――負傷している。会話を長引かせるわけにはいかない。
「……はい」
言葉を濁した末に、私は視線を逸らして言った。形だけであってもその言葉を受け取るしかなかった。
私がここから立ち去ってもいいのか、迷い始めたころ、ハンジさんは目を閉じると、独り言つようにこぼした。
「やっぱり君みたいな子がいると、助かるなぁ」
「……?」
ハンジ・ゾエはエルヴィン・スミスとは違った意味で、聡い。だから、できうる限り接触を避けていた。
私がハンジさんと会うことがあったのは、雑事を除けば、拠点としていた山小屋での情報共有のときぐらいだ。
『やっぱり』なんて、言われるほどの付き合いはないだろう。
もしかして、なにかに気づかれたのかもしれないが、それなら、『やっぱり』とは言わないように思える。
なにも、わからない。
鼓動が早鐘を打っている。一定のリズムで呼吸することを意識する。
「……助かったよ。本当にね」
ハンジさんは私に目を合わせて、ぽつ、と言った。その声はやわらかかった。いまのところは、含みがあるようには思えない。
ハンジさんは細く長く息をはくと、目を閉じる。
疑いすぎても疲れるだけだ。それに、なにか、気づかれたのだとしたら、もう、どうしようもないことだ。
私は気づかぬうちに揉み合わせていた両手を離し、体の脇に落とした。
ハンジさんやエレン、ヒストリアを荷馬車に乗せ、残る私たちは騎乗し、ロッド・レイス巨人を追う。
私たちはマルロとヒッチが用意してくれていた松明を持っていた。本来であれば、ほんの周囲しかはっきりと見ることができないのだが、ロッド・レイス巨人の這いずった後の木々や草むらは燃えていて、焦げ臭く、ほのかに明るい。
夜明け前にしては見通しが利く街道を、私たちは南下し続けた。
しばらく更新が遅れます。
少なくとも、来週(2026年10月10日)分の更新はなさそうです。