空には満天の星。海は昼の青を呑み込み、深い漆黒に凪いでいる。
冷えた砂浜を撫でる潮風すら、今は世界の息遣いのように密やかだ。
静寂が支配するはずの海岸線の一角。
そこだけが別世界のように、暴力的にラグジュアリーな空間が浮かび上がっていた。
大人が十人で寝そべってもなお余りある、厚手の純白ラグカーペット。
その四隅、柔らかな毛足のすぐ上で、淡い桃色の光を宿した水晶玉がわずかに浮遊している。重力を無視して静止するその宝玉は、柔らかな光彩で夜の帳をルビー色のベールで透かしていた。
広大なカーペットの大半を占拠するのは、なめらかな曲線を描く、
リヴェラは、吸い付くようなカーペットの感触を楽しみながら、デイベッドの入り口にゆったりと背を預けていた。
一切のノイズを排したその姿は、周囲の静寂すらも自身のアクセサリに変えてしまったかのような、完全なリラックスモードだ。
☆☆☆
昼間のウェーブヘアは手櫛でざっくりと編み込まれ、柔らかな三つ編みへと形を変えている。
淡い銀色の隙間から覗く、螺旋状のサンセットオレンジ。うなじや耳元から零れる鮮やかな毛束が、ルビー色の光を弾く褐色肌に色濃く映えていた。
アウターを脱ぎ捨て、身に纏ったのは二回りは大きな真っ白なシルクシャツ。
ボタンを全開にして肩を落とした着崩しは、無防備な解放感を誘っている。
銀髪の色彩に合わせたライトグレーのスポーティーなブラトップは、リヴェラの豊かな重みをしなやかに受け止め、呼吸に合わせてゆったりとその輪郭を揺らしていた。
ボトムスは、サイドにシルバーの細いチェーンを渡しただけのソング。
シャツの裾から伸びる褐色の美脚がラグの上で形を変えるたび、腰元ではシルバーチェーンが柔らかそうな肌に沈み、繊細な光を撥ねてはその存在を主張する。
☆☆☆
オフタイムを貪るリヴェラは、サイドテーブルの小皿から半分にカットされた煮卵を箸で摘み、無造作に口へと運ぶ。
「……おいしいけど、なんか偽物っぽーい」
咀嚼しながら溢れたのは、そんな身も蓋もない独り言。
そのまま伸ばされた指先が、結露に濡れるコリンズグラスを捉える。
グラスを埋め尽くす大量のミントと、瑞々しい半月のライム。
赤いストローから吸い上げたモヒートの冷たさが、煮卵の濃い味を爽やかに洗い流していった。
【……戻りました。……一体、なんて恰好をしているんですか】
「え~? 周り誰もおらんし、別によくね~?」
不意に投げかけられた声に応じ、リヴェラはのほほんと顔を上げた。
ラグの四隅に置かれたピンクルビーの水晶玉。そのすべてが共鳴するように淡い明滅を繰り返すと、収束した光の糸がカーペットの中央で緻密な像を結ぶ。
現れたのは、ホログラムの少女――『ちぃエニ』だ。
四方からの精密な投影によって、夜の闇の中にノイズひとつなく浮かび上がった彼女は、無機質な声の中に隠しきれない呆れを滲ませていた。
対して、リヴェラはグラスを揺らし、ストローを弄びながらどこまでもマイペースだ。
【それに、報告している間にこんなものまで……】
ちぃエニは実体を持たない視線を巡らせ、リヴェラの気まぐれによって作られた、暴力的なまでに豪奢な空間を冷ややかに見渡した。
「
料理配信のネタになるくね?と笑い、モヒートのストローを咥える。
【……最終的に処分された市民は68名でした。当初の想定を、わずかに上回る数字です】
「まー、モグラちゃん達は刺激に飢えてるかんね~。……あ、エンちゃんとエタちゃんの様子どぉだった?大丈夫そ?」
【エンドレスとエタニティの働きにより、処分は極めて順調でした。アークの守護者としては、複雑な心境ですが。……本体も、構想段階に過ぎなかった二体の情報をどこで得たのかと、困惑を隠しきれない様子でしたよ】
「アークを
【……それも、貴方の扱うD-WAVEの力なのですか?】
「ん~?まぁ、そんなトコ~」
リヴェラは煮卵とモヒートを交互に楽しみながら、ちぃエニと言葉を交わす。
遠くから響くさざ波と、時折ストローに弄ばれた氷がグラスに当たる小さな音だけが、贅沢な夜を彩っていた。
【……本体が解析を終えました。貴方の周囲で観測されるエネルギー……その正体は、人間の「レム睡眠」時に生成される脳波と完全に一致しています】
「ほーん」
箸の先で煮卵をぷにぷにと突きながら、リヴェラは他人事のように相槌を打つ。
【自らの脳波を『物理的な干渉力』にまで増幅し、常に外部へ放射し続ける個体など……アークのデータベースには存在しません。貴方の脳は、覚醒しながらにして『夢』を見続け、この現実を侵食している。……それはもはや、個体としての生存戦略を逸脱した、世界のバグです】
ちぃエニの淡い光の瞳が、リヴェラの反応を逃すまいと鋭く固定される。
計算不能な特異点を前に、ホログラムの輪郭にはノイズを伴う「戦慄」が走っていた。
「……あー。これ?
【……イベ? ……それは、どのような高次元の盟約、あるいは絶対言語なのですか】
深淵に触れたかのようなエニックの困惑を余所に、リヴェラは煮卵を口に運び、追いかける様にモヒートを飲むと、満足げに喉を鳴らす。
グラスを置くと、浮遊するちぃエニへ手招きした。
【何か?】
不審げに首を傾げながらも、ふよふよとリヴェラの正面まで降りてくる。
「えい☆」
「ふわり」という形容が相応しい、柔らかな手つきだった。
リヴェラの両手が、実体を持たないはずのちぃエニの頬を包み込む。
その掌は、仄かなピンクルビーの光を纏っていた。
感触を確かめるように、指先で柔らかい頬をぷにぷにと弄ぶ。
【……当たり前のように、ホログラムに触れないでください。座標軸が狂いま……】
「お次は、っと~☆」
怪訝そうにジト目で睨むちぃエニを余所に、リヴェラは
「これを、こうじゃ☆」
【?!……何を、して……っ】
ちぃエニが拒絶する間もなかった。
胸のあたりに押し込まれた光の玉は、染み込むようにホログラムの像へと溶けていく。
直後、光ファイバーの束のような繊細な輝きが彼女の輪郭を駆け巡り――透けていたはずの身体が、確かな質量を伴って世界に固定された。
「ちぃエニかわよっ☆」
【……まさか、実体化……ですか。質量保存の法則すら、無視すると……】
突然得た「重力」と「体温」に呆然とするちぃエニ。
それを構わず抱きしめ、リヴェラは至福の表情を浮かべる。
さらに脇に手を差し入れて、幼子を愛でるように掲げ、その視線を間近で合わせた。
【……呆れるくらい、デタラメな力ですね】
リヴェラは答えず、慈しむような微笑を浮かべたまま、再び彼女を胸の中に抱き寄せた。
そっと角帽を外すと、その小さな頭を、愛おしそうにゆったりと撫でていく。
手のひらに伝わる、ちぃエニの確かな体温。
リヴェラはふと顔を上げ、漆黒の凪いだ海と、その先に広がる満天の星空を仰いだ。
・・・
・・
・
あーしは転生者だ。
気づいたら荒野のど真ん中。
なんか視界の端でルビー色のHUDがピコピコうっさい。自分の手を見たら、人間とかワンパンでいけそうな漆黒装甲に、ギラギラのシルバーネイル。
「え、待って。悪の女幹部みてえwww」
乳は盛り盛りだしケツは重いし、ハイレグの食い込みエグすぎ!
頭の上にはバラの棘が刺さったみたいな輪っかが浮いてるし、あーしのテンションに合わせてドロリとルビー色に光る。……ちょ、これヤバ、普通にカッケーんですけど☆
――突如、地響き。
「……嘘。アルトアイゼンじゃん」
反射的に地面を蹴ったら、そのまま「浮いた」。
「って、あーし、飛んでる?!」
足元を轟音立てて走り抜けていくクソデカ戦車。重力とかいう物理法則、秒で死んだわwww
そこから先はもう、秒で理解。
ここはNIKKEの世界。
つーか、あーしの周りをふわふわ浮いてるこのピンクの水晶玉、なにこれ?
敵……じゃないよね。あーしの動きに合わせて付いてくるし。
(ま、いっか! なんかドローンカメラっぽくて可愛くね?☆)
名付けて『バズファインダー』!
よくわからんけど、あーしだけの武装、最高☆
「あでっ?!」
よそ見してたら、ナニカにぶつかった。
不気味な赤い目と視線が合う。本物のラプチャー。
(デケー……てか、これ詰んだ?)
数秒の沈黙。……からの、スルー。ソイツ、あーしを空気か石ころみたいに無視してズシズシ行っちゃった。
そのあとも、そのあとも。連中、あーしに道まで譲る始末。
「あーし、ヘレティックだわ(確信)」
敵側? クイーンの尖兵?
知るか。地上のフリーパス・ゲットー! 優勝じゃね?!☆
「あー、喉乾いた。なんかないかな……ん?」
目の前に浮かんだルビー色の渦。直感で手を突っ込んだら、掴んだのはセブンのアイスコーヒー。
「……ホンモノだ。あーし好みのミルクとシロップ入り……」
喉を通り過ぎる、刺すような冷たさと香ばしい苦みに、ミルクのコクとシロップの甘み。
この「味」が、ここがマジの現実だってことを脳にブッ刺してくる。
……と、満足したのも束の間。脳の奥が、ドロリと『反転』した。
――滅ぼせ――
脳髄を直接握りつぶされるような質量。脊髄から競り上がる破壊衝動。
本能が「女王の犬になれ」って叫んでやがる。
「キッショ!あーしの頭の中に勝手に入ってこないでくれる!?」
脳内に響く汚染ノイズ。それを、あーしの『自意識』が全力で撥ねつける。
理屈なんて知らない。ただ、この不快な「電波」をブチ切りたい一心で、指先から溢れたルビーの光を自分の頭にムギュッと押し込んだ。
「悪いけど、あーし、知らない人からの電話は出ない主義なのよね☆」
ピンクの光が脳内を洗浄していく。
思考の海に突き刺さった黒いトゲを、バグごと物理的に引っこ抜いて、ゴミ箱にポイ。
「ふぅ……強制イベントとかマジ勘弁。……今、圏外なんで☆」
あーしは空に向かってあっかんべーと舌を出し、残りのコーヒーを飲み干した。
・
・・
・・・
【……いつまで、撫でてるのですか】
呆れたようなちぃエニの声が、夜の静寂を震わせた。
意識を現在に引き戻したリヴェラは、掌に伝わる確かな温もりを確かめるように、ふわりと指を動かす。
あの時、地上の荒野で「ムギュッ」と押し込んだだけの、正体不明なルビー色の光。
先程ちぃエニが戦慄と共に口にしたD-WAVEという名が、今ではしっくりと馴染む。
それは単なる護身の術ではない。
世界の理を定義し直す、圧倒的な特異点の証明。
「……可愛いから、夢中になってた☆」
過去を懐かしむようなリヴェラの独白に、実体を得たばかりの少女は不服そうに目を細めた。
その反応すら愛おしげに眺めながら、リヴェラは再び夜空を見上げた。
高次元の盟約、あるいは絶対言語。
慈しむような微笑を浮かべたまま、リヴェラは指先に伝わる「命」の感触を、ただ楽しんでいた。
世界を救うのも、歴史を創るのも、あーしの『推し』たちの仕事。
「……あ、流れ星!」
【……ハァ】