鬼殺のソリティア   作:ディヴァ子

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そんな都合の良い話があるとでも思っているのか?


黒波の……

 ――――――大地……大地……こっちです……こっちですよ……!

 

 

犀月樹(さつき)様……」

 

 フラリ、フラリと、夜道を歩く大地。彼女の眼には懐かしい誰かの姿が映っているのかもしれないが、傍目には無明の闇しか見えない。むろん、虫の声さえ聞こえない無音である。月明りだけが、ボンヤリと家々を青白く浮かび上がらせていた。

 誰も居ない。出歩く者は勿論、灯りを点けている者も。大地だけが、口から涎を垂らしながら、斜視気味に……。

 

 

 ――――――大地、あっちに行きましょう! 楽しい所ですよ! 誰にも何にも縛られない、素敵な所です!

 

 

「はい……はい……そうですね、犀月樹様。……本当に綺麗……まるで、天国みたい……」

 

 恍惚と、それでいて完全にイカレている表情で、ヘラヘラと笑う大地。

 彼女は黄金海(こがみ)に犯され、犀月樹との仲を引き裂かれた上に、穢れの塊まで宿ってしまった。今でこそどうにか“自分の子供”だと意識出来ているものの、発覚した時はこの世の全てを呪い、悪魔の子とさえ思っていたものだ。

 それ以来、大地は笑った事が無い。一度は融かされた心が再び閉ざされてしまった。何の為に生きているのか分からない程に。お腹の子を(・・・・・)守るべき対象(・・・・・・)だと思い込ま(・・・・・・)なければ(・・・・)今直ぐに(・・・・)でも首を吊って(・・・・・・・)しまう事だろう(・・・・・・・)。心根が腐り落ちる日も遠くはあるまい。

 

 

 ――――――さぁ、こっち……こっちへ……こっちへ来て下さい、大地……!

 

 

 さらに、ごぽごぽと鳴り響く、水中で藻掻く音。何処からともなく水が滴り落ち、道案内が如く先へ先へと続いている。死の岬「黒崎」まで。

 

「犀月樹様……こんな私でも、許してくれるのですか?」

 

 大地は笑っている。これまで見た事のないくらい、にこやかで狂気的に。とても許しを請う者のそれではなく、むしろ自分に酔っているようにさえ見えた。実際に陶酔しているのであろう。悲劇のヒロインを気取って。

 

「犀月樹様! 犀月樹様ぁ!」

 

 そして、「黒崎」の終わりへ向かって走り出す大地。涎を撒き散らし、目を血走らせ、赤い涙を流しながら、身重とは思えない勢いで、大海原に駆けて行く。最早、お腹の子など頭の片隅にすら無い様子だった。唯々甘く幸せだった過去に囚われている。許してくれ、愛してくれ、あの時をもう一度、と。

 

 

 

『おかあさん!』

 

 

 

 だが、一際大きな声が大地の中を駆け巡り、彼女を現実(しょうき)に引き戻す。

 

「はっ……ひぃっ!?」

 

 さらに、自分の立たされている現状を確認して、大地は震え上がった。草履すら履かず、寝間着のまま、暗黒海を臨む「黒崎」の始まりの地点で、たった独りで立ち尽くしていたのである。昼間や寝る前に聞かされていた話を踏まえると、これ程怖い状況も無いだろう。

 

「(ヤ、ヤバい……に、逃げなきゃ……!)」

『うふふふふふ……』

 

 その上、身体を動かそうとしても、全く動けない。踵を返す処か、振り向く事も、目を逸らす事さえ叶わなかった。意識を集中してみれば、無数の手が力尽くで押さえ付けているのが分かる。

 しかも、岬の先端に誰かが立っている。

 

『いひひひひひ……』

三月(みつき)さん……?」

 

 それは三月だった。見た目こそ日中のそれと変わらないものの、決定的に違う部分が一つある。それは笑顔だ。口端は三日月のように吊り上がっているのに、目は「殺してやる」と言わんばかりに見開いている。

 

 

 ――――――大地、さぁ……早くこっちへ……こっちへ来て下さいよぉ!

 

 

 犀月樹の声で喋りながら。その間も、背後の腕たちは大地を海へ海へと押し出して行く。

 嗚呼、そうか。現実はそんなに甘くない。そんな都合の良い話など、ある訳が無い。幸せの国は(・・・・・)生きたまま(・・・・・)到達出来る(・・・・・)筈が無いのだ(・・・・・・)

 と、その時。

 

 

 ――――――ギィ……ギィ……ギィ……ッ!

 

 

 何処からか、櫂で舟を漕ぐ音が聞こえてきた。一人用の盥にでも乗っているかのような。

 

 

 ――――――櫂漕ぎ波裂き、災い直ぐ様やって来る……もうれんヤッサ、モウレンやっさ、もうれんやっさ……。

 

 

 その上、誰かが歌う声まで。溺死寸前の人間が藻掻く音に似ていた。

 

「(海難法師(ふだらくさま)……!?)」

 

 姿こそ確認出来ないが、確実に沖合から岬へと近付いている。

 まぁ、あれがもしも海難法師、もしくは補陀落様なのだとしたら、見た時点で終わりなのだけれど。

 しかし、幾ら目を瞑りたくても、全く閉じられない。無数の手が、何時の間にか近付いていた三月が、大地の瞼を押さえ付けて放さないのである。

 

「ああ……っ!」

 

 そして、視界の端――――――水平線上に黒い点が入り込もうとした時、

 

『だぁれだ?』

 

 ヒンヤリとした掌が、大地の両眼を覆った。

 

「……犀月樹様?」

『残念、不正解!』

 

 さらに、答えると同時に全ての圧力から解放され、代わりに後ろの正面を振り向かされる。

 

『僕はユンですよ。前も言ったでしょう?』

「ああぁ……っ!」

 

 そこに居たのは、ユンであった。犀月樹ではない。

 だが、大地にとっては同じようなモノだ。しかも、命の危機は脱していない。大地の意識はそこで途切れた。

 

『……馬鹿馬鹿しい。ソリテール様は、何でこんな奴を生かしてるんだろ?』

 

 ただ、そのユンは本物では無かった。大地の見ていた幻と同じ。【模倣する魔法(エアフアーゼン)】の応用で化けていたリーニエだったのである。

 

『さてと……』

 

 大地を寝かし付けてから、リーニエは海へ振り返る。そこには凄惨な笑顔で嗤い続ける三月が居た。悍ましい本体の輪郭(シルエット)も。まるで瞬間移動でもしたかのようだ。

 

『始めようか』

 

 しかし、リーニエは死んでいない。よく見ると、眼球の質感が変わっていた。遮光板のような物を生成しているのだろう。

 

『うふふふ、いひひひ……いふへははははひひゃきゃひはははははははっ!』

 

 そして、三月と一つに蕩けたナニカが、岬へと急浮上した。

 

 

◆『分類及び種族名称:複合生命体=海難法師(かいなんほうし)

◆『弱点:不明』




◆変身

 【模倣する魔法(エアフアーゼン)】の応用で、見た者の姿を上書きするように模写出来る。ただし、所詮はコケ脅しの為、シルエットを似せているに過ぎず、地力まではコピー出来ない。むろん、化けられるのは自分とほぼ同じ大きさ物に限られる。
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